「最高の人生の見つけ方」

 The Bucket List

 (2008/06/09)


  

見る前の予想

 ジャック・ニコルソンモーガン・フリーマンで、末期ガン患者が人生を全うするお話をやる。

 チラシを読んでも予告編を見ても、この映画の内容はそう見える。だとすると、この二人の芸達者が初めて組むのだから、それなりに楽しめることは間違いない。ハズシはしないだろう。

 まして監督はロブ・ライナーだという。ロブ・ライナーとくれば、僕の昔からのご贔屓監督だ。さらに期待が持てる。

 ただしそんなロブ・ライナーではあるが、よくよく考えてみれば近年この人の映画ってイマイチだったような感じもする。皮肉なことに唯一の不安材料としては、このロブ・ライナーの演出ぶりだろうか。

 

あらすじ

 「エドワード・コールは五月に死んだ。それはある晴れ渡った日だった」…そんな独白を背景に、エベレストの山頂めざしてひたすら登る一人の男。彼は一体何者だろうか。

 さて、物語はおよそ半年前に遡る。

 初老のベテラン自動車修理工カーター・チェンバーズ(モーガン・フリーマン)が仕事をしながら、同僚の男の出すクイズに答えてことごとく正解。頭脳明晰ぶりを発揮していた。そんなカーターの元に一本の電話がかかる。それは妻のジェニーからの電話。彼が以前に受けていた検査の結果が分かったというのだ。ところが妻の言葉を聞いたカーターの表情はたちまち豹変。彼は吸っていたタバコをポトリと落として、仕事を残したまま愕然と去っていく。

 同じ頃、病院チェーンの経営会議に出席している経営者エドワード・コール(ジャック・ニコルソン)。厳しいリストラ合理化計画に、出席者は一様に非難ごうごう。しかしおもむろに口を開いたエドワードは、出席者を一瞥してこう語る。

 「いいか、うちは商売で病院をやっているんだぞ。一部屋に必ずベッドは二つ、例外はナシだ!」

 そう凄味をきかせたものの、次の瞬間に思わずむせるエドワード。慌てて口を押さえたハンカチには、真っ赤な鮮血が飛び散っているではないか。

 そんなわけで…テメエの病院の待遇の悪さにさんざ毒づきながら、エドワードが自分の病室にやって来ると、そこには秘書のトーマス(ショーン・へイズ)の他にもう一人の男が彼を待っていた。

 「何だ、こいつは?」

 「オマエこそ何だ」

 隣のベッドに横たわっていたのは、検査の結果、入院することになったカーター。一部屋にベッドは二つ…は、エドワードの場合にも例外ナシに実行されたわけだ。そんなこんなで、カーターを「死人」扱いしてイヤミ言い放題のエドワード。そんなエドワードに「あんたの病院の豆スープは不味いな」と、平然とイヤミで応戦するカーター。どう考えても気が合うはずもない二人ではあった。

 やがて開頭手術を受けたエドワード。病室に戻ってきた彼はただ寝込んでいるばかり。カーターの元に見舞いに通う妻のバージニア(ビバリー・トッド)はつぶやく。「あの人に見舞客はいないの? 寂しい人ね」

 そのうちようやく元気を取り戻してきたエドワードのもとに、主治医のホリンズ医師(ロブ・モロー)が化学療法を行うことを告げに来る。エドワードはついつい隣のカーターに、こう聞かずにはいられない。「化学療法ってどうだ? つらいんだろ?」

 「そうでもないさ…四六時中吐き続けるくらいのことだ」

 そんなエドワードのもとに秘書のトーマスが、特別メニューの豪華な夕食を届けてくる。金にモノを言わせて有名シェフに作らせたものばかりだ。エドワードは思わずゴキゲンに舌づつみを打つ。ついでに気を利かせて隣のカーターにも一緒に食べないかと声をかける。

 「いやいや、私は結構」

 「うまいぜ、ロスで最高の味だ」

 だが、それも食後まもなく悪夢に変わる。化学療法の副作用で、便器を抱えて吐き続けるハメになったからだ。そんなエドワードのザマを横目で見ながら、カーターは憮然とつぶやく。「今じゃロスで最低だな」

 そんな二人だったが、いつしかお互いのことを話し合いながら、ポーカーに興じるようになる。子供に恵まれ暖かい家族に囲まれているカーターに対して、4回結婚しながらどれも長続きしなかったエドワード。それでも仕事ではツキまくって稼ぎまくったエドワードに、キャリア的には思うように行かなかったカーター。本当は歴史学者になりたかった彼だが、大学に通い始めた頃、恋人バージニアの妊娠を知ったのだった。

 「私は若くて、黒人で、貧乏で、そして子持ちだった。できる仕事は限られていたよ…」

 そんなカーターは、ベッドでコッソリとメモを書き始めていた。それは「棺桶リスト」…悔いを残さぬように死ぬ前にしておきたいことを書き留めるリストだったが…。

 そんな二人の元にホリンズ医師がやって来る。彼はエドワードに病状を伝えに来たのだった。「正直に言うよ。…もって一年だ」

 平静を装うエドワードではあるが、さすがにこれにはショックを受ける。「先生、テレビが見えないからどいてくれ。…それから、カーターの検査結果も聞いてきてやってくれ」

 カーターは自分の本当の病状を知りたがっていたのだが、彼の主治医は教えてくれなかったのだ。ホリンズ医師はカーターの病状を聞いてくる…と約束して病室を出ていった。そしてエドワードは、カーターに背を向けて黙ってベッドに横たわるのだった。

 やがて病室に舞い戻ったホリンズ医師は、カーターに病状を告げる。彼もまた余命幾ばくもない身だった。彼は書きかけていた「棺桶リスト」を丸めて捨てると、さすがに黙り込んでしまう。だがしばらくして顔を上げると、隣のエドワードにこう声を掛けるのだった。「カードでもやるか」

 「そいつを待ってた!」

 こうして仲良くカードに興じる二人だった。

 そんなエドワードは、秘書トーマスがたまたま丸めて捨てられていた紙を拾って渡したことから、例の「棺桶リスト」に目を通すことになる。「何だこりゃあ?」

 これには最初憮然としていたカーターだったが、結局エドワードの質問に答えることになる。「これは棺桶リストってもんだ。自分が棺桶に入る前にやっておきたいことを書いておくんだよ」

 「何だって?…どれどれ。他人に親切にする、涙が出るまで笑う…何だかヤケに湿っぽいぜ。オレならこうだな!」

 エドワードは棺桶リストの紙を取ると、自分のやりたいことを書き出し始める。「銃をブッ放すとかスカイダイビングとかな、大いに楽しむんだよ」

 そんなこんなでお互いの「やりたいこと」を並べていくうち、エドワードは徐々に目を輝かせ始める。「これはいい。カネの心配ならいらないぜ。オレたちはやれるぞ!」

 「オレたち?…これはただの例え話なんだよ」

 「いや、これはチャンスだ! ただじっとして化学療法にやられるか、それとも行動を起こすか…アンタだって本心じゃそうだろう?」

 これが本来のカーターだったら、そもそもエドワードのような男と付き合えるわけもない。エドワードが目をギラギラさせて語りかける大胆不敵な提案に、耳を貸すわけもなかっただろう。しかし今、カーターはまさに人生の岐路に立っていた。彼はエドワードの言葉にじっと考え込むと、おもむろに口を開くのだった。

 「ふむ、スカイダイビングね…」

 

きっちり楽しませながら真摯な問いかけをするロブ・ライナー

 ロブ・ライナーという名前を聞くのは、本当に久しぶりって気がする。

 実はロブ・ライナーという映画監督、かつては僕の大のお気に入り監督の一人だった。実際、一時期は発表する作品すべてが面白く、かつ僕の好みという状態。この人には一生ついていこうと思ったくらい(笑)の映画監督だ。

 そのあたりのことはあなたにも書ける恋愛小説(2003)の感想文でも書いたので、あまりクドクド繰り返したくはない。しかし、それでも僕とライナーの監督作「シュア・シング」(1985)との出会いくらいは書かなければ、今回の感想文は手落ちということになるだろう。

 この作品を見た時のことは、今でも鮮烈に覚えている。

 僕はそれまでロブ・ライナーなんて監督の名前も知らなかったし、彼の以前の作品も見たことはなかった。実はライナーがそれ以前につくっていたのは「スパイナル・タップ」(1984)ただ一作だけ。架空のロックバンドの栄光と挫折を疑似ドキュメンタリー・スタイルで描き、面白可笑しくホロ苦く描くこの作品もかなりの快作だが、実物に触れたのはずっと後のテレビ放映でのこと。実際のところこの作品は日本では劇場未公開に終わり、ビデオ発売のみのリリースだったので知らなかったのも無理はない。ともかくこの時点においては、僕にとってロブ・ライナーも「シュア・シング」という作品も、まったく未知のものだったのだ。

 それでは何でこの映画を見に行ったのか…と言えば、それはハッキリ言って。僕が映画という映画なら何でも見るという状況だったことに尽きる。むろんこの時の僕以上に、公開される映画という映画を見尽くすような「マニア」はいくらでもいる。そういう人たちからすれば大した本数ではなかったにせよ、この当時の僕は今とは比べものにならないほど映画を見ていた。ヒマさえあれば映画を見に行った。ほとんどジャンルは問わなかった。だからこの時だって…単に時間が空いて、ちょうど見れる映画を見に行ったということだったに違いない。

 確かこの映画の最初の印象は、ちょっとエッチな青春コメディって感じだったはずだ。「シュア・シング」ってのは「絶対確実にヤレる女」のこと。ポスターや広告にはビキニ姿のグラマーな女がバ〜〜ンと出ていて、いかにも艶笑コメディ風の雰囲気を醸し出していた。これがイタリア映画なら完全にエロい筆下ろし映画間違いなしだが、こちらはライトなアメリカ映画。それでも「ポーキーズ」(1981)がちょっと上品になった程度の映画だろうと、すっかりタカをくくって見に行ったわけだ。

 ところが、これにすっかりやられちまった

 お話は…ロスに引っ越してやりたい放題の悪友にそそのかされた主人公の若者が、彼が調達してくれることになっている「絶対やらせてくれる女」に会うために、クリスマス休暇を使ってロスに出かける…というもの。これにひょんなことからカタブツの女子学生が同行することになってしまい、お互い噛み合わずいがみあいながら…という、典型的なアメリカ映画名物ロード・ムービーの展開。或る夜の出来事(1934)を青春映画に焼き直したような映画と言えばお分かりいただけるだろうか?

 それだけなら、面白いし楽しいだろうがよくあるハリウッド映画。職人芸に裏打ちされてはいるんだろうが、凡百の映画として埋もれてしまったかもしれない。しかしこの映画には、何かそれを上回る「何か」を感じた。語られているテーマは「恋愛至上主義」というか、「やっぱり愛が一番大切」というあまりに真っ当すぎるコンセプトだ。それをこんな一見青春艶笑コメディみたいなウツワに入れて、堂々とうたい上げているからスゴイのである。笑って笑って大笑いした後の、ロマンティックな結末に思わず涙させられてしまうのである。この映画については、ただ一言「傑作」としか言いようがない。

 主演を張ったのは、まだ出たてのジョン・キューザック。その後の大活躍を予感させるような「好漢」ぶりを、この作品ですでに十分発揮していた。相手役のダフネ・ズニーガは、この映画の他はメル・ブルックスの「スペースボール」(1987)、さらに「ザ・フライ2/二世誕生」(1988)などしか見たことがないが、なぜ売れなかったのか不思議なほど楽しくて魅力的だった。そんな主演者の魅力もさることながら、キッチリ楽しませて面白がらせた上に、観客に「何か」をキッチリ残してくれるロブ・ライナーの名前は、この時にクッキリと僕の脳裏に刻まれたわけだ。

 その次の「スタンド・バイ・ミー」(1986)の大ヒットで一躍メジャー化したライナーだが、僕としてはむしろその次の「プリンセス・ブライド・ストーリー」(1987)こそライナーの真骨頂だと言いたい。風邪で休んでいる現代っ子の孫におじいちゃんが童話を読んでやる…というシチュエーションを土台に、一見騎士とお姫様が活躍するファンタジー・ロマンスと見せかけて、あっちこっちに現代的なズッコケギャグを交えながらのアドベンチャー・コメディ映画。そしてやっぱり見終わった時には…心に何かが残るのだ。

 そんなライナーの持ち味が題材と見事にマッチし、豪華配役と相まって大ヒットを収めたのが、次の「恋人たちの予感」(1989)。ここでもライナーは大いに観客である僕たちを笑わせながら、真摯に「愛」についての問いかけを行っているのだ。

 ところが次にライナーが放ったのが、スティーブン・キング原作「ミザリー」(1990)だから僕らは驚いた。キング原作ってだけなら「スタンド・バイ・ミー」がすでにある。ひょっとしてフランク“フニャチン”ダラボンみたいに、一般受けしそうなキングの「感動作」を映画化する作戦か?

 しかし「ミザリー」は、キング作品の王道のホラー作品なのだ。一体これってどうなるのだ?

 しかしここでもライナーは、キッチリ僕らを楽しませた。そしてライナー作品の最大の特徴である登場人物へのデリケートな視線を、ここでも最大限に発揮している。そもそも、一般的にはコワモテなタフガイ・スターとして認知されていたジェームズ・カーンを、こんな役で起用するあたりタダモノではない。みんなはオスカーまで受賞したキャシー・ベイツを賞賛するが、僕はこの映画のキャスティングの勘どころは、このジェームズ・カーンの起用にあると思っている。やっぱりライナーはライナーなのだ。

 ところがその後のライナーは…トム・クルーズ、ジャック・ニコルソン、デミ・ムーア主演の「ア・フュー・グッドメン」(1992)、もはや記憶にない「ノース/ちいさな旅人」(1994)、マイケル・ダグラスの大統領役がハマっていた「アメリカン・プレジデント」(1995)…と、どれもこれもソコソコ楽しませてはくれるのだが、あの僕をぐっと惹きつけて放さなかったライナー作品の、素晴らしい輝きはどこにも感じられなかった。

 そして一作未公開作をはさんでやって来た「ストーリー・オブ・ラブ」(1999)は、ブルース・ウィリスミシェル・ファイファーという豪華キャストの「その後」の「恋人たちの予感」的な作品だったが、ミシェル・ファイファーが藤山寛美ばりの力み返った長ゼリフをまくし立てるエンディングに思わず興ざめ。こんなはずじゃなかった…とガックリしてしまった。

 そして次にやって来たのが、前述「あなたにも書ける恋愛小説」。ケイト・ハドソン、ルーク・ウィルソンという好感度抜群の主演者を迎え、ちょっと構えはこぢんまりしたものの、これは久々にライナー実力発揮の作品として仕上がった。

 しかし次の作品「迷い婚/すべての迷える女性たちへ」(2005)は、またまたウカウカしている間に見逃してしまう。もっともこの作品の公開に気づいていたとしても、ジェニファー・アニストン主演でこのタイトルと来れば、どうせ男はクソだバカだ悪いのは全部男のせいだという映画に決まっている…と、僕はウンザリして見に行かなかったに決まっている。大体、「迷い婚」ってのはオンナどもじゃなくてこっちが言いたい台詞だよ(怒)。

 そんなわけで、「ご贔屓」監督とあれほど入れ込んでいながら、僕は最近のロブ・ライナー作品にはずいぶん縁遠くなっていたのだ。今回のこの作品に期待は抱いたものの、同じくらい失望に対して身構えていた理由がお分かりいただけるだろうか?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ここからは映画を見てから!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

見た後での感想

 ハッキリ言って、ジャック・ニコルソンモーガン・フリーマン、この芸達者二人が顔を合わせるだけで楽しくなる。それに尽きる。

 実はここで感想をやめてもいいくらい。そのくらい、この二人の顔合わせによるケミストリーはバッチリだ。冒頭あたりの噛み合わない二人と、中盤に従ってそんな噛み合わない二人が噛み合わないながらも行動を共にするあたりのおかしみ。それを世界を股にかけたでっかいスケールで展開していく。実際にはニコルソンとフリーマンはハリウッドのスタジオから一歩も出ずにつくりあげた、まさに映画のマジックと言っていい場面の数々。しかし、文字通り本当に世界を股にかけてつくったはずのジャンパー(2008)がまるっきり画面に有り難みを出すことができなかったのと対照的に、こちらはキッチリ豪華で楽しい雰囲気が充満している。それもこれも、やっぱり千両役者二人の貫禄ゆえか。

 正直言ってこの題材でこの役者とくれば、見る前から意外性は全くなし。ニコルソンが「棺桶リスト」に挙げた「世界一の美女にキスをする」…がおそらく自分の娘か孫のことだろうということも、映画を見始めればすぐに感づいてしまう。そのくらい、映画の大筋としては思った通りに出来上がっていて、結論としても大体のところ思ったようなところに落ち着く作品だ。

 だからそれだけだったら、実は見終わって「イイ映画だったな」と思って…しかし、それだけで終わってしまうような作品になりかねなかったのも事実。それ以上、こっちの胸の中まで何かを感じさせる映画にはならなかったはずだ。

 だからこそ、冒頭のナレーションとエベレスト登頂をめざしている男の映像を持ってきた発想には、「お見事!」と言いたくなるのである。

 あの冒頭を見たら、誰でもジャック・ニコルソンが先に死んで、後をモーガン・フリーマンが見送るものだと思うだろう。ついでにエベレストを登っている男も、フリーマンに違いないと思うはずだ。だから僕らは「分かっている」ような話を見ていく中で、自然とニコルソンの死を待つかたちになっていく。それが最後に「あれっ?」とハズされることから、僕らは一種快い衝撃を受けるわけだ。

 そして「分かりきったような話」を「分かりきった」ように見せられることからも免れる。

 「もう先が読めた」と思った話がいきなり想定外になることにより、僕らは映画に鮮度を持って接するようになる。だからこそニコルソンの万感迫るスピーチに、思わず無防備に涙してしまうのだ。

 この点については、ジャスティン・ザッカムの脚本もロブ・ライナーの演出もお手柄だとしか言いようがない。まさに見事だ。名人芸と言っていい。

 そんなわけで、他のみなさんがこの作品をどのように思っているか知らないが、僕にとっては久々にロブ・ライナー作品のヒットと感じた。

 いや、胸に迫る感動は「シュア・シング」を見た時以来かもしれない。この映画は、どこか単なる映画以上のモノを僕に感じさせる。登場人物への暖かい視線も含めて、見ている僕に深い感慨をもたらしてくれるのだ。

 そしてその点こそが、あの「僕が知っているロブ・ライナー作品」ならでは…と思わせる点なのである。

 

見た後の付け足し

 白状すると、この映画が「映画」として面白い、面白くないってことは、実は僕にとってはもうどうでもいいことなのかもしれない。

 僕はこの映画を見ていて、途中で何度も自分のことを考えた。それは映画がつまらない、集中できないってことではない。むしろ映画にのめり込めばのめり込むほど、どうしても自分のことを考えずにいられなかったのだ。

 実際、自分が人生残り時間少しになってきたと感じたあたりから、「棺桶リスト」こそ作らないものの、それに近いことはやっていた気がする。というか、イヤでもある程度の年齢になると、人はそのことを考えずにはいられない。

 そして近年は…縁起でもない話だが、病気で徐々に弱っていく自分の父親を見ているうちに、自分の人生の黄昏についていろいろ感じないわけにいかないのだ。

 ならば自分の「終わり」が見えた時、僕は一体何を考え、どう行動しようとするだろう? 僕ならどんな「棺桶リスト」を作ろうとするだろうか。

 こんなことを言ったら信じてもらえるか分からないが、今のところ僕は、自分の人生に結構満足している。

 途中何だかんだ回り道はあったものの、僕は結局自分がやりたい仕事をやっている。そこでシンドイながらも何らかの喜びや満足を得ながら、少ないながらもお金ももらっているわけだ。これはやっぱり幸せだと言うべきだろう。

 むろんその「回り道」をしなければ、もっと良かったという言い方はある。その30代後半から40代前半のいわゆる「アブラの乗り切った時期」を、キャリアの面でみすみす棒に振ったことは事実だ。

 だが後々考えてみると、そんな「回り道」をしなければ出来ないことをやってきたし、知らなかったことを知った。実はこのホームページだって、「回り道」をしなければやっていなかった。そもそも「回り道」をしなかったら、救いようのない末路に落ち込んでいた。そういう意味では、僕はやっぱりツイていたと思うのだ。

 消えていった知り合いや去って行った友人も多いが、友だちなどそんなに無闇やたらにいればいいというものではないだろう。僕には今いる人たちで十分だ。

 面白い思いもしてきたしビックリするようなことも経験した。僕なりにイイ思いもした。カネでは買えないすごい目にも遭ってきた。

 何より心底自分の理想の美女と思える女を口説き落とすことができたし、それで付き合うこともできた。その女に自分を惚れさせることもできた。そんな思いはそうなかなか出来ないだろうというくらい、素晴らしい経験をたくさんできた。

 そういう意味でも、僕はすごくツイていたと思う。やりたいことはすべてやった。だから、改めて「棺桶リスト」に何を書こうと思っても、今は何も頭に浮かんで来ない。…これは本当にホントのことだ。

 実は、僕はもういつ死んでも悔いはない。

 細かく言うと、実はまだ作りたい本の企画がひとつあって、それを何とか実現させたいとは思っている。だが、それを除けばほとんど思い残すことなどない。僕の人生は楽しかったし、とっても幸せだった。改めて振り返ってみてそう思う。

 そう思える自分は幸せ者なんだと、この映画を見て改めて実感した。本当に幸せ者だよね。

 

 

 

 

 

 

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