「スウィーニー・トッド
  /フリート街の悪魔の理髪師」

  Sweeney Todd - The Demon Barber of Fleet Street

 (2008/02/11)


  

見る前の予想

 映画界には、昔からゴールデン・コンビと言われる監督・主演俳優コンビがいる。

 これは確か前にも書いたことだから繰り返しになってしまうが、この映画を語る上では避けて通れない。映画界には、洋の東西を問わず「ここぞ」という時に出す切り札的監督・主演コンビが数多くいるのだ。

 ジョン・フォードとジョン・ウェイン、イングマル・ベルイマンとマックス・フォン・シドー、フェデリコ・フェリーニとマルチェロ・マストロヤンニ、ジャン=リュック・ゴダールとジャン=ポール・ベルモンド、フランソワ・トリュフォーとジャン=ピエール・レオ、アンジェイ・ワイダとダニエル・オルブリフスキ、ペ・チャンホとアン・ソンギ、チャン・イーモウとコン・リー、黒澤明と三船敏郎、小津安二郎と笠智衆、溝口健二と田中絹代…挙げればきっとまだまだいるだろう。

 そんな中でも現役・現在進行形の監督=主演スターのチームで、出す作品出す作品すべてが興行的にも作品的にも成功している最高・最強のゴールデン・コンビといえば、ティム・バートンとジョニー・デップの2人にトドメを刺すのではないか。

 そんな2人の新作…現代ハリウッドの最終兵器とでもいうべき作品が、大してもったいつけずに登場したのは驚きだ。かつてのロンドンを舞台にした殺人鬼のダークな物語、しかもそれは虐げられた者の復讐の物語…と来れば、「ミュージカル」であるということ以外はいかにもティム・バートンらしい映画。ロンドンの殺人鬼映画と来れば、かつてフロム・ヘル(2001)で切り裂きジャックを扱った映画は経験済みのジョニー・デップ。ハマってると言えば、これほどハマってる企画もあるまい。

 ただし…実は僕としては、このコンビの作品を以前ほどストレートに期待できない「ある理由」があったのだが…。

 

あらすじ

 深い霧に包まれた、19世紀のロンドン。一隻の帆船が、外洋の旅から港へと戻って来る。

 その船の甲板に立つのは、若い船員のアンソニー(ジェイミー・キャンベル・バウアー)と何とも鬼気迫る容貌の不思議な男。その名も理髪師のスウィーニー・トッド(ジョニー・デップ)だ。

 「ロンドンみたいな街は他にどこにもない」

 アンソニーにとっては世界有数の巨大で華やかな街として素直に出た感想だったが、これが底冷えする表情のスウィーニー・トッドことミスター・Tにとっては、いささかニュアンスが違う。「こんなおぞましい穴のような場所は他にはない」

 無理もない。彼は心に深い怒りと悲しみを抱いて、この街に戻って来たのだ。

 その昔、ミスター・Tはフリート街で美しい妻(ローラ・ミシェル・ケリー)と共に理髪店を営んでいた。彼の本名はベンジャミン・バーカー。妻の腕には生まれたばかりの幼い娘が抱かれ、幸福な日々がいつまでも続くかに思われた。ところが好事魔多し。彼の妻に横恋慕した悪徳判事ターピン(アラン・リックマン)と、彼の片腕たる役人のバムフォード(ティモシー・スポール)によって無実の罪を着せられ、バーカーは監獄へと送られてしまう

 彼はその後脱獄を果たし、15年の時を経て「スウィーニー・トッド」として戻って来た。ついでに言えば、脱獄したミスター・Tを助けたのが例のアンソニーということになる。

 こうしてミスター・Tは懐かしのフリート街にやって来るが、そこも彼がかつて知っていた街ではない。暗く陰鬱な街角だ。

 そんな街の一角に、ミスター・Tがかつて住んでいたアパートがあった。大家のミセス・ラペット(ヘレナ・ボナム・カーター)も健在。彼女は汚い厨房で、ロンドンいちマズいと豪語するパイを焼いていた。当然売れる訳がない。思わず引っ張り込まれたミスター・Tも無理矢理食わされるが、段ボール入りなのか毒入りギョーザ並みにとても食えたモノではない。

 そんなこんなで、かつての名前を名乗らずに「昔住んでいた二階の部屋を見せてくれ」とミセス・ラペットに頼み込むミスター・T。そこはあの幸せな日々が封印された、もの悲しい部屋だった。ミセス・ラペットは、ミスター・Tにこの部屋に住んでいた一家の顛末を語り始める。

 亭主は無実の罪で島流し。絶望の淵に追いつめられた妻はターピン判事にダマされ、彼の屋敷で開かれたパーティーで無惨に犯されてしまう。これが引き金となって、妻は毒を口にした。一人遺された娘はターピン判事が引き取り、現在は屋敷の中に幽閉状態という。

 これほど惨いことがあろうか。

 ミスター・Tの表情が激しい憤りに歪むのを、ミセス・ラペットは見逃さなかった。それを見た彼女がミスター・Tがベンジャミン・パーカーであることを見破るのは、まさに時間の問題だったと言えよう。

 ならば、そのパーカーが舞い戻って来た理由も分かろうというもの。言うまでもない。妻と娘…そして陥れられた自分のための復讐だ! そんなミスター・Tの激情の迸りを見ながら、過去は忘れて今を生きようと持ちかけるミセス・ラペット。実はミセス・ラペットは、かつてパーカーに陰ながら想いを寄せていた女だった。そして、それは今でも…。

 しかし「復讐など忘れて一緒に生きよう」という彼女の言葉は、今のミスター・Tには届かない。復讐は成就されなければならない。ミセス・ラペットがキレイに保存してくれていた理髪師の道具を手にしながら、ミスター・Tはこみ上げる興奮を隠そうともしなかった。

 一方、上陸したところでミスター・Tと分かれた船員のアンソニーは、とある街角で窓辺に佇む悲しげな少女の顔を見る。まるで「かごの鳥」の運命を嘆く彼女は、偶然にも美しく成長したミスター・Tの娘ジョアンナ(ジェイン・ワイズナー)だった。そんなアンソニーの様子に気づいた彼女も、まんざらでもないようだ。

 しかしそんな二人の様子を、もう一人の人物が観察していた。それは屋敷の主人であるターピン判事だ。

 彼はアンソニーを親しげに屋敷に招いたが、いきなり「娘に手を出すな」と警告。その後はバムフォードがバトンタッチして、彼を無茶苦茶にブチのめした。

 だが、そんな仕打ちで若い者の気持ちが収まるはずがない。アンソニーは「いつか迎えに行くよ」と心の中でジョアンナに誓うのだった。

 さて、ミスター・Tとミセス・ラペットはというと、お揃いで市場へとお出かけ。むろん狙いがあってのこと。イタリア仕込みの本格理髪を売る伊達男ピレリ(サシャ・バロン・コーエン)にケンカを売り、その場にいたバムフォードを巻き込んでヒゲ剃り合戦をやらかす段取りだ。

 軍配は圧倒的にミスター・Tに上がった。これで怒り狂ったピレリに折檻されるハメになった助手の少年トビー(エド・サンダース)には気の毒だったものの、ミスター・Tの狙いはズバリ的中。フリート街に素晴らしい腕前の理髪師スウィーニー・トッドあり…と人々に知らせることが出来たし、何よりあのバムフォードにアピールすることが出来た。復讐は着々と進んでいるとご機嫌のミスター・Tだ。

 しかも、そんなミスター・Tをアンソニーが訪ねて来る。彼は今夜ジョアンナをターピン判事の屋敷から連れ出すというのだ。これはますます好都合。

 ところがそんなミスター・Tに珍客がやってくる。ヒゲ剃り合戦で敗れたピレリが、助手のトビーを連れてミスター・Tの「理髪店」を訪れたのだ。

 何とこのピレリ、ミスター・Tもパーカーだと気づいていた。それをタレ込まない代わりにカネをよこせ…と、ミスター・Tをゆすりにやってきたのだ。そこまで言われては…。

 この男、もはや生かしておくわけにいくものか! 

 

見た後での感想

 誰がどう考えても、映画界広しといえどもこの題材にこれ以上の適任者はいないだろう。

 ティム・バートンとジョニー・デップ。

 ティム・バートンと言えば「バットマン・リターンズ」(1992)でも、たっぷりと虐げられた者の悲しみを描き尽くした。異形の者たちの悲しみをグロテスクかつユーモラスに面白怖く表現するのは、「ナイトメアー・ビフォア・クリスマス」(1993)などでのバートン節炸裂という観がある。むろんそんな虐げられる者の悲しみは、ジョニー・デップとの名コンビ第1作「シザーハンズ」(1990)でも余すところなく描かれた。ゴシックなホラー風味はスリーピー・ホロウ(1999)あたりの作品にも充満している。

 そんな意味で言えば、この「スウィーニー・トッド」こそ、まさにティム・バートン=ジョニー・デップのコンビにふさわしい企画。どこを切ってもこの名コンビらしい題材ということが言えそうだ。

 むろん、そこには僕もまったく異存はない。しかもこの名コンビ、ジョニー・デップがパイレーツ・オブ・カリビアン/呪われた海賊たち(2003)でいよいよメジャーなスターへと脱皮するや、映画界にとってさらに黄金コンビとしての輝きを増してきた。久々のコンビ復活作チャーリーとチョコレート工場(2005)に至っては、まるでお正月の定番映画のような「安定感」まで感じるほどのメジャーぶりだ。まさかこんなクセのある二人が、ここまでメジャーな王道を突っ走ることになるとは、かつて僕は夢にも思わなかった。

 むろんこの「スウィーニー・トッド」も安定感バツグン。しかも元ネタは大ヒット・ミュージカルだから、まさに万全の布陣という感じだ。不安材料は、これがこのコンビにとって初めてのミュージカルという点だけだろうか。

 こういう絶対安心の「信頼のブランド」みたいな作品は、映画が始まった時から何となく漂う空気が違う気がする。血のしたたりをデザインした凝ったタイトル・バックはこのコンビ作らしい「いかにも」な感じだが、それを見るだけでも…もう見る側の「待ってました!」の声を待ちかまえているような、横綱の相撲みたいな貫禄があるのだ。さすがにここまでの安定感は、ダイ・ハード4.0(2007)だってないだろう。何だか東映時代劇黄金期の、片岡知恵蔵と市川右太衛門共演作みたいな直球ストレートな豪華さ。イマドキこんな貫禄を出せる人たちって、ハリウッドでも彼らだけなんじゃないだろうか。正直言ってこれには感心してしまった。

 そして実は、僕はこのコンビの「ミュージカルへの適性」なども全く疑っていなかった。だから不安材料は完璧に…かけらもないはずだった。…と言いたいところだが、実はそんな僕は今回の作品に、かなり心配していた部分もあるのだ。

 それはここ最近のティム・バートン作品が、かなり危なっかしかったから…。

 

「迷走」を続けた近年のティム・バートン作品

 これも今まで何度か繰り返してきたこととはいえ、やっぱり一応おさらいしなくては始まらない。

 それは、本来が「はぐれ者」「虐げられた者」、さらに「大人になりきれない者」の側の人間だったティム・バートンが、ハリウッドで大成功を重ね、名声と発言力を増し、事もあろうに父親になってしまったあたりから始まった。

 ティム・バートン作品がこれまで愛されて来た所以はいろいろあろうが、一つは先にも「バットマン・リターンズ」あたりを引き合いに出して挙げていたように、「はぐれ者」や「虐げられた者」の悲しみを描いたから。「エド・ウッド」(1994)に対して投げかけた共感のまなざしなども、いわばこれに当たる。ファンがバートンに抱いた共感も、まさにそこに重なるわけだ。もちろん僕もその例外ではない。

 そして、バートンのもう一つのポイント…それは「大人になりきれない」という点だ。ただし、これは例えばスピルバーグなどの「童心」とは微妙に異なる。スピルバーグのそれが日当たりのいいメイン・ストリームなら、バートンの「子供っぽさ」はあくまで日陰の…ちょっと後ろめたくてグロテスクなそれと言うべきか。「ナイトメアー・ビフォア・クリスマス」に漂う面白コワイ雰囲気というか、あの水木しげるのマンガにも共通するようなテイストは、まさにこの部分から来ているはずだ。

 ところがバートンは「バットマン」(1989)の大成功以来、ハリウッドのメインストリームをまっしぐら。本来は「マーズ・アタック」(1996)を見れば分かる通り裏街道を歩くべき人なのに、何を間違ったのか日の当たる場所ばかり行くようになってしまった。これはやっぱりこの人としてはマズイのではないだろうか。

 そしてもう一つ問題なのは、ヘレナ・ボナム・カーターとの結婚だ。

 いや、誰と結婚したからいい悪いなんて、僕なんかに言われたくはないだろう。僕も本来ならそんな事を言うつもりもない。だが、彼の場合は特異なキャラクターとテイストを売り物にする映画作家。それもかなり個人的な思いを作品に持ち込むタイプと見た。そんな人が…はぐれて虐げられてて大人になってないのが売り物だった映画作家が、有名で金持ちで発言力を持って、なおかつ幸福になって…父親にまでなったとしたらどうだろう。確かにティム・バートンはハリウッドの映画人であって、日本のジメジメした私小説作家などとは違うとは百も承知。それでも…少なくとも昨日までの毎度おなじみのタッチで映画をつくり続けていくのは、かなり無理があるんじゃないだろうか。

 案の定、それは早速作風に如実に現れた

 まずは問題のヘレナ・ボナム・カーターと知り合うきっかけとなった猿の惑星のリメイクならぬリ・イマジネーション作品(2001)。このあっけらかんとした明るさに、呆気にとられたファンは少なくないのではないか。そもそも「猿の惑星」なんて、この人の題材としては違和感アリアリだ。

 さらに次に撮ったビッグ・フィッシュ(2003)が、これまた複雑な気分にさせられるシロモノ。明らかにこの時点で父親になっていたバートンの本音が見える作品だ。それはいいんだけど、何となく消化不良を起こしたようにも見える。

 そんなわけでバートンの将来を大いに危ぶんだ僕だったが、その次の「チャーリーとチョコレート工場」(2005)にはハタと膝を打った。前述のごとく、この時にはジョニー・デップも「パイレーツ」を通過していたから、バートン=デップ・コンビ作は本格的に黄金カード化していた。そんな「黄金カード」の作品ならではの安定感と共に、この二人ならではのユニークさも味わえる、唯一無二の魅力が詰まった映画になっていた。

 しかも素晴らしいのは、この映画自体がメジャー化して父親となったバートンでなければ作れない映画になっていたことだ。ちゃんと作者が反映されている。それでちゃんと一級品の作品に仕上がったことで、僕は「バートンの迷走は終わった」…と思ったわけだ。

 ところがその次のコープスブライド(2005)がまたいけなかった。この題材でストップモーション・アニメとなれば、誰しも「ナイトメアー・ビフォア・クリスマス」再びを期待してしまうところだろう。だがこの作品は、およそ「ナイトメアー」とは似て非なるもの。その志の点において、それまでのバートン映画を愛する人々にツバするような作品だった。あえて暴言を許してもらえば、この映画、バートン作品の中でも「最低作」と言わせていただく。そのくらい腹立たしい作品だった。

 しかしそうなると、バートン作品の今後はますます不透明ではないか

 せっかくの「黄金カード」の新作到来というのに、僕はイマイチ乗り切れなかった所以は、そんなところにあったのだ。

 

完全な「横綱相撲」の作品

 というわけで、結論から言わせてもらおう。

 面白い。

 やっぱり「黄金カード」らしい「王道」感が充満している。安心して見ていられる。映画史上に残る「名コンビ」たちがアブラの乗り切った作品を連打していた時っていうのは、みんなこんな感じじゃなかっただろうか。

 むろんジョニー・デップもノリに乗って快調だ。まるで彼のためにある役と言ってもいい。正直言って近年のバートン作品の「低迷」さえなければ、まずは危なげない作品だと思ったはずだ。それくらい、前述したように企画そのものがドンピシャだと言える。

 それゆえか、あのバートンの迷走ぶりも今回は影を潜めている

 もっとも、それを言ったら「コープスブライド」だってドンピシャ企画のはず。ならば何であっちはダメでこっちはうまくいったのか。現在までのところ、僕にはそれにうまく答える術がない。

 ただし一つだけ思い当たる点があるとすれば…「チャーリーとチョコレート工場」といいこれといい、今のバートンはどうもオリジナル企画は避けた方が良さそうということだろうか。あと、原作があっても「猿の惑星」や「ビッグ・フィッシュ」のような方向転換もうまくないようだ。少なくとも、もう少し足腰がしっかりしてからやった方がいい。今はどうも安全パイ企画で手堅く点を稼いだ方がいいかも。

 そんな中で唯一僕が心配していたのは、ティム・バートンの愛妻であるヘレナ・ボナム・カーター

 別に彼女が嫌いって訳じゃないが、晩年のチャールズ・ブロンソン映画でのジル・アイアランドじゃあるまいし、毎度毎度ツルんで映画をつくるってのは何とかならないのか。前作「コープスブライド」の悲惨な結果もあって、僕はいいかげん彼女のバートン映画出演に嫌気がさしていたのだ。正直に言えば「またかよ!」という感じ。

 だが、これが意外にもいいのである。

 何よりこのミュージカルの中でも最も難度の高いナンバーを、見事に歌いこなしている。彼女が登場する場面での「ロンドンいちマズいパイ」についての唄なんか、なかなか歌えるもんじゃない。これは大したもんだと舌を巻いた。それに彼女が演じたからこそ、スウィーニー・トッドへの素通りしてしまう片思いが切なさを増した。その悲惨な結末を含めて、愛すべきヒロインになった功績は彼女にある。僕はすっかり見直しちゃったよ。

 お話そのものは原作のミュージカルのものだろうが、ちゃんと風呂敷の結び目を一つひとつ丁寧に縛っていくような幕切れの作り方には感心。ある意味、悲惨でグロテスクなお話だけに、落としどころを間違えると収拾がつかなくなるところ。それをちゃんと登場人物全員を収まるべきところに収めた展開は見事。スウィーニーの終わり方も、見ようによってはハッピーエンドとも言える。救いがあるのである。

 唯一見ていてスッと素に返ってしまったのは、死体の「始末」を思いついたミセス・ラペットとスウィーニーが、思わず歌い踊る厨房での場面か。このシーンは映画的に処理しようがなかったのか、あまりにも単調で、しかもそれが長い。さすがにこの場面だけはちょっと寒くなってしまった。

 ただし、それはホンの些細なことに過ぎない。この映画自体の完成度云々というより、完全な「横綱相撲」の作品に仕上がっていること。それが何よりも見事なところだろう。

 

 

 

 

 

 to : Review 2008

 

 to : Classics Index

  

 to : HOME