「ライラの冒険/黄金の羅針盤」

  The Golden Compass

 (2008/03/10)


  

見る前の予想

 最近、ファンタジー映画と言えばケチをつけている気がする。

  ロード・オブ・ザ・リング」三部作(2001〜2003)やら賢者の石(2001)に始まる「ハリー・ポッター」シリーズやらナルニア国物語/第1章 ライオンと魔女(2005)やら…まぁ、そのへんまでは何だかんだ言って嬉しかった。それぞれ原作が好きだったり、ジャンルそのものもキライじゃなかったから、ブツブツ言いながらでも悪い気はしなかった。

 ところが、ここまで年がら年中このジャンルの映画が氾濫しちゃうと…。

 大好きだった韓国映画が大流行したのはいいとして、いつの間にかイケメン俳優と大ドンデン返しばかりの映画になっちゃった時のあの失望感が甦る。本来ワクワクドキドキしながら見ていた…そしてかつては特撮技術が題材についていけなくて、いかんせんチープな作りだったのでどこか見ていて後ろめたかった…あの懐かしいファンタジー映画というジャンルが、これだけお金もかけて次々とリッパに作られてみると、どれもこれも同じような印象で飽き飽き…ってのはどういうことなのだろう。

 僕が確実にその手の失望をおぼえた最初の作品は、おそらくエラゴン/遺志を継ぐ者(2006)ということになろうか。その後も映画館で次々とその手の作品の予告編を見る機会があり、そのたびに“「ナルニア国物語」あるいは「ロード・オブ・ザ・リング」のスタッフが贈るファンタジー巨編”…なるキャッチフレーズが画面に踊るのを見せつけられると、いいかげん「またかよ」と溜め息をつかずにはいられない。もうそろそろ「剣」や「魔法」や「選ばれし者である子供」が出てこない映画が見たい。アウトローの刑事や離婚した女房に未練タラタラの私立探偵やアル中の弁護士が出てくる映画はどこに行ったんだ。

 そんな最中に劇場にかかり始めたのが、この「ライラの冒険/黄金の羅針盤」の予告編。ニコール・キッドマンやニュー007のダニエル・クレイグが出演しているのはちょっと気になったが、何しろ主人公がライラ…って、またガキなのか。おまけにこの子役の名前がダコタ・ブルー・リチャーズとくる(笑)。小賢しいガキの「ダコタ」は一人で十分…っていうか、また周囲の大人たちがこのガキをチヤホヤして増長させるお話なのかとウンザリ。

 おまけに予告編のラストにはナレーションが一言…「始まる!」。「始まる」って、またこれも何部作ものシリーズなわけ? カンベンしてくれよ。

 てなわけで、僕はこの映画にほとんど期待はしていなかった

 そうは言っても、やっぱりそれなりの話題作ではある。それに前述のキッドマン、クレイグに加えてサム・エリオットエヴァ・グリーンと、何となく面白そうなキャスティングも気になった。そうなると、本来はキライじゃないジャンルの作品だ。何だかんだ言って、いそいそと初日に出かけていった次第。

 

あらすじ

 この世には、共通するものを持っていながらどこか異なっている「パラレル・ワールド」がいくつも存在している。今回のこの物語も、そんな「パラレル・ワールド」でのお話。そこは我々の世界と似通ってはいるが、微妙に異なる部分もある。例えば我々の世界では、魂は我々の身体の中にある。しかしこの物語の世界では、魂は動物の姿をしてその主と共にいる。それらはみな「ダイモン」と呼ばれているのだ。

 さて、今回のお話の主人公は、この世界に於けるイギリスはオックスフォードに住むライラという12歳の少女(ダコタ・ブルー・リチャーズ)。幼い頃に両親を亡くした彼女だが、今はオックスフォード大学のジョーダン学寮で育てられている。近所に住むジプシャン族の子供たちと毎日元気に遊ぶ日々だ。特に親しいのがおチビの男の子ロジャー(ベン・ウォーカー)。今日も今日とて小さい彼をかばってタンカを切る。そうそう、このライラは小娘のくせに平気でウソをつける図々しさを身につけているから頼もしい。

 そんな彼女はある日、行き掛かり上、学寮長の部屋に忍び込まなくてはならなくなった。ライラのダイモンであるパンタライモン(フレディ・ハイモア)は「やめようやめよう、見つかったらマズイよ」とビビりまくるが、そんな声にひるむライラではない。すると、そこに学寮長(ジャック・シェパード)が何者かと共に現れるではないか。慌てたライラ(とダイモンのパンタライオン)は、部屋にあるタンスにひとまず隠れた。

 学寮長と話している人物は、その服からしていかにも「教権」側の人物。ちなみに「教権」とは、この世界を実質支配している宗教機関だ。この「教権」から派遣されてきたパベル(サイモン・マクバーニー)は、学寮長に「教権」の意向を伝えにやって来たようなのだ。

 それというのも…これからこの部屋に、科学者にして探検家のアスリエル卿(ダニエル・クレイグ)がやって来ることに関係があるようだ。ライラの叔父でもあるアスリエル卿は、つい最近やっと北方からの探険から戻ったばかり。どうやら「教権」が問題視しているのは、アスリエル卿の北方での発見に関係があるようだ。

 ところが学寮長が目を離した隙に、パベルが部屋に置いてあるワインの中に何やら薬品を入れるではないか。タンスの中から様子を伺っていたライラは、偶然目にした光景に思わず息を呑む。

 やがて部屋に通されたアスリエル卿は、ここで一人待たされることになる。待っている間にワインに手を伸ばしたアスリエル卿に…。

 タンスから飛び出してきたライラがいきなり体当たりだ。「飲んじゃダメ!」

 そのはずみで、ワインのグラスは床に落ちて砕け散る。いきなりのライラの登場に驚くアスリエル卿だが、ライラの説明を聞くや状況を理解したか、思わずニヤリと不敵な笑みを浮かべた。「さぁ、またそこに隠れているんだ」

 やがて学寮長が、パベルや他の教授たちを伴って再び部屋に登場。パベルはアスリエル卿が無事なのが不思議な様子だったが、ともかくその日の会合が始まった。それはアスリエル卿の北方探険の報告会であり、さらなる探険の資金援助を大学側に頼むための会合だった。

 アスリエル卿が北方で発見したのは、「ダスト」という粒子の存在だ。

 それらは人々の魂に関わるものであり、無数にある「パラレル・ワールド」をつなぐ物質でもある。彼はその存在を確認したというのだ。

 しかしこの「ダスト」の存在は、「教権」側にとって容認しがたいものだった。パベルは「教権」を代表して、この研究の続行に意義を唱える。しかし大学側は純粋な研究目的に賛同して、アスリエル卿に資金提供を申し出るのだった。

 こうして会合は成功。むろんアスリエル卿も機嫌が悪いはずもない。ライラも北方の国に大いに心惹かれた。しかしライラが一言「ダスト」について話をしようとすると、「その言葉は言うな」と拒絶するアスリエル卿だった。

 その頃、街では子供の連続誘拐事件が続発し、騒然としていた。誰とはなしに言い始めたウワサによれば、子供たちを連れていくのは「ゴブラー」と称する誘拐団だという。さらわれた子供たちは北方に連れて行かれ、恐ろしい実験をされているということだが…。

 そんなある日、学寮に一人の堂々たる美女が現れる。それは社交界で知られる貴婦人コールター夫人(ニコール・キッドマン)だ。コールター夫人はなぜかライラに目を付け、彼女を引き取りたいと申し出る。それに対して大いに渋る学寮長ではあるが、コールター夫人はニコヤカに振る舞いながらも有無を言わせない。そんなコールター夫人の毅然とした態度にも惹かれたし、何より「北方に連れて行ってあげる」という願ってもない申し出をされたこともあって、ライラは有頂天になってコールター夫人に付いていくことを決めた。

 その頃、夜中にライラに会いにこっそり学寮に忍び込むロジャーと友達のビリー(チャーリー・ロウ)。しかし二人の前に、突然何者かが立ちはだかる…。

 そんな事とはツユ知らぬライラは、学寮長からこっそり「あるモノ」を手渡される。それはずっしりとした手応えの、黄金の羅針盤だ。そして意味ありげに語りかける学寮長。

 「これは真実を示す羅針盤だ。決して他人に渡してはいけないよ」

 こうして豪華な飛行船に乗って、コールター夫人と共に学寮を去るライラ。向かったのは巨大な都ロンドンだ。

 社交界の名士コールター夫人との大都会ロンドンでの生活は、常に華やかなものだった。そんな毎日に、ついついライラは彼女本来の「らしさ」を失いかける。だがついにある日、ライラはパンタライモンの言葉に目を覚まさざるを得なくなる。「こんな毎日なんて…あの女はキミを北方になんか連れて行く気はないよ

 そしてそれは、偶然にもすぐに証明されることになる。他愛のない会話の中でライラがついつい「ダスト」という言葉を発したとたん、それまでのコールター夫人の優しく気品のある態度が、一気に硬化するのを目の当たりにしたのだ。しかもライラを黙らせるために、手荒なマネまでするコールター夫人。

 これはどうもただ事ではない。夜中にコールター夫人の部屋に忍び込んだライラは、そこに誘拐された子供たちのリストを見つけてしまう。そこにはロジャーたちの名前も載っているではないか。何とコールター夫人こそ「ゴブラー」のリーダーだったのだ。

 まさに「正体見たり」

 おまけに「黄金の羅針盤」をよこせ…と迫って来るに至っては、もはや一刻の猶予もならない。間一髪でコールター夫人の手をすり抜け、夜のロンドンの街へと逃げ出すライラだった。

 しかし敵もさるもの。どこからともなく現れた追っ手が、ライラをどんどん追いつめる。そしてついに敵の手の内に落ちた…と思いきや、次の瞬間には追っ手の者たちは叩きのめされ、ライラは辛くも救い出された

 何と顔見知りだったビリーの母親マ・コスタ(クレア・ヒギンズ)らジプシャン族の人々が、ライラを助け出してくれたのだ。

 実は彼らジプシャン族の人たちは、ライラがコールター夫人に引き取られてから、ずっと様子を伺っていたのだという。ジプシャン族の頭領ファー(ジム・カーター)や物知りのコーラム(トム・コートネイ)らの話を聞いているうち、ライラは自分が重大な運命を背負っていることに気づく。そして学寮長が彼女に託した羅針盤こそ、「ダスト」や「パラレル・ワールド」のナゾに深く関わる品物だった。それゆえ、残りの羅針盤はすべて「教権」によって破壊され、残されたのはこのひとつだけとなっていた。それはまさに学寮長の言葉通り、「真実を示す羅針盤」だったのだ。

 こうしてライラはジプシャン族の力を借りて、彼らの飛行船に乗って北方の地をめざす。そこには彼女に手を貸すことになる空飛ぶ魔女セラフィナ(エヴァ・グリーン)や老カウボーイで気球乗りのリー・スコーズビー(サム・エリオット)、さらによろいグマの王者イオレク・バーニソン(イアン・マッケラン)…そして子供たちを「矯正」する施設「ボルバンガー」が待ち構えていた…。

 

見た後での感想

 見終わって、ハッキリ言って驚いた。意外にも面白いのだ。またしてもバカのひとつ覚えみたいな魔法の世界を見せられると思っていたら、これは微妙に違うのである。

 それぞれ似通っていながらも異なる「パラレル・ワールド」がたくさん存在している…という前提のお話。確かに言葉をしゃべるシロクマなどが出てくるとまたぞろ「ファンタジーかよ」…と言われても仕方なくなってしまうが、基本的にはこの物語は「SF」であると言ってしまってもいい設定だ。アスリエル卿の北方探険の話やコールター夫人の自家用飛行船などが出てくると、だんだんこの物語の意図が分かってきて、僕はニヤニヤし始めてしまった。

 別に「ファンタジー」でも「SF」でもどっちでもいいし、これが「SF」であると強弁する気もない。厳密に言えば、やっぱり違うだろう。それでも僕は、この物語の凡百のファンタジーとは異なるテイストが気に入った。先日見た光の六つのしるし(2007)が原作ファンからはえらく評判悪かったものの、僕にとっては大いに楽しめる作品になっていたように、この「黄金の羅針盤」も普通の映画ファンが楽しめる映画になっているのだ。

 それは「光の六つのしるし」がファンタジー仕様から逸脱してB級ホラー・テイストを充満させてくれたおかげで、いいかげんファンタジーに食傷気味だった僕にとって鮮度の高い作品に感じられたのとどこか似ている。こちら「黄金の羅針盤」がどれほど原作に忠実かは知らないし知るつもりもないが、少なくともいいかげん胸焼けしそうな「ファンタジー性」のありきたりさからは、その設定からしてハッキリ脱しているのだ。

 では、どんな映画なのか?

 一言で言ってしまえば、この「黄金の羅針盤」は…SFはSFでも未来SF。それもアンチ・ユートピアを扱った未来SFに似ている。というか、ほとんどそれに近い。その一番有名な代表的作品を挙げれば、もちろんジョージ・オーウェルの「1984年」が筆頭だろう。近年の映画作品でいえば「ガン・カタ」でおなじみリベリオン(2002)やアナーキーなVフォー・ヴェンデッタ(2005)、あるいはリアルな戦闘場面で圧倒したトゥモロー・ワールド(2006)…あたりが彷彿としてくる内容なのだ。

 そもそもお話の原動力が、「教権」なる宗教組織が世界を支配している…という独裁体制にあるところからして、この物語はいわゆる「ファンタジー」とは一線を画している。確かに「ファンタジー」に出てくる悪の部族だの魔法使いだのの圧政も「独裁主義」や「全体主義」のメタファーである場合が多いが、「ライラ」ではそれがストレートにナマのまま描かれているあたりが異質なのだ。

 そして、それはまるでキリスト教国の覇権主義…についての批判のように見える。原作ではどうなっているのか知らないが、少なくとも映画「ライラの冒険/黄金の羅針盤」を見る限りにおいては、明らかに「教権」が差しているものはキリスト教体制そのものだ。制作者側は「そんなつもりはない」とシラを切るつもりだろうが、何をどう見たってそう見える。

 …となると、イヤでも湾岸戦争やらイラク戦争における西側諸国を思い起こされるではないか。そんなアクチュアルな政治の臭いが、チラリとでもするあたりが他の「ファンタジー」とは一線を画している。

 ついでに言えば、主人公がラストで「管理側」のコンピュータや機械システムをメチャクチャに破壊してみんなを解放するのは、この種のアンチ・ユートピア未来SFのお約束。その点、「ライラ」もこの定石をキッチリ守ってマシンを破壊しているあたりが嬉しくなった(笑)。

 だから「Vフォー・ヴェンデッタ」のエンディングで流れたのと同じく、この「黄金の羅針盤」のエンディングでストーンズの「ストリート・ファイティング・メン」が流れても、実は何ら違和感がない(笑)。この作品は、まさにそんな映画なのである。

 そしてもう一つ挙げたいのが、その展開の早さと「説明のなさ」

 これはあくまで諸刃の剣だと思うのだが、この映画のストーリー展開は驚異的に早い。アッという間に主人公ライラはそれまで暮らしていた学寮から旅立つし、すぐにコールター夫人のもとからも逃げ出す。おそらく原作の情報量はかなり膨大なのだろうが、それを映画の上映時間に収めるために、無理を承知で突っ込んでいる感じだ。このあたり原作ファンからも映画ファンからも、批判の対象になる恐れは多分にある。

 だが映画版「ハリー・ポッター」シリーズが、明らかに子供向けなのにも関わらず、なかなかダラダラと3時間近くの上映時間を切れずにいる状況を考えると、この「黄金の羅針盤」が2時間を切っているという点はむしろ作り手として良心的だと思わされる。

 しかもその展開の早さは、必ずしも作品のキズになっていない

 あれだけ「パラレル・ワールド」としての「お約束」がいっぱいあるにも関わらず…つまり、「現実の現代社会」を描いた作品などより観客に説明しておかねばならないことがたくさんあるにも関わらず…この作品の作者たちはそれらを説明することに全精力を注ぎ込んだりしない。ある部分では、驚くほど説明を割愛してしまっている。「それはそういうものだ」「これはこう決まっている」と映画の中にナマのまま放り込んで、クドクドと説明しようとはしていない。これは「別世界」を描くにあたって、ある意味で賢明な態度だったと言えるかも知れない。これをクドクドやられたら、それだけで興ざめになった可能性は大だからだ。

 それでいて、映画としてはあまり「舌足らず」な印象がないから不思議だ。このあたり、同様に「お約束」だらけで上映時間は2時間半を超えるパイレーツ・オブ・カリビアン/ワールド・エンド(2007)の「舌足らず」ぶりを考えると、「黄金の羅針盤」のスコ〜ンと抜けたような説明のなさと、それにも関わらず作品が獲得している物語のクリアさが際だって見えてくる。

 実はその「説明のなさ」は主人公の設定にまで及んでいて、後半で主人公の出生の秘密らしきものに触れたあたりで、観客である我々は改めて…「あっ、この子ってそういえば親なし子だったんだ」と気づくアリサマ。そういう意味では、作り手は決して「親切な語り手」とはなっていない。そのへんは痛しかゆしの部分がないわけではないだろう。

 だがそのおかげで…これは最大のこの作品の美点なのだが…僕らは「選ばれし者」である主人公の「お子さま」が、やたら周囲にチヤホヤされたあげく本人も増長する瞬間を見ずに済む

 大抵の「ファンタジー」ものが子供や青年を主人公にして、彼らを「選ばれし者」として特別扱いしているのを見るにつけ、僕などはどうも納得できないものを感じてしまう。例えば「ナルニア国物語」ではそのあたりを回避する手段として「選ばれし者」である子供たちの中に愚か者や裏切り者を設定して、その成長物語に仕立てているわけだが…凡百の「ファンタジー」作品では、おそらくそのあたりがネックになってくることになる。「ハリー・ポッター」シリーズの初めの頃なども、そこが引っかかる点だった。

 実はこの「ライラ」でも主人公は「選ばれし者」であり子供だ。おまけに周囲の大人たちは彼女に対する助力を惜しまない。この子が天性のウソつき…というのは「可愛いイイ子」ではないという意味でプラスではあるが、そのウソで悪漢を手玉に取ったりする場面も出てくるから、本人が増長する可能性は十分だ。いや、実はかなり危ないセンまでいっている

 だがお話があまりに急ピッチで進むため、主人公がふんぞり返っているヒマがない(笑)。周囲が「あの子はスゴイ」だの「エライ」だのとチヤホヤする機会も1回ぐらいしかない。だからかろうじて歯の浮くような話にならずに済んでいるのだ。

 そして、この映画の個性的でクセのあるキャスティングにも注目だ。超大物ニコール・キッドマンはともかく、特に007/カジノ・ロワイヤル(2006)で人間味溢れるジェームズ・ボンドを演じたばかりのダニエル・クレイグ、そして西部劇から連れてきたようなサム・エリオットは、この映画を「ありきたりなファンタジー」から救い出すのに大いに貢献しているように思える。個人的にはサム・エリオットの西部臭はかなり気に入った。

 そんなこんなで、アバウト・ア・ボーイ(2002)を撮ったクリス・ワイツが何でこの作品を手がけることになったのかは知らないが、この一作を見る限りでは作り手のセンスを感じさせる出来栄えとなった。正直言って2作目が楽しみになるとは、見る前は予想だにしていなかったよ。

 

見た後の付け足し

 そんなわけで、新星ダコタ・ブルー・リチャーズの評価については今回は保留にしたい。今回だけではイイも悪いもないな。

 

 

 

 

 

 

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