新作映画1000本ノック 2007年06月

Knocking on Movie Heven's Door


 このページの作品

「ザ・シューター/極大射程」 「スパイダーマン3」 「主人公は僕だった」

 

「ザ・シューター/極大射程」

 Shooter

Date:2007 / 06 / 11

みるまえ

 マーク・ウォールバーグが一匹オオカミの狙撃手を演じる。最初は大統領暗殺を未然に防ぐことに協力させられるが、それは罠だった。かくして無実の罪を着せられたウォールバーグは、ワンマン・アーミーとなって復讐の戦いを開始する…という内容。面白そう。僕はそもそもウォールバーグという役者が好きなのだ。「ブギーナイツ」(1997)、「ビッグ・ヒット」(1998)、「ロック・スター」(2001)…などなど、好きな作品も多い。だからこそ、僕は「ディパーテッド」(2006)でのアカデミー助演男優賞ノミネートに複雑な心境だった。あれは、こいつでも天下のスコセッシ作品出演が出来るようになる…という「ご苦労さん」ノミネートだったのか。役柄も冴えないし演技も大したことがなかっただけに、僕はちょっとがっかりしちゃったのだ。そんなウォールバーグが今度は一枚看板の主演とくれば、期待しないわけにいかない。そもそも男性スターは、ワンマン・アーミーものをやらせればいい味出すのだ。これは見るしかない。

ないよう

 内戦状態のアフリカ。小高い山の頂上に、二人のアメリカ兵が銃を構えて潜んでいた。それは海兵隊特殊部隊の射撃の名手ボブ・スワガー(マーク・ウォールバーグ)と相棒のドニーだ。そこで敵を仕留めて無事帰還のはずが、予想外のヘリが襲いかかって来た。慌てて本部と連絡を取るが、なぜか連絡はつながらない。本部は彼らを見捨てたのだ。唖然とするスワガーの目の前で、相棒のドニーは敵の銃弾に倒れた…。それから3年。スワガーは世捨て人のように、山小屋で愛犬とともに暮らしていた。そんな彼の元に、ジョンソン大佐(ダニー・グローバー)と部下の男たちがやってくる。ジョンソン大佐はスワガーに手を貸せと頼みに来たのだ。というのも、実は大統領暗殺の計画が察知され、それが近々行われることまでは分かっていながら、どこで実行されるかは分からない。そこで間近に大統領の遊説が行われる3つの都市…ワシントンDC、ボルティモア、フィラデルフィアについて、暗殺の可能性を洗って欲しいというのだ。それも間近から狙うのは不可能だから、かなり遠距離からの狙撃ということになる。最初から事の成り行きが気に入らなかったスワガーは、お上の要請などチャンチャラおかしいと追い返すが、実は暗殺阻止ができるのは自分だけだと分かっていた。そこで一人で遠距離狙撃の可能性を検討。愛犬を小屋に置いて、単身3つの都市での暗殺実行を検討することにした。結果はフィラデルフィア。スワガーはこの結果を携え、改めてジョンソン大佐の元へ報告に行った。こうしてスワガーは、はからずも望んでいなかった大統領狙撃阻止の現場に居合わせる羽目になる。大佐は暗殺阻止の特殊部隊を指揮。スワガーは街はずれのビルから暗殺犯の動きを見張ることになった。すると案の定、風がやんで絶好の暗殺のタイミングが生まれたではないか。「今だ、奴を止めろ!」…だが次の瞬間、激しい銃声とともに演壇の大統領…ではなく、隣のエチオピアの大司教が倒れる。さらに次の瞬間、スワガーに向かって後ろから警官の弾丸が撃ち込まれるではないか。そのままスワガーは窓をぶち破って下へ落下。たまたま下には温室があり、そこでワンバウンドしてかろうじて一命はとりとめた。深手を負ってはいたが戦いのプロであるスワガーは、素早くその場を立ち去る。するとたまたま見張りをしていたFBIの新米ニック・メンフィス(マイケル・ペーニャ)と遭遇。むろんニックは応戦するが、百戦錬磨のスワガーの敵ではなかった。たちまちその場に組み伏せられ、拳銃とクルマを盗られる始末だ。さてニックのFBI専用車で逃げ出したスワガーは、激しい出血をクルマに常備してある止血剤で止める。だが市内のパトカーが一斉に集結するような状態に、いよいよ逃げ場はなくなった。スワガーはクルマを川の中に突っ込むと、そのまま流れに紛れてフィラデルフィアを脱出した。だが、もはやスワガーに逃げ場はない。彼はジョンソン大佐たちの罠にハメられ、今や大司教の狙撃犯として追われる身だ。窮地に追い込まれたスワガーは、それまで考えもしなかった行動に出た。それは死んだ相棒ドニーの妻サラ(ケイト・マーラ)の家に身を寄せることだ。一方、狙撃犯をみすみす取り逃がした汚名に意気消沈のニックは、周囲の冷たい視線に耐えながら事件を独自に追い始める。すると…どうにも理屈に合わない話が多すぎるじゃないか。こうしてニックが真相を突き止めようと動き始めた頃、スワガーもまた、一気に巻き返しのチャンスを狙い始めていた…。

みたあと

 というわけで、ワンマン・アーミーのスワガーの活躍が始まる。演じるマーク・ウォールバーグは、これまでどっちかというと気のいいアンチャン役が身上の人。「ブギーナイツ」からこっち、ずっとそれが持ち味だったはずだ。そう考えてみると「ディパーテッド」で初めて辛口の役を演じたことになるのか。あのオスカー助演賞ノミネートも、一種の「イメチェン」賞だったのかもしれない。そんな「ディパーテッド」を通過しての本作は、すっかりハードな味の男性スターに方向転換だ。そして、そんなウォールバーグがまたまた良いのである。無駄口叩かず黙々と戦う男がすっかり板に付いてる。ただ、そんなイメチェン・ウォールバーグだったらウォールバーグでなくても良かったんじゃないの?…と疑念が出てくるのもゴモットモ。今回の主人公がなぜウォールバーグでなければならなかったのかと言えば、何よりあの「善良そうな顔」がモノを言っていると指摘しなければなるまい。どんなにクールに振る舞っても裏切られてシニカルになっても、根底には素朴な善良さが常にある。それこそが、この映画の主人公がウォールバーグでなければならない所以だ。

みどころ

 もちろん一番の見どころはウォールバーグの男っぷり。テキパキと行動し大胆に戦う立ち振る舞いを見ているだけで楽しい。だが、単純にそんなワンマン・アーミー映画なら他にもあった。この映画の楽しい点は、サブ・キャラクターとして新米FBIのマイケル・ペーニャが出てくること。「クラッシュ」(2004)で見せた愚鈍なまでの善良さを今回も遺憾なく発揮。このお人好しが、いつの間にかウォールーバーグと運命を共にしていくあたりが楽しいのだ。

こうすれば

 ただし、途中までクールでリアルな展開だったものが、終盤いきなりひっくり返ってしまうのはいかがなものか。法では裁けないワルどもをウォールバーグが天に代わって裁く…というお話になってしまうのは、いくら何でもこれじゃ荒唐無稽過ぎる。まるで「必殺」シリーズみたいだ。おまけにダニー・グローバー、ネッド・ビーティーはじめとする「ワル」の陣営の連中が、事の終わった後にわざわざ集まって過去の悪事をわざとらしく話しながら高笑い…っていう構図も、何だか日本の安っぽいテレビ時代劇みたい。「のう、三河屋。オマエもホントにワルよのお」「いえいえ、お代官さまの悪巧みには足下にも及びません」「何を申すか、そちの方がずっとずっとワルではないか」「いえいえいえ」…な〜んてしゃべってるところへ、ウォールバーグが片を付けに来るという段取り。このおかげで、ダニー・グローバーやネッド・ビーティたちの陰謀も、彼ら自身もやけに安っぽくなってしまった。ウォールバーグの行動自体も、何となく幼稚っぽく見える。監督のアントワン・フークアは、「キング・アーサー」(2004)などソコソコ面白い題材を扱いながら、肝心のところで何となく危うい印象がある。今回も、まさにそういう出来の映画になってしまった。このエンディングは本当に残念だ。

さいごのひとこと

 「必殺」までハリウッド・リメイクされたかと思った。

 

「スパイダーマン3」

 Spider-Man 3

Date:2007 / 06 / 11

みるまえ

 サム・ライミが「スパイダーマン」を撮る。しかも主演はトビー・マグワイア…と最初に聞いた時、そのあまりのセンスの良さに思わず膝を叩いた。それならいけるかも。確かに1作目「スパイダーマン」(2002)は凡百のハリウッドSFX超大作とは一線を画して、それなりの個性と味わいを持った映画に出来上がっていた。では「好きな映画」だったかと言えば…正直言ってあまり得意なたぐいの作品ではない。2作目「スパイダーマン2」(2004)は1作目よりさらに内容が濃く出来映えも優れていると思いながら、もう一回見直したいかと言えば「ノー」だ。何がどうダメなのかは分からないし、映画的にはむしろダメより優れていると思いながらも、どうも自発的に「見たい」という気にならない。だから今回の3作目も、僕にとってはどうでもいい感じがしていた。おそらく出来はかなりいいのだろう。でも、予告編やさまざまな情報に触れてみても、僕が「見たい」と思う映画とは思えない。今回のスパイダーマンと来たら…叔父を殺した宿敵は怪人になって襲ってくるし、親友も怪人になって襲ってくる。おまけに変な宇宙からの寄生生物がスパイダーマン・スーツに取り付いて真っ黒になり、元々傲慢と復讐心の虜になりつつあった主人公自身がおかしくなっていく。恋人との仲にもすきま風が吹くらしい。渡る世間は鬼ばかりっていうか敵ばかりではないか。いくら何でもこれでは見ていて重苦しすぎやしないか。現実がそんなに楽しい事ばかりでもないだけに、お金払ってまで映画館でイヤな思いはしたくない。第一、こんなに四方八方から敵ばかり押し寄せてくるってお話、どうやって交通整理するんだ。正直言って、ほぼ同じ時期に公開される海賊映画の3作目と同様、僕はあまり見る気がしていなかったのだ。しかし、すでにシリーズの2作目まで見ていたし、今までも出来は確かに悪くなかった。仕方なく…という言い方は悪いが、渋々劇場に足を運んだ次第。

ないよう

 名実ともにニューヨークのヒーローとして、スパイダーマンの人気は絶頂。その正体であるピーター・パーカー(トビー・マグワイア)も絶好調の日々を送っていた。恋人MJ(キルスティン・ダンスト)もブロードウェイのショウで主役をつかみ、初日に正体されたピーターは鼻高々。公園の林に自作のクモの糸製ハンモックを張って、夜空の流れ星を見ながら彼女と愛を語るピーターは、幸せがいつまでも続くと確信した。しかし好事魔多し。そんな流れ星の一つが、二人のすぐそばに落ちたことをピーターは気づかなかった。その隕石の中から、黒くて液状の何者かがこぼれ出たことも。そいつは忌々しいことに、ピーターのスクーターにへばり付いた。一方、ピーターの学生時代からの親友ハリー(ジェームズ・フランコ)は、スパイダーマンの正体がピーターであると知り、父の仇と逆恨み。父親の後を受け継ぐニュー・ゴブリンに変貌してしまう。そうとは知らぬピーターは伯母のメイ(ローズマリー・ハリス)に会いに行き、MJに求婚することを告げる。伯母はそんなピーターに、自分の結婚指輪を差し出すのだった。その帰り道、いきなり空飛ぶ乗り物でピーターに襲いかかるニュー・ゴブリン。あまりの執拗な攻撃に、ピーターもついに全力で反撃。そのせいか、ニュー・ゴブリンことハリーは空中から転落。頭を強打して瀕死の状態になってしまう。ピーターは慌てて病院にハリーを担ぎ込むが、命の別状はないものの記憶が失われてしまう。それは、ハリーから父の死の悲しみやスパイダーマン=ピーターへの憎しみが失われることでもあった。ピーターは罪の意識とともに、いささかの安堵の気持ちも感じざるを得ない。ところが今度はピーターとMJの仲がおかしくなってきた。MJが舞台の不評で降板させられたのも知らず、スパイダーマン人気絶頂に自己満足のピーター。たまたま危機を救った大学のクラスメートのグウェン(ブライス・ダラス・ハワード)にチヤホヤされたのもマズかった。せっかく一流レストランでMJへのプロポーズを狙ったのに、ピーターの作戦は大失敗。二人の間に秋風が吹き始める。一方、今頃になって叔父を殺した「真犯人」が判明し、ピーターは大いに動揺する。その犯人とは、強盗のマルコ(トーマス・ヘイデン・チャーチ)。しかもこの男、脱獄して現在逃亡中という。実はマルコには病弱の娘がいて、その治療費のためにカネが必要だったのだ。ところがマルコは警官に追われたあげく、危険な物理実験場に迷い込んでしまう。そこで偶然危険な実験に遭遇した結果、自らの身体を粉末状に分解できる「サンドマン」という怪人に生まれ変わってしまう。「サンドマン」となったマルコは早速その能力を活かしてニューヨークで現金輸送車を襲うが、そこにスパイダーマンが立ちふさがったのは言うまでもない。その後「サンドマン」の正体を知ったピーターは憎き叔父の仇への復讐を誓い、「サンドマン」もまたジャマなスパイダーマン打倒を決意するのだった。またその頃、デイリー・ビューグル紙にスパイダーマンのスクープ写真を売ろうとエディ(トファー・グレイス)なるカメラマンが現れて、スパイダーマン写真の独占で家計の足しにしていたピーターとしては煙たくて仕方がない。そんな慢心、テメエ勝手、憎しみ、苛立ち…などがない交ぜになったまま、スパイダーマン衣裳のままフテ寝のピーターのベッドに、何やらガサゴソと近づいて来るモノがあるではないか。それは例の宇宙からの真っ黒い液状生物。こいつはスパイダーマン衣裳で眠るピーターにへばり付き、そのスパイダーマン・スーツをアッという間に真っ黒く染め上げていった…!

みたあと

 上記のストーリー紹介を読んでいただけば分かるが、ともかく目まぐるしい展開だ。これでも映画の流れに必ずしも忠実というわけでなく、かなり整理して書いたつもりだが、それでも導入部までいってない。ともかくあっちこっちでいろいろ起きる。そしてスパイダーマン=ピーターに次から次へと試練と敵が襲いかかってくる。見る前のイヤ〜な予感はある程度事実だった。前作「2」のスパイダーマンもツキがなくて気の毒だったが、こっちはイケイケで調子に乗っているだけに「痛い」スパイダーマンなのだ。そして、とにかくドッチャリと敵が出てくる。前作はアルフレッド・モリーナ演じるドック・オクだけだったのに、今回は親友ハリーがニュー・ゴブリンとして参戦してくるわ、叔父の仇「サンドマン」は出てくるわ、自分さえ宇宙からの寄生生物でブラック・スパイダーマンという「敵」になるわ…さらにストーリー紹介ではそこまで行き着かなかったが、カメラマンのエディも終盤で「ヴェノム」という怪人に変身してしまうというアリサマ。確かに「これでもか」のサービス精神には頭が下がるのだが、こうまでテンコ盛りだと見る方も疲れる。というか、敵と不幸の「増量」にも、限度ってものがあるんじゃないかといいたくなる。それにお話としても無茶だ。たまたま落っこちて来た宇宙生物が、たまたまスパイダーマンのコスチュームにくっついてしまうってのも、いかがなものか。

こうすれば

 そのためめまぐるしく場面が変わり、お話も素早く展開する。その中でも傑作は、あのトビー・マグワイアが「ワル」になる一幕だろうか。全体的にアメコミ映画なのにシリアスで悲劇的な作り方をしてきたこのシリーズだが、今回のピーターの「ワル」ぶりだけはあまりに急展開なので笑ってしまう。というか、あまりに分かりやすい「ワル」なので可笑しさが出てしまったのだ。急に前髪をバサッと垂らし、服も黒一色でキメるというオシャレぶり。黒だから「ワル」ってのもあまりに単純発想なのだが、そんなピーターがまるでルー大柴みたいにいちいちキメキメ・ポーズを見せるから爆笑しちゃうのだ。で、本来このシリーズとしては、マンガとしてのバカバカしい趣向がそのままバカバカしく見えたら失敗なので、ことさらにシリアスに構えていた傾向がある。その延長で考えると、あのピーターの「ワル」はひょっとしたら失敗なのかもしれない。

みどころ

 だが、「あの」トビー・マグワイアがこんな演技を見せるのも微笑ましいし、笑っちゃう趣向が逆に息詰まる展開の中の息抜きになるので、僕としては救われた感じ。ひょっとしたら演出の計算違いで失笑ものスレスレの趣向だったのかもしれないが、僕は大いに楽しめた。しかも「ワル」のピーターがMJの仕事場に押し掛けるくだりは、ちょっとしたミュージカル仕立てになっているから嬉しい。娯楽映画は遊びの部分がないとシンドイから、僕としては大歓迎だった。さらに終盤、こじれにこじれたピーターとハリーの友情が復活。ピーターのピンチにハリーが駆けつけるあたりは、分かっていても嬉しいではないか。こういうエンディングにしてくれたサム・ライミに感謝したい。これは理屈抜きに嬉しい結末だ。それに最も今回高く評価したいのが、終盤のスパイダーマンの戦いの描き方。マスクが破れてトビー・マグワイアの顔が出ている点が。元々の原作コミックのファンには異論もあろうが、僕はこのマスクマンのアクションというのがピンと来なかった。スパイダーマンは完全に顔を隠してしまうので、今までどんなに派手なアクションが展開しようとちっともハラハラしなかった。なぜなら、それはただの「よくできたCG映像」でしかないからだ。そんなのは単なるマンガに過ぎない。そんなものを見て手に汗にぎるわけがない。今回トビー・マグワイアの顔が出っぱなしになるのは、おそらく偶然ではあるまい。意図がなければ、元々マスクマンだったスパイダーマンの顔を見せる必要はない。感情を持った人間が戦うアクションの持つ意味を、サム・ライミはかなり重視していたに違いないのだ。これは素直に評価したい。

おまけ

 サンドマンに「サイドウェイ」(2004)のトーマス・ヘイデン・チャーチ、さらにグウェンに「ヴィレッジ」(2004)、「マンダレイ」(2005)と売り出し中のブライス・ダラス・ハワードが出てきたのにビックリしたが、もっと驚いたのは「サンドマン」の元女房役に、「ジェラシー」(1979)や「ブラック・ウィドー」(1986)で一時売り出していたテレサ・ラッセルが出ていたこと。そういや彼女、あの後一体どうしちゃっていたんだろう?

さいごのひとこと

 ブラック・スパイダーマンの方がお茶目かも。

 

「主人公は僕だった」

 Stranger than Fiction

Date:2007 / 06 / 04

みるまえ

 この映画のことについては、深夜テレビのエンターテインメント・ニュースで見た。まだこんな邦題が決まる前のことだ。平々凡々、クソ面白くもない決まり切った人生を送っていた人間が、ある日「天の声」を聞く。何と自分がどこかの作家の小説の中に登場する人物で、今まさにその人物は殺されようとしている…というお話。面白そうではないか。キャスティングも何とも豪華で、マギー・ギレンホールやらダスティン・ホフマン、何とお久しぶりのエマ・トンプソンまでが脇に回る。ただし問題は肝心の主役で、これが、僕にとっては「奥さまは魔女」(2005)で初お目見えだったウィル・フェレルと聞いてガクッと来た。向こうじゃ人気のコメディアンらしいのだが、「奥さまは魔女」を見る限りじゃどこがいいのか分からない。あの時も、天下のニコール・キッドマンの共演者が何でこんな知らないオッサン?…と理解に苦しんだ。今回も豪華キャストの中心がこのムサい男。むろん映画の題材もキャストにも惹かれたので見に行ったのだが、やっぱりどうにも釈然としないままスクリーンと対峙したのであった。

ないよう

 国税庁のお役人ハロルド・クリック(ウィル・フェレル)は、毎日毎日決まり切った生活を好んだ。毎朝起きる時間も、歯磨きブラシでこする回数も同じ。歩く歩幅も乗るバスも同じなら、昼飯にかける時間も同じだ。そして毎日同じように床に就く。その次の朝も同じ時間に起きて、歯磨きブラシでこする回数も同じ…。「ん?」…とハロルドは奇妙な事に気づいて凍り付く。もう一度歯ブラシを動かすと…「歯磨きブラシでこする回数も同じ」…どこからともなく聞こえてくる女の声。しかもそれは、まるでハロルドの人生をそのままナレーションしているかのようだ。その女の声はその後も時折聞こえて来ては、ハロルドのその時やっている事や思っている事をなぞっていく。さすがに毎日同じように規則的に暮らし、変化を好まないハロルドも、これには不安を感じずにいられない。それを同僚で唯一の知人であるデイブ(トニー・ヘイル)についこぼしたところ、職場で雇っているカウンセラー(トム・ハルス)が飛んで来た。だがこいつの言ってる事ときたらバカげている。「バカげている」…そんなハロルドの内心までも、あの女の声のナレーションはなぞっていくのだった。しかもうまくいかない時には、何もかもうまくいかないもの。ハロルドは納税拒否を決め込んでいるケーキ屋の女アナ(マギー・ギレンホール)の元へと足を運ぶが、この女はハロルドに敵意をむき出し。納税拒否の理由も「国防費に使われる分だけ気に入らないので払わなかった」とのこと。しかし事もあろうに、この女にハロルドはつい心惹かれてしまう。そんなハロルドがアナの胸に投げかけた視線を、当の本人に見抜かれてしまったのは最悪の展開だった。一方、ハロルドの「ナレーター」は、横断歩道で信号待ちの彼にとんでもない爆弾発言をした。「これが死を招く事になろうとは、彼はまるで知る由もなかった」…これには突然パニックになるハロルド。何しろ今まで「ナレーター」は、彼の人生を的確に語ってきた。ならばこの「彼の死」についても、実現しない可能性はあるまい。慌てふためくハロルドは精神科医(リンダ・ハント)に相談するが、通りいっぺんの診断しかされない。困り果てたハロルドがよくよく考えてみると、この「ナレーター」は彼の人生を小説にしようとしている作家のように思われる。思い余ったハロルドは、小説には小説の専門家を…とばかりに文学教授のヒルバート(ダスティン・ホフマン)の門を叩く。だがヒルバートとて、こんな事をいきなり言われれば戸惑うのが当たり前。最初はまるで相手にしなかったが、ハロルドの口から飛び出した「文学的」ワンフレーズに、これが事実であることを確信。ハロルドのために一肌脱ぐことを決意する。そんなヒルバートのハロルドへの最初のアドバイスは、「悲劇なら死で終わるが、結婚で終われば喜劇だ」というもの。つまり、喜劇の定番である「ケンカ相手と恋に落ちる」を実践せよ…というのだ。…となると、あのアナしかいない。ハロルドは彼女との偶然の出会いや仕事での訪問の機会を使って、何とかアナと親しくなる方法を模索する。だが、ハロルドはどうもうまく彼女の心をつかめない。その頃、そんなハロルドの全くあずかり知らぬところで…自殺志向を持つ女流作家カレン(エマ・トンプソン)はすっかり仕事に煮詰まっていた。久々の大作小説を完成させるべく、出版社から助手としてペニー(クイーン・ラティファ)が派遣されてくるが、気まぐれで偏屈なこの女作家はくすぶったまま。実は彼女の書く作品は、ラストに主人公が必ず死ぬ悲劇ばかり。ところが今回は自作小説の主人公をどうやって殺すか、すっかり考えあぐねてしまったのだ。その小説の主人公は平凡な国税庁のお役人、その名をハロルド・クリックという…。

みたあと

 ストーリーだけ見ると、例えば「ブルース・オールマイティ」(2003)とか「もしも昨日が選べたら」(2006)とかと同様の、ハリウッド伝統のファンタジー・コメディ。実際のところ、この企画の最初の段階では、こうしたハリウッド・ファンタジー・コメディの定石を狙っていたはずだ。しかしこの作品の監督を、「チョコレート」(2001)や「ネバーランド」(2004)マーク・フォースターが担当した段階で、少々事情が変わって来たのではないか。見ていて驚いたことに、この映画はあまりにも「コメディ」らしい趣向が少ない。少なからずユーモアの要素はあるし、そもそも主演者はじめコメディ畑の俳優たちが出演しているのに、肝心の「笑い」がない。冒頭近くで主人公の杓子定規な毎日を戯画化して描くくだりでも、ほとんどデビッド・フィンチャーの「ファイト・クラブ」(1999)の前半部分のようなノリ。これで「あれっ?」と思ってしまう人は、かなり多いのではないか。

みどころ

 そういや「もしも昨日を選べたら」も、最初は笑っていたけど途中からシャレになってなかったよな…と思い出す。しかしこの作品は、途中からどころか最初から笑いがない。笑わそうという気持ちもない。ウィル・フェレルもそういう演技はやっていないのだ。その代わりやろうとしているのは、「人間の生き甲斐」に関するマジメな物語だ。それまで十年一日のごとく生きてきた男が、「死」に直面して改めて「生きる」意味を問い直す話だ。もうお分かりいただけただろうか。これは黒澤明の「生きる」(1952)の変形リメイク版のような物語なのだ。だからマーク・フォースター監督も、最初からコメディなどやる気がなかったのだ。この映画が「生きる」を意識している理由はいくつも発見できる。まず、どちらもストレートに主人公の運命を告げる「ナレーション」によってスタートする。何しろ今回の作品では、ナレーションこそが物語のミソだ。さらに主人公が途中で助かることを諦め、自らの運命を受け入れるあたりも、そもそもアメリカ映画的には珍しい展開ではないか。主人公の「歌」が物語の重要なファクターになっているあたりも、両者に共通する点だ。志村喬がうたう「ゴンドラの唄」とウィル・フェレルがうたう「ホール・ワイド・ワールド」は、歌詞の内容が物語を補完しているという点でもイコールなのだ。

こうすれば

 そんな21世紀版「生きる」をつくろうという作り手たちの志や良し。だが、それと実際の出来映えとは別問題だ。特に映画の後半は、なぜかまるで違う方向へとドラマは急展開。単なるワンパターンのハリウッド・ファンタジー・コメディから脱皮させたい意図は分かるのだが、それがうまくいっているとは言い難い。ウィル・フェレルにとってもエマ・トンプソンにとっても、「人は運命のために生きるのではなく、自分のために生きるものだ」…というメッセージを発信したいのだろうが、この映画の出来映えでそれを観客に伝えるのは不可能だ。特にエマ・トンプソンの役どころは、何を言うために出てきたのか理解に苦しむ。彼女に限らずこの映画のキャスティングは豪華を極めていて、ダスティン・ホフマン、マギー・ギレンホール、さらに脇でリンダ・ハントや「アマデウス」(1984)でモーツァルト役を演じたトム・ハルスまで登場。ギレンホールなど素晴らしくチャーミングなヒロインを熱演している。問題のエマ・トンプソンだって前半などはエキセントリックな変わり者の女流作家を楽しく演じていた。それだけに、この結果はひどく残念に感じてしまう。トンプソンが自分の作品のためにフェレルを殺さねばならなくなって苦悩のあまりタイプライターの前で地団駄踏むくだりなど…彼女の表情が深刻なだけに笑うに笑えない…というより、どうも作り手はこのあたり大マジで描いているつもりらしい。でも、これって普通の人から見たら、単に「そんな小説なんかやめたら?」という風にしか思えないんじゃないか。仮にトンプソンの深刻な悩みを納得できるように観客に伝わるには、クリエイターや芸に生きる人間の凄みを一般の人に理解できるように見せる必要があるだろう。だが、少なくともマーク・フォースターはその段取りを踏んでいない。またその一方で…フェレルがいかにその小説の結末が素晴らしいからといって、そのために自分の人生を甘んじて放棄しようと決心するのもおかしい。少なくとも観客には納得できまい。この映画ではフェレルもダスティン・ホフマンもエマ・トンプソンも、素晴らしい小説の結末が一人の人間を殺すことについて悩んだり迷ったりする。あるいは小説のためなら死も致し方ない…なんて結論にたどり着いたりするが、「こんな小説やめちまおう」と真っ先に考える奴は誰一人としていない。そこらへんからして、一般人の常識では考えられない発想だ。悩んだり迷ったりする余地など全くない。そんな小説なんぞより人間の命が大事…が当たり前の感覚だろう。だから観客の目からは、彼らが何を悩み何でそんな事をやっているのか分からない。ついていけない。このあたりで僕は…フォースターの前作「ネバーランド」で、主人公ジョニー・デップが自分の「普通の人」の妻を世俗的だと見下していた態度を思い出してしまった。「僕は夢について考えていたのに、キミは家具のこととか考えていた」…と、まるで夢見てるとエライみたいなゴタクを並べるあのくだりだ。どうもこのフォースターという男、芸術や芸能に携わる人間やクリエイティブな行為や作品のためなら、市井の普通の人間たちはひたすら協力し隷属すべきで、下手すれば命を差し出すのも当たり前…と思っているフシがある。今回で完全に「正体見たり」という気分になった。フォースター、要するに「映画を撮っているオレのような男はエライ」と言いたいわけね。

さいごのひとこと

 映画監督ごときが人の生き死にを粗末に扱うな。

 

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