「エグザイル/絆」

 放・逐 (Exiled)

 (2008/12/29)


  

見る前の予想

 この映画の存在は、映画館に置いてあったチラシで知った。ジョニー・トーが描く「暗黒街の男たち」もの。これだけで血が騒がない映画ファンはいまい。

 僕だってザ・ミッション/非情の掟(1999)の素晴らしさは忘れられない。つい最近のエレクション(2005)だって見事なものだった。

 僕は香港映画にもジョニー・トーにもそれほど詳しい訳じゃないから、ここで偉そうなことを述べる資格も知識もない。それでもこの映画だけは見なくちゃいけないと感じていた。そこで何とか時間をこしらえて、劇場に飛び込んだ次第。

 

あらすじ

 扉を激しく叩く音が聞こえる。女(ジョシー・ホー)が扉を開けると、そこには黒シャツを着たタイ(フランシス・ン)と長髪のキャット(ロイ・チョン)の二人の男が立っていた。

 「ウーはいるか?」

 「いないわ」

 「外で待たせてもらう」

 女が二階の窓から外を見下ろすと、タイとキャットが家のそばの木陰に立っている。ここはマカオの住宅街。何か起きそうな昼下がりだ。

 再び激しく扉を叩く音。女が扉を開けると、今度は黒メガネのブレイズ(アンソニー・ウォン)とフーセンガムを噛んでいるトッチャン坊や風のファット(ラム・シュー)の二人の男が立っていた。

 「ウーはいるか?」

 「いないわよ」

 乱暴に扉が閉じられる。扉のそばから離れたブレイズとファットは、すぐに木陰のタイとキャットに気付く。4人の男たちはお互い見つめ合い、牽制するように向かい合った。

 「ウーを殺るぞ」

 「オレはウーを守る。見逃すことはできないか?」

 「オレの立場を考えろ」

 4人の男たちのうちブレイズとファットはウーという男を殺すために、そしてタイとキャットはこの男を守るためにやってきた。ウーは過去にブレイズとファットのボスの命を狙って失敗したため、逆に自分が狙われるハメになった。そのため長らく外地に逃げていたものの、なぜか突然マカオに舞い戻ってきたというのだ。

 やがてそんな4人の前に、一台のトラックがやって来る。運転席にいる男は、まさにそのウー(ニック・チョン)だった。

 4人の間にいきなり緊張がはしり、一触即発の状態となる。

 そんな状況は百も承知のウーはトラックを家の側に停めると、ゆっくりと家の中に入っていく。それを追って、当然のごとくブレイズとタイも中に入った。3人が家に入るや否や、たちまち室内で激しい銃撃戦が始まった

 外ではこの異常事態に、たまたま居合わせたパトカーに老刑事トイサン(ホイ・シウホン)が唖然呆然。外に残ったキャットとファットが威圧したおかげで、ますます手も足も出ない。やがてスゴスゴと引き返すパトカー。そんな外の様子を知ってか知らずか、室内の銃撃戦はますます激しさを増す。

 そこに、突然の赤ん坊の泣き声!

 銃声は一気に止んだ。奥の部屋には、火がついたように泣く赤ん坊を抱いた例の女…ウーの妻が立っている。憑き物が落ちたように我に返った3人の男は、銃を下ろしてお互い見つめ合った。

 それから間もなく、ウーを手伝ってトラックから家具を降ろす4人の男たちの姿があった。

 降ろした家具の数々を担いで、次々と家に上げる男たち。銃撃で傷ついた扉も、アッという間に板で修繕だ。息もピッタリ。笑顔さえあった。やがて台所で包丁の心地よい音が聞こえ、たちまち大量の料理が完成。ついさっきまで命のやりとりをしていた5人の男たちとウーの妻子は、一つの食卓を囲んで飯を食いだした。

 食事が終わると、彼らはカメラを前にして記念撮影を行う。一同の屈託のない笑い声。それは、いつの日か彼らの若き日に撮影した、無邪気な記念写真での笑顔を思い起こさせた。

 「で、何日待てばいいんだ?

 おもむろにブレイズが切り出す。タイは「何が何でもウーを守る」と突っぱねたが、ブレイズにも「何が何でもウーを殺らねばならない」事情があった。だが、そこは他ならぬウーだ。待ってやらない道理はないし、できることなら願いを叶えてやりたい。

 「妻子に金を遺したい」

 ウーも自らの運命を悟っていた。今まで逃亡を続けてきたが、さすがに逃げ隠れにも疲れ果てた。戻ればこうなると分かっていた。だからこそ、せめてもの望みを口にしたわけだ。

 その頃、ブレイズとキャットのボスであるフェイ(サイモン・ヤム)は、ウー抹殺の知らせがなかなか届かないことに業を煮やして、ブレイズの携帯に連絡を入れていた。さらにフェイは、最近何かと目障りになってきた新興ギャングのボス・キョン(ラム・カートン)も暗殺するように、手下のカッチョン(タム・ビンマン)に命じる。

 翌朝のこと、5人の男たちを乗せたウーのトラックが、とあるホテルへとやって来る。そのホテルの経営者ジェフ(チョン・シウファイ)は、ヤバイ仕事を斡旋する「裏の顔」を持っていた。

 「手っ取り早くカネになる仕事はないのか?」

 早速、ジェフの口から飛び出す「いわくつき」の仕事の数々。しかしどれもこれも…やれマカオから離れての殺しだの、刑務所に入り込んでの殺しだの…いずれも帯に短し襷に長しの話ばかり。観音山の峠を越えて運ばれる金塊強奪の話に一度は飛びついたものの、それが「明日」と聞いてブレイズからダメが出される。「明日までは待てない。もっとすぐに儲かる話はないのか?」

 答えに窮したジェフは、一旦は部屋を出て待たせていた別の客人の部屋へと向かう。ところが5人の男たちと同時にホテルにやって来ていたこの客人とは、実はフェイの手下であるカッチョン。彼はフェイに命じられた通り、キョン殺害の依頼を頼みに来たのだった

 これはちょうどいい!

 キョン殺害の話は、たちまちジェフを通じて5人の男へと伝わる。カネも良ければスケジュールも今夜、場所もマカオのレストラン…と万事好都合。こうして一同は、この仕事の依頼元がフェイとは知らず、問題のレストランへとやって来るのだが…。

  

見た後での感想

 やっぱり素晴らしい。見ていてワクワクする。

 「ザ・ミッション/非情の掟」を見た時の、あの熱い気分が甦る。何しろカッコイイ。カッコイイけど…そして部分的にはスタイリッシュに見えるけれど、それは決して「スタイリッシュ」なんて言葉で括れる形骸的なモノではない。もっと男気を感じさせる熱いカッコよさなのだ。

 そのあたりを具体的に見ていくと…例えば今回も、冒頭から寡黙なカッコよさではある。

 訳あり、腹にイチモツ…の男たち4人が、ある家を前にしてにらみ合う。そしてもう一人の男の登場によって緊張が最高潮に達するとともに、何ともクールでホットな銃撃戦が展開する。

 ここまでは確かに「スタイリッシュ」と言っていいカッコよさであり、この手のアクション映画のうるさい連中の「なんとかノワール」映画論を、耳にタコができそうなくらい聞かされそうな「いかにも」な展開だ。

 ところがジョニー・トーはその緊迫感が解けたところから、ガラリと登場人物たちの間に流れる空気を変えていく。先程まで撃ち合いを演じていた連中が、いきなり部屋に家具を運び込む手伝いをする。自分たちが壊した扉の修理をしたり、台所で料理をしたりする。それどころか、命を狙っていた男の女房子供も一緒に交えてガツガツ飯を食い、記念写真まで撮るアリサマだ。そしてその記念写真の次のショットで、彼らの関係が観客に明らかにされる。

 彼らは幼なじみだ。

 他には代え難い「仲間」だからこそ、命の取り合いをした次の瞬間に、一緒に家具を運んだり飯を食ったり出来る。「仲間」だからこそ、自分が死んだ後の蓄えを妻子に遺したいという、男の頼みを叶えようとする。事もあろうに、殺されようとする男とそれを守ろうとする男たち、さらに殺そうとしている男たちも一緒になって、この「蓄え」を作るための仕事をやらかそうとするのだ。

 この、実に「男の子」っぽい仲間意識よ!

 考えてみれば何ともシュールな関係ながら、そこには何とも男の子っぽい爽やかな風が吹いている。決して「オレってカッコいい」的ナルシズムに陥りがちな、クールでスタイリッシュな「なんとかノワール」映画にはならない。大体が主要登場人物にラム・シューなんてムサいオッサン俳優がいて、スタイリッシュもないだろう(笑)。いつもそのカッコよさにシビれるアンソニー・ウォンだって、そのシチュエーションでカッコよく見えているのであって、頭文字<イニシャル>D(2005)じゃ酔いどれた豆腐屋のオッサンとして登場する始末(笑)。もっとも、アレもカッコいいといえばカッコいいのだが…。

 ともかく、いわゆる見た目のチャラチャラしたカッコよさは最初から狙ってないし、オンナ受けも考えていない。というより、こう言っちゃ語弊がありそうだが…かなり個人的思い入れが強そうな作品に関しては、もっぱら「オンナはスッ込んでろ」的な映画をつくり続けているのがジョニー・トーなのである。彼の男騒ぎのアクション映画群、「ザ・ミッション/非情の掟」PTU(2003)などを想起すれば、そのへんがお分かりいただけるだろう。

 この映画の冒頭部分…緊張、銃撃戦の後の和気あいあい…も、一つ間違うとナンセンスコメディみたいなバカバカしい状況になりそうなところだが、ジョニー・トーはそんな男の子っぽい性根の素晴らしさを気持ちよく描いている。それでいて、仲間意識は仲間意識、仕事は仕事…ときっちり線引きして、あくまで妻子のための蓄えづくりに協力はするが、命を狙うことをやめないというアンソニー・ウォンたちの描き方も素晴らしい。爽やかな「男の子」っぽさをこよなく愛しながらも、ヌルい「甘え」は持ち込まない。ジョニー・トーは「大人の男」なのである。

 何でも劇場パンフレットの解説によれば、ジョニー・トーは「エレクション」とその続編の制作に精根尽き果てて、ただただひたすら気持ちよく、やりたいように映画をつくりたいとこの作品を制作したとのこと。

 元々この人は大変な職人で、「Needing You」(2000)、痩身男女(2001)、ターンレフト・ターンライト(2002)…なんてコメディや恋愛映画も撮って、それなりの出来栄えを見せていながら、その一方で自分の創作意欲を満たすための「ザ・ミッション/非情の掟」「PTU」などを制作する…という特異な制作スタンスを持っていた。何となくそれって、「外人球団」(1986)、「膝と膝の間」(1984)、「於宇同/オウドン」(1985)など商業性を重視した作品で稼ぐ一方で、「寡婦の舞」(1983)、「馬鹿宣言」(1983)、「旅人<ナグネ>は休まない」(1987)などの実験的作品では自分のやりたい事をやっていた、かつての韓国映画界のエース監督イ・チャンホを彷彿とさせるところがあるが、それはさておき…確かにこの作品には、そんな「自分のやりたいことをやる」「自分の好きなものだけ出す」ような雰囲気が全編に立ちこめている。

 そういえばこの作品、主要登場人物のうちアンソニー・ウォン、フランシス・ン、ロイ・チョン、ラム・シューの4人は、そっくりそのまま「ザ・ミッション/非情の掟」の主人公。しかもアンソニー・ウォン、フランシス・ンの二人が「仲間を殺す」「守る」で一種の対立関係になるあたりも一緒だ。そして、ハタから見ると「ザ・ミッション」はおそらく今まで最もジョニー・トーが「やりたい事をやって」作った映画に見えるし、そうした創作上の「純度」も高いように思われる。

 なるほど、確かに今回はジョニー・トーがトコトン「やりたいようにやって」創り上げた作品なのだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ここからは映画を見てから

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「やりたいようにやった」作品ならではの一長一短

 そんなわけで、ジョニー・トーがトコトン「やりたいようにやった」作品。ならば出来もサイコーだろうと言いたいところ。確かにジョニー・トーの一連の作品にシビれた人ならたまらない場面の連続だが、それだけで「サイコー」の作品が出来れば苦労はない。実は厳密に言えば、「サイコー」な点ばかりとも言えないから映画は難しいのだ。

 実際、「やりたいようにやれる」環境とは、映画作家にとっては夢の環境だろう。その映画作家のファンにとっても、ご贔屓作家が理想を追求してくれるのだから、それこそ「サイコー」には違いあるまい。カネのことやプロデューサーの横ヤリやでジャマされることなく、純度100パーセントで作家の意図が反映される作品になるのだから、出来がいいのが当たり前だ。

 ちょっと待っていただきたい。

 確かに「やりたいようにやれる」環境は、純度100パーセントで作家の意図が反映される訳だからいいことづくめのように思える。しかし果たして何の干渉も受けずに作家がやりたい放題やれば、それだけで質が高くなるのか。

 僕は「否」と思う。

 映画というものは集団でつくるものだし、いろいろな外的要因に左右されるものだ。監督か脚本家かプロデューサーかは分からないが、イニシアティブをとるクリエイターの意図が方向性をかなり決めるとして、それだけで作品が成立するわけでもないだろう。

 あるいは第三者のアドバイスや「干渉」が、作品の質を高めることだってあるかもしれない。もし全く干渉もコントロールも受けずに撮った場合、作家の「甘え」が作品の質を落とす場合だってあるかもしれない。

 「やりたいようにやれる」環境イコール「サイコー」の環境とは言えないのだ。

 そして、それはこの作品の中にも…残念ながら見受けられる気がする。

 例えばお話の中盤、殺された仲間の女房に銃を乱射されて逃げ出した後、主人公たちが当てもなく採石場などをほっつき歩くくだり。すっとぼけたユーモアが感じられて僕も好きなくだりだが、映画として厳密に考えるとちょっと「行き当たりバッタリ」で「冗漫」な感じは否めない。

 また、終盤に死地に赴いた主人公たちが、インスタント写真のボックスに入ってジャレ合うくだりも…楽しいんだけれども中学生みたいで「やりすぎ」な感じがする。いささか抑制が利いていないのだ。

 その一方で、「やりたいようにやれる」環境ならではの開放感が、作品にプラスに働いた部分もある。

 例えば、先ほど「行き当たりバッタリ」と批判した採石場のくだり。正直言ってこの後に映画がどうなるのか、見ている僕にはまったく予測不能だった。およそ「どんでん返し」を売りにする映画でもなければ、今日びどんな映画でも大体早々に底が割れるものだが、この作品は前述の採石場のくだりに限らず、どうなっていくのかなかなか観客に分からない。全体的に流れる「行き当たりバッタリ」感が、観客に予断を許さない展開を生みだしているのだ。

 さらに、金塊強奪に乗り込んでいった先で出会った銃の名手の警備員(リッチー・レン)と主人公たちが、何の違和感もなく仲良くなってしまうあたり。それは前述の男の子っぽい爽やかさを放つエピソードの数々同様に、この映画に清涼感を与えている

 そして、だからこそ僕はこの作品にいろいろケチをつけていながら、どうしても惹きつけられずにいられない。この映画の主人公たちを、好きにならずにいられないのである。

 おそらくジョニー・トーは、「男はかくあるべき」だと思っているのではないか。この映画の中で最も狡猾でいやらしい人物である大ボスのフェイ(サイモン・ヤム)の股間を銃撃させているあたりも、そんなジョニー・トーの暗喩のように思える。こんな男の風上にも置けない野郎は「タマなし」にしてやった方がいい…と(笑)。

 いよいよクライマックスに主人公たちがホテルへ乗り込むくだりは、誰がどう見たって「ワイルドバンチ」(1969)からの引用だろう。というか、絶対にアレをやりたかったんだろうな。そう思えば、先に問題視したインスタント写真ボックスのくだりも許せる。

 「ワイルドバンチ」のようにウィリアム・ホールデンの「レッツ・ゴー!」の一声こそないものの、彼らはまるで遊びに出掛けるように嬉々として死地へと赴く。そこには意外なほど悲壮感がない。彼らはむしろ仲間のために完全燃焼し、仲間と共に戦えることを喜んでいる。ラストでそれぞれ致命傷を受けながら、満足げな笑みを浮かべている主人公たちの顔を見ていると、これぞ「至福の時」という気持ちになってくる。

 そんな「男の子」っぽい爽やかさをこれほど味あわせてくれた以上、僕もまたこの作品を愛さずにはいられないのである。

 

 

 

 

 

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