新作映画1000本ノック 2006年7月

Knocking on Movie Heven's Door


 このページの作品

「ローズ・イン・タイドランド」 「M:I:III」 「ジャスミンの花開く」

 

「ローズ・イン・タイドランド」

 Tideland

Date:2006 / 07 / 31

みるまえ

 昨年、「ブラザーズ・グリム」(2005)でお久しぶり…のお目見えだったテリー・ギリアムだが、何と早くも新作登場。異例のペースにビックリしていたが、予告編を見ていたらちょっと心配になった。どうも幼い少女を主演にして、やれ口をきくリスだの、ウサギ穴に落っこちるだの…とファンタジー味溢れるお話。…となると、またまた「不思議の国のアリス」か。正直言って、何かと言うと「不思議の国のアリス」的世界みたいなモノをチラつかせる歌やら本やら映画やらがウジャウジャあるのには食傷気味。ましてギリアムの場合、前作がグリム兄弟で今回が「アリス」…と来るとちょっとねぇ。その発想にいささか凡庸なモノが嗅ぎ取れはしないか。そもそも「ブラザーズ・グリム」があんまりいただけない出来だったこともあり、実はこの作品にはイヤな予感がしていた。それでもギリアムだからなぁ…やっぱり気になる。そんな訳でいろいろ用事が山積する中を、何とかやりくり算段して劇場に駆けつけた次第。

ないよう

 見渡す限り黄金色の草原。そこに不思議な雰囲気を持ったジェライザ=ローズという少女(ジョデル・フェルランド)がいた。彼女の友だちはミスティーク、ベイビー・ブロンド、グリッター・ガール、サテン・リップス…という4つのバービー人形の「頭」。それらを人差し指に差し込んで、あたかも仲良し同士のような「会話」をする。草原の中にはバスのガタクタがひっくり返っていて、ローズはその中を飛び交うホタルたちとも「友だち」になるのだった…。

 そもそもローズがこの草原にやって来た経緯を言えば、そのユニークな家庭環境に触れねばなるまい。ローズの父親ノア(ジェフ・ブリッジス)はロック・スター…とは言え、それは今やかなり「過去の栄光」。小さい小屋でのショボいギグの後は汚いアパートでラリっているという毎日に、そんなロック・スターの片鱗はもはや見えない。母親(ジェニファー・ティリー)に至っては、ベッドから一歩も出ずにチョコをむさぼりブクブクに肥えまくる始末。そんな家庭とも言いかねる家庭の中で、ローズは父親ノアがヤクを一発注射でキメるお手伝いや、母親のむくんだ脚のマッサージに勤しむ日々だ。そんなローズは、母親のどうしようもない懺悔の言葉はこれっぽっちも信じていなかったが、父親ノアの語る夢の土地「ユトランド」の話と「いつかオレたちで行こう」という誘いの言葉は無条件で信じていた。特にノアは…もはやヤクのやりすぎで頭のネジが少々ユルみ始めていたにも関わらず、未だにローズのヒーローだった。彼女は幼い少女にとってはヘビー過ぎる日常を、大好きな「不思議の国のアリス」の本や例のバービー頭の「友だち」、そして屈託のない空想の力で乗り切っていたのだ。そんなある日、母親がヤクの分量を間違って死んでしまう。するとノアは死体を残したままローズと共にアパートを引き払い、バスに乗って一路「ユトランド」を目指した。…もっともノアの言う「ユトランド」は、彼の故郷のテキサス。野原の一軒家であるローズの「おばあちゃんの家」だった。黄金色の草原のど真ん中にポツンと建った一軒家。そこに意気揚々と乗り込んだノアとローズだったが…おばあちゃんはどこにも姿が見えず、家は荒れ放題に荒れ果てていた。これにはローズもいささか失望を隠しきれない。それはノアも同様のようで、早速ヤクを一発キメて一人で逃避を図ってしまうではないか。仕方なく家や周辺の探索を始めるローズ。ところがノアは翌日になっても反応を見せず、ローズはさらに草原での一人遊びを続ける。そのうち彼女は、黒一色の服に身を固めた奇妙な女・デル(ジャネット・マクティア)や、彼女の弟で大きなキズのある頭と童心そのものの心を持ったディキンズ(ブレンダン・フレッチャー)らと知り合う機会を得るが、それでもノアは意識を取り戻さない。それどころか…どこからともなくハエが集まって来たり、変な臭いが漂ってきたりするようになって…。

みたあと

 やっぱり「不思議の国のアリス」である。そして、少女のイマジネーションの世界が映像化されるあたりで、テリー・ギリアムのビジュアリストとしての本領が発揮されている。どこかグロテスクで、悪趣味ギリギリのブラック・ユーモアが漂うともギリアムらしいところ。そういう意味では「らしい」作品である。

こうすれば

 ただ、僕は今度のギリアム作品に正直言ってついて行きかねるところがあった。前に「ブラザーズ・グリム」感想文の時に、僕はギリアム・シンパから見れば「穏健派」で「邪道」なギリアムの見方をしていると思われそう…ってな書き方をしたことがあるように思う。僕もテリー・ギリアムという人の奔放なイマジネーションには圧倒されるし、感心する作品も多い。だが僕が最も好きなギリアム作品は「バロン」(1988)や「フィッシャー・キング」(1991)…と、たぶんギリアム好きを自認する人たちから見ると「傍系」と思われそうな作品群なのだ。逆に…例えば「ラスベガスをやっつけろ」(1998)あたりになると、あれよあれよ…と圧倒されはするが、正直言って「好き」とは言い難い雰囲気がある。まぁ、そのへんが僕の「ギリアム好き」の限界なのかもしれない。で、実は今回の「ローズ・イン・タイドランド」は、物語的にも作品的にも全く違うシロモノであるにも関わらず、どこかその僕が苦手な「ラスベガスをやっつけろ」に似たテイストを持っている気がする。それは、どこか全編麻薬でもやっているかのような「幻想」感とでも言おうか…いや、ほとんどもう「妄想」感と言った方がいいと思うが、そんな現実と幻想が熱に浮かされたようにない交ぜになった雰囲気に、どこか共通する気分が漂っているのかもしれない。元々ギリアム作品にはそんな雰囲気が横溢してはいるのだが、「ラスベガス〜」やこの作品あたりは、その傾向があまりに過剰に溢れている。で、やっぱりこの作品も僕が苦手な部類に入るのだ。ちょうど何かと疲れていた事もあるのだが…実は、見ていて睡魔に襲われたという点も「ラスベガス〜」の時と同様。これは「善し悪し」という事ではなく、完全に個人的な趣味の問題なのだろう。

 で、主人公の女の子を演じるジョデル・フェルランドもかなり達者…と言っても、いわゆる「上手な子役」という意味ではない。むしろ、大人の役者のように気持ちが入っていてビックリしちゃう程なのだが、実はここだけの話、僕は彼女を見ていて途中からツラくなって来た。最初は見事だな〜と感心していたが、だんだん彼女を見ているのがイヤになってくるのだ。たぶん、それは題材のせいなのだろう。主人公の女の子がヘビーな家庭環境からイマジネーションを友だちとするようになって、その後の厳しい状況もイマジネーションで乗り切っていくというお話は、理解できるし悪いとは思わない。この手の題材に向けられがちな「逃避」という批判も、僕は思い至らなかった。僕も自分自身ツライ思いをした時があるから、時に「逃避」も必要だと思っているからね。ただ…主役の女の子がそうしたイマジネーションの世界にのめり込む少女を巧みに演じれば演じるほど、イマドキのこの年頃の女の子がそんなに夢ばかり見て非現実的である訳がないとも思えて来てしまう。言っちゃ悪いがシラジラしいカマトトみたいに見えて来ちゃうのだ。「そんな風に思うわけないだろ?」と思えてしまう。主人公の女の子が普通の子とは違う特異な生活環境で生まれ育っていた…とか、この映画の物語は一種の「寓話」でリアリスティックなものではないのだ…とか、そんな事は百も承知と思いながらも、どうしても女の子が「夢物語」をあり得ないほどに信じ込んでいる事にイライラしてしまう。これは僕の方に問題があるんだろうか? ラストにはここまで「小品」映画としてこぢんまりと出来ていたこの作品において、いかにもテリー・ギリアム映画らしくド〜ンと大スケールの大風呂敷を広げるスペクタキュラー映像…列車の脱線転覆の光景が出てくるが、この場面に至って僕の違和感は頂点に達してしまった。それは精神年齢10歳の男ディキンズが、ダイナマイトで列車を吹っ飛ばして起きた事故だ。ところが不運にも血だらけになった負傷者がゾロゾロいる中で、主人公の女の子はディキンズを探しながら「ついに巨大ザメを仕留めたのね!」と狂喜するのだ。いくら何でも状況がそこまで分からないはずはあるまい。この感覚は、僕にはちょっと受け入れがたいものがある。やっぱりこれは僕向きの映画ではあるまい。つまんない「穏健派」と言われようと、これが偽らざる気持ちだ。

みどころ

 ただし…こう言うと矛盾しているようで恐縮だが、この映画は凡庸な「ブラザーズ・グリム」などよりは上等な作品のように思える。というか、この映画や「ラスベガス〜」こそ、実はピュアなテリー・ギリアム・テイストの作品なのかもしれないのだ。単にそれを僕が受け入れられないだけなのかもしれない。

 そんなこの映画における僕にとっての最大の見どころ…それは冒頭のライブハウスの場面だ。いいかげんくたびれた老いぼれロック野郎らしさをプンプンに漂わせ、実に安っぽくロックンロールを歌うジェフ・ブリッジスが、いかにも「感じ」。このライブ・パフォーマンスは至芸と言えるかもしれない。

さいごのひとこと

 もはや夢のない僕にはちょいとキツかった。

 

「M:I:III」

 Mission: Impossible III - M:i:III

Date:2006 / 07 / 17

みるまえ

 ついにやって来ました第3作。ただ、この作品が実際に動き出すまでには直前の監督交代もあり、後任の監督は新人ということもあり、さらにはトム・クルーズとケイティ・ホームズとの過剰なデレデレぶりやヘンテコ新興宗教の話もあって、この作品の結果は大いに危ぶまれていた。果たしてアメリカで公開されると、大ヒットは大ヒットながら少々この作品にしては期待を下回る結果だったらしい。やっぱり…とイヤな予感がよぎる。そもそも、近年のトム・クルーズはいろいろ難しいところに来ているのだ。今度こそクルーズはハズしちゃったんじゃないか。ところが、そんなこんなですっかりこの映画はダメ…という気分になりつつあった矢先、先行上映などですでにこの作品を見て来た人たちから「面白い!」との意外な評価が聞こえて来るではないか。果たしてこの映画の出来栄えはどうなのか? 面白いのかダメかどっちだ?

ないよう

 イーサン・ハント(トム・クルーズ)は何やら暗い部屋で椅子に縛り付けられ、金髪の巨漢男デイヴィアン(フィリップ・シーモア・ホフマン) に脅されまくっている。「オマエの頭に爆弾を仕込んだ」と告げられ、歯ぎしりするハント。しかも彼の目の前には、愛する女ジュリア(ミシェル・モナハン)が縛り付けられているではないか。デイヴィアンは彼女の頭に銃を突きつけ、さらにハントを執拗に責め続ける。「“ラビットフット”はどこにある? 10数えるうちに言わねば彼女が死ぬぞ!」 だがその言葉は、まさにハントにとって寝耳に水の言葉だったようだ。「“ラビットフット”は渡しただろ? アレがそうじゃないのか?」…そんなハントの言葉もデイヴィアンには通じない。必死に懇願を続けるハントだが、デイヴィアンは冷酷に数をかぞえ続ける。そしてついにデイヴィアンは「10」を数えた。激しい銃声とハントの悲痛な叫び…。

 それは、ほんの数日前に遡る。

 イーサン・ハントは婚約者のジュリアと共に、大勢の客を自宅に招いてパーティーを開いていた。みんなの前では自分の肩書きを「交通局の職員」って事にしているハントは、お客に仕事の事を訊ねられたら「交通ってのは生き物なんですよ」…ってな訳の分からないウンチクで煙に巻く。ところがそんな彼の携帯に電話がかかるや、その眼光が一気に鋭くなる。

 ハントはジュリアに「氷を買ってくる」と言い訳をして、ソッとパーティーを抜けだした。出かけた先はセブン・イレブン。そこに待ちかまえていたのは、ハントが所属している組織「IMF」のエージェント、マスグレイブ(ビリー・クラダップ)。彼が言うには、ハントの教え子で初めて現場に出た新人リンジー(ケリ−・ラッセル)が消息を断ったとか。現在、ハントはジュリアとの結婚を前に最前線から足を洗い、教官として後進の指導にあたっている身。そんなハントが最初に現場に送り出した有望な新人がリンジーだったのだ。ところが彼女は武器や機密情報などの「闇の商人」デイヴィアンの捜査に出動して、そのまま姿を消した。そこでハントに救出作戦に参加してもらいたい…というのがマスグレイブの言い分。だが、ハントは「もう一線から退いたから」…と気乗り薄だ。それでも事件の詳細を知り、作戦決行は夜明け…と聞くやジッとしていられない。ジュリアをベッドに残したまま、ハントは「急な出張が出来た」と見え透いたウソをついて出発した。

 行き先はベルリンの廃工場。長年の付き合いであるルーサー(ヴィング・レイムス)を筆頭に、デクラン(ジョナサン・リス=マイヤーズ)、ゼーン(マギー・Q)といった仲間に迎えられ、デイヴィアンに捕らえられていると見られるリンジーの奪還作戦が展開される。見事な陽動作戦で、捕らえられ拷問されていたリンジーを救出…と思いきや、彼女は秘かに何かをハントに伝えようとするではないか。だがそれを知る間もなく敵と激しくやり合い、慌てて現場をヘリで立ち去ることになるハントたち。ところが脱出途中、リンジーは頭に激痛を覚える。調べてみると、リンジーは脳内に小型爆弾を埋め込まれていた。それを無効にするには、彼女に電気ショックを与えるしかない。そんなこんなしているうちに、背後から追っ手のヘリが攻撃を仕掛けてくる。これは何とか撃退することが出来たものの、リンジーへの電気ショックは間に合わず彼女は命を落とした。さすがにこれには失意のハント…。

 戻ってきたハントたちに、IMF上層部は厳しかった。奪還したリンジーは結局命を落とした。現場から手に入れるはずだった情報は、敵の手によってディスクを粉砕されいまや単なるクズとなった。全く割の合わない結果に、IMF局長のブラッセル(ローレンス・フィッシュバーン)はハントをボロクソにコキ下ろす。マスグレイブの立場もない。憤懣やるかたないハントはお仲間のIMFスタッフから、例のボロボロのディスクからかろうじて取り出された「ラビットフット」なる「商品」の機密情報を聞き出す。それによると、あのデイヴィアンがこの「ラビットフット」の商談のため、バチカンで近々開かれるパーティーに参加するというのだ。ハントは名誉挽回とリンジーの敵討ちを実現するため、ブラッセルに黙って「作戦」の決行を試みる。だがそれは、またしてもジュリアに不自然な「出張」の話をデッチ上げる事でもあった。さすがに今度はダマされたフリもしないジュリア。だが「何を隠しているのか」と涙目でジュリアに問いつめられても、ハントはすべてを明かす事が出来ない。結局「僕を信じて」の一言を残すしかない。それでもハントを受け入れたジュリアは、勤務先の病院で彼らだけのこぢんまりとした挙式を上げるのだった。

 だがそんなハントに、「オレたちの仕事にゃ普通の幸せは縁がない」と諭すルーサー。それでも何とか出来ると思っていたハントは、仲間たちと共にバチカンに飛ぶのだったが…。

みたあと

 映画が始まるといきなり緊迫する場面。フィリップ・シーモア・ホフマンがトム・クルーズをド迫力で脅しまくる様子に、思わずのけぞってしまう。これほどの大作映画にして、オープニングが始まる前に緊迫場面の「さわり」を見せてしまうとは。観客に心の準備をさせない演出には、「こりゃうまい!」と言いたくなる。意地悪く言ってしまうと何となくテレビの2時間サスペンスものみたいな構成(笑)ではあるが、どうしたってマンネリと予定調和が生じてしまう人気シリーズ三作目…にフレッシュなカンフル注射を打つ意味では、なかなか大胆不敵なやり口ではないか。ここで正直言ってノセられてしまった事は確かだ。

みどころ

 それに限らず…あの手この手の見せ場を惜しみなく盛り込む手腕は大したもの。いわば物語の「冒頭」にあたるベルリンの廃工場での人質奪還作戦だけで、思わず力が入ってしまう気合いの入りっぷり。その後もバチカンに上海…というスケールの大きな見せ場が続く。今回監督探しがかなり難航したようだが、テレビ出身のJ.J.エイブラムスって人はなかなかやってくれるではないか。これだけの大作…ヒット・シリーズの冒頭に、2時間サスペンス(笑)みたいな手法を使うケレン味も含めて、大作ゆえの贅肉が付かないようにフットワークの軽さに気を配っている様子が好感持てる。活劇映画の監督としてもかなり優秀なように見えるのだ。そして今回のお話が主人公ハントの私生活に及ぶのも、冒頭場面に見られるようにそれがサスペンスをさらに盛り上げる小道具になり得ると見たからだろう。恋女房を殺されそうになるハントには、確かに超人的に大活躍しなくてはならない「必然」が生じる。これは単にヒーローがスーパーマン的活躍をする大味アクションとは一線を画したいという、作り手の意志がそうさせたものだ。その作戦は間違いではない。今回はキャストもなかなか充実していて、局長のローレンス・フィッシュバーンも「この人ならでは」の役柄となっているし、ハントの仲間にジョナサン・リス=マイヤーズや香港のマギー・Qが加わっているのも面白い。だが、何と言っても演技巧者フィリップ・シーモア・ホフマンのボリュームたっぷりの悪役ぶりには嬉しくなった。トム・クルーズが小便チビりそうになる脅しっぷりが、この映画を確かに面白くしているのだ。

こうすれば

 ハントの私生活上の理由…恋女房の存在は、確かにサスペンスを増すスパイスになっている。そしてハントの超人的行動の動機にもなっている。だから、確かに作戦としては間違いではない。だが…それって「大作」ならではの贅肉を取り去って活劇の醍醐味を追求するという、J.J.エイブラムスが立てたはずの本来の構想とどこか相反するものではなかったか。アクションに人間ドラマとやらを加えて映画の格を上げる…という試みの下に、どれほどの失敗作が生まれたことか。幸運にも今回は映画全体の足を引っ張ることにはなっていないものの、正直言って「諸刃の剣」であることに変わりはない。実際にトム・クルーズの主人公がプライベートでパーティーやってる場面とか彼女と絡んでる場面とかは、いささかかったるい印象が否めない。しかもその一方で…アクション大作の贅肉を取るという試みは、この映画の「格」をも奪っているように思えないでもない。これほどの大金をかけた映画にも関わらず、例の2時間サスペンスみたいな「軽さ」が全編に感じられる。例えば前作「M:I-2」(2000)はどこかハッタリ・大味感が漂ってはいたが、それと同時にどこか豪華な「大作感」もあって、それが見る者を楽しませてもいた。ハリウッド娯楽映画にはそういう味も必要なのだ。それが今回は…あれほど知恵と物量と運動量を投入しているのに、どこかチマッとしている。まさに痛しかゆし。つまり、この映画のコンセプトはいろんな意味で矛盾しているのだ。無論あれだけ骨身惜しまぬ運動量を放出し、見せ場もお金も出し惜しみせずに使っているために、それ相応の面白い映画になってはいる。だが、何となく「成功作」になりきれていないのはそのためだろう。もっと言ってしまうと…主人公の恋女房をドラマを盛り上げるためのスパイスに使っていながら、肝心要の終盤での荒っぽい扱いはいかがなものだろうか? あの敵を倒す鮮やかな手並みに、僕は「あの女房は実はIMFのスパイだった」…というオチになるかと思った(笑)。それでなくても…主人公があんなに悩んだ割には、ラストであっけらかんとIMF本部に女房連れて来ちゃっていいんだろうか? アレはないんじゃないの?

さいごのひとこと

 ミッション・インポッシブルとは結婚生活のことか。

 

「ジャスミンの花開く」

 茉莉花開 (Jasmine Women)

Date:2006 / 07 / 03

みるまえ

 昨年の東京国際映画祭で上映された作品。チャン・ツィイー主演作とあって、当初からチケットを手に入れるのは諦めていた。祖母・母・娘…と女三代の人生を描くような内容とあって、まるで「娘・妻・母」(1960)「女の歴史」(1963)…といった成瀬巳喜男作品を想起させられるイメージ。だが成瀬映画好きを自認する僕でも、フィルモグラフィー中のこの手の作品はつまんなそうであまり見ていない。だからハッキリ言って、この作品に食指をそそらなかった事も事実だ。だが、作品的な評価はともかく「SAYURI」(2005)でついにハリウッド作品をも制覇し、今が花の盛りのツィイーが見たいという気持ちもある。さらに場面写真の中に、ツィイーがジャズバンドを従えて歌うようなショットがあるのも気になった。彼女のスターぶりを味わえる映画なら、ちょっと見たい気がする。

ないよう

第1章・茉の物語

 上海、1930年。母(ジョアン・チェン)と二人暮らしで写真店を営む、映画好きの娘・茉(チャン・ツィイー)。ある日、店にやって来たダンディな男・モン(チアン・ウェン)にスカウトされ、憧れの映画界へ。キザな英語を口ずさむモンは映画会社の社長だったのだ。母は大反対したが、茉の心は止められない。芝居経験はなかったが、そこはモンの寵愛もあって出世街道をトントン拍子。撮影で忙しいと帰宅せずにホテル住まいを余儀なくされ、母との溝はますます深まる。結果、茉とモンが一線を超えるのも時間の問題だった。こうして新進スターとして順調に歩みだしたはずだった茉だったが、好事魔多し。ここぞという時にモンの子供を身ごもってしまう。モンから堕ろせと請われても頑強に拒み、ホテルに訪ねて来た彼と会う事も拒む茉。だがそのうちに日本軍が上海に侵攻。モンは全財産を持って上海から脱出していた。途方に暮れた茉は実家の写真館に戻るが、母は美容師の男と同居していた。それでも実家で子供を産んで育てようとする茉だったが…。

第2章・莉の物語

 上海、1950年。茉(ジョアン・チェン)に育てられて美しく成長した莉(チャン・ツィイー)は、運動神経抜群で学校でも人気の高いジェ(ルー・イー)に夢中。彼女の方からどんどんアプローチを仕掛け、見事に恋仲になってしまう。だが母の茉は、その行く末を案じた。典型的な労働者階級…それゆえに共産党政権下の今では花形ではあるが…のジェと莉がうまくいきっこないと心配していたのだ。だが莉は言うことを聞かずにジェと結婚。彼の実家に同居する事になる。だが、ジェの実家の労働者階級の暮らしには何から何まで馴染めない莉。結局耐えきれずに家を飛び出し、実家に戻るハメになる。だが莉を諦めきれないジェが追いかけて来て、彼女の実家で同居。だが良かったのもそこまで。徐々に夫を母・茉に奪われるのではないか…という妄想に取り憑かれる。さらに病院での診察によって子供が産めない身体だと知った莉は半狂乱。見かねたジェは養女の花をもらい、一家はようやく平穏を取り戻したかに見えたが…。

第3章・花の物語

 上海、1980年。遠方の農村への下放から戻って来た花(チャン・ツィイー)は、喜んで迎えてくれた祖母・茉に恋人トウ(リウ・イエ)を紹介する。だが、祖母はトウが気に入らない。トウが大学に行くためにすぐに上海を発つと聞いて、「それっきり」だろうと決めつける。だが花はそんな茉の言葉を聞かず、秘かにトウと結婚する。トウは地方の大学に行ったまま、休暇になっても戻らない。やっと卒業して帰って来たと思いきや、今度は日本に留学に行くと言う。それでもいつか一緒に暮らす事を夢見て待つ花。そんな彼女が自分が身ごもった事に気づいた日、日本のトウから一通の手紙が届いたのだった…。

みたあと

 何とこの映画チャン・ツィイー主演というだけでなく、脇を「ラストエンペラー」(1987)などのジョアン・チェン、「鬼が来た!」(2000)のチアン・ウェン、「セブンソード」(2005)のルー・イー、さらに「パープル・バタフライ」(2003)や「PROMISE/プロミス」(2005)などで今が旬のリウ・イエ…などが固めて豪華極まる顔ぶれ。これはちょっとした大作ではないか。監督は一体誰かと思えば…この作品が「監督」としてはデビュー作ながら、それまで「青い凧」(1993)などのティエン・チュアンチュアン監督作品や、「あの子を探して」(1999)、「初恋のきた道」(1999)、「至福のとき」(2002)とチャン・イーモウ監督作品などのカメラを担当したホウ・ヨンという男。なるほど、血統書付きで人脈も豊富な新人監督ということか。だからこの作品は、リッチな雰囲気が全編に漂っているのだ。

こうすれば

 ただしお話は…と言えば、いわゆる「女三代の人生を描く」と聞いて想像されるモノから一歩も出ていない。そして、女三代のそれぞれの時代色を出そうと腐心しているが、それとは対照的にストーリーや設定はかなり「図式的」なのだ。まるで「スター・ウォーズ」サーガや「ゴッドファーザー」三部作のように、子が親の人生をそっくりになぞってしまう…という運命の皮肉を描きたいのは分かる。だがその三代の女たちの名前「茉」「莉」「花」を並べるとジャスミンという花の意味になる…とか、その「茉」と「莉」のエピソードで「ジャスミン」の歌を歌わせる…とか、毎回毎回判で押したようにジョアン・チェン演じる母か祖母がヒロインの男選びを「間違ってる」と非難する…とか、それに第1章グレン・ミラーに第2章「トロイカ」に第3章テレサ・テンとミエミエの音楽を使う…とか、あまりに「図式的」が過ぎてわざとらしく感じてしまう。「スター・ウォーズ」サーガや「ゴッドファーザー」三部作では、それがわざとらしく見えないように注意深く覆い隠していた。だがこの作品では、そんな工夫もなしに露骨に出てしまっている。それでいて、別に「寓話」や「カリカチュアライズした物語」として描こうともしていないのだ。だとすると、全編に漂うリアリティのなさはチト気になる。しかもヒロイン像もあまりに幼稚で単純で自分勝手で思慮が足らないように見えるから、正直言って共感はしにくい。その他にも気になる点はいっぱいあって、例えば…第1章の日本軍制圧下の上海でヒロインがウロウロしていて大丈夫だったのか、第2章の終わりで夫のジェが自殺した際にどうして彼の実家の人間が駆けつけなかったのか、そして文化大革命当時だったら本来は主人公一家が厳しい立場に追い込まれたはずではないか、第3章のクライマックス=雨中の出産場面で都合良くパトカーが駆けつけるのもいかがなものだろう…。この映画のオープニング・クレジットには確か「女性たちに捧げる」だか「母親たちに捧げる」だかといった言葉が書かれていたが、この雨中の出産場面はおそらく映画の作り手が最も描きたいところだったのだろう。だが、言いたい事は全く目新しい事もないし驚きもない。そんな作り手の発想の限界が、この映画に「フェミニズム的なテーマを頭の中だけでこねくり回してみました」…的な雰囲気を漂わせてダメ押ししてしまった。ディティールがヤワでいいかげんなのは、おそらくそのせいだろう。結局、頭の中だけでこさえた映画になってしまっているのだ。

みどころ

 それでもこの映画は見ていて退屈しない。それどころか、それなりに楽しめる出来なのだ。それはまず、戦前の上海映画界のゴージャスな雰囲気をちょっとだけ味わえたあたりが嬉しかったし、その他にも文化大革命に突入しようという共産中国、さらには文革後の時代…という時代の変遷をカラフルに色分けして描いてくれているから、1本の映画でこれだけ見れて儲かった気分もする。だが、何より素晴らしいのは…何と言っても大量投入されたスターの魅力だろう。充実したキャストの中でも注目すべきは、まずは老婆役まで大芝居を見せてくれるジョアン・チェン。今まで別に何とも思っていなかった人だけに、今回の奮闘ぶりには好感を持った。そして目を見張ったのはチアン・ウェン。粋でダンディなちょいワルおやじ(笑)ぶりを遺憾なく発揮。口を開けば「No, No」とか「Gorgeous」とか「Beautiful」とか付け焼き刃の英語をチラつかせ、いかにもインチキくさく安っぽい男ながらも、チアン・ウェンが演じると「これじゃ若い女の子なんかイチコロ」と思わせる男っぷり。この人もやっぱりスターなんだよなぁ。個人的には「こういう男が実は香港のショウ・ブラザースあたりの前身になったのではないか?」…という興味もそそって、見ていて楽しかった。だが中でも抜きんでているのは、もちろんヒロインのチャン・ツィイー。この人にはとかく批判も多いが、何よりスターに必要な華がある。うまくなんかならなくてもいい。お下げ髪、豪華なチャイナドレス、質素な花嫁衣装、さらにはオタク必見のメガネっ子まで(笑)…チャン・ツィイーがコスプレを見せるワン・ウーマン・ショーとして楽しませてくれるのだ。それが高じて何とラストショットでは、「ジャスミン」の歌のほぼワン・コーラスぶんの長さに渡ってツィイーのアップの表情を延々と見せ続けるから恐れ入った! 「初恋のきた道」でファインダーごしにツィイーを見たホウ・ヨン監督は、すっかり彼女に惚れきってボケちゃってるのか。そうでなければ、まるでアイドルのイメージ・ビデオみたいなこのショットは説明出来ない。見ていてこっちが居たたまれなくなった。これ、マジな映画として見ちゃヤボなのかも(笑)。

さいごのひとこと

 中国でもメガネっ子は人気なのか。

 

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