「西瓜」

  (The Wayward Cloud)

 (2006/10/30)


  

見る前の予想

 先日楽日(2003)を見たばかりのツァイ・ミンリャンの新作である。

 もっとも「楽日」はずっと前に完成していたのに日本公開が遅れに遅れたため、次の作品と「団子状態」になってしまったのだが(笑)。そして今回の新作「西瓜」が前面に出しているのは、ズバリ「セックス」。AV制作の話がサイド・ストーリーとして出てきて、ちょっとスキャンダラスなお話らしい。

 出演するのはグンゼ・パンツみたいな白いブリーフがよく似合うリー・カンション(笑)、いつまでも可愛いチェン・シアンチーら毎度おなじみのメンバーだ。何となく見たら殺伐としちゃったり、クラ〜くなっちゃったりしかねないツァイ・ミンリャン映画ではあるが、その迫力だけは誰にも否定できない。ここはやっぱり見ておきたいところだ。

 

あらすじ

 あるマンションの一室で、ナース姿の女(夜桜すもも)がベッドに横たわっている。パンティがはずされパックリ広げられたその股間には、真っ赤な切り口もみずみずしい半分に割られたスイカ。白衣を着た男(リー・カンション)がそのナース女に挑みかかり、股間のスイカを指で抉りにえぐる。スイカは女の「アレ」のように男の指を受け入れ、しじとに濡れそぼる。やがてスイカを股間からとっぱずした男は、女を思いきり犯すのだった。

 そう、これは今はやりのいわゆるAV撮影の現場。絡んでる二人もAV女優とAV男優だ。

 一方、同じマンションの一室では一人の若い女(チェン・シアンチー)がグッタリと横たわりながらスイカ・ジュースを飲み干していた。テレビはここ最近の記録的な酷暑と水不足を報じ、水の代わりにスイカが重宝されていると大いにアピール。だが、女にとってこの乾きはもう限界だ。こんな所は出て行ってやる…とばかり旅行カバンを取り出すが、なぜかカギが壊れて開かない。ヤケを起こしてカギを放り投げれば窓から遙か下に落ちて、折から行われていた道路工事でどこかにいってしまう始末。まったくついてない。

 例のAV男優も本番後をシャワーで浄めたいのに、水道はウンともスンともいわない。仕方なくマンションの屋上に上がって、コッソリ給水タンクで行水するアリサマ。

 そんな二人が、街角で出会った。

 公園のブランコで居眠りこいていたAV男優に女が気づいて、彼を見守っているうちに眠りこけてしまい、今度は男が目を覚ます…。実は二人は何年も前に知り合いだったのだが、そんなことは大した事ではない。

 ともかく懐かしさも手伝ってか、いきなり親しげに女の部屋に招かれるAV男優。男は道路に貼り付けられてしまったカバンのカギをはがして、何とかカバンを直そうとする。そんな彼に、女は甲斐甲斐しくスイカ・ジュースを持ってくるのだが、彼が今さらスイカなど見たくもないとは彼女は気づくはずもない。AV男優のほうもそんな事は理由も含めて女には言えない。仲良くやってる、それが一番だ。その「いい雰囲気」を壊したくはない。

 そのうち、「奥手」らしい女も徐々に熱っぽいところを見せ始める。AVに興味津々なのは今始まった事じゃない。ただ度胸がなくて借りられなかっただけだ。そんな折りもおり、たまたまレンタル・ビデオ屋でバッタリ顔を合わせた二人。だんだん妖しげな気分になってはくるが、どうにも一線は超えられない。それもこれも、「いい雰囲気」を壊したくないからね。

 そんなこんなで女との「いい雰囲気」の関係と、淫靡この上ないAV撮影現場とが同じマンション内で交錯する。でも、AV男優は彼女に素性を打ち明けられない。「いい雰囲気」を壊したくないのだ。

 ところがある日、女は例のAV女優がエレベーター内で意識を失っているところに出くわす。見捨てるわけにもいかず何とか自室まで引きずってくるが、たまたま借りたビデオを見ていたら、このAV女優がスッポンポンで濡れ場を演じているではないか。おまけに相手はあの「交際中」の彼…。

 ともかくこのビデオから連絡先を知った女は、ビデオ会社の男を呼んでAV女優を彼らの部屋に引き取ってもらう。ところがAV女優はあまりにもグッタリしていて、男一人では遠くまで運べない。仕方なく女もビデオ会社の男と一緒に、撮影で借りている部屋まで彼女を運ぶハメになってしまった。

 ところが問題の部屋にAV女優を運んでくると、いきなり出てきたのは腰にタオルを巻いた「カレシ」。さすがにAV男優も女も、お互い気まずく黙りこくるしかない。

 しかも彼女が立ち去る前に、ビデオ撮影が始まってしまうではないか。この撮影たるやヒドイもので、AV女優の意識が戻らないのに犯してしまうというシロモノ。だが「カレシ」のAV男優が意識のないAV女優とまぐわう迫力シーンを窓から目にしてしまった女は、ついついその場から離れられなくなってしまう。男優の腰使いはますます激しくなり、彼女はそれをじっと凝視するしかない。おまけに抑えようとしても、なぜか激しい声を発してしまう女。

 男優はそんな彼女と視線を交わしながら、どんどんクライマックスへと近づいていく…。

 

閉塞と強行突破を繰り返す作家ツァイ・ミンリャン

 先に見た「楽日」は素晴らしかったものの、ここ数年ツァイ・ミンリャンは結構難しいところに来ていたような気もする。

 さすがにホウ・シャオシェンとかみたいに袋小路には入っていないし、見ればそれなりに納得の作品が出来上がってもいる。だが正直言って作風が作風だけに、ちょっと油断すると煮詰まりそうな危うさもあった。それは、ツァイ・ミンリャンのファンだったら誰しも思い当たるところではないだろうか。

 何しろ僕にとってツァイ・ミンリャンは、最初に見た「愛情萬歳」(1994)のインパクトがとにかくデカい。これは台北に限らず、世界中のどこの都会でも見かけられる光景だろう。そんな現代の都会の荒野でさまよう男女のお話。どこまでいっても不毛で孤独。それは誰もが少なからず感じている「実感」だ。だから、ラストに爆発的に号泣するヤン・クイメイに、見ている者はみんな衝撃を受けてしまう。あれによってツァイ・ミンリャンは忘れがたい映画作家となったし、ヤン・クイメイのイメージも決定づけられた。

 それ以来、ツァイ・ミンリャンの映画は全部見ているんじゃないか?

 だが、次の映画「河」(1997)は何とも陰鬱な作品だった。強烈なことは強烈だが、ハッキリ言って煮詰まった映画だ。まぁ、前作から考えても「不毛と孤独」をじっくり見つめ続ければこうなるのは明らか。こういうテーマを追求している作家なのだから…と分かってはいても、見ていて生理的に具合が悪くなりそうだった。あの汚ねえ川に入るくだりからイヤだった。

 これじゃあ先が続かなくなりそうだ…とは僕だけでなく本人も思ったのか、次にツァイ・ミンリャンが繰り出したのが、驚きのミュージカル風作品Hole(1998)。いやぁ、驚いた。あのビンボくさい顔のリー・カンションや号泣女ヤン・クイメイがいつもながらの汚いアパートみたいなところで、いきなり「ホテルじゅらく」の「世界のショー」みたいなレビュー場面を演じ始めるのだから。だが、これがなぜかハマるから世の中分からない。突き抜けるようなバカバカしさで、閉塞状況を強行突破したような作品だった。

 ところが、これもまた一時的カンフル注射みたいなものだったのだろうか。続くふたつの時、ふたりの時間(2001)はキライな作品ではないが、今となっては印象薄い映画となってしまった。そもそも、おフランスに行ってしまったあたりでヤバイとは思っていたのだ。アジア映画の作家がおフランスで撮影するとロクなことにならない(笑)。個人的にはトリュフォー映画のイコンであるジャン=ピエール・レオの出演など嬉しがらせてはくれたが、映画としてはやっぱりイマイチと考えるべきだろう。見た当初は面白かったのだが、現時点でまったく記憶から消えてしまっている。

 そこで前作の「楽日」ということになるんだろうが、これはツァイ・ミンリャンにとっては小休止にあたる映画なんだろう。キン・フーの名作に対するオマージュや映画館に対する愛を前面に押し出した作品で、僕は大好きな作品だ。だが、元々はリー・カンションの初監督作と一緒に短編2本立てとして公開するつもりだったらしく、どこまでも「番外編」の雰囲気が漂う。強いて言うなれば、キャリアの頂点に立って煮詰まってしまったロック・アーティストが、とりあえずライブ・アルバムを1枚出してガス抜きするような感じにどこか似ていた。

 そんなわけで今回の「西瓜」、どうしたってまたまた閉塞状況を強行突破するインパクト大な映画になるのは必至だったわけだが…。

 

見た後での感想

 確かに世界的映画作家ツァイ・ミンリャンが題材として真っ正面にAVの世界を据え、ズバリと「セックス」を描くとなればスキャンダラスな作品ということになるんだろう。

 だがイマドキ…相当ウブでお堅い人でもなければ、AVやヘア・ヌードやそれに類したモノをまったく目撃していない大人はいないだろう。だから衝撃的だとかスキャンダラスとか言っても、それはあくまで商業映画の世界においてのみの事でしかない。AVも含めた映像の世界では、別にビックリするようなものでもない。そう思ってしまう自分たちの意識にも唖然としてしまうが、実際にそうだから仕方がないのだ。

 そして、なぜそんな題材を選んだか…もハッキリしている。スイカが何を意味しているのか…それを考えれば、すべてはあまりにも明らかだ。スイカはいきなり女の股間にある。男がそれを指で犯す。それは「セックス」の象徴だ。

 次の瞬間、スイカは女のノドを潤すジュースとなって出てくるが、それは必ずしも女の乾きを満たしはしない。テレビではスイカを「贈る人の気持ちを伝える贈答品」に…とか何とか言っている。どんなセリフかは忘れたが、ナントカ・スイカは友情の印とか、メロンは何だとか…つまりここでのスイカは「恋愛」や「人間関係」の象徴だろう。

 また旧知のAV男優と出会った女は、彼とすっかり親しくなって自室に上げる。そこでスイカ・ジュースを甲斐甲斐しく振る舞うが、彼はそれに閉口してコッソリ捨ててしまう。ここでのスイカはすれ違う「愛情」の象徴だろう。

 分かりやすい。あまりに分かりやすすぎる。

 いや、分かりやすい事は決して悪くはないが、こんな「山」といえば「川」…みたいな単純なシンボルごっこで固めてしまっては、あまりに映画が図式的で狭っ苦しくなりはしないか。というか、何となくあまりに単純すぎて型にハマってて「頭悪そう」な感じがする。

 元々この人は現代人の「不毛」と「孤独」を描こうとしてきた人だ。その行き着く先に「セックス」があるのも不思議ではない。そんなアレやコレやを「スイカ」という記号に託して描くというのは悪くないが、何となくこんな子供でも思いつきそうな記号化・抽象化では、幼稚園のお遊戯並みの内容になってしまうのではないか。頭の上にライオンの絵を貼り付けて劇団四季の「ライオン・キング」…みたいな(笑)。

 そう心配しながらも、僕は以前の「ふたつの時、ふたりの時間」が「抽象的」と言えば聞こえがいいものの…おフランス的な訳の分からなさや頭デッカチさに囚われてしまっていたよりは、こっちの単純さのほうがまだいいんじゃないかという気になっていた。少なくとも、わざと訳を分かりにくくして、自分をお利口に見せかけようというイヤらしさだけはない。それってハッキリ言って、気取り以外の何者でもないわな。

 というか…ツァイ・ミンリャンは根っからマジメだから、そんなテメエを神棚の上に挙げたり火の見櫓の上に登ったり、自分を偉そうに見せかけようなんて気がないように思える。

 そんな余裕なんかない。真剣に悩んでしまう。人と人ってどうしてうまくいかないんだろう?…と、彼自身かなり深刻に悩んでいるに違いないのだ。そしてマジメに悩んでしまうから、映画も行き詰まって閉塞状態になってしまう。そんな彼が「ホテルじゅらく」的ミュージカルで突き抜けたいと思うのも、そのマジメさの裏返しなのだ。

 それは今回も同じ事が言えて、またしてもグレース・チャンなどの往年の香港ポップスを引っ張り出して、何ともバカバカしいミュージカル・シーンを作り出している。いや、何ともはやくっだらない(笑)。

 ところがそんなくっだらないレビューの場面に、さりげなく…いや、かなりわざとらしく(笑)、台湾の元・総統である蒋介石の銅像なんか出したりしているのだ。やっぱりマジメなんだろうなぁツァイ・ミンリャン。どうしてもマジメが顔を出してしまうんだろうなぁ。

 でも…そこまで来て僕は、この「西瓜」とはまったく関係ない1本の映画の、ある一場面を思い出していた。

 それは、ブライアン・デパーマの佳作スネーク・アイズ(1998)のラスト。悪事は結局闇の中に葬られ、「私はナイーブすぎたわね」と自嘲気味に語るヒロインに、改心したかつての悪徳刑事ニコラス・ケイジがこう語るくだりだ。

 「それは悪いことじゃないさ」

 

ストレート一本勝負だけが持つ潔さ

 やっぱりマジメな人ツァイ・ミンリャンは、自分がお利口さん的ないやらしさに逃げようとしているのが、我慢できなかったのではないだろうか。この「西瓜」という作品の有り様を考えてみると、僕にはそう思える。

 ついついおフランスで撮ってしまった「ふたつの時、ふたりの時間」は、「世界的巨匠」となった彼なら自然な流れだろう。だが、それは「モノの創り手」としての彼にとって、真摯なものとは思えなかったに違いない。何とかこの流れから脱したい…そう思った末の結論が、この「西瓜」というハジケた作品ではないか。

 だからここで問題にすべきは、AV撮影やらセックス・ヌードを前面に出した題材についてではあるまい。むしろスイカをあまりに分かりやすすぎる「愛」や「セックス」のアイコンとして提示して、どこの誰にでも言いたいことが伝わるような映画にしちゃったことが、この映画の大いに注目すべき部分なのだ。あのくっだらないおバカ・ミュージカル場面もその一環と考えるべきだ(元々の歌がそう出来てるから仕方ないのだが、「オッホッホッホ」とか「アッハッハッハ」とかオチャラけた歌詞が頻発するナンバーなどは、まさにバカの権化だ)。

 カンヌやヴェネチアにたむろするシネフィルたちが頭をひねりながら、分かったような顔をしてアレコレ解釈するような「映画サロン」的不健康さから自作を解放する。それこそが今回のツァイ・ミンリャン最大のミッションではなかったか。それはそれで、マジメ生一本のツァイ・ミンリャンならではの思い詰め方のように思える。

 だから別にこれといった必然性もないのに、ガス抜き“ライブ・アルバム”「楽日」を挟んだ一本前…「ふたつの時、ふたりの時間」の続編となっているのにも意味がある。

 そしてマジメ生一本の彼だから…最後に「あそこまで」やってしまうのだ。

 確かに僕は、イマドキこんな程度ではスキャンダラスでも何でもないと言った。確かにAVが出ようと濡れ場が出ようとどうって事はない。だがさすがに「アレ」は、ちょっと商業劇場映画では思い切った展開だった。だがそこまでやっちゃったからこそ、「切羽詰まった」思いの丈はさすがに見る者に強烈なインパクトで伝わったはずだ。

 正直言って感動した。イマドキ、こんなに愛を真摯に思い詰めているヤツがいるなんて…。

 それだけでも、僕は世の中捨てたものじゃないと思えたんだよね。

 

見た後の付け足し

 「Hole」に次いでの「ホテルじゅらく」のショー(笑)とは言ったが、今回はさらにパワーアップ。リー・カンション、チェン・シアンチーのほか、いつもはリー・カンションのお母さん役だった中年女優ルー・イーチンにぶったるんだ肉体をさらしたショー場面を演じさせたり、あのヤン・クイメイを特別ゲスト出演させてエロチック・レビューを撮影したりしているのだ。これにはさすがに笑っちゃった。

 

 

 

 

 

 

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