新作映画1000本ノック 2008年9月

Knocking on Movie Heven's Door


このページの作品

 「ハンコック」 「ハムナプトラ3/呪われた皇帝の秘宝」 「インクレディブル・ハルク」

 

「ハンコック」

 Hancock

Date:2008 / 09 / 29

みるまえ

 ウィル・スミスっていつの間にこんなにビッグになったのか。ともかくスーパースターなんだそうである。日本ではもっぱら邦画が評判になっていてハリウッド映画は低迷の一途なので、そんな実感はカラッキシなし。でも、ここんとこの作品も全米ではずっとハズシなしなんだそうである。スターはスターだと思っていたが、「スーパー」がつくほどだったとはねぇ。最近凋落著しいトム・クルーズなどと入れ替わって、いまやハリウッドの顔らしいのである。その最新作は、イマドキ大流行のスーパーヒーローものをパロディにしたようなお話らしい。こりゃ凄く面白そう(笑)。ごめん、まったく無関心なので(笑)。しかし今や「オスカー女優」のシャーリーズ・セロンまで「脇役」扱いにしちゃうウィル・スミスのご威光はいかがなものだろうと、ちょいとそのへんが気になって見に行った次第。

ないよう

 白昼のロサンゼルスで銀行強盗が発生。武装したギャング連中は、パトカーに追跡されハイウェイを逃げ回る。その途中で派手に撃ちまくるものだから、あちこちで被害甚大だ。そんな折りもおり、路上のベンチで飲んだくれて、そのまま眠っている薄汚い男が一人。幼い男の子が男を無理矢理目覚めさせ、「ギャングが暴れているよ」と教えても、明らかに二日酔いらしいこの男はまるで動こうとしない。「なんだよ、ロクデナシ!」…どうやらこの幼い男の子の悪態だけには反応したのか、ようやくシャンと起きあがる男。彼の名はハンコック(ウィル・スミス)。実は、ロサンゼルス市内で彼のことを知らない者はいない。なぜなら、次の瞬間に起こったことを見れば分かる。ハンコックはいきなりスーパーマンのように空に飛びたったのだ。彼こそは「実在する」スーパーヒーローだった。ハイウェイを逃走中のクルマにあっという間に追いつくと、武装ギャングたちも何のその、コテンパンにやっつけてしまった。本来ならここで拍手喝采というところなんだろうが、ハンコックはちょっとばかし違う。空に飛ぶ時も着地する時も、もの凄い勢いで路面にダメージを与えてしまう。今回も悪漢たちの追跡中にハイウェイの標識はぶっ壊すわ、途中で玉突き事故は起こすわ、さらには捕まえた悪漢たちのクルマを有名なキャピトル・タワーの尖った先端に突き刺して立ち去るわ…で、被害損害は甚大。市民たちも助けてもらいながらも、ありがた迷惑なのが正直なところ。ハッキリ言ってハンコックのやり方はあまりにデリカシーがないのだが、当のハンコックはやりたくもない人助けをしてやったあげくにブーイングを喰らうとなれば、機嫌が良くなるはずもない。またしても酒浸りになって寝っ転がり、ますます評判を落とすという悪循環だった。その頃、フリーの広告プランナーのレイ(ジェイソン・ベイトマン)は、ある大企業に画期的なプランを売り込んでいた。それは大企業の商品に「ハートマーク」を付けて、慈善事業に参加してもらうというもの。しかし本来鬼畜な連中ばかりの「広告屋」にしてはあまりにナイーブなプランに、プレゼンに参加した企業トップは失笑冷笑。今日も今日とてトボトボと家路に就こうとするレイは、ハッキリ言って「人が良すぎる」のだ。ところがその家路の途中、渋滞にハマり込んだレイのクルマは、何と踏切で立ち往生。おまけにそこに列車が突っ走ってくるではないか。万事窮すと目をつぶってみたら、そんなレイの苦境を救っていたのは、クルマをガッシと持ち上げて列車を大破させたハンコックではないか。列車と線路がメチャクチャの惨状に、またしても周囲の人々から大ヒンシュクのハンコック。「どうせそうでしょ」と慣れた表情でフテ腐れて去ろうとすると、あのレイただ一人が大感謝してくれるではないか。「キミは命の恩人だ、スーパーヒーローだ!」…元々がナイーブな「いい人」であるレイは素直にハンコックをベタホメ。これまで「善行」をたくさん施していながら、ケナされこそすれ、ただの一度も感謝されたことのないハンコックはこれにビックリ。ついつい「自宅に来てくれ」というレイの誘いに乗ってしまう。こうしてやって来たレイの家では、レイの美しい妻メアリー(シャーリーズ・セロン)と、ひとり息子のアーロン(ジェイ・ヘッド)がお出迎え。しかしメアリーは、ハンコックの汚い言葉遣いや酒臭さに、何かとツラく当たるのだった。しかしレイは全く気にせず、「命の恩人」ハンコックにひたすら感謝。そのあげく、彼がどうやったら人々から愛されるのか、本来の広告マンとしての観点から真剣に考え始めた。ハンコックも最初はチャンチャラおかしいという態度を取りながら、レイのあまりに熱っぽい申し出についつい乗せられてしまう。こうしてレイはハンコックの個人的イメージアップ・アドバイザーとなったわけだ。その第一歩としてレイが提案したのが、「ハンコックの自首」。今まで市に与えた損害を償うため刑務所に服役すれば、まずはイメージが改善されるというのがレイの目論みだ。しかもシャバにハンコックがいなくなってみると、おそらく悪漢がはびこり天災人災が発生するに違いない。そうなれば、警察や市民の側からハンコックに助けを求めにくるに決まっている。そんなシナリオを聞かされたハンコックは、イヤイヤながらレイの言う通り自首することになる。刑務所に入った当初は「先住者」からの歓迎に多少手荒なマネもしたものの、概ねレイの言う通りおとなしくしていた。こうしてレイの言うことを聞いていたハンコックだったが、たまに差し入れでレイの代わりに刑務所の面会に訪れる妻のメアリーは、いつになってもハンコックに冷たい。しかもなかなかレイの言うようには、ハンコック待望の声は聞こえて来ない。それでもハンコックには珍しくキレずにじっと刑務所で耐えていると…ついに待ちに待った時が来たではないか。ロス市警から、刑務所のハンコックに「協力」要請が出されたのだ。するとレイは、この日のためにあつらえた「スーパーヒーロー・スーツ」を持参。その「マンガチック」な出で立ちにいささか抵抗するハンコックではあったが、レイの「ヒーローはヒーローらしく」という意見に押し切られて、いざ現場へ。人質をとって銀行に立てこもっている悪漢たちと対峙したハンコックは、衆人環視の前であっという間にその場を制圧。事件を解決してしまった。それでいて現場の警官たちには「よくやった!」…これには警官たちだけでなく市民たちからも大喝采。たちまちハンコックのイメージは急上昇したから世の中は分からない。いまやLAの人気者となったハンコックは、晴れて一流レストランでレイ夫妻と、イメージアップ記念のディナーをいただくことにする。そこで初めて明かされたハンコックの正体とは…実は彼自身も自分の素性を知らなかった。なぜスーパーパワーを持っているのかも知らなかった。80年前、病院で気づいて以来の記憶は、持ち合わせていないのだという。そして彼の元に名乗り出てきた知人もいなかった。そんな孤独が、彼を頑なにしていたのだ。ところがそんな彼の素性に関する秘密が、意外なかたちで明かされようとしていた…。

みたあと

 見ているうちに、だんだん不思議な気分になってくる。「型破りなスーパーヒーローもの」ということは分かっていた。お話も何となく伝わってはいた。従来のスーパーヒーローものの設定を逆手にとったパロディ・コメディなんだろうと察してはいた。しかし僕は映画が始まる前に、劇場パンフで監督が「キングダム/見えざる敵」(2007)のピーター・バーグだと知っていた。だとすると、スーパー・ヒーローものをオチョクったハリウッド大作コメディ「ハンコック」と、リアルな戦闘場面が描かれるヒリヒリするようなシリアス映画「キングダム/見えざる敵」との落差に、何となく「水と油」みたいなイヤな予感を感じずにはいられなかった。どう考えても、この監督がやる題材じゃないだろう。案の定映画が始まってみると、見ているうちに何となく妙な気分になってくる。ウィル・スミスの人を食ったような演技も、冒頭から出てくる悪漢たちの芝居も、明らかに狙っているのはコメディだ。どこか誇張されているし、観客を笑わそうとしているのは明らかだ。そこには間違いなく「ユーモア」が漂っている。しかし派手にブレまくる手持ちカメラのタッチは、いわゆる「ハリウッド大作コメディ」の「それ」とは大きく異なる。そのブレた画面こそは…ピーター・バーグが「キングダム/見えざる敵」の中で行った映像テクニックに他ならないではないか。見知らぬ中東の国で敵意に囲まれ、激しい戦闘の真っ直中に叩き込まれた主人公たちのシビアな緊張感を観客にも体感させるために行った、徹底的なリアリズム演出こそが「それ」ではなかったか。しかし、「それ」って「ハリウッド大作コメディ」とはどう考えてもそぐわない。そもそもピーター・バーグがこの映画の監督って知った時から、「???」と理解に苦しんでしまったのだ。やっぱりこりゃあ「水と油」な計算違い勘違いな作品になっちゃってるのか。

みどころ

 ところがそんなことを思いながら見ているうちに、僕はいつの間にかこの作品とはまったく別の作品を脳裏に思い浮かべていた。これって確かに前に見た何かの作品に似ている。この作品とよく似た感触の映画を、僕は確かにいつか見ていたのだった。「それは何か?」と映画を見ながら必死に思い出していたら、確かにあった!…そうだ、これってM・ナイト・シャマラン監督が「シックス・センス」(1999)の後で大いにミソをつけたあの愚作、「アンブレイカブル」(2000)の感触によく似ているではないか! そういえばあの映画も、マンガの世界にしかいないスーパーヒーローが現実にいたら実際にはどうだろう?…という設定で描いた映画。実は「ハンコック」も、イマドキ映画でも大活躍のスーパーヒーローが実際に存在したらどうだろう?…という設定を、「ハリウッド大作コメディ」としてではなくあくまでリアルに描きたいという意図の下に映画にしているのだ。だとしたら「キングダム/見えざる敵」のピーター・バーグを起用したことには必然性がある。そして、ピーター・バーグの演出方針も正解だ。この映画は一見「ハリウッド大作コメディ」のように見せて、実はその題材をリアルにシビアに見せることを意図した作品なのだ。そしてそれが本当にこの映画の意図だったとしたら、この作品は確かにある程度「それ」…スーパーヒーローの実在をリアルに見せること…に成功していると言わなくてはならないだろう。少なくとも…同じことを言おうとした作品「アンブレイカブル」よりうまくいったことは事実だ。

こうすれば

 ただし、それで一本の娯楽作品として成功作になったかといえば、それはまた別の問題だと言わねばならないだろう。確かにスーパーヒーローの実在をリアルに描こうとして、ひたすら悲壮感タップリに深刻に鈍重に描いた「アンブレイカブル」よりは、この作品は「うまくやった」。本当にスーパーヒーローなんてモノがいたら、こうなるんだろうなぁ…っていうところを、もうちょっと洗練され垢抜けたタッチで見せた。その洗練の武器として、「ユーモア」があったことは間違いない。だが、それと「キングダム/見えざる敵」のピーター・バーグの方法論とがうまく噛み合うかと言えば、これは残念ながら「否」と言わねばなるまい。やっぱりどうもこの人のやろうとしているのはリアリズムであって、ユーモアとは相容れないものがあるようなのだ。そして、そんな違和感はお話の展開にも見え隠れする。お話は途中から「なるほどシャーリーズ・セロンを起用した理由はこれか」と納得させるような展開になって、見る者に軽いサプライズを与える。それは「イーオン・フラックス」(2005)などにも出ているセロンならでは…という設定なのだが、それはともかく…話の展開が途中からあまり笑えない方向…妙にシリアスな方向にスライドしてしまう。それは明らかにそこまでの展開と比べると異質な、それこそ「水と油」的なモノになってしまうのだ。だから見ていて退屈はしないのだが、どこかイビツな歪んだモノを感じてしまう。例を挙げてみよう。どこか滑稽味のあるこの映画の悪漢が、別の悪漢の尻の穴に頭を突っ込まれる場面やら、その悪漢が別の場面で手首を切り落とされてしまう場面などを見た時、我々観客はどう解釈したらいいだろうか? 僕は正直言ってこれらの場面を笑っていいのかどうかかなり困った。笑っちゃうはずの場面が笑えないし、笑えないシチュエーションがコッケイに描かれている。作り手がどういうつもりで作っているのか理解できない。この映画は明らかにどこか無理がある。不自然で素直じゃない部分がある。それはつまり「考えすぎ」ということじゃないだろうか。そういえばウィル・スミスの前作「アイ・アム・レジェンド」(2007)も、エンディングは何となくスッキリしなかった。実際にあのエンディングはクランクアップ後に撮り直したりしたらしいが、それ以外でもなぜか所々違和感が残る作品だった。リチャード・マシスンの原作小説は何度も映画化されているネタだけに、地球滅亡モノの一典型となっている「揺るぎなさ」があるはずなのに、あの映画もどこか無理していて歪んでいる感じが濃厚だったのだ。これはどうしたことだろう。ここからは僕の勝手な憶測なのだが、ウィル・スミスは意欲的な映画人として、自分の主演作を「ありきたりなハリウッド映画」にしないための抵抗を行っているのではないだろうか。だからスンナリいきそうなところをわざと変えてみたりいじってみたりして、結果的に無理して歪めてしまったりする。ここ何作かのウィル・スミス映画を見ていると、どうしてもそんな気がする。彼の良心的な姿勢と意欲が、残念ながら空回りしているような印象がするのだ。やっぱりどこか、映画ってものを頭の中だけで考え過ぎちゃっているのではないだろうか? どうも「スーパーヒーロー始めるぜ」なんてノリは、どこにも感じられないのだ。

さいごのひとこと

 楽にいこうぜ。

 

「ハムナプトラ3/呪われた皇帝の秘宝」

 The Mummy - Tomb of the Dragon Emperor

Date:2008 / 09 / 08

みるまえ

 正直言って、僕はこの作品が制作されていることを全く知らなかった。「ハムナプトラ3」。てっきりこのネタは「ハムナプトラ2/黄金のピラミッド」(2001)で打ち止めかと思っていたら、ひょっこりまたまた新作がつくられるとは。もっとも今回は「ロッキー・ザ・ファイナル」(2007)あたりから顕著になった、「一旦打ち止めになった懐かしシリーズの復活」の流れに乗ったものだろうし、中でもそもそも一作目「ハムナプトラ/失われた砂漠の都」(1999)が出来るヒントになったであろう「インディ・ジョーンズ」シリーズの復活作、「クリスタル・スカルの王国」(2008)の登場にも大いに刺激されているだろう。さらに今回ジェット・リーを投入するということで舞台は中国。これでどこが「ハムナプトラ」か(笑)…という意地悪い意見はともかく、「ドラゴン・キングダム」(2008)や「カンフー・パンダ」(2008)と同じくハリウッドの北京オリンピック便乗企画の一本であることは間違いない。それでもこのシリーズは嫌いじゃないし、そこにジェット・リーが参加してどうなるか見たいという興味もある。その一方で、今回主人公の妻役だったレイチェル・ワイズが降板するというのはガッカリ。「ナイロビの蜂」(2005)でオスカーとったもんだから、「ハムナプトラ」みたいなアホ映画には出られないってことだろうか。だとしたらちょっとこの人には失望しちゃうんだが。それにしたって途中から嫁さんが変わっちゃうってのはいかがなものか。ジェット・リーも「リーサル・ウェポン4」(1998)はハリウッド売り出しだったので脇役だったが、これまでずっと主役張って来ただけに、こんなカタチの客演ってのはどうだろう。てなわけで、いろいろ気になったので見に行った次第。

ないよう

 古代の中国。巨大な権力を誇る皇帝(ジェット・リー)は、その全土を恐怖と暴力で制圧していた。万里の長城はその権力の象徴で、その土台は「人柱」として生き埋めにされた幾万の犠牲者によって成り立っていた。彼はその権力の頂点で、永遠の命を手に入れようと女呪術師ツイ・ユアン(ミシェル・ヨー)を呼び寄せる。そして部下ミン・グオ将軍(ラッセル・ウォン)と共に、不死の秘法を探させることとなった。その際、ツイ・ユアンに惹かれた皇帝は、ミン・グオ将軍に彼女に手を出さぬようクギを刺したのは言うまでもない。しかし、そうはいかないのが世の常。ツイ・ユアンとミン・グオ将軍が結ばれたことを知った皇帝は、何食わぬ顔で不死の秘法を手に入れたツイ・ユアンとミン・グオ将軍を迎える。そしてツイ・ユアンの目の前で、ミン・グオ将軍を八つ裂きの刑に処するのだった。しかしツイ・ユアンも黙ってはいない。彼女は不死の術と偽って皇帝に呪いをかけた。たちまち身体が土に変わった皇帝は、次に高熱に焼かれて陶器として封印されてしまう。その呪いは皇帝の権力すべてに及び、いまや皇帝に従っていた兵士たちもすべて「兵馬俑」となって砂漠に立ちつくしていた。それから幾年月が流れた1946年、すっかり砂に埋もれた帝国の跡を発掘しているのは、上海博物館の館長を務めるウィルソンを相棒にした若者アレックス(ルーク・フォード)。実はこのアレックス、あの「ハムナプトラ」で大活躍したリック(ブレンダン・フレイザー)とエヴリン(マリア・ベロ)の夫婦の一人息子。さすがに血は争えないと言いたいところだが、どうもアレックスは父親の名前を出されるのもイヤなようだ。それはともかく、アレックスとウィルソンたちはどうやら伝説の皇帝の墓を見つけたようだ。早速待ちきれずに穴の中に入っていくアレックスたちだが、墓に仕掛けてあるワナに次々襲われていく。そして最後には…忍者のようなナゾの若い女が現れ、アレックスに襲いかかるではないか。何とかこの女を退治したアレックスの目の前に、見事な皇帝の陶器が現れる。一方、ロンドンでは…リックは平穏無事な暮らしにいいかげん飽き飽き。エヴリンも「ハムナプトラ」「ハムナプトラ2」の冒険を題材に小説を書いて名を挙げたものの、その後ネタも尽きてスランプに陥っていた。そんな二人のもとに外務省の人間がやって来る。「シャングリラの眼」という巨大なダイヤを、上海の博物館に返還してほしいというのだ。オモテ向きは冒険はコリゴリという二人だったが、この話はまさに渡りに船。ちょうどエヴリンの兄ジョナサン(ジョン・ハンナ)が上海でナイトクラブを経営しているということもあり、この話に乗ってみることになったわけだ。こうしてリックとエヴリンがやって来たのは、共産党が全土を制圧する直前の中国。ところがジョナサンのクラブに来てみると、そこには留学しているはずの息子アレックスがいるではないか。彼は親に内緒で大学を中退し、中国で発掘を始めたのだった。古代の皇帝陵という大発見に鼻高々のアレックスと、そんな息子を頭から怒鳴りつけようとするリック。そんなこんなで親子は再会早々に険悪な雰囲気。またも自分を認めない父親に、アレックスはキレまくって外に飛び出した。それはともかく、今回の旅の目的…「シャングリラの眼」を渡すために上海博物館にやって来るリックとエヴリン。出迎えたウィルソンが見せてくれたのは、例の「兵馬俑」と馬車に乗った状態で固まった陶器の皇帝像だった。ところがそこに珍客が登場。それは皇帝を甦らせることで無敵の力を得ようとするヤン将軍(アンソニー・ウォン)たちだった。その甦りに必要な道具が「シャングリラの眼」ウィルソンはそんなヤン将軍に抱き込まれた裏切り者で、リックやエヴリンから「シャングリラの眼」を奪って妙な儀式を行おうとしていた。その様子を陰から見ていたアレックス、そしてまたしても現れた忍者のような若い女…実は長年墓を見張ってきたというリン(イザベラ・リョン)らが慌てて加勢したものの、時すでに遅し。皇帝は陶器の身体のまま甦り、いきなり馬車を駆ってヤン将軍たちと上海の街に飛び出した。そんな彼らを慌てて追い掛けるリック、エヴリン、アレックス、リンたちだったが…。

みたあと

 冒頭、いきなり秦・始皇帝らしきジェット・リーが登場。英語ではなく中国語で延々とお話を見せるあたりは、なかなか雰囲気を出してる。それもそのはず。この映画って、小粒でもピリリと辛い娯楽映画の作り手…ロブ・コーエンの監督作だというではないか。それを知ったのは映画館に入ってからだったので、思わず「トクした」気分になってしまった。ロブ・コーエン作品なら、そうそうつまらないわけがない。それにコーエンには、「ドラゴン/ブルース・リー物語」(1993)という大傑作があるではないか。あれを見事に撮りこなした彼なら、中国を題材にしてジェット・リーを使ったこの作品もはずすわけがない。僕はスクリーンを見ながら、大いに期待が膨らんできた。「ハムナプトラ」なんて全然関係ない話…なんてことは、この際、問わない約束だ。

こうすれば

 ところが、舞台がイギリスに移るや否や…なぜか強烈な違和感が漂い出す。まぁ、面白いんだけどどこかチグハグというか…正直に言うと、リックとエヴリンの「その後」を描くというのに、そのエブリン役の女優が変わっちゃマズイだろう。マルア・ベロは「ヒストリー・オブ・バイオレンス」(2005)などでもイイ味出していて、決して悪い女優さんじゃないと思う。しかしコミカルな味が似合いかというと疑問が残るし、そもそも2作もレイチェル・ワイズでやってきた役どころをお久し振りで登場した第3作で変えちゃうんじゃ、「あの二人もトシくったなぁ」とか「倦怠期だなぁ」とか…さらには「いろいろあっても、やっぱりあの二人は似合いだなぁ」とかいった感慨が見ている側に滲み出るわけがない。これはもうキャスティング・ミスというべきか、あるいは女優交替が必至となった時点でコンセプトそのものを変えるべきだったのではないだろうか。さらには今回はリックの息子が登場することで月日の流れを感じさせるという作戦で、その点では「インディ・ジョーンズ/クリスタル・スカルの王国」などと同じところを狙っているのだが、肝心のブレンダン・フレーザーが老けになりきっていない。どうも急に親父と言われても、見ているこっちがスッキリしないのだ。だからこんなチグハグな夫婦・親子が「家族」だと言われたって、見ていてちっともそういう風には見えない。そんな家族の「再生」を見せられても、全然嬉しくも何ともないのだ。そして致命的なのが、今回の悪役ジェット・リーがちっとも活かされていないこと。何しろ劇中の大半を陶器のCG処理で押し通してしまうというアリサマで、ほとんど戦わないのも痛い。終盤にミシェル・ヨーとの対決という見せ場もあるにはあるが、それ以外にはコレといった見せ場がない。何でジェット・リーをCGまみれにしてしまったのか。あのロブ・コーエンにしてこの失態。あの悲惨な出来栄えだった「ステルス」(2005)の不調から、いまだ完全に立ち直っていないのだろうか。ちょっと今回は寂しすぎる出来栄えではないか。

みどころ

 それでもスケールでっかいアドベンチャー映画としては楽しい場面もいくつかあるし、始皇帝に扮したジェット・リーというアイディアも楽しい。これであんな計算違いがなければ、それなりに楽しい作品になったものを…ただただ残念だ。

さいごのひとこと

 「ドラゴン・キングダム」の栄光も砂に埋もれたか。

 

「インクレディブル・ハルク」

 The Incredible Hulk

Date:2008 / 09 / 01

みるまえ

 この映画のことはまったく知らなかったので、公開されると聞いて驚いてしまった。まず「超人ハルク」の映画化といえば、アン・リー監督が撮った「ハルク」(2003)があるではないか。なぜまだほとぼりも冷めないうちに再映画化? おまけにもっとビックリなのは、主演が若手クセモノ役者の筆頭エドワード・ノートンだということ。なぜあのノートンがアメコミ映画なんぞに出たのか? そもそもノートン、僕がこのサイトを立ち上げた頃は「ファイト・クラブ」(1999)や「アメリカン・ヒストリーX」(1998)などの問題作で飛ぶ鳥落とす勢いだったものの、近年は割とひっそりしていた感じ。それがいきなり活動再開で「ハルク」ってのはどういうことだろうか? おまけにおまけに、共演にリブ・タイラーやティム・ロスってのも、そう考えてみれば興味深い。いずれも同じようにクセモノとして一時はモテはやされたものの、これまた最近はすっかりご無沙汰の印象が強い。なぜ彼らが「ハルク」を選んだのか? この映画って、ひょっとしたらひと味違うアメコミ映画なのか? こうなると見ないではいられない。

ないよう

 それは不幸な科学実験の結果だった。科学者ブルース・バナー(エドワード・ノートン)は、自らの身体を使って実験に臨んだが、多量のガンマ線を浴びて肉体が大きく変質してしまった。そこで何が起きたのかは定かではない。少なくとも実験施設は激しく破壊され、ブルースと共に実験に携わっていた恋人のベティ(リヴ・タイラー)も傷つけられた。これにベティの父親でもある実験の責任者・ロス将軍(ウィリアム・ハート)は激怒したが、その怒りをぶつける相手がいない。変貌を遂げたブルースはその場から脱出し、いずこかへと消え去ってしまったのだ。ブルースの存在がいまや軍の機密でもあるという理由とともに、個人的な感情もからんで、ロス将軍は必死にブルースの居場所を探し続ける。しかしブルースの消息は、プッツリと途絶えたままだった。実は彼はブラジルの小さな町に潜み、身体の治療方法を必死に模索していたのだ。彼はあの事故以来、怒りなどで心拍数が200を超えると、肉体が何らかの変貌を遂げるようになってしまったのだ。そこで腕に血圧計を付け、メンタルなトレーニングなどで怒りを抑えながら、何とか変身しないように毎日を暮らしていた。そんな外界とつながりを持たない彼が、唯一連絡を絶やさないのが「ミスター・ブルー」。何とか治療法を探そうとしているうち、ネット上で知り合った科学者らしき男が、このハンドルネーム「ミスター・ブルー」だ。どうもこの男なら、彼の肉体を元に戻せるかもしれない。そんなわけで、この男はいまやブルースの唯一の希望となりつつあった。そんなこんなで昼間は地元のジュース工場で、一労働者として働くブルース。ある日、ちょっとした事故から指を傷つけた彼は、慌てて彼の血が入ったジュースの出荷を止めるハメになる。しかし、何とか一歩手前で止めることができたと思っていたらさにあらず。彼の血が入った別のビンが、そのまま出荷されてしまうではないか。その行き先はアメリカだ。たまたまこのジュースを口にした人物は、そのショックで世を去ってしまう。この奇妙な出来事はすぐに軍に連絡されて、たちまちロス将軍の知るところとなった。こうしてブルースの居場所を割り出したロス将軍は、イギリスから呼び寄せた百戦錬磨の軍人エミル・ブロンスキー(ティム・ロス)と精鋭の兵士たちを、ブルースの身柄確保のためにブラジルに送り込む。だが無類の用心深さを働かせるようになった今のブルースは、たちどころに自分が包囲されていると気づいた。こうしてゴミゴミとしたブラジルの小さな町で、ブロンスキー率いる特殊部隊とブルースの追いつ追われつが展開される。しかしブルースにも弱みがある。派手に動き回って心拍数が上がると、肉体が変貌してしまうという弱点があるのだ。こうして辛くも職場であるジュース工場に逃げ込んだブルースだが、日頃から彼をよく思わなかったゴロツキ連中が、よせばいいのにブルースに難癖を付け始める。ちょうどブロンスキーたちがブルースの居場所を察知したその頃、ゴロツキたちはブルースをいたぶり始めた。じっと耐えるブルースにもすぐに限界がやって来る。ブロンスキーたちが見張っているその前で、ブルースと彼をいたぶっていたゴロツキたちに…何かが起こった! ゴロツキたちはあっという間にブン投げられ、叩きのめされた。慌てて駆け付けて銃を突きつけた特殊部隊の前に現れたのは…全身緑色をした凶暴な巨人ではないか。「こいつは何だ?」とブロンスキーが叫んだ時には、彼以外の特殊部隊員たちはすべて蹴散らかされた後だった。そのままその場から姿を消す緑の巨人。あまりのことに呆然とするしかないブロンスキーだった。彼はアメリカに戻ると、ロス将軍に事の次第を説明するように迫る。こうしてロス将軍は、重い口をようやく開くのだった。ブルースが関わっていたのは無敵の兵士をつくる「スーパー・ソルジャー」計画。その結果生まれたのが、あの緑の巨人なのだ。かねてより自分も「最強の兵士」になりたいと願っていたブロンスキーは、事もあろうに自分にブルースと同じ「改造」を施してほしいと迫る。実験再開することはやぶさかではないロス将軍は、前回の失敗を踏まえて、ブロンスキーに「よりマイルド」な肉体改造を行った。その頃ブルースは「ミスター・ブルー」と対面するため、アメリカの地に戻っていた。そしてまず舞い戻ったのが、かつての恋人ベティの働く大学だった…。

みたあと

 タイトルバックで「ハルク」お約束のあらすじを全部語っちゃったのは、うまい作戦だと思う。すでにコミックブックでもテレビシリーズでも散々やり尽くされたところに、アン・リーによる映画バージョンもあるのだから。だから他の映画化作品だったらコッテリと映画の中盤くらいまで引っ張りそうな「ハルク誕生秘話」をタイトルバック内で収めてしまい、隠遁生活を送りながら身体を治そうとする主人公の話に仕立て上げたあたり、脚本の巧みさを感じさせてくれる。しかし、タイトルバックだけですでにここまで語ってしまうと、あとどうやって上映時間ぶんだけ物語を展開するんだろう?…と思いたくなったのも事実。だが、実はここからがエドワード・ノートンという俳優ならではの独壇場なのだった。

みどころ

 正直言って「ファイト・クラブ」と「アメリカン・ヒストリーX」という2大衝撃作を放った後のエドワード・ノートンは、いささか沈滞ムードだったと言わないわけにいくまい。それがいきなりドカンとメジャー大作に出たかと思えば、アメコミ映画でしかも「ハルク」と来る。これは少々違和感を感じないわけにいくまい。しかし実物を見たら、なるほどこの映画でのノートン起用は納得がいった。考えてみると「ファイト・クラブ」と「アメリカン・ヒストリーX」という現在までのノートンの代表作2本のイメージが、今回の作品に120パーセント活かされているのだ。どちらも本来の自分とは違う「異形の自分」に変身してしまい、自分ではコントロールが効かなくなる…という役どころを演じていたではないか。これぞエドワード・ノートンの十八番。なるほどアメコミ映画などと一見どう見てもノートンに似つかわしくない映画なのに、脚本づくりにまでタッチするほどのめり込むわけだ。今回はそこにリブ・タイラー、ティム・ロス、ウィリアム・ハート(つい最近、「Mr.ブルックス/完璧なる殺人鬼」に出演した彼もまた、こうしたコントロールの効かない第二の自分という題材に惹かれているのだろうか?)…とクセモノがズラリ勢揃いしたこともあって、こんなSFXを駆使した超大作、おまけにアメコミ映画にも関わらず、ノートンは本来の持ち味を出しまくりだ。ハッキリ言って今回はこのノートンに尽きる。それがこの映画を見応えあるものにしている。世評とは異なり、僕は必ずしもアン・リー版「ハルク」を駄作だとは思っていないが、正直言ってアレがストレートに面白い映画だったかと言えば首をタテには振りかねる。アン・リーが撮らねばならなかった映画かという点についても、少々疑問が残らないでもない。その意味では、今回の作品は前作より明快さの点で勝っているということは認めねばならないだろう。それにしても、前作は台湾出身のアン・リー、今回は「トランスポーター」(2002)を撮ったフランスのルイ・レテリエ…と、「ハルク」映画の監督に揃いも揃って外国人ばかり持ってくるのは、一体どうしてなんだろう?

こうすれば

 すべてにわたって明快なこの作品の中で、唯一よく分からないのがヤマ場に至るくだり。エドワード・ノートン演じる主人公はハルクに変身できないように治療したはずで、そのために「ミスター・ブルー」のもとにやって来たはずだ。ところがティム・ロスが変身した怪物になった時、いきなり飛行中のヘリから飛び降りてハルクに変身してしまう。ノートンはハルクにならないための治療を済ませたのではないのか? 仮にそれが失敗だったのだとしても、どうしてノートンはそれを確信していたのか? お話としてはあそこでノートンがハルクにならなければどうにもならない展開とはいえ、どうしても見ていて解せなかったのは確かだ。誰か分かるように説明してもらえないだろうか?

さいごのひとこと

 あのデカパンの仕組みが知りたい。

 

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