新作映画1000本ノック 2006年1月

Knocking on Movie Heven's Door


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「ロード・オブ・ウォー/史上最強の武器商人と呼ばれた男」 「ファイナル・カット」

 

「ロード・オブ・ウォー/史上最強の武器商人と呼ばれた男」

 Lord of War

Date:2006 / 01 / 23

みるまえ

 ニコラス・ケイジが「死の商人」を演じるブラック・コメディ…事前に知っていたのは、たったそれだけ。だから別にすごく見たい訳じゃなかった。そこそこ面白そうな気もするが、この手のお話だと結論の持っていきどころは知れている。ビックリする意外性の要素は少なそうだし、大化けするとも思えない。時間とスケジュールの都合でとりあえず見ておくかという感じ。

ないよう

 幼い頃に故国ウクライナから家族ぐるみでアメリカに移住してきたユーリー・オルロフ(ニコラス・ケイジ)は、ニューヨークの下町で家族のサエないレストラン稼業を手伝っていた。ところが向かいのレストランを偵察に行った時、そこでたまたまロシアン・マフィア同士の「出入り」を目撃。レストランが食事を提供するかのように、人に武器を提供する仕事があっていい…と、自らの「天職」に気づいてしまう。早速ユダヤ系ロシア人のツテを使って仕入れたイスラエル製マシンガンをチンピラに売り飛ばす事に成功。自らの中に眠っていた「商才」を知ったオルロフは、たちまち本格的に武器売買の世界にのめり込んでしまう。もちろんこの商売、本当に儲かるのは「国」を相手にした商いだ。オルロフは弟ヴィタリー(ジャレッド・レト)を相棒に、世界各地のヤバい地域を股に掛ける。またその商いは合法・非合法スレスレにならざるを得ないから、当然危ない橋も渡る。ある時など貨物船に武器を搭載して航行中、何者かが高速艇で追いかけて来るではないか。大抵の人間は買収が可能だが、世の中にはマレにそうはいかないタイプの人間もいる。この人物…インターポールの刑事バレンタイン(イーサン・ホーク)がまさにそれだ。何とかギリギリセーフでバレンタインの追及を逃れるオルロフだが、以来バレンタインはまるでオルロフを親の敵のように追い始める。タフな商売に神経がついていけなくなった弟ヴィタリーは麻薬にのめり込んでしまい、ひとりぼっちになったオルロフはついに長年の夢を叶えようとする。実は、彼は下町時代のマドンナ=エヴァ(ブリジット・モイナハン)を心秘かに愛していたのだ。そんなエヴァも、今では世界中に顔の売れた超人気モデル。そこで自らを大富豪の青年実業家に見せかけて、彼女との出逢いをセッティングだ。狙いは見事に当たってオルロフは彼女のハートを射止める。だが彼女に言い寄る際にちょいと背伸びしたために、今度は何かとカネに苦しむハメになるオルロフ。そんな彼を救ったのは、ソ連邦の崩壊のニュースだった。彼はアッという間に故国ウクライナへと飛んで、自らの叔父である旧ソ連軍の将軍と共謀。軍の備蓄武器を次々と海外に放出するのだった。こうしてギョーカイでは向かうところ敵なしのオルロフだったが…。

みたあと

 この映画を見る直前、パンフレットを買ってパラパラ見ていたら…何とこの作品、「ガタカ」(1997)でおなじみアンドリュー・ニコルの久々の監督作品ではないか! いや〜全然期待してなかったら、実はいきなり注目作品を引いていた。これは当然期待がかかるところだ。そして実際の作品は…。

 やってる事はひどくアンモラルなのに、やってる本人は至って「悪人」ではない。こんな絶妙な役を、「フェイス/オフ」(1997)や「スネークアイズ」(1998)あたりでも善悪スレスレ感満点だったニコラス・ケイジが終始楽しげに演じている。「ナショナル・トレジャー」(2004)に次いでの主演作がコレというのも笑わせる。彼が歩む道のりが、そっくりそのままここ何十年かの世界の紛争史になってしまう…というのも何とも皮肉だ。絶頂期に向かってひた走る主人公を描く中盤までは映画は実に快調。「死の商人」の立身出世が痛快に見えてくるのがミソ。グロテスクな国際政治の裏面史を笑い飛ばして、かなり楽しめる。

!!!映画を見てから読んで!!!

こうすれば

  ただ、題材が題材だけに…終盤まで笑い飛ばし続けて「スゴイ」と思わされるほど意外な展開には、何をどうしたってなり得ない。背景がここ何十年かの実際の戦争である事も含めて、どうしてもある種のマジメさから逃れ得ないからだろうか。ブラックでコミカルな状況を描いたシリアス・ドラマなのか、シリアスな状況を描いたブラック・コメディなのか、その境界線が極めて不明瞭だからか。それはこうした題材を手がける段階でもはや逃れられないものだったのかもしれない。なぜなら…最終的には最大の「死の商人」はアメリカ大統領であり、国連安保理の「常任理事国」5つなんだ…というブラックな皮肉を突きつけられはしても、もはやそれは僕らにとって悲しいかな「周知の事実」でしかないからだ。

 「ガタカ」ではDNA、「シモーヌ」(2003)ではCG美女…と常に新鮮でアップトゥデートな題材を話の中心に持って来るニコル監督だが、その結論はむしろいつも極めてオーソドックス。だから今回の映画が「順当な結論」に落ち着くのも当然と言えば当然。だが、今回の作品は題材が題材でショッキングさが格段に違うモノなだけに、結論が最初から「こうなるしかない」ところが「映画的」には少々残念なところではある。でも、まぁそれは仕方ないのかもしれない。「この主人公の悪事なんざ、実は大した事はない」…ってのは、本当はこれはこれで大変な結論だ。それなのに僕らはもうそれを日常で薄々感じているし、「そんなもんだ」とシラケているからだ。映画のせいではないんだろう。

みどころ

 アクション映画に「死の商人」は数限りなく登場するものの、それを主人公に据えた作品なんて皆無ではないか? 特に「死の商人」がどうやって「死の商人」になっていくか?…なんて見た事がなかったので、映画の前半は興味津々だった。

さいごのひとこと

 ボチボチでんな。

 

「ファイナル・カット」

 The Final Cut

Date:2006 / 01 / 16

みるまえ

 近未来、人間の記憶をチップに記録できるようになって、その記憶を故人や遺族にとって都合良くいじくるのを商売とする男のお話。映画を上映している映画館の佇まいもヒッソリとしたもので、宣伝もほとんどされていない。間違いなく速攻ビデオ発売必至の作品だが、こういう映画にどうしようもなく食指が動いてしまうのが僕という人間のサガ。「プライドと偏見」より「プルーフ・オブ・マイ・ライフ」より、こういう映画の方が見たい…そこが僕のどうしようもない病気だ。SFとまで言わないけれど、どこかSF風味のサスペンスってとこがソソる。やっぱり昨年ヒッソリと小さな映画館で上映された、「コントロール」や「エコーズ」に相通じるものがある。この手の映画は大抵はクズなんだけど、時にはとんでもない拾いモノに出会うこともある。もちろんクズでも僕はキライになれないのだ。主演がロビン・ウィリアムズにミラ・ソルヴィーノという、今では旬を過ぎて峠を越えちゃった観のある役者たちというのも何となく気になる(笑)。

ないよう

 空き地の廃墟で、二人の少年が遊んでいる。片方は両親の用事でたまたま今日この街にやって来たアラン。もう一人は地元に済む黒ぶちメガネの少年ルイスだ。だが廃墟の中で遊んでいるうちに、ルイスが足を滑らせて高い所から転落。結果的に彼をそそのかしたあげく見殺しにしたカタチになったアランは、頭から血を流して倒れている彼を見捨てて逃げ去った…。

 それから幾年月。初老となったアラン(ロビン・ウィリアムズ)はその時の苦い記憶からか、感情をすべて押し殺したような態度でたった一人で暮らしていた。そんな彼の仕事は「カッター(編集者)」。これは「ゾーイ・チップ」という画期的な発明品が誕生したことで生まれた仕事だ。「ゾーイ・チップ」とは人間の記憶をすべて記録する媒体。生まれる前の胎児の脳にこれを埋め込めば、その人物の一生がすべて記録される。死後にチップを取り出して記憶を手頃な時間・内容に再編集、故人を偲ぶ「追悼上映会」を行うのが、セレブや金持ちの新しいしきたりとなっていたのだ。その膨大な内容の故人の生涯の記憶を適当な時間にまとめると共に、ついでに記憶の中から不適当な内容のモノを削除するのが、「カッター」と呼ばれる人物の仕事。その中には忌まわしく汚らわしい記憶も少なくなかったが、それらに動じたり自らの感情に左右もされたりせずに記憶を削除・再編集できる男…冷静そのものの「プロ」がこのアランだった。その冷静ぶりは、同業者さえ一目置かざるを得ないほど。今日も今日とてアランの元には、同業の仲間が手放した仕事が持ち込まれる。実力者の弁護士だが人間としては「クズ」のバニスターという男の記憶を編集して欲しいと、未亡人からのたっての希望があったというのだ。もっとも人の記憶を何でもかんでも記憶する上に、後で都合良く編集するという「ゾーイ・チップ」の在り方には批判も多い。反対運動はますますエスカレートし、中には顔に派手なタトゥーを彫っている物騒な連中もいた。何でもタトゥーにはチップを記録出来ないようにする働きがあるらしいのだが…。ところで孤独なアランではあるが、実は彼にも思いを寄せている女性がいた。古本屋を営むディライラ(ミラ・ソルヴィーノ)という女性がそれだ。だが彼女と心を通わせながらも今一歩踏み出せないアランは、つかず離れずの関係を続けるばかりだ。一方アランがバニスターのチップを見始めると、すぐに未亡人の意図するところが分かった。バニスターは自分の幼い娘に、人には言えない汚らわしい行為を行っていたのだ。未亡人はこの事実を消したがっていたのに違いない。しかもアランの前にかつて「カッター」として一緒に働いたフレッチャーなる男(ジム・カヴィーゼル)も現れる。彼はアランに、バニスターの記憶を大金で売ってくれと持ちかけるではないか。どうやらフレッチャーは「カッター」稼業から足を洗って、今や反対運動に身を投じているようだ。さらにアランは、バニスターの記憶の中に思いもかけぬ人物を発見する。黒ぶちのメガネに見覚えのある仕草…昔、アランが死なせたと思っていた少年ルイスの成長した姿とおぼしき人物が、バニスターの記憶の中に現れたのだ。大いに動揺したアランは、いつの間にか「カッター」の領域を踏み越え始めるが…。

!!!映画を見てから読んで!!!

みたあと

 途中まではワクワクして見始めたこの作品、過去の記憶を編集する仕事…ってのは着想として面白いが、すぐにその仕事そのものにリアリティがないのに気づく。そもそも何十年にもわたる人間の記憶を、誰かが要領よく編集など出来るわけないのだ(笑)。それを言っちゃオシマイで、そこをウソと知りつつ楽しむのがこの手の映画のお約束…と言いたいところだが、根本的にそれが一番大事なところだから気になり出すとシラケてしまう。ハッキリ言ってこの映画を見始めてからかなり早い段階で、「こりゃうまくいってないな」と分かってしまうのがツラい。これが初脚本にして初監督(何でこんな大役を初めての人間に任せたのだろう?)の珍しやヨルダン出身のレバノン人=オマール・ナイールなる男には、いささか荷が重すぎる素材ではなかったか。

こうすれば

 気になり出すと、穴がアレコレ目に付きだして止まらない。子供の頃のトラウマが原因で心を閉ざしているらしい主人公…彼が「カッター」の仕事に就いているのもその記憶のせいのようだが、そのあたりの事情が分かるようで分からない。他人の罪をチャラにする事で自分も許されたいということか? こいつが冷静な「プロ」の割には人の記憶映像を自分の女に見せたり、わざわざ他人に見えるところで作業していたりとやってる事がズサン。あげく女にチップを破壊されてしまうヘマをやらかすが、これって遺族に「すみませんでした」と言って済む事ではないだろう。このへんの個人情報やらセキュリティーの問題はどうなっているのか? 主人公は自分にもチップが埋め込まれていると気づいて、チップの機能が働かなくなるようにタトゥーを彫りに行くが、これも効果があったんだかなかったんだか。おまけに主人公が自分の脳に埋め込まれたチップから記憶を取りだそうという無謀な事を行う際にも、作業時間が限られているにも関わらず全然関係ない自分の過去の記憶にうっとり見入ってしまうというアホさ加減。素人じゃないんだから、そんな事やってる場合じゃないだろう。ジム・カヴィーゼルもチップ反対運動を進めたいのか、バニスターという死んだ男の過去の罪状を明るみにしたいのかハッキリしない。直接カヴィーゼルが手を下した訳ではないものの、結果的に主人公を死なせた上にそのチップを取り出し、「オマエの死は無駄にはしない」などともっともらしい事を言われても困ってしまう。そもそもお話が主人公の過去のトラウマ解決か真相究明なのか、あるいはバニスターなる故人の旧悪暴露なのか、それとも人の記憶を改竄する事の善し悪しを告発するのか…そのどっちにもいかない中途半端な展開なのが何ともマズイのだ。かつては同じような善人役一辺倒で飽きられ、ヤバイと思ったか悪役に転じたらこれまた同じような悪役ばかり…すっかり鮮度を失ったロビン・ウィリアムズが今回も精彩を欠いている。ミラ・ソルヴィーノの役も、あってもなくてもいいようなものだ。それとジム・カヴィーゼルのわざとらしい付けヒゲ(笑)。コントやお笑いじゃないんだから…あれって何とかならなかったのか?

みどころ

 劇中、チップの欠陥のせいか、幻覚と現実がゴッチャになった映像が登場。後で何か意味を持つのかと思ったらそれきりだったのは残念。それも含めて、「人間はみな頭の中で自分に都合良く記憶を改竄している」というようなテーマに持って行けたら面白い映画になっただろう。

さいごのひとこと

 作者の頭の中では面白い映画だったんだろうね。

 

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