「ホリデイ」

  The Holiday

 (2007/04/09)


  

見る前の予想

 この映画は、予告編を見た時から楽しみにしていた。

 元々、僕はナンシー・メイヤーズの映画が大好きだった。どれもこれもハリウッド映画らしい楽しさとゴージャスさを持っていたし、何よりキャスティング等にセンスの良さを感じた。そこへきて今回は、キャメロン・ディアズ、ケイト・ウィンスレット、ジュード・ロウ、ジャック・ブラック…と当代随一のトップスターや芸達者が集まっているではないか。アメリカ映画好きなら、このメンバーだけでヨダレものだ。

 唯一不安を醸し出すのが…ロスとイギリスの二人の女が、それぞれの家を交換して起こる旅先のアバンチュールという設定。着想はすごく面白そうだが、こうなるとキャメロン・ディアズとジュード・ロウの英国編、ケイト・ウィンスレットとジャック・ブラックの米国編という2つのお話が、ほとんど平行してパラレルで描かれるという展開になるだろう。実は今回、僕が少々引っかかってしまったのが、この点だった。かつてこの作品と似た2つのエピソードのパラレル構成で、豪華な顔ぶれを揃えて期待を集めながら散漫な結果に終わった映画が1本あったのだ。これについては詳しく後述するが…何とももったいないこの作品の記憶があったので、パラレル構成の作品は難しいかも…というイヤな予感がしたわけだ。

 もちろんナンシー・メイヤーズが大好きな僕としては、彼女がそんな予感を吹き飛ばしてくれることを期待したい。そんな気持ちも込めて、初日に劇場へと飛んでいった次第。

 

あらすじ

 恋愛にはさまざまなカタチがある。中でもどんなに愛しても報われない恋愛、これは実にツライ。

 今、ロンドンの新聞社で結婚欄コラム担当のアイリス(ケイト・ウィンスレット)が、まさにその真っ直中にいた。クリスマス・イブのこの日、今日も今日とて愛する男・同僚ジャスパー(ルーファス・シーウェル)のためにプレゼントを用意する彼女は、彼が自分と別の女との二股をかけていた…いや、実はそっちの女が本命だった…と分かっても、今なお彼への未練を断ち切れないでいたのだ。この日も社内のクリスマス・パーティーで甘い言葉を囁かれ、思わずウットリとするアイリス。

 しかし非情にも、次の瞬間そんな彼女の期待は木っ端微塵に破壊された。ジャスパーと「もうひと股」の女との婚約が発表されたからだ。すべての希望をうち砕かれたアイリスは、郊外にある自宅に引きこもり、号泣するしかない。

 一方、こちらは太陽サンサンのカリフォルニア。映画予告編製作会社で大儲けしているアマンダ(キャメロン・ディアズ)は、長年付き合っている作曲家のイーサン(エドワード・バーンズ)と大喧嘩の真っ最中。ここんとこ倦怠期が続いていたところへ、若い女とのおネンネ疑惑が持ち上がったのだ。

 イーサンは若い女との関係は否定し続けるが、アマンダは追及の手を緩めない。情け容赦なくわめき散らして、彼を自分の屋敷から叩き出す。しかし一方的に言われ放題のイーサンにも言い分はあった。何せアマンダが忙しくて二人の時間をつくれない、それが問題だとイーサンは訴えるが、アマンダは最初から聞く耳を持たない。業を煮やしたイーサンは、ついにキレて非を認めた。

 「分かった分かったよ、彼女と寝た! これでハッピーか?」

 これを聞いたアマンダは、イーサンに駆け寄って一発お見舞いする。結局、これが二人の関係のミジメな幕切れ。さすがに気落ちしたアマンダは思わず号泣…。

 …のはずが、涙が出ない

 情けないことに、泣きたくとも泣けない。さすがに疲れ切ったアマンダは仕事を休業宣言。気分を変えてバカンスでも…と、ネットであれこれ物色し始めた。そこで見つけたのが、ロンドン郊外のこぢんまりとした家。メルヘンチックでいいわぁ〜とゴキゲンになったところで、早速アクセスしてみると…何とその家の主がネットを通じてコメントを発して来たではないか。

 「そちらの家はどこですか?」

 何と、この家は単なる貸し家ではなかった。一時的に家を交換する「ホーム・エクスチェンジ」の家だったのだ。ロンドン郊外の相手は、アマンダの家がカリフォルニアと聞いて興奮しているようだ。ならば申し分なし。

 実はこのロンドン郊外の家の持ち主は、あの失意のアイリスだった。やっぱりアマンダと同じように人生の岐路を予感した彼女は、気分転換に…と「ホーム・エクスチェンジ」を志願したわけ。こうして運命のいたずらか、大西洋を挟んで失恋ショック真っ直中の二人が偶然やりとりする事になったわけだ。どちらも人生リセットの必要を感じていたのは何かの縁か。「その気」になったアイリスは、アマンダに思い切った提案を投げかける。

 「明日からでどう?」

 こうして飛行機に飛び乗った二人は、それぞれお互いの家に向かうことになった。

 まずは白銀のイギリスにやって来たアマンダ。クルマは途中までしか行かず、雪が積もった坂道を、荷物ぶら下げハイヒールでえっちらおっちら行くハメになる。やっとこ着いた「わが家」は確かに遠目にはメルヘンチックだが…狭いし何もないし正直言って退屈。おまけに完璧に一人だから、余計空しさが増してくる。

 片やカリフォルニアのアイリス。辿り着いた「わが家」は巨大な邸宅だ。部屋がデカい、テレビがデカい、プールがある。予想外の素晴らしい物件に、まるで「エビでタイを釣った」気分のアイリスはキャッキャと小躍りしてしまう。おまけに時差ボケも手伝って、どデカいベッドで昼寝だ。

 そんなアイリスのもとに現れたのが、マイルズ(ジャック・ブラック)という小太りな男。友人であるイーサンから頼まれて、恋人マギー(シャニン・ソサモン)を連れて彼の荷物を取りに来たのだ。陽気なこの男が訪れたとたん、どこからともなく突風が吹いてくる。

 「サンタアナの風が吹くと、何かが起こるよ」

 そんなマイルズの言葉は、果たして何かの予言だったのだろうか。気候も周囲の人々もガラリと違うカリフォルニアで、人生大いに変わっていく気がしてきたアイリス。

 ところが、そんな彼女に冷水を浴びせるような出来事がひとつ。何とあのジャスパーから連絡が入ったのだ。それも仕事を彼女におっかぶせて、すっかり頼り切る気配。だが情けないことに、それを拒みきれないアイリス。それではいかんと片方で思いながら、もう片方でジャスパーとの腐れ縁を断ち切りがたい、相反する感情に引き裂かれる彼女なのだ。

 さてイギリスのアマンダにも、実は転機は徐々に迫って来つつあった。何と夜中にある男がやって来て、中に入れろと言い出したのだ。

 その勢いに押されて入れてみると、これがすこぶる付きのイイ男。その男グラハム(ジュード・ロウ)はあのアイリスの兄で、この夜はしたたか酔っていた。いや、どうも彼に言わせると酔っているのは今夜だけではないようだ。そしてこんな酔った晩には、今夜のように妹アイリスの家に厄介になるのもしばしばらしい。この夜も「ホーム・エクスチェンジ」の事など知らずに押し掛けてしまったとか。

 何となく危ない警戒心と奇妙な期待に胸騒ぎのアマンダ。そんなアマンダに、グラハムも酔った勢いでキスなんぞかますから、余計に彼女のドキドキも高まろうというものだ。「あの、もう一度お願い…」

 その頃、大西洋を挟んでロサンゼルスのアイリスは、家の前をヨロヨロと歩行器を付けて歩く老人を眼にする。そんな老人にいたく同情した彼女は、老人を自宅までクルマで送るが…彼の家に着いてビックリ。何とこの老人アーサー(イーライ・ウォーラック)は、かつてはオスカーも受賞するほどの伝説の脚本家だという。アイリスはこの老人と親しくなるうちに、ロスに新たな友人の輪が広がっていくのを感じた。そして、そこにはあのマイルズという男もいた。

 一方、興奮の一夜が明けたアマンダは、徐々に冷静さを取り戻しつつあった。また取り戻さずにはいられない事情もあった。

 何しろ彼女は近いうちにこの地を離れるわけだし、何よりグラハムの事をよく知らない。しかもこの男、いきなり携帯に「ソフィー」なる相手から電話がかかってくるではないか。するとサッとアマンダの前から離れて楽しげに電話の相手と話すこの男、やはり「真剣なお相手」と考えるべくもない。「気が向いたら今晩近くのパブに来て」などと言われても、真に受ける気にはなれない。

 そしてグラハムが去った後の、この家の退屈なこと。さすがに耐えかねたアマンダは、荷物をまとめてロンドン空港に直行だ。だがそのとたん、彼女の心の声がまるで映画の予告編のナレーションのように仰々しく「愛の予感」を告げる。

 その夜、アマンダは家の近所のパブへと足を運ぶのだった

 同じ頃、マイルズと親しさを増していたアイリス。だがそんな彼女に前に現れたのは…。

 

ハリウッド伝統の継承者ナンシー・メイヤーズ

 ナンシー・メイヤーズと来れば思わず反応してしまう僕だが、それは彼女の作品に対する長年の信頼感からだ。

 とにかくハズシがない

 彼女が関わった作品で最初に印象づけられたのは、ダイアン・キートン主演「赤ちゃんはトップレディがお好き」(1987)。彼女は当時チャールズ・シャイアと公私ともに組んでいて、彼とコンビの脚本家として売り出し中だった。しかもこの映画ではシャイアが監督、メイヤーズが製作…という分業体制で関わり、さらにフィルムメイカーとしての地歩を固めた観があった。だから彼女の映画作家としてのスタイルも、このあたりで定まったと見るべきだろう。

 その後も「花嫁のパパ」(1991)、「アイ・ラブ・トラブル」(1994)…などなど、このチームでの作品づくりが続く。そのどれもが傑作だったとは言わないが、少なくとも僕には好感が持てる作品ばかりだった。それがちょっと変化を見せたのが、今ではアイドルとして知られるリンジー・ローハンの子役としての出世作ファミリー・ゲーム/双子の天使(1998)だ。

 この作品、どこが今までと違うかと言えば…脚本をメイヤーズとシャイアで共作しているところまでは同じだが、今回はシャイアは製作に回ってメイヤーズが監督に就任。つまりメイヤーズの監督デビュー作がこれなのだ。で、今までもメイヤーズ=シャイアのコンビ作は気に入っていたが、実は正直な話…それらの中でもこの「ファミリー・ゲーム」は飛び抜けて出来が良いように思えた。つまりハッキリ言うと、シャイアよりメイヤーズの方が監督としての腕前は上のように思えたわけだ。

 果たしてそんな印象は間違っていなかったか、僕の予感を裏書きするような作品が生まれた。それがメイヤーズの監督第2作ハート・オブ・ウーマン(2000)だ。何とここではメイヤーズは脚本にタッチせず演出に専念。しかも、そもそもシャイアが全く関わっていない。それを知った僕は何となくイヤな予感がしたが、どうもこの直前あたりでメイヤーズとシャイアの二人は…実際に結婚していたのかは知らないが…袂を分かってしまったようなのだ。

 しかもそうして放った「ハート・オブ・ウーマン」が大ヒットしただけに、メイヤーズの株は急上昇。お気の毒だが、彼女はシャイアと切れたとたんに出世してしまったことになる。このへんで僕は大いにシャイアに同情したのだが、ともかくそれが現実だから仕方がない。実際のところ「ハート・オブ・ウーマン」は、娯楽映画として実に良くできていた。だからメイヤーズの格が一気に上がったのも、まったく不思議ではなかったのだ。

 次に発表した恋愛適齢期(2003)になると、ダイアン・キートン、ジャック・ニコルソン、キアヌ・リーブスを起用し、監督第3作ながらもはや「大家」の貫禄。映画そのものも堂々たる出来栄えだ。実際、これほど「うまさ」を感じさせる監督は、現在のハリウッドには稀だろう

 そんなわけで、ここまでのメイヤーズ作品の魅力を総括してみると…監督作はわずか4本ながら、それに先立つ脚本・製作作品まで入れれば…かなり一貫したものが見えてくる

 まずはハリウッドの伝統に対するリスペクト。そもそも彼女の作品は、どれもこれもウェルメイドな恋愛映画だ。それも、一見フェミニズムや今風テーマを扱ったように見えるものまで、実はかなりオールド・ハリウッドに対する共感と影響が強く見られる。「赤ちゃんはトップレディがお好き」の主人公を男に変えてみれば、都会の殺伐とした競争社会から田舎の豊かな暮らしに目覚めるというテーマは、いかにもフランク・キャプラあたりが好みそうだ。「花嫁のパパ」が「花嫁の父」のリメイクであることは言うまでもないし、「アイ・ラブ・トラブル」のライバル新聞記者男女の恋愛なんて…大体特ダネ記者なんて設定そのものが…昔のハリウッド映画でしか見られないものだろう。それゆえこの作品は成功作とはならなかったが、ニック・ノルティとジュリア・ロバーツという一見水と油の組合せが、僕にはひどく楽しく感じられた。

 彼女が監督になってからの「ファミリー・ゲーム」は「ふたりのロッテ」の映画化だが、むしろ「ふたりのロッテ」をディズニーが映画化した「罠にかかったパパとママ」のリメイクと見なすべき作品だろう。そして「ハート・オブ・ウーマン」でのメル・ギブソンのシナトラ風パフォーマンス。これを見ると、何でハリウッドがメル・ギブソンにミュージカルをやらせないのか不思議で仕方がなくなる。そんなわけで、彼女の作品にはいつも「往年のハリウッド」の香りが充満しているわけだ。

 だからフェミニズムめいた題材を扱っても、頭でっかちな作品にはならない。逆に言うと、オールド・ハリウッドにそうした今風題材をブチ込んで、新たに再生産しているとでも言おうか。

 そして彼女の作品のもうひとつの特徴は、スター起用のうまさ。ダイアン・キートン、ジャック・ニコルソン、キアヌ・リーブス、メル・ギブソン、ヘレン・ハント…など、スターの持ち味を十二分に活かした演出ぶり。逆に言うと、彼女の作品は最初からスターを必要としているところがある。だから監督をやっていなかった頃から、すでにスティーブ・マーティンニック・ノルティ、ジュリア・ロバーツなどを起用していたのだろう。オールド・ハリウッドをめざしているという作風ゆえに、スター・システムを重視しているのも当然なのだ。

 そんなメイヤーズの最新作は、今までの中でも抜きん出たような豪華なキャスティング。それもここまでの事情を振り返ってみれば、なるほどうなずけようというものだ。

 

見た後での感想

 そして登場したこの作品、「お見事」としか言いようがない。

 問題の4大スターを、見事に使いこなしているから大したものだ。それも…キャメロン・ディアズあたりはともかくとして、ケイト・ウィンスレットジュード・ロウあたりは元々メイヤーズ作品に向いているとは思いがたい個性の俳優だ。ジャック・ブラックに至っては何をか言わんや。それを、こんなにうまく使って…しかも彼らにそれぞれ新生面を発揮させているのだから恐れ入る。大した腕前だ。

 例えばジュード・ロウ。現代映画界最高の二枚目俳優を出してきたのはもちろん正解だが、何より色男のワルぶりをチラつかせるジュード・ロウだからこそ、映画前半部分でキャメロン・ディアズの胸に沸き起こる疑惑が生きる。これがユアン・マクレガーだったら誰もその素行を疑わないだろう(笑)。アルフィー(2004)の彼だからこそ疑わしく見えるのだ。そう言えば「アルフィー」は、近年パッとしなかったチャールズ・シャイアが久々にイイ味を出した快作。彼女はシャイアの活躍ぶりを、陰ながら見守っていたのだろうか。そう考えると、ちょっと嬉しくなる。

 おまけにナンシー・メイヤーズは、映画の終盤ではこの天下の二枚目俳優をヨヨ…と泣かせてしまうのだ! この演出はなかなか出来ないよ。そして、それがサマになってるからジュード・ロウもエライ。僕はこれを見ていて、溝口健二の晩年の傑作「近松物語」(1954)をリメイクするなら、長谷川一夫の役はジュード・ロウしかいないんじゃないかとマジメに思った(笑)。いやなに、ヅラだって意外に似合うんじゃないか?

 またジャック・ブラックはいつもの調子(レンタル・ビデオ屋での即興映画音楽パフォーマンスはこの人ならでは!)と見せて、女に浮気された男の落ち込みぶりを神妙に演じて新鮮味を発揮。それ以外の場面がおかしいから余計哀れを誘う…という巧みな計算の起用ぶりだ。

 だが、もっとも想定外の素晴らしさだったのは、誰が何と言ってもケイト・ウィンスレットだろう。ここでの彼女は、今まで見たこともない一面を見せる。カリフォルニアの豪邸に小躍りしてハシャぐ彼女、ベッドの中でエア・ギターをかき鳴らす彼女…さらに何とも平凡で素直で優しい女性を演じる彼女なんて、これまであまり想像できなかったんじゃないだろうか。そして、これが意外にいいから驚きだ。男に利用されるお人好しなんて、これまでのケイト・ウィンスレットでは考えられなかったはず。それを、まったく無理なく演じてしまうのだから、この人は大したものだ。また、そこに目をつけたナンシー・メイヤーズもスゴイと言うべきだろう。

 こうした人たちと比べると、正直言って一番ナンシー・メイヤーズの世界にハマってると思っていたキャメロン・ディアズが、意外に面白くないのに気づく。もっともこれは、彼女があくまで「想定内」の芝居をしているからだろう。他の3人があまりに意外な一面を出しているのだ。そういう意味では、今回のキャメロン・ディアズは少々部が悪かったと言えるだろう。

 ところで今回はこの4人の主役にとどまらず、キャスティングが豪華を極める。何とエドワード・バーンズを映画の最初で使い捨て(笑)。ルーファス・シーウェルなんて役者もさりげなく「脇」で使ってるんだから贅沢だ。もっと言えば…キャメロン・ディアズのつくってる予告編が楽しくて、何とリンジー・ローハンジェームズ・フランコの主演作とのことで二人が実際に出てくるのだ。中でも「ファミリー・ゲーム」のリンジー・ローハンは、「恩師」のために「友情出演」ということなのだろうか(笑)。

 こうしたシッポの先までアンコの入った鯛焼き状態のキャスティングの中でも最も注目すべきは、往年の名脚本家を演じたイーライ・ウォーラックだろう。彼の起用そのものが往年のハリウッドへのリスペクトとなっていて、見ていて何とも胸が熱くなってくる。これぞオールド・ハリウッドの再現をめざす、ナンシー・メイヤーズならではの挿話ではないか。この老脚本家を讃えるセレモニーの場面は、映画の本筋とは離れているのにも関わらず力が入っていた。

 ただし前述のように、僕は英国編と米国編2つのエピソードがパラレルに語られるこの映画の出来栄えに、正直言って一抹の不安を持っていた。それは過去に似たような作品があって、これが見事に失敗していたから…というのも前述の通りだ。

 その作品を、「おかしな関係」(1984)という。

 「アメリカン・グラフィティ」(1973)の共同脚本執筆者ウィラード・ハイク&グロリア・カッツが脚本を書き、ハイクが監督、カッツが製作に回ってつくったこの作品。「10/テン」(1979)、「ミスター・アーサー」(1981)のダドリー・ムーアと、「48時間」(1982)、「大逆転」(1983)のエディ・マーフィーという当時なら豪華極まりない2大スターが共演する作品だ。当然僕はかなり期待していたわけ。ところがいつになっても日本公開されない。やっと公開された時にはすでにダドリー・ムーアの人気も頭打ちで、ずいぶんひっそりと上映されていた気がする。これほどの大スター共演割くが、なぜこんなに冷遇されたのか?

 しかし、映画を見たとたんその疑問はすぐに氷解した。実はダドリー・ムーアがカリフォルニアの兵器エンジニア、エディ・マーフィーがその兵器をテストするクウェート駐留の兵士という設定のお話で、2人は全く離れた場所にいるのだ。しかもマーフィーのエピソードは、ムーアのエピソードの2年後のお話。だから2人はまったく同一画面に登場するはずがない。「共演」しているとは言い難い設定なのだ。

 そんなわけで、2年のタイムラグがある2つのお話をパラレルに見せていくわけだが、結果は散漫としか言いようのない出来栄え。ビッグ・スター共演がまるで無駄としか見えない、残念な作品になってしまっていた。

 そんなわけで…僕はこの「おかしな関係」の印象がまだ残っていたので、同じ2エピソードのパラレルものとして、今回の「ホリデイ」も出来栄えを危ぶんだわけだ。

 ところが、さすがにナンシー・メイヤーズは映画巧者というべきか。そのへんも実にぬかりがない。カリフォルニアを絵に描いたようなディアズを雪のイギリスへ、シリアスな映画が多いウィンスレットを太陽さんさんカリフォルニアに放り込むというミスマッチの楽しさで、この両者は別々に登場するのに常に対照化されて描かれる。だから常に観客には無意識に「もう一方」が意識される仕掛けになっているのだ。

 しかもそのお相手はこれまた対照的な英国臭漂うジュード・ロウと陽性アメリカ男ジャック・ブラック。ますますこの「対照」ぶりは際だっていく。だからそれぞれのエピソードが別々に進行しても、見ている僕らにはバラバラな話に感じられない。ちゃんとコンセプトでこの2つのエピソードはつながっているのである。

 さらに言えば、ディアズVSロウ、ウィンスレットVSブラックという組み合わせだけでもすでにリッチすぎるくらいリッチだ。これだけで「豪華共演もの」としてはお釣りが来る仕組みにもなっている。お客さんも、これだけですでに満足だろう。

 このあたりは凝った構成づくりを巧みにこなした、メイヤーズの脚本家としてのしたたかさを感じさせる。もはや円熟の語り口なのだ。

 そしてそれぞれ挫折を感じていた男女4人が希望を見出していく物語の、何ともまなざしの優しいこと、肌触りのデリケートなこと。

 何らかの苦い思いを噛みしめた人間なら、誰しも共感してしまうキャラクターたち。だからこそ僕らは、この映画に深い深い幸福感を感じるのだ。

 

見た後の付け足し

 しかしながら…実はこの映画、見ている者の共感を呼びはするものの、決して「リアル」ではないとお気づきだろうか?

 そもそもロスとロンドンの女性がそれぞれ家を交換して、同じように出会いがあって人生の転機を迎えるなんて、まるでインファナル・アフェア(2003)並みの図式的な設定ではないだろうか(笑)。そこからして、すでに一般的に言われる「リアル」ではあるまい。

 そして驚くべきことに、この映画では何ら「結論」を提示していない

 例えばその問題は、すでにキャメロン・ディアズとジュード・ロウのエピソードで、劇中で何度も出てくるのだ。すなわち、「これはあくまでバカンスの恋で、自分が故国に戻ったら終わりなのだ」と。

 実際どんなに生活が豊かであっても、イギリスとカリフォルニアを何度も往復する生活は現実的ではあるまい。そしてこの映画の主役男女は、それぞれの生活基盤を崩せない。つまりキャメロン・ディアズの指摘の通り、彼らの恋はあくまで「バカンスの恋」。最初から八方塞がりの関係なのだ。

 そしてラストでも、それは何ら解決されていない。4人が一同に会してのハッピーなクリスマスが描かれて幸福感のうちに幕となるが、だからと言って何か結論が出たわけでもない。実はハッピーエンドではなくて、何も解決されていないのだ。これはこの手の娯楽映画としては、極めて異常なことではないか?

 実は彼らは、結論を先送りにしたに過ぎないのだ。

 そして、現実とは…「リアル」とはそういうものだ。

 ありふれた現実に始まり、そこに非現実な幕切れを用意したこの作品…最後に「あり得ない」終わり方をすることによって、逆に観客に「リアル」を提示しているのである。

 あるいはこうも言っているのであろうか。どうせどんな愛も永久に続きはしない。ならば今を大いに楽しもうではないか…と。

 だとすれば、楽しい作品を語っているように見えるナンシー・マイヤーズの真意には、意外なメッセージが隠されているかもしれないのだ。

 それは男女の愛に対する、救いがたいほど真っ暗なペシミズムなのである。

 

 

 

 

 

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