新作映画1000本ノック 2007年03月

Knocking on Movie Heven's Door


 このページの作品

「ナイトミュージアム」 「デジャヴ」(デンゼル・ワシントン主演) 「パリ、ジュテーム」 「ゴーストライダー」

 

「ナイトミュージアム」

 Night at the Museum

Date:2007 / 03 / 26

みるまえ

 この映画の予告編は、かなり前から繰り返し見せられていた。仕事を転々とするベン・スティラーが、息子の手前定職を持たねば…と一念発起して、つかんだ仕事が博物館の夜警。ところがこの博物館の陳列物が、夜中になると動き出す。恐竜の骨は水を飲みに行くし、モアイ像は風船ガムを食うといった案配。…って、もう全部見たようなもんではないか! 何だかさんざ予告を見せられたあげく、本編見に行っても予告以上のものが何一つ出てこなかった「メン・イン・ブラック」(1997)の悪夢を思い出す。この手のSFファンタジー系のファミリー・ピクチャーはそれが恐いのだ。だって、こう言っちゃ何だが他愛のないお子さま向けのお話みたいなもんではないか。ナゾはたった一つだけ残されていて、それは「なぜ博物館の陳列物が動き出すのか?」ということだが、そもそもこれがSFにしたってホラーにしたってあり得ない事が起きる…っていう段階で、もはやその理由はどうでもいいようなもんに決まってる(笑)。これが全米大ヒットとは、よっぽど向こうの観客も幼稚なのか。正直言ってあまり気乗りしないまま、ベン・スティラーを見るだけのために劇場に行った次第。

ないよう

 生き馬の目を抜く街ニューヨーク。バツイチ男のラリー(ベン・スティラー)は、幼い息子ニッキー(ジェイク・チェリー)を迎えに別れた妻(キム・レイバー)のもとを訪ね、今日も今日とてイヤミを言われる。仕事を転々とし、どんどん住まいを変えてジリ貧になっていくラリーに、「あまり息子を失望させないで」と厳しいご指摘だ。だが本当のことだから仕方がない。自分じゃ頑張ってるつもりだが、実は何をやっても長続きしないのがラリーの悪いところ。それでも息子にまで「いいかげん普通に仕事ができないの?」と言われては立つ瀬がない。乗り気ではなかったが一念発起して職安に向かったのも、そんな事情があったからだ。だが、とにかく「何かを成し遂げた事がない」ラリーに仕事の口などない。一つだけあるにはあったが、職安のオバサン(アン・メアラ)もあまりお勧めではないようだ。それというのも、この仕事はなぜかいつも断られてばかりいるようなのだ。しかしラリーはいまやそんな贅沢を言ってられない。そんなこんなで飛びついた仕事は、「自然史博物館」のガードマンの仕事だ。早速、博物館にやって来たラリーは、そこで旧来からいるガードマンたちに手荒い歓迎を受ける。それもそのはず、セシル(ディック・ヴァン・ダイク)、ガス(ミッキー・ルーニー)、レジナルド(ビル・コッブス)はラリーが正式採用になったらお役ご免の身だったのだ。しかもガードマンはガードマンでも夜警と知って、ますます気持ちが萎えるラリー。そんなラリーにボロボロのマニュアルを渡すと、ニヤニヤ笑いながら去っていくセシルたちだった。さて、夜の博物館に一人ぼっち。あまりに静かで退屈な状況に、ついつい居眠りをするラリー。ところがふと目覚めてみると、大広間にあった恐竜全身骨格模型がどこかに消えている。これは誰かがからかっているのか…と思いきや、恐竜のガイコツは何とウォータークーラーで水を飲んでいる! おまけにラリーに気づいて猛スピードで追いかけてくるではないか。実はこの恐竜、ラリーに遊びの相手をしてもらいたかっただけなのだが…その他にも館内には、驚くべき異変が次々起きていた。…モアイ像がしゃべり出した、ライオンや象やエテ公などの動物の剥製が動き出した、残酷で知られるアッティラ大王(パトリック・ギャラガー)の蝋人形が大暴れし始めた、ネアンデルタール人たちの蝋人形が火遊びしたがっている、ローマ帝国や西部の鉄道施設を描いたジオラマの小さな人々も動き出した、有名なアメリカ先住民族の女性サカジャウィア(ミズオ・ペック)の蝋人形も何か言いたげにガラスケースの中に立ちつくしている…。そんなこんなの大混乱で、散々な目に遭うラリー。もはや収拾がつかなくなってきた時、ラリーの前にすっくと現れたのが…愛馬に跨った第26代アメリカ大統領セオドア・ルーズベルト(ロビン・ウィリアムズ)だった。ルーズベルトはパニクるラリーに手を貸しながら、この大混乱の理由を説明する。すべてはこの博物館にエジプトのファラオのコーナーが設けられ、そこに黄金の板が納められて以来のことだというのだ。それからというもの、この博物館の品々は夜になると命を吹き込まれるらしい。ただし彼らは博物館の外で朝を迎えると、すべて灰になってしまうという。そして、ただただ唖然呆然として嫌気がさすラリーに、ルーズベルトは「逃げずにやり通せ」と忠告して元の姿へと戻る。ルーズベルトだけではなく、朝の訪れとともに陳列品の数々はすべて元の状態へと戻っていくのだった。だが、とてもじゃないがコレではやっていられない。セシルたち老いぼれガードマンたちが戻ってくるや否や、「イチ抜けた」とばかり博物館を逃げ出すラリー。だがそんなラリーの前に、元妻の再婚相手に連れられた息子ニッキーがやって来るではないか。彼は義父にねだって、ラリーの新しい職場を見にやって来たのだ。そうなると、またぞろすぐに辞めるわけにはいかない。結局ラリーは博物館に戻って、もう一晩だけ夜警に挑戦しようと思い直すのだが…。

みたあと

 夜になると博物館の陳列品が動き出す…という、どう考えても理屈も理由も通らないお話。これではSFにもホラーにもならない。おとぎ話や子供向けファンタジーにしかなりようがない設定だ。だから他愛のない映画と言い切っても間違いない。実際のところ、この映画に人生の深淵とか深い味わいを期待するほうがムチャだ。CG技術を駆使した子供っぽい夢のお話でしかない映画。ハッキリ言ってそれしか楽しみようがない映画に思える。僕も前述のごとく、まるで期待なんかしなかった。典型的ハリウッドのポップコーン・ムービー。所詮はガキンチョの映画というところか。だが…この映画、意外に楽しめたんだから世の中分からない。

みどころ

 その「楽しめた」という理由は、実はCG技術がどうの…って話じゃない。予告編で恐竜の骨格模型が動き出す場面が強調されてるから、CGメインの映画のように思われがちだが…実はこの映画の面白さはそこにない。典型的現代アメリカの平凡な男ベン・スティラーが、エジプトのファラオやアッティラ大王やローマ皇帝やカウボーイ…何よりルーズベルト大統領といった偉人にもまれ、恐竜やネアンデルタール人や猛獣たちを従えて大暴れして「男」になるお話というのがミソなのだ。だから博物館の陳列物が動き出す理由なんかどうでもいい。ともかくこうした歴史上の偉人たちやスゴイ存在に平凡ダメ男が取り囲まれる設定を作り出すために、この「夜の博物館」という設定が必要だったというわけだ。こうなると、実はこの映画って見た目より「おとぎ話」でも「ガキンチョ向け」でもなくなってくる。何より周囲にいる連中が荒唐無稽な設定なのに…中心人物たるベン・スティラーの存在だけはやけにリアルなのだ。忍耐力がなくて何をやっても続かない男…自分じゃ「何か一発当ててやる」と意気揚々ながら、結局何をやってもモノにならずにトシだけくってしまった男…そんな主人公は、恥ずかしながらあちこち職場を転々としてこの年齢になってしまった僕にはシャレにならない存在だ。こんな「男」になりきれない男という設定は、ガキンチョに見せてもよく分からないだろう。そして荒唐無稽な設定ばかりの中でこの主人公のリアルが際だった理由は…何より現実感覚に長けたベン・スティラーという俳優を得たからだ。そもそもコメディで売り出す前、ベン・スティラーが辛口青春映画「リアリティ・バイツ」(1994)で売り出したことを忘れてはいけない。だから周囲がムチャクチャで子供っぽい設定でも、このスティラーだけは妙にイマドキの普通人の感覚なのだ。このあたりの計算の確かさは、リメイク版「ピンクパンサー」(2006)を成功させたショーン・レヴィの腕前…と言えるかもしれない。善人役ばかりで鼻につき始めたと思いきや、次には悪役一辺倒でもっと鼻についたロビン・ウィリアムズが、久々に持ち味発揮の役どころについているのもウレシイではないか。またスティラーとは名コンビぶりを見せていたオーウェン・ウィルソンが、ノー・クレジットながら十八番のカウボーイを好演しているのも楽しくなる。ついでにジャッキー・チェンも連れて来て欲しかった(笑)。その他にも…懐かしやディック・ヴァン・ダイクやミッキー・ルーニーの登場は、顔見せとはいえ確実に映画の層を厚くしているのは間違いない。そして何より…映画全編に気持ちの良いキャラクターばかりが揃っているというのも、イマドキの娯楽映画としては極めて珍しい。そもそもダメ男が困難に打ち勝って「男」になるというのは、アメリカ映画伝統のストーリー・ラインではないか。そこにルーズベルトや先住民族代表のサカジャウィア、さらには典型的カウボーイが出てきて、なおかつアメリカ芸能界の重鎮たるヴァン・ダイクやルーニーが顔を出すのは、この映画がアメリカの神話の一環であり、アメリカ映画の王道を行くことをハッキリ宣言しているようなものだ。一見ガキンチョ向けの他愛のない映画が全米大ヒットになった背景には、おそらくそんな事情も見え隠れするのではないだろうか。つまり、意外にもこの作品は、アメリカ映画の良質な部分をすくい取って創ったような作品なのだ。いや…そこまで大げさな事を言わなくても、リメイクやパート2やパート4やパート10とか、マンガの映画化やテレビの映画化ではない、久々にマトモなアメリカ映画だったからこそ、この作品は支持されたのではないだろうか。個人的には、ラストにアース・ウィンド&ファイアの「セプテンバー」が久々に聞けたのも嬉しかったのだが(笑)。

こうすれば

 と、思い切り持ち上げてからこんな事を言うのも何だが…この映画ってもっと小品のネタだったんじゃないかと思える瞬間もある。CG大作に仕立てちゃったし、そういう売り方をしちゃったから仕方がないのだが、どうも図体デカ過ぎのきらいもあるのだ。例えばスティラーとエテ公がお互いの面をひっぱたき合うギャグ、アッティラの心のキズを癒したおかげで、スティラーが彼から抱きしめられるギャグ…このあたりなどが少々長すぎクドすぎで、見ていてだんだんスキマ風が吹いてきそうになる瞬間があるのだ。そう考えてみると…あっちこっちカットして、全体で20〜30分ほど短くした方が引き締まった出来になったんじゃないだろうか。ちょっとそのあたりが残念な気がする。

さいごのひとこと

 「夜の博物館=秘宝館」なら大人向けに決まってる。

 

「デジャヴ」

(デンゼル・ワシントン主演)

 Deja Vu

Date:2007 / 03 / 26

みるまえ

 ジェリー・ブラッカイマー制作、トニー・スコット監督、デンゼル・ワシントン主演…とくれば、大予算のエンターテインメント映画と相場は決まってる。そしておそらく大概の映画ファンにとっては、ブラッカイマーとトニー・スコットと来れば「大味」の証明みたいなもんだ。だが僕はここだけの話、ブラッカイマー映画にさほど嫌悪感があるわけではないし、実はトニー・スコットも「スパイ・ゲーム」(2001)のあまりの面白さにちょっと見直したところがある。だから、この映画もちょっと楽しみではあったのだ。ただし、どんなお話かは全く知らなかった。どうもデンゼルが刑事みたいな役どころで、事故か事件の犠牲になった女のことを調べるうちに彼女に惹かれていくお話のようだ。さて、ここからがよく分からないのだが…予告編を見るとデンゼルが彼女を助けようと頑張る話らしいのだが、何と言っても彼女は「死んでいる」はずだ。「デジャヴ」とはその事を言っているんだろうが、果たしてどうするのか? 超能力とか霊とか超自然的な力を借りるのか? そうなると、この映画は一種のホラーなのか? 予告編から察するところでは、どうもそんな超自然的な出来事が起きる映画には見えない。あくまでサスペンス・アクションの範疇に留まる作品に見える。これがサム・ニールやレイ・リオッタあたりが主演だったらにわかに怪しくなってくる(笑)が、この作品はジェリー・ブラッカイマー制作、トニー・スコット監督によるデンゼル・ワシントン主演の映画だ。まさか霊とか超能力とか超自然的パワーのお話ではあるまい。あくまで超自然的な何かに見せかけた現実的サスペンス映画ではないのか。では、一体どんなお話なのか?

ないよう

 2月28日、ニューオリンズ。地元のデカいお祭り「マルディグラ」を見に行くため、海軍基地の兵士たちと家族がミシシッピー川のフェリーに乗り込んだ。ところが途中で積んでいたクルマのうち一台が、カーラジオをガンガン流し始めるではないか。不審に思った船員が中をのぞき込むと、そこには爆弾が! 次の瞬間、クルマは大爆発。さらにそれがフェリーの燃料に引火して、たちまち船は猛火に包まれる。未曾有の大惨事に、街は騒然となった。そこにやって来た一人の男…アルコール・タバコ・火薬局(ATF)の捜査官ダグ・カーリン(デンゼル・ワシントン)。彼は早速テキパキと捜査を進め、爆弾の痕跡からこれがテロであると断定した。さらに現場近くの橋の監視カメラの映像から、不審なバイクの男も発見。FBI捜査官のプライズワーラ(ヴァル・キルマー)も、彼の手並みには舌を巻いた。事件の概要をつかんだダグは一旦ATFの事務所に戻るが、そこで彼を待っていたのは同僚からの奇妙な話だ。「さっき、オマエ宛てに若い女から電話があったぜ、何だか根掘り葉掘り聞いてきた」…残された電話番号に連絡してみるが、留守番電話のテープ・メッセージが流れるばかり。仕方なくダグはそこに自分のメッセージを残して電話を切った。そんなダグが現場に戻ると、今度は奇妙な報告が飛び込んで来た。現場近くの川岸に、爆発の被害者とおぼしき死体が打ち上げられたというのだ。だがよくよく聞けば、打ち上げられた時刻は事件発生時刻より前だ。それなのに全身が焼けこげ、片手の指が切断されている。その美しい女クレア(ポーラ・パットン)は、明らかに爆発の被害者に偽装されて殺されたのだ。ダグはこの女が事件のカギを握ると睨み、彼女のアパートに乗り込む。そこには血だらけのガーゼがあり、ホワイトボードには不思議なメッセージ「オマエは彼女を救える」が残されていた。さらに驚いたことに、留守電メッセージを再生してみると何とダグ自身の声が聞こえて来るではないか。先程ダグに連絡してきた女とは、このクレアだったのだ。あまりに異様な巡り合わせに、衝撃を受けるダグ。そんなダグに、FBIのプライズワーラは今回の事件の特別捜査班に加わるよう誘う。ダグが連れて行かれたのは、現場近くに急設された捜査本部だ。そこには膨大な数のコンピュータや機器類、さらにモニターが置かれていた。さながら巨大なAVルームのような本部では、エンジニアのダニー(アダム・ゴールドバーグ)が陣頭指揮を執っていた。そこで見せられたのが、今からカッキリ4日と6時間前の映像。何と多種多様な監視カメラの映像と衛星からの映像を駆使して、過去の映像をまるでその場にいるように見ることができるのだ。見る場所もポジションも自由自在。ただし、コンピュータの処理能力に限界があるため、カッキリ4日と6時間前の映像しか見れない。しかもコンピュータのキャパシティの問題で、その映像は巻き戻すことが出来ない。まさに一回こっきりの映像なのだ。その代わり、見る対象とポジションは有効範囲内なら自由自在。そこで捜査班は、どこを観察したらいいのかを観察眼鋭いダグに教わろうと誘ったわけだ。「どこを見る?」…そう問われたダグは、迷わずクレアのアパートにターゲットを絞った。だがそれは、ハイテクを用いて大義名分の整った「出歯亀」を行っているようなものだ。彼女がシャワーを浴びている瞬間ですら凝視しているダグたちは、果たして本当に犯罪捜査を目的としているのか? 特にダグは連日クレアを見つめ続けているうちに、彼女の魅力に惹かれている自分を認めないわけにいかなくなった。しかも、そんな彼女がまもなくこの世を去る運命だと知っていたら、切なさもひとしおではないか。

!!!映画を見てから読んで!!!

 そのうちダグは、奇妙なことに気づき始めた。何と4日と6時間前のクレアが、「誰かに観察されている気がする」と怯え始めたのだ。彼女はダグたちの存在に気づいているのか? だが、それはあり得ない。この映像は、単に過去収録されたものを合成して再生しているだけなのだ。だが、どうしても奇妙な印象を拭えないダグ。彼は突然手に持ったペンライトで、いきなり巨大モニターの「向こう側」を照らしてみた。すると…モニターの「向こう側」に光が届き、クレアがそれに気づいて驚いたではないか! それと同時にいきなり画面が暗転。コンピュータがフリーズしてシステムが終了してしまう。慌てふためくスタッフに、ダグは溜まりに貯まった不満をブチまけた。「おいおいおい、これは本当に過去の映像を再生しているだけなのか?」…ダグの剣幕に慌てたダニーは、「いや、つまり、その」…と弁解するがまるで要領を得ない。業を煮やしたダグは手元のゴミ箱を掴むと、近くにあった補助モニターをブチ壊した。「よし、こいつはおシャカだ! つまり死んでる!」…次にダグは巨大なメイン・モニターを指さし、ダニーたちに吠えるように質問を投げかけた。「次にこいつだ。このモニターに写っていたクレアは、もう死んでいるはずだ。だが本当なのか? あそこに写った彼女は生きているのか死んでいるのか? さぁ、どっちだ!」

みたあと

 いや〜、これには驚いた。僕はデンゼルが捜査官に扮してナゾを解くミステリーものを見るつもりだったし、それはある程度間違っていなかった。さらに、そこに「死んだ女を救う」という話が絡むから、何らかの超自然的要素…霊的な要素とか精神的な超能力とか、ホラーやファンタジー的要素が関わってくるのでは…と思っていた。あるいはそういうジャンルの映画と見せかけながら、やっぱり最終的にはちゃんと理屈に合う現実的な話に落ち着くのでは…と思っていた。そしたら…何とこの映画、タイムトラベルをテーマにしたSF映画ではないか! まったく「聞いてねえよ」…という感じで、それまでリアルな捜査モノの雰囲気だっただけにビックリ仰天。巨大モニターによる監視の話も、単純に捜査モノにハイテクを導入しただけ…と単純に思い込んでいたので、正直言って心底驚いてしまった。これは予想外のサプライズ。正直「どこまでやるの?」という気持ちになってくる。で、どんな意味でも見ている者の予想を裏切って驚かせてくれる映画には、僕は点数が甘くなる。だから「タイムトラベルもの」と知った瞬間に、僕は「よ〜し、そうくるか!」とグッと好意的に見る気になった。なぜなら…タイムトラベルものということならば、なおさら結末をどう付けるのかが難しくなるはず。そこらへんをどう処理するのか、しっかり見極めたいという気になったからだ。単純に歴史って変えちゃっていいの?という疑問が湧くではないか。

!!!絶対映画を見てから読んで!!!

こうすれば

 だが今回の作品、実はこのあたりのことが結構いいかげんなので、見ている僕としてはイライラしてくる。歴史を変えたら、いろんな意味で世界そのものが変わってくる。歴史を変えるに至ったデンゼルそのものにまで、その影響は及ぶかもしれないのだ。すると「歴史を変える」という行為まで、そのままである保証がない。これがいわゆるタイム・パラドックスということになるわけだ。だがこの映画では、そのあたりのことが極めて雑に処理される。というか、みんな気にしていない(笑)。このへんを見ていると、あの雑で強引に見えた「サウンド・オブ・サンダー」(2004)ですら、まだもうちょっとは気を配ってる気がしてくる(笑)。実はこのへんの乱暴さは、何も本作の要である「タイムトラベル」に関わる部分だけに限るわけではない。例え凶悪犯罪捜査のためとはいえ、変な装置を付けたデンゼルのクルマが道路を大暴走、あげく何台もの一般のクルマに衝突して大破させてしまうとは…いくら何でも荒唐無稽が過ぎる。あれでお咎めなしに済むはずがあるまい。見ている側は「一体この話はどうやって決着つけるつもりなのか?」というナゾに気をとられているので、何とか最後までハラハラして見てしまうが、それでもこの映画の雑さは気になる。だがそのあたりを指摘したら何も始まらないくらい…実はこの映画のいちばん勘どころの部分に、最も重大で最もいいかげんな解決がなされているから驚いた。物語の展開上は…過去に立ち戻ったデンゼルがそのまま死んでしまうから問題はないものの、もし仮にあのデンゼルが助かってしまったら、一体お話としてどう結末を迎えるつもりだったのか? なぜなら未来からやって来たデンゼルと過去に生きるデンゼルが、その場に二人出来てしまうことになってしまうからだ。しかもそれは、デンゼルが過去に向かおうとした時点で、誰の目からもハッキリしていたことだ。そしてこのタイムトラベルは片道切符で出かけたら行きっぱなし、元の時系列に帰って来れないのも明らかだ。では、デンゼルは最初から死ぬ気だったのかと言えば、「危険な旅」とは覚悟していたが「死ぬ気だった」という訳ではあるまい。これはいくら何でもムチャ過ぎやしないか? デンゼルは事件を解決した後で、一体どうするつもりだったのだろうか? 結局あのデンゼルの死という展開は、作り手にとって安易で都合のいい解決法でしかない。誰が見たって「アレレ?」と分かってしまうキズだけに、これはちょっとマズイんじゃないだろうか。

みどころ

 そうは言っても、そこまでの展開は結構「あれよあれよ」で面白く見ていられる。何より犯罪サスペンスかせいぜいホラー味のあるミステリーと思ってたらタイムトラベルSF…という展開には、ちょっとしたサプライズがあってワクワクする。まぁ、一応退屈しない映画には仕上がっているのだ。そして何だかんだ言って…最後に元々の時系列に生きるデンゼルが現れ、ヒロインと出会うくだりは…ちょっとウォーレン・ベイティ主演のコメディ「天国から来たチャンピオン」(1978)のエンディングを思い出させてくれる後味の良さ。ビーチ・ボーイズの「ドント・ウォーリー・ベイビー」もシャレた使い方で流れるこのエンディングがイイ感じなので、映画全体もキライになれない。大甘の評価と分かってはいても、あまりコキ下ろす気になれないのだ。

さいごのひとこと

 よく考えればハイテク・ストーカー。

 

「パリ、ジュテーム」

 Paris, Je T'aime

Date:2007 / 03 / 19

みるまえ

 これって映画館で事前にチラシも見ていて、予告編も見ていた。世界の名だたる監督たちが集まってつくった、18本の短編オムニバス映画。それだけ聞くと「10ミニッツ・オールダー」二部作(2003)を思い出してしまうが、あっちは持ち時間10分、こちらは何と5分しかない。しかも、すべてパリを舞台にしたお話にしなくてはならない。むろん集まった監督たちは超豪華で、出演者もアメリカ・ヨーロッパのスターたちが駆り出されてスゴイ顔ぶれ。しかし前々から何度も書いてきたように、こういうオムニバスってのは成功させるのが極めて難しい。大抵は豪華な顔ぶれだけで楽しむ「顔見せ興業」みたいになっちゃうものだ。おまけに予告もそんなイヤ〜な予感を助長するもの。何となく「恋人たちの街パリー」みたいな甘ったるい歌が流れる中、「豪華監督&出演者」が出てきて、カメラに向かって「ぱり、じゅて〜む!」と連呼するシロモノだ。フランス語が母国語の奴でも々照れくさい言葉だろうし、そうじゃないアメリカ俳優などがたどたどしく「じゅて〜む」などと言ってるのは、見ているこっちの方が恥ずかしくなってくる。日本の諏訪敦彦などレンズの方を向かず目を伏せてしまい、明らかに照れ隠しでタバコまでくわえて「じゅて〜む」などと言っている。そんなに恥ずかしいなら最初から出て来なきゃいいのに。これって日本の感覚で考えてみると、吉本興業のお笑い芸人が次々出てきて「好きやねん、大阪」と連呼している状態に近い。やっぱり何だか恥ずかしいわな。豪華メンバーには惹かれたものの、その分かってなさそうなセンスだけで、僕がこの作品に不安を持つには十分。大丈夫なのか。

ないよう

(1)ブリュノ・ポダリデス監督「モンマルトル」Montmartre:この街の横丁にやっとこ駐車スペースを確保した男(ブリュノ・ポダリデス)は孤独な男。たまたま通りかかった女(フロランス・ミュレール)が意識を失ったため、自分の車の後部座席に寝かせるが…。(2)グリンダ・チャーダ監督「セーヌ河岸」Quais de Seine:悪友たちとナンパしていた青年フランソワ(シリル・デクール)は、たまたまアラブ娘(レイラ・ベクティ)が転んだのを助ける。彼女に「美しい髪なのに何でベールをしてるの?」と訊ねた彼は、「自分の意志でしている」と言われ…。(3)ガス・ヴァン・サント監督「マレ地区」Le Marais:イギリス女(マリアンヌ・フェイスフル)に付き添って印刷屋に現れた通訳の青年ガスパール(ギャスパー・ウリエル)は、そこにいた青年(イライアス・マッコネル)が気になって話しかける。「君に会った覚えがある」…だが、彼はロクに返事をしない。(4)ジョエル&イーサン・コーエン監督「チュイルリー」Tuileries:地下鉄駅のベンチでボンヤリ座っていたアメリカ人観光客(スティーブ・ブシェミ)は、向かい側のホームで恋人とイチャつくフランスの若造と目が合ってしまった。いきなりケンカを売られた観光客は無視を決め込むが…。(5)ウォルター・サレス&ダニエラ・トマス監督「16区から遠く離れて」Loin du 16eme:郊外に住む南米移民の女アナ(カタリーナ・サンディノ・モレノ)は、まだ早朝から起きだして幼いわが子を託児所に連れて行く。なかなか泣きやまぬわが子を子守歌でなだめ、長い長い道のりを電車に揺られて行く。行き着いた先は金持ち街。この家のメイドの仕事で何とか食っているのだ…。(6)クリストファー・ドイル監督「ショワジー門」Porte de Choisy:初老のセールスマンのアイニー(バルベ・シュレデール)が、商品を持って中国人街へ。そこのマダム・リーの美容室に売り込むが、最初は手強い相手にメタメタな目に遭わされる。だが、そのうち彼自身と彼のヘア・テクニックが気に入られ…。(7)イザベル・コイシェ監督「バスティーユ」Bastille:いいかげん鼻についていた妻(ミランダ・リチャードソン)に別れ話を持ち出そうとした男(セルジオ・カステリット)。だが、逆に妻から「余命幾ばくもない」と告白され、愛人(レオノール・ワトリング)を捨てて妻に尽くす気に…。(8)諏訪敦彦監督「ヴィクトワール広場」Place des Victoires:「カウボーイは本当にいるんだよ」…そう言い残して亡くなった幼い息子への思いから、未だに立ち直れない母(ジュリエット・ビノシュ)。夫(イポリット・ジラルド)の説得にも耳を貸さない彼女は、ある夜、広場で本当にカウボーイ(ウィレム・デフォー)と出会う。「息子に会えるなら、ついてくる勇気があるか?」…(9)シルヴァン・ショメ監督「エッフェル塔」Tour Eiffel:いつもパントマイムばかりしている男(ポール・パトナー)は、誰にも相手にされず寂しい思いばかり。だが、顔で笑って心で泣いて…の彼が、ある日、パントマイム三昧の女(ヨランド・モロー)と出会う。(10)アルフォンソ・キュアロン監督「モンソー公園」Parc Monceau:初老の男ヴィンセント(ノック・ノルティ)は、娘ほどの若い女クレア(リュディヴィーヌ・サニエ)と待ち合わせしている。久々にヴィンセントと会ったらしいクレアは、どうやらギャスパールという別の男の目を盗んで会いに来たようだが…。(11)オリヴィエ・アサヤス監督「デ・ザンファン・ルージュ地区」Quartier des Enfants Rouges:映画の撮影のためパリに来ているアメリカ人女優リズ(マギー・ギレンホール)は、退屈さを紛らわすため売人からヤクを買う。彼女に関心を持ったらしい売人は、彼女に話しかけて電話番号を聞き出すが…。(12)オリヴァー・シュミッツ監督「お祭り広場」Place des Fetes:アフリカ移民のハッサン(セイデュ・ボロ)が、腹を刺されて広場に倒れている。駆けつけた救急隊の女ソフィ(アイサ・マイガ)に、彼は見覚えがあった。ハッサンが駐車場で掃除の仕事をしていた時、お茶に誘おうとしてそれっきりになっていたのだった…。(13)リチャード・ラグラヴェネーズ監督「ピガール」Pigalle:いかにもいかがわしい店のバーで飲んでいる中年男(ボブ・ホスキンス)に、一人の女(ファニー・アルダン)が話しかけてくる。この女は男が入った「のぞき部屋」にも乗り込んで来るが、どうやらこの二人、旧知の仲らしいのだ…。(14)ヴィンチェンゾ・ナタリ監督「マドレーヌ界隈」Quartier de la Madeleine:夜のパリは不気味な一面も見せる。ある夜、ヒッチハイクの青年(イライジャ・ウッド)は、女吸血鬼(オルガ・キュリレンコ)が男を襲っているのを目撃した。女吸血鬼は青年に気づいたが、なぜか彼を襲わずにその場を去ろうとする。ところが青年は予想外の行動に出た…。(15)ウェス・クレイブン監督「ペール・ラシェーズ墓地」Pere-Lachaise:プレ新婚旅行にやって来たウィリアム(ルーファス・シーウェル)とフランシス(エミリー・モーティマー)の二人。だがウィリアムは、彼女がなぜ墓地などに来たがるのか理解できない。オスカー・ワイルドの墓なぞにも関心がない。そんなウィリアムの「面白みのなさ」に失望したフランシスは、彼を置いて墓地を去って行く。一人残されたウィリアムは…。(16)トム・ティクヴァ監督「フォブール・サン・ドニ」Faubourg Saint-Denis:盲人の青年トマ(メルキオール・ベスロン)は、アメリカ女優の恋人フランシーヌ(ナタリー・ポートマン)から、いきなり別れの電話をもらう。衝撃を受ける彼の脳裏に、彼女とのなれそめが走馬燈のように甦る。それは彼女が「お別れ場面」の練習を一人で演じていたのを、彼が聞きとめたことから始まった…。(17)フレデリック・オービュルタン&ジェラール・ドパルデュー監督「カルチェラタン」Quartier Latin:ベン(ベン・ギャザラ)とジーナ(ジーナ・ローランズ)のアメリカ人老夫婦が、パリの馴染みのレストランにやって来る。いつものように二人を迎える店長(ジェラール・ドパルデュー)。二人はもう長く別居していたが、ここでついに関係に終止符を打つべく、明日の離婚調停のための打ち合わせをしに来たのだ…。(18)アレクサンダー・ペイン監督「14区」14th arrondissement:アメリカの中年女キャロル(マーゴ・マーティンデイル)が長年の夢パリ旅行を実現した。そのためにフランス語も習ったし、「自立した女」である彼女は団体旅行なんて真っ平御免。一人でパリの街を歩き回った。だが、一人旅はどこか寂しい…。

みたあと

 前にも書いたように、この手のオムニバスって顔ぶれが豪華で期待させられればさせられるほど、失望も大きい。そうそう面白いエピソードばかり並ぶわけじゃない。正直言ってこの映画だって最初のエピソードなど別に面白くも何ともない。そんな僕がこの映画をちょっといいなと思い始めたのは、アラブの女の子が出て来る第2話あたりから。最近、フランスには学校でイスラムの女の子のベール着用をやめさせようという動きがあるとか聞いている(…と思ったが、違っていたら失礼!)が、まるでそれに真っ向から反抗するようなお話。「ぱり、じゅて〜む」なんて制作者側のヌルい思惑をあざ笑うかのような監督の反骨精神が感じられて痛快。大体、テメエでテメエの街のことを「じゅて〜む」なんてアホぬかせって気がする。何だか自分で自分の首筋にキスするみたいな気色悪さがあるではないか。しかも、それを外国人に言わせようという自惚れぶり。そうだ、だから予告編が何となくイヤ〜な感じに思えたのだ。だがこの第2話を見ているうち、この映画は自分が思っていたような作品じゃないかもしれないという気になって来た。そんな気分はさらにコーエン兄弟の第4話でますます強くなる。何せここでは、外国人観光客がどんでもないフランス人カップルにひどい目に遭わされるのだ。とてもじゃないが「恋人たちのパリ」どころの騒ぎじゃない。さらに第5話や第12話では、パリにおける移民残酷物語が語られる。甘っちょろいパリ賛歌を見せられるとばかり思っていた僕は、このあたりからこの映画に好意を持ち始めたわけだ。

こうすれば

 むろん、やっぱりしょうもないエピソードも中にはある。特にどうしようもないのが、クリストファー・ドイルが監督した第6話。このエピソードに出てくる界隈は、「オーギュスタン/恋々風塵」(1999)に出てくる中国人たちが住むエリアみたいだが、それはさておき…中国語圏映画のカメラマンとして売り出したドイルが中国人街を舞台にするのはごく自然だが、それにしたって彼はやっぱり監督としては「素人」ってことなんだろうか。ハッキリ言って高校の映画研究会のメンバーがつくった映画並みの拙さ。しかし、最低の出来はこのエピソードぐらい。そう思ったら、この手のオムニバスとしては上出来の部類かもしれない。

みどころ

 問題のクリストファー・ドイル監督作品以外には、実はさほどキズはない。多少ヌルいエピソードも、異常なほどの豪華キャストで救われているのがこのオムニバスの特徴だ。正直言って顔ぶれだけで嬉しくなる。しかもたったの5分間だから、ちょっと我慢すれば次のお話に変わる。ウンザリする間もないのだ。そしてこれだけ短い上映時間だと、つまらないエピソードと面白いエピソードの違いが、作り手の「短編」への理解の度合いによるものだとハッキリ分かる。その筆頭と言えるのが、アルフォンソ・キュアロンの第10話。ちょいワル初老男ニック・ノルティと小悪魔的な魅力で売り出してるオゾン映画の常連サニエ嬢の顔合わせには、見ている者は誰もが思わず引っかけられてしまう。ハリー・ポッターでも近未来SFでも、見事に自分のモノにしてしまうクセ者キュアロンの本領発揮か。さらに見ていくと…一時マギー・チャンの夫君だったオリヴィエ・アサヤスの第11話も、 死ぬほど退屈だった「イルマ・ヴェップ」(1996)がウソのような味わいがある。「キューブ」(1997)のヴィンチェンゾ・ナタリが監督した第14話は、自分が何を期待されているのかを知り尽くしてのホラー仕立て。このサービス精神が彼の近作「ナッシング」(2003)にカケラでもあれば、アレももうちょっとマシな映画になったんじゃないだろうか。しかもその後にくるのがウェス・クレイブンの第15話。彼も自分が何を期待されているのか知り尽くしていながら…しかも「墓地」なんて格好の舞台を手に入れながら、制作側と観客の期待を逆手にとって軽妙なコメディを創り上げた。「ラン・ローラ・ラン」(1998)や新作「パフューム」(2006)の公開が話題のトム・ティクヴァ監督による第16話も、ちょっとしたオチが効いた小品だ。ジェラール・ドパルデューも監督に加わった第17話は、彼が好きなジョン・カサベテス映画を再現したかったのだろう。どうってことはない話だが、カサベテス映画常連だったローランズとギャザラの腹芸が見ものだ。そんなこんなでどんどん盛り上がっていく終盤を締めくくるのが、「アバウト・シュミット」(2002)や「サイドウェイ」(2004)でイイ味出してたアレクサンダー・ペイン監督の第18話。見知らぬ街に一人でポツンといる時に、不意に「私は生きている」と感じることは確かにある。そんな「峠を越えちゃった人間」の実感が、なるほど「サイドウェイ」の監督ならではの身につまされ方なのだ。そして、あれだけ“な〜にが「ぱり、じゅて〜む」だよ”…とチャンチャラおかしく思わされながら、このエピソードの終盤に至っては「パリ、ジュテーム」がまさに言葉通りに感じられるようになっているから圧巻だ。何だかんだ言っても「パリは素晴らしい」と、本気で思えるようになるから見事なのである。それまでの17エピソードがそれぞれバラバラでなく、ちゃんとここへ来て1本の映画になっているから素晴らしいのだ。おそらくアレクサンダー・ペインは、他のエピソードとの相乗効果も計算に入れてつくっていたのではないか。思わずそう思わされるほどの、見事な味わい深さ。もう、これだけでもこのオムニバス作品は見る価値がある。

さいごのひとこと

 豪華キャストにパリス・ヒルトンはいないのでご安心を。

 

「ゴーストライダー」

 Ghost Rider

Date:2007 / 03 / 12

みるまえ

 「スパイダーマン」(2002)以降勢いがつきまくってるマーベル・コミックスのヒーローもの映画だが、まだこんなキャラもいたんだ。アメコミ・ファンは知っているのかもしれないが、このへんの末端ヒーロー(笑)になると「投票に行くンジャー」みたいな日本のローカル・ヒーローみたいで訳が分からない。ネタがないから何でも映画化しちゃうんだろう。今回のヒーローはどうもホラー仕立てで、「悪魔に魂を売り渡した男」らしい。炎が燃えさかるドクロ顔でバイクに跨っているってのがミソだ。問題はこれをニコラス・ケイジが演じているってこと。ケイジ主演という時点で、僕は「分かってるね!」という気になった。ケイジのどこかアブない味、トゥマッチなテイストが、アメコミ映画の世界に合ってる。しかも「ゴーストライダー」(笑)という見るからにアブなそうなキャラ。バイクもケイジにピッタリではないか。実はこの映画、誰にも言わなかったがひそかに心待ちにしていた一本なのだ(笑)。見るしかない。

ないよう

 西部には伝説があった。その昔、悪魔王メフィスト(ピーター・フォンダ)と契約をして魂を売った者は、炎と燃える馬に乗って邪悪な魂をメフィストに引き渡す「ゴーストライダー」となった。だが、ある「ゴーストライダー」はメフィストを裏切り、集めた膨大な魂を渡さずに逃げ出したのだった…。話は変わって、ここは田舎のサーカス。スタント・バイクの父子、バートン(ブレット・カレン)とジョニー(マット・ロング)は、ここの最大の呼び物だ。今日も今日とて荒技を披露。だが父バートンは、息子ジョニーの「エエカッコ」スタントをたしなめる。彼が何で「エエカッコ」したのかも分かってる。ジョニーの視線は、客席の女の子に注がれていたのだ。それはジョニーの恋人ロクサーヌ(ラクエル・アレッシー)。父はそんな息子に、「オマエは選択を誤りがちだ」と指摘する。ところがロクサーヌの一家は、近々引っ越しをすることになった。そこで、明日の駆け落ちを約束するジョニーであった。ところが帰宅したジョニーを待っていたのは、父バートンの病状の知らせ。父は彼には隠していたが、末期の肺ガンに冒されていたのだ。その夜、サーカスのテントで一人悶々としているジョニーに、不思議な紳士が近づいて来る。この男こそ、地獄からやって来たメフィストだった。そして彼は、ジョニーに父の病気の全快とひきかえに、魂の契約を呼びかける。どうせ冗談くらいにしか思わなかったジョニーは、軽い気持ちで書類に印を残してしまった。そして翌日、医師に診てもらった父は奇跡の全快を喜んでいた。だがその喜びもつかの間、その日のスタントで転倒。たちまち世を去ってしまうではないか。唖然とするジョニーの目には、あのメフィストの姿が見えた。怒るジョニーに「病気は治してやったぞ」とうそぶくメフィスト。だが「いつか私のために働いてもらう」というメフィストの言葉を聞いたジョニーには、もはやロクサーヌと共に逃げる気にはなれなかった…。それから幾年月、成長して逞しい男となったジョニー(ニコラス・ケイジ)は、スタント・バイク界の第一人者になっていた。その日も巨大スタジアムに並べられたトレーラーを飛び越えるという離れ業に挑戦。危うく命を落としかける始末だ。そんなジョニーを相棒マック(ドナル・ローグ)はたしなめるが、ジョニーはまったく意に介しない。まるでわざわざ命を落としたがっているようなスタントぶりだ。そんなジョニーに取材に来たテレビ・レポーターが一人。何とそれは、あの若き日に別れを告げたロクサーヌ(エヴァ・メンデス)。これを何かのサインだ…と思ったジョニーは、拒む彼女にしゃにむに迫って久々のデートの約束をとりつける。ところが一方、闇の世界から這い出してきたような黒づくめの若造が、荒野のバーを荒らしてバイク野郎たちを皆殺しにするという事件が起きていた。この若造の名はブラックハート(ウェス・ベントリー)。この若造は何とあのメフィストの息子だが、父親を毛嫌いし、彼を出し抜いて自分が魔界の覇者になろうと虎視眈々狙っていたのだ。そして今、お仲間の3人の魔人を引き連れ地上に現れた。それに気づいたメフィストは、「あの日」以来久々にジョニーの前に姿を見せる。「今こそ私のために働いてもらうぞ!」…父親を殺された怒りをぶつけようと、メフィストへの協力を拒もうと、「契約」が彼を縛り付けていた。メフィストから極上のバイクを与えられたジョニーは、なぜか焼けるような猛烈な熱さを全身に感じて苦しみのたうち回る。七転八倒の末にそこに現れたものは…ジョニーの肉体の代わりに、地獄の炎に包まれた恐ろしいガイコツ。伝説に聞く地獄の化身、「ゴーストライダー」の姿だった!

みたあと

 いやぁ、楽しかった! 何というのだろうか、予想通り…いや、予想以上に面白い映画だった。むろん、みなさん全員にとって楽しい映画かどうかは判定しかねる。だが、僕にとっては久々に無条件に楽しめる映画だった。いわゆるポップコーン片手に劇場の椅子に腰掛けたい映画だ。ハッキリ言って昨今のアメコミ原作映画はまったく食傷気味だし、ましてそのアメコミ映画氾濫状況が「スパイダーマン」のマーベル・コミックスによる映画進出以来に起きたということを考えると、ハッキリ言って同じマーベル出身の「ゴーストライダー」にはあまり触手がそそらないはず。実際僕は、このマーベル出身の「デアデビル」(2003)あたりになると「カンベンして」というのが正直なところだった(実際、僕は同作を見に行く気がしなかった)。しかし、なぜかこの映画にはピンと来た。それはやっぱり、ニコラス・ケイジが演じるという一点に尽きるのではないだろうか。何となくこの男、メイン・ストリームの映画(例えばジェリー・ブラッカイマー映画)に出ても、どこかひとクセある臭いを漂わせてくれる。どう考えても凡庸なハリウッド大作娯楽映画という器の作品でも、こいつが出てくるとどこかひとクセある映画に生まれ変わるのだ。その善し悪しはともかく、そんな普通じゃない雰囲気を漂わすニコラス・ケイジが主演するなら、こういうアメコミみたいな趣味趣味の世界もちゃんと気持ちよく受け止めてくれるのではないだろうか…そんな期待は見事に叶えられた。しかも炎に包まれたドクロという暗さを持ったアンチ・ヒーローというあたり、あの「フェイス/オフ」(1997)で悪玉も善玉もいけることを証明したケイジならではの設定ではないか。バイカー・ヒーローというあたりも、「60セカンズ」(2000)でのスピード狂ぶりを彷彿とさせてくれる。そもそもいちいちキメ・ポーズを見せるわざとらしさがたまらない(笑)が、これこそ「ワイルド・アット・ハート」(1990)以来のケイジの持ち味ではないか。こう見ていくと、「ゴーストライダー」はニコラス・ケイジならではのアメコミ・ヒーローであることが分かる。やってるケイジもノリにノッて、おなじみハイテンションな演技を全開で見せてくれるからウレシイ。「スネーク・アイズ」(1998)冒頭の血圧上がりまくった長回しを覚えている人なら、最初にドクロに変身する時のケイジののたうち回りっぷりにニンマリすること請け合いだ。 考えてみれば、バイクに乗った燃えるドクロ…なんてバカとしか言えない設定(笑)。でも、何をやらせても過剰なわれらがニコちゃんなら、不思議にピッタリ来てしまう。 しかも、なぜかカーペンターズ好きでジェリー・ビーンズが好物…なんて訳の分からない設定までオマケについてくる。このへん、「ザ・ロック」(1996)ではビートルズのヴィンテージLPアルバムのコレクターとか、「60セカンズ」では出陣前に「ローライダー」の曲を聴いてウットリ…とか、「ナショナル・トレジャー」(2004)では「合衆国独立宣誓書」を盗み出そうという計画のヤバさを「オマエ分かってんの?」 と相棒に指摘されて、まったく事の重大さを分かってない…とか、いつもどこか偏ってて病んでいて、かなりアブない男ケイジの面目躍如の役。僕はそんな「オタク心が分かってる男」ニコラス・ケイジが大好きなのだ。

みどころ

 そんなニコちゃんの持ち味120パーセント発揮のこの作品。他にも嬉しくなる部分はいくらでもある。まずは主人公のジョニーが、アメリカの伝統とでも言うべき「バイク・ヒーロー」であること。そう言えば昔、やっぱり実在のスタント・バイクのヒーローを主人公にして、何と本人が演じてしまった「ビバ・ニーベル」(1977)なる映画があったけど、こんな奴が映画になっちゃうことからしてアメリカでのバイクの愛され方が分かる。そういやこういうスタント・バイク・ヒーローは、みんなラスベガスのエルヴィスみたいな衣裳に星条旗を貼り付けたような派手派手コスチュームを着ていたっけ。つまりはアメリカならではのヒーローなのだ。今回の映画もアンチ・ヒーローではありながら、そんな正統派アメリカン・ヒーロー的側面も持っているのが面白い。で、今回の映画を見て…それはどこかカウボーイと共通点があるからだと納得した。西部劇で馬に乗ってる奴も、現代のバイカーも「ライダー」には変わりない。そんな役割を今回担って登場してくるのが、サム・エリオット扮する墓掘り人。彼とケイジがどちらも燃えるドクロに変身し、炎を放ちながら馬とバイクにそれぞれ跨って荒野を突っ走る場面では、さながらエンニオ・モリコーネ作曲のマカロニ・ウエスタン風音楽が炸裂して、見ているこっちは涙がチョチョ切れそうになった。これはマジで感動もの。バイク・ヒーローに西部劇伝説…と、ここにはアメリカの原風景みたいなアイコンが散りばめられているのだ。さらにダメ押し的に、メフィスト役に「イージー・ライダー」(1969)ことピーター・フォンダが登場してくるのがまたまたウレシイ。アメコミ映画「デアデビル」も撮っていると聞いてあまり期待できなかったマーク・スティーブン・ジョンソン監督、なかなか分かっているではないか。

さいごのひとこと

 足のない日本のゴーストとえらい違い。

 

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