「グッドナイト&グッドラック」

  Good NIght, and Good Luck

 (2006/05/29)


  

見る前の予想

 これもアカデミー賞の有力候補として、主要賞にノミネートされていた。それにしても大スターのジョージ・クルーニー「コンフェッション」(2002)で監督デビューを果たしていたのは知っていたから、彼が「作る側」に回りたがっていたことは僕だって分かってはいたはず。だが、それにしたって…それがここまでホンモノだとは正直思っていなかった。しかも題材が、制作に深く関与したシリアナ(2005)と同様にかなり硬派で骨太なあたり、なかなか一貫したものを感じさせるではないか。出演している役者たちも一癖二癖ある連中ばかり。これはかなり見応えのあるドラマじゃないだろうか? ただし…メッセージを声高に主張するあまり、「正しい事」は言っているんだが面白さや豊かさに欠ける映画になっていたら、ちょっと困ってしまうのだが…。

 

あらすじ

 1958年、放送ジャーナリストたちが集う報道番組制作者協会のパーティー。今夜表彰されるのは、CBSテレビ「シー・イット・ナウ」で数々の業績を残したエド・マロー(デビッド・ストラザーン)だ。彼は中でもマッカーシズムの弾劾によって、テレビ界で名声を博した。彼は壇上に現れると、いきなり昨今のテレビ界について辛口のパンチを繰り出した。「耳の痛い話をします…」

 それは1953年のこと、全米にマッカーシー上院議員による「赤狩り」が猛威を振るっていた頃。マッカーシーが「共産主義者だ」と決めつければ、誰も反論できず失脚していった時代。人々は、そんな「赤狩り」の恐怖に毎日怯えて暮らしていた。

 そんな中で独自の切り口で国民的信頼を勝ち得ていたニュースキャスター、エド・マローとそのチームはマイペースで仕事を進めていた。彼の相棒であるフレンドリー(ジョージ・クルーニー)を中心に、次回の番組の企画を打ち合わせる。その打ち合わせがはねた後で、マローは静かにある新聞記事の事をフレンドリーに持ち出した。それは何の根拠もなしに共産主義者と疑われ、勤めていた空軍から除隊させられようとしている士官の記事だった。だがこの事件を報道することは、マッカーシーに対して抗議する事に等しい。一瞬はさすがのフレンドリーも口をつぐむ。しかし、マローの決意は固かった。フレンドリーも覚悟を決めた。こうして早速スタッフたちは、事件の調査に駆り出される。

 だがこれに当惑する人物も、当然のことながらCBS社内にはいた。

 「これは公正な報道ではなく、告発だ」

 それは当時圧倒的な力を持っていたマッカーシーに対して、反旗を翻すことを恐れた人物の過敏な干渉だった。会社もこの番組に広告を出さず、マローとフレンドリーは自費で広告を出す事になった。

 それでもマローたちは、あえてこの番組に賭けた。「真相は分からないのに、なぜ彼は辞めさせられなければならないのか?」

 結果は…意外なまでの好評だった。マローたちは賭けに勝った。だが、まだ安心するのは早かった。反発も大きく、当然の事ながらマッカーシーの反撃も始まった。マローが「共産党のシンパ」であるという紙爆弾が飛び交い、CBS会長ベイリー(フランク・ランジェラ)の手元にも届く。これには今までずっとマローを支援してきたベイリーも、苦言を言わざるを得ない。「私はCBS全従業員の生活を守らねばならない!」

 早速、スタッフたちにも緊張が走る。過去共産党と何らかのつながりを持った人物は、すべてスタッフからはずす事になった。だが、マローたちは退く気はなかった。それどころか、次はいよいよ「本丸」マッカーシー本人の告発を狙っていた。記者として取材するジョー・ワーシュバ(ロバート・ダウニー・ジュニア)やその妻で編集者のシャーリー(パトリシア・クラークソン)も、チームの一員として緊張感に満ちた毎日を送っていた。彼らの場合、別の意味でも緊張感に満ちた毎日を送っていたのだが…実はCBSの社則では、社員同士の結婚を禁じていたのだ。彼らは会社に隠して、夫婦生活を続けていた。もっとも同僚たちはそんな事はとっくにお見通しだったのだが…。

 こうして歴史的な番組放送の当日がやって来る。緊張して本番を待つマローの元に、ベイリー会長からの電話がかかってくる。「今夜も明日も、私は君の味方だ」

 こうして始まった番組は、マッカーシーの発言を厳しく追及。番組後には圧倒的支持の電話が殺到した。「マッカーシー支持派」の新聞記者から連日言いがかりのように批判されていたCBSキャスターのドン・ホレンベック(レイ・ワイズ)も熱い支持を寄せてきた。この成功に大いに酔ったマロー組の一団は、意気揚々とバーへ繰り出し夜通し飲み明かす。そこにはあのホレンベックも加わった。そして刷り上がった翌朝の朝刊、ニューヨークタイムズは番組を大絶賛。これには一同も大喜びだ。だがホレンベックを吊し上げていた例の新聞は、またしても彼を名指しで非難。これに繊細な神経のホレンベックは、精神的に追い込まれていく。

 そしてついに…マッカーシー自身が番組での反論を申し込んで来た…。

 

見た後での感想

 ジョージ・クルーニースティーブン・ソダーバーグと組んで映画を「創る」側に回りたがっている事は、ここ数年の彼の動きを見ていればよく分かった。だが、正直言ってそれもプロデューサー止まり。監督として名乗りは挙げたものの、たぶん余技にとどまるものでしかないだろうと決めつけていた。それがまさか…アカデミー賞の作品賞やら監督賞のノミネーションを受けるとは、まったく夢にも思わなかった。こちとらアカデミー賞に何ら「権威」など感じていないながらも、そこに名を連ねるということは、それなりの「いっぱしの」映画である証拠ではあるだろう。決して俳優の余技ではあり得まい。

 都内ではシネコン限定公開で始まったこの作品、いよいよ拡大公開されるや否や、早速僕は見に行ったわけだ。

 いや〜、シビれた!

 実はこの感想文をそれだけで終わらせてもいいくらいなんだが(笑)、そのくらいこの映画はカッコ良かった。カッコ良かったというのが、この映画への最大の賛辞ではないか?

 もちろんこの作品、マッカーシズムに真っ向から挑んだジャーナリスト群像を描く事で、民主主義の本当の意味と現在のアメリカの現状に警鐘を鳴らす意味があったことは間違いない。ミュンヘン」「シリアナ」「クラッシュ…と政治の風が吹いた今年のアカデミー賞レースの中でも一際政治臭の強い一作。これと「シリアナ」に深く関与したジョージ・クルーニーは、どうもかなりな硬骨漢である事は間違いないようだ。

 すごいのはマッカーシーの映像の本物を流用して、デビッド・ストラザーン以下俳優陣と堂々「共演」させてしまっていること。これにはたまげた。だが、それが結果的に「吉」と出た。おそらく俳優がマッカーシーを演じていたら、どこかカリカチュアライズしたり「悪役」然と演じてしまっただろう。それはジャーナリストの本質を問うこの映画にはそぐわない。マッカーシーはマッカーシー自身が「演じる」ことによって、その卑しい人品を最大限に表現しているのだ

 それにしても、こんな脂ぎった下品を絵に描いたオヤジが、何故にあれほどの権力をにぎって横暴の限りを尽くせたのか? 今となってはまったく分からないが、考えてみればどう見ても卑小な男でしかないブッシュがあれほど英雄のように威張っていられた事だって理解に苦しむ。口からデマカセの「無責任男」小泉氏が、まるでヒーローのように祭り上げられていることだって同じだ。大衆は時にそんな訳の分からない選択をしてしまうものなのかもしれない。

 そしてこんなバカげた「赤狩り」という儀式に、アメリカ中がヒステリーのようにかき回されたというのも改めて驚きだ。今にして思えば「自由と民主主義の国」でなぜ?…と思ってしまうが、その同じ国は短い歴史の中で、「禁酒法」などという訳の分からない事もやっている。イラクへの攻撃だって、まるで理屈が通っていない。そして誰がどう見てもマトモじゃないことも、国家的規模で堂々とやれば意外に通ってしまうものなのだ。この映画は、そんな今に通じるアメリカ…そして民主主義国家の危うさを見事に描いている。いや、この映画がそんなモノを表現しようとしなくても、起きた事を忠実に描いていけばおのずからそれがにじみ出てしまう。声高に何かを主張しようとせず、起きた事を淡々と描いていっただけ…のように見えるジョージ・クルーニーの演出の勝利だ。だからこそ、何よりも雄弁に「民主主義の危機」とそれに対する異議申し立てというメッセージが伝わってくる。これは非常にクレバーな作戦なのだ。

 

見た後の付け足し

 だから僕はこの映画を、先に述べたように「カッコイイ映画」として評価したいと思う。いや、そうすべきだ。メッセージ云々は言うだけヤボだ。それより映画としてオイシイという事を強く主張したい。

 リアルな「当時」の衣裳とヘアスタイルに身を固めた、どこか辛口の役者たちの見事なこと。デビッド・ストラザーン、ジョージ・クルーニー、ロバート・ダウニー・ジュニア、フランク・ランジェラ、ジェフ・ダニエルズ、そして紅一点…快作エイプリルの七面鳥(2003)で好演を見せたパリトシア・クラークソン。演技巧者揃いであることも素晴らしいが、何より彼らの顔や姿が…見事に当時の人々の「それ」になりきっていること。中でもパトリシア・クラークソンを除く男優陣のワイシャツ、ネクタイ姿の魅力にはシビれてしまった。カッコイイ!

 思い起こせばウォーターゲート事件を追いつめる新聞記者を描いた大統領の陰謀(1976)でも、ロバート・レッドフォードとダスティン・ホフマン両記者のワイシャツ姿、そして彼らがワシントン・ポスト社内を駆け回る姿のカッコよさが印象的だった。あっちは典型的1970年スタイル、もっとカジュアルなものではあったが、「男の仕事着」の雰囲気は同様に漂っていた。実は事件の全容がどうだったのかは、映画を見たって事情が込み入っていて全然分からない(笑)。だけど二人のジャーナリストがカッコいいワイシャツ姿でドタバタ駆け回っている姿は、鮮烈に僕らの脳裏に焼き付いている。

 今回の映画も、本番前の慌ただしいCBS社内を駆け回るスタッフたち、そのワイシャツ姿が極めて印象的だ。今では御法度のタバコをパカパカ喫いまくって、スコッチ・ウィスキーをあおって、何ともカッコいいこと! 僕もタバコをやめてしばらく経つが、久しぶりに喫いたくて喫いたくてウズウズしたよ。

 そう言えば「大統領の陰謀」でもラストではワシントン・ポスト社内のテレビ画面という形で、主人公の記者たちと宿敵ニクソン大統領を同一画面で「共演」させていたっけ。あの場合も、ニクソンには俳優を起用しなかった。どちらもニュース映像をそのまま使用するという形で、本物を画面に登場させていたわけだ。ひょっとするとクルーニーは、ハリウッド製政治映画の大先輩として「大統領の陰謀」を秘かに意識していたのではないか? ちょっとそんな事を思わせるような、ワイシャツ男たちのカッコよさだ。

 そして白いワイシャツが際だってカッコよく見えたのも、何よりモノクロ映像であるがゆえ。

 モノクロ映像は時代色を出すためと、マッカーシー映像の流用のためだろう。しかしそれが結果的に、映画をカッコよく見せるのに貢献した。モノトーンの硬派な魅力が出た。モノクロ映像の艶みたいなものが、映画全編を覆っているのが素晴らしい。

 さらに勘ぐってみると…モノクロ映画全盛のハリウッドで社会派娯楽映画を連発していた、スタンリー・クレーマーやオットー・プレミンジャーなどの硬派な映画作家の作品をも彷彿とさせる気さえする。このモノクロ映像は、もっとハリウッド映画に気骨があって、豊かで魅力的だった時代にオマージュを捧げているようでもあるのだ。

 さらに劇音楽を普通に流す代わりに、CBS局内で演奏するジャズ・バンドの歌と演奏をドラマに寄り添わせる作戦に出た。これがモノクロ映像とうまく調和して、洒落た大人の雰囲気を醸し出したあたりもニクイ。モノクロ、ワイシャツ、タバコ、ウィスキー、ジャズ…何とも粋ではないか。ジョージ・クルーニーの意外なまでのセンスの良さにビックリだ。これがオーシャンズ11(2001)、オーシャンズ12(2004)なんて無惨にヤボったい映画をつくった男の監督した映画とは思えない(笑)。こっちの方が、断然オシャレでカッコいいではないか。

 だから僕は、この「グッドナイト&グッドラック」を政治映画ともメッセージ映画とも思わない。シビレるほどカッコいい、大人の艶と洒落っけに溢れた映画と思うんだよね。

 

 

 

 

 

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