新作映画1000本ノック 2007年11月

Knocking on Movie Heven's Door


 このページの作品

「ロンリーハート」(ジョン・トラボルタ主演) 「タロットカード殺人事件」 「スターダスト」 「キングダム/見えざる敵」

 

「ロンリーハート」

 (ジョン・トラボルタ主演)

 Lonely Hearts

Date:2007 / 11 / 26

みるまえ

 ちょっと昔のアメリカを舞台にした犯罪モノ。それも実話の連続殺人と来れば、少々興味がないわけではない。男たちがみんな帽子を被っていた時代の犯罪映画は、何となくいいムードの予感がするではないか。最近じゃ「ハリウッドランド」(2006)なんかもいい感じの出来栄えだった。しかもこの映画、ジョン・トラボルタを筆頭に、「バーバー」(2001)などで目立ってたジョン・ガンドルフィーニ、「ファイト・クラブ」(1999)や「アメリカン・サイコ」(2000)、「パニック・ルーム」(2002)に何より「レクイエム・フォー・ドリーム」(2000)などで気になる演技を見せた若手曲者役者ジャレッド・レト、そして色気ムンムンのサルマ・ハエックという豪華キャスト。チラシのオモテ面には顔を出していないが、どうやら脇には「インランド・エンパイア」(2006)で頑張ってたローラ・ダーンまで顔を出しているようだ。ややや。一見地味そうな映画なのに、何なのだこの役者の充実ぶりは。新聞の広告も小さいし巷じゃ全く話題になってない。おそらくパッとしない映画なのは間違いないが、なぜか気になる作品だ。こういう映画、僕はどうしても見ないではいられない。

ないよう

 日夜捜査に励む敏腕刑事エルマー・C・ロビンソン(ジョン・トラボルタ)。妻はそんな彼を一生懸命支えたが、仕事一筋の彼は家にほとんど寄りつかない。何度目かの結婚記念日のこの日も、ついに帰って来なかった。彼女がバスルームに籠もって衝動的に拳銃自殺を図ったのは、そんな虚しい待ちぼうけの果てのことだった…。それから数年後の1951年、ニューヨークの刑務所である一組の男女の犯罪者が死刑執行を待っていた。どうもこの犯罪者はかなりの有名人のようで、処刑の模様を一目見ようと多くの人々が押し掛けていた。その中に、この事件を担当したエルマー刑事と相棒のチャールズ・ヒルダーブラント刑事(ジェームズ・ガンドルフィーニ)もいた。そんなエルマーを同僚刑事の一人が「さぞ鼻が高いだろう」と声をかけるが、彼の顔は浮かない。「よしてくれ」と吐き捨てるように言うと、黙って席についた。そんなエルマーとチャールズの脳裏に、これまでの事件の経緯が甦る…。ホテルのロビーに飾ってある花を引っこ抜いて、花束にして持っていく男。この人物レイモンド・フェルナンデス(ジャレッド・レト)は見るからにイカサマの匂いプンプンの男だが、待ち合わせの相手の女たちにはそんな部分は見えない。女「たち」と言ったのは、彼のお相手は一人だけではないから。レイモンドは新聞のお相手募集欄「ロンリーハート・クラブ」で男を求める女を見つけては、うまいこと引っかけてカネを巻き上げる詐欺師だったのだ。時あたかもまだ第二次大戦の爪痕が残る時期。戦争未亡人は街にウジャウジャしていた。そんな彼はこの日もそんな女の一人と待ち合わせ。だがこの日の女マーサ・ベック(サルマ・ハエック)は、彼のいつもの獲物とはチト訳が違った。会って早速ベッド・イン。だが今まで男にキズつけられダマされてきた彼女は、すぐにレイモンドのウソを見破っていた。彼女をうまく丸め込んで、ホテルに置き去りにしたつもりのレイモンド。だが彼が次にやって来た葬儀の席でドジを踏みかけると、突然マーサが現れて彼の窮地を救うではないか。この日から、この奇妙な二人の詐欺道中が始まった。それはたちまちエスカレートして、ついには死人まで出ることに…。そんな犠牲者の死の現場に、妻に死なれた後ほとんど屍のようになっていたエルマー刑事と相棒のチャールズ刑事が調べにやってきたのは、そもそもほんの偶然からだった。しかし「自殺した女」という一点が、エルマーの異常な関心を駆り立てる。この女の死は「殺し」ではない。だがこの女は明らかに詐欺にあい、絶望の果てに死に至ったのだ。彼女を死に追いやったのは、兄妹を騙る男女。相棒チャールズは「捜査に私情をはさむな」と忠告するが、もうエルマーは止まらない。本来殺人課の仕事ではないはずなのに、この結婚詐欺の男女を調べ始めた。その一方でエルマーは息子エディ(ダン・バード)とのギクシャクした関係に悩み、同僚レネ(ローラ・ダーン)と人目に隠れた逢瀬を重ねながら結婚話ははぐらかしたままだった。ところが今度ばかりは「個人的感情」に駆り立てられたエルマーの予感的中。何とマーサはレイモンドとカモにした女ジャネットとの仲を嫉妬し、セックスの最中に後ろからハンマーで殴り殺してしまったのだ。そしてこれを契機に、「一線を超えた」二人の犯行はさらに血なまぐさいものになっていく…。

みたあと

 ジョン・トラボルタを筆頭に、見応えがある役者が4人も揃う。おまけに、ローラ・ダーンまで登場するという豪華版。この映画の魅力はそこに尽きる。トラボルタはヤケに横幅が広がって貫禄つきすぎだが、それでもスターとしての華があるのは事実。そこにクセモノ役者ガンドルフィーニやレト、これまた華やかさのあるサルマ・ハエック。そして少々疲れた中年女としてのローラ・ダーンもイイ味出している。ムード・サスペンスとして、この映画の醸し出す味わいは決して悪くない。しかもこれが「ロンリーハート事件」という実話の映画化と聞くと、ますます興味が湧くではないか。前述した「ハリウッドランド」や、不発ではあったが「ブラック・ダリア」(2006)と、この手の映画はキライじゃない。監督のトッド・ロビンソンはリドリー・スコットの「白い嵐」(1996)の脚本家という、いいんだか悪いんだか分からないキャリアの持ち主(笑)。ところが何とこの人、今回トラボルタが演じた主人公エルマー刑事の実のお孫さんにあたるというではないか。これはまさに因縁の企画と言える。道理で主人公の刑事が妻の自殺のトラウマに悩んでいたり、息子エディ(これは監督の父親ということになるわけだ)との関係がうまくいってなかったり…というお話が、本筋の「ロンリーハート事件」と同じくらいの尺数を割いて描かれるわけだ。そうなると、この映画はいろんな意味で「実話」の映画化だ。ならば、さぞかし興味深い人間ドラマが描かれようというもの。

こうすれば

 ところが…実はこの映画、基本的な部分で「実話」映画化としては困ったことをしているのだ。お話のキモもキモ。犯人カップルの女の方…マーサの実物は、エキゾチックでセクシーな美女なんかじゃない。何と体重100キロ以上のデブ女というではないか。確かに実話を映画化する場合、スターが演じて「美化」されるのは世の常。しかし、これはマリー・アントワネットをキルスティン・ダンストが演じるのとは訳が違う。詐欺師と愛欲の果てに連続殺人まで引き起こす「運命の悪女」が、ラテン系のセクシー美女なのか百貫デブ女なのかの違いはあまりに大きい。というか、まるでお話が違ってしまう。本来ケチな詐欺師どまりだった男が殺しにまで手を染めるあたり、ヤバイと思っても手を切れないあたり、セクシー美女相手なら「なるほど」と納得の範囲内だろう。むしろ意外性はゼロだ。だが、これが百貫デブ女だったらどうだ。そこに男女の仲の不思議さや業の深さが浮かび上がりはしないか。なのに映画は、そんな「実話」の深さや重さをバッサリ切り捨ててしまった。これはもう180度違うと言っていい。というか、これなら「実話」に取材する必要なんかないではないか。そのくせ一方では主人公の刑事は監督の祖父である…というような、妙な因縁話を創作の原動力にしている。それも女房が自殺して息子が言うことをきかなくて、おまけに女との関係も行き詰まってる…ってな、まるで発展性のない話。しかも、そんなケチ臭い部分だけは「実話」…こうなるとどこまで実話だか疑わしくもなるが…というチグハグさ、あくまでテメエ勝手な都合の良さ。これはどう見ても矛盾以外の何者でもない。本来は大事件の「ロンリーハート事件」こそをキッチリ描かねばならないのに、それを口実に身内のショボい話を語ってしまおうというセコい作戦。これって完全に自己満足でしかない。監督のやりたかった事は分かる。というかミエミエで…「ロンリーハート・クラブ」を使ってロンリーな女たちを食い物にした詐欺師や性悪女も、それぞれロンリーな心でつながっている。それを追う刑事の妻はロンリーな気持ちの果てに死を選び、刑事もその息子も新たな恋人もみんなロンリー。つまりは「みんなロンリーなんだ」…ってあたりを狙っているんだろう。だけど、それって「みんなみんな生きているんだ、友だちなんだ」って歌詞みたいに空疎なテーマだし、それを絵に描いたように「まんま」描いちゃう芸のなさも困ったものだ。しかも安易な結びつけ方をしちゃったおかげで、ドラマとしては完全に破綻しちゃってる。詐欺師カップルの犯行が殺しにエスカレートしたのは偶然だ。最初はダマされた女が自殺したに過ぎない。だからトラボルタ刑事が妻の自殺のトラウマからこの事件の捜査に入れ込んで…それが「ロンリーハート“殺人”事件」の解決につながるのは、単に「偶然」にそうなっただけなのだ。本当はそれなりに「いずれ殺人に発展する」という読みもあったのかもしれないが、トラボルタの捜査のモチベーションを「ロンリーな気持ち」に強引に持ってきちゃったために、無理と矛盾が露呈してしまった。第一、「みんなロンリー」っていうテーマを仮に受け入れるとして、やっぱりセクシー美女なのか百貫デブ女では全然違ってしまう。この映画は、その成り立ちから完全に間違っている気がするのだ。そもそも…そんな「みんなロンリー」テーマをこっちに置いたとしても、単なる捜査サスペンスとしてもイマイチ弱いというのはいかがなものか。正直言ってトラボルタも他の刑事も、大して捜査しているとは言い難い。割と簡単に犯人を見つけてるみたいに感じられちゃうから、ハラハラも何もないのだ。これはさすがに致命的ではないか?

みどころ

 5大俳優の豪華共演は確かに嬉しい。というか、正直言ってそこにしかこの作品の魅力はないかも。

さいごのひとこと

 大事件を身内の話にするな。

 

「タロットカード殺人事件」

 Scoop

Date:2007 / 11 / 20

みるまえ

 一時期のウディ・アレンには、正直言って愛想づかしをしていた。大半の作品はどれもこれも「過去の栄光」にあぐらをかいたようなモノばかり。たまには面白いモノもあるけれど、次には必ずガッカリさせられる。そんなトホホなウディ映画だったが、久々に「今度はちょっと違うかも?」と感じさせられる作品がやって来た。それが前作「マッチポイント」(2005)だ。何と舞台をお馴染みニューヨークからロンドンに移し、「太陽がいっぱい」風サスペンス映画を円熟した語り口で見せてくれた。ウディ自身もこの出来に満足だったらしく、今後もロンドンで撮影したいと宣言。ついでにヒロインのスカーレット・ヨハンソンともまた組みたいと言い出すに及んでは、「ウディ、またまた悪い病気が始まったか」とイヤ〜な予感もしてきた(笑)が、ともかく「マッチポイント」は新たなウディの黄金時代の到来を予感させる作品だったわけだ。そんなウディの創作意欲の回復ぶりはホンモノだったようで、何と今度はコメディ、それも自身が出演しての作品とすっかり本領発揮の様子。久々に、彼の新作に期待してしまった。

ないよう

 突如この世を去ったイギリスの新聞記者ジョー・ストロンベル(イアン・マクシェーン)は、何だかんだ言ってもスゴ腕だったし仲間からも一目置かれていた。葬儀の後の仲間たちの会話も、彼がいかにスゴかったかを讃える話ばかり。その記者魂は、実は死んでも少しも衰えてはいなかった。今、彼は死神が扇動する三途の川の渡し船の上。キリスト教徒に三途の川があるのかどうかは知らないが(笑)、ともかく船の上は死んだばかりの連中でごった返していた。ところがジョーは、そこで聞き捨てならない話を聞いた。近頃世間を騒がせているタロットカード殺人事件の真犯人が、ハンサムな貴族にして政界進出を狙っているピーター・ライモン(ヒュー・ジャックマン)だというのだ。そのネタ元はピーターの秘書。ところが彼女はピーターを疑って調べ始めた矢先、毒を盛られてこの船に乗るハメになったというのだ。こうなるとジョーの記者魂が黙っていない。彼は死神の目を盗んで、三途の川に飛び込んだ。その頃、アメリカの女子大生サンドラ(スカーレット・ヨハンソン)は、ロンドンで何とかアポをとった映画監督に体当たり取材を敢行。「体当たり」が過ぎてホテルでごっつぁんされたあげく、取材はまったく進まなかったというテイタラクだ。彼女は今、知り合いの名士の娘ヴィヴィアン(ロモーラ・ガライ)の家に世話になって、ここロンドンに滞在中。ジャーナリスト志望ではあるが、どうも空回りが多い。気分直しに出かけた先は、アメリカからやって来た奇術師シド・ウォーターマン(ウディ・アレン)のショウ。その途中、物体瞬間移動の出し物の際に、シドは客席からの参加を募る。そんなシドに舞台に上げられたのが、サンドラだった。怪しげな箱に入れられたサンドラ。ところが箱の中に閉じこめられるや、奇妙な男が現れるではないか。サンドラは知らなかったが、それこそ三途の川から逃げて来たあのジョーだった。「私はジョー・ストロンベル、ジャーナリストだ。すごいネタを掴んだので、あの世から逃げて来た。同じジャーナリスト仲間として特ダネを教える。タロットカード殺人の犯人はピーター・ライモンだ!」…ところが、それだけ言うと煙のように消えてしまうジョー。残されたサンドラは何が何だか分からないまま、ショウの物体瞬間移動は終わっていた。帰宅後、ジョーの言葉からネットで検索するサンドラ。ジョーは確かに有能なジャーナリストで死んだばかり。ピーター・ライモンは高名な貴族だ。では問題の「タロットカード殺人事件」とは? ロンドンで娼婦ばかりが何人も殺され、そのそばにタロットカードが置いてあったという恐怖の連続殺人。ジャーナリスト志望のサンドラの胸は高鳴る。翌日、奇術師のシドを訪ねたサンドラは、今までの経緯から協力を頼み込む。そんな面倒事などまっぴら御免のシドだったが、二人の前にまたしてもジョーの亡霊が現れるや、重い腰を上げざるを得ない。まずはピーターが通う会員制クラブのプールに潜り込み、サンドラが溺れたふりをしてピーターに助けられるという「出会い」を演出。何とトントン拍子でサンドラはピーターから別荘のパーティーに誘われる幸先の良さだ。ただし、サンドラとシドは父娘で、しかもシドはアメリカの石油王という設定。ともかく二人はそのパーティーに出席。シドのしゃべりはいちいち危なっかしかったが、何とかピーターの信頼を勝ち得た。さらにピーターの好意を得たサンドラは、今度は一人きりで別荘にお呼ばれ。案の定、早速のベッド・インだ。こうなると、「殺人容疑は間違いだった」とサッサと宗旨替えするサンドラ。探偵ごっこなんてやりたくなかったはずのシドが盛んにピーターの怪しさを指摘しても、「おかしいんじゃないの?」と逆ギレする現金さだ。ところがそんなある日、サンドラとシドのいるレストランの前を、この日ロンドンにいるはずのないピーターが歩いていくではないか…。

みたあと

 「マッチポイント」が久々に文句なしの快調を思わせたウディ・アレン。どうもロンドンの水が合ったのは間違いない。今回もストレートな面白さだ。スカーレット・ヨハンソンのヒロイン起用も、これまたアレンのモチベーションをググッと上げたようで、これまた久々の楽しい出来栄え。誰でも指摘することだろうが…映画としては、ミア・ファローと破局後に困っていたウディをバックアップするため、かつての盟友にしてパートナーだったダイアン・キートンが名コンビぶりを復活させた「マンハッタン殺人ミステリー」(1993)に、題材的にも作品のムード的にも酷似しているのが特徴だ。メガネをかけたヨハンソンはチャーミングだし、これまた2作ぶり久々の出演となるウディ・アレンも楽しげに演じている。ファンとしては無条件に見ていて嬉しいのだ。

みどころ

 何がどうと言って、この映画の最大のキモはやっぱりヨハンソンだろう。どうも彼女って手強い映画作家たちの手強い作品への出演ばかり目立っていたので、こんな軽妙さが出せるとは思ってもいなかった。メガネッコぶりも可愛いし、何より関西の漫才みたいにウディ相手にポンポンと元気よくしゃべくり倒せるとは思わなかったのだ。適度にアホっぽい演じっぷりも楽しい。もしヨハンソンの出演作がウディ映画とマイケル・ベイの「アイランド」(2005)だけだったら、彼女のイメージは180度違っていたのではないだろうか(笑)? 一方のアレンも彼女という絶好の相手役を得て、久々にノリにノッてる感じ。もう結構な年齢のはずだが、彼女に負けじとかなりのスピードでしゃべりまくっているのには驚いた。この張り切りよう。どう考えても、単に創作意欲だけの問題ではないわな(笑)。下心ミエミエ。劇場パンフの中のインタビューでも、ウディもヨハンソンも「恋人としての設定ではない」とか「私たちの関係は友情」だとか、聞かれもしないのにやたら強調しているのが余計に怪しさを増している。だがここは、ウディに元気を取り戻したヨハンソンの功績は大だと言っておこう。あと、ヒュー・ジャックマンも「X-メン」(2000)や「プレステージ」(2006)でも見られた、男前でカッコいいけど、どこか抑えが効かない危なさがある…というこの人本来のイメージを踏襲。持ち味を発揮していたのはリッパ。

さいごのひとこと

 やる気をかき立てたのはロンドンかヒロインか。

 

「スターダスト」

 Stardust

Date:2007 / 11 / 05

みるまえ

 「スター・ウォーズ」(1977)や「未知との遭遇」(1977)によって巻き起こったSF映画ブームのおかげで、玉石混交のSF映画がマーケットにブチまけられたように、「ハリー・ポッター」シリーズやら「ロード・オブ・ザ・リング」三部作のおかげで、いまやファンタジー映画の洪水状態のハリウッド。CGの発達のおかげで良質のファンタジー映画をつくれる条件が整ったとはいえ、正直言ってこれほど大量生産されると食傷気味なのも確かだ。実際にあれだけ粗製濫造されながら、見るべき作品ときたら「ナルニア国物語/第1章 ライオンと魔女」(2005)ぐらいのもの。先日鳴り物入りで公開された「エラゴン/遺志を継ぐ者」(2006)なんて、あっちこっちのファンタジー映画からオイシイところを取って来てツギハギしたような映画だった。そして今ここに、またまた新たなファンタジー映画の登場。その名も「スターダスト」。何だかタイトルも芸がなくて今ひとつやる気が感じられないし、予告編を見るとクレア・デインズが「私が流れ星よ!」なんて言ってる。おとぎ話だから何でもアリとはいえ、そんな事を言われてもねぇ…。原作を手がけたのが「もののけ姫」の英語版脚本を担当した男…とか言われても、それって「売り」になるのか? ただし前述のクレア・デインズにミシェル・ファイファー、間違いなくチョイ役だろうけどピーター・オトゥール、さらにロバート・デニーロと並んだ顔ぶれはヤケに豪華だ。こいつはひょっとして、見るべき価値はあるかもしれない。

ないよう

 かつてイングランドに、周囲を壁に囲まれたウォール村があった。その壁から外界に出ていく事は禁じられていたのだが、ダンスタン(ベン・バーンズ)という若者がその禁を破った。すると、壁の向こう側には不思議な街があるではないか。それは魔法の国「ストームホールド」だ。賑やかな市場には不思議なモノがいっぱい溢れていた。そこでダンスタンは、一人の魅力的な娘(ケイト・マゴワン)に出会う。彼女は自分は本当は王女だが、今は魔女の奴隷になっていると打ち明けた。実際に彼女の足には、いくら断ち切っても元に戻ってしまう魔法のワイヤーが縛ってあるではないか。彼女はダンスタンを誘うと、一緒に馬車の中へ消えた…。それから9ヶ月後、この「冒険」の後で村に戻ったダンスタンの元に、カゴに入った赤ん坊が届けられる。それはダンスタンの息子トリスタンだ。そんなトリスタン(チャーリー・コックス)が青年に成長したところから、この物語は本筋に入る。年頃になった彼は村の美女ヴィクトリア(シエナ・ミラー)に夢中。だが彼が何とか気を惹こうとしても、ヴィクトリアは金持ち男ハンフリー(ヘンリー・カヴィル)に首っ丈でトリスタンなど眼中にない。せいぜいいいように弄ばれたあげく、勤めていた店をクビになるアリサマだ。それでもなけなしのカネを注ぎ込んでシャンパンを買い、ヴィクトリアの気を惹く涙ぐましい努力。「高い酒がある」と聞くと、現金なヴィクトリアもついてきた。星空を見ながらささやかなデートとシャレ込んだトリスタンではあるが、ハンフリーが彼女への婚約指輪を買いに村を出ていったと聞くや心中穏やかではなくなる。それはヴィクトリアの誕生日のプレゼントで、その誕生日は今日からちょうど1週間後だ。それまでに何とかしなくては! 地上でトリスタンがそんないじましい事を考えている時、遙か彼方の「ストームホールド」国王の城でのこと。城の主である王(ピーター・オトゥール)は、いまや死の床に伏していた。王位継承についての話がある…と呼ばれた息子たち。かつては12人もいた王子も今では残り4人。なぜか王女ウーマも数年前から行方不明だ。いよいよ王位継承の話になるや、さらに目の色を変える王子たちは、この期に及んでも殺し合いをやめない。父親の国王も国王で、そんな息子たちを面白がって焚きつける始末。挙げ句の果てに身につけていた宝石の首飾りをはずすと、「こいつに後継者を決めさせる」と宙に放った。すると首飾りは空中をフワフワ浮いた後、いきなり窓から夜空へと猛スピードで飛び去って行くではないか。さて首飾りは地球からもどんどん離れて行き、宇宙の彼方まで飛んでいく。次の瞬間、宇宙空間でまばゆい光が放たれ、なぜか今度は流れ星が地球目がけて飛んで来た。その流れ星の光跡は、地上で星空を見上げながらシャンパンを飲んでいたトリスタンとヴィクトリアの目にもとまる。それを見たトリスタンは、ヴィクトリアに「あの星を持って来てやる」と約束するのだった。むろんそれは指輪に対抗する起死回生の苦肉の策だったが、流れ星が落ちたあたりは壁の向こう側。そして壁際にはやたら腕っ節の強い老人がいて、村人を向こう側に通すまいと頑張っていた。何とかそこを通過しようとやってはみたものの、いいようにコテンパンにされてしまうトリスタン。さてその頃、「ストームホールド」にトリスタンとは別に流れ星に有頂天になっている連中がいた。それは暗くいかめしい屋敷の中で暮らしている三人のおぞましい老婆たち…ラミア(ミシェル・ファイファー)、エンピューザ(サラ・アレクサンダー)、モルモ(ジョアンナ・スキャンラン)。彼女たちは「若さ」を手に入れるために、長年流れ星を待ち望んでいたのだ。そしてもし流れ星を見つけたら、その心臓を抉って食べてしまおうという算段。くじ引きで今回の「獲物」を捕まえる特権を得たラミアは、前回の「獲物」の残りを使って一時的な若さと美貌を取り戻す。こうして留守を預かるエンピューザとモルモの援護を受けながら、墜落した流れ星を探しに出かけることになった。一方、スゴスゴと自宅に引き揚げて来たトリスタンは、父親ダンスタンから自分の出生の秘密を聞かされる。そして母親が残してくれた手紙と1本のロウソクなどゆかりの品々を渡される。それは瞬時に思ったところに移動できるという魔法のロウソク。早速火を灯してみたトリスタンは、たちまち流れ星が墜落して出来たクレーターに飛んでいく。そのまま勢い余って、クレーターの底に横たわっていた若い娘と思い切り体当たり!…突然の事に思わず悪態をつくこの娘イヴェイン(クレア・デインズ)は、自分を「星」だと名乗った。そんな彼女は思わず近くに落ちていた首飾りを身につけていたが、それが王位継承に関わる因縁の品であるとは、イヴェインもトリスタンも知る由もない。ともかく「流れ星」イヴェインはヴィクトリアへの貢ぎ物だ。トリスタンは文句ばかり言うイヴェインを、例の断ち切ることの出来ないワイヤーで縛って、無理矢理村まで連れて行くことにした。結局イヴェインもどうすることも出来ず、トリスタンにイヤイヤながら従うことになった。その頃、主を失った国王の城では、まだ王子たちが殺し合いを続けていた。結局残ったのは、気弱ながら運が味方して生き延びてきたプライマス(ジェイソン・フレミング)と、残忍かつ自己中心な性格のセカンダス(ルパート・エヴェレット)の二人。「テメエはスッ込んでろ」とセカンダスに恫喝されると黙るしかないプライマスだが、「王のしるし」である首飾り探しに血道を上げるセカンダスを横目に、実は自分も首飾り探しに余念がないのだった。こうして各人それぞれの思惑を秘めた連中が、それぞれの「お宝」のために右往左往。やがて空に浮かぶ飛行船の主、その残忍さで人々に恐れられる海賊キャプテン・シェイクスピア(ロバート・デニーロ)まで巻き込んで、事態はもつれにもつれるのだった…。

みたあと

 先にも述べたように、昨今はいささか飽和状態のファンタジー映画。元から原作に定評がある「ロード・オブ・ザ・リング」や「ナルニア国」以外となると、何となく素性の怪しげなものまで映画化されているのが実態のようだ。乱暴に言わせてもらえば、「モテはやされている割には内容はトホホ」という点では、昨今わが国で大流行ながら「女の子が援交やってボロボロになったあげくに真実の愛に目覚める話」とか「女の子がレイプされてボロボロになったあげくに真実の愛に目覚める話」みたいな話ばっかの「ケータイ小説」並みのテイタラク。「ケータイ小説」が「女子高生ダマすにゃその程度の内容でいい」と割り切っているように、「イマドキ」ファンタジー小説&映画も、「ガキとガキ並みに退行現象に陥ってる大人をダマすにゃこんな程度で結構」と決め込んでいるのかどうかは分からないが、続々押し寄せる新作の中にはとてもじゃないが「大人の鑑賞に耐えられない作品」もしばしばだ。先日公開された「エラゴン」などは原作が中学生が書いたお話との触れ込み。実際の出来栄えも中学生小説ならば「順当」…というお寒い内容だった。 幼稚さで「定評」があるリュック・ベッソンの「アーサーとミニモイの不思議な国」(2006)も、これまた「毎度おなじみ」な仕上がり。「子供心を刺激する」ということと幼稚っぽさとはかなり違う気がするのだが、残念ながら今のところでは「幼稚」の域を出ない作品が多すぎるのだ。今回の作品もやけに豪華なキャスト(何とナレーションにイアン・マッケランまで参加している!)が売りだが、それを言うなら「エラゴン」もキャストだけは豪華だったし、作品の品質保証にはまるでならない。原作者ニール・ゲイマンは、映画のチラシなどでは「もののけ姫」の英語版脚本担当者…という良いんだか悪いんだかよく分からない紹介のされ方をしていたが、実はマンガ原作やら小説やら何やら…と幅広く手がけるマルチ・クリエイターで、受賞も数知れずという人物。「そのスジ」ではかなり知られた男らしい。だが…そんな高名な人物を捕まえて一刀両断しては怒られてしまうかもしれないが、僕にはその「マルチ・クリエイター」というインチキ臭い肩書きだけで「ケータイ小説」作家並みのいかがわしさがプンプン(笑)。出来上がった映画を見ても、僕にとってはそのいかがわしさが払拭されるどころか、ますます大した奴には思えなくなっちゃったから困っちゃうんだよねぇ。

こうすれば

 何がどう困ると言っても、それはこのお話のキモの部分を取り出してみれば分かる。実質的な主人公トリスタンがクレーターにやって来て、そこで若い娘イヴェイン(クレア・デインズ)と出会うくだりが、何と言ってもすべてを物語っているのではないか。「このあたりに流れ星が落ちたんだけど」「私がその星なの」「キミが星? あっ、そうなんだ。じゃあキミを連れて行かなくっちゃ」…このやりとりをスッとそのまま受け入れられるかどうかが、この映画を許容できるかどうかを左右するバロメーターになると思うんだが…こんなバカげたあり得ない会話を「はい、そうですか」とアナタは受け入れられますか(笑)? 「ファンタジー好き」は「これが受け入れられなければ、あなたの頭は固い」とか言いそうだけど、逆にこれをスッと受け入れられるような奴は、マトモな社会生活が営めるかどうか相当危うい(笑)。少なくとも僕が会社の人事担当だったら、絶対そんな奴に職は与えない(笑)。つまりはこの映画(ついでにおそらく原作も…)は、最初からこういう世界を受け入れられる人間向けにしかつくっていなくて、一般の人々にこういう作品世界を受け入れさせるための雰囲気醸成…あるいはそのための努力をやろうとしていない。これは手抜きなのか独善なのか、ストーリーテリングというものが分かっていないのか。最初からファンタジー「おたく」だけを相手にします…と閉じちゃっているのか。おまけにそこに描かれているものは、すでにもうどこかで見たようなアイコンやイメージの焼き直し、パッチワークに過ぎないから尚更ツライのだ。悪い魔女、年老いた王様、巨大な城、魔法の首飾り、魔法の剣…エトセトラ、エトセトラ。今回の映画はそこにM・ナイト・シャマランの「ヴィレッジ」(2004)をまぜたような趣向もチラつくが…ともかくそんなファンタジーでお馴染みアイコンを、順番を変えただけで繰り返し繰り返し提示されているだけみたいに見える。しかも今回は、「およそ150年前のイングランド」と出てきたり、まるでスペースシャトルから見たようなリアルな地球が出てきたり…と、それでなくてもファンタジーが醒める要素が連発。ここに描かれている世界はどこの世界なんだろう?…と気になって仕方がなかった。そしてその結果として生まれたのが、お話そのものの「増量感」。前述の「ないよう」を見ていただければお分かりかと思うが、あれはまだお話のほんの冒頭部分。なのにあれだけゴチャゴチャと要素が詰め込んである。一体どれだけの連中が右往左往して、みんなどんな「お宝」を狙っているのか。後半のヤマ場なども…放心状態で人間の村に入ろうとするイヴェイン、それを止めようとする奴隷女、イヴェインの危機に気づいて慌てて戻ろうとするトリスタン、イヴェインを捕らえようとする魔女ラミア、同じくイヴェインとその首飾りを狙う王子セカンダス…が次から次へと現れゴチャゴチャと話がもつれる。実はこの場面、トリスタンという主人公がなぜイヴェインを一人置いて村にノコノコ戻って来るのか…見ていて理解に苦しむ行動をするのだが、それはこの「ハラハラ場面」をつくりたいがため…なんだろう。そもそもお話の元々の発端部分で、奴隷の身の「王女」が何故に若いダンスタンを誘って契りを交わすのか?…という事も含めて、登場人物の心の動きに不自然さがありすぎる。それもこれも、お話を盛り上げたいがための無理矢理さが災いしているのだろう。そもそもやたら要素がゴチャゴチャして回りくどいのは、一本の太くて強い幹のような強力で揺るぎないコンセプトやストーリーラインを形成出来ていないからではないか。お話自体が…仮にトリスタンとイヴェインの二人の葛藤をメイン・ストーリーラインとすると…非常に脆弱で鮮度の低いものだと作者たちも気づいていて、何とか補強しようと厚塗りに厚塗りを重ねたからではないか。だが、「厚化粧」はどこまで塗っても化粧に過ぎない。「増量」は量が少ないよりはありがたいが、足し算はどこまでいっても足し算の域を出ない。どか〜んとダイナミックに化ける「掛け算」にはなり得ないのだ。やっぱりコンセプトやストーリーラインが弱いということに尽きる。ファンタジーの醸成に関する手抜き感やら登場人物の感情の不自然さも含めて…「ファンタジー小説&映画ファン」は、練り上げられたストーリーテリングなんてどうでもいいのだろうか? 「剣と魔法」さえ出てくりゃいいの?

みどころ

 そんなわけでケチを付けまくりの今回の作品だが、実は見終わった印象はそれほど悪くない。「エラゴン」なんかより数倍マシだ。いや、結構楽しく見たといえる。それは、脇に出てくる人物が面白いからだ。特に挙げたいのが空の海賊キャプテン・シェイクスピアと魔女ラミア。それらを大スターのロバート・デニーロとミシェル・ファイファーが演じていることが、役のボリュームを確実に増した。近年のデニーロはかつての作品厳選ぶりがウソのように何でも出ちゃう感が強く、そんな意味では今回の作品も「ハイド・アンド・シーク/暗闇のかくれんぼ」(2005)などと同様に「何で出ちゃったの?」と言えなくもない。だがこの映画としては、デニーロが出たおかげで厚みを増したのも確か。またファイファーもセクシーさと共に「バットマン・リターンズ」(1992)のキャットウーマン役のような「魔物」感をうまく活かして、楽しげに悪役を演じているのが嬉しい。そして何より一番ホメたいのは…例えば殺し合いをしていた王子たちが幽霊として出てくると、それまでがウソのように善良で無邪気になるように、基本的に登場人物を「善意の人」として描いていること。その最たるものが前述のキャプテン・シェイクスピアで、彼はわざと自分を残忍に見せかける「偽悪者」なのだ。何よりトリスタンとイヴェインの主人公カップルが「ケンカしながら仲良くなる」ハリウッド黄金の方程式のキャラクター設定になっているのが楽しい。このように基本的に登場人物を「善意」で固めているので、見終わった後味はすこぶるイイ。正直言って最近ではこれほど後味がイイ映画は稀だ。だから何だかんだとケナしても、この映画をコキ降ろす気にはなれない。何となく憎めない映画に仕上がっているのだ。監督は…といえば、意外にもあの「ロック、ストック&トゥー・スモーキング・バレルズ」(1998)などガイ・リッチー監督作品のプロデュースを手がけて来たマシュー・ヴォーンなる男。ちょっと気にとめておいてもいいかも。

さいごのひとこと

 「星くず」映画と思えば許せるくらいの輝き。

 

「キングダム/見えざる敵」

 The Kingdom

Date:2007 / 11 / 05

みるまえ

 そろそろボチボチ現れて来るかと思っていたら、やって来ましたハリウッド製「9・11以後」中東情勢映画の第一陣。「9・11」そのものについては「ユナイテッド93」(2006)とか「ワールド・トレード・センター」(2006)なんて映画が出来てるが、中東とテロを扱ったフィクションの映画はこれあたりが初めてじゃないだろうか。そういやトルコから「イラク/狼の谷」(2006)なんて映画もやって来たが、これもそんな際どい方向を狙った作品なんだろうか。そんなホットでヤバイ題材に取り組んだのは、「マイアミ・バイス」(2006)などのマイケル・マン。となれば、社会派映画というよりカッチョエエ活劇になっていそうな予感だ。

ないよう

 昔から、石油を巡って抜き差しならない関係にあるサウジアラビアとアメリカ。石油による富は王族を中心とする一握りの人々が独占し、当然のことながら彼らは親米派だ。だが、サウジのみんながそうとばかりは限らない。そこに中東のヤバイ状況や「9・11」以降の一触即発の状況が加わって…。そんなある日のこと、サウジの石油会社従業員が住む外国人居住区で、とんでもない出来事が起きた。少年野球大会の真っ直中、何と警官の服装をしたテロリストが、クルマでいきなり居住区に突っ込んで来たではないか。テロリストは辺り構わず銃を乱射。たちまち犠牲者がバタバタ倒れて、警備にあたっていたホンモノの警官たちは真っ青だ。阿鼻叫喚の中、逃げまどう群衆を誘導していた警官はこれまたテロリスト。その場の人々を巻き込んで自爆という最悪の結末で、とりあえず騒動は幕を閉じる。一方、こちらはワシントンD.C.。息子の授業参観に参加していたFBI捜査官フルーリー(ジェイミー・フォックス)は、サウジに駐在する友人のFBI捜査官からいきなり電話をもらって驚く。彼は問題のテロ現場に来て、あまりの悲惨さに思わずフルーリーに電話したのだった。ところが悲劇はそこで終わらなかった。現場検証の警官たちや付近の住民、さらに野次馬もごった返す現場が、次の瞬間には仕掛けられていた強力爆弾で吹っ飛んだからだ。この大惨事に、FBIでも緊急会議が招集された。フルーリーが一同に事件について説明を始める。医学の専門家の女性捜査官ジャネット(ジェニファー・ガーナー)もまたこの事件で友人を失い、涙に暮れていた。当然のことながら、FBIが捜査に乗り出すべし…という声が挙がるが、事はそれほど単純ではない。今回の事件はアルカイダのメンバー、反王族テロリストのアブ・ハムザの犯行である疑いが濃厚だが、サウジ政府はアメリカの介入を快く受け入れるわけがない。司法長官(ダニー・ヒューストン)に訴えても黙殺されるだけだった。かくなる上は…とフルーリーは知り合いのジャーナリストを使って駐米サウジ大使を引っ張り出し、「高官のスキャンダルを暴くぞ」とハッタリをかます。かくしてフルーリーは、わずか5日間ながらサウジへのFBI捜査官派遣を受け入れさせるのだった。こうして現地へ乗り込んだのは、フルーリー、ジャネット、さらに爆発物専門のサイクス(クリス・クーパー)、情報分析のレビット(ジェイソン・ベイトマン)の4人。意気揚々とやって来た彼らを出迎えたのは、サウジ国家警察のガージー大佐(アシュラフ・バルフム)とハイサム軍曹(アリ・スリマン)だ。だがガージーもハイサムも4人の協力者ではなく「監視」だった。あれこれと行動に制限をつけられ、どこに行くのもガージーとハイサムの同行付き。苛立ちを隠しきれないフルーリーたちは、ついついガージーたちと衝突を繰り返すのだが…。

みたあと

 面白い。不謹慎だとは思うが、アップトゥデートで社会的なテーマを扱いながら、派手なドンパチかませた娯楽アクション映画としてよく出来ている。正直言ってこういう映画をつくらせれば、ハリウッド映画の右に出る者はいない。とはいえ、さすがに問題の「中東」絡みとなると、いつものように単に面白がって見る気にもなれない。そうそう脳天気に無責任に楽しんでいられない気持ちになるから不思議だ。もっとも、そう言いながら自分が中東問題の何を知っているのかと問われれば、答えに窮するのも確か。…と、何を言いたいのか自分でもよく分からなくなりそうだが(笑)、どんなネタでも娯楽として楽しく見せてしまうハリウッド映画でも、やっぱりさすがにこの問題だけはそう単純にいかないところが難しい。そんな、ある意味「鬼門」と言うべき領域にとにかく挑戦しようとしたという点だけでも、今回は製作に回ったマイケル・マンや監督のピーター・バーグは評価されるべきかもしれない。

みどころ

 基本的にストーリーラインは異なる世界の刑事同士が連携して戦う…というハリウッド十八番のパターン。例えばアーノルド・シュワルツェネッガーとジム・ベルーシが共演した「レッドブル」(1988)とかマイケル・ダグラスと高倉健が共演した「ブラック・レイン」(1989)などといった作品のスタイルを完全に踏襲したものだ。特に今回では、後者「ブラック・レイン」の設定と酷似しているのが特徴。この作品も、サウジ警察のガージー大佐とFBI捜査官フルーリーとの連帯が物語のミソになっている。その意味で、ガージー大佐を演じたアシュラフ・バルフムとハイサム軍曹を演じたアリ・スリマンが出演している、自爆テロを描いた映画「パラダイス・ナウ」(2005)を見損なったのは痛かった。あの作品が東京で公開されていることは知っていたし、見たいとも思っていたのだ。何とも残念。ともかくハリウッド映画が中東の俳優を、このような役に起用したのは初めてのことではないか。その点でも大きく評価したい。映画自体は何だかんだ言ってもFBI捜査官がテメエ勝手に人の国に乗り込んで行く話だし、言いたい放題やりたい放題で最後に派手な市街戦までおっ始めてしまうムチャクチャさ。サウジの警察や社会システムを小馬鹿にしていたり、向こうの遅れた捜査方法を見かねてFBIが「教えてやる」かたちをとっているとか、アメリカ人の思い上がりと無神経さを露呈してもいるから、必ずしも両手放しに賛同は出来かねるところ。しかし、結果的に自分たちがノコノコ出かけていった事で相手国に迷惑をかけ、余計な犠牲を払ってしまったと気づかされるあたり、さらに自分たちが脳天気に「あいつら皆殺しにしてやる」などと思ったことが、結局は忌まわしさの連鎖になってしまうと描かれることも含めて、何とかギリギリのところ土俵際いっぱいで踏みとどまった感じだ。前述したサウジ警察のガージー大佐の扱いなどを考えると、むしろハリウッド映画としては画期的なバランス感覚かもしれない。何とザ・ロック主演の「ランダウン/ロッキング・イン・アマゾン」(2003)を撮ったりして、純粋娯楽派だとばかり思っていたピーター・バーグ監督の意外なまでの硬派ぶりにも驚いた。

さいごのひとこと

 「デス・プルーフ」(2007)のゾーイ・ベルがスタントやっています。

 

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