観客は判ってくれない
あるいはスタローンとロッキーが受けた重たい400発

The 400 Blows against ROCKY

含・「ロッキー・ザ・ファイナル」感想文
featuring : Review of "Rocky Balboa"


 

スタローンという映画人の幸運と不運

 

 良心的な作品を生み出そう、良きハリウッド映画人になろう、そう思いながらも観客には受け入れられなかったスタローン。ところがひとたび彼がそんな「良心」をかなぐり捨て、なりふり構わず単純マッチョMTVな「迎合」作品を発表したら、皮肉なことに観客は一気に拍手喝采した。

 そうなった時、人は開き直るしかないのではないか。

 それを絵に描いたような作品が、彼が初めて他人の作品に手を出した「ステイン・アライブ」(1983)だろう。何と「サタデー・ナイト・フィーバー」(1977)の続編を脚本・監督。しかも出演はせずにクリエイターに専念というこの作品…しかし内容的にはこれほど「クリエイティブ」という言葉から程遠い作品もないのではないか。少なくとも、僕はこれほど音楽的に魅力のないミュージカル映画を見たことがない。主演のジョン・トラボルタまで筋肉増強剤漬けにしてしまい、ただただマッチョで音楽垂れ流しのMTV出来損ない映画にしてしまった。

 そんな真っ直中に生まれたのが、「ランボー/怒りの脱出」(1985)と「ロッキー4/炎の友情」(1985)だ。

 何を勘違いしたのか、いきなりソ連を仮想敵国に見立てての2大作。だが、それがレーガン政権下のアメリカの気分にマッチしていたのか。この時代には好戦映画「アイアン・イーグル」(1985)などもつくられているから、やはり時代がそれを要求したのだろう。だがそんな時代の要請を、最も思い切りよく受けて立ってしまったのがスタローンだった。

 アメリカ軍の未帰還兵を捜してベトナムのジャングルに潜入したランボーは、そこで出くわしたソ連軍の兵士を次々と皆殺し。ロッキーに至っては、冒頭場面でいきなり星条旗を描いたグラブと鎚と鎌を描いた赤いグラブが激突し大爆発するイメージ場面が登場だ。この「ロッキー4」ではトレードマークと言うべきテーマ曲をつくったビル・コンティがなぜか降板しているが、この映画を見ればその気持ちも分かる。実際何で降りたかは知らないが、コンティもさすがにこれにはついていけなかったんじゃないか。

 だから恒例の特訓シーンも今ひとつ盛り上がらない。もっとおかしいのは、ハイテクで特訓するソ連ボクサーのドラゴに、根性と精神力で雪山訓練するロッキーという構図だ。誰がどう考えても、物質文明にドップリ浸かっているのはアメリカの方に決まっている。この描写は、スタローンが何も分かっていないということを如実に表している。ステロイド筋肉もMTV演出も極限までいった感じで、もはやバカ映画の極致。僕は個人的にソ連や東欧を舞台にした映画が好きだから楽しめたものの、正直言って「ロッキー」シリーズはもはや末期的症状を呈していた。

 ただしスタローンの名誉のために付け加えると…先日「ロッキー・ザ・ファイナル」公開に合わせてテレビ放映されたこの「4」を見直してみたら、最初に見た時ほど反ソ連、軍国右翼映画には見えなかったから不思議だ。僕らは「9・11」以降のもっとひどいブッシュのアメリカを経験しているから免疫ができて、もう「ロッキー4」あたりではそんなにヒドイと思えないのかもしれない。試合の後でロッキーが演説をぶつなど噴飯モノではあるが、言っているメッセージも思ったほどムチャクチャなものではないのだ。ゴルバチョフのそっくりさんが思わず拍手するあたり、コメディかと錯覚してしまったが…(笑)。

 こうして、あたかもレーガン政権のスポークスマンのようになってしまったスタローンだったが、それは先にも述べていたように時代の必然というものだったと思える。そもそも強けりゃいいんだよ勝てばいいんだよ…的価値観というのは、レーガンやサッチャーの掲げた弱者軽視・強者優遇の政策あたりがその根本にあるはずだ。それはステロイド漬けで単細胞、な〜んも考えてないMTVバカ映画づくりに邁進したスタローンの姿勢とどこか重なる。先に挙げた好戦映画「アイアン・イーグル」で、登場人物の一人である若造が「今のホワイトハウスの主は、泣く子も黙るレーガンだぜ!」などとホザくあたりからして、当時はそれがアホで愚劣な「時代の気分」だったはずだ。スタローンがレーガン支持の反ソ連映画を2本も連発したのは、決して偶然ではあり得ないのだ。

 ついでに言えばこの時代、ターミネーター(1984)やコマンドー(1985)などでアーノルド・シュワルツェネッガーが猛追を始める。実はアクション・スターとしては全く異質なはずだったスタローンが筋肉をさらに増強せざるを得なかったのも、こうした時代の必然があったからだ。

 またこの時期のスタローンは、付き合った相手も悪かった。「ランボー/怒りの脱出」の監督ジョルジュ・パン・コスマトス(またの名をジョージ・P・コスマトス)は、その昔ヨーロッパで「カサンドラ・クロス」(1976)を撮った国籍不明男。その後は「オフサイド7」(1979)なる珍妙戦争アクションをつくりながら、スッカリ息を潜めていたはずだ。それがなぜかハリウッドまで流れ流れて、「ランボー」の仕事にありついたわけだ。

 ところでこのコスマトスなる男、「カサンドラ・クロス」はそれなりに面白みもあったものの、政治観はどうも危ういところがあった。何せ「カサンドラ〜」キャンペーンのために来日した時も、インタビューで妙ちきりんな事を言っていたのだ。何とこの男、映画というものはどれでも「政治映画」だと言うのが持論。「ジョーズ」だって政治映画だ、アレはイプセンの「民衆の敵」の焼き直しだから…などと語るのを見て、僕は「こいつどこか危ういな」と思っていたのだ。

 それなのに、仕事がなくなって干されたかと思えば突如「ランボー」を監督。しかもその後、スタローンと当時の愛妻ブリジット・ニールセンが共演する刑事モノ「コブラ」(1986)まで監督するに至っては、かなりこの二人はウマが合っていたのではないか。だから、この時代のスタローンが危ない路線に踏み込んだ理由としては、絶対このコスマトスという男の歪んだ政治観に染まってしまった可能性があると僕は見ているのだが、いかがだろうか。

 そんなわけで、時代の風に乗り絶頂期を迎えるスタローン。だが時代の風に乗るということは、実はかなりリスキーな事でもある。時代の風は時としてガラリと向きを変えるのだ。

 腕相撲映画「オーバー・ザ・トップ」(1987)、刑事映画「デッドフォール」(1989)、監獄モノ「ロックアップ」(1989)が当たらない。一番誤算だったのは、満を持して放った「ランボー3/怒りのアフガン」(1988)の成績が今ひとつだったことではないか。「デッドフォール」にソ連出身のアンドレイ・コンチャロフスキー、「ロックアップ」にB級映画の傑作組織(1973)のジョン・フリンを監督に起用したのも、そんな焦りの現れだろう。だが、それらはことごとく実を結ばなかった。

 そこで、こんな凋落傾向に歯止めをかけるべく登場したのが「ロッキー5/最後のドラマ」(1990)である。

 まさに困った時のロッキー。いや…「ザ・ファイナル」の前に「最後のドラマ」があるのかなどとヤボは言わないでいただきたい。この時点では僕も映画会社も、スタローン自身だってこれが最後だと思っていたはずだ。逆に言うとこれで歯止めがかからないと後がない…という、「最終兵器」として投入されたのが「ロッキー」だった。

 その姿勢は、まずスタローン自身が監督から退いて、第一作のジョン・G・アビルドセンを起用したところにハッキリと現れている。そしてロッキーを貧しい境遇に転落させて、再び元のフィラデルフィアの下町に舞台を戻した。めざすところは「原点復帰」だ。作品的に興行的にも成功した第一作の「初心」に立ち帰ろうという発想だ。その志やよし。

 だがその「ロッキー5」がスタローンの思惑通りいったかというと、「否」と言わざるを得ないだろう。

 監督も主人公の設定も第一作と同じに戻した。勝負の結果も第一作同様「勝ち負け」とは別のものにした。そして「今」のロッキーに相応しく、後継者を育てるポジションにした。この後継者が道を誤ったため、ロッキーが身をもって彼を導くというストーリーだ。これまでの方程式から考えると、これで何の問題もないはずだ。今度はうまくいくはずだった。

 …ところが、何かがうまくいっていない

 正直に言えば、ロッキーがリングに上がらなくなるお話では、どうにも気勢が上がらないというのが本当のところだ。最後の戦いが街頭のストリート・ファイトというのも、ロッキーが原点の「市井の人」に戻ったから正しい選択のように思えるが、やっぱりただのゴロツキのケンカみたいでパッとしない。少なくともアカデミー作品賞を受賞した作品の最終的結末としては、これは何ともいただけなかった。いくら何でもショボすぎるのである。

 そして何より…理屈抜きに「風向き」が変わったということか。

 「5」の冒頭は、ロッキーがドラゴとの死闘を終えてモスクワから帰国するくだりだ。そのロッキーをアメリカの空港に運んできた航空機は、旧・ソ連国営航空…現・ロシア航空の「アエロフロート」機。何と「ロッキー5」は、「4」で宿敵扱いした旧ソ連の国営航空会社とタイアップして製作されているのだ。時代は変わったということだろう。そんな中で、一人スタローンだけが時代に乗り遅れてしまったのだ。

 その後スタローンは「オスカー」(1991)と「刑事ジョー/ママにお手あげ」(1992)とコメディに挑戦。明らかに先行してコメディ転身を果たしたシュワルツェネッガーへの対抗意識を感じさせたが、結果はまさに「お手あげ」そのもの。そんな落日のスタローンに、ようやく復活のチャンスが巡って来た。

 それは「ダイ・ハード2」(1990)を成功させたばかりのレニー・ハーリン監督作品「クリフハンガー」(1993)だ。

 スケールでっかい山岳アクション。スタローンも本領発揮して大暴れして大ヒットしたが、実はこれが彼のほぼ今日に至るまで最後のヒットとなるとは、さすがに誰もこの時点では気づいていなかった。結果的にこの映画の成功は、スタローンの長期低落傾向に歯止めをかけることはできなかったのだ。

 そしてこの映画はスタローンにとっての徒花的成功というばかりでなく、製作会社のカロルコ・ピクチャーズにとっても最後の徒花となってしまったから皮肉なものだ。

 マリオ・カサールアンドリュー・バイナという素性怪しげな二人によって運営されていたハリウッドの新興映画会社カロルコは、そのちょっと前にハリウッドで大暴れしていた新興勢力キャノン・フィルムズと一緒くたに語られることが多い。それは、その札びらで横っツラをひっぱたくような製作姿勢、次から次へと生みだされた大味な作品群…に共通する点が多いからだ。何しろカロルコの作品群と来たら…「トータル・リコール」(1990)、「ターミネーター2」(1991)、「氷の微笑」(1992)、「ショーガール」(1995)、「カットスロート・アイランド」(1995)…と、まぁザッとこんなところ。中には見るべき作品もあるにはあるが、あまりの大味大作群の中に埋没してしまう。そんな連中であり、そんな会社だ。

 そんなカロルコに、実はスタローンは大いにお世話になっている。彼の大ヒット・シリーズ「ランボー」の三作は、すべてカロルコ製作なのだ。そして有終の美を飾ったのが、例の「クリフハンガー」というわけだ。

 ちなみにスタローンは、前述のキャノン・フィルムズとも縁が深い。彼の主演作「コブラ」と「オーバー・ザ・トップ」がキャノンの作品なのだ。つまりこの時期のスタローンは、またしてもロクな奴と付き合っていなかったと言える(笑)。長い目で見れば、それが災いしたところもあったのではないか。

 そんなスタローンはその後も意欲的に作品に出演するが、どれもこれも結果が伴っていなかった。ウェズリー・スナイプスを迎えた「デモリションマン」(1993)、シャロン・ストーンを迎えた「スペシャリスト」(1994)、アントニオ・バンデラスを迎えた「暗殺者」(1995)…と、異色スターを共演者に迎えた作品群を連発するが、どれもヒットとは言い難い。アメコミ映画化に挑戦した「ジャッジ・ドレッド」(1995)も、豪華な共演者にも関わらずコケてしまった。CGアニメ映画「アンツ」(1998)ではウディ・アレンと声の共演(!)を果たしているというのに、まったく話題にもならなかった。

 だが実にところ、これ以降のスタローン映画は、巷で言われているほどダメではない。特にロブ・コーエンの切れ味よい演出で見せるパニック映画「デイライト」(1996)などはかなり面白いし、アクションを封印してロバート・デニーロハーベイ・カイテルレイ・リオッタら芸達者たちと互角に張りあった「コップランド」(1997)も決して悪くはなかった。豪華共演者たちに囲まれて新境地を見せたサスペンス追撃者(2000)なんて、結構イイ味出していたはずだ。レース映画ドリヴン(2001)だって傍で言うほどつまらなくはないと思う。特に特筆すべきはD-TOX(2002)で、彼にしては異色のサスペンス・ミステリーに見事挑戦していた。作品も成功していると思う。

 ところが、世間は全く彼を評価しなかった。前述の「D-TOX」などは、何とアメリカでは劇場公開さえ見送られてしまったという。これはあまりに彼に酷な仕打ちではないか。

 そんなこんなしているうちに、スタローンの出演作が妙に小粒になり始めたのが気になって来た。「ザ・ボディガード」(2002)だの「シェイド」(2003)だのといった作品に、大スターだった頃の彼なら出ただろうか。最初から「B」の構えの作品しか、もはや彼を必要としていないのか。たまに出てくればスパイキッズ3-D:ゲームオーバー(2003)のゲスト出演とはあまりに寂しすぎる。彼自身が「ゲームオーバー」になっちゃった感じだ。

 というわけで、いささか駆け足で語っては来たが、以上がスタローンのスターとしての軌跡とそこに絡んできた「ロッキー」シリーズの変遷だ。

 こんな波乱の過去を振り返ってみると、スタローンという映画人の幸運と不運とを改めて感じずにいられない。

 むろん不遇な無名俳優から「ロッキー」という作品で這い上がることが出来たことこそ、彼の幸運の最たるものに違いない。だが同時に、それは彼の不運でもあったように思える。結局は「ロッキー」に戻るしかなかったし、「ロッキー」に呪縛された。その時々の「ロッキー」には、レールを踏み外していったスタローンの姿がクッキリと刻印されている。その意味でも、良くも悪くも「スタローン=ロッキー」なのだ。

 しかも節目節目での勝負作が、ことごとく世間から正当な評価を得なかったこと。これが何より不運だったと言えるのではないか。もし「ナイトホークス」が、「デイライト」が、あるいは「コップランド」や「D-TOX」が、スタローンの思惑通りにちゃんと評価されていたとしたら、彼の今日の凋落はなかったのではないだろうか。

 浮き沈みが人生の常とは言え、これはあまりに彼にとってフェアじゃなかったような気がするのだ。

 

 

 

 次ページへつづく

 To Be Continued...

 

  


 

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