新作映画1000本ノック 2008年3月

Knocking on Movie Heven's Door


このページの作品

「88ミニッツ」 「ジャンパー」 「裏切りの闇で眠れ」 「エリザベス:ゴールデン・エイジ」

 

「88ミニッツ」

 88 Minutes

Date:2008 / 03 / 31

みるまえ

 アル・パチーノの主演最新作である。パチーノ主演作というとずいぶんと久しぶりの印象があるが、驚いてしまったのが今回の上映劇場。以前、「ストーン・カウンシル」(2005)の感想文でも触れていた、公開即ビデオ発売…みたいな作品ばかり好んで上映する映画館で、いきなりアル・パチーノの最新作が上映されたのだ。パチーノといやぁ一応大スター、腐ってもパチーノと思っていただけに、このあんまりな扱いにビックリしてしまう。じゃあつまらないのかと言えば、チラシを見る限りでは派手さはないものの面白そうなんである。この際、せっかくパチーノがこんなに敷居の低いところまで降りてきてくれたのだ。ここは見に行ってあげるのがスジというものだろう。

ないよう

 1997年、ダイアナ妃死去のニュースに世界が騒然とする中、その事件は起きた。ある東洋系の姉妹が暮らすアパートに、怪しい男が侵入したのだ。この男はまず妹をクロロフォルムで失神させてロープで逆さに吊すと、ゆっくりと切り刻み始めた。さらに異変に気づいた姉も手中に収め、またしても逆さに吊す。しかし姉は隙を見て悲鳴を上げたため慌てて犯人は退散、大事に至らずに済んだ。この事件の後で捕らえられた容疑者がジョン・フォースター(ニール・マクドノー)。裁判ではFBI異常犯罪分析医ジャック・グラム(アル・パチーノ)が証言台に立った。フォースター側の女弁護士は何とかジャックを挑発して裁判を有利に展開しようとするが、ジャックはそれに動じずフォースターに引導を渡した。この証言が決定打となり、フォースターには死刑判決が下される。それから9年。全米を揺るがした連続猟奇殺人犯フォースターの死刑執行が行われようという日の朝、ジャックはサラ(リア・ケアンズ)の部屋で目を覚ました。彼女とは昨夜パーティーで知り合い、「お持ち帰り」された間柄だ。ところが裸にエプロンのサラの出で立ちにニヤつくジャックの携帯に、FBI捜査官のフランク(ジョン・フォーサイス)から驚きの知らせが飛び込んできた。何とフォースターの手口と酷似する猟奇殺人が起きたというのだ。しかも殺された女デイルは、今は大学で異常心理学を教えるジャックの教え子で、昨夜のパーティーにも参加していた。驚愕したジャックは、自分の事務所でフランクを迎えるべくサラの部屋を出た。さて事務所で腕利きの秘書シェリー(エイミー・ブレネマン)と共にフランクともう一人の捜査官を出迎えたジャックは、そこで捜査官に「フォースターを犯人と断定したのは間違いではなかったか」と疑いの眼差しを投げかけられる。そんなジャックに旧知の仲のフランクは同情するが、実際のところ立場は極めて悪かった。これにはジャックも激怒し、捜査官たちを事務所から追い出してしまう。その一方でシェリーにデイルの身辺を調べさせるジャックは、授業に出るために大学へと急ぐ。ところが大学の構内に入るや否や、ジャックの携帯が鳴り出すではないか。「オマエの命はあと88分だ、チクタク!」…いきなりの怪しい電話に慌てるジャック。早速、携帯でシェリーを呼び出して今の電話の主を調べさせると、平静を装いつつ授業を始める。ジャックの授業をとっている生徒たちは、優秀なローレン(リーリー・ソビエスキー)やおめでたい男子生徒マイク(ベンジャミン・マッケンジー)、ジャックの助手も勤めるキム(アリシア・ウィット)ら個性的な学生揃い。ところがそんな授業の最中にも、あの忌まわしい電話は追い掛けてくる。「あと83分だぞ、チクタク!」…ジャックは思わずある学生の携帯を取り上げたり、デイル殺害の事実を伏せて彼女の連絡先をみんなから聞きだそうとしたり…と、大いにトチ狂う。おまけにそこにデイル殺害のニュースが知らされたり、大学構内に爆弾が仕掛けられたという報が飛び込んできたり…と、もう大変。学生たちがドヤドヤと講堂を出ていった後で、プロジェクターに書かれた「あと79分だぞ」の文字に愕然とするジャックだが、学部長のキャロル(デボラ=カーラ・アンガー)に「何やってるのよ」とドヤされると腐らずにはいられない。そんなこんなで事務所に戻ろうとするジャックは、慌てて携帯を落として壊してしまう。おまけに駐車場に停めておいたクルマはブチ壊されていた。そんな中、キムとバッタリ出会ったジャックは事の次第を説明し、彼女から携帯を借りると共に協力をとりつける。一息つくジャックだが、教え子のマイクがフォースターの罪についてジャックに疑いの目を向けたり、妙なバイク男が周囲をウロチョロしたり…と怪しいことおびただしい。おまけに駐車場を出ようとしたら、いきなり教え子のローレンが「男に襲われた!」と鼻血を出して逃げてくるではないか。ジャックは彼女を大学の警備室に連れて行くと、その後キムと合流して自宅アパートに移動することにする。その合間も忙しくシェリーに指示を出すジャックだが、なぜかキムから借りた携帯にも例の「チクタク」電話がかかってくるではないか。おまけにキムは、彼女に暴力を働いていた元亭主ガイ・ラフォージ(ステファン・モイヤー)から追われていて、彼女が秘かにジャックに惹かれていることを逆恨みしているかもしれないと言いだす。ひょっとすると怪しいバイク男とは、このラフォージのことではないか? そんなこんなでアパートについたジャックとキムだが…。

みたあと

 連続猟奇殺人に巻き込まれ、疑心暗鬼の中を犯人探しに奔走するパチーノ…と来れば、「シー・オブ・ラブ」(1989)での彼がすぐに思い浮かぶ。それでなくても「クルージング」(1979)など猟奇殺人には縁が深いパチーノには、いわばうってつけの作品という気がする。今回も冒頭にいきなり殺人が発生。ただし、その描き方はかなり抑制されたものだ。最初にこの映画の監督が「フライド・グリーン・トマト」(1991)のジョン・アヴネットと聞いてビックリ仰天したが、この抑えっぷりを見ればいかにも納得だ。そもそも僕はこの映画に「猟奇」の残酷さは期待していない。パチーノ映画はあくまでパチーノのキレっぷり…「クルージング」のミイラとりがミイラになってしまう入れ込みすぎの彼だったり、「スカーフェイス」(1983)で口からツバ飛ばしながら「ファックファック!」とわめいてマシンガンをブッ放す彼に期待しているわけだ。果たして今回のパチーノは、いかなるキレっぷりを見せるのか。するといきなり女のアパートで、裸にエプロン姿を見てヤニ下がるパチーノと来る。これを見た僕は、正直言っていささか違和感を感じずにはいられなかった。女はべらせてゴキゲンというパチーノは、あまり見たことがなかったからだ。それでも、今は大学で教えるエライ身分、余裕しゃくしゃくの主人公が追いつめられてビビりまくる豹変ぶりを見せたい…ということなら、「これもアリ」かもしれない。すると、そう思っているそばから早くも事件が再発。パチーノは早くも沈痛な面持ちで事務所へと急ぐ。どうやら期待通りになりそうだゾ。ところがその途中のクルマの中で、意味ありげながら訳の分からないフラッシュバックが入ってくるではないか。これはどうもパチーノの回想らしく、女の子がキャッキャ言う声も聞こえてくるのだが、何となく一見しただけでヘタクソな処理だと思わせてしまう手法だ。果たして、その後そんな予感は運悪く的中してしまうのである。

こうすれば

 正直言ってこの映画の犯人は誰か…なんて、近年の映画をよく見ている人なら、キャスティング見て一発で分かってしまうはず(笑)。大体あれでは観客をミスリードすらしていないではないか。その後の展開からも、怪しいのはあいつしかいないのだ。ただし、僕はそれは大して問題視していない。解決に至るまでの間にパチーノの芸風である「キレ」をいかに見せてくれるか…に最大の期待があったから、それを責める気がしなかったわけだ。しかもそんなパチーノの至芸を見せるには、あまりに絶好のシチュエーションが設定されている。88分の命のカウントダウンが進むにつれて、目を見開いて汗だく、口からヨダレ、シャツははみ出し、周囲を罵倒しまくり、犯人以上に怪しげな言動をまき散らすパチーノ…。ゾクゾクしてくるではないか。ところがこのシチュエーションでパチーノにも関わらず、なぜか一向にそうなっていかない。なぜなのか? 最初に自分の事務所でFBI捜査官に問いつめられた時はさすがにキレたものの、何しろ勝手知ったる自分の城だから難なく追い出せる。しかもその後、脅しの電話がガンガンかかってきてヤバイ状況が次々発生するにも関わらず、なぜかパチーノはあまり慌てていない。それどころか大学講師の大物然として、終始やけに余裕をかましているのだ。これは一体どういうことなのだろう? 確かにパチーノは大スターだし名優だし、今では60代も後半で功成り名を遂げた超大物だ。しかし本来の芸風は、慌てふためいての「キレ」こそが持ち味だったはず。しかもこの映画のサスペンスフルな面白みは、主人公が追いつめられて初めて見ている方も感情移入し、緊迫感を感じられるものだろう。それなのにパチーノは大物っぽく余裕かまして、何が起きてもまったく動じない。設定としては焦り狂っていることになっているのだが、肝心のパチーノはどう見てもそういう芝居をしていないのだ。おまけにもっとマズイのはパチーノを取り巻く登場人物で、いろいろな女を出しているのは疑惑の人物をたくさん出して主人公と観客を翻弄するため…と察しがつくものの、何しろパチーノはまったく彼女たちにビビらないし、そもそも女たちはみんなパチーノに気があるように見える。秘書なんかアレコレと忙しく指示され、かなり人使いが荒そうなのに、むやみに献身的なのが不思議なほど。何だかボンド・ガールじゃないけど、「パチーノ・ガールズ」みたいにはべらかしている印象なのだ。そうそう、ボンド映画(それもダニエル・クレイグ起用以前のもの)をアル・パチーノ主演でつくったら、こんな印象になるのではないか(笑)。でも、それをアル・パチーノでやることはないだろう。これってジョン・アヴネットの演出ミスなのだろうか。それとも、今や超大物になったパチーノは、今さら「狼たちの午後」(1975)みたいなトチ狂った演技なんか、チャンチャラおかしくって出来ないのだろうか。だったらパチーノを起用する意味なんてまったくないのだが。

!!!映画を見てから読んで!!!

みどころ

 それでも映画そのものは見ていて退屈しないし、それなりに楽しませてくれる。そして「パチーノを取り巻く女たち」も、それなりの女優さんたちが並んで楽しめる。中でも好印象を持ったのは、パチーノと行動を共にするキム役のアリシア・ウィットだ。今まで彼女のことを知らなかったが、ちょっと見がかつての青春スター、モリー・リングウォルドを思わせる容貌で嬉しくなった。彼女は今後も要チェックかも。それに引きかえリーリー・ソビエスキーは、「ウィッカーマン」リメイク版(2006)に今回の作品と、かなりヤバイところに差しかかっている気がする。

さいごのひとこと

 主人公が余裕のサスペンス映画ってどこが面白いの?

 

「ジャンパー」

 Jumper

Date:2008 / 03 / 24

みるまえ

 「スター・ウォーズ」シリーズのダース・ベーダーことアナキンを演じて知られるヘイデン・クリステンセン主演のSFアクション。監督は「ボーン・アイデンティティー」(2002)のダグ・リーマン。この顔ぶれをみたら、こりゃ絶対に見たい!…となるかというと、残念ながら僕としてはそこまでの吸引力を感じない。今ひとつ何か欠けている気がしてしまう。瞬間的に空間移動できる能力を持った若者のお話と聞いても、何となく心からエキサイトできないのだ。それでもSF好きとしては、ただ無視するわけにもいかない。こうして気乗りしないまま映画館にたどり着いたわけだが…。

ないよう

 高校生のデビッド・ライス(マックス・シエリオット)は、ごく普通の男の子。今日も今日とて授業が終わるや、好きな女の子ミリー(アンナソフィア・ロブ)の気を惹こうと一生懸命。彼女は自分のロッカーに外国の風景写真をベタベタ貼って、「いつか行きたい」と夢を膨らませていた。そんな彼女を喜ばせたい…とデビッドが帰り際の彼女に手渡したのが、外国の都市をかたどったスノーボールだ。「まぁ、うれしい!」とミリーが目を輝かせたのもつかの間、そのスノーボールを奪い取ったのは、すでに彼女のボーイフレンドであるマーク(ジェシ・ジェームズ)。彼はスノーボールを取り上げ、凍り付いた川に放り投げてしまった。たちまちデビッドはミジメな気分だ。いや、ここはもう一歩も退けない。彼は凍った川の表面を歩いて、スノーボールを拾いに行った。ミリーもマークもさすがにこれはヤバイと大騒ぎするが、乗り掛かった船のデビッドは今さら止められない。何とか無事にスノーボールを手にした…と思った瞬間、案の定、デビッドの足下の氷が割れて、彼は水中に没するではないか。しかもそのまま流されたため、氷がジャマして水から上がれない。息もつけない。このままでは溺れてしまう。そんな究極の苦しさの最中に…デビッドは初めて自分の「能力」を発揮した。気が付くと大量の水とともに、図書館の真っ直中に倒れているデビッド。周囲の本は水でズブ濡れ。図書館にいた人々が唖然とする中、濡れネズミになったデビッドは自分でも呆然としながらその場を離れた。こうしてコッソリ我が家に帰ったデビッドだが、彼が家に戻るともう一つの頭痛の種が…。飲んだくれて荒れ放題の父親(マイケル・ルーカー)が、今日も暴力を振るんばかりにわめき散らすのだ。デビッドの母は、彼が5歳の時に突然家を出ていった。それ以来、父親はどこかが壊れてしまったのだ。そんなこんなで、デビッドの部屋の扉をこじ開けようとする父親。それを見た時に、デビッドの例の「能力」が再び発揮された。またしても例の図書館の部屋に、いきなり瞬間移動していたのだ。これはきっと自分の特別な才能に違いない。そう確信したデビッドは荷物を取りに再び自分の部屋に戻ると、怒り狂う父親を置いて家を飛び出した。そして愛するミリーの家に立ち寄り、庭のブランコに例のスノーボールを置くと、すべての未練を断ち切るかのように旅立った。めざすは世界の中心…ニューヨークである。なけなしの金でショボい安宿にシケ込んだデビッドは、それでもやっと手に入れた「自由」に有頂天。早速、自分の「能力」を磨く訓練を始めた。こうして何とか「能力」をコントロールできるようになったデビッドは、次にそれを「活用」する段階に入る。彼が目を付けたのは、大銀行の金庫の中だ。安宿からいきなり金庫の中に移動したデビッドは、そこから取れるだけの金を取ってくる。こうしてユメのような生活をさせるデビッド。いつしか逞しい青年に成長したデビッド(ヘイデン・クリステンセン)は、ニューヨークの高級アパートを根城に世界を股に掛けた暮らしをエンジョイしていた。しかし、そんな彼に目を付けた人物が一人。ロンドンに現れたデビッドに何やら気づいたらしき青年グリフィン(ジェイミー・ベル)は、果たして一体何者か? そしてローランド(サミュエル・L・ジャクソン)という怪人物も、一番最初の銀行強盗の時から彼を追い回していた。だがそんな事とはツユ知らず、毎日浮かれて暮らす脳天気なデビッド。そんな彼の高級アパートに、ついにローランドがやって来る。このナゾの人物は、なぜかデビッドの「能力」について知っているようだ。「こんな事がいつまでも続くと思っていたのか。そろそろ報いを受ける頃合いだぞ!」…そう言うと、いつもの「能力」で逃げようとするデビッドを、すかさず不思議な武器で叩きのめす。全身に電流が流れるこの武器を使われると、デビッドの「能力」が一時的に使えなくなるのだ。そんなこんなでローランドに大いにいたぶられるデビッドだったが、何とかこの状態から辛くも脱出。懐かしい故郷に久々に帰ることになる。そうなると、気になるのは好きだったミリーのこと。今は美しく成長したミリー(レイチェル・ビルソン)に会いに、彼女の仕事場である近くの酒場に出かけたデビッドだったが…。

みたあと

 ハッキリ言ってしまおう。つまらない。SF映画好きの僕がこう言うのだから間違いない。本気でつまらない。この映画を制作するために使われた技術は相当なものだろうし、世界各地で行われたロケも大がかりなものだったろう。だが、それらはすべて徒労だった。そもそも瞬間的に移動できる能力って、映画的に思えてまったく映画にはそぐわない題材ではないのか。今回の映画でも特殊効果を使って大げさに見せているが、所詮はカットで切ればどんな場所でも状況でもつながる。映画としては当たり前で面白くも何ともないのである。昔のサイレントの忍術映画とまったく変わりない。「えいっ」と忍術を唱えると次の瞬間パッと消えるというアレである。エジプトのスフィンクスの上で日光浴したりロンドンのビッグベンの時計に乗っかったりしても、「金がかかってるなぁ」と思わせるだけで驚きは何もない。これがまず致命的なことではないだろうか。

こうすれば

 だが最大の問題点は、この映画の主人公が魅力的でないことだ。魅力的でない…というのはこれでも控えめな言い方で、ハッキリ言えばアホだしイヤな奴と言い換えた方が正確かもしれない。何しろこいつは定職に就いていないくせに、人一倍贅沢三昧な生活をエンジョイしている。境遇からして定職に就ける訳もないのは理解できるが、何だかんだ言って人の金を盗んで生きているのは間違いない。その割に「悪いことをしている」という意識がなさ過ぎる。金庫に「借ります」とか「必ず返します」なんてメッセージを残しているのも偽善でしかない。そんな大金を返せるアテもないだろうし、返す気もないはずだ。そして劇中でも主人公がテレビで水害のニュースを見ながら、自分の部屋でしなくてもいい瞬間移動をしている描写が出てくるが、絶対的な能力を持っていながら、それをテメエのお楽しみにしか使っていない点もいただけない。そんな奴が追っ手に命を狙われても、気の毒だとは思えない。むしろ観客には「やられて当然」だと思われかねない。これではちっともハラハラしないではないか。さらにこの主人公は、あまりに言動が軽率すぎる。何も考えていないから、自分の惚れた女ミリーも、さらに自分を助けてくれた「ジャンパー」仲間のグリフィンも危険にさらしてしまう。どっちもこいつにさえ関わらなければ安全に平和に暮らせたはずなのに、ハッキリ言ってイイ迷惑なのだ。にも関わらず、この主人公は映画の最後まで反省した様子は見られない。自分が悪かったとは思っていないのだ。そんな困った主人公を、ヘイデン・クリステンセンが演じているのもよくなかった気がする。確かに「スター・ウォーズ/エピソード3:シスの復讐」(2005)は鬼気迫る熱演だったと思うが、そもそもこの人は基本的に「悪人面」だ。それでなくても人の共感や親しみを得にくい顔をしている(笑)ところにアホでテメエ勝手で無反省なキャラクターと来たら、誰でもウンザリしてしまうだろう。ハッキリ言って、僕は見ていて最後までイライラしてしまった。

みどころ

 そんなこの映画も、実はちょっといいところがある。それは開巻後10分ぐらいまでの部分。少年時代の主人公と、ガールフレンドが出てくるくだりだ。バカにされて悔しい思いをする主人公…その暗い家庭環境も含めて、このあたりでは主人公に大いに共感できる。演じるマックス・シエリオットもなかなかいい。ガールフレンドの少女時代を演じるのは「チャーリーとチョコレート工場」(2005)に出てきたアンナソフィア・ロブで、これまたチャーミングだ。それだけに、この二人のままでお話をつくった方がよかったんじゃないの?…と思えてくるあたりがイタイ。

さいごのひとこと

 仇役を応援したくなる映画ってマズくないか。

 

「裏切りの闇で眠れ」

 Truands (Crime Insiders)

Date:2008 / 03 / 24

みるまえ

 「裏切りの闇で眠れ」である(笑)。このタイトルを見たら、即座に「あるいは裏切りという名の犬」(2005)を想起せざるを得ない。実際はこの2本の映画は、フレンチ犯罪映画であることと「あるいは」の監督がこっちに役者として出演していること以外は関連がないのだが。ともかく、こういうオトコ騒ぎのする犯罪映画に女ウケを狙ってクソ気取ったタイトルをつけるのはやめにしてもらえないだろうか。女は喜ぶのかもしれないが、チケット売り場で題名を言う時に恥ずかしくていけない。タイトルつけた奴、試しに人前でこのタイトルを口に出して言ってみろよ。…それはともかく、実は僕はフレンチ・アクション映画ってキライじゃない。犯罪映画も大好きだ。そこへ来て、今回は主演がブノワ・マジメルと来る。彼って最初はアート系作品で見たのでそっち専門かと思っていたら、いつの頃からかアクションもいけるではないか。それからすっかり好きになっていたが、肝心の作品がパッタリ来ない。そんなわけで、マジメルの久々の新作…しかもフレンチ犯罪映画と聞いて、大いに血が騒いだわけだ。これは見なければ。

ないよう

 夜のタクシーにイチャイチャしながら乗り込む男と女。しかしタクシーの運転手が不意にクルマを停めると、突然サングラスの若い男が乗り込んでこの男女を脅しまくる。サングラスでオールバックのこの男の名はフランク(ブノワ・マジメル)。運転手はフランクの相棒のジャン=ギイ(オリヴィエ・マルシャル)。タクシーに乗り込んだ男は偽札を隠し持っていて、フランクとジャン=ギイはそれを奪うことを計画していた。計画外だったのはこの男が女連れだったこと。しかしフランクは男を片付け偽札を奪うと、何のためらいもなしに泣き叫んで命乞いをする女を撃ち殺す。そんなフランクとジャン=ギイが生きる暗黒街は、闇の帝王とも言えるクロード(フィリップ・コーベール)が仕切っていた。情婦ベアトリス(ベアトリス・ダル)を愛する一方で、自らの敵には容赦しない男。それゆえ暗黒街での権力を維持できているわけだ。その頃、刑務所からアラブ人のラルビ(トメル・シスレー)が出所。従兄のイシャム(メディ・ネブー)やお仲間のジョニー(イシェム・サイビ)が彼を歓迎してドンチャン騒ぎだ。そんな彼らの元にやって来るのが。取り巻きを引き連れたクロード。むろんイシャムやラルビ、ジョニーたちも、クロードが仕切る暗黒街の住人だ。クロードは穏やかではあるが、クラブを開店したジョニーがショバ代を払わないことについてビシッと脅しをかけた。その一方で、クロードは「中国人」から持ちかけられた麻薬取引の仕事をイシャムたちに任せる。テメエは高みの見物で、危ない仕事を自分たちに任せるクロードのやり口に不満はあったが、渋々これを引き受けるイシャムであった。しかし、これは案の定ワナだった。取り引きの場として設定された屋外駐車場は、派手な銃撃戦の現場と化した。その頃、いつぞや手に入れた偽札を持ち込み、クロードの歓心を買うフランク。実はクロードも、この凄腕の若者を大いに買っていた。しかし常に一匹狼であることをモットーとするフランクは、いくらクロードから組織入りを誘われても首をタテに振らない。そんなフランクを心から信頼するクロードは、例の麻薬取引でクロードの顔に泥を塗った連中を片付けるよう、フランクに頼み込む。そんなクロードの期待に応えて、相棒ジャン=ギイと共にホテルに籠もっていた連中の元に乗り込むと、彼らを無慈悲に片づけるフランクだった。だがそんな暗黒街も、徐々に風向きが変わりつつあった。ムショ暮らしの間で心境が変わったラルビは、もはやクロードに仕える気をなくしていた。ジョニーは相変わらずショバ代を払おうという気配もない。これに業を煮やしたクロードは、ジョニーに惨たらしい「制裁」を加える。ところがそれから間もなく、クロードが警察に逮捕されるではないか。そうなれば叩けばホコリの出る身。たちまち刑務所行きが決定してしまうクロード。これをキッカケにして、暗黒街の勢力図は徐々に変貌していく…。

みたあと

 ハードである。ドライである。あまりドライ過ぎるので、まったく潤いもなければ味わいもない。ないないづくしで説明もないため、最初は一体誰がどうなって何が起きているのかさえ分かりにくい。とにかく徹底的に乾いた文体で、ギャングの生態をリアルに観察している趣がある。監督のフレデリック・シェンデルフェールは前作「スパイ・バウンド」(2004)を見たことがあるが、これはハッキリ言ってつまらない作品だった。もっとも、外見上はモニカ・ベルッチとヴァンサン・カッセルという華やかなスター夫婦を主演に迎えたスパイ大作というウツワになっていながら、内容としてはやたらに地味なお話が淡々と進む…という思いっ切り矛盾した作りが災いした結果のように今は思える。実は今回の作品も方法論としては「スパイ・バウンド」と同じで、淡々とリアルに見つめているような作りなのだ。ただし見つめているのが殺伐としたギャングたち…というのが今回違う点で、こいつらが裏切り裏切られ、派手にドンパチ同士討ちを繰り返すから見ていて飽きない。というより、油断できない。何しろ主人公のブノワ・マジメルからして、本当は何を考えているのか分からない。ただしあまりに作品世界が殺伐とし過ぎた結果、これが見終わって面白いかと言えば…正直言って「だから何なの?」と言いたくなるのも事実。出てくる人間が一人として好きになれないというのでは感情移入なんて無理だろうし、そんな連中がどうなろうと知ったことではないのである。

みどころ

 それでもこの映画をグイグイと見入ってしまうのは、主人公のフランクの人間像が鮮やかだから。暗黒街の顔役クロードに信頼され、まんざらでもないのか…と思いきや「あんな奴はクソ」と言い放つ。風向きが変わると率先してクロードを片づけようとする容赦のなさだ。そんな容赦のなさは劇中でも何度か描かれ、泣き叫び命乞いをする相手を殺すこともしばしば。この男は決して愛すべき人間ではない…とハッキリ観客に向かってダメ押ししてくれる。それでも相棒ジャン=ギイには心を許し、誰に何を言われようが彼との兄弟仁義はないがしろにしない…と思いきや、これまたラストにはアッサリ捨ててしまう。クロード暗殺で暗黒街の勢力図は刷新されるが、そうなると自分はジャマになると先読みしたフランクは、まんまと高飛びして一人だけ難を逃れるのだ。ただし、そうなって一人で陽光まばゆいセネガルにいても、心は一向に安まらない。というか、孤独地獄は一層酷くなる。そんなフランクを、ブノワ・マジメルは徹底的にドライに演じる。彼が演じたため、決してイイ人間ではないフランクが、まるで魅力的な人物のように見えてくるのだ。ブノワ・マジメルという若手俳優を僕が知ったのは、「王は踊る」(2001)、「ピアニスト」(2000)でのこと。当時から好感は持っていたものの、こういうアート系の作品専門役者かと思っていたら、いきなりユニークなアクション映画「スズメバチ」(2002)にも登場したから驚いた。おまけにリュック・ベッソン制作のバカ映画(見てる僕の方がよっぽどバカだが…<笑>)「クリムゾン・リバー2/黙示録の天使たち」(2003)にも出てきて、ジャン・レノと一緒に「ファイトー!いっぱぁ〜つ!」みたいなバカ演技を披露するに至って、僕はすっかりマジメルが好きになったわけだ。おまけに今回の辛口演技にはすっかり感心。この映画の最大の美点は、このマジメルにあるのは間違いない。彼がいなかったら、この映画はどうでもいい奴がどうでもよく裏切り合ったり殺し合ったりするどうでもいい話にしかならなかった。…というか、実はそうなりかけているのだが(笑)。

おまけ

 そんな…それなりに面白いけど、どこか不毛なお話。しかし、僕がこの映画の住人を「どうでもいい連中のどうでもいい話」と突っ放し切れなかったのは、極めて個人的な理由による。逆に繰り返される裏切りや殺し合いにも、僕は別に驚きはしなかった。それは…あんなこと、僕らの生活でもザラに起きているからだ。確かに誰も大工道具のドリルで膝をほじくったりしないだろうし、いきなり鉄砲で撃ち殺しもしないだろう。だが合法的になら、人をいたぶり息の根を止めることなど日常茶飯事ではないか。学校でも家庭でも職場でも、あらゆる場面で他人は油断がならない。身内はもっと油断できない。いつも寝首をかかれる危険はあるし、誰もが何らかの形で手を汚している。自分も社会に出て危機一髪の目に遭いそうになった時、ギリギリの選択で無我夢中で敵に一発大逆転をかましたことがある。そんな「手を汚した」瞬間に、自分はこれで「一人前」になったのだと思い至った。あなたは人を裏切ったことはないか? 自分の欲得のために人を踏みにじったことはないか? この映画でギャングたちが裏切りを繰り返すのはともかく、劇中でただ一人平凡な幸せを求めるジャン=ギイの結婚が、「堅気」の妻の裏切りによって挫折するくだりは象徴的だ。ギャングだけが特別なのではない。奴らが汚いとしたら、僕らがみんな汚れているのである。

さいごのひとこと

 あるいは裏切りという名の映画にする手もあった。

 

「エリザベス:ゴールデン・エイジ」

 Elizabeth : The Golden Age

Date:2008 / 03 / 03

みるまえ

 あの「エリザベス」(1998)に待望の続編登場!…って、確かに続編ばやりのハリウッドではあるけれど、伝記映画がシリーズ化しちゃうってどうよ(笑)? というようなゴタクはともかく、前作ではケイト・ブランシェットが鮮烈な主演ぶり。それまでも主演作が日本公開されていたりもしたが、ほぼこの作品から国際的認知を果たしたようなところがある。あまりのハマりぶりに、ブランシェットにとっては「一世一代の適役」だと思ったし、取るんじゃないかと思われていたオスカー主演女優賞を取れなかった時には、この映画で取れなければ彼女には二度とチャンスがないかも…と思ったくらい。正直言って僕も「エリザベス」のブランシェットを見て「個性的なニュー・スター登場!」とは思ったけど、まさかここまで安定感のあるスターになるとは思っていなかった。それって「エリザベス」に続編が登場することと同じくらい予想外のことだったのだ(笑)。そんなわけで再度エリザベス女王役でオスカー・ノミネートのブランシェット、果たして勝算はありやなしや?…と思いつつ劇場に行ってみたわけだが…。

ないよう

 1585年、世界最強の国として君臨していたのはスペインだった。国王フェリペ2世(ジョルディ・モリャ)は全世界をカトリックに塗り替えることに意欲を燃やし、プロテスタントの女王が治める国イングランドをも手中に収めようと企んでいた。その女王こそ、「ヴァージン・クイーン」ことエリザベス1世(ケイト・ブランシェット)。世俗の女の幸せを捨てて国に尽くす決意の彼女は、忠臣フランシス・ウォルシンガム(ジェフリー・ラッシュ)に支えられながら毎日を過ごしていた。彼女が心を許す相手は、そのフランシスともう一人。侍女のエリザベス…通称ベス(アビー・コーニッシュ)。今日も今日とて「婿取り」のセレモニーを嫌々務めさせられるが、正直な話、夫など欲しくないというのが本音だ。その一方で憂鬱なのが、「不義の子」エリザベスではなく自分こそ正当な王位継承者と自認するスコットランド女王メアリー(サマンサ・モートン)の存在。エリザベスは彼女を幽閉してはいたが、それ以上彼女をどうする気もないエリザベス。それと同時に、国内にいまだ多くいるカトリック信者に対しても、何ら処罰も弾圧もする気はなかった。「罪を犯したものは処罰するが、犯さぬ者は保護をする。行いで民を罰しても、信念では罰しない」…しかしながら、エリザベスはそう思っていても、相手がそう思っているかどうかは別問題。スペインのフェリペ2世はイングランド侵攻を計画して多数の軍船を建造しており、実は水面下であのメアリーとも連絡をとっていた。外からスペイン艦隊の攻撃、中からはメアリーたちの蜂起の2段構えで、エリザベスの政権基盤を揺さぶろうという腹だ。それゆえ、メアリー支持者たちの動きも徐々に活発化し始めていた。ロバート・レストン(リス・エヴァンス)らは着々と内乱に向けての動きを活発化していたが、その仲間の中に…実はフランシス・ウォルシンガムの弟ウィリアム(アダム・ゴドリー)も、秘かに加わっていたのだった。一方、そんなエリザベスの前に現れたのが、新大陸から帰ってきた探検家ウォルター・ローリー(クライブ・オーウェン)。いわゆる「海賊」としても知られる彼は、いきなりエリザベスの前の水たまりに自分の上着を被せるという、派手なパフォーマンスで彼女の気を惹いた。新大陸でのイングランド初の植民地にも、エリザベスにちなんで「ヴァージニア」と名付けたこの男、今回エリザベスに近付いたのは新たな探険費用捻出のためだった。しかしそんなウォルターのどこか無遠慮な「男」の匂いが、エリザベスの関心を惹きつける。彼女の「お気に入り」になったウォルターは、冒険の話でエリザベスの自由への憧れを刺激した。そんな彼女はウォルターに惹かれつつも、侍女ベスを彼に近づけて、自らの叶わぬ想いを彼女に託すのだった。そんなエリザベスに、若き暗殺者トマス・バビントン(エディ・レッドメイン)の影が迫る…。

みたあと

 前作「エリザベス」はもったいつけるばかりでNHKの大河ドラマみたいに退屈になりがちな歴史ドラマを、まるで東映の実録ヤクザ映画みたいにイキイキと見せてくれた。イイ意味で「俗っぽい」シャバっけたっぷりの史劇映画だった。それもこれも、ここになぜかインド出身のシェカール・カプール監督を持ってきたという英断ゆえ…と、当時はその抜群の鮮度の理由をそう思っていたわけだ。鮮度の理由のもうひとつは、もちろん当時の新人ケイト・ブランシェット。まさかこんなに超大物になるとはねぇ。そんなわけで、今回の見どころもやっぱりそこに尽きるわけだ。もうひとつ注目は、今回チームに新加入のクライブ・オーウェン。これまた生臭さムンムンの俳優だけに、イキイキしてナマナマしいドラマにはこれまたピッタリ。こういうメンツでつくる歴史劇ならば、裃を着たようなシロモノになるはずもないのだ。

こうすれば

 ところが…確かに今回もお高くとまってしゃちこばった歴史劇にはならなかったものの、見ていて何だか前の「エリザベス」とはちょっと違う気がしてくる。周囲は敵ばかりの中、心許せる相手はごくわずか。男への想いも封印しなくてはいけない。そんなヒロインの心の葛藤を描く…という狙いは分かるのだが、宮廷と国際政治について描いているスケールでかい話の割には、何となくお話の範囲がチマッとしている観が強い。ごリッパな話でなくもっと地に足の着いた話にしよう…という志や良し。それが前作をありがたい歴史劇から東映実録路線に引きずり下ろして、見る者の共感をかき立てたわけだ。しかし今回は、敵側の動きもホンのわずかにチマッと描かれるだけで緊張感もなければ、エリザベスとウォルターの「忍ぶ恋」も…何だかマンガみたいな描き方。禁じられた恋の厳しさが感じられない。結構何だかんだと大っぴらに好意をオモテに出しちゃってるので、あまりその緊迫度が伝わらないのだ。あげく侍女ベスも巻き込んでの恋の鞘当ても、いいとこ女子校の痴話喧嘩レベル。もっと問題なのは…忠臣フランシス・ウォルシンガムも侍女ベスも自分の肉親を切って捨てることでエリザベスへの忠実さを全うするという、かなり身を切られるような選択をしているのに、そのあたりが至ってアッサリと片づけられていること。これって結構重要ではないのか。おそらく神棚に上げるようなヨソヨソしい歴史劇はやめようという、前作から引き続いての作り手のコンセプトがどこかで計算違いになってしまったのではないか。ヨソヨソしいごリッパ感は確かにないものの、全体的にドラマがチマッと矮小化した感じは否めない。あまりに我々の日常レベルのお話にまで降りてきちゃっては、ちょっとこのお話としてはマズイのではないか。さらに問題なのはクライマックス…むろんヤマ場となるのはスペイン無敵艦隊を迎え撃つ大海戦シーンだが、ここは実際の船と模型特撮、そしてCGも使っての大がかりな見せ場のはずなのに、これまた何となくスケール感が感じられない。決して素晴らしかったとは思わないものの、「パイレーツ・オブ・カリビアン/ワールド・エンド」(2007)あたりのそれと比べても、何となく小規模な印象は拭い去れない。ハッキリ言ってショボいのだ。おまけに致命的なのは、圧倒的大軍に対してどうして勝ったのか…そんな海戦の進行状況と勝因がサッパリ分からないことだ。これはさすがにマズイだろう。これではまるで「カミカゼ」が吹いたみたいだ。まるで長谷川一夫大先生が主演した「日蓮と蒙古大襲来」(1958)みたいな印象なのである。映画の幕切れも、何だかメリハリのつかないドサクサにまぎれたような終わり方になってしまったのは残念。そういやカプール監督って、期待して見に行った「サハラに舞う羽根」(2002)がとんでもない愚作だったことを思い出す。「エリザベス」の方がマグレ当たりだったのだろうか?

みどころ

 そんなわけで、良くも悪くもケイト・ブランシェットを見るしかない映画となった今回の作品。ブランシェットがスターとしても圧倒的な安定感を誇るようになったところで、十八番のエリザベス役を再演するわけだから、これは危なげがあろうはずがない。おまけにそこにアブラギッシュな魅力全開のクライブ・オーウェンが絡むという顔合わせは、やっぱり楽しめる。そこだけに限って言えば、決して退屈しない映画だ。

おまけ

 というわけで、僕はケイト・ブランシェットの大芝居だけ堪能してぼけ〜っとラスト・クレジットを見ていたのだが、何とクレジットの最後の頃に、“この映画では「ライアンの娘」(1970)のフッテージを使用している”という但し書きが出てくるではないか。ええっ? それって一体何だ? 例えば「アメリカン・ギャングスター」(2008)みたいな作品だったら、そこに他の映画の一場面が引用されていてもおかしくはあるまい。主人公が映画館で見たりテレビで見たりして出てきても、まったくおかしくはない。だが、何でこの映画で「ライアンの娘」が引用されたのか?…果たしてみなさんは、このナゾが解けるだろうか? 僕は何となく分かったが、それが分かったとたん、この映画のショボさが増してしまった(笑)。

さいごのひとこと

 せめてシャマラン級のハッタリが欲しいところ。

 

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