スーパーマンはリターンしたか

Superman No Return

含・「スーパーマン・リターンズ」感想文
featuring : Review of "Superman Returns"


  

往年の聖林ロマンティック・コメディを再現

「スーパーマンII/冒険編」

 

 スーパーマンがレックス・ルーサーの陰謀を未然に防いだ後のこと、クラーク・ケント(クリストファー・リーブ)が「デイリー・プラネット」社に出社すると、みんな騒然としているではないか。聞けばパリのエッフェル塔がテロリストに乗っ取られ、水爆が仕掛けられたという。おまけにあのロイス・レイン(マーゴット・キダー)が取材に出向いていると言うではないか。心配になったクラークは、早速スーパーマンに変身してパリに飛んだ。

 案の定、特ダネの野心に燃えるロイスは一人エッフェル塔に忍び込んでいた。ところが彼女がエッフェル塔のエレベータの底の部分に身を隠した時、ちょっとした手違いからエレベータのワイヤーが切断される。一気にエレベータはロイスを乗せたまま急降下。おまけにエレベータには水爆が乗っていて、このドサクサにカウントダウンが始まってしまった。

 そこに駆けつけたのがスーパーマンだ。

 彼はロイスを助け出すと、エレベータを持ち上げてエッフェル塔の最上部を突き抜け、そのままエレベータを水爆ごと宇宙空間へと投げ出した。これで万事めでたし…と言いたいところだが、宇宙での水爆の大爆発は思わぬ副産物を生みだした。あの一作目で「ファントム・ゾーン」に閉じこめられ宇宙に放り出された三悪人…ゾッド将軍(テレンス・スタンプ)、冷血女アーサ(サラ・ダグラス)、怪力の大男ノン(ジャック・オハローラン)が、水爆のショックで解放されてしまった。自由の身となった三悪人は、そのまま地球へと進路をとる

 一方、前作のラストで刑務所にブチ込まれたレックス・ルーサー(ジーン・ハックマン)と手下のオーティス(ネッド・ビーティ)は、秘かに脱出のチャンスをうかがっていた。その方法は、ルーサーの情婦ミス・ティッシュマーカー(ヴァレリー・ペリン)が手配した気球だ。刑務所内に降りて来た気球につかまり、足手まといのオーティスを見捨てたルーサーは、ミス・ティッシュマーカーと共に気球で北極をめざす。彼は犯罪者としてのカンで、スーパーマンの秘密が北極にあると気づいていたのだ。

 一方、取材のため新婚夫婦に化けてナイアガラまでやって来たクラークとロイス。ウキウキのクラークとは対照的に浮かない顔のロイスだが、ひょんな事からこのナイアガラにまでスーパーマンが登場するに及んで、さすがのロイスもその奇妙さに気づく。パリにナイアガラ…なぜスーパーマンはロイスが立ち回る先ばかりに登場するのか。そして、なぜそのたびにクラークがいなくなるのか。

 遅まきながらクラークがスーパーマンだと確信したロイスは、自分が危機に陥ればスーパーマンが来るはず…と、ナイアガラの流れに身を躍らせる。これは何とかクラークの機転でスーパーマンに変身せずに彼女を助けることが出来たものの、自分の愚かな行動にロイスは自己嫌悪だ。

 ところが思わぬことから、クラークは自らの正体を彼女に暴露することになる。こうなると、クラークもついに観念せざるを得ない。

 「いや、これで良かったんだ」

 こうしてすべてを明らかにしたクラーク=スーパーマンは、ロイスを連れて自分の家…北極にある「孤独の砦」へと急ぐのだった。

 ところがそんな折りもおり、例の三悪人はアメリカの田舎町に登場。乱暴狼藉をはかって大暴れだ。軍隊が出てきても歯が立たない。しまいにはホワイトハウスにまで現れて大統領(E・G・マーシャル)に降伏を迫り、地球の征服を宣言するに至る

 ところがクラークとロイスは、そんな世間とは遠く離れて「二人の世界」にいた。そしてロイスと結ばれるべく、クラークは自分の身体を人間と同じに変えることを決意する。それは、後戻りの出来ない道だった。

 こうして「人間」になってロイスと結ばれたクラークは幸せ一杯だったが、たまたま立ち寄ったダイナーでならず者に絡まれあえなくダウン。自分がひ弱な普通の男になってしまった事を痛感する。しかも悪い事は重なるものだ。たまたま見たテレビには、例の三悪人がホワイトハウスでやりたい放題の姿が映っていた。おまけに大統領は悲痛に叫ぶ。「スーパーマンはどこに行った、今どこにいるんだ?」

 これを見たクラークは、もはやロイスと「二人の世界」に浸っている気分になれなかった。彼はロイスと別れ、再び単身北極をめざす

 三悪人は三悪人で、スーパーマンがジョー・エルの息子のことだと知って意気盛ん。かつての逆恨みで、自分たちが有罪にされた復讐をしようと鼻息も荒かった。そこにあのレックス・ルーサーが近づいてくる。

 「私なら、スーパーマンを呼び出すことができますよ」

 

 前作のお話をキッチリと踏襲して続けた正統な「続編」。僕らは一作目の後で続編ができる事を確信していたし、それは実際その通りになった。ところが今回は大きな違いが一つある。それはスタッフの変動だ。

 そのうちいくつかは如何ともし難いものだ。撮影監督のジェフリー・アンスワースと美術監督ジョン・バリーの死去に伴う降板がそれだ。ただし美術は前作のモノをほとんどそのまま再利用するから問題はない。そして撮影についても、撮影監督としてはロバート・ペインターが後を継いだが、ジェフリー・アンスワースは「フォトグラフィー」という肩書きでクレジットになぜか居座り続けた。これについては、後述する続編の裏話を読めば納得いただけると思う。

 問題は他の主要スタッフ2人の交代だ。まずは音楽ジョン・ウィリアムズの降板。あの華やかなファンファーレに彩られた「スーパーマン・テーマ」抜きに続編なんかあり得ないし、事実この「II」でもジョン・ウィリアムズのテーマ曲は使われている。だが、あくまで今回の音楽担当はケン・ソーン。ジョン・ウィリアムズはケン・ソーンのクレジットの後で、「ジョン・ウィリアムズ作曲のオリジナル素材による」…という面倒くさい表記で登場する。何となく訳アリではないか。

 そして今回最大の変化は…何と監督のリチャード・ドナーが降板している!

 代わりに登場した監督はリチャード・レスター。この人はまず真っ先に2本のビートルズ映画、「ビートルズがやって来るヤァ!ヤァ!ヤァ!」(1964)と「HELP!4人はアイドル」(1965)の題名が浮かんでくる。僕にとってはいつまで経っても、「ビートルズ映画の監督」だ。そして、それは決して悪い意味ではない。あの軽やかさ、音楽との相性の良さ…僕にとってのリチャード・レスターは、センスのいい才人というものだった。少なくともこの時点までは…。他にもオードリー・ヘプバーンの現役復帰作でありショーン・コネリーが味わい深かった「ロビンとマリアン」(1976)、イマドキは大流行の「エピソード1」モノのはしりでフレッシュな青春映画の味も加わった「新・明日に向って撃て!」(1979)…なども好印象で、僕はレスターが嫌いではなかった。いや、むしろ好きな監督だったと言えよう。

 おそらく前作の大ヒットで、リチャード・ドナーは強気になってギャラ・アップでも要求したのだろう。あるいは「スーパーマン」のイメージに固定されることを恐れて、自ら降板したのかもしれない。続編の監督が交代するのは珍しくないから、僕は勝手にそう思い込んでいたのだ。

 だが、どうも気になる事があった

 今回の続編も、前作同様サルキンド父子のプロデュース作品。実はレスターとこのサルキンド父子との顔合わせは、今回初めてのものではなかった。その前に、先にも触れた「三銃士」(1973)と「四銃士」(1974)という奇妙な二部作で顔を合わせているのだ。

 この「三銃士」と「四銃士」、むろんアレクサンドル・デュマの有名なお話だ。それをチャールトン・ヘストン、フェイ・ダナウェイ、オリバー・リード、マイケル・ヨーク、ラクエル・ウェルチ…などのオールスターで映画化した娯楽大作。評判も悪くなかったしヒットしたはずだ。

 そしてこの映画の作り方には、多分にその後の「スーパーマン」の最初の2作と通じるものがある。それは例えばオールスターであったり、ビッグスターの悪役投入(「三銃士」と「四銃士」では、目玉スターのチャールトン・ヘストンとフェイ・ダナウェイが悪役)であったり…と、さまざまなカタチで踏襲されている。だが何より最大の共通点は…両者とも正編と続編を同時撮影していた事ではないだろうか。

 僕らは「三銃士」が公開された時、この映画に続編「四銃士」ができるとは夢にも思っていなかった。いや…将来的に出来るかもしれないと思っていたが、まさかすでに「出来ていた」とは知らなかった。その通り。実は「三銃士」公開の時点で、すでに「四銃士」は撮影を終えていたのだ。何と最初から続編をつくるつもりで、前半部分だけ公開したというわけなのだ。

 ところが「四銃士」が出来るとは思っていなかったのは、何も一介の映画ファンの僕だけじゃなかったらしい。もはや昔の事なのでうろ覚えなのが申し訳ないが、確か「四銃士」公開前後に出演スターたちから訴訟を起こされたように聞いている。つまり、彼らはどうも「一作分」しかギャラをもらっていなかったらしい。本当にそうだったのか、それは何かの間違いだったのか、はたまた僕の覚え違いか…は怪しいところだが、確かに何らかの金銭トラブルは発生していた。そんなニュースを聞いて、僕はサルキンド父子というプロデューサーのセコさにも驚いたが、そんな事を現場で撮影して映画を完成している監督…リチャード・レスターが知らないはずがあるまいとすぐに思った。

 その後どのようにこの問題が決着を見たかは知らないが、何となくサルキンド父子やレスターの周辺にモヤモヤしたものを感じていた僕なのだ。そんな「前科」のあるサルキンド父子とレスターの顔合わせだ。正直言って「II」におけるレスターへの交代に、何となく割り切れぬものを感じたのも当然だった。

 それもそのはず。そもそも親父のアレクサンダー・サルキンドという男そのものが胡散臭い。ポーランドに生まれ、パリとキューバで育ち、メキシコ映画界で職を得る。さらにヨーロッパに舞い戻ってスペイン、イタリア、フランス、ハンガリーで次々ヒットを飛ばした…と、初公開時の「スーパーマン」劇場パンフレットには書いてあるのだが、これを見ても何となくこいつのキャリアって訳が分からない。コスモポリタンと言えば聞こえはいいが、ハッキリ言って何をやっていたか分かったもんじゃない。少なくとも海千山千のしたたかさは持ち合わせているはずだ。この「スーパーマン」シリーズの後も大作路線をばく進したが、それらは「スーパーガール」(1984)、「サンタクロース」(1985)、「コロンブス」(1992)…と、どれもこれも大味そのものの作品ばかり。実は「スーパーマン」は例外的に幸運な作品だったのだ。それもこれも、このプロデューサーとしての姿勢を見れば頷けないでもない。そしてサルキンドの怪しさは、早くもこの続編でハッキリと露呈し始めていたわけだ。

 そんなアヤシイ部分をもっと挙げていくと、例えばマーロン・ブランドの降板もそうだ。今回はオープニングに前作の「あらすじ」みたいなダイジェスト映像が挿入される。ところが、そこに存在するはずのブランドの姿がまったく見えないのだ。おそらくブランドのギャラはとてつもなく巨額な上に、「今回も前作の流用で」…では許してくれなかったのだろう。そのため前作のダイジェストから徹底的にブランドの姿を削除。母親ラーラ役のスザンナ・ヨークだけ出てくるという妙ちきりんな手法で乗り切った。さらに前作では「孤独の砦」でブランドの記録映像がスーパーマンを導いていたのに、そこもスザンナ・ヨークの映像に差し替え。確かにブランドのギャラは法外だったろうしスザンナ・ヨークなら安かったろうが、これは何とも不自然な変更だった。

 そして緊縮財政の一環と考えれば、ジョン・ウィリアムズの降板も納得できる。もう前作のスコアの流用で十分。何も新たに起用して、値段の高いジョン・ウィリアムズに映画一本分のギャラを払う必要はない。続編用のアレンジや追加音楽はググッとギャラが安いケン・ソーンに任せよう…と、サルキンド父子が考えたとしか思えない。

 そして、このケン・ソーンという作曲家が何者か…という点に気づいた時、僕は思わずイヤ〜な気分にならざるを得なかった。誰も知らないケン・ソーンという名前は、僕にとっては聞き覚えのあるものだったのだ。それはビートルズ映画の2作目「HELP!4人はアイドル」で、追加劇音楽を書いていた人物。つまりリチャード・レスターとは古い馴染みの人物なのだ。…となると、「II」にケン・ソーンを連れて来たのは、他ならぬレスターという事になる。レスターはサルキンド父子のセコい値切り作戦に、かなりの部分で荷担している疑いが濃くなるのだ。

 そして何よりレスターは、「スーパーマン」一作目の撮影時から現場に居合わせていたようだ。

 先に触れていたように、「スーパーマン」一作目と二作目はほぼ同時撮影されていた。少なくとも「II」のかなりの部分が、一作目と同時期に撮影されていたのは間違いない。例えばまだ一作目制作中の頃の「キネマ旬報」読者欄に、「スーパーマン」の撮影をパインウッド・スタジオで見学した読者の投稿が掲載されたことがある。そこではクリストファー・リーブがならず者トラッカーに絡まれるダイナーの場面が撮影された…とあるが、そんな場面は「II」にしか登場しない。その事実から見ても、「II」のうちのある程度の場面が一作目と同時に撮影されたのは明らかだ。

 そもそもマリオ・プーゾの脚本はかなりの大長編で、それを真っ二つにぶった切ってつくったのがこの二部作。ところがその撮影の最初から、なぜかリチャード・レスターは現場にいた。それについても、「スーパーマン」がまだ制作中だった時期のSF映画専門誌「スターログ」が報じているから間違いない。しかし、一体何のために? 二作同時撮影ということで、「第二班監督」としてその場にいたのだろうか? いや、レスターほどの人物がそんなハンパ仕事はしまい。大体が、なぜ一作目にレスターはクレジットされていないのだ? あのトム・マンキウィッツでさえ「クリエイティブ・コンサルタント」なんて訳の分からないカタチでクレジットされていたのに、そこでレスターは一体何をしていたのだ?

 それとも、何をしていたのか…を明るみにできないのか?

 先に触れた「スーパーマン・コレクション・DVDボックス」のボーナス・ディスクを見ると、どうやらキャストの誰もが…そして本人のリチャード・ドナー本人でさえ、ドナーが続編も監督するものと思っていたようだ。まぁ、一作目と二作目同時撮影ならなおさら当然だろう。ところがドナーは、一作目が終わったところでサルキンド父子にクビにされてしまった。代わって登場したのがリチャード・レスター。だが、これは何となく不自然ではないか

 ひょっとするとサルキンド父子は、「スーパーマン」二部作も最初からリチャード・レスターにつくらせたかったのではないか。

 そう考えてみると、何から何まで納得がいく。「三銃士」二部作で自分たちに忠実に安くつくってくれたレスター。レスターなら言うことを聞くから使いやすいし、すでに二部作モノをソツなく作るコツを知っている。だから「スーパーマン」もレスターにつくらせたかった。だが、さすがに「大作」の上に「超」がつく「スーパーマン」製作のためには、リチャード・レスターでは資金調達がおぼつかない。「オーメン」でちょうど日の出の勢いの、リチャード・ドナーを起用せざるを得なかった。そんなわけで一作目は目をつぶってドナーにつくらせるが、続編は安くつくりたいから、サッサとドナーをクビ切ってレスターにチェンジしたい。そこで交代時に混乱が起きないように、レスターに現場にいてもらって映画の製作プロセスを見ていてもらった。つまり最初からすべて納得づくだ。

 …てなカタチで僕の憶測を書いてしまったが、むろんそれらに証拠はない。だが、そう考えればすべてツジツマが合う。そして残念ながら、レスターもそれを知った上で参加していたのは間違いない。知らないで参加していたはずがない。

 しかも残念ながらサルキンド父子に作曲家ケン・ソーンを紹介した手口を考えると、自分から積極的にシッポを振って、悪事に荷担した可能性が極めて高いと言える。まぁ、正直言ってこれ以来、僕にとってレスターのイメージはかなり悪くなってしまった。実際のところは分からないものの、どう考えても限りなく黒に近い灰色だからねぇ。

 そんな訳で、この映画のある程度の部分はリチャード・ドナーによって、一作目とほぼ同時に撮影されていた。そして残りの部分は、一作目完成後にリチャード・レスターによって撮影されたか、ドナーの手で一度撮影されたものがリテイクされた…と考えるべきだ。実はよくよく見てみると、この映画はあちこちツギハギで撮影されたのがハッキリ分かる。それもワン・シークエンスごとのツギハギではなく、同じシークエンスのうちのカットごとの切り替えで撮影時期がまったく違ったりするのだ。

 その違いを識別する方法は簡単だ。ロイス・レイン役のマーゴット・キダーの顔を見ればいい。実は一作目の時のキダーは、ハツラツと若々しいものの顔はチンチクリンで、メイクも少々キツめ。ところが一作目公開時点で彼女はスターになり、その自信のせいか顔がかなり変わってしまった。いわゆる「スターの顔」になったのだ。メイクもかつてのキツめのアイラインや口紅が影を潜め、控えめに見えるナチュラル・メイク。ただし、明らかに若々しさから「大人の女」の顔に変わろうとしていた。「スーパーマンII」ではこのキダーの2つの顔が交互に出てくるから奇妙だ。実は髪型もかなり違っていて、一作目はストレートっぽかったのが続編ではふんわりとした髪型で、かなり印象が違う。結局のところ、メイクやヘアの担当者も変えられてしまったのだろうか。こんなに違うのもムチャクチャな話だ。

 で、そんなマーゴット・キダーの様変わりぶりに注目していれば、カットごとにどの時点で撮影したのかが何となく分かるのだ。

 例えばマンハッタンでのゾッド将軍たちとスーパーマンとの対決シーン。最初ホワイト編集長やジミー・オルセンと思い悩んでいる時は、おそらく「II」のために撮り足したショット。ところがゾッド将軍たちとレックス・ルーサーがデイリー・プラネット社を襲う場面では、いきなり一作目と同様のキツめのメイクの若い顔に。ところがそこにスーパーマンが飛んできて、窓の外から「オモテに出ろ!」と告げたとたん、またまた撮り足し分らしき顔に戻って「スーパーマン!」と驚いて叫ぶ。三悪人との戦いが始まってスーパーマンが苦戦し、「力は互角だわ」とつぶやいたデイリー・プラネットの同僚女子社員をロイス・レインが小突く場面も「II」のための撮り足し。ところが劣勢に立たされたスーパーマンがその場を逃れて飛び去り、三悪人が再びデイリー・プラネット社に戻ってくる場面は一作目の顔。さらにレックス・ルーサーが「スーパーマンの住みかを知っているのはこのオレ」と一席ぶった後で、三悪人の紅一点アーサが「この地球人の恋人も連れて行けば?」とロイスを羽交い締めにすると、またしても「II」のための撮り足しショットに逆戻り。これを見る限りだと、どうもレックス・ルーサーを演じるジーン・ハックマンの出演ショットだけは、彼のスケジュールの都合で先撮りした可能性が大に思える。それ以外のロイス・レインの細かいリアクションのショットなどは、ほとんど後で撮り足したもののように見えるのだ。

 確かに映画というものは、必ずしも時間通り撮影するものではない。順撮りをしている映画の方が稀だ。中抜き撮影、まとめ撮影当たり前。だが、これほど露骨にバラバラな撮影方法を行っているのは珍しいのではないか。おまけにその中断期間にスタッフの多くが交代させられ…こともあろうに監督まで替えられている!

 しかももう一つ奇妙な事がある。脚本は一作目の時点で出来上がったものを使用しているはずなのに、なぜかクレジットからはロバート・ベントン一人がいなくなっているのだ。確かに監督が替わった時点で多少手直しはしているのかもしれないが、これは一体どういう訳なのだろう。

 実は一作目の後でベントンは監督として「クレイマー、クレイマー」(1979)を監督して大ヒットを飛ばし、何とオスカーまで受賞してしまった。これでギャラも上がってしまったために、それで彼の書いた部分を削除してしまったのだろうか? そもそもすでに前に書いちゃった脚本なのにベントンのギャラが上がるのか、彼の書いた部分だけ削除なんて事が出来るのか、そんな事をしてギャラを払わずに済むのか(笑)は分からないが、ここまでのサルキンド父子のやり口を見ているとそんな事まで邪推したくなる狼藉ぶりだ。どうもこの映画の裏側は、何から何までがキナ臭いのだ。

 では、そんなキナ臭い状況でつくられて作り手の志も怪しいツギハギ映画ならば、駄作で愚作になってるに違いない…かと言えば、必ずしもそうとは限らないから映画ってやつは面白い。

 一つには、スーパーマン=クラーク・ケントとロイス・レインの関係が、まるで往年のハリウッド・ロマンティック・コメディのような巧みさと上品さで描かれている点が指摘出来るだろう。クラーク・ケントのキャラクターが持つ時代錯誤的なスクエアさを逆手に使って、この時点のアメリカ映画から失われていたウィットやユーモアや健全さを復活。フランク・キャプラやエルンスト・ルビッチ、あるいはスクリューボール・コメディをつくった時のハワード・ホークスみたいな軽妙洒脱な味を出した。これらの多くはクリストファー・リーブによる、往年のジェームズ・スチュアートやケイリー・グラント、あるいはゲイリー・クーパーを思わせる演技設計に負っていて、実は「II」は彼の演技こそが見どころと言ってもいいのだ。また、前作の感想文でも指摘したように、ロイス・レインを演じるマーゴット・キダーがキャプラの「オペラ・ハット」の女性記者役ジーン・アーサーを思わせるあたりも、こうしたクラシックなハリウッド・コメディの気分を出すのに貢献しているだろう。

 もう一つは、今回強力な敵が登場したこと。むろんジーン・ハックマンのレックス・ルーサーは格として申し分ないが、あれは半ばコミカルな役どころでもあった。今回はクセモノ名優テレンス・スタンプが登場して何とも手強そうな雰囲気をプンプン醸し出しているし、しかも脇にあと二人も悪党がいる。やっぱり悪役がスゴいと映画も引き締まるのだ。テレンス・スタンプはこの映画がキッカケで復活したようで、その後も「プリシラ」(1994)などで名演、好演、怪演を続々披露している。そんなスタンプのスゴみある「ワル」ぶりに手こずらされるスーパーマン…という構図は見応え十分。三悪人の吐く息でマンハッタン(メトロポリスという設定にはなっているが)に突風が吹き荒れるという場面に、モスラ(1961)の「ニューカーク」市襲撃場面がダブってくるあたりは、「モスラ」感想文で指摘した通りだ。

 というわけで、ロイスとの恋で人間になろうとするスーパーマンの葛藤をタテ糸に、三悪人との死闘をヨコ糸に繰り広げられる「II」のコンセプトはまさにお見事。マーロン・ブランドがいなくなっちゃった不自然さとか、三作目にもレックス・ルーサーを登場させるつもりだったのか、ハックマンの退場が何だかよく分からない不明瞭さだとか、先に指摘したツギハギぶりなどキズはいくらでも指摘できる。それなのに、この映画が素晴らしい出来栄え…それも前作よりも出来がいいかもしれない…になってしまった理由は、このコンセプトの揺るぎない力強さに依るものだ。

 そして、それはおそらくリチャード・ドナーが創り上げたものに違いない。おそらくは一作目をつくっていた時に、それはすでに確立していたもののはずだ。ある意味で、降板はさせられてもこの映画はドナー作品と言うべきものなのかもしれない

 前述「スーパーマン・コレクション・DVDボックス」のボーナス・ディスクに収められたメイキングでも、多くのスタッフ・キャストがリチャード・ドナーの功績を讃えているが、リチャード・レスターに言及した人間はたった一人しかいない。しかも、それは決してレスターの名誉になるような言及のされ方ではない。

 それが何より、「事の真相」を雄弁に物語っているとは言えないだろうか。

 


Superman II

(1980年・アメリカ)

フィルム・エクスポートA.G.、ダブミード・フィルムス、インターナショナル・フィルム・プロダクション INC. 制作、

ワーナー・ブラザース映画 配給

監督:リチャード・レスター

製作:ピエール・スペングラー

製作総指揮:イリヤ・サルキンド

提供:アレクサンダー・サルキンド

脚本:マリオ・プーゾ、デビッド・ニューマン、レスリー・ニューマン

原案:マリオ・プーゾ

クリエイティブ・コンサルタント:トム・マンキウィッツ

出演:ジーン・ハックマン、クリストファー・リーブ、ネッド・ビーティ、ジャッキー・クーパー、サラ・ダグラス、マーゴット・キダー、ジャック・オハローラン、ヴァレリー・ペリン、スザンナ・ヨーク、クリフトン・ジェームズ、E・G・マーシャル、マーク・マクルーア、テレンス・スタンプ

2006年8月19日・DVDにて鑑賞

 

 

 

 次ページへつづく

 To Be Continued...

 

  

 

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