新作映画1000本ノック 2008年10月

Knocking on Movie Heven's Door


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「コッポラの胡蝶の夢」

 

「コッポラの胡蝶の夢」

 Youth Without Youth

Date:2008 / 10 / 06

みるまえ

 いきなりでびっくりした。こんな映画がつくられているなんで、まるで知らなかったからね。もっとも最近じゃ映画雑誌も読まないしネットで新作情報をキャッチしようとも思わない。だから新しい話題に疎いのかも知れないが、それにしたってこの映画についての話題はヒッソリしすぎだ。フランシス・コッポラの新作の登場である。何しろ「コッポラの胡蝶の夢」とあるんだからコッポラ作品に間違いないだろう。それにしても、このタイトルはどうにかならないのか。「フェリーニのローマ」みたいな感じにしたいのかもしれないが、「コッポラの胡蝶の夢」って…まだ「アラン・ドロンのゾロ」の方がマシな気がする(笑)。大体、久々のコッポラの帰還が、何でこんなに地味で話題になっていないのか。何となく不安になってくる。それでも、いかに突然でも地味な扱いでも腐ってもコッポラ。何しろ「レインメーカー」(1997)以来、10年ぶりの新作だというから驚いた。これはダメな映画だろうと地味だろうと何だろうと、見ておかなければ映画ファンの名が廃ろうというもの。

ないよう

 1938年、ルーマニア。年老いた男ドミニク・マテイ(ティム・ロス)は、毎晩のように寝床でうなされている。ただ一人愛した女ラウラ(アレクサンドラ・マリア・ララ)には別れを告げられ、添い遂げることができなかった。それというのも言語学者だった彼が「学問の虫」だったからだが、彼がそんな犠牲を払ってまで追い求めた言語の根源に関わる研究も、人生の晩年に至っていまだに先が見えない。人生すっかり失敗だったと悲観したドミニクは、自殺するために首都ブカレストへとやって来る。ところが、駅を出たところで落雷が直撃、本来ならどう考えても即死の状況なのに、彼は奇跡的に一命をとりとめた。しかも全身包帯だらけの深手を負っていたドミニクは、予想外の生命力と回復力を発揮。主治医のスタンチュレスク教授(ブルーノ・ガンツ)以下の医療スタッフも、ドミニクが老人だとは信じられない。実際、彼の肉体は若々しく蘇り、歯も生え替わってしまった。しかも奇妙なことに、「分身の術」のごとく「もう一人の自分」が時折現れて、自分を観察する始末だ。それでも彼の理解者としてのスタンチュレスク教授の庇護の下、平穏な日々を取り戻せたドミニク。しかしそれもつかの間、ナチが彼の肉体の秘密を狙って引き渡しを要求してきた。ナチの科学者ルードルフ博士(アンドレ・ヘンニック)が、「落雷での若返り」に注目したのだ。そして女工作員が彼を誘惑したりもする。そんなナチの要求を拒んだスタンチュレスク教授は、ドミニクをスイスのジュネーブへと逃れさせる。しかしナチは執拗に彼の後を追いかけた。一度など例のルードルフ博士に追いつめられそうになったが、その時には落雷以来の「特殊能力」を使って難を逃れた。そんなこんなしているうちに終戦。スイスの山村を旅している時に、ドミニクはかつての恋人ラウラに瓜二つの女性ヴェロニカ(アレクサンドラ・マリア・ララ)と出会い、ドライブ中の彼女に道を尋ねられる。彼女のことが忘れがたいドミニクはその行方を捜すが、麓の町でまだ下山していないことを知る。慌てて彼女の道を辿ってみると、どうやらクルマが落雷にあったようではないか。ショックを受けたヴェロニカは近くの洞穴に逃げ込んでいたが、ひたすら怯えるばかり。そして何やら聞き慣れない言葉を発していた。だが、ドミニクにはその言葉が分かった。それは学者でも一部の人間しか知り得ない、古代インドの言語だった…。

みたあと

 この映画の原作は、知っている人は知っているそれなりに有名な幻想小説なんだそうだが、当然のことながら僕は作者名すら知らない。だもんで、僕はこの映画を語るに値するかどうか極めて怪しいところなのだが、そのあたりは大目に見ていただければ助かる。で、お話は少々奇想天外な不思議話なのだが、映画自体はといえば、かなりクラシックな作品の作り方をしているのが目を惹く。これは単なる作品の印象で「クラシックっぽい」といっているのではなくて、冒頭のクレジット・タイトルのスタイルひとつとっても、複数の主演者たちやスタッフたちの名前をホンの数パターンのタイトル・ショットで済ませてしまっているあたり、またそのタイトル・ショットの絵の作り方、さらにはエンディングには「ジ・エンド」と出しただけで長々とエンディング・クレジットを流さずバッサリと終わってしまうあたり…からして、意識的に1940年代〜1950年代あたりのハリウッド映画のスタイルを踏襲しているらしいからである。元々そのあたりにはマニアックに懲りそうなコッポラのこと、これらは意識的過ぎるくらいに意識的であるのは間違いないだろう。これはそんな、古典的でじっくりとドラマを見せる映画なのである。

こうすれば

 そういう「スタイルにこだわる」あたりは、オールスタジオ撮影で人工的世界を構築した「ワン・フロム・ザ・ハート」(1982)やドイツ表現主義的世界をモノクロで作り上げた「ランブルフィッシュ」(1983)などを作ったコッポラの面目躍如といえそうだが、実は「クラシック映画のスタイルを意識的にやってるんだな」と思わせるのはそこらへんまでで、それ以外の肝心の中身については「単に古くさい映画の語り口」…としか見えないのが痛い。元々コッポラって「ゴッドファーザー」(1972)で若手のエースとして頭角を現した時も、「若さに似合わぬ巨匠ぶり」を見せる堂々たる語り口が売りの人だった。つまりは鮮烈な感覚や個性的スタイルよりも堂々として安定した語りっぷりが勝っていた。この人にとっては、古典的な語り口はまさにお手のモノだったのだ。これは、逆に映画的な面での「コッポラ・スタイル」というものが見えにくいという諸刃の刃でもある。そんなコッポラの傾向は借金返済のために雇われ監督として作品を次々撮り飛ばしていた頃にますます顕著になり、ハッキリ言って僕にとって「ペギー・スーの結婚」(1986)あたり以降の彼の作品は、部分的にシャープな点が感じられながらも「別にコッポラでなくてもいい」「特にコッポラらしさが感じられない」作品群だったわけだ。だから…もう「単にソフィア・コッポラのお父さん」でいいってわけね…と思っていたわけだ。残念ながら久々のカムバック作の本作も、そういった意味では「コッポラならではの何か」はあまり感じられない。よく見ればあるのかもしれないが、僕の体調が悪かったこともあって、ただただもったりした鈍重な展開に眠気を誘われたというのが正直なところ。

みどころ

 では、つまらなかったかといえば、そうとも言い切れないのが映画の面白いところ。なぜか久々に「インクレディブル・ハルク」(2008)で映画復帰のティム・ロスが引き続いてまたまた登場というのも驚きだが、コッポラ作品初出演のロス演じる主人公の数奇な運命は、その時代背景的にも何となく彼自身が「神に選ばれし無敵の男」(2001)で演じたハヌッセンを彷彿とさせて面白い。それより何より、人生後半戦にさしかかってきた身から見ると、若返って新たにやり直す時間ができたら人生どうする?…という問いは、正直言ってシャレにならない。実はコッポラもそこんとこが言いたかったんじゃないのか? 「人生はほんの一夜の夢のごとし」とでも言いたくなるようなエンディングも、まるでセルジオ・レオーネの遺作「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ」(1984)のエンディングを思わせて、見る者の哀感を誘う。だから、どうにもバッサリ切り捨てられないのだ。

さいごのひとこと

 コッポラが人生やり直せたら「ワン・フロム・ザ・ハート」は撮らないかも。

 

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