「ナイロビの蜂」

  The Constant Gardener

 (2006/06/05)


  

見る前の予想

 レイチェル・ワイズが今年のオスカーの助演女優賞を獲得した作品。アフリカを舞台に製薬会社の陰謀を探る話…って、一体どんな映画なんだかサッパリ分からない(笑)。レイフ・ファインズが相手役っていうのは、なかなか相性がよさそうでいいのだが。しかも原作は、スパイ小説の巨匠ジョン・ル・カレだと言うではないか。ますますどんな作品なのか、掴み所のない感じが強まる。まぁ、いわゆる当たり前の映画ではなさそうだ。

 

あらすじ

 ここはアフリカのケニア。イギリス外交官のジャスティン(レイフ・ファインズ)は妻のテッサ(レイチェル・ワイズ)の旅立ちを飛行場で見送った。それはごくごく短期の旅行になるはずだった。だからジャスティンも、軽い言葉をかけて見送ったのだ。「じゃあ2日後に…」

 ところが間もなく、ジャスティンの元にとんでもない知らせが飛び込む。それを伝えたのは、ジャスティンの上司でもあり友人のサンディ(トニー・ヒューストン)。「トゥルカナ湖の湖畔で白人女性が殺されたらしい」…トゥルカナ湖はテッサの目的地だ。衝撃を受けたジャスティンは、苦しい面もちのサンディにこう答えるのがやっとだ。「…僕にそれを告げるなんて、つらい役目をさせてしまったね」

 そんなジャスティンとテッサという対照的な二人が知り合ったのは、ロンドンでのある講演の席でのこと。外務省アフリカ局長ペレグリンの代理として講演していたジャスティンに、ある一人の女から鋭い質問が飛んできた。「英国のイラク政策について聞かせて!」

 それから延々クドクド始まる女の独演会。しかしキツい批判を浴びたところでジャスティンは代理。あれこれ言われてもどうしようもない。周囲の客たちもこの女のイタイ振る舞いに冷たい視線を浴びせ、次々にその場を去っていく。どんどん居たたまれない気持ちになって来た女は、ついに他には誰もいなくなった席で一人突っ伏して泣き出した。他には誰もいない…いや、その場にはまだ誰かが立っていた。

 たった一人、ジャスティンが残っていた。

 「ごめんなさい。私、無礼だったわ」

 「君は情熱的な人だな。一緒にコーヒーでもどう?

 優しい声をかけるジャスティンに、先ほどまでキツい言葉を吐き出していた女もウソのような笑顔を見せた。…それが、ジャスティンとテッサの出会いだった。

 そのまま二人はテッサの家で結ばれた。まったく予想もしない展開だったし、外交官のジャスティンと活動家のテッサではどう考えてもいい組み合わせとは思えない。それなのにジャスティンもテッサも、何か説明できない力に導かれているようだった。

 「あなたといると安心なの…」

 やがてジャスティンにアフリカはナイロビ赴任の辞令が下った時、テッサは迷わずこう叫ぶのだった。「私を連れてって!」

 突然のテッサからの「逆プロポーズ」に、戸惑いを隠しきれないジャスティン。そもそも彼と彼女の住んでいる世界はあまりにも違っていた。それでも…しばし躊躇しながら、ジャスティンはテッサの申し出を拒めない。彼女はあまりに魅力的だった。そしてジャスティンも、彼女との時間に他には得られない安らぎを感じていたのだ

 ジャスティンはテッサを赴任先に連れて行こうと決めた…彼の妻として。そしてジャスティンはひとたびテッサを妻にすると決めたら、彼女のすべてを受け入れ何も文句を言わなかった

 ナイロビに着いてから、この地の貧困を目にして活動家としての行動を開始するテッサ。彼女のお供は、現地の医師アーノルドだ。それこそ四六時中、ジャスティンよりも長い時間彼女と行動を共にしているアーノルド。そのことに、ジャスティンが何も感じないわけはない。だがジャスティンは何も言わなかった。そして身重になっても毎日のスラム街通い。これにもジャスティンは何も言わなかった。さらにはこの国の支配階級への批判的な姿勢が高じて、ジャスティンと招かれた外交官のパーティーでケニア政府高官に言いたい放題。これにもジャスティンは何も言わなかった。内心は忸怩たる思いでも、ジャスティンはじっと我慢して黙っていた。庭いじりが趣味の彼は事を荒立てる気がなかったし、そもそも当初から妻を自由にさせてやる気だったからだ。

 そんなジャスティンでも、テッサが出産はスラムの病院で…と言い出した時にはさすがに辟易した。だがテッサとアーノルドに押し切られたジャスティンは、やはり大人しく引き下がる。これが先々、重大な結果をもたらすとも知らずに…。

 結局テッサの赤ちゃんは死産に終わった。駆けつけたジャスティンとサンディの前で呆然とした表情のテッサ。ところが彼女は、その腕に「わが子」の代わりとばかりに現地の赤ちゃんを抱いていた。何でもつい先ほど、現地の少女ワンザが出産直後に亡くなったと言う。抱いていたのは、その亡くなった少女の子供だった。

 奇妙なのは…この亡くなった少女のベッドの周辺で、白人の医師(ピート・ポスルスウェイト)がウロウロしていることだった。この病院に、白人医師はいないんじゃないのか…?

 死産で身も心も疲れ果てたテッサをクルマに乗せて、ジャスティンは一刻も早く彼女を自宅に連れて行きたかった。だが彼女は、例の亡くなった少女ワンザの遺族である母親と弟をクルマに乗せたがった。彼らはこれから、住んでいる村まで遠い距離を歩いていかねばならないのだ。だがいかに彼女の頼みとはいえ、こればかりはジャスティンも聞き届けられない。

 「一人を乗せたらみんな乗せなきゃならなくなる。それは無理だ」

 珍しく一歩も退かないジャスティンの言葉に、無念そうに黙り込むテッサだった…。

 そんなテッサは、間もなくして何かに取り憑かれたように調べモノを始める。あのワンザという少女の事が気になったのか、アーノルドと一緒にあちこち嗅ぎ回る。それに取り残されたような寂しさを感じるジャスティンだが、彼は何も言わない。ジャスティンが使っている庭いじり用の農薬に、テッサが激怒して過敏な反応を見せた時もそうだった。テッサとアーノルドの不貞を告発した手紙が投げ込まれた時も、ジャスティンは黙っていた。

 その頃テッサはある陰謀に深入りしていたのだが、当然ジャスティンはそのことを知る由もなかった。調べ上げた資料を告発文として、知人であり高等弁務官事務所長のサンディに手渡すテッサ。彼から上司へと訴えを起こすはずだったテッサだが、その返事は冷たい黙殺でしかなかった。上司ペレグリン(ビル・ナイ)からサンディ宛に送られた手紙見たさに、かねてからテッサに気がある素振りのサンディを色仕掛けでだますテッサ。こうして手に入れた手紙は、ペレグリンが「出過ぎたマネ」をするテッサを口汚く罵る内容だった。ペレグリンもまた、一連の黒幕の一人だったのだ。

 そして、コトはすでに個人が関わる領域を大きく超えていた

 間もなくジャスティンはテッサの旅立ちを飛行場で見送った。それはごくごく短期の旅行になるはずだった。だからジャスティンも、軽い言葉をかけて見送ったのだ。「じゃあ2日後に…」

 しかしテッサは亡骸となって発見された。遺体安置所に確認に赴いたジャスティンとサンディは、そこで損傷の著しいテッサの遺体と対面する。あまりの状態の悪さに、思わず嘔吐を止められないサンディ。だがジャスティンは、じっと黙って遺体を見つめるだけだった

 そしてこれを境に、次々と奇怪な事件が起き始める。まずは警察が自宅にあるテッサのパソコンを押収した。サンディも、何やら彼女の遺品に興味があるようだ。サンディからテッサ宛の不審な手紙を発見して、ようやく容易ならざる事態に気づくジャスティン。

 どう考えても、何かおかしな事が起きている

 ふと気になって、例の亡くなった少女ワンザの記録を調べに行くが、当の病院は知らぬ存ぜぬ。村でワンザの弟を発見するが、某製薬会社による移動診療所の行列に並んでいた彼に近づくと、地元の警察がやって来る。なぜ警察は、これしきの事でジャスティンを拘束するのか?

 テッサはなぜか、ある薬品のパッケージを残していた。その製薬会社「スリー・ビーズ」は、ワンザの村に移動診療所を派遣していた会社でもあった。さらに言えば…テッサが激怒した庭いじり用の農薬のメーカーでもあったのだが…。

 この一連の不審な出来事には、「スリー・ビーズ」が関わっているはずだ。そう直感したジャスティンは、いきなりノー・アポで「スリー・ビーズ」の幹部ケニーに会いに行く。しかし、当然の事ながら剣もホロロ。しかもあまりにあまりのタイミングで、ジャスティンに帰国命令が下ってしまう

 久しぶりのイギリス。だが、ジャスティンの心は晴れなかった。それどころか、さらに不信は募った。ロンドン・ヒースロー空港に降り立ったジャスティンは、いきなり税関でパスポートを取り上げられる。偽造パスポート防止のため…との説明だが、どうも納得できない。

 そんなこんなでやりきれない思いを胸に抱きながら、ジャスティンはロンドンの街を一人歩く。ふと気づいてみると、彼はかつてのテッサの家に辿り着いていた。彼女の素晴らしい笑顔が脳裏をよぎる。その瞬間、それまでグッと感情を抑えてきたジャスティンは、ついにこらえきれず崩れ落ちるように号泣した

 泣いて、泣いて、泣いて…。

 立ち上がって涙をぬぐった時、ジャスティンは心に決めていた。妻の死の真相を知りたい。そして、無念な死を遂げた妻のために、仇を討ってやりたい。

 もう彼は振り返らなかった。あの物静かな男だったジャスティンは、まるで別人のようになって、真相究明のために行動を開始した…。

 

見た後での感想

 冒頭に書いたように、この作品ってどう見てもポイントを絞りにくい。アフリカを舞台にした、製薬会社の不正と陰謀を描いた社会派ドラマか、それとも真相に迫る主人公を巡るサスペンス映画か、はたまた主人公と亡くなった妻とのラブストーリーか…。

 そのどれもにそれなりのボリュームが割かれている感じだし、どれをとっても間違いではないようだ。だが、これらの要素…少なくとも社会派ドラマとラブストーリーは、どう考えても両立しがたい。それらを同居させようとすると、お互いがお互いを相殺し合ってブチ壊しになってしまいそうだ

 だから、相反する要素が混在するように見えるこの映画に、何となく危惧を感じないでもなかった。うまくいかねえんじゃないだろうか?

 さらに物語の重要ポイント…劇中で亡くなる妻の役に、レイチェル・ワイズという女優を持ってきている。スターとしての華もあれば、演技力も抜群。そうなると、ラブストーリー的要素だってそれなりのボリュームを持っているはずだろう。

 しかも、何と監督には…驚くなかれブラジルの異色作シティ・オブ・ゴッド(2002)を撮ったフェルナンド・メイレレスと言うではないか。あのブラジルのスラムの容赦ない現実を、ものすごいダイナミズムで撮ったメイレレスがこの映画を撮るとは意外や意外。そもそもメイレレス、「シティ・オブ・ゴッド」では現地の素人を多用して成功していた。だが今度はキャストはファインズ、ワイズを中心とした名優揃い。この人ってスターを使った映画を撮れるのか。そもそもリアルな現実を感じさせるこの人の映画に、いかにも作り物然とした「スター」が存在し得るのか?

 もちろん、原作はスパイ小説で有名なジョン・ル・カレの作品だ。これまた「シティ・オブ・ゴッド」のメイレレスとは、どう考えても相容れない題材のように思える。

 う〜〜〜む。一体この映画ってどんな作品になっているのか?

 そしてやっと見た映画の実物は…何と、今挙げた要素がすべて盛り込まれているからオドロキではないか!

 アフリカを舞台にした、製薬会社の不正と陰謀を描いた社会派ドラマ…であることは間違いない。そしてその背景には、アフリカの貧困社会とそれを食い物にする欧米各国という構図がある。そのアフリカのシビアな現実を写し撮るのは、「シティ・オブ・ゴッド」でもメイレレスと組んだ撮影監督セザール・シャローン。ザラザラと粒子の荒れた画質、ハイコントラストの色調がまたしても独特な効果を上げている。

 映画そのものは政治的サスペンスそのもので、後半のロンドンからアフリカへ…という主人公の行動は、そっくりそのままスパイ・サスペンスの味わいがある。だが、そこに背景として描き出されたアフリカの現実も、決して上滑りしたものではない。おそらくこのへんが、今回のメイレレス起用の理由ではないか。

 物語の原動力は主人公の妻テッサの情熱と、彼女が立ち上がらずにいられなかったアフリカの「現実」だ。だからそこがシラジラしく感じられたら、見る側は明らかに興ざめしてしまう。「アフリカの現実を作り物然として描きたくない」という制作サイドの思いが、今回のメイレレス起用につながったのではないか。

 しかもメイレレス、こうしたシビアな現実をリアルに描くというだけが売りではない。「シティ・オブ・ゴッド」を見れば一目瞭然なのだが…あの作品は良心作であり鮮烈な作品である以上に、何より「面白い」作品にできあがっていた。スラム街の少年たちのギャング団をリアルに描いていて「面白い」もないもんだが、実際にそうなんだから仕方がない。ダイナミックな迫力に、ついついアクション映画みたいな面白さを感じさせてしまう。真面目な映画、衝撃的な映画をつくるのは簡単かもしれない。しかし、そんな題材で真面目さと衝撃を損なわず、さらに「面白さ」を盛り込める男…その点がメイレレス監督の非凡さだ。

 だから…今回の映画でも、リアルなシビアさと娯楽映画の面白さという、本来矛盾する2つの要素が共存する。これは確かに、メイレレスでなければできない芸当だろう。さすがにこれにはビックリした。

 しかも実はこの映画には、もっとビックリする点がある。このメイレレス起用にして…意外にもラブストーリー的要素こそが、この映画の最大の見どころとなっているのだ。

 

 

 

 

 

 

 

ここからは映画を見てから

 

 

 

 

 

 

 

 

 

見た後の付け足し

 もちろん主人公夫婦にレイフ・ファインズ、レイチェル・ワイズというボリューム感たっぷりのドラマティック・アクターを起用しているのだから、ラブストーリーがメインは当たり前。案の定、ワイズはアカデミー賞の助演女優賞まで取った。だが意外にも…というか当たり前というか、この映画での見どころはレイフ・ファインズ演じる主人公の男性像にある。

 庭いじりが趣味の外交官。どこか浮世離れした上品さ。そんな彼がおよそ自分とかけ離れた「活動家」の女と関わりを持つことになったのは、カゲキ発言で一人浮いてしまった彼女を優しく気遣う包容力のゆえん。それゆえ彼女は、彼と大きな政治的姿勢の隔たりがあっても結ばれようとした。役人としてソコソコにやっていきながら、庭いじりでもして暮らしていけばいい…そんなチマッとした男に見える主人公。だが彼には、小事には惑わされない「善」なるものに対する誠実さとフェアな考え方があった。そこが、彼の意外なまでのスケールのデカさだったのだ。そして妻はそんな彼の素顔を見抜いていた。

 正直言って、最初はレイチェル・ワイズ演じる妻の言動がいちいち気に障る。正義感ゆえの言動とは分かるものの、その場をわきまえない空気の読めないテメエ勝手ぶりに辟易。自分は「正義」なんだから何をやってもいい…と、ダンナの立場が悪くなろうと何だろうと、ダンナの気持ちがキズつこうが何だろうが、ともかくお構いなしにやっているように見える。

 だがそれでも、レイフ・ファインズの主人公はじっと黙っている。妻のことは何もかも受け入れようと腹をくくった以上、彼はそれを全うするのだ

 そして突然の妻の死。それまで妻のやっている事にはノー・タッチだったダンナは、なぜ彼女がそうならなければならなかったのかを探るため、単身彼女の足取りを追っていく。

 そのうち、妻が本当はどんな女性だったのか…主人公自身も改めて思い知らされるのだ。

 このファインズとワイズの、主人公夫婦の人間像が素晴らしい。テメエ勝手でやりたい放題、ダンナの立場も気持ちも考えない独善女…と思いきや、彼女は日記では良心の呵責に悩まされ、ダンナを守るために自分のやっている事は一切伏せていた。あんなに「な〜んも考えてない女」と思われた妻が、実は必死にダンナを守ろうとしていたのだ。これには…彼女の言動のそれまでがそれまでだけに、見ているこっちもグッと来る。じっと黙って腹の中に収めていながらも、正直なところ多少は妻を疑ってもいた主人公も、これにはこたえる。

 それでも彼は妻の存命中にじっと黙っていたように、妻の死にあたっても取り乱さない。上品な英国紳士で、庭いじりが好きな真面目な男だけに、そんな乱れた無様な振る舞いはしない。だがそんな彼がロンドンのかつての妻の自宅に辿り着いた時、そこで二人の愛の始まりを思い出した時…感極まって号泣するくだりのレイフ・ファインズの圧倒的な演技を見よ。それは決してメソメソした泣きべそなんかではない。抑えに抑え、こらえにこらえた末の、嗚咽とも叫びとも言える男泣きだ。

 そしてこの男泣きを経て、主人公はガラッと態度を一変。それまでの平穏無事な微温的生活を捨て去り、単身「妻の敵討ち」の旅に出る。

 その姿は…あの「ソコソコ」男にして意外なほどに「男っぽい」

 だが、それは別にこの時点で始まったわけではない。実は活動家の女を妻にしようと決心した時、彼女のすべてを受け入れようとした時、そして何があっても文句を言わずじっと黙っていた時…すでに彼はかなり「男らしかった」。本当の「男らしさ」とは、別に野蛮だったり力があったりスゴんでみたりコワモテであったりすることではない。しばしばそう勘違いされがちだが、それはまったく関係ない。

 この映画は、あのおとなしい「庭いじりが生きがい」の主人公が潔く泣き崩れた後で、まるで東映任侠映画のヒーローの殴り込みのように単身欧州〜アフリカを股に掛けるあたりが見どころだ。

 最後、自分を殺しにやってくる追っ手の気配を感じながら、主人公はあえて妻が命を落とした湖の岸辺へとやって来る。おそらく確実に数十分後には自分も命を落とすと知りながら、彼は妻の終焉の地で一人たたずむのだ。そんな主人公の前に、妻の幻想?…が姿を見せる。

 「君の秘密が分かったよ」

 そう、主人公はようやく分かったのだ。妻の足取りを追ってここまで来て、やっと分かったのだ。

 妻の不倫をチクった心ない告発文も、妻が現地男と昼夜行動を共にしていた事から抱いた不快な思いも、すべて根拠のないものだった…と。

 また、主人公自身が現地少年を救おうとして断られた時と同じように、妻も少女ワンザの母親と弟をクルマに乗せることを拒否され、無念であっただろう…と。

 そして好き勝手にやり放題、夫の立場など気遣わずに奔放な言動を繰り返していると見えた妻が、実は主人公を気遣っていちばん重要な事を胸の内にしまっていた…と。

 妻の幻想とともにただじっと追っ手を待つ主人公の行動は、まるで自ら死にたがっているように見える。とても万策尽きて諦めきったようには見えない。それはまるで、「妻との心中」のように見えるのだ

 考えてみればいかに主人公や妻が忍耐強くても、この二人の場合、実生活で波風が立たない訳がない。最初から到底平穏無事に終わるわけのない二人だったのだ。そこに他に代え難い喜びがあるとしても、それを阻害する「現実」という要素が常にある。ならば彼らには、こうした選択しかなかったかもしれないのだ。ならば主人公は、ここで死を恐れるわけがない。

 それは、二人の愛の成就なのだから。

 

 

 

 

 

 to : Review 2006

 

 to : Classics Index

  

 to : HOME