「サラバンド」

  Saraband

 (2006/11/13)


  

見る前の予想

 スウェーデンの生んだ世界的巨匠イングマール・ベルイマンって、とっくの昔に映画監督から引退していたはずだった。まさか新作が見られるなんて、万に一つも考えていなかった。しかも、それが僕にとって思い出深い「ある結婚の風景」(1974)の続編と来たら、これはもう見るしかない。

 

あらすじ

 一人の初老の女が、テーブルの上に敷き詰められた写真の山を見ながら語り始める。女の名はマリアン(リブ・ウルマン)。彼女は30年前に離婚した元の夫ヨハン(エルランド・ヨセフソン)のこと、二人の娘のこと…。この20年ほどはまったく音信不通の元夫ヨハンは、今では田舎の別荘に籠もったまま。そんな彼に、マリアンは久々に会ってみたいと思っていた。

 思い立ったが即、実行。マリアンはヨハンの住む別荘にいきなり押し掛けることにした。静かな昼下がり、ヒッソリとした別荘にやって来るマリアン。扉は開いていたので、こっそり中に入ってみる。大時計が時を告げる音に驚かされたりしながらも、あくまで人けがなく静まりかえった屋内。帰るなら今だと思っていても、ヨハンの顔を見てみない事には帰れない気がするマリアン。老いたヨハンは、ベランダで居眠りをしていた。そんなヨハンにそっと口づけをするマリアン。これにはヨハンもビックリして目を覚ました。

 まなじっか学があるので、何かと屁理屈が多いヨハン。だが、突然のマリアンの訪問をイヤがってはいないようだ。二人は昔のように、手をつなぎながら美しい景色を見つめる。そんなこんなしているうちに、ヨハンは一方的にマリアンの長期滞在を決めてかかっていた。それに若干の当惑と後悔を感じながら、今さら拒めないとも思うマリアン…。

 そんなある日、たまたまマリアンが一人で別荘にいる時に、飛び込んできた若い娘が一人。彼女の名はカーリン(ユーリア・ダフヴェニウス)。ヨハンがマリアンとの離婚後にもうけた息子ヘンリックの一人娘だ。

 実はこのヘンリックは近所に住んでいたが、父親のヨハンとは絶縁状態。ごく最近、妻のアンナを亡くしてからは、まるで世捨て人のように娘カーリンと家に引き籠もっていた。今ではチェロ奏者を志すカーリンの指導だけが生き甲斐という状態。そしてこの日のカーリンの突然の訪問は、この父ヘンリックによる「チェロ指導」が原因だった。

 ヘンリックは娘カーリンへの指導の熱心さが勢い余って、彼女の希望も何もお構いなしに勝手に難しい曲を課題にしてみたり、彼女の進路を決めてかかったりしていた。それもこれもヘンリックの溺愛の余りなのだが、それが高じて高圧的で独善的な態度で彼女に接する始末。そんなこんなでついに我慢も限界に来たカーリンが、激怒して家を飛び出してきたというわけだ。

 マリアンの前でキレまくるカーリン。だが彼女に洗いざらいブチまける事で、ようやく落ち着きを取り戻した。やっぱり父親を愛しているし、父親がいないと何も出来ない…と家に戻るカーリン。

 そんなカーリンに、父ヘンリック(ボリエ・アールステット)は必死に許しを請う。こうして二人は今までの暮らしを続けたが、その父娘関係はどう見てもどこか歪んだものだった。

 だが歪んでいるという事にかけては、ヨハンとヘンリックの父子関係もいい勝負。ある日、ヨハンの別荘にやって来たヘンリックに、ヨハンは恐ろしく冷淡な態度で接した。愛娘のためのチェロの名器を買いたいと借金を頼みに来たヘンリックだが、これにはさすがに怒りを禁じ得ない。だがヨハンはヨハンで、昔ヘンリックに「父とは思っていない」とコキ下ろされた事を忘れられずにいたのだ。ハッキリ言って目クソ鼻クソの二人だが、その憎しみは揺らぎようもなかった。

 そして、そんな緊張感漂う人間関係は、間もなく新たな局面を迎えようとしていた…。

 

イングマール・ベルイマンの極私的思い出

 スウェーデン映画の代名詞と言ってもいい巨匠イングマール・ベルイマンについて、僕は偉そうに語れるほど何かを知っているわけではない。

 見ている作品も数えるほどしかない。何しろ「映画監督」としてはとっくの昔に引退したはずの人だ。僕はそのベルイマンの最後の頃の作品を何本か見ただけだ。

 だが、もちろんその名前はずっと昔から知っていた。むろん、難しそうで高尚なイメージの作品をつくる大監督として。次には「エクソシスト」(1973)などで気になるクセモノぶりを発揮していた名優、マックス・フォン・シドーを育てた人として。むろんその当時の僕には、「恐怖の報酬」リメイク版(1977)をつくったりジャンヌ・モローを妻にしたりしていた「ヨーロッパ映画通」のウィリアム・フリードキンが、シドーの起用によって「エクソシスト」にベルイマン映画流の「神の不在」のイメージを引用したがっていたとまでは分かっていなかった。それでもシドーとベルイマンがかつては三船敏郎と黒澤明みたいな関係だったという事は、何となく耳に入っていたのだ。

 そう言えば…その当時のハリウッドでは、もう一人のベルイマン映画の秘蔵っ子であるリブ・ウルマンも大モテだった。「エーゲ海の旅情」(1973)や「失われた地平線」(1973)などでいきなり大スターみたいに登場。当時のアメリカの国務長官ヘンリー・キッシンジャーとのゴシップも乱れ飛んだりしていたが、僕はなぜこの若くもない外国人女優がハリウッドでモテはやされているのか分からなかった。

 ただ何となく分かったのは、こんな地味な印象の役者たちをハリウッドにスター扱いさせてしまう「ベルイマン」ってスゴイってことだけだった。まぁ、当時中学生から高校生…なりたて映画ファンとしては無理もないところだろう。

 さらにアニー・ホール(1977)で大好きになったウディ・アレンが、次にやたら深刻な映画をつくったのに驚かされた。その映画「インテリア」(1978)は、ベルイマンの影響がかなり大きいらしい。スゴイんだなベルイマンって。当時の僕にとっては、ハリウッドでモテはやされるモノは何でも「スゴイ」モノだったのだ。単純だねぇ。

 実際のところ、ハリウッドでの外国映画と言えば黒澤明に代表される日本映画、フェデリコ・フェリーニに代表されるイタリア映画、フランソワ・トリュフォーに代表されるフランス映画、そしてイングマール・ベルイマンに代表されるスウェーデン映画…と相場が決まっていた。これにせいぜい…アンジェイ・ワイダのポーランド映画やサタジット・レイのインド映画、さらにはルキノ・ヴィスコンティやミケランジェロ・アントニオーニ、クロード・ルルーシュを加えればハリウッドにとっての「世界映画」はすべてを網羅した事になる。まぁ、そんな時代だったわけだ。元々アメリカ人は自国の映画以外は見向きもしなかったから、当然と言えば当然。当時のハリウッドには、韓国映画も中国映画も香港映画も台湾映画も、ましてオーストラリア映画なんてモノも存在していなかった。

 逆に言えば、そんな時代にハリウッドで高く評価されていたベルイマンは、まさに「別格」の存在だったのだ。その影響たるや、黒澤やフェリーニと同じくらい絶大なものだった。

 そのハリウッドにおける影響力の大きさについては後に触れるとして…そんな僕が最初にベルイマン作品に接したのが、実は今回の「サラバンド」の前の作品というか「エピソード1」にあたる「ある結婚の風景」だ。

 ただしその「ある結婚の風景」を最初に見たのは、劇場でではなかった。あれはいつの事かハッキリしないが、確か1970年代後半にテレビのミニシリーズとして、テレビ朝日系で深夜に放映されたのだ。それも、1話1時間弱の番組を全6夜に分けて放映するという形式だったはず。映画と言えばタワーリング・インフェルノ(1974)にとどめを差す…なんて調子だったはずの当時の僕が、なぜこのシリーズを見ようと思ったか今となっては分からない。ただ、テレビだしタダだし…ウワサのベルイマンを見ておいてもソンはないか…ぐらいの軽い気持ちで見たに違いない。ウワサ通り難解でつまらなかったら、スイッチを消せば済むではないか。

 ところがこのドラマ、予想外に面白かったから驚いた

 むろん「タワーリング・インフェルノ」とは大違いなのは当たり前。それでも僕には面白く感じられた。ほとんど妻リブ・ウルマンと夫エルランド・ヨセフソンの二人が面と向かってアレコレとしゃべるだけの作品なのだが、にも関わらず「面白かった」という印象だけは今でも覚えている。だって、僕は結局6話全部欠かさず見てしまったのだから。

 その「面白かった」という記憶が呼び水になって、大学に入ってから1981年にこのテレビ・シリーズの短縮劇場公開版が上映されると、岩波ホールに飛んでいったほど。そしてヴィスコンティもワイダも、ベルイマンを通過した後で見に行った。結果的に僕のミニシアター・デビュー映画ともなったのが、この「ある結婚の風景」なのだ。

 このように僕の脳裏に強烈な印象を焼き付けた「ある結婚の風景」だが、むろんこの作品のインパクトはそんな程度にはとどまらない。実はハリウッドが最も影響を受けたであろうベルイマン映画が、この「ある結婚の風景」だと思われるのだ。一時期アメリカ映画に氾濫した、一連の「家庭崩壊劇」の数々がそれだ。

 それはポール・マザースキー監督の出世作となった「結婚しない女」(1978)あたりからロバート・ベントン監督の「クレイマー、クレイマー」(1979)、さらにはロバート・レッドフォード監督のオスカー受賞作「普通の人々」(1980)もその影響下に入れるべきだろう。突然、夫が女をつくった、女房が家を出ていった、家庭が崩壊した…的なお話が次から次へとハリウッドでつくられた、その直接のキッカケは間違いなくこの「ある結婚の風景」にあるはずだ。

 ついでに極論すると…スタンリー・キューブリックの「シャイニング」(1980)も、スティーブン・キングのホラーをつくってみたというよりは、この「家庭崩壊劇」の時流に乗ってみたと見るのが順当ではないか。狂気にかられたジャック・ニコルソンが「仕事ばかりで遊びがない」と同じ文言を繰り返しタイプするくだりには、現代人にとっての「家庭や結婚制度の破綻」が伺えるはずだ。だとすれば、「シャイニング」すら「ある結婚の風景」の影響下の作品という事になる。このように見ていただければ、この作品の当時のインパクトの大きさがご理解いただけるはずだ。

 また余談ではあるが…ロバート・ベントンの「クレイマー、クレイマー」に限って言えば、「ある結婚の風景」的題材に加えてフランソワ・トリュフォーの「野性の少年」(1969)が大きなモチーフとして使われていることは間違いない。ベントンがトリュフォーの信奉者であること、「クレイマー〜」にトリュフォー映画の撮影監督ネストール・アルメンドロスが起用されていること、子供のしつけが大きなテーマであること…からもそれは明らかだ。もう一つダメ押し的に付け加えれば、同じネストール・アルメンドロスが起用されたアメリカ映画「青い珊瑚礁」(1980)が「野性の少年少女」のお話であることを考えても、アメリカの映画人の発想の傾向が伺えるではないか。

 閑話休題。ともかくそんな「意外に面白い」ベルイマン映画から入った僕は、どんどん岩波ホールで上映されたベルイマン作品を見ていくことになる。「鏡の中の女」(1976)、「秋のソナタ」(1978)…いずれもいわゆる「ディスカッション・ドラマ」みたいな対話映画に近い作品なのに、僕は全く退屈を覚えなかった。

 なぜそうだったのかと問われると答えに窮するが、あえて答えるなら…そこで描かれる登場人物たちの心の動きが手に取るように分かるから…ではないだろうか。

 妻が何か言うと、その言葉が夫に何らかの反応をもたらす。そんな夫の反応が、次に妻の反応を導き出す…こんな事を言うのはベルイマン映画の見方として適当ではないのかもしれないが、これらのベルイマン映画には人間感情の「化学反応」のようなモノがビビッドに描かれていた。それら一つひとつにリアリティがあった。そんな感情表現の見事さが、僕にベルイマン映画を「面白い」と感じさせていた部分ではないだろうか。

 ある意味で、僕が初期ベルイマン映画ではなく「ある結婚の風景」から入ったことは、僕にとって幸運な偶然だったかもしれない。解説書などのレビューやストーリー紹介だけを読んでみても、「神の不在」やら「人間存在の不条理さ」やらをシビアに見つめている…という触れ込みのベルイマン作品を、僕はスンナリ最初からは受け入れられなかったような気がする。後年にテレビで「処女の泉」(1959)などを見る機会があったものの、それらはあくまで「知識」として見たに過ぎないし、退屈こそしなかったが別に特別の感銘も受けはしなかった。僕にとってのベルイマンは、あくまで「ある結婚の風景」以降のベルイマンという事になるのだろう。

 そんなベルイマンの「最後の作品」という触れ込みで公開されたのが、ベルイマン自身の少年時代を反映させたと言われる作品「ファニーとアレクサンデル」(1982)だ。これも「ある結婚の風景」同様にテレビ・ミニシリーズと劇場再編集版の両方がつくられたが、岩波ホールが上映したのは5時間以上のテレビ版。全長版を見せてもらえたのが幸いと言うべきか、あるいは「劇場版」をちゃんとつくっていた作者の意図を無視した過剰サービスと見なすべきか…このへんは判断に苦しむところだが、ともかくコッテリ感の漂う分厚い作品ではあった。

 で、映画監督としては引退したはずのベルイマンだったが、なぜか僕がまたまた「新作」に触れる機会が訪れたのが1985年のこと。何とリハーサルの後で(1983)という立派な新作が、NHKテレビからオンエアされたのだ。これはあくまで「テレビ作品」だから「映画監督引退」はウソじゃない…という小泉首相の国会答弁みたいな言い草(笑)に呆れかえって、「ある結婚の風景」だって「ファニーとアレクサンデル」だって元々はテレビじゃねえかと毒づきながらも、僕は何だかんだ言って結構面白がって見たような気がする。それでも、その後に「ファニーとアレクサンデル」のメイキング・フィルムである「ベルイマンの世界/ドキュメント『ファニーとアレクサンデル』」(1987)なんてのを自らの監督でつくってたり、自伝的作品「愛の風景」(1993)なんて映画に脚本を提供したりしてたので、ダマされちゃった感はどうも拭えなかった。

 実はそんなわけで…20年以上のブランクを空けての新作「サラバンド」の登場にも、何となく「やっぱりな!」という気分で接した僕だった。ベルイマンは「これが最後」なんて言ってるけど、そんなもの「さらば」の後に「永遠に」ができちゃった「宇宙戦艦ヤマト」みたいなもんで、まったくアテにならないんじゃないだろうか(笑)。

 

見た後での感想

 てなわけで、長い長い前置きを書かせていただいたが、僕にとってのベルイマンはそんな存在だった。で、「終わり」「終わり」と言われながら延々と新作が続いたベルイマンとは言いながら、それでも実質20年ぶりの新作との対面となったわけだ。

 お話はモロに「ある結婚の風景」の続編。あの別れた夫婦の「その後」が描かれる。骨肉のドロドロを経て、別々の伴侶を得て初めて得られる心の平安と相手への思いやり…てな幕切れだった前作だったが、結局二人はあの後またまた疎遠になったらしい。そんな元妻マリアンが、なぜか説明のつかない感情に突き動かされて元夫ヨハンの住む別荘にやって来るのがオープニング。元夫は何だかんだと言いながら元妻を歓迎。彼女は少々「失敗した」と思いながらも、なぜか長期滞在することになるという展開だ。こんな「説明のつかない」感情は僕にも分かる。

 そんな今回のお話のポイントは、ヨハンの息子ヘンリックとその娘カーリンとの息詰まる愛の葛藤と、ヨハン・ヘンリック親子のお互いへの憎しみ。父親ヘンリックによる娘カーリンの支配は、確かに彼の愛によるものではあるだろう。だが、それは娘を不幸にしかしていない。人はしばしば「愛」という名の下に、その言葉の意味するモノとは逆のことをする。あるいは「愛している」のは相手ではなく自分自身だったりする。

 そんな「愛」という言葉の意味が到底分かっていなさそうな男に、かつて「愛」を一心に注いだ妻がいた不思議。また、父子なのに…父子だからこそ憎しみ合う関係の不思議もまた、お互いが似ているがゆえなのか。マリアンが今頃になって見限ったはずの元夫を訪ねたのも、愛の残り火があったからか。ヨハンが彼女を受け入れたのも、どこかに期待があったからなのか。

 最後近く、ヨハンが子供のように泣きじゃくってマリアンのベッドに入るくだりで、この話は一つの帰結を見たのかと思いきや…結局、ヨハンはまたしてもマリアンと疎遠になったというオチがつく。冷え冷えとした幕切れがやって来て、やっぱりベルイマンはそんな安易な結末は用意しないよなぁ…と思っていると、最後の最後にホンのわずかな希望のかけらみたいなモノを見せて映画は終わる。

 むろんそんな結論は、世界で初めての発見でも何でもない。ビックリするようなものでも衝撃を受けるようなものでもない。だがそこまで話を引っ張っていく過程における、人の心の動きの描き方の非凡さとリアリティに、ベルイマンの語り口の真骨頂がある。

 人の気持ちは分からない。人の気持ちはコントロールできない。人の気持ちは時にその人自身をも裏切る。人の気持ちは人を不幸にすることさえある。人の気持ちには何も期待できない…。

 夫婦、親子という人間関係の最小単位を描いてこんな冷え冷えとした感慨を抱かせてくれる今回の作品だが、最後の最後にほのかな希望の光を見せてくれることで…これで「最後」なら納得できないでもないなと、僕もベルイマン最後の作品という触れ込みがようやく腑に落ちた。

 アテにもならないし期待もできない。どうせ気持ちも移ろい色褪せるものだとしても、どうしたって人間は誰かと関わらずにいられないのだ

 

見た後の付け足し

 今回ベルイマンが撮影に導入したのは、イマドキあちこちで大流行のデジタル・ハイビジョン・カメラ。しかも僕が見た劇場では、そのままハイビジョンVTRで上映した。つまり一切フィルムは使っていないのだ。まさか、それだからまたまた「これは映画じゃない」とか言うんじゃないだろうな(笑)。

 ただ、今回はこのハイビジョン撮影が確実に効果を挙げている

 刻一刻と変化していく感情、それらが顔につくりだすホンのわずかの表情の移り変わりまでが、デジタル・ハイビジョンのクリアでシャープな映像に刻印されていくのだ。それゆえ僕らは登場人物の感情を、かなり明確に「体感」することができる。しかもあの美しかったリブ・ウルマンの顔に冷酷に刻み込まれたシワの数々が、流れ去った月日を否応なしに実感させてくれるのだ。なるほど、こういうハイビジョンの使い方があったのか。「スター・ウォーズ」みたいな使い方以外にも、この技術は見事に活かせる。ここに目を付けたベルイマンはやっぱりさすがだ。

 あとただ一つ無理な注文をつければ…今年の9月に亡くなったベルイマン映画の撮影監督、スヴェン・ニクヴィストが参加してくれれば最高だったんだけどね。 

 

 

 

 

 

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