新作映画1000本ノック 2006年4月

Knocking on Movie Heven's Door


 このページの作品

「トカゲ女」 「ナイト・ウォッチ」 「サウンド・オブ・サンダー」 「イーオン・フラックス」

 

「トカゲ女」

 Lizard Woman

Date:2006 / 04 / 24

みるまえ

 「トカゲ女」…! 素晴らしいタイトル。まるで楳図かずおの怪奇少女マンガみたいな問答無用のタイトル。ヘビ女、クモ女がいればトカゲ女もいなくちゃあ…と、思わず膝を打ちたくなるタイトルだ。素晴らしすぎる。タイ映画というのもいい。これ言っちゃうと偏見かもしれないが、どこか得体の知れない気色悪さが漂うではないか。出演者が知らない奴ばかりというのもいい。誰が殺されるか何がどうなるか、まったく予測不可能だ。渋谷でレイトショーという細々とした上映ぶりだが、それがまたこの映画にはハマってる。見たい!

ないよう

 ここはタイの山ん中。巨大な鍾乳洞。日本の学者・前田教授(矢野かずき)とその異常に若い妻・ミヨ(斎藤華乃)、さらにタイ人男女4人の探検隊が、見事な鍾乳石の壁面を登っている。ところが岩だなによじ登る途中で、前田教授は一個の木の箱を下に落としてしまった。それは教授がこの鍾乳洞で発見したもので、かなりの年代物のようだった。だが、遙か下に落としてしまったのなら仕方がない。教授は箱を諦めて前進することにした。その木の箱は…というと、落ちたショックで砕けて、中から大きなヤモリの作り物が…。

 一方、ここはバンコク。一人の女が部屋に籠もってパソコンのキーボードを軽快に打ちながら、何やら文章を書いている様子。彼女は周囲にただならぬ気配が漂っていることに気づいていない。

 前田探検隊の方では、帰りのクルマが森の中で立ち往生したのにスッカリ困惑。エンジンにも異常がないのになぜクルマが走らないのか…ともかく早くしないと日も暮れる。一同は荷物を持って、各自歩きによってこの場所を抜け出そうとした。すると…森の彼方に集落らしきものが見えるではないか。そこにあったのは一件の廃屋。ランプには火が灯っているのに、なぜか人っ子一人いない。探検隊はとりあえず廃屋で休むことにしたが、何を血迷ったか前田教授の年甲斐もなく若い妻ミヨは、いきなり「水浴びしたい」と薄気味悪い外に出ていく。何かいそうな気色悪い雰囲気の中、よせばいいのにボウフラがわきまくってそうな水ガメの中に全裸で浸かるミヨ。案の定、そんな彼女が何者かに襲われるのは時間の問題だった。彼女の悲鳴に驚いて駆けつけた他の隊員たちは、目の前に真っ青な顔色のミヨが現れて唖然呆然。そんなこんなで、一人また一人と襲われていく。彼らを襲ったのは不気味な毒々しい色のヤモリたち。殺された隊員たちも、ヤモリに取り憑かれて別の隊員を襲う。翌朝、探検隊員たちは全員遺体で発見される羽目になった。

 一方、バンコクでは若い美貌の人気女流作家クワン(ルンラウィー・ボリジンダークン)が新作を書き上げたばかり。編集者に渡したその原稿のテーマは、ズバリ「ヤモリの悪霊」だ。こうして新作脱稿の後のバカンスかはたまた次の作品のための取材か、クワンは緑深い地方の山荘へと出かける。そこは奇しくも、例の探検隊全滅事件が起きた場所だった。そこでクワンは、何の気なしに民芸品とおぼしき古い木の小箱を買い求める。この地方の地元マスコミのための記者会見などをこなしてバンコクへと戻るクワンだったが、街に戻るや木の小箱のことなどキレイさっぱり忘れてしまった。だが、そのあたりを境にクワンにさまざまな異変が起きてくる。ヤモリにまつわる幻覚を次々見始めて、清潔なはずの自宅でもヤモリのフンが発見される。恋人のイケメン医師ウィトゥーン(ピート・トーンジュア)はそんな彼女を心配するが、それでもまだクワンは状況を甘く見ていた。ところが彼女の馴染みの編集者が血を吐いて急死。それを皮切りに、彼女の周囲に次々おぞましい事件が巻き起こるのだった…。

みたあと

 映画が始まると、いきなり探検隊が鍾乳洞を登っている。いやぁ、こりゃあ古代文明のナゾか? それとも地底の巨大生物か? こりゃ面白くなりそうと思っていたが…結局何の説明もない。前田教授とその若妻という日本人がなぜ出てくるのかも不可解だが、何より彼らが唐突に出てきていながら、一体何を調べていたか全く語られないのがスゴイのだ。なぜか彼らが持っていた古い木の箱についても説明がないし、唐突に出てきていきなり壊れてしまう。これでは何が何だか分からない。そんな調子で、これだけ意味ありげなトカゲ…ヤモリの祟りが描かれていながら、その理由や背景についてはほとんど語られないのだ。

 そういう「あるべきもの」がない代わりに…この映画ではいきなり日本人女優の行水ヌードが出てきたり、ヒロインがわざとらしく着替え途中で部屋から出てきてブラ&パンティ姿を披露したり、同じくヒロインがトカゲ…ヤモリ憑きで暴れた時に自分の服を破って、オッパイがポロリと飛び出したり…と、なぜかサービス・ショットらしい「見せ場」がチラホラ。何だか安っぽい見せ物小屋の雰囲気が濃厚だ。

 そう、この映画は近年躍進著しい「新しいタイ映画」と一緒にしてしまうのは誤りだ。「ナン・ナーク」(1999)あたりから始まったタイ映画のニューウェーブみたいにカッチリつくられた映画ではない。こう言っては申し訳ないが、“かつての東南アジア映画”然とした貧寒さを感じさせる映画なのだ。

 念のために言えば、前述した通りこの映画は本当は「トカゲ女」ではない。正確に言えば「ヤモリ女」と言うべきだろう。

!!!映画を見てから読んで!!!

こうすれば

 結局、一連の怪異現象の理由については、映画の後半に登場人物の台詞で「昔、悪霊払い師がヤモリの霊を2つの木箱に封じ込めた」と簡単に説明されるだけ。何でそんなトカゲ…ヤモリの霊が生まれたのか、どういう経緯で封じ込まれたのか、そのあたりの理由は一切説明なしだ。しかも取って付けたように台詞で語られるだけで、鍾乳洞で何かが発見される…ってな調子で映像で説明される訳ではない。これは決して…説明しない事で得体の知れない怖さを醸し出そうなんて、高級な意図があったからではない。ドラマの作劇上なくてはならない要素が、この映画には思い切り欠落しているのだ。

 で、なぜかトカゲは人間に取り憑くようで、そのへんはまさしく化け物ではなく「悪霊」の仕業と思わされる。だが理由が分からないからお話が行き当たりバッタリに見える。前述したように脚本がボロボロであると指摘するゆえんだ。

 そして脚本がボロボロなのは、そんなトカゲの悪霊の「理由」だけではない。出てくる登場人物の言動がいちいち訳が分からない。冒頭の探検隊など、悪霊の仕業と言うよりほとんど幼稚園児並みの振る舞いで勝手に大騒ぎしたあげく自滅状態。そしていきなり女流作家が「トカゲの悪霊の小説を書いた」と出てくる唐突さ。最後まで見ると意味があった事が分かるのだが、最初は何が何だか分からない。しかもしかも、出てくる連中の言動が不可解なのはそのまま一貫していて、特にひどいのがヒロインの恋人である青年医師。やたらスカした男だが、言ってる事もやってる事も思いっきりバカ(笑)。難しい本などを眉間にシワ寄せて読んでいるが、絶対意味が分かってないだろうなと思わせるバカさ加減だ。実際に演じてる俳優も頭悪そう。こいつ何とかならなかったのか。

 映画の最後に、ここまでのお話はすべてヒロインのホラー小説のお話でした…と落とすあたりは、少々シャレた趣向のつもりなんだろうが、「夢オチ」といえばこの手の映画で最も不毛な結論だ。しかもそこまでがひどすぎる。監督・脚本のマーノップ・ウドムデートは何と今まで政治腐敗やレイプ裁判などを題材に社会派映画を連発してきた人らしいと聞いて驚いたが、では何でこんな映画をつくったのか…まったくモチベーションが理解できない。シドニー・ルメットやコスタ=ガブラスがホラー映画つくるようなものなんだろうか? だがルメットやコスタ=ガブラスなら、どう転んでももうちょっとマシにやるはずだとは思うが(笑)。

みどころ

 こんなどうしようもない映画だが、奇妙な事にトカゲCGなどは意外にしっかりしているからビックリ。撮影や美術その他についても、貧乏臭いところが全くない。そういう意味では“かつての東南アジア映画”然とした貧寒さは感じられない。技術的なところは見事に今風に進歩して、映画の心臓部である脚本・監督・演技がガッタガタのままという状態だ。だからショボ怖い「田舎の便所」映画にもなっていなくて、実はあまり怖くもない。これって進歩って言えるんだろうか?

さいごのひとこと

 やっぱりトカゲちゃんよりエビちゃんか?

 

「ナイト・ウォッチ」(ロシア映画)

 (Night Watch: Nochnoi Dozor)

Date:2006 / 04 / 17

みるまえ

 ソ連崩壊後のロシア映画は一体どうなっているのか、実は僕らはほとんど知らない。今さらニキータ・ミハルコフでもあるまいし、ソクーロフだって主流の人ではあるまい。先日見たアンドレイ・ズビャギンツェフの「父、帰る」(2003)とかだって、決してこの国の人にとっての映画の代表作ではないだろう。そんな中、いきなり忽然と現れたのがこの「ナイト・ウォッチ」。何とハリウッド映画などで大流行のSFXやCGを駆使したホラー・アクション映画だという。そんな映画がロシアに突然現れたとは…。こりゃあ見なくちゃいけないだろう。とりあえず今ロシアで映画がどう動いているかを知るためにも、これだけは見なければ…。

ないよう

 この世に人間がいるように、「異種」もまた存在する。

 太古、これら「異種」は光と闇の二大勢力に分かれ、熾烈な戦いを開始した。だが「異種」たちの死骸が累々と横たわっていく中、いつまで戦っても決着が着かない。そんな中で光の王ゲッサー(ウラジミール・メニショフ)は、光と闇両陣営の力が互角であると気づいた。このままでは無益にお互いが消耗するばかり。そう思ったゲッサーは、闇の将軍ザヴロン(ヴィクトル・ヴェルズビツキー)に休戦を申し込む。そしてお互いが違反行為を犯さないように、光が闇を監視する「ナイト・ウォッチ」、闇が光を監視する「ナイト・ウォッチ」を置いて、それぞれの勢力バランスを保とうとした。

 1992年、モスクワ。アントン青年(コンスタンチン・ハベンスキー)は、あるアパートの老婦人の部屋を訪問する。この老婦人は実は妖術使いだった。アントンは別の男に奪われた恋人を妖術の力で奪還すべく、この老婦人を訪ねたのであった。しかも彼女の腹にはその男の子供を宿していると聞いていたアントンは、これも妖術の力で殺して欲しいと頼んだ。だが、いざ妖術が始まるや、アントンの気持ちはグラつく。にっくき別の男の子供とは言え、それを殺すことに良心の呵責を感じたのだ。だがアントンが老婦人を止めるや様相は一変。たちまち老婦人は「異種」としての本性を現した。それと同時に、どこからともなく別の異種たちも登場。老婦人との間に熾烈な争いが展開した。闇の異種である老婦人が禁じられた妖術を使った事から、光の異種「ナイト・ウォッチ」による違反取り締まりが行われたのだ。だがその光の異種たちは、アントンの目に自分たちの姿が見える事に驚愕する。アントンもまた「異種」だったのだ。新たに自らが異種であると知ったアントンは、その場で光と闇どちらの陣営に就くかを選択させられる。

 それから12年後。アントンは光の陣営の一員として、モスクワのアパートに世捨て人のように暮らしている。そして呼び出しがあれば、闇の連中を狩るために街へと出ていく。実はある一人の少年を狙って、闇の異種=吸血鬼の男女が暗躍していた。この少年イゴール(ディマ・マルティノフ)はなぜか吸血女に念を送られ、彼らにおびき出されていたのだ。アントンも自らの能力で少年の存在を察知し、彼が乗った地下鉄に乗り込む。するとアントンは、車内で頭上に激しい空気の渦が巻き起こっている不思議なメガネ女スヴェトラーナ(マリア・ボロシナ)の姿を見た。その女の姿に衝撃を受けるアントン。だがうっかりして肝心の少年を見失ってしまう。やっと少年の居所を察知した時には、彼は人けのない廃墟に連れ込まれていた。たちまち吸血鬼男女と、激しい戦いの火ぶたが切って落とされる。血で血を洗う戦いの末、吸血女は顔面に深手を追って退散。吸血男は何とか仕留める事が出来た。だがアントンもこの戦いで、満身創痍の虫の息。慌てて駆けつけた仲間たちの手で、光の異種のアジト「光公社」に担ぎ込まれる。そこでは光の王

ゲッサーがアントンの帰りを待っていた。荒療治によって一命をとりとめたアントンは、ゲッサーに地下鉄車内で見たメガネ女の事を語る。それを聞いたゲッサーは、驚愕の色を隠しきれなかった。その女は、古文書に記された「災いを招く乙女」。彼女の出現が光と闇の戦いの終焉を意味する。その時、新たな「偉大なる異種」が現れて闇の陣営に就き、両者のバランスが崩れる。つまり予言によれば、最終的に闇が勝利するというのだ。さて、闇陣営では生き残った吸血女に例のイゴール少年を襲わせ、アントンをおびき出そうと躍起。一方光陣営でもアントンが狙われるのは必至と、彼に一羽のフクロウを援軍としてつける。このフクロウはアントンのアパートに飛来すると、いきなり人間の女の姿に変身。自らを魔女オリガ(ガリーナ・チューニナ)と名乗った。

 そんなこんなしているうちに、モスクワに異常気象が襲いかかる…。

みたあと

 ハッキリ言って「マトリックス」(1999)以後アメリカ映画をはじめ世界各国で氾濫した、SFX絡みのアクション映画のノリ。ジャンプ・カットやフィルムのランニングスピードの急変、ストップモーションになったとたんカメラがぐる〜り360度回転したりする「あの効果」がバンバン出てくる。あの「重っ苦しいロシア映画」を想像すると、そんな痕跡はほとんどどこにも見いだせない。ヤボったさが脱臭されている。思いっきりあか抜けているのだ。

 そして主人公たちはなぜかロング・コートを着てサングラスという「マトリックス」パクりファッション(笑)。これにはちょっと苦笑せざるを得ないが、まぁやりたい事は分かる。

 ともかく全編目まぐるしいばかりのアクションを散りばめて、サービス精神もかなり旺盛。これまたかつてのロシア映画のような鈍重さは陰を潜めて、映画のテンポはひたすらスピード・アップしていくから驚く。

 異界での「人にあらざる者」たちの二大勢力による戦い…というと、何だかケイト・ベッキンセール主演の「アンダーワールド」(2003)における吸血鬼と狼男との大昔からの戦いを連想させるが、どうも作者の意図としては、「ロード・オブ・ザ・リング」(2001)の冒頭に出てくる闇の冥王サウロンと人間・エルフ族連合軍との戦いみたいなものをイメージしているようだ。そもそも原作からして三部作構成というのも「ロード・オブ・ザ・リング」っぽい。

 何でもこの三部作はすべて映画化されるらしく、一作目のこの「ナイト・ウォッチ」はロシア映画空前のだヒットとか。さらにその続編もすでにあちらでは公開されているという。

 しかもアメリカをはじめとする西欧諸国でも公開されているらしく、それなりに好評だったようだ。何と20世紀フォックスによって世界配給されているから驚きだ。実は日本公開版のフィルムはアメリカ公開版だったようで、オープニングとエンディングのクレジット・タイトルも英語なら、全編に英語のスーパーインポーズが入ったシロモノ。いやぁ、時代は変わったのだ。

 驚いたのは、光の王の役で出ているウラジミール・メニショフ。この人ってかつて旧ソ連映画でそれこそ「タイタニック」級の大ヒットを放ち、アカデミー外国語映画賞まで獲得した「モスクワは涙を信じない」(1980)を監督した人物ではないか。この人が関わると必ず「メガ・ヒット」なのか(笑)?

 で、監督のティムール・ベクマンベトフもこれでハリウッドから声がかかったようで、何と「ナイト・ウォッチ」三部作の最終編は、20世紀フォックス資本が入って英語映画として製作されるもよう。さらにその後にも完全ハリウッド映画の企画が進んでいるようで、まずはめでたしと言うべきなんだろう。

こうすれば

 ただ…かつてのロシア映画の鈍重さが陰を潜めたのは、娯楽アクション映画としてはまことに結構なんだろうが、結果としていわゆる昨今のハリウッド映画と同じ弊害が出てしまったのはマイッタ。ひたすらチャカチャカとカメラが動き回って、おまけにテンポもスピードアップ。そしてハリウッドのマイケル・ベイ系(笑)の若手監督のアクション映画同様に、アクション演出の基本が出来ていない。アクションが起きる場の空間把握やアクションに関わる人物や物体の位置関係の把握、スリルやカタルシスを感じさせるテンポの緩急などが全くない。ひたすらチャカチャカとカメラを振りカットを刻み、ランニング・スピードを速くして一本調子で突き進むから見づらくって仕方がない。結局、アクションの今の状況がどうなっているのかを、観客がしっかり目で確認する事が出来ないのだ。起きてしまってから、何が起きたかがようやく分かる状況。これってアクション映画として「面白い」と言えるのだろうか。同じスピードアップ系のハリウッド監督のアクション演出でも、分かる奴のはちゃんと見て分かるのだから、これは一種の稚拙さと言っていいのではないか。

 さらにこのチャカチャカ感が災いしたのか、この映画って光と影の壮大な対決を描くスケールでっかい話にも関わらず、やけに画面がチマッとしている。冒頭の太古の両陣営の戦いなど、広大な大河に架かる巨大な石橋の上で何万人もの兵士が戦っているという構図のはずなのに、なぜか絵が狭っ苦しい。どう見ても20人単位でやってるようにしか見えないし、橋も一級河川や二級河川に架かる橋より小さいとしか思えないのだ(笑)。この場面を「ロード・オブ・ザ・リング」の冒頭、サウロン軍と人間・エルフ連合軍の戦い場面と比較していただきたい。しかも実写の部分でもCGの部分でも同じ狭っ苦しさだから、もはや技術的な問題とは言えないはずだ。決してリアルとも上手とも言えないチェン・カイコーの「PROMISE/プロミス」(2005)のCG場面でも、壮大なスペクタクル感は見事に出ていたではないか。要は演出家のセンスの問題なのだ。

 お話がクライマックスに差し掛かってくると、モスクワ上空で旅客機が災難に遭い、高層マンションの回りをカラスが旋回して嵐が起きる…というスペクタキュラーな見せ場がバンバン出てくるが、どうにもチマッとした印象はぬぐい去れない。何でこんなにスケール感が出ないのだろう。何だかテレビ映画を見ているような、画面サイズからして小さい印象が濃厚。繰り返し言うが、お金や技術の問題では決してない。作者の空間に対するビジュアル・センスが、極めて狭いとしか言いようがないのだ。

 エンディングは主人公の息子がひょんな運命のいたずらから「闇」に転んでしまうという衝撃的な幕切れだが、まさに「つづく」とモロに画面に出てきそうな展開。それが全体のチマッとした印象と相まって、どこかテレビの連続ドラマみたいな雰囲気になっちゃっている。これはちょっと「大作映画」としてはマズイんでないの。

 聞けばCMやミュージック・ビデオで知られる人らしいティムール・ベクマンベトフ監督、またしてもそんなキャリアが裏目に出てしまったのだろうか。

みどころ

 ただし、映画としてのあか抜け方は見事だと思うし、サービス精神もなかなか。一生懸命、今の若い観客に喜んでもらえる映画をつくろうとしている意気は買える。しかも興味深いのが、この映画を見ているとロシアの現実が何となく漂ってくるような気がするのだ。善と悪とか際どく拮抗し、下手をすれば悪が世界を席巻しかねない状況。そんな得体の知れない連中が一般社会の中で秘かに暗躍している構図って、ひょっとしたらロシアン・マフィアや一部の新興富裕層が台頭している、何でもアリの闇ナベ状態の現在のロシアの姿を意外にリアルに映し出しているんじゃないだろうか。あるいはチェチェン絡みでテロが続発する現実を映しているのかもしれない。考えすぎかもしれないが、外国人の僕にはそんな深読みが出来る。現在のモスクワのビビッドな姿を見ることが出来るのも魅力的だ。少なくとも、この作品には「映画」が本来持つべき「時代の鮮度」がある。そこは大いに見どころだと思うのだ。

 だからこそ…いくらハリウッド資本が欲しいからとは言え、「ナイト・ウォッチ」三部作最終編を英語映画にするというのはいかがなものかと思う。モスクワの現実感というのを取ったら、この映画って安いハリウッド・ホラーアクションになっちゃうよ。

さいごのひとこと

 ジェット・リーの出ない異種格闘技決定戦。

 

「サウンド・オブ・サンダー」

 A Sound of Thunder

Date:2006 / 04 / 10

みるまえ

 この映画の事は確か一昨年から知っていたような気がする。公開される公開されると聞いていながら延び延び。アメリカでも公開タイミングを逃して、あまり成功しなかったように聞いている。まぁ、見るからに大味なSF大作風の映画だ。だが実はこれがピーター・ハイアムズの新作だと聞けば話はグッと違ってくる。昨日今日映画を見始めたジャリが何を言おうとも、僕らはハイアムズ作品と聞けば見ずにはいられない。何しろこの人、1970年代後半から1980年代には次々とイイ味出してる映画を発表してくれたのだ。「カプリコン1」(1978)、「ハノーバー・ストリート/哀愁の街かど」(1979)、「アウトランド」(1981)などなど、大きく騒がれはしないが、映画好きにはたまらない映画を連発してくれた人。だが、どうも近年は振るわない。ジャン=クロード・ヴァン・ダムに捕まったのが運の尽きか、「タイム・コップ」(1994)は見どころがあったものの、「サドンデス」(1995)あたりから低迷が始まる。シュワちゃん映画「エンド・オブ・デイズ」(1999)もイマイチだった。一番最近の彼の作品は三銃士「外伝」とも言える「ヤング・ブラッド」(2001)か。あれも楽しめたけど、ハイアムズの本調子じゃあないんだよな。そうなると、どうかこのへんでまた調子を取り戻して欲しいところ。頑張ってよ、ホント。

ないよう

 2055年、人類はついにタイム・トラベルを実現。シカゴの「タイム・サファリ」社では、このタイム・トラベルを商業化して評判をとっていた。名付けて「白亜紀恐竜狩りツアー」。旅行社を何人かのスタッフと一緒に白亜紀に送り込み、恐竜狩りの醍醐味を味合わせるわけだ。ただし、これは誰もが楽しめる娯楽ではない。選ばれた超リッチな人間しか行けない。何しろ1人か2人の旅行者に数人のスタッフがガッチリとガード。いずれも医療や科学の専門家ばかりだ。中でもツアー・メンバーを率いるのが、絶滅種生物の権威トラヴィス・ライヤー博士(エドワード・バーンズ)。この道の権威なのにまだ若くてイケメンとあって、時にツアー参加者の女を「お持ち帰り」する事もしばしば。だがライヤー博士のこのツアー協力の目的は、実はお持ち帰り女と高額のギャラ以外にもう一つあった。タイム・マシンの中枢をつかさどるスーパー・コンピュータ「TAMI」を使って研究を進められる事が、何よりライヤー博士にとっては魅力だったのだ。だがそんなライヤー博士も、金持ち客のゴキゲンをとる「営業」にはいささかウンザリ。ああ言えばこう言うほとんど詐欺師に近い言葉の魔術師、「タイム・サファリ」社社長のハットン(ベン・キングズレー)の俗物ぶりにも、そろそろ嫌気が差していた。そんなライヤー博士の漠然とした不安をさらにかき立てるかのように、金持ち客相手の「営業」パーティーに一人の女が乱入してきた。まるで過激派環境保護団体みたいに騒ぎ立ててタイム・トラベル商売を非難するヒステリー気味のこの女、その名をソニア・ランド(キャサリン・マコーマック)という。だが彼女の言い残した言葉「こんな事してたら大変な事になるわよ!」は、いささかライヤー博士の心を刺激した。慌てて「タイム・サファリ」社を叩き出された彼女を追いかけると、何と彼女はあの「TAMI」の開発者だと言うではないか。彼女はあのハットンにダマされて「TAMI」を開発した後、まんまとそれを奪われてしまったと言う。やっぱり胡散臭さは的中だった。それでもライヤー博士は、タイム・トラベル自体は安全だと確信していた。何しろ出発前に厳しいチェックと宣誓がある。過去を変えてはいけない、過去に何も残してはいけない、過去から何も持ってきてはいけない…これらの事を厳守させている。狩りで殺す恐竜も、その一瞬後には自分で沼にハマって死んでしまうもの。おまけに殺す銃弾も氷の弾丸だ。むろん他のスタッフと政府から派遣されている役人も、監視の目を光らせている。事故はあり得ない、絶対に…。ところがその「事故」が起きた。いよいよと言う時に銃が働かなくなり、あわや恐竜に襲われる危険にさらされたのだ。この時は大慌てに慌てたものの、とりあえず全員無事に生還することは出来た。しかし、事故はあり得ない…本当にそうか? 次の旅行時には何とコンピュータ「TAMI」の設定が5分狂って、しかるべき時間に到達出来なかった。一体何が起きたのか? この事件を重大視した政府は「タイム・サファリ」社に営業停止を命じたが、ライヤー博士の心には不安が広がっていた。なぜか昨日より気温が異常に上昇し、湖の魚が大量に浮いたり壁を破ってツタが伸びてくるなど、各地で数々の異変が起き始めていたのだ。これらはタイム・トラベルと関係があるのか…?

みたあと

 映画を見る前は大味なコンセプトのSF大作にしか思えなかったが、実際に見てみると…これ結構面白いではないか。どんなシステムで実現したのかサッパリ分からないが、タイム・トラベルに出かけるプロセスを描いたシーンまでスリリング。ハラハラドキドキしっぱなしで、久々に娯楽映画を見る楽しみを思い出した。さすが職人ピーター・ハイアムズ! 屁理屈はともかく入場料払った分キッチリと楽しませてくれるから嬉しい。僕はこういうハイアムズ作品を待っていた。ヒーローを演じるのは何とかつてはインディペンデント系の監督兼主演作で名を売ったエドワード・バーンズ。「マクマレン兄弟」(1995)、「彼女は最高」(1996)などを撮っていた頃の彼を考えるとビックリ。さすがに近年は「プライベート・ライアン」(1998)や「15ミニッツ」(2001)などハリウッド映画で俳優業に徹する仕事も見せてはいたが、まさか真っ正面からSF娯楽大作の主役を張るとは思わなんだ。だが、これが意外とピッタリ。元々どこか知的でタフそう、おまけに二枚目とくる。正直言って「ザ・コア」(2003)のアーロン・エッカートよりはヒーローとしての科学者役がサマになってた。ヒロインのキャサリン・マコーマックは「スパイ・ゲーム」(2001)とか「テイラー・オブ・パナマ」(2001)にも出てたが、キャサリン・キーナーと並んで手堅いけど地味な女優の最右翼。で、こういう映画はこのクラスの女優で手堅くやってくれた方がいい。で、今回の映画の悪役と言えるのが、名優ベン・キングズレー。「スピーシーズ/種の起源」(1995)や「サスペクト・ゼロ」(2004)などこの手の役柄がお得意になってきた。

みどころ

 ネタとしては「プライマー」(2004)とか「バタフライ・エフェクト」(2004)みたいなタイム・パラドックスものだが、それらの小品とは違ってこちらはあくまで派手に惜しみなくやってくれる。映画前半のタイム・トラベル場面から手に汗にぎらせるが、後半の歴史が変わって生物の進化が暴走するくだりになると、ハイアムズ節はさらに絶好調。「ジュラシック・パーク」(1993)も真っ青。アクション、サスペンス、スペクタクルの連打で息次ぐヒマもない。相変わらずエンターテイナーぶりを目一杯発揮だよハイアムズ。サービス精神が旺盛すぎて…どこかゴージャスなSF大作というより、B級的な面白さの方が勝ってしまうのもこの人ならではのご愛敬。レイ・ブラッドベリ原作というハクも有り難みもほとんど感じられない。タイトルからして思い切り安い。何しろ「2010年」(1984)までどこか「B」っぽくて人なつっこかったからねぇ(笑)。この人はどう無理したって、お高くとまった映画はつくれないのだ。だから未来のシカゴを主人公がほっつき歩いてる場面なども、ちゃんとCG使ってるのに昔の「合成特撮場面」みたいなギコチなさ(笑)。僕はハッキリ「B」の臭いがする映画として見ていたので、タイム・パラドックス上のいろいろな矛盾とか歴史が書き換えられた事によってシカゴの街自体が存在出来ないんじゃないか?…というような問題点には完全に目をつぶることにした(笑)。さらに「北京でチョウを捕らえるとニューヨークが〜」云々というカオス理論を地でいくお話のオチが、本当にチョウ一匹だったのもバカバカしくて笑える。あと、ヒヒと恐竜の合体とかコウモリのデカイのとか、ウナギの凶暴になったのとか…次々出てくる「新種」のツラ構えも楽しい。僕は最近よく本屋で見かける、「人類絶滅後の生き物図鑑」みたいな本が大好きなので、ウハウハして喜んでしまった。ちなみに最後の「時間の波」の後にちょこっと出てくる生き物は、進化を遂げた新たな霊長類としてのマコーマック嬢のなれの果てということか? 確かにメス(笑)に見えたのがご愛敬だったが。

こうすれば

 残念だったのは、この事態に世界中はどうなったのか、アメリカのライフラインや政府やらはどうなったのか …という様子が全く描かれなかったこと。これほどの大作の構えなのにそのあたりが全く欠落しているあたりが、さすが「B級テイストの男」ハイアムズ(笑)。それと、結果的にこれほどの事態を引き起こした当事者の割には、エドワード・バーンズ演じる主人公に悪びれたところが見られないところか。もっともこれも「B級アクション映画の主役」と考えれば、むしろ反省なんかしない方が当たり前か(笑)。ところでこの映画はチェコでロケしたらしいしチェコの資本も入ってるらしいが、何でチェコなのだろう?

さいごのひとこと

 タイムトラベルも「規制緩和」でこのザマ。

 

「イーオン・フラックス」

 Aeon Flux

Date:2006 / 04 / 03

みるまえ

 「モンスター」(2003)でオスカーをとって以来、「スタンドアップ」(2005)とか「演技派」づいちゃってるイメージが強いシャーリーズ・セロン。ただねぇ、僕は正直言って最近のセロンってどうかって思っちゃうんだよね。何だか「スタンドアップ」あたりは、昔の演技派づいた頃のサリー・フィールド主演映画みたいで見る気が失せた。はいはい、ご立派…としか言いようがないのだ。リッパすぎちゃって敷居が高い。実際のところ、キレイな女優さんがキレイな顔を汚く振り乱して大熱演…っていうのって、本当に素晴らしい事なんだろうか? それって別にシャーリーズ・セロンでなくてもいいんじゃないの? そう思っちゃうと、何となくシラケた気分にならざるを得ない。

 そんなところに、この「イーオン・フラックス」だ。

 未来SFのヒロインでカッコいい。自由の闘志で、大胆ファッションに大開脚。この大開脚がポイントだ(笑)。う〜ん、最近のセロン映画じゃ一、二を争うバカ映画になってそう。この場合バカ映画ってのは必ずしも悪い意味じゃない。そもそもあまりに敷居が高くなりがちな昨今のセロンだったら、このバカさ加減が必要なんじゃないだろうか? 何よりあの大開脚。たぶん大胆ファッションで脱ぎまくってくれるのではないか? バカ映画と分かっていても…いや、バカ映画だからこそ見たくなるではないか。

ないよう

 2011年、突如蔓延したウイルスによって人類の大半が死滅。科学者トレバー・グッドチャイルドが開発したワクチンでかろうじて人類滅亡は免れたものの、生き残った500万人の人類は汚染された外界から壁で遮断された、広大な未来都市「ブレーニャ」に暮らすようになった。その「ブレーニャ」の支配者は、科学者グッドチャイルドの子孫だ。こうして「ブレーニャ」の住人たちは満ち足りた暮らしをしているはずだったが、その秩序の裏側に、胡散臭いものを嗅ぎ取っている者もいた。また住人たちの中で突如忽然と姿を消す者もいたが、その事実は闇から闇へと葬られていった。当然、そんな現政府に不満を持つ人々も現れ、反政府組織をつくって抵抗を開始。それらの人々は「モニカン」と呼ばれた。この物語のヒロイン、クールで鮮やかな身のこなしの黒髪の女イーオン・フラックス(シャーリーズ・セロン)もそんな「モニカン」の闘士の一人だ。

 今日も今日とてイーオンは街角で出会った男と激しいディープ・キス。ただし、キスが終わると男は何もなかったかのように去って行った。実は男は反政府組織の通信員。先ほどのディープ・キスで、イーオンにある「モノ」を口移しに渡したわけだ。それは体内に入るや神経系統を辿って脳にまで達する。それは脳神経を使った、一種の「通信装置」になっていたのだ。たちまちイーオンは反政府組織の精神的バーチャル世界に現れる。そこには組織の司令塔ハンドラー(フランシス・マクドーマンド)がいて、イーオンに早速指令を出した。

 「支配者トレバー議長を暗殺せよ!」

 組織の努力によって警備システムの一部解除ができるようになった今こそ、例のグッドチャイルドの子孫である独裁者を取り除く時。独裁者さえいなくなれば、独裁体制も崩壊するはずだ。折しも平凡な小市民であった妹ユーナ(アメリア・ワーナー)が警察から「モニカン」の疑いを掛けられ殺された事もあり、イーオンは妹の復讐に燃える。かくしてイーオンは長年の相棒である黒人女性シサンドラ(ソフィー・オコネドー)と共に、議長たちが籠もっている一連の行政区に忍び込んだ。命がいくつあっても足りないような厳重なセキュリティ・システムをかいくぐり、政府の建物に侵入するイーオン。ちょうど一人で演説の収録を行っていたトレバー議長(マートン・ソーカス)に忍び寄って、必殺必中の絶好のチャンスを得たイーオンだったが…。銃を構えてトレバー議長に近づいていったイーオンは、彼にこう声をかけられて動転する。

 「キャサリン!」

 突然、イーオンの脳裏を走馬燈のように駆け抜ける見覚えのある記憶。暗殺の絶好の機会にも関わらず、なぜか銃の引き金を引けないイーオン。どうもトレバーはイーオンに見覚えがあるようだ。イーオンも何やら不思議な感情がわき上がってくる。そして「キャサリン」という名前は一体…?

みたあと

 元々はこれってMTVで放送されたアニメ・シリーズらしい。なるほどセロンはぴくりとも表情を変えず、ただ黙々とアクロバティックなアクションを繰り出し続ける。何だか人間味が全然なくてロボットみたいだ。そこで描かれるのは、世界滅亡後の社会、管理社会、周辺の汚染地域と隔てられた未来都市、様々な秘密兵器、クローン技術などなど…と、未来SFにお約束のアイテム揃い。逆に言うと、こんなに定石通りの未来SFって、最近じゃ「リベリオン」(2002)ぐらいしかない久しぶりのモノではないだろうか。

!!!映画を見てから読んで!!!

こうすれば

 ただ、ハッキリ言ってヒロインが人間味が乏しくロボットのような「自由の戦士」なので、応援しようにもとっかかりがない。感情移入すら出来ない。これはちょっとこの手の映画としてはキツイんじゃないだろうか。お話自体も前述のごとく定石そのもので、ハッキリ言って意外性ゼロ。またワクチンの副作用で人類が妊娠しなくなっていること、そのためクローンで人類を維持していること、イーオンの「前世」はトレバー議長の妻であること、ところが必死の研究の甲斐あってまた人類が妊娠できるようになったこと…という物語の重要な要素が、すべてトレバー議長の台詞として語られるのみというのもキツイ。しかも反政府組織の司令塔(なぜこんな役にフランシス・マクドーマンド!?)は敵とグルだったのか、その後どうなったのか…も分からずじまい。映画としてはどうにも面白味やうまみに欠けているのだ。SFとしてのイメージもなぜか貧弱で、未来都市にまったくスケール感を感じない。既存の建物などを利用して撮った、大学生による自主製作映画みたいな雰囲気だから悲しい。な〜んとなく安いムードが全編に漂っているのである。実際、制作費もセロンのギャラ以外は激安ではないか? それはともかくとして、期待していたセロンの肢体大露出は大した事がない。これは拍子抜けした。もっともっとバンバン脱いでほしい(笑)。

みどころ

 ただしボケ〜ッと見ているぶんにはシャーリーズ・セロンはキレイでカッコイイ。傍観者として見ているぶんにはいいのだ。部屋で着るエロっぽい露出度満点の寝間着など、どう考えても実用性ゼロで意味がない。こんな無意味でエロい衣装を、何の必然性もなくオスカー女優セロンが着るというのが素晴らしい(笑)。これがもっとあれば良かったのに。セロンの開脚以外何の中身もない映画というのも、考えようによってはスゴイかも。ホントにこれほど中身がカラッポな映画も珍しいのだ。そこになぜか桜の花びらが散ったり部屋のインテリアが和風だったりと、無意味なジャパネスクが出てくる。これって日系女性監督カリン・クサマ監督だからジャパネスクになったのだろうか? どこまでいってもカラッポかつ無意味。

さいごのひとこと

 安い未来。

 

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