スーパーマンはリターンしたか

Superman No Return

含・「スーパーマン・リターンズ」感想文
featuring : Review of "Superman Returns"


  

シリーズを封印すべきと思わされた断末魔的作品

「スーパーマン4/最強の敵」

 

 さて、その第4作目は…正直に言うともはやストーリーの詳細まで覚えている訳ではない。だが記憶の隅を辿っていくと、こんなお話だったように思う。

 かの「デイリー・プラネット」社は、金の亡者のメディア王(サム・ワナメイカー)に乗っ取られてしまった。ホワイト編集長(ジャッキー・クーパー)もハズされ、代わりに入って来たのがメディア王の娘レイシー(マリエル・ヘミングウェイ)。すっかり「売らんかな」の編集方針に切り替わり、クラーク(クリストファー・リーブ)もロイス(マーゴット・キダー)もジミー(マーク・マクルーア)も頑張ってはいるが落ち込み気味だ。

 さて、一方またまた刑務所に閉じこめられていたレックス・ルーサー(ジーン・ハックマン)だが、これまた救いの手が差し伸べられてまんまと脱出する。今回ルーサーを助けたのは、彼の甥であるレニーなる若者(ジョン・クライヤー)だ。彼ら二人は、打倒スーパーマンの作戦を実行に移す。

 まずはスーパーマン博物館から、展示されているスーパーマンの髪の毛を盗み出す。何しろスーパーマンの髪の毛だから、そんじょそこらのシロモノではない。何トンもの鉄の球をぶら下げてもビクともしないというマニア垂涎の品。果たしてルーサーとレニーは、そんなモノを手に入れて何をやらかすつもりなのか。

 一方、米ソ二大国の対立は激しさを増して、両国による核軍縮は暗礁に乗り上げてしまう。そんな暗澹たる状況に心を痛めた一人の少年が、「デイリー・プラネット」気付でスーパーマンに助けを求める手紙を出した。

 かくしてスーパーマンは少年と共に国連本部に乗り込み、全世界の代表たちの前で核軍縮を訴える演説をブチまくる。この演説が、核保有国の首脳たちの心を打った。そこでスーパーマンは世界の核保有国から核ミサイルをかき集め、一つ残らず太陽に持っていって廃棄する。これですべてめでたしと思いきや…ルーサーとレニーは太陽エネルギーと例のスーパーマンの髪の毛を使って、新たな超人をつくろうと画策していたのだ。

 こうして誕生した新超人「ニュークリア・マン」は、スーパーマンを遙かに超えるパワーの持ち主だ。これにはさすがのスーパーマンを苦戦を強いられざるを得ない。

 かくしてスーパーマンとニュークリア・マンによって、地球上では飽きたらず月面にまで及ぶ死闘が延々繰り広げられるのだが…。

 

 今回の「スーパーマン」映画は、「III」までを制作したサルキンド父子によるものではない。当時飛ぶ鳥落とす勢いでハリウッドのみならず世界の映画界を席巻しようとしていた、メナハム・ゴーランヨーラン・グローバス率いるイスラエル資本キャノン・グループによる制作となった。これを聞いただけで「こりゃダメだ」と思ったあなたは正しい(笑)。

 自らも監督として映画を撮るメナハム・ゴーランが、盟友ヨーラン・グローバスと組んでオールディーズ筆下ろし映画(笑)「グローイング・アップ」(1978)シリーズなんぞをつくっているうちは可愛かった。だがいつの間にかカネをかき集めて来て、ハリウッドに乗り込んでドンドン映画を作り始めたからビックリ。しかもその内容たるや、まさに玉石混交もいいとこだ

 チャールズ・ブロンソン主演の「デス・ウィッシュ」シリーズを2作目「ロサンゼルス」(1982)から引き受けたり、忍者ブームを「燃えよNINJA」(1981)で盛り上げてみたり、「デルタ・フォース」(1985)などチャック・ノリス主演作を撮ってみたり…というバカ力路線の映画を乱発。この路線の頂点は、シルベスター・スタローン映画「オーバー・ザ・トップ」(1987)あたりになるのだろうか。

 だがキャノンがこの手のガサツな映画ばかり撮っていたのかと言えば、そうとも言い切れないから何とも不思議だ。ジョン・カサベテス「ラヴ・ストリームス」(1983)、リリアーナ・カヴァーニ「ベルリン・アフェア」(1985)、ジャン=リュック・ゴダール「ゴダールのリア王」(1987)などは、どう見たって本来ブロンソンやチャック・ノリスの映画をつくる奴のフィルモグラフィーには入るまい。実際、何とかアメリカ映画界でチャンスを得ようと頑張っていた旧ソ連の才人アンドレイ・コンチャロフスキーに仕事を与えたのも、このキャノンだった。「マリアの恋人」(1984)や「暴走機関車」(1985)などは、キャノンがなければ撮れなかったはず。気の毒にそんなコンチャロフスキーのハリウッドでのキャリアも、キャノンの瓦解と共に消え失せてしまった。

 そんな訳で…何を考えているのか分からない制作方針で、一時期ハリウッドを圧倒したキャノン。どのくらい潤沢な資金を持っていたかは知らないが、ともかく作品1本1本の振れ幅もデカければ、そのつくった本数も尋常じゃない。何かに取り憑かれたようにガムシャラに作品を制作していったキャノンだが、残念なことに…というべきか当然というべきか、それらの大半が興行的成功を収めた訳ではなかった。かくしてアッという間にキャノンは失墜し(おそらく1990年代初頭くらいのはずだ)、その作品の権利はワーナー・ブラザースに移ってしまうことになる。

 この「スーパーマン4」は、そんなキャノンが全盛期の1987年に制作されている

 おそらくサルキンド父子は「III」の失敗で「鉱脈を掘り尽くした」と踏んだのだろう。そこで、当時ムチャクチャに作品を乱発していたキャノンに映画化権を売り飛ばしたらしい。キャノンが自分からこの話に飛びついたのかどうかは分からないが、何でそんなにまで映画を乱発しなければならないと思い詰めたのか。だが僕は、そんなキャノンだったから「4」があんな出来になってしまったとは言うまい。正直言ってその出の怪しさから言えば、キャノンの二人もサルキンド父子とどっこいどっこいなのだ(笑)

 さて、「スーパーマン」映画化権を手に入れたキヤノンの作戦は…と言えば、実はこれが必ずしも間違っているとは言えない。

 「III」ではレックス・ルーサーを演じるジーン・ハックマンをはずして、リチャード・プライヤーとロバート・ボーンという「格オチ」の悪役にした結果、惨憺たるものになったわけだ。「4」でハックマン=ルーサーを再登板させようと考えるのは当然だろう。しかもこの「4」、その他にもキャスティング的に補強がなされているのだ。ロイス・レインのライバル的存在として、当時「マンハッタン」(1979)や「スター80」(1983)などでホットなスターだったマリエル・ヘミングウェイを起用。他にもレックス・ルーサーの甥の役として、プリティ・イン・ピンク/恋人たちの街角(1986)においてモリー・リングウォルドの幼なじみ役で頭角を現していた若手のジョン・クライヤーを登場させるなど、それなりにキャストへのテコ入れは怠っていなかった。

 ただ…問題は、お話が致命的につまらない。

 核廃絶を訴えたいのは分かるが、スーパーマンが国連総会で演説をぶつ…なんてシャレにもならない。反核のメッセージ映画にしようという志にケチをつけるつもりはないが、そもそもメッセージ映画が面白くなった試しがない。おまけに、これは「スーパーマン」なのだ。「お説教」はカンベンしてもらいたい。サブ・タイトルに「The Quest for Peace」と入った時点で「ダメだこりゃ」なのだ。

 たぶんこれは…キツイことは言いたくないが、原案づくりにクリストファー・リーブ自身が加わっているところに問題があったのかもしれない。まぁ、何となく裏事情は透けて見えないでもない。キャノンは何としても「スーパーマン」をリーブ主演で撮りたかっただろうが、いいかげんリーブは「スーパーマン」をやりたくなかったはず。「III」のミジメな失敗の後ならなおさらだ。そこでキャノンはなりふり構わず、「リーブの好きなように作っていいから」とか何とか持ちかけたのではないだろうか。かくしてリーブはかねてから暖めていた「核廃絶」メッセージを「スーパーマン」に盛り込んだ…というような事情ではなかったか。

 だが正直言って、スーパーマンの敵が「ニュークリア(=核)・マン」である…という露骨さ、芸のなさが、何とも興ざめだ。「ニュークリア」をスーパーマンがやっつければ世界は平和…ってほど、事は簡単でも単純でもない。この単細胞ぶりが、脚本全編にわたって大きく祟っている気がする。

 しかも「ニュークリア・マン」を演じるマーク・ピローなる新人が、まことに申し訳ないが全く魅力のカケラもない俳優なのだ。何で彼なのだろう。どうして彼が選ばれてしまったのだろう。ひょっとしてクリストファー・リーブの友人か誰かなのだろうか? そうでも考えないと、このマーク・ピローの起用は全く理解できない。一体誰が決めたのだ。

 そして…これもまた痛々しいのだが、全編に渡って特殊効果がチャチだ。正直言って「スーパーマン」シリーズは、一作目から特撮がどれもこれも万全という訳ではなかった。特にミニチュア・ワークにかなり難があったりもしたし、それなりにアラも見えてはいた。だが、これほど「安っぽさ」を感じさせてはいなかったはずだ。

 この「4」においては、かなり特撮が雑に見える。ミニチュアを作る金もないのか、何かというとマット・ペインティングで絵と実写を合成。ところがこの「絵」が何ともヘタクソだから見ちゃおれない。今でも覚えているが、スーパーマンがモスクワのクレムリンにやって来て、核ミサイルを持ち去ってしまうくだりのマット・ペインティング合成たるや…目を覆わんばかりとはまさにあのことだろう。実はキャノンも一作一作にはそれほどカネをかけていられなかったのだろうか。ハッキリ言ってかなり予算を抑えた雰囲気が濃厚なのだ。

 おまけにダメ押しとも言うべきなのが、監督にシドニー・J・フューリーを起用したこと。

 この人ってマイケル・ケイン主演の「国際諜報局」(1964)の出来栄えが良かったことからハリウッドに呼ばれ、アレコレ撮るようになった人らしい。だが僕が映画をいろいろ見るようになっていた頃は、単に何でも撮る「器用貧乏」男にしか思えなかった。ざっとそのフィルモグラフィーの一部を振り返っても、ダイアナ・ロス映画初主演の伝記モノ「ビリー・ホリディ物語/奇妙な果実」(1972)、スター夫妻クラーク・ゲイブルとキャロル・ロンバードのロマンスを描いた「面影」(1973)、バーバラ・ハーシーが幽霊に犯される「エンティティー/霊体」(1982)…とくる。この「スーパーマン4」の直前には、MTV世代の若者がハードロック聞きながら「イェ〜イ!」とアラブを空爆する「アイアン・イーグル」(1985)を発表していた。こんなどうしようもないバカ映画がなぜかアメリカでは当たったらしく、フューリーも米ソの若いパイロットたちが力を合わせてアラブを叩く(!)続編「メタル・ブルー」(1988)を制作。千葉真一も出演したシリーズ第3作「エイセス/大空の誓い」(1991)は降板したものの、続く第4作「アイアンイーグル4」(1995)にはチャッカリ復活していたらしい。まぁ、こんなくだらないシリーズをつくっていたというだけでも、シドニー・J・フューリーのお里が知れようというもの。とてもじゃないが「反核のメッセージ」が聞いてあきれる御仁なのだ。

 しかもフューリーがダメな理由は、そんなアラブを叩くバカ映画をつくってきたからではない。ハッキリ言って映画づくりがヘタクソだからダメなのだ。特に延々と繰り広げられるスーパーマンとニュークリア・マンの戦いは、何の工夫もなく退屈。あの手この手を考えていた、「II」の三悪人との戦いぶりと比較していただきたい。これじゃただの空飛ぶプロレスごっこでしかない。

 そんなわけで、ハックマン再登板など手を尽くそうとはしていたのだろうが、あんまりな結果に終わった「4」。だがその結果も、実は無理もないのかもしれない。もはや一作目から8年の時が経ってしまって、このシリーズを続行させる事自体が無茶だったのかもしれないのだ

 それは、またまたロイス・レインを演じるマーゴット・キダーを見れば分かる。

 明らかに容色が衰え、ハツラツとしたところが失われていたキダー。もはやこの役をやるのはどう見たって無理がある。「III」と「4」において、それぞれアネット・オトゥールやマリエル・ヘミングウェイなどフレッシュな女優を投入しなければならなかったわけは、このキダーの急速な老化と無関係ではあるまい。だが、ロイス・レインがいない「スーパーマン」なんて、それは「スーパーマン」とは言えないだろう。

 その意味でも、もはやシリーズの命脈は断たれようとしていたのだ。そしてクリストファー・リーブが全身マヒになってしまった「あの事故」…。

 それはキダーの老化や「4」の悲惨な結果…とともに、「スーパーマン」シリーズを封印すべきという神のお告げか何かのように、当時の僕には本気で思えたのだ。「4」だけでも蛇足としか思えなかったのに、とてもじゃないが「リターンズ」なんて認められない…僕がそう決めつけたくなったのも、これでお分かりいただけるのではないかと思う。

 


Superman IV - The Quest for Peace

(1987年・アメリカ)

キャノン・フィルムズ INC.、キャノン・インターナショナル B.V.、ゴーラン=グローバス・プロダクションズ 制作

監督:シドニー・J・フューリー

製作:メナハム・ゴーラン、ヨーラン・グローバス

アソシエイト・プロデューサー:マイケル・ケイガン、グラハム・イーストン

脚本:ローレンス・コナー、マーク・ローゼンタール

原案:クリストファー・リーブ、ローレンス・コナー、マーク・ローゼンタール

出演:クリストファー・リーブ、ジーン・ハックマン、ジャッキー・クーパー、マーク・マクルーア、ジョン・クライヤー、サム・ワナメイカー、マーク・ピロー、マリエル・ヘミングウェイ、マーゴット・キダー 

 

 

 次ページへつづく

 To Be Continued...

 

  

 

 to : Superman Index

 

 to : Review 2006

 

 to : Classics Index

  

 to : HOME