「デス・プルーフ in グラインドハウス」

  Death Proof

 (2007/10/08)


  

見る前の予想

 クエンティン・タランティーノの新作がこんなにスンナリ来ようとは、僕はまったく予想もしていなかった。

 さすがに彼の頂点ともいうべきキル・ビルVol.1(2003)、同Vol.2(2004)を発表した後は一種の虚脱状態にもなるし、キャリアの上でも微妙なところに差しかかるだろうから、次の作品を発表するまでは時間がかかるだろうと思っていたのだ。そして登場するであろう新作は、ひょっとしたらそれまでの彼の作品と明らかに「一線を画する」ような方向転換がなされているかもしれないと思っていた。

 実際のところ、どんなアーティストもキャリアの頂点を極めた後が難しい。

 黒澤明「赤ひげ」(1965)で行くところまで行き着いて、後は作風が変わっただけでなく、作品発表さえままならない状況が続いた。スピルバーグE.T.(1982)で作品的も興行的にもピークに辿り着くや、それからは長い長い試行錯誤を重ねることになった。何も映画だけじゃない。ビートルズ「サージェント・ペパーズ」のアルバムの後はグループ自体がおかしくなって、結局解散へと一直線だった。イーグルス「ホテル・カリフォリニア」のアルバムの大成功の後はしばし沈黙を余儀なくされ、その後は結局キャリアも尻すぼみとなってしまった。ピークを極めた後の処し方こそ、アーティストにとって最も難しくかつ大事なことなのだ。

 だからタランティーノが「その次」をこんなにサッサと出してしまったことが、僕には意外だった。しかも内容たるやションベン臭い映画館「グラインドハウス」での二本立て映画を模して、毎度お馴染みのお仲間ロバート・ロドリゲスと組んでの往年のB級C級作品のオマージュと聞いて、タランティーノとしてはあまりに変わりばえのないコンセプトに何だか不安を感じたのが正直なところだ。

 これがいつものタラちゃんだったら、僕も何とも思わない。しかしあの「決定版」ともいうべき「キル・ビル」の後にこんなどうでも良さそうなお遊びのやっつけ仕事…しかもいつもの相手とツルんでいつもと同じようなB級C級ごっこなんてやってるってあたり、こいつ大丈夫なのかとマジメに心配になった。タラ・イコール・二本立てB級映画…というイメージだからいかにもピッタリの企画と思えるかもしれないが、あまりにピッタリ過ぎて意外性も発展性もゼロ。後ろ向き過ぎやしないか。あまりに「らしい」のがかえって気になるのだ。

 これって失敗作の可能性が高い…と、本気で覚悟した僕だったのだ。

 

あらすじ

 気だるくベッドから起きあがったばかりのジャングル・ジュリア(シドニー・タミーア・ポアチエ)の家を、いきなりマブダチのシャナ(ジョーダン・ラッド)とアーリーン(ヴァネッサ・フェルリト)が襲撃。それも「オシッコもれそう!」と駆け込んでくるからたまらない。

 かくしてビッチな女3人はクルマで街へと繰り出す。ここはテキサスのオースティン。クルマの後部シートに寝っ転がったジュリアは、沢尻エリカ並みにゴーマンかましてる。それというのも、彼女は地元のステーションでDJをやっていて、ちょっとしたご当地名士だから。沿道にあるジュリアの立て看板を見つけては、女どもは「ワォ!」と大騒ぎだ。

 そんな3人ではあるが、アーリーンはまるで彼女たちの後をつけているかのような、黒塗りのクルマの存在がちょいと気になったりする。さて、ジュリアのタカビーぶりも気の置けない仲間の前でのおふざけではあるが、彼女がラジオで勝手に「アタシと一緒にいるアーリーンを口説いたら、ヒワイな踊り見せてくれるかもよ」などとしゃべったと聞けば、アーリーンとしては困惑せざるを得ない。

 そんなこんなで一丁騒ごうぜと繰り出した場末のバー。彼女たちは下心アリアリの男どもを従えて悪ノリし放題。だが奔放に見えるジュリアも、電話で呼んだヤクの売人の姉ちゃんを待つ間のバカ騒ぎの最中、ポツンと「本気」の相手である映画監督とケータイメールのやりとりをする純情なところもある。

 そのうちどっぷり暗くなった店の外は雨。そしてアーリーンは、店の駐車場に例の黒いクルマが停まっているのに気づき、少々気味が悪くなる。しかもそのクルマのボンネットには、デカいドクロの絵が描いてあるではないか。では、このクルマの主は店内にいるのか?

 その通り。

 カウンターにはじっと「エリカ様」ご一行のご乱行を見つめる男の姿が…。それが顔に傷のある中年カーキチ野郎、スタントマン・マイク(カート・ラッセル)だった。そんな中年男のフェロモンに惹かれてチョッカイ出そうとしているのが、モテモテのジュリアにやっかみ半分のパム(ローズ・マッゴーワン)という娘。

 「アンタ何ていうの?」

 「スタントマン・マイク」…。

 何とか気を惹こうと一生懸命のパムだが、スタントマン・マイクはこれまた沢尻エリカの舞台挨拶並みに素っ気ない。思い余って店の主人(クエンティン・タランティーノ)に聞いても答えは一向に代わり映えしない。

 「名前なら、スタントマン・マイク」

 「じゃあ仕事は何なの?」

 「スタントマンだろ」…。

 実はこの店主にとっても、中年男の素性はハッキリしてなかったというのが正直なところ。ともかくスタントマン・マイクは、言い寄ってくるこのパムという雌猫にはあまり興味がないようだ。彼の関心は、実はもっぱらジュリア様ご一行にあった。

 そんなスタントマン・マイクは、意を決したかジュリアたちに近づく。そしておもむろにアーリーンに例の話を持ちかけるではないか。

 「キミを口説いたら、ヒワイな踊りを見せてくれるって聞いたけど」

 さすがに「アレは冗談」で済まそうとするジュリアとアーリーンだが、スタントマン・マイクはそんな彼女たちに静かに言い放つ。「それならそれでいいが、キミは結局腰抜けってことだな」

 そんなスタントマン・マイクの挑発的一言がアーリーンに火をつけたのか、どこか危険なニオイがするチョイ悪オヤジのフェロモンに火をつけられたのか。彼女はジュークボックスにコインを投じると、まるで新東宝映画女奴隷船(1959)でセクシー・ダイナマイト三原葉子が見せたような、思いっきりヒワイで熱い踊りを披露するのであった。

 そんな「余興」が終わった頃、ようやく雨も上がった。ジュリア様ご一行もそろそろ御輿を上げる頃。スタントマン・マイクも同時に帰ろうとするが、そこにパムが「送ってちょうだい」とぶら下がったから運の尽き。彼女が乗り込むことになったスタントマン・マイクの黒塗りのクルマは、「スタントマン」ならではの特別仕様のクルマだった。

 名付けて「耐死仕様」=「デス・プルーフ」のクルマ。どんな事故があってもドライバーは死なない…というスグレモノのクルマだ。

 だが恐る恐る助手席に乗り込んだパムは、すぐに様子がおかしいと悟った。何と助手席と運転席の間に「強化ガラス」の仕切りがあるではないか。そんな彼女に、スタントマン・マイクの決定的な一言。

 「ちなみにこのクルマ、デス・プルーフ仕様で絶対に死なないのは、あくまでドライバーだけだからね!」

 そう言い終わるか終わらないかのうちに激しくアクセルを踏んだスタントマン・マイク。助手席には安全ベルトもエアバッグもなければ、衝撃を吸収するソフトな内装もなかった。たちまち全身打撲で血ヘドを吐くハメに陥るパム。彼女の亡骸は、ゴミのように路上に放り出された。

 そんな事が起きているとは夢にも思わないジュリア様ご一行は、ヤクの売人女が運転するクルマでジュリア様の別荘へと急いでいた。偉そうにふんぞり返って脚を窓から投げ出しているジュリアもホロ酔い気分のアーリーンとシャナも、我が身に危機が迫っているとは気づかない。やがてスタントマン・マイクのデス・プルーフ車が猛スピードで彼女たちを追い越しても、オヤジが血迷ったくらいにしか思っていない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ここからは映画を見てから

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ところが遙か前方で停止したデス・プルーフ車は、ぐるりと回ってジュリア様たちのクルマを迎え撃つかたちになった。そしていきなりアクセル目一杯踏み込んで猛ダッシュ!

 グワッシャ〜〜〜〜ン!!

 フル・スピードで正面衝突してきたデス・プルーフ車に、ジュリアたちの乗ったクルマなどひとたまりもなかった。まさに文字通り木っ端みじん…それも、ジュリア様の長い脚までちょんギレて吹っ飛ぶというオマケ付きだ。

 一応、両者ともに病院に収容されたものの、その運命は180度違った。ジュリア様ご一行はみんなバラバラ血まみれで即死状態。スタントマン・マイクは負傷こそしていたものの、十分しゃべれるだけの元気はあった。「アレは事故だ、どうにも避けられなかったんだ」

 むろんそんなスタントマン・マイクの言い分を戯言と察している者もいた。保安官アール(マイケル・パークス)は、スタントマン・マイクがクルマで女を殺してエクスタシーを得るビョーキ男だと、一目で見てとっていたのだ。だが今となっては、ジュリア様たちも死んで死人に口なし。

 「せめてこの次はテキサスじゃやめてくれって言うのが関の山だぁな」…。

 そんな保安官の言葉を聞いたのかどうかは知らないが…それからしばらくして、スタントマン・マイクと彼の愛車はテネシーのコンビニの駐車場にいた。

 そこに、これまた彼の格好の餌食になりそうな女たちが…。クルマに乗った3人の娘たち…映画のスタントウーマンのキム(トレイシー・トムズ)とメイクのアバナシー(ロザリオ・ドーソン)、そして女優のタマゴのリー(メアリー・エリザベス・ウィンステッド)は、スタントマン・マイクのまなざしなど全く気づかずに、バカ話を繰り広げていた。

 さて、彼女たちはその後、これまたダチ公のゾーイ(ゾーイ・ベル)と合流。またしても延々と続くバカ話。特に大ウケなのは、キムと同じスタント・ウーマンのゾーイの桁外れのタフネスとクソ度胸。そんなこんなで女4人のバカ話がさらにエスカレート。実はゾーイには、一同に頼んでぜひともやりたいことがあるようだ。

 それは映画「バニシング・ポイント」に出てくる70年代型ダッジ・チャレンジャーに乗りたいというもの。

 何とゾーイは事前にネットで調べて、この近所の農家で問題のクルマが売りに出していることを突き止めた。むろん買えるカネなどない。ただ、買うために試乗するという口実で、夢を実現してしまおうというのだ。

 早速、その農家に出かけてみると、持ち主のむさ苦しい男がお出迎え。ところでこのクルマを前にするや、ゾーイには別の野望がムクムクと鎌首をもたげてきたから始末に負えない。

 「えっ、それをやるの? もうやらないって約束だったじゃん!

 ゾーイの狙いを知ったキムは、なぜか猛烈に反対。しかし何となくゾーイに押し切られて、彼女とキムは2人だけでコッソリ試乗を試みる。はてさて、この2人一体何をやらかそうというのか?

 ところが、いきなりそんな彼女たちの前に立ちふさがるアバナシー。「アタシを除け者にして何をする気?」というわけ。結局、女3人でコッソリ試乗。リーはむさ苦しいクルマの持ち主とお留守番と相成った。

 ところでゾーイが持っていた野望とは…何とクルマにベルトを手綱代わりに引っかけて、ロデオまがいに走行中のボンネットに乗っかっちまおうというわけ。さすがにクソ度胸の持ち主のゾーイだけある。キーキーきゃーきゃー騒いでご機嫌の彼女たちだが…。

 彼女たちは後方から接近してくる黒塗りのクルマ…ボンネットにドクロが描かれたこの「デス・プルーフ」仕様車が、いかなるシロモノなのかをまだ知らなかった…。

 

見た後での感想

 やっぱりB級C級映画好きのタランティーノらしい題材。ネタもそっちであることは言うまでもないが、面白いのは、映画が始まってまもなくは画面にフィルム傷が出たりフィルムがブチブチと飛んだり…と、二番館三番館のションベン臭い映画館らしい趣向をわざわざ盛り込んでいること。最新テクノロジーを使ったバリバリの新作なのに、わざわざ二番館まで降りて来ちゃったボロボロのプリントのフリをしているのだ。

 まぁ、あざといと言っちゃあざとい。臭いと言えばクサい趣向。こういうのを面白いと楽しんでしまうか、やりすぎ悪ノリだとカチンと来るかは、単純に好みの問題だろう。僕は嬉しくて喜んでしまったが、こんなの変だと怒る人がいたとしても、僕はそれが間違っているとは思わない。ハッキリ言って悪ノリと言えば悪ノリ。映画本来の在り方とは違う、オタクなこだわりでしかない感じも確かにするのだ。

 1970年代スタイルの連続殺人鬼映画やカー・アクション映画をやりたかったことはよく分かる。「バニシング・ポイント」なんて分かりやすいアイコンを持ってきているのも、オールド・ファンにはたまらないだろう。ラストに女3人でカート・ラッセルをボコボコにしちゃうくだりは、おそらく往年のラス・メイヤーのビッチ映画「ファスタープッシーキャット・キル!キル!」(1966)からのイタダキなんだろうな…てなことは、実際にその作品を見ていない僕にも何となく察せられる。

 あの唐突でアホなラストも、かつてのマカロニ・ウエスタンやイタリア製B級アクション映画、あるいは香港製アクション映画などにはゴマンとあった趣向だ。何だこりゃ?…という脱力感がたまらないが、マジで見ている人にとっては、ガッカリしちゃうものとなっても無理はない。僕はそれを「分かってないな」などとセンスの問題でかたづけようとは思わない。「これは昔のイタリアや香港の娯楽映画によくあるオチで…」などと解説したところで、楽しめないことに変わりはないではないか。それらの映画を知らないからと言って、知らない奴を責められない。むしろそんなニッチに狭いターゲットに向けて作品をつくろうというのが、無茶な話ではないのか。

 だが現実には、僕はこの映画を大いに楽しんだ。そして、この映画の面白さは、決してそんなニッチな狭いターゲットに限ったものではないとも感じている。この映画にはそんな狭っ苦しさはない。もっとダイナミズムのある映画だ。

 では、なぜこれほどオタクな記号に満ちあふれた映画なのに、僕はそんな「狭い」映画だと思わなかったのか?

 

自由になるはずが苦しくなっていったタランティーノ

 本当は長々と話していきたいところだが、ここはごく手短に言わせてもらおう。僕はタランティーノの本質って、映画を自由に見たりつくったり語ったりするところにあると思っている。

 いろいろカミシモを着せたり大げさになったり敷居を高くしたりして、妙な権威主義やら教養主義やらで塗り固められたイマドキの映画を、もっと自由に楽しもうというのが彼の主張だと思っているのだ。

 それなりの制作費がかかったら、大作主義にしなくちゃいけない。テーマがなくてはいけない。品がなかったり俗悪だったりするのはB級C級の映画のやることで、A級の作品ではタブーだ。何よりマカロニやカンフーなんかは格オチの映画だ…。

 そんなこと自体に異議申し立てをしているのが、タランティーノの映画なのだ。

 何より彼は、「映画を面白くする」こと以外のことに労力を注ぐのを、ナンセンスと思っているはずだ。テーマだ品だ、あるいは「ある種のジャンルの映画は格下だ」…なんて考え方は、映画の面白さとは無関係だ。そんなことは、本当は映画の質とは関係ないだろう。

 そんなタランティーノにとって無条件に楽しめるのが、たまたま1970年代のジャンク映画だった。

 誰でもそうだと思うのだが、その人の美学の基準というものは、実はその人が多感だった頃に浴びるほど味わったものに多くを負っているように僕は思う。彼の場合は、たまたまそれが1970年代のジャンク映画だった。その「虚飾のなさ」が、タランティーノの中の基準をつくったと見ていい。そんな彼から見れば、ハリウッドのA級大作など厚化粧の女のようにしか見えないのも無理はない。いや、他人に「品格」を求めながら、自分に最も品格が欠けている相撲協会のようなものかもしれない。

 だから彼は現在のハリウッドのメインストリームからちょっとだけはずれて、かつてのB級C級作品のフォロワーみたいな作品づくりに邁進する。それが彼にとっての、ストレートで理屈抜きに面白い映画の規範だからだ。

 「レザボアドッグス」(1991)や「パルプ・フィクション」(1994)では、それが奇妙な味のフィルム・ノワールとして結実。しかしタランティーノの創作上の自由度が増すにつれて、彼のB級C級映画フリークぶりがもっとストレートに出てくるようになる。完全に1970年代のアメリカ黒人アクション映画を模したのがミエミエの「ジャッキー・ブラウン」(1997)では、主役のキャスティングから音楽の使い方、クレジット・タイトルのロゴ・デザインに至るまで「あの時代」のニオイがプンプンする。こうしてタランティーノはオタクの星として、ますます賞賛を浴びることになるわけだ。

 しかし、それはある意味で…彼本来のポリシーと矛盾が生じてくることになりはしないか。

 「ジャッキー・ブラウン」の主演女優がかつて黒人アクション映画のスターだったこと、主題歌代わりに使われている歌が、やっぱりかつての黒人アクション映画の代表作の主題歌だったこと…オタクたちが熱っぽく「オレは分かってるぞ」と口からツバを飛ばしながら指摘すればするほど…実はタランティーノの本来の狙いとは微妙にズレてくる。僕は「ジャッキー・ブラウン」を大いに楽しんだしイイ映画だと思っているが、元々のタランティーノの狙いが何だったのか…を想像してみると、そこにはちょっと微妙なものがあるのではないかと思ってしまう。

 むしろ彼本来の狙いからしたら、「ジャッキー・ブラウン」の主役を一部好事家しか知らないパム・グリアが演じていることより、その周囲をロバート・デニーロマイケル・キートンブリジット・フォンダらのハリウッド・スターが取り囲んでいることにこそ注目すべきだろう。その狙いは極めて明白。一部のオタクしか知らなかった黒人アクションの魅力を、もっと一般のハリウッド大作を見ているような人々に味わってもらいたい。偏見を捨ててもらえば、アレって本当に面白いんだから…。タランティーノはそう言いたかったんじゃないだろうか。

 だが彼の狙いは、微妙にズレて受け止められてしまった

 むしろオタクの喝采を浴びることでより狭いニッチなモノと見なされる結果になってしまう。あるいは元々の俗悪さや泥臭さを「ポップ」を解釈されて、オタクとはちょっと違うが「オレはワタシは一般の凡人たちとは違う、高感度といいセンスを持っている」と自認するような連中の自己満足的な愛玩物となってしまう。タランティーノ作品への賞賛のすべてがそんんなものだったとは思わないが、何となくシブヤが似合う映画になってしまった時点で、実は彼がイヤがっていた「敷居の高さ」やら「虚飾」やらがどんどんまとわりつくことになったはずだ。

 「パム・グリアってのはかつての黒人アクション映画のヒロインで…」なんて、本来の映画には余計なはずの情報の方が重要視されるなんて、どう考えても彼本来の趣旨からははずれているだろう。それって例えばアンドレイ・タルコフスキーの映画が、「あの構図にはイコン画の影響があって…」などといちいち解釈・解説しないと鑑賞できないのとどこが違うのか。これはどう考えても自己矛盾だ。

 そういう意味では、二部作にブッた切らねばならなくなった「キル・ビル」こそ、そういう自己矛盾の頂点だったかもしれない。確かに僕はこの作品をタランティーノの集大成だと思ったし、B級C級が突き抜けてA級に到達しちゃったような(そんな映画に等級をつけること自体を彼はイヤがるだろうが)希有な作品だと思っている。しかし世間がまず注目したのは、冒頭の香港ショウ・ブラザースのロゴだったりソニー・チバだったり「空飛ぶギロチン」だったり、あるいは「怨み節」だったりといった部分だろう。それをイヤがったということはないだろうが、「そればっかり」だったのはタランティーノにとって誤算だったのではないか。

 極端な話をすれば、本当は彼は「映画に貴賎はない」と言いたいのに、結果的に自分の映画に変な権威主義や教養主義(オタク教養とでも言うべきモノだろうが)をまとわりつかせてしまった。二部作になってしまった時点で、すでに立派なハクが付いている。もう「面白ければいい」の映画ではなくなっているのだ。

 では、彼はこれからどうすればいいのか?

 

より自由に映画を楽しむために

 今回のこの映画、いきなりロバート・ロドリゲスとの二本立てという時点で、あまりにも「分かりやすい」感じがする。

 最初にも語ったように、タランティーノ=B級C級映画=二本立て…という発想は、実はバカでも分かるコンセプトだ。そのあまりの「分かりやすさ」に僕は最初懸念を示していたのだが、ひょっとしたら今回はそんな「分かりやすさ」こそがミソなのかもしれないのだ。

 二本立て映画だから、もうフィルムはボロボロ。だからブチブチと飛ぶ…なんてのは、実はオタクでなくても分かる構図だ。そんな趣向だけでは誰も知らない知識をひけらかすことはできないし、「粋」で「ポップ」などとシャレのめせない。

 最もオタクのネタらしきラス・メイヤーの「ファスタープッシーキャット・キル!キル!」ですら、実物の映画を見ていない僕にも「アレだな」と当てさせてしまうわざとらしさ。この映画後半部分では元々4人の女の子が出てきたのに、わざわざ「ファスタープッシーキャット〜」と同じ3人にするために、「ダイ・ハード4.0」(2007)に出てきたメアリー・エリザベス・ウィンステッドを退場させているのも怪しい。これすべて、この場面のネタは「ファスタープッシーキャット〜」ですよ…を声を大にして教えているようなものだ。それって何だか「踊る大捜査線」(1998)で、映画パロディをやってるつもりで主人公が「天国と地獄だ〜」などと元ネタ作品タイトルを口に出して言ってしまうみっともなさにも似ている。「分かりやすい」と言えば「分かりやすい」、だが野暮と言えばまったくもって野暮な手法なのである。

 そんなに脚を出してると事故になったらケガするぞ…と心配になるほど、脚を執拗にクルマの窓から出してるのもわざとらしければ、カメラもこれまたそれをわざとらしく撮り続ける。そして案の定、思った通り派手にブッちぎれるという「分かりやすさ」だ。ついでに言えば、事故場面はご丁寧に何度も何度も繰り返される。これじゃ絶対に助からないとダメ押しされているようだ。

 さらにはスタント・ウーマン役に本物のスタント・ウーマンを起用するあたり、派手なアクションやりまっせというメッセージだと言える。その本人が「ワタシはスタント・ウーマンで…」とベラベラしゃべる饒舌さも、「分かりやすさ」の一環と捕らえるべきだろう。

 そもそも、登場人物に盛んに「バニシング・ポイント」のあのクルマ…などと言わせているのがクサいではないか。これってオタクに“アレは「バニシング・ポイント」だ!”などと興ざめな「映画クイズ」や「知識のひけらかし」をさせない予防線を、最初から張っているということではないか。

 実はこの映画で「ウンチク」を披露するのは、かなり難しいのである。

 その上でタランティーノは、好き勝手に映画をつくっている。最初は連続殺人鬼の出てくるスリラー・サスペンスと思いきや、後半は何とカー・アクション映画に変貌しちゃっている。悪ふざけが過ぎるビッチたちが殺人鬼に反撃する映画なんだと思わせておいて、最初に出てきた3人はアッサリ殺させてしまう。これにはさすがにビックリした。「ウンチク」になりそうな要素の数々はあれだけ「分かりやすく」情報開示しているくせに、なぜこっちはこんなに予想外のサプライズにつくってあるのか。

 これは何より、タランティーノの「自由であろう」とする気持ちの表れではないか。

 自由にやろうとしたつもりが余計なモノがついて不自由になったタランティーノ。この映画は、そんな彼の改めての「自由宣言」とは言えないだろうか。

 

 

 

 

 

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