「プルートで朝食を」

  Breakfast on Pluto

 (2006/07/03)


  

見る前の予想

 ニール・ジョーダンというと作品の出来不出来が大きくバラつく人という印象がある。それについては前作ギャンブル・プレイ(2001)の感想文にも書いているが、いまだに傑作と言えば「モナリザ」(1986)と「クライング・ゲーム」(1992)だけと思っている人も少なくないし、途中ハリウッドに呼ばれていって撮った何作かがどうしようもなかったのも確かだ。だから新作が来たと聞けば、ワクワクすると同時に不安にもなる。今度は大丈夫かと心配になってしまうのだ。

 ただ何となく…今回は「クライング・ゲーム」に通じる要素を感じるので、期待の度合いが勝っているのだが…。

 

あらすじ

 乳母車を押しながら、背筋を伸ばして意気揚々と街を闊歩する女…いや、女装の男。それがこの物語の主人公、キトゥンことパトリック(キリアン・マーフィー)。彼女もとい彼の人生の物語は、最初から奇妙な始まり方をしていた。

 それは北アイルランドの片田舎の町でのこと。ある朝、その町の司祭の家の玄関に、一人の女がやって来る。たまたまその場を目撃していた二羽のコマドリは「面倒な事が起きそう」と懸念したが、それは正解だった。女は司祭の家の玄関に、一人の赤ん坊を捨てたのだ。この赤ん坊がパトリックである事は言うまでもない。

 途方に暮れた司祭のリーアム神父(リーアム・ニーソン)は、パトリックを近所のブレイデンおばさんに引き取って育ててもらう事にした。だがパトリックがブレイデンおばさんの家で浮きまくるのは時間の問題。まだ幼い頃から女装の喜びに目覚めてしまったパトリックは、完全に義母と義姉とソリが合わないまま育っていく。

 そして実母がリーアム神父の家の家政婦だったエイリー(エヴァ・パーシッスル)であり、自分がエイリーの魅力に抗しきれなくなった神父と彼女との間にできた子であることを知ったパトリックは、彼女がロンドンに「呑み込まれた」と聞いて母親への憧れを募らせる。

 ともかく女装癖で学校でも変わり者のレッテルを貼られたパトリックは、いつしか同じようなはみ出し者の仲間たちを得た。黒人少女チャーリー(ルース・ネッガ)、反抗的な少年アーウィン(ローレンス・キンラン)、ロボット好きなダウン症の少年ローレンス(シーマス・ライソー)がそれだ。パトリックの女装がさらにエスカレートし、そのせいで学校や世間の風当たりが強くなっても、彼あるいは彼女は仲間がいるから平気だった。時には夜中繰り出して、暴走族の連中とツルんで大騒ぎ。ハッパを喫いながら、望んでやまない自由に思いを馳せるのだった。

 「星々を旅して火星を訪ね、そして冥王星で朝食を…」

 自由への第一歩として町を出たパトリックは、ロックバンド「モホークス」のドサ回りバスに拾われ、彼らと旅する事になる。リーダーのビリー(ギャヴィン・フライデー)との間に愛情も芽生えて、いつしかステージに上がるようになったキトゥンことパトリック。ところが、これでめでたしとはならないのが世の常。パトリックはバンドの中で浮きまくり、困り果てたビリーは自分の田舎の隠れ家に彼女もとい彼を匿う事になる。

 念願の愛の巣に有頂天のパトリックだが、掃除をしていたらビックリ。何と大量の銃が隠してあるではないか。怒りのあまり銃をすべて湖に捨ててしまうパトリックだったが、銃をなくしたらビリーはIRAのお仲間に殺されてしまう。かくしてビリーはパトリックを置いてトンヅラ。パトリックもIRAの連中に脅されたが、いつもの調子でナメた態度を続けているうちに難を逃れた。

 ともかくどいつもこいつも口を開けば真剣、深刻、真面目、シリアス…。パトリックは例の調子でお気楽をこいていたが、周囲は彼を放っておいてくれない。仲間のアーウィンはIRAとツルんで何やら暗躍しているようだし、おまけにローレンスも爆弾テロに巻き込まれて命を落としてしまう。誰もが眉間にシワ寄せながら天下国家を論じるような妙な風潮にウンザリしたパトリックは、かねてからの懸案だった母親探しのためにロンドンを訪れる事にする。

 時は1970年代初頭、ロンドンはグラム・ロックの妖しげなムードに包まれていた…。

 

ニール・ジョーダンと「クライング・ゲーム」の周辺

 ニール・ジョーダン作品に関する僕の愛着については、前作「ギャンブル・プレイ」(2001)の感想文にも書いてある。

 前述したようにいまだに傑作と言えば「モナリザ」(1986)と「クライング・ゲーム」(1992)だけと思っている人も少なくないし、ピーター・オトゥールとダリル・ハンナ主演の「プランケット城への招待状」(1988)、ロバート・デニーロとショーン・ペン主演の「俺たちは天使じゃない」(1989)とハリウッドに乗り込んで撮った作品は、まるで別人のような凡庸な出来栄えだ。

 アイルランドに戻ってからも、リーアム・ニーソンがアイルランド独立の悲劇の英雄を演じる「マイケル・コリンズ」(1996)などは、出来は悪くはないがあの「軽やか」さに欠けた作品だったように思う。実際には「ことの終わり」(1999)など捨てがたい映画も少なくないのだが、とにかく「モナリザ」「クライング・ゲーム」の出来がダントツである事は僕も認める。

 特に僕の心をわしづかみしたのは、何と言っても「クライング・ゲーム」だ。

 オールディーズ・ポップスの「男が女を愛する時」が流れて、ニール・ジョーダンの抜群の選曲センスを遺憾なく発揮しながらスタートするお話は、突如IRAのゲリラによる英国軍兵士誘拐というシビアな展開を見せていく。ところがそれはまだ序の口の前半部分。お話がロンドンに移ってからの、スティーブン・レイ扮する主人公の恋愛模様がお話の主眼と分かって二度ビックリ。しかもこの「恋愛模様」にも仕掛けがあって三度ビックリ。さらにさらにIRAゲリラによる報復が絡んできて、「どうなる、どうする??」というサスペンス味まで注入されてのクライマックスに四度ビックリ。そして、まるで拍子木をチョ〜ンと打つようなイキで心温まるエンディングへと持ち込まれるや…名人級の落語でも聞き終わった時のように、見る者の幸福感はまさに頂点へと達する。あの酔わされるような至福の瞬間。こんな映画が他にありますかって力強く言いたい。

 先に挙げたジョーダンの選曲センスは隅々にまで光っていて、何とテーマ曲となっている「クライング・ゲーム」ですら「仕掛け」のひとつだったと気づかされた時の驚愕たるや!

 あの出世作「モナリザ」では、何よりナット・キング・コールの表題曲が効いていた。ハリウッドに再度乗り込んだトム・クルーズ主演の「インタビュー・ウィズ・ヴァンパイア」(1994)でも、作品的にはともかくエンディングでガンズ&ローゼズにストーンズのスタンダード「悪魔を憐れむ歌」を演奏させたアイディアは、何とも素晴らしいものだった。「クライング・ゲーム」同様、どの曲をどのアーティストに演らせるか…というところからしてすでに芸のうち。ホントにこの人の才気というかセンスの良さにはホトホト感心してしまう。それでいて、センスがセンスだけに終わって上滑りしていない

 「クライング・ゲーム」に見られるオールディーズ・ポップスとIRAと一種独特な「恋愛模様」…という三題噺的な組み合わせの妙も、この人の映画でしか考えられないところ。およそこういう題材では考えられないような「人間の優しさ」「親切心」なんてところにテーマを持ってくる発想も、もはや非凡を通り越している。特に突出しているのは、IRAのゲリラのくせに人の良さを捨てきれないスティーブン・レイの主人公。彼らに誘拐されて人質となった英国軍黒人兵フォレスト・ウィテカーは、そんなスティーブン・レイの本質を鋭く見抜いていく。「あんたは本当は親切な人だ。それはあんたの避けられないサガなんだよ」

 この映画におけるスティーブン・レイはまさに絶品。この一本だけで、僕の中ではジーン・ハックマンやリチャード・ドレイファスと並ぶ不動の位置を占めてしまった。そのくらい、「クライング・ゲーム」でのレイは素晴らしかった。この後これといった作品がなくても、僕にとってスティーブン・レイは特別な役者であり続ける

 そんなニール・ジョーダンが、今回IRAを再びネタにしていると言う。これは見ずにはいられないだろう。IRAが出てくるから「クライング・ゲーム」の再現と思うほど、こちとら単純な発想はしない。それでも、どうしてもこの作品は気になるのだ。

 

見た後での感想

 映画が始まっていきなりザ・ルーベッツの「シュガー・ベイビー・ラブ」がガンガン流れて、その画面と音楽の抜群のシンクロぶりに、「こりゃあやっぱり今回のニール・ジョーダンはイケるかも」…という予感がわいてくる。

 その予感は当たった。

 エンディングでもう一度「シュガー・ベイビー・ラブ」が流れる時には、僕の心は幸福感で包まれた。ホント、こんなに映画を見ていてイイ気分になったのは久しぶりかもしれない。「クライング・ゲーム」のアッパレ感にはいささか及ばないながらも、これはこれで観客に映画の醍醐味、映画を見る喜びを味あわせてくれるエンディングだ。

 キャスティングは地味ながらもそれなりに充実。上記したストーリー紹介にはまだ出てこないが、この後でスティーブン・レイブレンダン・グリーソンイアン・ハートまで出てくる。特にスティーブン・レイは前述「クライング・ゲーム」でご贔屓になっただけに、またまたニール・ジョーダン作品で見れたのは嬉しかった。

 そして、ジョーダン作品と言えば恒例の、抜群な選曲センス。ヴァン・モリソンやハリー・ニルソンなど涙モノの曲がふんだんに使われているが、何より素晴らしいのは前述「シュガー・ベイビー・ラブ」にトドメを刺す。この曲がブックエンドのように映画の最初と最後をちゃんと締めているのが泣かせるではないか。

 で、最初は世の中ナメてるようなオカマちゃんのお話…と見せて、実はこれでなかなか骨がある物語なのだ。要素だけを挙げれば悲劇のオンパレード。主人公本人が親に捨てられたり、家庭で浮いたりイジメられたり、IRAやら何やらの暴力に巻き込まれたり、友人が命を落としたり…と結構ヘビーな展開。だが…にも関わらず、映画はあくまで軽やかでユーモラスなスタンスを崩さない。それはまるで…不幸のつるべ打ちみたいな物語なのに軽やかで楽しい、「ホテル・ニューハンプシャー」(1984)などジョン・アーヴィングの小説の映画化みたいなテイストだ。

 で、「軽やかさ」がこの映画のミソなのである。

 映画の中で、主人公は事あるごとにこう口走る。「みんな真剣だの真面目だのってもうウンザリ!」

 その言葉通り、主人公はフザケた態度に終始している。爆弾テロに遭遇して血だらけになっていても「んもう、せっかくのタイツがビリビリよっ!」…ってな調子だから、その態度たるや一貫している。オネエ言葉は致し方ないとは言え、いつもフザケたような態度で人に接し、何が起きてもそのスタンスは変わりない。

 だが、それは別に人をバカにしている訳ではない。そもそも彼が子供のように無邪気だからであり、「真剣」で「真面目」になった人々が眉間にシワ寄せたあげくにロクな事をしない事に、ひそかに彼なりの反抗を試みているからでもあるのだ。ここが何よりこの映画の重要な点なのだ。

  

見た後の付け足し

 IRAのテロにしてもイギリス軍にしても、あるいはリーアム神父の家に抗議して放火した保守的な人々も、政治やら主義主張やら宗教やら秩序の安定やらに「真面目」であるが故に暴力を振るう。そして人を不幸にしたり自分が不幸になったり、キズつけたり殺したりする。この点においては、なぜか思想の左右、洋の東西、自由主義から独裁主義に至るまで違いがない。どだい人間が「深刻」ぶって考えた時って、まずロクな事にはならないのだ。

 だから自分はいつも不真面目でいようという主人公の態度は、これはこれでかなり骨っぽいではないか。そして、ナヨナヨしてチャランポランで世の中ナメきったようなオカマちゃんこそが、誰よりもしたたかで骨っぽい…という逆説も成り立つ。しかも、それを決して「いきり立った口調」では語らない。あくまで「不真面目」なオネエ口調で語っていくのだ。

 主人公がそんな「不真面目」な態度のままだから、この映画自体も決して「深刻」にはならない。ひどい事が起きても淡々と受け止める。主人公たちに暴力を振るってくる者たちも、復讐されたり罰せられたりする事はない。あくまで人生の中のひとコマや点景として眺められるのみだ。主人公をテロリストと間違えて痛めつけた刑事(イアン・ハート)も、なぜか彼に同情して居場所を世話したりする。

 それは、実は「思想の名の下に悪事を為す人」が悪いわけではない、「人が思想の奴隷になる」事が悪いのだ…という主張の現れなのだろう。

 本来、思想とは人のためにあるはずのモノだ。人を幸福にするためにあるべきものだ。それなのに、しばしば人は思想に動かされてしまう。思想のために人を動かしてしまう。そして思想のためなら人を虐げたり殺してもいいと思ってしまう。そんな「主客転倒」こそがおかしいのだ…と、この映画はハッキリ言っている。そして「真面目」になって頭がカッカしてくると、人はそのオカシサに気づかなくなってしまう。「不真面目」な態度こそは、そんな思想至上主義から人間に主導権を奪い返す「武器」なのだ。

 そんな主張を語るのに、「肩肘張った」言い方ではそれこそシャレにならない。

 だからこの映画は一貫して、「軽やか」なスタンスをとり続ける。ポップ・ソングとオカマ・ファッションとオネエ言葉で終始する。そこでは表現と主張が幸福に一致している。

 さすが、センスが良くてしたたかなニール・ジョーダン!

 そのジョーダンも、題材が題材だけに「マイケル・コリンズ」ではどこか「眉間にシワ」的な映画づくりをしてしまっていた。そんな失敗の反省に立ってか、今回は別人のような…そして彼本来の「軽やかさ」を持った作品に仕上げたのが素晴らしい。

 映画の背景は1970年代初頭だが、ニール・ジョーダンの「不真面目のススメ」は特に今日の我々にとって必要な気がする。

 特に今、周囲の国々に対して「真剣」「真面目」と言いながら…眉間にシワ寄せてコワモテで接したがる我々の国でこそ、こんな「不真面目」な態度が欲しいところではないか。男っぽくスゴむばかりじゃ能がない。オカマちゃんのチャランポランさが欲しい。

 大体、男ぶる奴に限って男らしくないと相場は決まっているからね。

 

 

 

 

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