観客は判ってくれない
あるいはスタローンとロッキーが受けた重たい400発

The 400 Blows against ROCKY

含・「ロッキー・ザ・ファイナル」感想文
featuring : Review of "Rocky Balboa"


 

観客は判ってくれる

 

 さて、そんな形で第一作のオリジナル・フォーマットに見事に原点復帰を遂げたこの「ザ・ファイナル」。感動的な作品になったのは決して偶然や奇跡でないことが、お分かりいただけただろうか? 

 そして先に僕は、「何となく他にもこのシリーズに似た映画作品群を見たことがある」などと思わせぶりな事を書いてしまったが、別にこれはもったいつけたわけではなかった。「ロッキー」シリーズと非常に類似するシリーズを映画史の中に発見したものの、最初はあまりに落差のある両シリーズに当惑して、半信半疑な気分になってしまったからだ。

 だが、今ではそれは確信に近いものになっている。

 思い出してみよう。シリーズ全作が主演者と同じ時間経過で描かれていて、ほぼ主演者の成長記録=人生記録となっている作品群。しかもその主演者は、ほぼシリーズのクリエイターとイコールの関係にあり、これもまた一緒に人生の時間を経過している。そんなシリーズが映画史上他にあるだろうか?

 ある。たったひとつある。

 それはフランソワ・トリュフォー監督がジャン=ピエール・レオを主演に繰り広げた半自伝的作品群。「大人は判ってくれない」(1959)に始まり、「二十歳の恋」(1962)、「夜霧の恋人たち」(1968)、「家庭」(1970)、「逃げ去る恋」(1978)…と続いたほぼ20年に及ぶ連作集…。

 その名も「アントワーヌ・ドワネル」シリーズだ。

 思い出してみよう。ジャン=ピエール・レオはドワネルものの第一作「大人は判ってくれない」で映画デビューし、そのまま少年から青年へ、そして大人へと成長していった。その第一作「大人は判ってくれない」は、明らかにトリュフォーの少年時代をモデルにした作品だ。レオ=トリュフォーなのである。さらに「大人は判ってくれない」は、トリュフォーの監督としての長編映画デビュー作でもあった。

 同じクリエイター、同じ主演者で続けていったシリーズ作品は数多くあれど…シリーズ第一作がクリエイターと主演者の映画人生の出発点にもなったというシリーズは他にはないのではないか。

 こう考えていくと…シリーズ中に出来不出来がかなり激しく混在していること、最終作にそれまでのシリーズ作品の場面が挿入されていることなども含め、互いに極北に位置するようなこの両シリーズ、実は意外にもその軌跡はピタリと重なるのである。

 映画で実人生を生きた…というか、人生そのものが映画のようなフランソワ・トリュフォー監督の真骨頂。「アントワーヌ・ドワネル」シリーズはその象徴のような作品群だ。アメリカの夜(1973)の中で「本物の人生なんて不完全なものだ。その点、映画は淀みがない。僕ら映画と出会ってしまった人間は、映画あってこそ生きていけるんだ」と語っていたトリュフォーだからこそ、このシリーズをつくることができた(付け加えるなら、「アメリカの夜」に役者としてレオも出演していることも、特筆すべき点だろう)。

 つまり、これは文字通り「映画バカ」が「捨て身」でつくった映画なのだ。

 トリュフォーという人は世界的な映画監督ではあるが、決して器用なテクニシャンではなかった。その点、どこまでも頭でっかちで屁理屈に長けたゴダールとは大違いだったはずだ。僕がどっちを映画作家として好きかと問われれば、あえてここで答えるまでもない。屁理屈野郎や不健康な映画サロンには用はない。血を吐く思いで映画をつくった男にこそ、僕はシンパシーを感じる。

 トリュフォーはその生涯を通じて、デリケートで女性的な印象とは裏腹に無骨で男っぽく映画をつくった。男そのものだった。そして、いつも自分の人生そのものを投入して映画を語った。その映画人生の出発点である「大人は判ってくれない」の原題は「Les Quatre cents coups (The 400 Blows)」、日本語で「400発の殴打」という意味だ。トリュフォーにとっても、人生は実に重いパンチだったに違いない。

 その姿は…全く誰にも連想もされないだろうが、不器用にも自分の肉体で実際にボクシングを演じ、いつも顔を真っ赤に腫らせてエンディングを迎える「ロッキー=スタローン」に呼応して来ないだろうか?

 いやいや、だからってトリュフォーはスタローンだ…なんて暴言を吐くつもりはない(笑)。それこそ映画サロンのシネフィルにバカにされてしまいそうだ。

 ただ、これだけは言える。

 「ロッキー・ザ・ファイナル」が真に感動的なのは、単に第一作に回帰したからではない。スタローンが監督・脚本家としてうまくなったからでもない。

 「映画バカ」と言えるクリエイター兼俳優が、実人生をもそこに投入してつくりあげた「捨て身」さが、観客に真摯に伝わるからなのだ。

 

 

この項おわり

 

  


 

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