新作映画1000本ノック 2008年4月

Knocking on Movie Heven's Door


このページの作品

「ブラックサイト」 「スルース」

 

「ブラックサイト」

 Untraceable

Date:2008 / 04 / 28

みるまえ

 インターネットがらみの猟奇サスペンス映画。予告編は前から何度か見ていたが、別にそれほど見たかったわけじゃない。しかし忙しい仕事の合間をぬって日曜日に「何の映画を見よう?」とハタと考えた時、「つぐない」「フィクサー」「王妃の紋章」にこの「ブラックサイト」を並べてみたら、まずはこいつからつぶしておくか…という気になった。イギリスの文芸大作やアメリカの政治サスペンス映画、中国の歴史大作よりも、まずはこのいかがわしい映画を見ようと決めたあたりが僕の映画の志向を物語っている(笑)。実際のところは、こいつが真っ先に終わっちゃいそうな気がしたということもあるが…。さて、この「ブラックサイト」、ネットがらみの猟奇殺人の話となると、僕もネットの隅っこに身を置いて10年ほどになるから人ごとではない。気になる題材だけに無視できず、ともかく見てみるか…となった次第。

ないよう

 薄暗い地下室で、何やら怪しげなことが行われている。何やらネズミ獲りの仕掛けの前にビデオカメラを据え付けた男が、今度はネコを連れてくるではないか。この地下室、ビデオモニターやらパソコンやらが所狭しと置かれているのもイヤ〜な感じ。果たしてこの男、一体何をやらかすつもりか。その頃、FBIサイバー犯罪捜査の担当事務所では、ネット犯罪専門の女捜査官ジェニファー・マーシュ(ダイアン・レイン)が若い捜査官グリフィン(コリン・ハンクス)を相棒に、ウンザリするようなネット犯罪の摘発に明け暮れていた。その仕事時間は、ネット人種に合わせて真夜中。今日も今日とて、そんな彼女の摘発でエロビデオ不正コピー野郎が捕まった。そんな折りもおり、ジェニファーたちの元にまたまた怪しげなサイトの知らせが届く。その名も「killwithme.com」というそのサイトでは、ネズミ獲りに囚われたまま死を待つネコの姿が、今まさに実況中継されているではないか。何とも悪趣味なこのサイト、しかし閉鎖しようにも次から次へとコピーされ生き延びるとくるから始末に負えない。おまけにサーバはロシアのものとくれば、もはや手も足も出ない。不愉快ではあったが、ジェニファーらも諦めるしかなかった。そんなジェニファーが仕事を終えて、早朝の我が家に帰ってくる。出迎えてくれたのは愛娘のアニー(パーラ・ヘイニー=ジャーディン)と、ジェニファーが夫を亡くしてからアニーの面倒を看てくれている母親ステラ(メアリー・ベス・ハート)の二人。そんな家族たちが、おぞましいネット犯罪の世界に疲れ切って帰ってくるジェニファーを優しく癒すのだった。ところが例の「killwithme.com」は、ネコが殺された後で新たな展開を見せた。上半身を裸にされ猿ぐつわをされた上に、両手両足を縛られた中年男が映し出されたのだ。男の胸元にはナイフで例のサイト名「KILL WITH ME」が刻まれ、そこから血がしたたり落ちている。それだけではない。男の腕には点滴の管が差し込まれ、そこには何やら薬品がつながれているではないか。早速その部分を拡大して見てみると、それは血液を凝固しなくするクスリだった。しかもその仕掛けには現在の「killwithme.com」のアクセス数が表示され、アクセスが増えれば増えるほど薬品を注入するようにセットされていた。つまりこのサイトがネット上で話題になり、みんなが好奇心にかられてアクセスすればするほど、この男は刻一刻と死に近付いていく。ネット上のすべての人間が、この男の死に荷担することになるのだ。このサイトの思わぬ展開に唖然とするジェニファーたち。地元警察の刑事ボックス(ビリー・バーク)が捜査に乗り出し、ジェニファーたちは彼に協力することになる。間もなく囚われた男の身元は割れたが、ボックスもジェニファーたちも為す術がない。ネットの人々が何の後ろめたさもなく殺人に荷担するのを、ただ黙って眺めているしかなかった。こうしてウワサがウワサを呼び、アクセス数は尻上がりに増加。男はネットの衆人環視の中、惨たらしい死を迎えることとなる。その「killwithme.com」サイト上に表示された「ご協力感謝。つづく」…との言葉に、ただ愕然とするだけのジェニファーだったが…。

みたあと

 ハリウッド映画でも恒例の連続猟奇殺人モノ。今回はそこにネットをプラス。ネット・イコール・異常者あるいは変態…という分かりやすい構図だ。こういうとネット人種は「またワンパターンな決め付けだ」と文句をたれるのだろうが、正直言ってそう言われても反論できないはずなんだから仕方がない。ネット上でみんなで寄ってたかって袋叩きにして「炎上」させたりするあたりの手口を見ても、ハッキリ言ってイマドキのネットは健全なモノとは言えないだろう。自分もネットの末席を濁している僕が言うのだから間違いない。ネット人種はよくマスコミをケナして「マスゴミ」と称し、それよりもネットの情報の方がどれほど正しいかと力説したりするが、チャンチャラおかしい。マスコミは確かに腐敗してはいるが、申し訳ないけど責任を取る気がないネットの情報の大半はその「ゴミ」以下だ。むろん僕のこのサイトだってゴミみたいなものだが、まだ変な粘着質のイヤがらせをやっていないだけマシかもしれない。ともかく何かというと匿名性と個人情報保護の陰に隠れて、「虎の威を借る狐」さながらに卑怯で卑劣な暴言垂れ流しをやらかす輩が後を絶たない。そういう意味では、後味は悪いがネットのイヤ〜なところを120パーセント活かした猟奇サスペンス映画に仕上がっているのは確か。うちのサイトが始まった1999年頃なんて、ネットは至ってのどかなモノだったんだよ。ただこの映画は、ネットを絡ませたことでリアリティは出たものの、やっていることは別にネットに対する告発とか鋭い問題提起って訳ではない。ぶっちゃけありふれたハリウッド製猟奇サスペンス映画の目新しい小道具として、ネットを取り上げてみた…ってあたりが制作者側の正直な発想だろう。

!!!映画を見てから読んで!!!

こうすれば

 そんなわけで、普通の猟奇サスペンス映画って範囲内に入る作品ではあるはずなのだが、ネット絡み…ってところで妙なリアリティが出てしまっているのがこの映画の特色。それでも「オーロラの彼方に」(2000)のグレゴリー・ホブリットが監督となれば、ちゃんとソコソコ「安心して見ていられる」範囲に収まってくれるものと思っていた。実際、映画はその範囲内で収まってはいるのだが…ただ1カ所、僕個人としては見るに耐えない場面があったことは白状しなくてはなるまい。それはヒロインを演じるダイアン・レインの相棒のFBI捜査官コリン・ハンクスが、犯人に捕まって「処刑」される場面。水の中に徐々に硫酸が混ぜられて、全身を生きたまま溶かされるという残酷場面だ。むろん直接描写は抑えられてはいるし、スプラッタ・ファン、残酷映画ファン(なんてものがいるとしたら)にとってみたら、全然大したことない描写でしかないのだろう。しかし、これでもオレはマトモな神経の持ち主なんで(笑)とても「硫酸釜茹で」なんてシロモノは見るに耐えない。殺される人物が劇中でも好感度の高い人物で、どう考えても犯人の逆恨みや言いがかりみたいな理屈で殺されるってこともあって、すごく気分が悪くなってしまった。後味サイアク。ネット絡みの卑怯な犯人ってことも相まって、本当にイヤな気分になった。

みどころ

 そんなこの映画の見どころは、ダイアン・レインに尽きる。責任ある仕事をこなす「いい女」なんて設定がハマりそうな女優は掃いて捨てるほどいるだろうが、それがイヤミにならない女優となるとそうはいまい。一時は明らかにB級女優転落決定だった彼女が一線に復帰したのは「運命の女」(2002)からだと思うが、ここでも安定ぶり。地に足の着いた「いい女」を演じて好感が持てる。ラストで、まるで「水戸黄門」の葵の印籠みたいに、FBIのバッジをビデオカメラに向けて突きつけるあたりもカッコイイ。しかしそんな賢明な「いい女」にしては、犯人に捕まってしまうくだりの無謀な行動はあまりに軽率すぎる。そのあたりがちょっと残念だ。

さいごのひとこと

 「リトル・ロマンス」からよくここまで育ちました。

 

「スルース」

 Sleuth

Date:2008 / 04 / 21

みるまえ

 あのローレンス・オリビエとマイケル・ケインが共演した傑作ミステリー映画「探偵/スルース」(1972)がリメイクされた! …と言っても、恥ずかしながらここだけの話、僕は「あの傑作」を見ていないのだ。でも、公開当時の僕は中学生。そうそう何本も映画を見れたわけではないし、仮に映画を見る機会があったとしても、果たしてこの渋い映画を選んだかどうか。そんなわけで、ネット上で「あの傑作」の素晴らしさを熱く語る人々に対して、僕は何も言うことはできないのだ。だが、これが当代随一の二枚目役者ジュード・ロウのプロデュースで、何と今度はオリビエのやった役にマイケル・ケインが回り、ジュード・ロウがかつてのケインの役どころに扮して迎え撃つとなれば、これは見ないわけにいくまい。前作を見ていようが見ていまいが、そんなのは知ったことではないのだ。

ないよう

 そのクルマが屋敷内に入ってくると、監視カメラがすかさず映像を捕らえた。そのクルマが立派な高級車の横に停車すると、中から降りてきたのはハンサムな若い男マイロ・ティンドル(ジュード・ロウ)。彼を迎えたのは、屋敷の主である初老の紳士…著名なミステリー作家のアンドリュー・ワイク(マイケル・ケイン)だ。屋敷の中は生活感のない現代的なデザインで、やたらリモコン仕掛けのハイテク機器が溢れている。一見、友好的態度でマイロを迎えるワイクではあるが、よくよくその言葉を聞いてみると、やれ「クルマが小さいな」と言ってみたり、イタリア人との混血であるマイロのことを「雑種か」と言ってみたり、会話のあちこちでチクチクとイヤミを言い放題。それでもマイロは聞かないふりをしているのか気にしないのか、不敵に微笑みながらワイクとのやりとりを楽しんでいるようだ。それもそのはず。マイロはこの紳士ワイクの妻マギーを寝取り、現在同棲中の身なのだ。ワイクが余裕をかましてマイロをチクチクやっているのも、内心は嫉妬と屈辱で腹わたが煮えくり返っているからに違いない。そんなワイクに、マイロは単刀直入に用件を切り出す。「なぜ奥さんと離婚しないんです?」…そんなマイロにワイクは、いかにマギーが「金のかかる女」かを語り始める。翻って、マイロは今のところ売れない役者でしかない。さてはそうやってマイロに男としての屈辱を味あわせるハラかと思いきや、何とワイクは妻とはもう別れたいと言い出す。そしていきなりマイロに意外な話を持ち出すではないか。「君に提案がある」…何とワイクはマイロに、この屋敷の金庫にしまってある高価なネックレスを盗んでほしいと言うのだ。それでマイロはマギーに贅沢をさせてやれる。ワイクも保険金で潤うという算段だ。すでにワイクは計画を建てていた。外からハシゴで天窓に上がり、そこを破って縄ばしごを下ろし、屋敷内に忍び込んで金庫を襲う…。最初は半信半疑だったマイロも、最後にはワイクの提案に乗った。そんなワイクの計画通りに実行に移そうとするマイロだが、口で言うほどラクに事は進まない。そんなマイロの悪戦苦闘ぶりをモニターで見て、爆笑するワイク。どうやら彼には腹にイチモツありそうだ。やっとこ屋敷の中に入ったマイロを迎えたワイクは銃を持ち出し、「私が泥棒に銃で脅されて…」ってな筋書きをマイロに伝えながら彼に金庫を開けさせる。こうして問題のネックレスを手にしたマイロだが、そのとたんワイクの態度が豹変するではないか。「本気で私が宝石も妻も君に渡すと思ったのか?」…銃を向けられ絶体絶命の自分の状況に気づいたマイロは必死で命乞いをするが、ワイクは冷たく無慈悲に引き金を引いた…。したやったり。大成功。勝利感に浸るワイク。そんな夜が明けて翌朝のこと、いい気分でテレビを見ていたワイクの元に、一台のクルマがやって来る。降り立ったのは、下品なヒゲを生やしたブラックと名乗る刑事だった…。

みたあと

 それにしても、大御所ローレンス・オリビエと当時セクシーな魅力で売っていたマイケル・ケインの激突で知られる「探偵/スルース」を、すっかり名優の地位を確立したマイケル・ケインをオリビエの役に据え、そのケインの役を当代きっての二枚目役者ジュード・ロウに演じさせて再映画化しようとは、一体どこの誰が考えついたのだろうか。僕は昨今のリメイク映画ブームを極めて苦々しく思っている一人だが、正直言ってこういうリメイクなら大歓迎。リメイクする必然性があろうというものではないか。しかもリメイクにあたっての脚色を、イギリスの有名な劇作家ハロルド・ピンターが手がけたというから二度ビックリ。さらに演出を手がけたのが「あの」ケネス・ブラナーと来るから、もう三度も四度もビックリという超豪華版。ニューヨークが破壊されるようなSFX大作、見たこともない巨大生物が大暴れするCG大作よりも、終始オトコ二人がにらみ合うだけのこの作品のほうが、僕にとっては真にスペクタキュラーでゴージャスな映画に見える。そのくらい、この顔合わせは魅力的で刺激的なのだ。しかもしかも、この一切を仕切ってプロデュースまでやってのけたのが、まだ若いジュード・ロウと聞いてまた驚いた。この男、見た目のキラキラぶりだけではなく、なかなかやってくれるではないか。

!!!映画を見てから読んで!!!

みどころ

 というわけで、何よりマイケル・ケインVSジュード・ロウの対決が素晴らしすぎる今回の「スルース」。ケインの慇懃無礼にチクチク刺してくる皮肉なセリフも嬉しくなるし、こちらもマイケル・ケインの当たり役を継承したリメイク版「アルフィー」(2004)で、色ワル男ぶりに一段と磨きがかかったジュード・ロウも、まさに適材適所の観があって絶好調。ケインが古狸ぶりを発揮してロウを手玉に取る第一幕は、あれよあれよという間に観客をノセまくる緊迫感が尋常ではない。してやられるジュード・ロウ、まるでガキみたいにハシャぐマイケル・ケイン。不謹慎ながら、どちらも思わず笑っちゃう滑稽さだ。そしてアッと観客を呆然とさせてから始まる第二幕は、ジュード・ロウが刑事に扮しているのがミエミエ…などと文句を言うヤボてんな観客もいるかもしれないが、元々それは承知の上でつくっているわけだから文句を言う方がお門違い。そもそもここは訪ねてきた刑事がジュード・ロウだったことがサプライズではなく、一旦死んだはず…と観客の我々が信じ込まされたジュード・ロウが「なぜ生きていたのか?」という点がサプライズで面白みのある部分なのだから、むろんこれでいいのだ。こうして1対1のイーブンとなって、いよいよ二人の男が雌雄を決する第三幕へとなだれ込む。さて、どうやらこの第三幕が「探偵/スルース」にはなくて今回新しく取り入れられた新味らしい。つまり、マイケル・ケインがジュード・ロウに奇妙な提案をするくだりである。「妻など抜きで、男二人でよろしくやろう」…という話だ。僕は前作を見ていないので何とも言えないのだが、おそらく前作ではこの二人の間に、ホモセクシュアルなニュアンスはあまり描かれていなかったのに違いない。御大オリビエにそのイメージがないのと、まだ時代が時代だったということもあるだろう。しかしこの役を今回はマイケル・ケインが演じるとなると、話はまったく変わってくる。「殺しのドレス」(1980)で女装の変態男を演じ、「デンジャラス・ビューティー」(2000)でオネエ言葉を操ったケインだけに、たちまち怪しげな雰囲気が立ちこめてくるのだ。対するジュード・ロウだって、こっち系もイケそうな感じだ。こうなるとどっちが誘惑していてどっちがされているのか、どっちがそのケがあってどっちがそのケがないのか。そもそもこれって本気なのか芝居なのか…それまでも実に巧妙に組み立てられていて、「してやられた」観が強いお話ではあるが、この第三幕に入ってイッキにお話は混迷の度合いを深めるのだ。

こうすれば

 ところが、僕はこの第三幕…作り手が仕掛けをつくったおかげで観客にとって混迷の度合いが深まったというよりは、どうも作り手の迷いや誤算が作品を濁らせた…という風に感じてしまう。ケインとジュード・ロウのどっちが偽りで、どっちが本気なのか。そもそもどっちも本気なのか、偽りなのか。それが全く分からない。観客が真偽を分からないのは、そういうミス・リードが脚本・演出・演技の段階で仕掛けられているから…と思われるかもしれないが、どうも僕にはそう思えない。それまで…例えば第一幕のラストでジュード・ロウがどうなったのか、我々はなかなか真相を教えてもらえないあたりとか…分からないなら分からないなりにスッキリしていた流れが、どうもここから澱んでしまうように思えるのだ。何となく、この二人の本気とウソがうまく描けていない気がする。だから、ここからお話の展開がイッキに曇ってしまったような気がしてくるのだ。これは一体どうしたことだろう。おそらく演技か脚本か演出のどれかに微妙な計算違いが生じたらしいのだが、それはどれかと考えてみると…残念ながら計算違いの可能性が高いのは、わがご贔屓ケネス・ブラナーによる演出ではないだろうか。ケネス・ブラナーは確かに才人であると同時に、映画を撮った時の見事なまでの映画ファンぶり、エンターテイナーぶりにはずっと好感を持っていた。そこにはアメリカ映画=ハリウッドに対する憧憬と、それらに通じる健全さがあったような気がする。ミュージカル化した「恋の骨折り損」(1999)などはその典型だろう。しかしそんなブラナーの「健全さ」が今度ばかりはアダになったのではないか。今回の「スルース」といえば、チクチク刺してヒリヒリするような悪意を描いた世界。しかも第三幕に至っては本気かウソか虚実入り乱れる、ホモセクシュアルな誘惑漂う世界。これはどう見ても、ブラナーには扱いかねたのではないだろうか。それが第二幕までの語り口を濁らせ、何となく話を見えにくくしたのではないか。この映画を見た他のみなさんはちゃんと分かったのかも知れないが、僕はこの第三幕以降エンディングに至るまで、何を描いてどうなっているのか…ちゃんと理解できた自信がない。あの幕切れも、どんなオチになっているのか意味が分からないのだ。そこまでが圧倒的な面白さだけに、この終盤の乱れが残念でならない。それと、せっかくのハイテク機器の小道具が終盤に至ってほとんど活かされてなかったのも、もったいない限りだ。ケネス・ブラナーは好きなんだけど、今回はちょっと失望したかも。

さいごのひとこと

 スルーできない終盤のキズ。

 

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