王<キング・コング>の帰還と
ピーター・ジャクソンの「指輪」後

After the RINGS - The Return of KING KONG


 

これぞ原点!ワイルドにして緻密な大作

「キング・コング」(1933年版)

 

 さて、ここでピーター・ジャクソンの新作「コング」を語る前に、過去の「コング」作品について語っておくのがスジというものだろう。…となると、子供の頃のジャクソンに強烈な印象を与えたという一作目から触れていくべきだ。

 実は今回のピーター・ジャクソン版は、物語的にはこの一番最初のオリジナル版「キング・コング」(1933)をほぼ忠実に映画化していると言っていい。ここでのコングの恋人アン・ダーロウを演じるのはフェイ・レイ、ヒーローとなる船乗りジョン・ドリスコルはブルース・キャボット、秘境冒険映画専門の映画監督カール・デナムはロバート・アームストロング、という布陣だ。これ以前に何作かすでに共作していたメリアン・C・クーパーアーネスト・B・シュードサックの二人の監督について僕は恥ずかしながら何も知らないが、製作総指揮が後に「風と共に去りぬ」(1939)を発表する大プロデューサーのデビッド・O・セルズニックである事からも、決してこれはゲテモノのB級映画などではあり得ない。僕らが昔の怪獣映画などに抱いているイメージと違って、完全なA級の超大作として制作されているのは間違いないのだ。古典として評価が確立したから「名作」扱いされているが、実は発表当時は安物扱いだった…と、もしあなたが思い込んでいたら大間違い。

 今回改めてこの感想文を書くためにオリジナル「コング」をDVDで見てみたが、その堂々たる「娯楽大作」ぶりに目を見張った。もっと驚いたのは見せ場のサービス精神と特撮の技術的高さ。所詮は初期の稚拙な技術でしかなくて「当時はスゴかっただろうな」という映画史のお勉強に終わる…と思っていたら、すっかり見ていて引き込まれてしまった。確かにこれはSF映画の金字塔に間違いない。ウソだと思ったら実際に見て確かめて欲しい。

 で、このオリジナル「コング」の特撮は、日本の怪獣映画ではほとんど使われないが、アメリカのモンスター特撮映画では結構一般的な技法…いわゆるストップモーション・アニメというテクニックが使われている。すなわち、モンスターや模型をひとコマづつ動かして撮影する「人形アニメ」の技法。この特撮を行ったのがウィリス・オブライエンという男だ。このオブライエン、これに先立つ1925年にはH・G・ウェルズ原作のロスト・ワールドを制作。恐竜や太古の巨大生物を縦横無尽に動かして注目を集めていた。「コング」への起用は、当然この「ロスト・ワールド」の成功のおかげであった事は言うまでもない。その影響は「コング」のドラマ構成にも色濃く影を落としていて、ドラマの前半は古代巨大生物が跋扈する秘境、後半は大都会に連れてこられた巨大生物が大暴れ…という構成の点では、実は「ロスト・ワールド」と「コング」は双子のように似通ったスタイルを見せているのである。

 またこのオリジナル「コング」を見てみると、南海の孤島におけるモンスターたちのバラエティに驚かされる。恐竜が次々に現れて、次々とコングや人間たちに襲いかかってくる。そのバリエーションもさまざま。ティラノがいて首長竜もいれば翼竜もいる。大蛇や大トカゲもいる。それらが惜しげもなく次から次へと出てくるサービス精神に脱帽だ。むしろ映画の中盤では、こうした恐竜の方がメインと言ってもいいくらいの大活躍ぶりなのである。しかもコングに口を引きちぎられた恐竜が死にかけてピクピクしているところに、目ざといハゲタカみたいなのがたかってくる…といった芸の細かさ。これにはちょっと見ていて感心させられる。そこには稚拙さなんて微塵も感じられない。実に緻密な作りなのだ。

 一方ドラマの方を覗いてみると、これがまた僕らの固定観念の中の「コング」像を大きく塗り替えてしまうような違いがある。まず、主要登場人物の設定。僕はすっかり仇役扱いだと思っていた映画監督カール・デナムだが、このオリジナル版では全くそんな印象はない。確かにカツドウ屋根性に富んでいて野心家。そのためハチャメチャで、多少危険を省みない無謀さはある。だが決して卑劣で悪徳な男ではない。身を挺してアンを助けようとするし、決して彼女やドリスコルを見捨てようとしない。ヒーローである船乗りドリスコルともアンの身の安全の事で多少意見を異にすることはあっても、決して対立関係にはならないのだ。

 そのドリスコルだが、最初は「船には女は乗せねえ」タイプの偏屈男で、船にいきなり乗り込んできたアンに冷たく当たる。ところが徐々に態度を変えて、やたら彼女の心配ばかりするようになるからオカシイ。しまいには何ともブキッチョな愛の告白…と、まるで中学生並みの態度(笑)。実際この男の言動を見ると、知能指数はコングと五十歩百歩に見えてしまう。脳味噌まで筋肉のタイプで、あまり頭は良さそうではないのだ。

 そしてコングは…ハッキリ言ってこのオリジナル版では単なる「野獣」でしかない。とにかく原始の本能で大暴れ。人間なんて食っちゃうし踏みつぶすし、意味もなく高いところから落っことして殺してしまう。慈悲の心や優しさなんてない「畜生」そのものだ。襲いかかる恐竜たちからアンを守り抜くのも、別に騎士道精神やフェミニズムからではない。単に自らの「獲物」に夢中になり、それを他者から奪われまいという一心で守り抜いたに過ぎないのだ。言わば、まさにケダモノの本能に従ってやったまでのこと。アンだってコングにはまったく一片の同情も共感も持ち合わせていない。人間の女が、畜生に愛情など持つわけがない…という、作り手の割り切りと思い切りがスゴイ。そんなコングとドリスコルによるアンの奪い合いは、お互いの頭脳程度がイイ勝負なだけに本当にケダモノ同志のメスの取り合いに見えるほどだ(笑)。

 このあたりの「ワイルドさ」はこの作品全編に顕著で、何しろデナムたちが原生林に分け入って恐竜を目の当たりにした時などは…やっこさんが襲いかかって来る前に、いきなり「殺せ!」と爆弾投げつける始末。そして相手が倒れても、死ぬまで銃を撃ち続ける情け容赦なさ。環境保護とか動物愛護とか絶滅危惧種保護とか…そんな甘っちょろい考えは毛ほどもない潔さが素晴らしい(笑)。人類は常にこうでなくてはいけない。自然との共存なんて甘い甘い。

 さらに興味深いのは…今回改めて見てみた事で気づいたのだが、カール・デナムの天晴れなカツドウ屋ぶり。「他人には任せられねえ」とばかりに自らカメラを回すこの男には、こんな空想ホラ話には珍しく妙なリアリティが漂う。折角お客が驚くようなスゴイものを撮って来ても、「愛が描けてない」とか文句言われて正統な評価を得られない…とグチたれる姿なんぞは、映画ファンの僕としては大いに共感してしまうところだ。そうだ、映画マスコミや半可通の映画ファンはすぐ「人間」だの「愛」だのヤワい事ばかり言ってやがるが、そんなもんホントに見たいと思っているのかね? 僕はやっぱり見慣れた人間なんぞより、でっかくて野蛮なゴリラの方を見たい(笑)。

 さて「コング」の大成功は早速「柳の下のドジョウ」を生む事になる。その続編が「コングの復讐」(1933)。前作の監督の片割れメリアン・C・クーパーが製作総指揮に回り、特撮は再びオブライエン。前作の出演者であるロバート・アームストロングも引き続き主演して、正式な「続編」の面目は保っている。ただし前作のコングは死んでしまったので、主人公たちがもう一度同じ南海の島に行って、別のコングと出会う話になっていると言う。実は僕自身はこの作品を見ていないのだが、すこぶる評判の悪い作品だ。

 だが夢が忘れられないメリアン・C・クーパーは、さらに「姉妹編」の制作に踏み切る。それが「猿人ジョー・ヤング」(1949)。今度はアフリカの奥地で巨大猿が発見されるというお話だが、なぜか「復讐」「ジョー・ヤング」…と回を重ねるごとに巨大猿のサイズが縮んでいくのが不思議だ(笑)。それが災いしてか、この映画もどうやらチマッとした出来映えだったらしい。ただ注目すべきはここに参加した顔触れで、何と今回メリアン・C・クーパーと共に制作に参加したのは、何とあのジョン・フォード! 一体なぜこれほどの大物が一枚かんだのか、全く理解できない。そしてフォードつながりからだろうと思うが、主演にもベン・ジョンソンが参加している。さらにこの作品は、オブライエンのお弟子スジにあたるレイ・ハリーハウゼンのデビュー作。師匠オブライエンと共にクレジットされたハリーハウゼンは、この後でストップモーション・アニメの大御所となっていく。なお、この「猿人ジョー・ヤング」は後にシャーリズ・セロン主演の「マイティ・ジョー」(1998)としてリメイクもされた…ということも、ここで付け加えておく必要があるだろう。

 


King Kong

(1933年・アメリカ)

レイディオ・ピクチャーズ(R.K.O.映画) 制作

監督・製作:メリアン・C・クーパー、アーネスト・B・シュードサック

製作総指揮:デヴィッド・O・セルズニック

脚本:ジェームズ・アシュモア・クリールマン、ルース・ローズ

出演:フェイ・レイ、ロバート・アームストロング、ブルース・キャボット、フランク・ライチャー、サム・ハーディ、ノーブル・ジョンソン、ジェームズ・フラヴィン

2006年1月13日・DVDにて鑑賞 

 

 

 次ページへつづく

 To Be Continued...

 

 


 

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