「ウィッカーマン」

  (リメイク版)

  The Wicker Man

 (2007/09/17)


  

見る前の予想

 あの「ウィッカーマン」(1973)がリメイクされる。

 …な〜んて言ったら、まるで僕がカルト映画にすこぶる強い男のように見えてしまうかもしれないが、さにあらず。確かこの作品は、映画を見ようにもうまく時間が合わなくて、仕方なく見に行った作品だったように思う。見に行ってから劇場内のチラシでカルト作品だと知った次第だが、1973年制作の作品が25年後の1998年にようやく日本公開というあたりからしてカルトの臭いが濃厚だ。

 お話はスコットランドの孤島に行方不明の少女を捜すために渡ったカタブツ警官が、その島で出くわす奇々怪々な出来事を描いたもの。これが薄気味悪いやら気色悪いやら、それでいてどこかすっとぼけてドス黒いユーモアを感じさせるやら…。

 何より僕の印象に残っているのは、マーク・レスターが陰険なガキに扮した「ナイト・チャイルド」(1971)や「007/黄金銃を持つ男」(1974)にも出ていたB級トランジスタ・グラマー(この表現も古いか…)ブリット・エクランド! 彼女が真夜中の宿屋の廊下に出てきて、一糸まとわぬ素っ裸でお腹をタヌキみたいに「スッポコポン!」と叩きながら妙な踊りをおどる場面は…もはや僕などには説明不能で見ていただくより他がない。

 そんなこんなで「面白い!」と一言で言い切ることは出来ないまでも、見たら確実に記憶に焼き付けられること必至の作品だった。何より後味悪すぎるエンディングに呆然…。

 そんな「ウィッカーマン」は、あまりに個性的で唯一無比な存在。だからリメイクしようなんて誰も思うまいと考えていた。ところがネタ不足のハリウッドは、こんなカルト中のカルト作品まで手を出した。何しろイギリス臭がベットリこびりついている作品だし、どう見たって一種の「邪劇」だ。これほどハリウッド映画から縁遠い作品もないのにリメイクとは、もはやなりふり構っていられないのか。

 こりゃ話にならん…とダメダメの予感を抱いた僕だが、そのキャスティングを聞いてちょっと気が変わった。何と主演がニコラス・ケイジというではないか。ニコラス・ケイジねぇ…。

 確かにオリジナル「ウィッカーマン」のどこかサエないオッサン役者と比べると、この世界にハリウッド・スターが出てきたらドッチラケの恐れがある。だがニコラス・ケイジと来れば…スレスレでそれも「あり」ではないか。

 ニコラス・ケイジは確かにハリウッド・スターではあるが、どこかイビツで歪んだ個性が持ち味だ。何せジェリー・ブラッカイマー制作の娯楽大作に出ても、「ザ・ロック」(1996)、「60セカンズ(2000)、ナショナル・トレジャー(2004)とオタク臭プンプンの歪んだキャラを熱演するくらい。だからブライアン・デパーマのスネーク・アイズ(1998)なんかに出たひにゃ、もはや誰にも止められない暴走ぶりを発揮。イマドキのハリウッドで大流行のアメコミ・ヒーローものに出ても、この人のゴーストライダー(2007)と来たらバイクに乗った燃えるドクロ(笑)というアホらしさだ。大体が「60セカンズ」って、ジェリー・ブラッカイマーのブランドを背負ってるから大作に見えるけど、元々がただただカー・アクションをこれでもかこれでもかと見せつけるカルト映画「バニシング IN 60''」(1974)のリメイクではないか。ニコラス・ケイジという男、いろんな意味で本気でイッちゃってるスターなのだ。

 だとしたら、ニコラス・ケイジ主演「ウィッカーマン」は、確かにハリウッドでこの映画をリメイクするには考え得る最良の条件かもしれない。変なお話、変な島…以上に変なニコラス・ケイジ(笑)が出てくるとなれば、これは一見の価値があるかも。

 おまけに脇に出てくるのは…最初スタンリー・キューブリックの遺作「アイズ・ワイド・シャット」(1999)で早熟少女として登場、美少女系で売りだそうとしながらも育ちすぎてムチムチボテボテ、怪作「グラスハウス」(2001)ではセイウチかトドみたいなビキニ姿を披露するに至った(笑)リーリー・ソビエスキーと来る。さては…オリジナルでブリット・エクランドが演じたあの「スッポコポン!」を彼女が再演するのではないか。こうなると公開が待ち遠しくてたまらない。

 出っ張った腹を「スッポコポン!」と叩いて踊る、リーリー・ソビエスキーが見たい!

 仕事が忙しくてなかなか思ったように映画が見れない今日この頃。それにも関わらず、僕は初日に劇場に飛び込んだのだった。

 

あらすじ

 エドワード・メイラス(ニコラス・ケイジ)はパトロールの白バイ警官である。

 今日も今日とて田舎道を行ったり来たり、違反切符を持って駆けめぐる。そんな彼は、かなりなスピードを出して突っ走るステーションワゴン車を追いかけていた。するとそのクルマから、かわいい人形が放り出されるではないか。慌てず騒がずそれを減速せぬままにキャッチしたメイラスは、すっ飛ばすクルマを停車させる。するとそのクルマを運転していたのは一人の不安げな女。爆走していた理由も不可解なほどの平身低頭ぶりだ。そして後ろのシートには幼い少女が一人。

 「お嬢ちゃん、人形を落としたよ」

 ところがこの少女、人形をメイラスから受け取るや否や、またしてもそれをクルマの外に放り投げる。だがメイラスは怒りもせず、黙ってそれを拾おうとクルマから離れると…。

 ガッシャ〜〜〜〜ン!!

 何といきなり巨大なトラックが突っ込んで来て、母娘が乗っていたクルマをクラッシュしてしまうではないか。トラックはそのまま横転。母親は衝撃で気絶してしまったのか、ハンドルに顔を押しつけたままだ。あまりの事に慌ててクルマに駆け寄るメイラス。クルマは事故のせいで発火し、徐々に炎に包まれてくる。衝突の衝撃のせいか、クルマのドアはまったく開かない。焦り狂うメイラスが後方のウィンドウから覗くと、例の少女がまったく動じない表情でこちらを見ている。メイラスはウィンドウにヘルメットを叩き付けてガラスを粉砕し、穴から少女を助け出そうとした。しかし少女はただメイラスを見つめているだけだ。

 ドッカ〜〜〜〜〜ン!!

 炎がガソリンに引火し、クルマは吹っ飛んだ。メイラスも爆風で道路に叩き付けられる。薄れゆく意識の中で、クルマは炎に包まれ燃え尽きるのであった。

 その日から、メイラスはどこか心が遠くに行ってしまった。

 ケガのこともあって長期休暇をとったメイラスを、心配した女性の同僚が訪ねてくる。しかしメイラスは何となく迷惑そうだ。ところでこの同僚が伝えた事には、燃えたクルマからは母娘の遺体が発見されなかったという。それではメイラスが見たものは…?

 そんなメイラスの元に一通の手紙が舞い込んだのは、果たして偶然だったのだろうか。

 それはかつてメイラスの婚約者だった、ウィローという女から届いたものだった。彼女はメイラスと結婚寸前まで行ったのに、突然何の説明もなしにメイラスの前から消えてしまった。それ以来、彼も記憶の隅に追いやっていた女性だった。そんな彼女が今頃何で手紙を…。

 その手紙には、あの燃えたクルマの中にいた少女と同じ頃の年格好の娘の写真が同封されていた。手紙によれば、この少女はウィローの娘だという。彼女はあの後で自分の故郷であるサマーズアイル島に戻り、そこでこの娘ローワンを産んだ。ところがつい最近、この娘が行方不明になった。島から一人で抜け出せるわけはない。…そこで娘の行方を、メイラスに捜してもらいたいというのだ。

 調べてみると、サマーズアイル島はワシントン州の孤島で、個人の所有している土地だという。しかも恐れ入ったことに、島には電話がない。だから、直接出向かなければ事情が分からない。

 その話を聞いた署の同僚は、「昔の女のタワゴトなど聞くな」と忠告した。今考えてみれば、この忠告に従った方がよかったのかもしれない。それでもメイラスが胸騒ぎに耐えられずサマーズアイル島に出かけたのは、ひょっとしたらあの燃えるクルマの中の少女の残像に突き動かされてのことかもしれなかった。

 そんなわけで、遠くはるばるサマーズアイル島をめざすメイラス。しかし、肝心の島に行く手段がない。定期船なども出ているわけではない。しかしメイラスは、島との間を定期的に行き来しては、さまざまな物資や郵便物を輸送している水上飛行機に目をつけた。その操縦士であり、島のオーナーの命令でさまざまな品物の仕入れなども行っているらしい男(アーロン・エッカート)は、「乗せてくれ」と頼み込むメイラスにあからさまに迷惑そうな顔を見せる。それでもメイラスが札ビラを切れば、コロリと態度を変えるから現金なものだ。

 こうして島の波止場の反対側へと下ろしてもらうメイラス。あからさまに飛行機から降りるところを見られたら、島のオーナーにお目玉を食らうから…らしいが、そもそもメイラスのようなヨソ者が入り込んだ時点でバレバレのはず。ともかくメイラスは着いて早々に島を縦断。ヒーコラ言いながら島の集落へとやってきた。そこで待っていたのは、彼を好奇の目で見つめるオバサンたち。勝手に入ってきたメイラスをなじるような眼差しにもひるんではいけない。早速メイラスは警官風吹かしてオバサンたちに事情聴取だ。

 「この娘がいなくなった、どこに行ったか知る者はいないのか?」

 ところが誰も首をタテに振らない。それどころかメイラスをからかって大笑い。すっかり調子が狂ったメイラスだが、この島が何か変だということは間違いない。とりあえず島の唯一の宿屋らしき建物にやって来たメイラス。バーには女たちがたむろしていたが、メイラスの姿を見るや一斉に口をつむんだ。だが、これでひるむメイラスではない。

 そんなメイラスは、ある一人の女に目を留める。それが…かつて一方的に消えてしまった婚約者ウィロー(ケイト・ビーハン)との久々の再会だった。ウィローはメイラスの姿を見ると喜んではくれたものの、周囲を気にしてか妙に当惑した態度をとった。そして「後でオモテで会おう」とコッソリ伝えるのだった。

 どうもおかしい。この島は変だ。排他的なのにも程がある。業を煮やしたメイラスは、ここでビシッと「都会の流儀」を女たちに見せることにした。

 「オレは警察だ、誰かいなくなった娘を知らないのか?」

 だが、相変わらず素っ気ない反応。メイラスは太った宿屋の女主人に頼んで、ここに部屋をとることにしたのだが…。

 

見た後での感想

 前述したように、僕はこの作品のオリジナル版も見ている。

 見ている間も見た後も、何とも不可思議で…実は不愉快な後味を残す作品だった。いかにもイギリス映画…と言うほどイギリス映画を知っちゃあいないが、何となく意地悪でブラックな笑いが漂っているあたりがイギリス臭と思えた。よもやハリウッド版として蘇るとは思っていなかったのが正直なところだ。

 だがそれも、ニコラス・ケイジの映画と考えれば何となく納得できないわけでもない。

 そして映画の出来映えだが…「ウィッカーマン」みたいなカルト映画を神棚に上げたがるような手合いの映画ファンなら「ハリウッド・リメイク」ってだけで「クソ」だろうが、正直言って割と感じを出していると言えるだろう。

 やっぱりニコラス・ケイジのアクの強さというか、個性的で凡百のヒーローになりきれないところがこの映画にピッタリ。

 お話は舞台をイギリスからアメリカに移した以外は、驚くほど前作通り。全編に漂うイヤ〜な感じも前作通りだ。

 むろん前作のファンに言わせれば、「てんで及ばない」ってことになっちゃうだろう。それは先入観や偏見の他にも、無名の俳優ばかり出てくる得体の知れない映画とスターが出てくるハリウッド製の映画では、受け入れる側の心構えが違ってくる…ということがある。確かに得体の知れない映画の方が怖さ倍増だ。そりゃ当たり前というものだろう。

 しかしスターの出てくるハリウッド映画にしては、この作品は意外なまでに前作の気色悪さを踏襲しているのだ。これは認めてあげてもいいのではないか。監督のニール・ラビュート「ベティ・サイズモア」(2000)を撮った男。レニー・ゼルウィガー主演ということで一見健全なコメディと見えるこの作品も、よくよく考えてみるとかなり病んだ印象の作品だった。これは適任といえるだろう。

 キャスティングからして…ケイジの他にも、前作でクリストファー・リーが演じた島のリーダーにエレン・バースティンが扮して怪演を見せる。「エクソシスト」(1973)、レクイエム・フォー・ドリーム(2000)、そしてファウンテン/永遠につづく愛(2006)とアブない出演作も数多いバースティンだから、これは納得のキャスティングだ。そして島の女たちの一人に扮したリーリー・ソビエスキーも、最初は「ディープ・インパクト」(1998)などで「正統派美少女路線」を歩むかと思いきや、キューブリックの「アイズ・ワイズ・シャット」(1999)以後はちょっと育ち過ぎちゃったことも災いしてか、アブない方向一直線。今回もちょっとイッちゃってる感じが、あまりにハマり過ぎているのだ。ちなみに前作ブリット・エクランドが演じた「スッポコポン!」は今回なかったので、リーリーの怪演を見ることはできなかった。まことに残念。

 では、前作を忠実に踏襲して同じような内容の作品に仕上がっているのか…と言えば、やっぱりハリウッド版にはハリウッド版ならではの改変部分がある。それによって内容が穏便になったのかと言えば、決してそういうわけではないが、微妙にニュアンスを変えてはいるのだ。

 特に大きな改変は、島のリーダーを男から女へと変えることで、一種の「女権ホラー」に仕立てたことだろうか。

 男性中心社会の中につくられた女性上位の「異界」の話…とすることで、舞台となった島の怖さにちゃんと理由づけが出来た。おそらくこれがないと…ただ得体の知れない怖さというだけでは、ハリウッド映画としてはマズイのだろうか。それに沿って養蜂業を島の主軸産業として設定し、映画の美術コンセプトを「蜂の巣型」に統一した。このあたりは「うまいことやってるな」と思ったが、反面、あの掴み所のない怖さが妙に理に落ちてしまった…という印象も否めない。

 で、「女権ホラー」にしたことから、ブラックな「オチ」もついた。ケイト・ビーハンとリーリー・ソビエスキーが島の外に出向いて「次の獲物」を捕まえようとするエンディングだ。確かにブラックな味付けで、これはこれで悪くない。何とジェームズ・フランコの特別出演というオマケ付きで、ちょっとトクした気分にもなる。ただしオリジナル版にあった…主人公が不条理な死に追い込まれる何とも衝撃的で不愉快なエンディングほどのインパクトは、この作品には望むべくもない。そういう意味では、確かに少々モノ足りなくも感じられるところではある。

 そしてもっともイマイチなところは、冒頭に付け足された部分。白バイ警官の主人公が見た、現実か幻か分からない事故の場面だ。アレって一体何を意味しているのだろう。確かに冒頭から奇妙な雰囲気は立ちこめるものの、正直言って何を言いたいのか、どんな効果があるのかサッパリ分からない。ありふれた主人公がたまたま迷い込んだ、ありふれているはずなのに異常極まりないシチュエーションこそが、「ウィッカーマン」という作品の最大の魅力ではないのか。最初から異常な話にしてしまっては、このお話の元々の味わいを損なってはいないだろうか。

 

見た後の付け足し

 ただしこの映画、本来の作品としての出来映えとは別に、見ていて妙に納得できるお話になっているから面白い。なるほど、その通り…と膝を打ちたくなる部分がひとつだけあるのだ。

 それは男がしばしば読み違える「女の心理」を描いたお話としての部分だ。

 かつて自分の前から姿を消した女。そんな女から突然便りがある。しかも助けて欲しいという便りだ。男としては、何としても女のために一肌脱ぎたくなるシチュエーションであろう。

 元々が男というものは、どこか過去に執着するところがある。それが過去の女ならなおさら。捨てた女であっても時には「どうしてるかな?」と気になる時があるし、別離の時によほどの事がなければ、大抵は思い出は美化されている

 まして自分からではなく女から去って行ったとくれば、男の未練は人一倍だ。ついつい自分に都合良く受け取りたい気持ちも手伝って、こう考えてしまうのではないだろうか。やっぱりオレでないと頼りにならないんだ、やっぱりオレに気持ちを残していたんだ、そもそも女はやり直したいんだ、大体があの時だって女はオレにイヤになったから別れたわけじゃないに違いない、きっと何か訳があるんだ…。

 何か訳がある…。このように男はしばしば自分を慰めたり自尊心を守ろうとして、勝手に女のアリバイをつくってやるところがある。

 そして女は…何も言わない

 何か都合の悪いことをした時、それが発覚しそうになった時、男なら必死にとりつくろったりウソをつくだろう。だが女がウソをつくことは少ない。ただ黙っている。バレそうになっても、何も言わない。狼狽して泣いたりはするだろうが、それでも本当のことは言わないのだ

 あるいはウソをついても…自分でついたウソを自分で信じてしまうからウソにならない。しかも、ついても最小限のウソだ。

 あとは、男が勝手にアリバイをこさえてくれる

 このリメイク「ウィッカーマン」の主人公と女との関係は、そっくりこうした男と女の力学にあてはまるのだ。

 どう考えても怪しい状況。その怪しさは、調べれば調べるほどどんどん増すばかりだ。でも、彼女はロクに説明しない。うろたえた顔をするだけだ。その目が彼に訴えてくる…「私を信じてくれないの?」

 そんな言葉を信じてはいけない(笑)。

 信じてはいけないが、男はキレてもいけない。ウソと分かった上でそれを腹の中に収めてはじめて、女との関係はうまくやっていける。女は最初からそういう生き物なのだ。それを笑って許してやれる度量がない男は、女の尻など追うものではない。ダマされる奴が悪い。怒る方が悪い。そもそも女は「私を信じてくれないの?」とは言うが、「私を信じて」とは頼んでいないはずだ。信じたのは男の勝手だろう。

 男は勝手に昔の女の頼みをきいてやろうと、必死で奔走する。さすがにおかしな事ばかりでちょっと気持ちが萎えて来ると、今度は行方不明の少女が自分の娘と知ってまたまた奮起。よせばいいのに張り切ってしまう。自分が犠牲になっても助ける…と無理をする。女にイイとこ見せたくなる。だから、ついついカッコつけて大見得を切る。「オレにまかせろ!」

 やたら見栄ばかり張ってカッコをつけるところが、男のバカなところだ。そこを女にいつもつけ込まれる。自分が女を守ってやっている…のではない、単純に女にそう仕向けられているだけなのだ。何となく男なら誰でも身に覚えがあるだろう。

 そもそも考えてみよう。例えどんな理由があっても、女が過去の男を懐かしんで連絡したり呼び戻したりすることがあるだろうか

 女にとって過去は過去。もはや何の意味も持たない。振り返るはずがない。もしそんな事があったとすれば、それは女がかつての男を「利用価値あり」と判断した時だけだ。それ以上ではあり得ない。

 その意味でリメイク版「ウィッカーマン」の脚本は、すこぶるリアルなものとなっている。

 だからこの映画の主人公は、最初から読みが間違っている。彼の同僚は「昔の女のタワゴトなど聞くな」と忠告するが、それは全くもって正しいのだ。

 そんな女性心理の妙をリアルに描いている点が、今回の新作の想定外の面白さだろうか。

 

付け足しの付け足し

 エンディングで男を引っかけに外界に出てくるリーリー・ソビエスキーには驚いた。男の気を引くためにメイクをしているのだが、「育ちすぎ」の彼女だけにちっとも美しく見えないどころか…勢い余って厚化粧のオバサンにしか見えなかったのはショックだった。あくまで「美少女」キャラで押し通そうとしているソビエスキーだが、そろそろ売り方の再検討を考えた方がいいのではないだろうか。 

 

 

 

 

 

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