「ノーカントリー」

  No Country for Old Men

 (2008/04/14)


  

見る前の予想

 ついにコーエン兄弟オスカー受賞! こうなってみれば当然のような気もしてしまうのだが、それはあくまでここ最近の彼らを考えてのこと。思えば彼らのデビュー作「ブラッドシンプル」(1984)をたまたま何の事前情報もなしに見てから、はや20年余。まさかこれほどの存在になろうとは、誰も思っていなかったのではないか。

 どう考えてもハリウッド保守本流ではあり得ないコーエン兄弟ではあるが、なぜか彼らは常にマイナーな存在でもなく、そこそこ目立つポジションを手に入れていた。スターもこぞって彼らの映画に出たがった。まるで彼らの映画に出ることが、ひとつのステータスのようになっていたのだ。

 こうして本来はハリウッドのメインストリームになり得ないはずのコーエン兄弟が、いつの間にかハリウッドで確固たる地位を手に入れていたというわけだ。それはおそらく、彼らのミューズでもあるフランセス・マクドーマンドがオスカー主演女優賞を手に入れた「ファーゴ」(1996)あたりからだろうか。

 それにしたって…オスカー作品賞受賞まで上り詰めるとは、正直言って思っていなかったというのが本音。こうなると、ともかく今回の作品は「期待作」であり「早く見たい」と来るのが映画ファンとして当然…ということになる。

 確かに…そうなるところなのだろうが…実はそこらあたりは僕としては少々微妙なところがあって、「期待感」に胸躍らせていたとは言い難かった。このへんのところを説明すると長くなるのだが、ともかく「公開されたらすぐ見たい」…というほど強烈な期待感を持ってはいなかった。

 そんなこんなで結局は公開からかなり経ってから劇場に足を運んだこの作品、僕の偽らざる感想はいかに?

 

あらすじ

 その男がテキサスの荒野の道ばたで保安官に捕まったのは、ほんの不運な偶然だった。ただし、「不運」だったのは果たしてその男にとってか、あるいは保安官にとってか…。

 保安官が注目したのは、その男の持っていた「武器」。酸素ボンベと消音銃付きショットガンという組合せは、ここテキサスでも異彩を放っていた。ともかく保安官がこの男に手錠をかけて自分の事務所に連行すると、その男…アントン・シガー(ハビエル・バルデム)はいきなり保安官に襲いかかって、その首を手錠のチェーンで締め上げるではないか。オカッパ頭のシガーは凄まじい形相で怪力を発揮。たちまち保安官はその餌食になってしまう…。

 さて、それからしばらくして、そこから遠く離れた荒野。

 ライフルを持って狩りに出かけていたモス(ジョシュ・ブローリン)は、荒野のど真ん中に何台かのクルマが停まり、何人かの男たちが血だらけで倒れている現場に遭遇する。停まっているクルマのうちの一台には、荷台に麻薬が満載。どうやら何らかの「取り引き」が決裂したあげくの結果らしい。その場にたった一人生き残ったメキシコ男がいるにはいたが、もはや「水をくれ」とつぶやくのが精一杯で虫の息。モスは周囲に見張っている者がいないか見回してみたが、見張り役の男もとうに息の根が止まっていた。

 そして、その足下にはパンパンに現ナマが入っていたカバンがひとつ。

 モスは思わずそのカバンを持ってその場を離れ、妻のカーラ・ジーン(ケリー・マクドナルド)と共に暮らすトレーラーハウスに戻った。

 当然、妻のカーラはそのカバンに注目する。だが心配する妻がアレコレ尋ねても、「何も聞くな」の一点張りだ。

 そんなモスが、真夜中に「約束を果たす」ために水を持って例の現場に舞い戻ったのは、神の啓示か何か魔が差したのか。ともかく近くでクルマを降りて現場までたどり着いてみると、すでに男はこの世の人ではなかった。おまけに振り返ってみると、停めた自分のクルマの周りに何人かの男たちが立っているではないか。

 マズイ…と気づいた時にはもう遅い。

 案の定、男たちはクルマに乗ってモスを追い掛けてくる。必死に逃げるモスに、散弾銃をブッ放す追っ手。肩に弾丸をくらいながらも、モスは川に飛び込んで何とかその場を逃れた。

 しかし、すでに自分のクルマから身元は割れているはず。モスは妻カーラに電話して、いち早くそこから逃げるように指示した。

 一方、その現場に新たにやって来た男が3人。それは例の殺し屋シガーと彼を連れてきた麻薬の売人2人だ。しかしシガーは一連の事情と、札束が入ったカバンに発信器が付いていることを説明されるや、彼を連れてきた売人2人をためらいなく殺す。この男、とにかく行く先々で関わる人間という人間を、その酸素ボンベと消音銃という奇妙な取り合わせで殺しまくるという、まことに恐ろしい存在だった。

 さて、そんな夜が明けると、次にこの現場にやってきたのは地元の保安官トム・ベル(トミー・リー・ジョーンズ)と部下のウェンデル(ギャレット・ディラハント)。

 トム・ベル保安官はその場の状況から、たちまち事件の状況を喝破。不幸にも巻き込まれたモスに危険が迫っていると気づくや、その安否を気遣うのだが…。

 

コーエン兄弟作品への微妙な思い

 オスカー受賞のご威光を十二分に発揮。コーエン兄弟作品にして初めて「ヒット作」としてのロードショウを実現。そんなこんなで今回の作品は、巷の評判でも「コーエン兄弟の最高傑作!」との呼び声高い。

 しかしそういう評判を聞けば聞くほど、僕は複雑な気持ちになっていった。今までの例から考えて、コーエン兄弟作に対する僕と世間の評価は、なぜか大きく食い違ってきたからだ。

 「ブラッドシンプル」で初めて見て圧倒され、「赤ちゃん泥棒」(1987)でもワクワク。「ミラーズ・クロッシング」(1990)にも大いにシビレた僕が初めてコーエン兄弟作品に違和感を感じたのは、カンヌで賞を取った「バートン・フィンク」(1991)から。以来、僕はなぜか世評の高いコーエン兄弟作にはどうも食指がそそらず、「未来は今」(1994)などあまり一般的に誉められていない作品に愛着を感じている傾向があるのだ。その唯一の例外としてはバーバー(2001)だろうか。

 僕にとってのコーエン兄弟ベスト・スリーは、「バーバー」「ミラーズ・クロッシング」「未来は今」…なのだ。

 どうも僕はコーエン兄弟のことを、アメリカ映画の伝統を新しい感覚で再生産する職人肌のフィルムメーカーであり、娯楽映画の基本を新しい感覚で焼き直しているからこそ、そこに「作家性」が生まれている…と思っているフシがある。だから、最初から妙に「作家性」を発揮してアート・シアター向けにつくってるような高尚で敷居が高い作品には、あまり高い評価を与えたくない気がしてしまうのだ。

 はっきり言うと、そんなことはコーエン兄弟じゃなくても出来るだろうという気がしてしまう。

 それって「オレたちも作家なんだぞ」って言いたいみたいな恥ずかしさすら感じてしまう。これだけ見せる力があるんだから、映画マニアだけを喜ばせるようなつまらないことをするなよ…と言いたくなってしまうのだ。

 そんな中で「バーバー」だけが幸運にも僕に好ましく感じられたのは、映画の外見上の「作家性」みたいなものが、決して「付け焼き刃」に見えなかったからだろう。あるいは彼らの作品にして、初めて「押しつけがましさ」がなかったからかもしれない。

 コーエン兄弟の映画は、良くも悪くも「トゥマッチ」な映画。どこか常軌を逸した過剰さがあって、そこが新しさやユニークさでもあった。それが前述の「作家性」の発揮に向けられると、「オレたちだって高級なことを考えているんだ、立派なことが言いたいんだ、どうだ見たか!」みたいな過剰さに感じられる。それって大した演技力もない女優が「芸術的必然性があれば脱ぎます」って言ってるみたいで、何となく貧しさを感じてしまうのだ。

 そんな高級な思想を言いたがる映画作家などは掃いて捨てるほどいる。コーエン兄弟ほどの作家が、何もそんな貧乏臭いことをしなくてもいいではないか。ひたすら映画的「うまさ」を追求するののどこが悪い。映像テクニックそのものが「思想」でいいじゃないかと言いたくなる。だからあの評判高い「ファーゴ」ですら、良い作品だとは思いながら、僕の中では今ひとつ高い評価にならない。

 さて、そんな僕の前にやってきたのが、オスカー作品賞受賞の「ノーカントリー」。しかも世評をチラ見する限りでは、そこに妙にウンチクやメッセージらしきものが込められているようなのだ。こりゃマズイ。

 おまけに、すでに見た人たちによる「ノーカントリー」の評判は、どこもかしこも「傑作!」の大合唱ばかり。そんな絶賛の嵐を聞けば聞くほど、今までの経験から考えて、僕にはこの映画が好きになれそうもない気がしてくるわけだ。

 そんなわけで僕は、どうも今回の作品に悪い予感のほうばかりを感じてしまった。だから最初から大した期待はしなかったのだ。

 

見た後での感想

 では、期待薄のまま実際に見た「ノーカントリー」は果たしてどうだったのか?

 結論から言うと、今回の作品に対して僕は悪い感情を持っていない

 面白いところもあるし、そこそこユニークだ。なかなか悪くない。 何より、そのスタイルにコーエン兄弟らしさがある。

 ただし、作品として無条件に好きかと言えば、これまたちょっと違う。僕の歴代コーエン兄弟作品ベスト・スリーに食い込んでくるかと言えば、これは少々難しいのが本当のところだ。僕の中でのコーエン兄弟作品における位置づけとしては、「ファーゴ」とイイ勝負というところだろうか。

 むろん、これには異論も多いかと思う。そもそも「ファーゴ」自体、世間ではメチャクチャ素晴らしい作品だと語る人の方が多いだろうから、僕の評価とは微妙に異なる。僕にとって「ファーゴ」とは、イイ映画だとは思うしキライじゃないが、格別好きだとも思わない作品というのが正しい表現だろう。

 だから今回の「ノーカントリー」も、正直言って僕にとってはそんなポジショニングの作品だ。悪くはないしホメる人も多いんだろうが、僕はそれほど好きじゃない…という作品なのだ。

 いや、むしろもっともらしい哲学みたいなモノが出てくるぶんだけ、僕にとっては楽しめないコーエン兄弟作品になる可能性はあった。だから、そんなアレコレを考えてみれば…この映画をそれなりに気に入っていると言えるかもしれない。あくまで条件つきではあるが、結構面白く見たのは事実なのだ

 そうなった理由については、いくつか思い当たるフシもある。まずは、過去の経験から元々期待値がかなり低かったこと。かなりダメだろうと思っていたわけだから、見たら「意外と悪くないじゃない」となったわけだ。

 そしてもうひとつは、「バーバー」以降の作品の中では最も押しつけがましくない作品であることだろうか。コーエン兄弟作品としては、「ある一点」を除いて描写はどれも抑え気味だ。だから鼻につかずに済んだのかもしれない。これがもっともらしい「テーマ」などチラつかせず面白く見せる話術や映像テクニックに走った結果「トゥマッチ」になったのなら、僕もウンザリするどころか大歓迎なのだが…。こういうシリアスな「テーマ」を前面に押し出して来たような作品の場合は、あの「トゥマッチ」さがアダになる。今回はそのへんが抑えて枯れていたので、かなり好感度が増したように感じる。

 そして、先に僕は“「ある一点」を除いて描写はどれも抑え気味”…と書いたが、その「ある一点」の設定が何とも秀逸だったことも大きい。

 その「ある一点」こそ、スペインのハビエル・バルデムが演じた殺し屋アントン・シガーだ。

 元々が「濃い」系の顔のハビエル・バルデムだが、そんな彼がまるで…かつてテレビの「おもろい夫婦」で司会を務めていた関西夫婦漫才コンビ「唄子・啓介」の「エロガッパ」(笑)こと鳳啓助みたいなヘアスタイルで登場。冒頭で彼が手錠で保安官を絞め殺すくだりの、異様極まりない容貌には圧倒されない人はいないだろう。あれはオスカー受賞…とか、そういったレベルのものではないような気がする(笑)。

 しかも、素手であの迫力のところに、持っている武器がまたスゴイ。酸素ボンベの圧搾空気を使って、何でも吹っ飛ばしてしまうというユニークさだ。いつもの拳銃のけたたましさではなく、ボンッ…というニブい音とともに人が死ぬ。何となくジョン・カーペンター初期の傑作要塞警察/ウォリアーズ夜の市街戦(1976)での、消音銃による攻撃以来の薄気味悪さだろうか。確かにこれは他に例を見ない殺し屋像で、一度見たら忘れることができない。

 対照的にこの映画では、他の要素については先に述べた通りに抑えられるだけ抑えている。まずは事の発端である麻薬取引での派手ないさこざも、すべてが済んでしまって静まりかえった現場だけが登場する。トム・ベル保安官の描き方など枯れまくっていて、トミー・リー・ジョーンズという男臭いスターが演じているにも関わらず、彼のアクションの見せ場など皆無だ。実質上の主役となっているモス(ジョシュ・ブローリン)に至っては、何だか分からないうちに殺されてしまっている。その妻カーラ・ジーン(ケリー・マクドナルド)の殺害も暗示されるだけで、画面には一切描かれない。全体として静かで抑えられていて、淡々とした描写に終始しているのだ。

 そんな枯れた作品世界の中に、唯一、鳳啓介ヘアの殺し屋アントン・シガーだけが突出して「濃い」迫力を発散させている。ここだけが「一点豪華主義」みたいに「トゥマッチ」だ。そこが今回の作品のミソだろうか。淡々とした世界の中で、シガーだけが超然として異物感を醸し出している。それはまるで、地球外生物のようなミスマッチぶりだ。

 面白いのは、このシガーが実に気まぐれとしか言えない形で、人の「生き死に」の取捨選択をしているあたり。コインの裏表だけで命拾いした男がいると思えば、単に親切心で通りかかっただけで殺される者もいる。軽い気持ちでしょっびいたばっかりに殺される若い保安官がいると思えば、トミー・リー・ジョーンズのトム・ベル保安官は同じモーテルの一室にいながら殺害されずに済んだ。それが、「なぜ殺され」「なぜ殺されなかったか」…には、何ら基準やルールがあるようには見られない。殺される方としては、ただひたすら理不尽で不条理な状況でしかない。それはどこか、人生の不条理感にも似ている。

 こうなると、あまりに超然としたシガーを「神」とか「死神」のメタファーと考えたい誘惑にかられる。あのあまりに濃すぎの個性や鳳啓介ヘアがインパクト絶大なだけに、「人にあらざるもの」と考えたくもなるが、さすがにそれは考えすぎだろう。だがこの映画が、「思ったようにいかない」「ままならない」人生の例え話のように感じられるのは、おそらく偶然ではあるまい。

 それはシガーに理不尽に殺されたり殺されなかったり…といったことばかりではない。モスもあの麻薬取引全滅現場に出くわさなければ、ヤバイ金に手を付けることはなかっただろう。その後、よせばいいのに死にかけた男に水をやろうとノコノコ出かけたのも、理屈では説明できないことだ。あんなことになるとは思っていなかった、まさに「思ったようにいかない」人生そのものではないか。

 モスの妻カーラにしても、まさか自分の母親の不用意なグチがモスの死の引き金になるとは思いもしなかっただろう。そのモスをクソミソにケナしていた母親にしても、まさか自分がその後すぐにあの世行きになると思ってはいまい。だからと言って、そこに「因果応報」の法則は当てはまらない。別に何かの報いで誰かの生き死にが決まるわけではない。すべてはまったく何の理由もルールもなしに襲いかかってくる。本人にとっては、あくまで「思ったようにいかない」人生でしかない。

 大体が麻薬取引でのドンパチ自体、何がどうして起きたのか、誰が悪くて何が原因かは知らないが、結局は勝者ゼロで全滅してしまうとは居合わせた全員が考えてもいなかった結末だろう。これぞ「思ったようにいかない」人生とは言えまいか。

 大体が、無敵で超然的存在として登場する殺し屋シガーにしたって、一回はモスの放ったショットガンの銃弾に傷つき、もう一回は突然飛び出してきたクルマに直撃されて複雑骨折の大ケガ。特に後者の自動車事故に至っては、いきなり襲いかかって来た予測不能の突発事だ。自分が他人に対して与えてきた死と同様、本人にとっては理不尽で不条理でしかない。この映画の中で一番痛い思いをしていそうなのがこのシガーというのも皮肉で笑えるが、逆にまるで人の人生を支配しているかのように厚かましく死を振りまくこの男でさえも、やっぱり人生は「思ったようにいかない」という点が重要ではないか。

 もちろんご存知の通り、我々実際の人間にとっても、人生は「思ったようにいかない」。それはある程度この世の中を生きてきた人なら、誰しも実感として持っている感覚ではないだろうか。

 そして「思ったようにいかない」人生とは、あの「バーバー」のテーマでもある。だから今回の「ノーカントリー」にも、コーエン兄弟の人生実感が色濃く反映していると考えるべきなのだろう。その点においては、僕はこの作品を「気に入っている」と言えるかもしれない。

 

見た後の付け足し

 実は映画は事件が一件落着して、それからが意外に長い。

 キャストの中では最も知名度の高いベテラン、トミー・リー・ジョーンズ扮するトム・ベル保安官は、ここまでは不思議なほど影が薄い。何でこのスターをこんな役に…と思いかけた頃になって、ようやくトム・ベル保安官は物語の中心に浮上してくるのだ。

 まずは、今はリタイアした元保安官の叔父(バリー・コービン)に会いに行ってアレコレ話をし、その後、自分もリタイアした後で妻(テス・ハーパー)と夢の話をして唐突に映画は終わる。

 ここで白状すると…恥ずかしながらこの僕は、何十年と映画を見てきて感想文なども書いてきていながら、このエンディングのくだりが今ひとつよく分かっていない

 むろんこの映画の高い評価には、このエンディングで語られている言葉の意味合いや映画のテーマが大きく貢献しているに違いない。そして他の人々には、この会話の意味がちゃんと分かっているのかも知れない。しかしこの僕にとっては、あの幕切れの会話の内容はどうにも話の焦点が合いにくい、よく分からない話でしかなかった。もっとハッキリ言うと、登場人物は何やらゴチャゴチャ言ってるけれど、何言ってるのかサッパリ意味が分からなかった(笑)。分からないものは分からないのだから、そこで見栄を張ったところで仕方がない。僕がこの映画をストレートに評価できない理由は、実はこのくだりのスッキリしない内容による。

 だが、そのひとつ手前…トム・ベルがリタイアした元保安官の叔父に会いに行った際に、この叔父が語った言葉だけは、ストレートに心に届いた。

 「人間というものは、奪われたものを取り戻そうとして、さらに失ってしまうものだ」

 これは、間違いなく真実だ。

 今になって思い起こすと、僕はまさに奪われたものを取り戻そうとして、ますます失うような人生を送ってきた。自分の受けた屈辱のぶんだけ、手に入れ損なった敬意のぶんだけ、何とか尊敬や賞賛を得たい…と、子供の頃から悪あがきを続けてきた。ナメられたくないと必死にもなったし、ホメられたい認められたいと背伸びもした。それが単なる虚栄だったり見た目だけの成功だったり、ウツワに見合ってない評価だとは気づかなかった。自分が恥をかかされた、ナメられた、裏切られて笑い者にされた、あるいはもう一歩でその成功を取り逃したと気づいた時は、自分の立場もわきまえず後先考えずにキレまくって、自分を含めた周囲をメチャクチャにした。

 あるいは失われつつある愛を何とか取り返したいと、水の泡になるばかりの無駄な努力を費やした。

 それはどこか、下手な博打打ちの賭けっぷりにも似ていた。最初に勝った時のオイシイ思いが忘れられず、あるいは元々持っていた手持ちの金額への未練を捨てきれず、負けたぶんだけ…いやいや、負けたぶん以上取り返して見返そうとするから、さらに深みにハマって大損する。そして大損するから、さらにそれを見返そうとしてもっと大きな火傷をする。

 結局は、人生はじっと黙って我慢するしかない

 そんなことを改めて思い起こさせてくれただけでも、この映画は僕にとって価値があったかもしれないのだ。 

 

 

 

 

 

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