「ラブソングができるまで」

  Music and Lyrics

 (2007/05/14)


  

見る前の予想

 ヒュー・グラントドリュー・バリモア共演のロマンティック・コメディができたと聞いてワクワクしない映画ファンなんて、特撮マニアと邦画ファンと岩波ホール愛好者ぐらいのもんだろう(笑)。もちろん僕もワクワクした。どっちもご贔屓だし、ロマンティック・コメディも好きだ。本来このジャンルはハリウッド映画の独壇場だったからね(最近はアジア映画に大分荒らされてるが)。

 だが、僕にはひとつ気にかかってることがあった。

 実はちょいと前のヒュー・グラント主演作にトゥー・ウィークス・ノーティス(2002)という作品があった。これ、やっぱりロマンティック・コメディならおまかせのサンドラ・ブロックが共演という、誰がどう見たって大成功必至の作品だったわけだ。ところが映画ってのは見るまで分からない。こんな「安全パイ」のはずの作品が、何となくスッキリしない出来栄えで終わってしまったのだ。つまらなくはない。だがグラントとブロックなら爆発的に面白くなきゃマズイだろう。どうしてあんな結果になっちゃったのか?

 それを考えると、どっちもロマンティック・コメディの「巨匠」、しかも初顔合わせ…というグラントとバリモアのコンビにいささか不安を抱く僕の気持ちも分かっていただけるだろう。大好きだからこそ、その結果がとても恐いのだ。

 そうは言いつつも、これを見なければハリウッド映画好きの名がすたる。慌てて劇場へと足を運んだ僕だった。

 

あらすじ

 私、小林克也がお送りしております「ザ・ベストヒットUSA」。今週の「Time Machine」のコーナーは1980年代を代表するグループ「PoP!」が1984年に発表した大ヒット・ナンバー、「PoP! Goes My Heart」をお届けします。

 英国出身のロック・ポップ・グループ「PoP!」は、大学の同級生同士というリード・ボーカルのコリンとサポート・ボーカルとキーボード担当のアレックスを中心に、1983年ロンドンで結成。翌1984年のデビュー・シングル「PoP! Goes My Heart」の大ヒットで一躍スターダムにのし上がりました。当時のアメリカのヒットチャートはデュラン・デュラン、ワム!、ポール・ヤング、カルチャー・クラブ、トンプソン・ツインズ、フランキー・ゴーズ・トゥ・ハリウッドなどの、いわゆる「第2次ブリティッシュ・インヴェーション」の全盛期で、「PoP!」もこの波に乗って全米ヒットチャートを席巻。この「PoP! Goes My Heart」は日本では「恋は突然」という邦題でリリースされ、洋楽として異例のレコード・セールスを記録しました。ただ今ご覧いただいているビデオ・クリップも、当時日本で人気だった「カフェバー」で繰り返し上映されたので、覚えていらっしゃる方も多いのではないでしょうか。同年行われたワールド・ツアーでは来日公演も果たし順風満帆の彼らでしたが、1992年にボーカルのコリンが脱退したためグループは空中分解。その後コリンはソロ活動でも成功を収め、ナイトの称号も得ています。さて、CMをはさんで次は「Star of the Week」のコーナーです…。

 そう、確かにコリンはソロでも大成功した。映画の世界にも進出して、ハリウッドでも売れっ子だ。だがもう一人の人気者アレックス(ヒュー・グラント)は…? 

 二人のその後は明暗がクッキリ分かれた。

 いや、アレックスとて今でも仕事のクチはある。現に今日もこうしてテレビ曲の新番組に呼ばれている。題して「80年代スター大激突」の企画を、スタッフから説明されているところだ。出る面々がスゴイ。フランキー・ゴーズ・トゥ・ハリウッドにデビー・ギブソンにティファニーに…だが途中でとんだ色モノ扱いと知り、憤然と席を立つアレックス。

 マネジャーのクリス(ブラッド・ギャレット)は「内容をよく知らなかった」とアレックスに平謝りだが、むろんアレックスだってそのへんは分かってる。そもそも「落ち目」の彼に付き合って「営業」の仕事を取って来てくれるクリスに、アレックスは大感謝しているのだ。しかも今回は異例とも言えるデカい仕事の話だ。

 何と今をときめくアイドル・スター、コーラ・コーマン(ヘイリー・ベネット)からのたってのご指名!

 こんなイマドキ大スターが何故にオレを…と怪訝そうに首を傾げるアレックスだが、何と彼女は昔からアレックスのファンだとのこと。そこで何とか新曲を…と白羽の矢が立ったというわけだ。しかし「曲づくり」と聞いたとたん、思い切り腰が退けてくるアレックス。

 実は、もう何年も曲づくりなどしたことがない。それにそもそも曲はつくれても詞には自信がない。そんなビビりまくるアレックスの尻を叩いて、何とかコーラとのミーティングの場に連れ出すクリス。そこはコーラの新曲ビデオ・クリップの撮影現場だった。

 ところが、これがまたスゴイ。題して「ブッダの喜び」というその新曲は、激しいビートに乗ってコーラがカリスマティックに歌い踊るナンバーだが、ブッダへの愛を歌うその歌詞とは裏腹にコーラの出で立ちはヘソ出しを通り越して隠してる部分の方が少ないほど。おまけにクネクネとエロい振り付けも目の毒そのもの。見た目はどう見てもまだまだティーンのお嬢さんのコーラだけに、ただただ唖然のアレックス。

 ただ彼女のアレックスへの作曲依頼の動機が「両親の離婚のショックから立ち直らせてくれたのがアレックスの曲だったから」と聞くと、どうもそれは純粋で本気なもののようだ。

 ただし売れっ子コーラの要求はさすがに厳しく、タイトルはごく最近の彼女の「失恋」をテーマに「愛に戻る道」と決まっている。おまけに彼女がツアーに出るまでのわずかな日数でつくらねばならない。何しろこのツアーで、コーラは新曲を披露するつもりなのだ。でも、これは落ち目のアレックスが、もう一度陽の目を見られるようになるための唯一のチャンス。やらない訳にはいかない。

 でも、歌詞が…。

 昔から歌詞をつくるのが苦手だったアレックス。そんな彼を、マネジャーのクリスは「売れっ子作詞家をつけてやるから」と何とかなだめて、久方ぶりのビッグな仕事を引き受けさせた。むろんその言葉にウソはない。早速、アレックスの自宅にはその「売れっ子作詞家」が現れ、いよいよアレックスのピアノの弾き語りによって曲作りが始まった。

 だが、この「売れっ子」の作ってきた詞が何ともいけない。少なくともアレックスにはグッと来ない。作詞家は自信満々でアレックスの曲にダメ出しをしてくるが、ダメ出しはアレックスの方がしたいほど。しかしここはグッと我慢とこらえていると、そこに思わぬ訪問者がやって来た。彼の家の鉢植えの植物の手入れをしに、若い女性が現れたのだ。

 ただし彼女はいつも植物の手入れに来る女性ではなく、ピンチヒッターのソフィー(ドリュー・バリモア)。実はこの作詞家を交えたセッションの前にもちょっとだけやって来たのだが、植物のトゲでケガをしたとかで、大げさに騒いで帰ってしまった。そこで今回またやり残した「仕事」をするために、アレックスの部屋に戻って来たというわけ。ともかくアレックスはそんな植物の世話をする女性に構っているヒマはない。ソフィーはソフィーで、サッサと仕事を済まそうとしていた。

 ところが、どうにもアレックスの方の仕事はスムーズに進まない。やはりこの作詞家との相性は芳しくないようだ。ある一箇所のフレーズでつまずいてガタガタしていると、どこからともなくこの一節にピッタリの鼻歌が聞こえて来る。何と例のソフィーが植物に水をやりながら、何の気なしに即興でつくったフレーズらしい。思わず夢中になったアレックスは、ムッとする作詞家氏をよそにソフィーに近づいていく。「キミ、今の続きを聞かせてくれないか?」

 そう言われても、ソフィーは驚くばかり。彼女は知らないうちに即興で口ずさんでいたので、「詞をつくった」などという自覚などない。だがアレックスはもう夢中だ。その続きを聞かせてくれだの何だのとソフィーににじり寄るばかり。そんなこんなで作詞家氏は「プロをバカにするな!」と怒って帰ってしまったが、アレックスはむしろ渡りに船でまるで気にしなかった。それより何よりソフィーだ。

 「キミには才能がある。ぜひ詞をつくってくれ!」

 だが、ソフィーは「素人に作詞などムリ」と相手にしない。…というか、むしろ不自然なほど頑なにアレックスの願いを拒む。慌てて帰ろうとするソフィーに、「今夜、イベントで歌うから見に来て」と告げるアレックスだった。

 幸か不幸か、ソフィーの姉ローンダ(クリスティン・ジョンストン)はかつて「PoP!」の大ファンだった。たまたまソフィーからこの日の顛末を聞くと、居ても立ってもいられず彼女を連れて「イベント会場」へと乗り込むローンダだ。

 その問題の「イベント会場」は、ある高校の同窓会会場だった。そのパーティーの余興が、カラオケ・テープを使ってのアレックスのミニ・コンサート。かつての男子生徒たちはドッチラケで遠巻きにしていたが、オバチャンたちは昔を思い出して大いに熱狂。アレックスもそれに応えて大熱演し…熱演のあまり腰を振りすぎて、ギックリ腰になったりと大騒ぎ。むろんローンダも大ハシャギだ。

 ローンダに引きずられたとはいえ、会場にやって来たソフィーに「脈アリ」と踏んだアレックスは、ここで改めて彼女に協力を依頼。だが、またしても異常なほどに拒むソフィー。それでもとにかく無理矢理口説き落として、明日からアレックスのアパートに来てもらうことになった。

 しかし、だからと言って詞がいきなり湧きだしてくる訳でもない

 二人して顔を突き合わせたあげく、一日中ワン・フレーズも出ないというアリサマ。アレックスは大いに焦るが、出てこない時は出ないのだ。完全に煮詰まったと悟ったソフィーは、腹が減っては戦さはできぬ…とばかりにアレックスを外に連れ出す。そして軽食をとりながら、どちらともなくお互いの身の上話を語り始める二人。当然アレックスが気になっているのは、詞をつくるにあたっての当初のソフィーの異常なまでの嫌がり方だった。元々どう見ても文才がありそうな彼女が、なぜ?

 するとソフィーは、かつての彼女のツラい恋物語を話し始めるのだった…。

 

見た後での感想

 開巻いきなり登場するミュージック・ビデオ(!)が、この映画のすべてと言ってもいいかもしれない。

 ヒュー・グラント扮するアレックスが在籍していた英国バンド「PoP!」のヒット曲のビデオ・クリップという設定で展開するミュージック・ビデオ場面なのだが、これが実にあの当時のミュージック・ビデオの特徴をつかんでいて笑っちゃう。笑うだけじゃなくてリアル。とにかく当時のデュラン・デュランとかワム!とか、英国出身じゃないがa-haとか、あのへんの連中の曲やビデオを研究し尽くしたに違いない出来栄え。どこがどうというのではなく、バンドの衣裳やヘアスタイル、セットのデザインから安っぽいドラマ仕立ての作り、曲のアレンジやサウンドに至るまでが「いかにも」の出来栄え。これは大変なものだ。

 そしてあの当時は英国アーティストの全盛時代だったから、われらがヒュー・グラントの出てくる必然性がある。これはなかなかに考え抜かれた設定なのだ。

 映画が始まるといきなりこのビデオが登場するから、僕なんか嬉しくて小躍りしてしまった。この嬉しくも恥ずかしいビデオの中で、われらがヒュー・グラントが全く照れも見せずにバカ踊りを披露しているから嬉しさもひとしお。ラブ・アクチュアリー(2003)の中で、ポインター・シスターズの「ジャンプ」に乗って踊りまくる英国首相を演じたグラント。あのシーンがヒュー・グラントの全キャリアの中でも最高!…と思ったのは、どうやら僕だけじゃなかったらしい。

 今回の映画では、この冒頭のビデオ場面はもちろん、劇中なんども登場するライブ・アトラクションの場面で、ヒュー・グラントは腰を振りまくリ踊りまくるのだ。もう嬉しくて嬉しくて、僕はそれだけでこの映画の入場料は惜しくないと思う。

 むろんこれだけのトップ・スターになって、あんな「バカ」が惜しみなくやれるグラントは偉い。そして、「一見バカ映画」の佇まいを平気で見せちゃうこの映画も、実は作り手のかなり非凡な姿勢を伺わせるものなのだが、それはまた後で…。

 ちなみに、この冒頭場面に出てくる典型的1980年代サウンドの曲と、劇中でグラントとドリュー・バリモアが共作する曲などをつくったのは、何とトム・ハンクスが初監督した1960年代一発屋バンドの顛末を描いた青春映画の佳作「すべてをあなたに」(1996)で、問題の一発ヒット曲を書いたアダム・シュレシンジャーというから驚いた。なるほど…この男が書いた曲なら、ズバリとツボにハマるのも納得だ。

 見事に1960年代サウンドを再現したシュレシンジャーを起用した時点で、この映画の作り手たちは「分かってる」。冒頭の1980年代英国バンドが完璧なのも、思わず納得の人選なのだ。

 しかしながら、この映画には問題点がないわけではない

 実はハッキリ言うと…この映画はいい感じの楽しいロマンティック・コメディではあるが、映画の最大の楽しい場面はこの冒頭のビデオ・クリップに尽きる(笑)。後の中味はもちろん悪くはないが、何より爆発的楽しさとインパクトは、冒頭のビデオに及ばない。逆に言うと、全編冒頭のノリの余韻で突っ走る「先攻逃げ切り」型の映画になっているのだ。

 というのも、実はこの映画、ヒュー・グラントとドリュー・バリモアという2大ロマンティック・コメディ・スターが激突する作品ではあるが、見ていて2人が互角にぶつかり合っているような印象があまりない。真っ正面からの激突は避けて、どちらかと言うとヒュー・グラントをメインに立ててつくっているような感じに仕上がっているのだ。

 だから、実は2人の異なる個性の人間がぶつかり合って仲良くなっていく…というロマンティック・コメディの定石部分が、他の同種作品と比べてあまり強くない。2人はかなり早い段階で仲良くなっていくし、ぶつかり合いも葛藤もあまりない。

 本来ならこの作品の場合、曲作りの過程を克明に見せつつ、そこに恋愛の進行ぶりをダブらせて見せていくはずだ。例えば小説を書く過程を描いたあなたにも書ける恋愛小説(2003)みたいな展開が考えられるのに、意外にこの「ラブソングができるまで」はその「できるまで」があまり描かれない。意外にすぐ曲は出来てしまうし、彼らは親しくなっている。つまり主人公2人が、何でそんなに仲良くなったのかもよく分からない展開になっているのだ。

 「むしろ問題が出てくるのは仲良くなってから」…というのも珍しい。一番の盛り上がりどころの新曲発表のライブ・パフォーマンスだって、普通だったら無茶でも何でもヒロインを舞台に上げちゃうだろう。それがここでは、なぜか舞台の袖に引っ込まされたまま。

 そもそもヒロインの登場からして、印象的でもなければキャラクターを前面に押し出したものでもない。「何だあれは?」という変な感じしか与えない、ズバリ言ってどうでもいいような登場ぶり。こんな投げやりなヒロインの登場を描くロマンティック・コメディって、実はそんなにないんじゃないだろうか。

 そんなこんなも含めて、ここではドリュー・バリモアの役柄がそれほど大事に描かれているとは思えない。むしろこの映画は、明らかに「ヒュー・グラントの映画」なのである。

 

必ずしも相性ピッタリではない主演二人だが

 こんな贅沢な2大スターを並べていながら、あまりドリュー・バリモアを活かしていない構成。本来だったら、どう考えてももったいない出来栄えだ。しかしこの映画に限っては、これが適切だったしこれで良かったと思えるから不思議だ。

 そしておそらくこの作り方は、同じヒュー・グラントとサンドラ・ブロック主演の「トゥー・ウィークス・ノーティス」を撮った脚本・監督のマーク・ローレンスの作戦だったと思えるのだ。

 そう。今回も実はあの「トゥー・ウィークス・ノーティス」の監督が撮っていた。それを知ったのはこの映画を見る寸前のことだったが、それを知ったとたん僕はイヤ〜な予感がしたわけだ。

 確かに「トゥー・ウィークス・ノーティス」は決して悪くなかった。悪くはなかったものの、何もあの2人を組ませるほどの面白さもなかった。あの2人の共演作と考えると、むしろ出来栄えはイマイチ。もっと面白くても良かったんじゃないの…と思えた。

 その理由はいくつか考えられるが、何よりグラントとブロックの相性が今ひとつ良くなかったみたいだった。それで、今回のグラントとバリモアについても不安が残ったのだ。確かに2人ともロマンティック・コメディの大スターだが、それを言うならサンドラ・ブロックだってそうだ。では、グラントとバリモアの2人が並んだらどうなるのか? それについては僕だけじゃなくて、どうやらマーク・ローレンスも同じことを思ったようなのだ。

 で、実際の映画は果たしてどうだったか。

 正直に言ってしまうと、ヒュー・グラントとドリュー・バリモアが相性ピッタリかと言えば、たぶんそれは違うんじゃないかと思う

 やっぱり最初に思った懸念が正しくて、この二人は必ずしもピッタリとは思えない。例えば50回目のファースト・キス(2004)のアダム・サンドラーあたりなら、ドリュー・バリモアと文字通り相性ピッタリと言っていい。だがヒュー・グラントは、どうもそんな相手には思えないのだ。

 ただし、それはひょっとすると…グラントの横に誰を持って来ても同じじゃないかとも思う。

 例えば彼のロマンティック・コメディで最大の成功を収めたノッティング・ヒルの恋人(1999)を見てみよう。そこではジュリア・ロバーツとグラントが対等の共演を果たしているかのように見えるが、実はロバーツの役は「天上人」である大スターの役。物語は終始グラント側から語られていた。アバウト・ア・ボーイ(2002)もあくまでグラントがメインで、レイチェル・ワイズは脇の扱いだった。逆にブリジット・ジョーンズの日記(2001)はあくまでレニー・ゼルウィガーの映画で、グラントはゲスト的な出演でオイシイところだけさらっていた。つまり、どれも「対等」で激突するような共演ではなかったのだ。

 実はヒュー・グラントって、スター女優との「対等な共演」に向かない俳優なんじゃないだろうか。

 普通は個性の違う同士のスターの正面衝突って、組合せがピタリとハマれば相乗効果の面白さが出る。だが、ことヒュー・グラントに限っては、そんな対等のスター共演に向いていない。いや…ここはまだサンプルがあまりに少ないから、「対等の共演ができる相手のタイプが限られている」と言っておこう。グラントと相性抜群のスターはどこかにいるのかもしれないが、その選択の範囲が他のスターと比べて極めて狭いのかもしれないのだ。ドリュー・バリモアとの共演を考えた時に、脳裏に浮かんだ一抹の不安は、まさにその点にあったのである。

 で、実際のところ、グラントとバリモアの相性はどうかということになるのだが…誤解を恐れずもう一度繰り返して言えば、おそらく特に良くはなかったんじゃないだろうか

 相性が悪いということはなかったが、特別良くもなかった。つまりはフツーということだろうか。正直言うとこれだけのロマンティック・コメディの達人が雁首揃えて、「フツー」ではちょっと収まらない。もしその程度の出来なら、おそらく「トゥー・ウィークス・ノーティス」でのグラント=ブロックの共演レベルに止まっただろう。結果的にこの作品は、見る者にとって面白いモノにはならなかったはずだ。

 だが…それにも関わらず、この作品はかなり面白い映画に仕上がった。なぜか?

 たぶん…それでも楽しく見れたのは、ドリュー・バリモアが本来持っている人柄の良さみたいなもののおかげではないか。どことなく無防備でホンワカした個性。デート・ウィズ・ドリュー(2004)を見れば、素の彼女(あれが「素」ならば…の話ではあるが)の暖かさがお分かりいただけるだろう。あれだけホンワカした彼女だからこそ、多少の違和感や不協和音も吸収できる余地があったんじゃないかと思う。彼女のセンスや個性には、そのあたりを受け止められる「弾力性」があると思うのだ。

 そしてもう一つ…先程から繰り返し言っているように、あえてグラントとバリモアの正面衝突を避けた構成が功を奏した。そんな「作戦の勝利」だったように思えて仕方がない。

 冒頭の出来すぎのビデオ・クリップでも分かる通り、今回はヒュー・グラントのワンマンショーだ。

 彼はプロのミュージシャンという設定だから、劇中何度もライブ場面がある。それがどれもこれも、「ラブ・アクチュアリー」で見せた彼の至芸とでも言うべき「腰振り」全開のもの。当然、全編の笑いも彼がさらってしまう仕掛けになっている。これでよくドリューが出演オーケーしたなと思うが、控えめなところがかえって好感を呼んで、決してドリューも損な役回りにはなっていない。出しゃばりゃいいってもんじゃないという事が分かってる、苦労人ドリュー・バリモアならではの「受け」に徹した共演が見事に功を奏しているのだ。

 そういう訳で、一見ベタで古典的なパターンで出来ているように見えるこの作品、実はよくよく見ると、ちょっと定石とはズレた展開の作品になっているところがミソだ。

 これって、グラントとマーク・ローレンスが「トゥー・ウィークス・ノーティス」で得た教訓の産物なのだろうか。何しろローレンス自身が、デンジャラス・ビューティー(2000)の脚本を手がけた才人なのだ。おそらく前作の反省を土台にして、名誉挽回のチャンスを狙っていたのではないか。僕はこの映画でのグラントの奮闘ぶり(歌い、踊り、ムキになっているかのように腰を振りまくる)を見て、ついついそんなことを考えてしまった。

 

見た後の付け足し

 ついでにこの映画を見て感心したのが、真の意味での「悪役」がいないこと。例えばヘイリー・ベネットが演じているカリスマチックなポップ・スター。あからさまにブリトニー・スピアーズをからかったようなキャラクターだけに、完全にパープー姉ちゃんとしてバカにしてもいいところだが、なぜかそうは扱われていない。それどころか、グラントたちの新曲を妙な東洋趣味でメチャクチャにしかかるくだりも、「すぐ後から二番手三番手のアイドルが猛追してきて、セクシー路線をやらないわけにはいかないの!」と泣き叫んで本音をポロリ。同情すべき弱さを持ったキャラクターとして描かれているのだ。さらにはエンディングのコンサート場面をお膳立てする、意外な人の良さも披露。正直言ってあの歌が彼女の若いファンにアピールするとは到底思えないのだが、そこはそれ映画ならではのおとぎ話。ある意味でティーン・アイドルだった彼女がこれからこの曲で芸域を広げるのではないか…とさえ思わせる、後味の良さを見せている。

 その他にも、単なる「愚鈍な亭主」扱いされそうなドリューの姉の夫あたりも、こっそりとグラントの横で腰を振っていたりして、なかなか「話せる」ところを見せていたりする。結局、単に「ネガティブ」に描かれているのはドリューの元の恋人だけ。こうしたデリケートな点までキッチリと手を抜かず、あくまで登場人物を大事に扱って好印象を維持しているのが、この作品のよく出来たところだ。

 エンディングでダメ押し的に冒頭のビデオ・クリップをリピート。そこでは「1980年代トリヴィア番組」風に登場人物たちの豆知識をチラチラ入れながら、ちゃんと主人公たちの「その後」も語っている神経の細やかさも、そんなデリケートさの現れだ。

 その他にも、グラントが出演した同窓会パーティーのBGMに、さりげなくリマールの「ネバーエンディング・ストーリー」を流したり…と、そんな細かな配慮が随所に伺える。

 この映画の「いい味」は、そんな「一見バカ映画」とはそぐわないような「ディティールのこだわり」によって支えられているのかもしれない。

 

 

 

 

 

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