新作映画1000本ノック 2007年08月

Knocking on Movie Heven's Door


 このページの作品

「トランスフォーマー」 「消えた天使」 「ゴースト・ハウス」

 

「トランスフォーマー」

 Transformers

Date:2007 / 08 / 20

みるまえ

 今年の春あたりから東宝洋画系の劇場でかかっていた予告編を見て、スピルバーグ・ファンを自認する人たちなら、少なからず憂鬱になったんじゃないだろうか。あの御大スピルバーグと事もあろうに粗雑映画の帝王マイケル・ベイが、二人並んで出てくる例のやつ…「トランスフォーマー」宣伝用の「ティーザー」と言われる予告編である。しかし、あのアホ映画ばっかりつくるマイケル・ベイとスピルバーグが組むなんて…。その予告でチラッと見せられた本編は、何だか機械生物みたいなのが変態を繰り返している図。またぞろCGを多用した大味映画であることは間違いない。何でマイケル・ベイなんだよ、スピルバーグ。

ないよう

 中東カタールの砂漠のまっただ中に、図々しくも居座っているアメリカ軍の基地。陸軍大尉レノックス(ジョシュ・デュアメル)以下その部下たちの一団は、帰国を前にリラックスしていた。そんな彼らの気づかぬうちに、ある異変がこの基地に迫っていようとは。国籍不明・正体不明の軍用ヘリコプターが、どこからともなく基地を目指して飛んでいたのだ。管制塔はモノ言わぬそのヘリを基地まで誘導。用心のため周囲を包囲しながらも、たかがヘリ一機に圧倒的軍勢とあって、多少余裕で待ちかまえる面々だった。ところが…着陸しても沈黙を守るヘリ。おかしいと思い始めた時にはもう遅かった。ヘリコプターはいきなりガチャガチャと自分で変形を開始し、見る見るうちに巨大なロボット状のマシンに変貌。しかも周囲に激しい攻撃を仕掛けてきたから、たちまち基地内は阿鼻叫喚に包まれた。もちろんレノックス大尉たちも慌てて応戦するが、敵はやたらめったら強い。あっという間に基地は大混乱に陥っていく…。当然これはペンタゴンで大問題となった。正体不明の敵に、米軍基地を壊滅させられてしまったからだけではない。何とこの敵は大混乱の最中に基地のコンピュータに侵入、アメリカの軍事機密をダウンロードしようとしていたのだ。幸いにも機密漏洩は未然に防げたものの、ナゾは残ったまま。そんな頃、アメリカはカリフォルニアのある高校では…サエない高校生のサム・ウィトウィッキー(シャイア・ラブーフ)が宿題の発表を行っていた。課題は自分の先祖について。今から100年以上も前のこと、彼の先祖は南極探検を率いていた探検家だった…というところまではよかったが、いきなりこの先祖の遺品であるヒビの入ったメガネを売り飛ばそうとしたのはいただけない。実はサムは現在ネット上でもこの「由緒ある品」をオークションにかけていて、何とかカネに代えようと躍起になっているところ。そんな思惑にウンザリした教師が赤点を付けようとすると、必死に懇願して訳を話すサム。実は彼は父親にカネを出してもらい、初めてのクルマを買うことになっていたのだ。そのためには自分の元手のカネとこの授業の高得点が要る。そんなこんなで教師にイイ点をもらって、父親の元に急ぐサムだった。こうして出かけたのは近所の中古車屋。ところがサムと父親が店にやってきたのとほぼ同時に、一台のスポーツカー・タイプの黄色いクルマが滑り込んで来たのを誰も気づかなかった。運命のいたずらか…それとも何者かの思惑か、サムはこの黄色いクルマを手に入れることになる。ここで舞台代わって、命からがら基地から脱出したレノックス大尉以下の一団は、砂漠のまっただ中で機械の化け物に遭遇。こいつの攻撃に必死に応戦するハメになる。幸い小さい村で携帯電話を借りた彼らは、米軍に連絡。戦闘機による空爆によって辛くも命拾いをする。すると今度は、大統領専用機エアフォースワン内で異変が起きた。誰かが持ち込んだラジカセが人知れずガシャガシャと姿形を変え、奇妙な小型ロボットとなって機内で大暴れしたのだ。しかも今回も、このロボットは軍事機密をダウンロードしようと試みていた。この事実を重く見たペンタゴンでは国防長官のケラー(ジョン・ボイト)が事態の掌握に努めていたが、さすがにケラーとてもこんな奇怪な出来事を理解できるはずもない。またまた舞台代わって、カリフォルニアのサムのお話。彼がクルマを欲しかったのは、もちろん女にモテたかったから。だが憧れの彼女が、マッチョなフットボール選手の恋人ミカエラ(ミーガン・フォックス)だというのは相手が悪かった。本来なら手に入る訳もない高嶺の花。ところがこのフットボール野郎がミカエラをバカ扱いしたことから、本来身の丈に合わないサムにもチャンスが巡って来た。買ったばかりの黄色いマシンに彼女を乗せて、夢のドライブとシャレ込むことができたのだ。しかもこのクルマ、なぜか「ここぞ」という時に女心をキャッチする抜群の選曲センスのカーラジオを持っていた。いや、カーステか? ところが真夜中のこと、そんなサムの夢を担った黄色いクルマが、誰かに盗まれたのかゆっくり家から走り出していくではないか。「そりゃないよ!」と慌てたサムは自転車で追いに追う。さんざっぱらクルマを追いかけてやってきたのはスクラップ置き場。そんなサムの視線の彼方には…なぜか巨大ロボットが立ちはだかっているではないか。だがサムには、その黄色いボディには見覚えがあった。「あ、あのクルマは生きてる!」

みたあと

 実はこの本編を見る前に、この映画が日本製のロボット玩具とかロボット・アニメの映画化だと聞いていた。ハッキリ言って、そこまでハリウッドも企画が底をついたかとあきれたが…それを事前に知っていた上に監督マイケル・ベイということも分かっていたから、僕の中でのこの映画の期待値はゼロに近かったと認めねばならない。で、実際にはそれがよかった。中身がスカスカでバカっぽくて幼稚なガキ向け映画を想像していたから、いきなりの中東カタールにおける派手な戦闘シーンにのけぞる。それに中東カタール〜ペンタゴン〜カリフォルニアの高校生の話〜エアフォース・ワン…ってな話の飛びっぷりが、何とも僕好みの大げささなのだ。砂漠のど派手な戦闘場面やペンタゴンでの国防長官の場面の隣にシケた童貞高校生の話が来ちゃうあたりの落差が、何となく「未知との遭遇」(1977)をつくった頃のスピルバーグ・テイスト。お話が終始負け組男からの視点だけに終始する「宇宙戦争」(2006)もいいことはいいけど、同じ異星人登場なら「未知〜」の頃のケレン味ある語り口が正直言って懐かしい。だから個人的には、砂漠の戦闘〜ペンタゴン〜童貞高校生が同じウェイトで描かれる前半のムードは嬉しかった。戦闘やペンタゴンやエアフォースワンというヘヴィーな見せ場と等価値でサエないアンチャンの話があるからこそ、アメリカ娯楽映画独特の楽しさが生まれるのだ。そこに巨大ロボットが出て来ちゃうあたりでは、さすがに大人の観客としては一歩も二歩も退いちゃうところだが、それでもそこまで持っていくまでの話の段取りの付け方がいいではないか。まぁ、それに本来はロボット玩具が元ネタの幼稚なバカ話だ。それをここまで意味ありげに引っ張ってくれたのはホメてもいい。ちゃんとジョン・ボイトとかジョン・タトゥーロなどといった大物役者まで配して、それなりの重量感も出している。悪名高いマイケル・ベイも、今回は太平洋戦争だとか人間とは何かを問うフリをしたSFだとか、そんなもっともらしい理屈抜きだから持ち味発揮しているのかもしれない。所詮こいつはバカ映画専門なんだろう。

こうすれば

 正直言って、やっぱりロボットが出てきてしゃべったり大見得切ったりというくだりになると、大人としてはついていけない。最初から子供むけロボットものなんだから、逆にそこまでアレだけサスペンスSF風に見せてくれたことを「よし」としたいところだが、それでもそこまでが結構いいだけにねぇ…。ファンには申し訳ないが、こんなロボット映画でなければよかったのに…と言っちゃあ企画が最初から成り立たないか。それにしたって童貞高校生の自宅周辺で繰り広げられる、ロボットたちのドリフ「全員集合!」風のコントみたいな見せ場は、何とかならなかったのか。あまりのバカっぽさに笑っちゃったけど、ギャグが面白いから笑ったというよりくだらなくて失笑したというのが本音だ。考えてみれば、あれもスピルバーグ的「幼稚さ」とも言える。良くも悪くもスピルバーグ的な映画ってことなんだろうか。やっぱり何だかんだ言っても、幼稚でガキ向けのバカ映画であることは違いないのだ。だからマイケル・ベイには向いているとも言えるのだが。

みどころ

 ただし、この映画のスペクタクル・アクションの見せ場は凄まじい。よくCGを多用したスペクタクル映画を空疎だと批判したりするが、この映画のアクション場面は確かに凄いとしか言いようがない。それだけは認めねばフェアじゃないだろう。そしてこの映画がかつて量産されながら現在あまりつくられなくなった、ストレートな戦争映画やカー・アクション映画の再生産になっているあたりも見逃せない。昔と違って「政治的正しさ」を要求されるようになった昨今の映画では、ナチを叩いていればいい昔の爽快な戦争映画は望めなくなった。そして1970年代に粗製濫造されたカー・アクション映画は、いまやよっぽどの事をして見せなければ客の目を引けなくなった。そんな2つのアクション映画のジャンルを、この映画では形を変えた上でパワーアップして再現しているのだ。ロボット戦闘ものという幼稚っぽさを一旦保留すれば、確かにそこにだけはこの映画の意義があると思う。

さいごのひとこと

 映画館でなくトイザらスに来たかと思った。

 

「消えた天使」

 The Flock

Date:2007 / 08 / 13

みるまえ

 ついこの前、「傷だらけの男たち」(2007)を見たばかりの香港のアンドリュー・ラウ監督の新作またまた登場。それもビックリ、ハリウッドからの新作だ。確かに彼が手がけた「インファナル・アフェア」(2002)がハリウッドで「ディパーテッド」(2006)としてリメイク。それがオスカーまで獲ってしまうに至っては、オリジナルの作者の一人ラウをハリウッドに連れて来て1本撮ってしまおうという動きがあってもおかしくない。清水崇を連れてきて撮った「THE JUON/呪怨」(2004)や、先日公開されたばかりのパン・ブラザース「ゴースト・ハウス」(2007)などと全く違いはない。貪欲な人材確保に余念がないのがハリウッドだ。さて、今回のアンドリュー・ラウ作品のお題は…というと、猟奇殺人絡みのサスペンス映画。ぜ〜んぜん「インファナル・アフェア」と関係ないではないの。果たしてハリウッドでのラウ監督のお手並みやいかに。

ないよう

 「怪物と戦う時は、自分も怪物にならないように気を付けろ」…ある人は私にそう言った。深淵を覗く時、その深淵もこちらを覗き返しているのだ…。公共安全局の職員バベッジ(リチャード・ギア)は、今日も今日とて苦虫噛みつぶした顔をしながら、クルマを走らせ「職務」を遂行している。彼の仕事はシャバに放たれた性犯罪登録者を監視すること。だが、その仕事は彼を激しく疲弊させていた。かつてある少女が消息を絶った事件以降は、その度合いがますますひどくなる一方。そして今もまた、ハリエット(クリスティーナ・シスコ)という少女が姿をくらました。バベッジは苛立ちを隠せない。すべて奴らの仕業だ。バベッジはそんな感情を、そのまま仕事に持ち込んでいた。定期的に自分の受け持ちの登録者の家に押し掛けると、脅しまがいの言葉でいたぶるバベッジ。むろん、それはルール違反だ。だがバベッジは、彼らに「ルール通り」に接することの無意味さを思い知っていた。そんなバベッジの元に、新人の若い女性がアリスン(クレア・デインズ)がやって来る。実はバベッジは、あと18日で引退する身。その引き継ぎのため、アリスンが彼に付くことになったのだ。そのアリスンに、上司のスタイルズ(レイ・ワイズ)は打ち明ける。「本来ならベテランに新人の面倒を見てもらうところだが、今回の場合は逆だ」…実はバベッジは「やりすぎ」が災いしてクビを言い渡されていた。警官でもないのに銃を携帯するため、職場で浮きまくっている彼なのだった。そんな上司の思惑を知ってか知らずか、アリスンに無愛想に接するバベッジ。彼はアリスンを伴い、ある登録者の元を訪ねた。その男エドマンド(ラッセル・サムズ)は上品そうに見えたが、実は病的なサディスト。今は何もなかったような顔でシャバに出ているが、バベッジはそんなエドマンドに容赦などしない。彼の新しい恋人ベアトリス(アヴリル・ラヴィーン)の前で挑発を繰り返すが、エドマンドは冷ややかな表情で応じるだけだ。しかしバベッジは、ベアトリスの前歯が欠けていたのを見逃さなかった。それでも恋人の振る舞いを喜んでいるように見えるベアトリスに、「何かあったら連絡しろ」と言うのが精一杯のバベッジだ。次にバベッジがアリスンを伴って行ったのは、ビオラという女(ケイティー・ストリックランド)が働く美容院。この女の夫は、3人の女性を監禁・暴行したあげくバラバラにして殺した罪で死刑になっていた。実はビオラ自身もそれに荷担した罪で捕らえられたのだが、彼女は自分も夫に虐待されていた被害者だと主張して減刑されたのだ。だがバベッジは手加減など一切無し。言葉でネチネチいたぶって追いつめる。そんなバベッジのやり方に、アリスンはどうしても賛同できない。それでも行方不明のままの少女の家に行って両親の心のキズを思いやるバベッジの姿に、彼の熱心さだけは認めざるを得ないアリスンだった。とはいえ、新聞を見ると片っ端から性犯罪に関する記事にマルを付けるバベッジの姿は、もはやどこか常軌を逸していた。実は夜になると、若い娘を物色中の例のエドマンドの前に覆面をかぶって出没。バットでブチのめすほどに心も病んでいたのだ。そんなバベッジは行方不明になっているハリエットの家に押し掛け、刑事たちに「協力したい」と申し出るが、迷惑がられてその場を追い返される始末。こんな事をやらかすのも、どうも今回だけではないようだ。挙げ句の果てに、刑事まがいの「捜査」を開始するバベッジ。それに付き合わされるハメになったアリスンは、日常に潜む「闇」の世界に徐々に引き込まれていく…。

みたあと

 一見した印象は、クリント・イーストウッド主演の「タイトロープ」(1984)とかニコラス・ケイジ主演の「8mm」(1999)などといった猟奇サスペンス風味の捜査モノと共通するテイスト。アメリカ映画のその手のジャンル作品の典型的なムードを持っていて、何で「インファナル・アフェア」のアンドリュー・ラウを連れて来たんだか最初のうちは分からない。これならハリウッドの職人監督でも問題ないのではないかと思わせる印象だ。逆に言うと、それくらいアンドリュー・ラウの手つきはハリウッド映画でも危なげがない。ジャンプ・カットなどを多用するあたりも、イマドキのハリウッド映画の定石。そして前述「タイトロープ」や「8mm」と同じく、主人公を案内人にした「セックス地獄巡り」が見どころとなっている。このへんは、ホラーな味があってかなりコワイ。異常な犯人と徐々に同化していく主人公…という設定も、「タイトロープ」や「8mm」と同様だ。そういえば「インファナル・アフェア」も悪の側と善の側の主人公が合わせ鏡のように並び立つ、「悪の相似形」を描いた作品だった。それでアンドリュー・ラウを連れて来たのだろうか。ともかく異色のサスペンス映画として、ある程度成功していると言える。こうなってくると、ハリウッドに到達する前にアンドリュー・ラウが韓国で撮った「デイジー」(2006)の出来栄えが気になってくる。

!!!映画を見てから読んで!!!

こうすれば

 このようにサスペンス映画として一定の出来栄えを見せる「消えた天使」だが、ある一点だけは気になる部分がある。どう見てもリチャード・ギア扮する主人公は異常な人物で、執拗に新聞にマルを付けたり、ファミレスでジャレ合っているカップルに殴りかかったり…と、やってることがもはやマトモではない。銃を携帯したり性犯罪者に「ストーカー」まがいにまとわりついてイヤがらせを繰り返したり、果てはバットで殴ったり…となれば、もはや完全にアッチに行っちゃってる人物だ。映画でも「異常者の世界に一線を踏み越えて入ってしまう」とか「自分の中に異常者と共通するモノを見出す」とか、そういう扱いで描いている。ところがこの映画が危なっかしいのは、そんなギアが不当にいたぶっていた人物が、揃いも揃って「やっぱり憎むべき異常犯罪者でした」…という結末を迎える点だ。「異常者はこのくらい手荒く扱っていいんだ」と言わんばかりにイヤがらせや攻撃を繰り返すギアは、どう見ても明らかに行き過ぎなはず。映画もそう描いている素振りを見せる。だが、そこでいたぶられていた人物全員が本当に憎むべき犯人で、かつまったく反省の色のない連中だった…という結論になると、結果的にギアのあの接し方は正しかったということになってしまう。「性犯罪者は人間扱いする必要なし」…と、映画がお墨付きを与えているように見えてしまうのだ。このあたり、何となく問題が微妙にすり替えられてしまっている気がする。これはちょっとマズイんじゃないのか。かつて「8mm」という作品でも微妙な後味を味わった僕だが、今回はそれと相通じるものを感じてしまった。僕はまだ未見だが、この「消えた天使」と対照的な題材を扱っていると思われる現在公開中の「リトル・チルドレン」と2本立てで上映したら、果たしてこの作品はいかなる印象で見えてくるだろう。それと、人気シンガーのアヴリル・ラヴィーンは一体何であんなつまんない役で映画に出たのか?

さいごのひとこと

 安倍総理みたいに居座らないだけギアはマシ。

 

「ゴースト・ハウス」

 The Messengers

Date:2007 / 08 / 06

みるまえ

 「レイン」(1999)で名を挙げ「アイ」(2002)で地位を確立したパン・ブラザース。そんな彼らがついにハリウッド上陸だと言う。そりゃめでたいとは思ったものの、やっぱり今度もホラー映画と聞いて食傷気味な気分になったのは否めない。僕は「アイ」の出来栄えには感心したものの、その前の「レイン」が非ホラー映画だっただけに、まさかその後こうもホラーばっかつくるとは思わなかったからね。しかもその品質は、こう言っちゃ何だが徐々にジリ貧になってきていた。そんなわけでこの映画も、見ようか見まいかちょっと迷ったところがあったわけだ。結局はパンブラのハリウッド進出へのご祝儀みたいなつもりで見に行ったわけ。

ないよう

 そのど田舎の一軒家では、かつておぞましい出来事が起きていた。幼い男の子を連れて逃げようと慌てていた母親は、扉をブチ破って入って来た「何者か」にフン捕まえられた。そのまま思い切り壁に打ち付けられ、頭をカチ割られる母親。男の子はベソをかきながら呆然としていると、男の子の姉が駆け寄って来て彼を逃がそうとする。しかし今度は姉が捕まった。「何者か」に捕まえられ、地下室へとズルズルと引っ張り込まれていく姉。床にはそんな彼女のツメの跡が残された。最後にたった一人残された男の子は、トラクターのオモチャを握りしめながら戸棚の中に隠れて息を潜める。しかし、それも結局無駄な抵抗だった…。それから幾年月。このど田舎の一軒家に移り住もうと、シカゴからクルマでやって来た一家がいた。それは父親ロイ(ディラン・マクダーモット)と母親デニース(ペネロープ・アン・ミラー)、そして高校生の姉ジェス(クリステン・スチュワート)、3歳児の弟ベンという4人家族だ。だがこの一家、何となくギクシャクしている感じがする。特に母親デニースと長女ジェスの間に、何となくすきま風が吹いているではないか。そもそもこの一家が「都落ち」してこんなど田舎に引っ越して来たこと自体ヘンだ。父親のロイはこの家を見て「最高」とか「環境がいい」とか言ってるが、どこか無理があることがアリアリ。娘のジェスはジェスで冷え冷えした表情を隠さない。早速荷を解いて部屋の片付けを始める一家だが、実はそんな彼らの周辺で異変が起きていることに、本人たちはまだ気づいていなかった。最初に「それ」に気づいたのは3歳のベンだ。この子はなぜかいまだに口をきかないが、「何か」がこの家にいることだけは気づいていた。そんなある日、父親ロイが買い物で街へと出かけた折り、ジェスもそれについて行くことにする。そこで彼女は、ちょっとイモな兄ちゃんボビー(ダスティン・ミリガン)と知り合った。そしてジェスはこのボビーに、以前の家の持ち主について訊ねてみる。彼によれば、かつてこの家には4人家族が住んでいたらしい。それが数年前の大凶作の年に、突然姿を消してしまったというのだ。一方、父親のロイはここでヒマワリ畑を始めようとしていて、そのための種を購入して戻ってきた。ところがいきなりカラスの大群が襲って来て、どんどん種をついばみ始める。身の危険を感じるほどに集まって来たカラスにロイがガクゼンとしていると、遠くから誰かがライフルを撃ってカラスを脅かし始めるではないか。ロイはカラスを追い払ってくれたこの流れ者ジョン(ジョン・コーベット)に信頼を寄せ、農作業を手伝ってもらうことにする。こうしてジョンは、家族のようにこの家に寝泊まりすることになった。ところがそんなある日、ロイが手に大ケガを負ってしまう。デニースがクルマでロイを街の医者まで連れて行ったため、家にはジェスとベンの二人だけ。そんな折りもおり、突然家の中のモノが激しく動き出し、派手な物音がし始めるではないか。さらにベンが「何か」に誘われ、地下室の扉まで歩いて行ってしまう。慌てて後を追ったジェスはジェスで、「何か」に捕まえられて地下室へと引っ張り込まれそうになる始末。そんなこんなで慌てて警察を呼んだジェスだが、彼女の悲鳴で駆けつけたジョンに助け出されてみると、家の中は何もなかったかのように静まりかえっていた。おまけに間の悪いことにロイとデニースが戻って来ると、わが家にはパトカーは駆けつけ騒然とした状態。何だかんだ言っても大騒ぎしたあげく何も起きていないという、ジェスにとっては最悪の結果だ。ロイとデニースはジェスを一人にしてマズかったと思い、彼女の言う「何かが出た」という話を聞こうともしなかった。そもそも、ジェスにはシカゴで「前科」があった。その「ヘマ」のおかげで、両親との間に心の溝が出来てしまったのだ。その後も次々と異常現象を目撃するジェスだったが、こんな状況では親に言っても信じてもらえない。一人でこの家から逃げ出す訳にもいかず、ジェスはこの家への恐怖と家族への疎外感に追いつめられていく…。

みたあと

 いかにもアメリカらしい「幽霊屋敷」モノ。この映画を見ていて思い出したのは、「実話」と銘打たれていた「悪魔の棲む家」(1979)のことだ。真っ黒い液体がにじみ出てくるなど…家の中で起きる怪奇現象の数々が、この「悪魔の棲む家」とよく似ていたからだ。特にアメリカの「幽霊屋敷」モノの場合、この「悪魔の棲む家」といいスタンリー・キューブリックの「シャイニング」(1985)といい、どこかに「家庭崩壊」的なニュアンスが強いのも特徴だ。そんな意味でも、この作品はアメリカ製「幽霊屋敷」モノの典型だと言える。しかしこの映画はその一方で、「アイ」に始まるパン・ブラザース制作のホラー作品の特徴をそのまま受け継いでもいる。カメラの前や遠くを不意に横切る「何か」。そしてその「何か」が現れる時に、突然サウンドトラックから聞こえて来る大音響の効果音。何しろ「アイ」のイントロから、ドルビーステレオを駆使した音のコケ脅しがパンブラ・ホラーの常套手段だ。今回もイヤというほど、ここぞという場面で轟音が炸裂しっぱなし。あまりに毎度毎度なので、正直言ってだんだん恐くなくなって来ちゃうきらいもあるのだが…。

こうすれば

 正直言ってちょっとマンネリのきらいもなきにしもあらずだが、これがパンブラ・ホラーの持ち味だから仕方がない。というより、元々パンブラってホラーが好きでもなければホラーをつくってるつもりでもないのかもしれない。本格ホラー・ファンにとっても、これはホラーとは思えないのではないか。結局いつも大音響で脅かしてるというのは、映画というよりほとんど遊園地のお化け屋敷と同じだ。むしろ「アイ」で目が見えなかったヒロインの心情に寄り添ったように、「ホラーではない部分」にこそパンブラの関心は向けられているようなのだ。それをホラーらしく見せているのが、例の大音響ということなのだろう。そして「アイ」以降のパン・ブラザースは、東京国際映画祭に出品された「オーメン」(2003)だとか兄のオキサイド・パンによる単独監督作「アブノーマル・ビューティ」(2004)だとか、いかにも商売で引き受けたようなアイドル主演ホラーばかりつくっていた。実は今回の作品も、「パニック・ルーム」(2002)でジョディ・フォスターの娘役をやっていた女優を主演に迎えている。正直言って「パニック・ルーム」での彼女の顔が浮かんで来ないのだが、きっとまだ幼かったのだろう。しかしこのクリステン・スチュワートなる女優さん、何となく幸薄系で華がないのが気になる。屈折した役どころとは言え、何となく地味〜な感じがしてくるのだ。

みどころ

 「家族の絆」ってな分かりやすいところに持っていくのは、アメリカのこの手の映画の常套手段かもしれない。今回はそれが「ホラーではない部分」が本来の持ち味であるパンブラの資質に合っていたように思う。地味で小粒ながらソコソコ面白かったし。しかし、あくまでソコソコどまりなのがツライところ。将来を大きく期待されたパン・ブラザースのその後の状況を考えてみると、何となく寂しい気持ちにならないでもない。

さいごのひとこと

 このままだとぴんから兄弟並み。

 

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