「光の六つのしるし」

  The Seeker - The Dark Is Rising

 (2008/01/14)


  

見る前の予想

 まだまだファンタジー映画ブームである。

 詳しい説明は何度もこのサイトの感想文で書いているので繰り返さないが、ロード・オブ・ザ・リング」三部作(2001〜2003)で当てたニューラインシネマナルニア国物語/第1章 ライオンと魔女(2005)のウォルデン・メディア(これはディズニーと共同)という中堅どころの映画会社は、その後もファンタジー映画づくりに余念がない。それ以外の会社ももちろん手をこまねいて見ている訳ではないから、百花繚乱といえば聞こえがいいが実は玉石混交といった状態が続いている。

 だが、こうもファンタジー映画の「乱獲」状態になってしまうと、おのずからいただけないシロモノも出てきてしまうのは仕方ないところ。そのトホホな一例が、鮮度ゼロのエラゴン/遺志を継ぐ者(2006)ってことになっちゃうのだろう。それなりに面白く出来ていてマシな方だったスターダスト(2007)だって、ファンタジー映画の「いかにも」を並べたような内容だった。

 まぁ、剣と魔法や妙なアイテムが出てきて、ドラゴンやら変な動物のいる不思議の国が舞台で、善と悪との戦いの真っ直中に本人まったく自覚していない子供が放り出され、いきなり「オマエは救世主だ、そういう定めなのだ」と宣言されてしまう。そのうち本人もその気になって強くなってしまう…と、どれを取ってもすべてこんな調子の作品ばかりとなると、「どれもこれもやるこたぁ同じ」のアダルト・ビデオと五十歩百歩。いや、趣味の世界(笑)に走れる余地があるだけ、まだアダルト・ビデオの方がやりようがあるかもしれない。ともかくファンタジー映画に飽きが来るのが早いのも無理ないところだ。

 こうなると、いつどこの作品が地雷を踏むか…という肝試しゲームの様相を呈してきた観さえある。何しろファンタジー映画はセットやCG経費がかかっているから安くは作れない。おまけに大概が三部作から七部作ぐらいのシリーズ映画で、しかも成長が早い子供が主役のケースが多いので一作目が好評を待っての継続…とはいかず、二作目も同時進行で進めていたりする。今のところ大コケ作品はないようだが、ひとたびコケれば悲惨な大損害の危険をはらんでいるのだ。

 今年も「ライラの冒険/黄金の羅針盤」(2007)がニューラインシネマから、そしてこの「光の六つのしるし」がウォルデン・メディアから早々と公開されるわけだが、どうやらこの「六つのしるし」が最初にババを引くハメになったようだ。一足先に公開されたアメリカでの成績は、どうやら大コケらしい。これも全4巻の「闇の戦い」シリーズとのことだが、後の3作がどうなるか不透明感が漂う。

 確かに邦題ひとつ取っても、「光の六つのしるし」ってタイトルそのものが、おそらく原作の日本語訳本と同じものなんだろうが元気が感じられない(笑)。「ライラの冒険/黄金の羅針盤」のように、ニコール・キッドマンみたいなスターも出ていない。「闇の戦い」の本のファンには申し訳ないが、どうにも地味なんである。

 そんな事情から、新年早々公開された都内での上映もひっそりしたもの。僕もこれが公開されているとは気づかなかった。ただ、たまたま映画を見ようとしたら時間が合うものがなく、コレしか見れない状況だったので劇場に飛び込んだまでのこと。ハッキリ言って100パーセント期待はしていない。

 何しろ、どうせゲップが出そうなファンタジー映画なんだから、つまんなくて当たり前。ないモノねだりはするつもりナシ。

 

あらすじ

 ここはイギリスの片田舎の学校。クリスマスでお休みになるため、学校を出てきた生徒たちの顔はみんな喜色満面だ。

 そんな中にちょっと戸惑ったような表情の13歳の少年、ウィル・スタントン(アレクサンダー・ルドウィッグ)もいた。彼は長年住み慣れたアメリカから家族みんなでイギリスに引っ越してきたばかり。同じ学校にはジェームズ(ドリュー・タイラー・ベル)、ポール(エドマンド・エンティン)、ロビン(ゲイリー・エンティン)ら兄貴たちと可愛い妹のグウェン(エマ・ロックハート)が一緒とはいえ、そんな状況でリラックスしろと言われても無理な話だ。

 それでも、そこは年頃の男の子。前方に歩く美人の女の子についつい目を奪われる。彼女はウィルよりぐっと年上のはずだが、なぜか向こうのほうもウィルに意味ありげに視線を送っているようではないか。ウィルたち兄妹とこの美少女は同じスクールバスに乗り込んだが、お互いチラチラ見つめ合うことをやめない。そんなウィルに気づいた兄貴たちは、彼をからかって喜ぶ。

 すると彼女がマフラーを落としたまま、バスを降りるではないか。話しかけるチャンス!…とマフラーを拾って追いかけたものの、ウィルの目の前でバスの扉は閉まった。万事窮す。イマイチ決定力不足の自分を悔やむしかない。

 そんなこんなで一同が家に着くと、父ジョン(ジョン・ベンジャミン・ヒッキー)と母メアリー(ウェンディ・クルーソン)が待ち構えていた。さらにそこに、大学に行っていた次男のマックス(グレゴリー・スミス)も戻ってくる。ただしこの兄貴が帰って来たおかげで、ウィルは自分の部屋を明け渡すハメになったから痛しかゆし。それでも彼はこの家の奇妙な屋根裏部屋が気に入っていたので、そこを部屋代わりに使うことにした。

 さて久々に戻って来たマックスだが、彼の態度はどこか妙だった。なぜか父ジョンに対する当てこすりみたいな発言をして、場の空気を凍らせる。父ジョンの態度も妙にオドオドしているようで、何となくヘンだ。

 それでもとりあえず一家全員揃った。いや…実は米軍に入った長男スティーブン(ジョーダン・J・デイル)がまだ不在だが、そんな彼もネットのテレビ電話で団らんに参加した。

 「僕は今、自由陣営の砦を守っている」…とは大いに勇ましいが、ちゃんとウィルにも誕生日プレゼントを欠かさない優しさを持っていた。それはどこか奇妙な紋章と仕掛けがついたベルト。スティーブンに言わせると、一目見てウィルにピッタリだと思ったらしいのだが…。

 翌日、近所の老人ドーソン(ジェームズ・コスモ)とジョージ(ジム・ピドック)がクリスマス・ツリーを持ってきてくれたが、なぜか彼らはウィルを意味ありげに見つめて、彼の誕生日が間近だと言い当てる。

 そう、明日は彼の14歳の誕生日だ。

 そんな彼に二人の老人は、明日から嵐がやって来ると不気味な予言をする。しかし、外はとても嵐など来そうもない快晴ぶりだ。一体、嵐が来る…とは何を言わんとしていたのか。

 さて、そんなこんなで買い物に出かけるためバスに乗ろうとするウィル。ところが近くの木の枝に、ヒッチコックの「鳥」みたいにカラスが群がって来るのがヘンだ。ウィルは何となく背筋に凍るものを感じてしまう。

 出かけた先のショッピングモールでも、奇妙な出来事が起きる。たまたま店先にぶら下がっていた素朴な石のネックレスが気に入って購入。するとパッケージに描いてある渦巻き模様が、本当にグルングルン動いているように見えるではないか。これは何かの幻覚か。

 すると今度は、なぜか二人組の警備員に捕まってしまう。ウィルを万引きだと決めつけた警備員たちは地下の奥にある部屋に彼を閉じこめて取り調べるが、どうも様子がおかしい。

 「取ったモノを出せ、さもないとタダじゃおかない」

 「とぼけるな、アレを出せ。しるしを出せ!

 何が何だか分からないウィルに高圧的に迫る警備員二人は、徐々に目が真っ黒の黒目になったり、真っ黒くて巨大なツメをむき出したり。これはどう考えても異常だと逃げ出すウィル。そうはさせじとウィルを掴んだ警備員は、彼が突然発揮した思いもかけぬパワーに吹っ飛ばされた。これには吹っ飛ばしたウィルの方がビックリだ。

 慌てて走り出すウィルをもう一人の警備員が追いかけるが…なぜかそれは何羽もの巨大なカラスに変身してしまうではないか。すっかり肝を潰すウィル。それでも間一髪セーフで地下の廊下からは逃げ出した。

 何とか元のショッピングモールの売り場に戻ったウィルだったが、明らかにこれは何かがおかしい。帰宅したウィルは父ジョンに相談しようとするが、忙しいの一点張りで相手にされない。兄貴たちにはからかわれたあげく、思春期のナントカで片付けられる。結局言いたいことも飲み込むしかないウィルであった。

 そんなこんなで悶々とするばかりのウィルはさておき、スタントン一家はこの村の名家である初老の婦人ミス・グレイソーン(フランセス・コンロイ)からパーティーにお呼ばれにあずかる。ミス・グレイソーンの古いお屋敷は、やって来た招待客で一杯だ。その中にはウィルが目をつけていた美少女マギー(アメリア・ワーナー)もいるではないか。思わずドキマギするウィル。だがそんなウィルをじっと観察している目に、彼自身は気づいていなかった。

 それは主賓のミス・グレイソーンと執事メリマン(イアン・マクシェーン)。

 なぜかメリマンは何とかウィルに話しかけなければと焦っているようだが、ミス・グレイソーンは「まだその時ではない」と止めているようだ。そんな事とは知らないウィルは、自分が目を付けていたマギーを兄貴のジェームズがかっさらってしまったため、悔しいやら腹が立つやらで屋敷を飛び出してしまう。

 ところが、外はどうも様子がおかしい。いつの間にか天気はどんより暗くなる。見るとどこからともなく馬に乗った黒い騎士が現れ、ウィルに迫って来るではないか。騎士に追われたウィルは足を踏み外し、森の坂を転げ落ちて行く。さらに迫ってくる黒い騎士(クリストファー・エクルストン)は、いきなりウィルを威圧して吠える。

 「しるしをよこせ、しるしはどこだ?」

 またしても「しるし」だ。困り切ったウィルが呆然としていると、いつの間にか周囲にはミス・グレイソーンとメリマン、そしてドーソンとジョージの姿があるではないか。どうも彼らと黒騎士とは敵対関係にあるようで、黒騎士はやたらに彼らに手を出せないらしい。こうしてテレビ時代劇の悪党よろしく「おぼえてろよ」とでも言いたげに引き揚げる黒騎士。

 ところが、事はそれだけでは終わらなかった。メリマンたちはウィルを連れて、森の奥へと進んでいく。すると曇っていた空がいきなり晴れ渡る。驚いているウィルに、「我々は今、時を超えた」と事もなげに語るメリマン。

 さらに彼らは森の中に隠されていた巨大な扉を開けて、いかにも古い時代のものと思われる石室へと入っていった。

 「我々は“古老”だ。キミもまたそんな“古老”の一人。14歳になって、その力を得た

 ウソのような話だが、この世ではいにしえの頃から「光」と「闇」が戦ってきた。「古老」はそんな「光」の戦士なのだ。そんな「光」と「闇」の戦いは激しく、前回の激突ではかろうじて「光」が勝てた…という状態。そこで「光」のパワーを完璧なモノとするための「6つのしるし」を作り、あちこちに隠しておくことにしたというのだ。

 「闇」の黒騎士のパワーは数日後に最大になる。それまでに、6つある「しるし」を見つけなくてはいけない。ウィルはその「しるし」を見つける「探す者」という役割を担っているという。

 それにはさすがに納得できないウィル。何より「探す者」は7人兄弟の7番目というのが条件らしいが、ウィルは6人兄弟の6番目。それって何かの人違いではないのか。だがメリマンたちの顔は大真面目だ。

 そして「しるし」と言えば…思い当たるフシのあったウィルは、ショッピングモールで買ったネックレスの石を粉砕する。すると…そこには、古代の祝祭で使用されていたような奇妙なアイテムが入っているではないか。

 ついでにいえば、長男スティーブンからもらったベルトの仕掛けが「しるし」を収納するのにピッタリなことも、何やら不思議な縁を思わせる。

 それでも納得出来ないウィルは、帰宅した後で屋根裏部屋でたまたま転倒。そこに一枚の双子の赤ちゃんの写真を発見する。そこには「ウィルとトム」と書いてあるではないか。この写真は一体何だ?

 母メアリーに聞いてみると、彼女は涙ぐみながら秘密を打ち明けてくれた。「あなたには、生まれた時に双子の兄さんがいたのよ。でも、トムは何者かに連れ去られてしまった」

 では、やっぱりウィルは7人兄弟の7番目の「探す者」ではないか!

 

見た後での感想

 この文章は原作「光の六つのしるし」を全く読んだことがないし、これからも読むつもりは全然ない(笑)…そういう人間が書いたものと、まずはお断りしておく。でないと「ハリポタ」みたいに原作ファンの気に障っちゃう恐れがある。それを前提として、まずはこの映画について一言で言ってしまえば…。

 意外に面白いじゃないか!

 「意外に」というのは失礼かもしれないが、本当に想定外だったから仕方がない。第一「ファンタジー映画」そのものに飽き飽きしていたし、毎度おなじみの設定やストーリー展開にも飽き飽きしていた。そもそも子供が主人公の映画というだけで食指がそそらないし、映画そのものに漂う元気のない雰囲気からして、ダメっぽい印象がアリアリだった。おそらく多くの人もそう思っていると思う。

 ところがこの映画、実はそういった事前の印象とは、どこかちょっと違った作品に出来上がっているのだ。

 何より、凡百の「ファンタジー映画」らしからぬ部分がある。おそらくこの映画が「意外に」面白かった所以は、そこにあると思うのだ。

 まず特徴的なことは、このお話はあくまで現実と地続きだということ。

 それは「ナルニア国物語」で現実世界の子供たちが衣装タンスに入ったり駅のホームで電車を待っていたりすると、ナルニアに行けちゃう…というような「地続き」の意味ではない。そもそも「ナルニア」なんて場所は出てこない。「中つ国」もない。この後の続編には出てくるのかもしれないが、本作「光の六つのしるし」に限って言えば、そんな架空の世界は出てこない。映画には現実のイギリスしか出てこないのだ。

 しかしながら…僕がこの文章の冒頭にオチョクリ半分で書いた、“剣と魔法や妙なアイテムが出てきて、ドラゴンやら変な動物のいる不思議の国が舞台で、善と悪との戦いの真っ直中に本人まったく自覚していない子供が放り出され、いきなり「オマエは救世主だ、そういう定めなのだ」と宣言されてしまう。そのうち本人もその気になって強くなってしまう”…という要素のうち「不思議の国」の要素だけはないものの、後の要素では完璧にファンタジー物語の条件を満たしている。というかファンタジーの典型的ストーリー・ラインだ。それなのに…実はこの映画、かなり他のファンタジー映画群とは異なるテイストを持っている。

 まず、主人公が子供のくせに、あまりお子ちゃま映画の雰囲気が感じられないのである。

 主人公ウィル・スタントンを演じるアレクサンダー・ルドウィッグが、あまり「かわいく」ない。マスクはそこそこ甘いのだが、愛くるしい表情もしないしツラくてもウルウルしない。おまけにガキのくせに色気づいていて、年上の女の子の顔ばかり見ている。その子を兄貴にお持ち帰りされれば、イッチョマエにフテ腐れるという具合だ。

 ただしフテ腐れはしても、いわゆる青春映画や思春期映画っぽく「屈折」の表情は見せない。ジェームズ・ディーンみたいにひねた表情がない。周囲に異変が起きて狼狽したウィルに、兄貴たちが「思春期だから仕方ねえな」と心ない言葉を吐いて彼をクサらせるくだりがあるのは、おそらく意識的にやっているのだろう。それは、作り手がこの映画を青春映画や思春期映画っぽくも見せたがってないからだ。

 このようにこの映画の主人公は、可愛くもなければ屈折もしない。まず女の子に喜ばれそうなイメージじゃない。終始何となくクールなのである。

 どうも原作の設定よりもいくつか年齢が上がっているらしいが、その狙いは明白だろう。お子さま向けファンタジー映画にしたくなかったからだろうし、そもそも「子供」がいつも主人公と決まってる「ファンタジー映画」そのものにすら見せたくなかった可能性がある。

 主人公がイギリスにやってき特に先輩「古老」たちに、「早くしるしを見つけないと」とアレコレ催促されて「一生懸命探してるよ」とボヤくあたりなどを見ていると、およそ「ファンタジー」もクソもない展開なのだ(笑)。

 また原作との違いはもうひとつあって、主人公が「イギリスに来たばかりのアメリカ人」という設定も、どうやら映画オリジナルらしい。コレ一つとっても、どれもこれも主人公は必ずイギリス人…という「ファンタジー映画」のお約束を壊したかったことが分かる。原作ファンにはまことに申し訳ないが、僕もいわゆる「ファンタジー映画」にはいいかげん食傷気味だから、これにはついつい賛同してしまう。「ナルニア国物語」でコレをやられたらどうなんだ…と問われれば答えようがないが、正直言ってそれ以外の(僕にとって)どうでもいいファンタジーものについては、例えどう作ってもいいからとにかく「面白い映画」にだけはしてくれよ…というのが正直なところだ。

 そして、冒頭からガキどもがいきなりケータイを取り出すだの、主人公が終始i-Podを聞いているだの、「光」と「闇」との因縁話を聞いた後でネットで検索するだの、およそファンタジー気分も萎えそうな場面が続出。これはどう見ても、わざとやっているとしか考えられない。原作ファンを立腹させようとしているか、ファンタジー映画そのものに興味がないとしか思えない。作り手は原作すらちゃんと読んでいないかもしれない(笑)。デビッド・L・カニンガムなる監督の思惑かどうかは知らないが、今ならファンタジー映画と来れば映画会社はカネを出す、だから後はやりたいように好きにやっちまえ…って意図がアリアリ。明らかに確信犯としか思えないのだ。

 むしろこれだけファンタジー映画氾濫の時代なだけに、元々の原作さえなぞっていればソコソコの結果を納められるところ、わざわざこんな手の込んだことをやる意味を考えたら、それしか思い当たらないではないか。

 では、一体この脚本を誰が書いたのか…と思いきや、何と「トレインスポッティング」(1996)だのザ・ビーチ(1999)だのといったダニー・ボイル映画の脚本家ジョン・ホッジと聞いて二度ビックリ。そういや「ザ・ビーチ」でも原作も派手に解体してファンを激怒させたし、そこでは独自のテレビ・ゲームをパロったようなアプローチも見せた。その「定石」をイヤがる反骨ぶりに、今回の作品と一貫するものを感じさせる。

 実は「原作との相違」を抜きにした作品全体のテイストにも、そんな反骨ぶりは大いに伺えるのだ。

 

見た後の付け足し

 冒頭でガキが一斉にケータイを取り出すくだりで、「ややっ?」とただならぬ雰囲気を嗅ぎ取った僕ではあるが、それでもお話が本題に入れば、ちゃんとファンタジー映画らしく「収まるところに収まる」もんだと思っていた。

 ところがお話が先に進めば進むほど、ますます違和感は増すばかりだ。

 久しぶりに帰って来た大学生の兄貴が、何となく様子がヘンだ。その兄貴がわざと親父の神経逆なでする発言をするのもドラマ上の不協和音なら、それに対する親父の妙にオドオドした表情もかなりおかしい。イヤな感じだし異常だ。近所の老人二人がクリスマス・ツリーを持って来れば、「明日から嵐になる」と意味ありげな言葉を吐く。しかし外は快晴で嵐の「あ」の字もない。どうも怪しい。

 その極め付きは、バスを待っている主人公がカラスの大群に怯える一幕だろう。むろんファンタジー映画にもサスペンスや恐怖を描く場面はいろいろある。だがこの描写や演出には、もっと異質なモノを感じはしないか。ファンタジー映画にも確かにさまざまな超自然的現象は出てくるが、この作品での「それ」はあくまで神話的とかおとぎ話的というより怪奇現象的なモノに感じる。何となく不吉で忌まわしいイメージ。主人公を怖がらせるというよりは、我々観客に対して「恐怖を感じろ」とばかりに提示されてくる演出…。

 これらはどう考えても、ホラー映画の「それ」ではないか。

 実はそんなホラー趣味はさらにエスカレートして、ショッピングモールで警備員に襲われるくだりに至っては、誰が見たってどう考えてもホラー映画の演出としか思えない。主人公が最初に黒騎士と遭遇するくだりも、ホラー趣味が全開だ。

 実際にこの映画は、それっぽい演出を多用している。やたら極端な広角レンズを使って画面を歪めているし、カメラ自体を傾けて撮影したショットも多い。それって、まずは普通のジャンルの作品ではそうそうやらない手法だ。あえて言うなら、それらはホラー映画で多用されるテクニックなのだ。

 そう考えてみれば、僕は最近の作品でこの映画に近いお話の映画を知っているではないか。現実世界の片隅で、人知れず特殊能力を持った者たちの「善」と「悪」との陣営の雌雄を決する戦いが繰り広げられているという設定。

 それって、つい一昨年前に日本でも公開されたロシアのホラー映画、ナイト・ウォッチ(2004)にどことなく似ていないか?

 もっと言うと…僕はこの映画を見ていて、かつて自分が見てきた玉石混交のB級ホラー映画との共通点ばかり感じていた。それは例えば職人監督としてかつて見事な腕の冴えを見せていた、ジョン・ハフ監督のホラー映画2作…「ヘルハウス」(1973)と「呪われた森」(1980)のテイストに近い。あるいはイギリスのハマー・プロが連発したホラー映画やら、僕がかつて東京12チャンネル(現・テレビ東京)で浴びるほど見たイタリア製B級ホラー…マリオ・バーヴァなどの作品を想起すると言ってもいい。

 もっともこの手の作品にもファンタジー小説以上に根強いマニアがいるから、ヘタなことを言ったら怒られそう。そもそもジョン・ハフのホラーとハマー・プロとイタリアン・ホラーにも天と地の違いがある。

 しかしこの手の作品にそれほど詳しくなく、ともかくテレビで何だか分からないまま次々見ていた僕としては、映画「光の六つのしるし」にはこれらホラー作品と共通するテイストが感じられる…というのが偽らざる正直な印象だ。それらの作品の漠然としたイメージについては、ハマー・プロと香港ショウ・ブラザース合作作品ドラゴンvs7人の吸血鬼(1973)の感想文や、マリオ・バーヴァの限界の恐怖/新・エクソシスト(1975)に関する僕の短い感想を読んでいただければお分かりいただけるかもしれない。

 理屈が通ってるんだか通ってないんだか分からない、どっちかと言えば支離滅裂かもしれないが、どこか不条理で怪しく病んだ雰囲気。あえて一纏めにしていいのなら、「B級ホラー」の雰囲気が濃厚だとここはまとめてみたい。ホラーと言っても、決してフリードキンの「エクソシスト」(1973)やコッポラがつくった「ドラキュラ」(1992)やキューブリックの「シャイニング」(1980)みたいなリッパな佇まいのある作品ではない。どこかチープでインチキ臭くていかがわしくて、毒々しくて忌まわしくて、不吉で気色悪い…B級ホラー作品の持つイヤ〜なムードが全編に横溢しているのだ。

 ここまで書いてみて読み返してみたら、何だかホメてるんだかケナしてるんだか分からない(笑)。だが、ここで言う「どこかチープでインチキ臭くていかがわしくて…」というのは、あくまでホメ言葉だ。僕はそのつもりで使っている。この文章を読んでくださるみなさんには、それをあえてここで言っておきたい。

 考えてみれば、この映画の脚本家ジョン・ホッジがかつて組んでいたダニー・ボイルも、ホッジと別れてアレックス・ガーランドの脚本で撮り始めた作品は28日後…(2002)、サンシャイン2057(2007)…と、どれもSFホラー・ジャンルに傾倒したものばかり。元々、ダニー・ボイルってそっち系が好きだったのだろうか。

 それはともかく、そんなB級ホラー味が濃厚だからこそ、映画「光の六つのしるし」は「ファンタジー映画」氾濫の中で抜群の鮮度を見せた。おせち料理にいいかげん飽き飽きした頃に出てきた、スパイシーなカレーライス…みたいなものか(笑)。それでも、決してこのB級ホラー趣味は思いつきや付け焼き刃とは思えない。結構本気でやってるし、実際に効果もあげている。そっちの作品が好きな人は、意外な拾いモノと楽しめるんじゃないだろうか。この作品が当たらなかったのは、まことに気の毒と言わざるを得ない。

 イマドキの「売れセン」企画でそんなちょっと大胆な事をやろうとした作り手の心意気は、大いに買いたいと思うのだ。

 

 

 

 

 

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