「ブロークン・フラワーズ」

  Broken Flowers

 (2006/05/15)


 

グリーンホーンズ・ウィズ・ホリー・ゴライトリーの「ゼア・イズ・アン・エンド」(「ブロークン・フラワーズ」サントラCD収録)を聞きながらお読みください。

 

 

4月24日(月) 体温36度6分

 朝8時45分に病院の入院窓口へ。入院手続きを済ませて、しばし1階ロビーのイスでうたた寝。10時になると10階の病室へと移動。この時から、僕の1週間に渡る入院生活が始まった。

 自慢じゃないが、僕にとってこれが生まれて初めての入院。そして今回は胆のう手術のための入院だが、手術そのものが生まれて初めてだ。何もかもが珍しい。ついでに言えば…実はちょっと不安だ。

 実際のところ、僕の手術は大したものではないらしい。腹をかっさばいてメスを奮うのではなく、腹にいくつかの小さな穴を開け、そこに胃カメラ状のものとマジックハンドのようなものを突っ込み、看護婦さんいわく「UFOキャッチャー」(笑)よろしくオペを行うとのこと。いわゆる「内視鏡手術」というものだ。

 そうそう、イマドキはもう「看護婦」という言葉も使わないそうだ。「看護士」が正しい表現らしい。スチュワーデスではなくて、フライト・アテンダントというようなものだ。それで中身がどう変わるというのか知らないが、とにかく変わったらしい。とにかく、時代はそう動いている。

 病室は4人部屋。やってきて早々、看護婦もとい看護士の女性によって、手首に認識票のようなバンドを付けられる。まだ服を着替えてもいないのに、早くも「患者」になった感じ。昔見たSF映画では、囚人が特製の金属バンドを手首だか首にはめられていたっけ。囚人がもし脱走を図った時、遠隔操作でそのバンドが爆発。囚人はあの世行きになる仕掛けになっていた。そう…もはや僕はシャバの人間ではないのだ。

 さて、それはそうと…何で僕は胆のう手術など受けなければならなくなったのか?

 それは、今を遡ること3年半ぐらい前のことだ。ある夜…0時半頃、何の前触れもなく胃に痛みを感じたと思っていただきたい。どうしようか迷っているうち、それはとても我慢できない痛みに変わる。慌ててタクシーに乗り込み、最寄りの救急病院に飛び込んだ時には、もはや満足に立っていられない状況になっていた。そこからの詳細は汚い話なので中略。ともかく痛み止めの点滴を受けて約2時間…朝の4時頃になると、今度は痛みがまるでウソのように消えていたわけだ。

 たまたま、その日は食い合わせが悪かったのかもしれぬ。それから同じ症状はとんと現れなかった。そこで僕もそれ以上詮索せずに放っておいて…数ヶ月が経った。

 すると、また夜0時半に痛みだ。あっという間に激痛だ。まるでビデオテープのリプレイのようだ。また途中の汚い話を中略して、病院での点滴で痛みが治まったのが朝の4時。判で押したような展開。

 これは絶対に何かマズイことが起きている。翌日、昼間の病院を訪れた僕は、そこから徹底的に胃腸の検査を始めることになった。血液検査、尿検査、レントゲン、MRI、胃カメラ…しかし何をやっても異常は認められない。これで何も出なかったら「無罪放免」となる最後の超音波検査に臨む。超音波検査とは「患部」にローションみたいな粘液を塗って、そこにバイブみたいなものを当てて中を調べるものだ。ローションとかバイブとか言うと何だか風俗に行ったみたいだが(笑)、早い話が、妊婦がお腹の中の胎児をレーダー画像みたいに見ることができる「アレ」だ。だったら、早くそう言えって(笑)?

 閑話休題。その最後の頼みの綱の超音波でも、何ら異常は認められなかった。医師も「何も出ませんねぇ」と諦め声で検査を終えようとしたちょうどその時、誰かに呼ばれたのでつい手元が狂った。「バイブ」が「ローション」で滑った(笑)。その時、胃の場所からちょっと横っ腹にバイブが滑って…。

 「あれっ? コレかぁ」

 何とあの時、医師が誰かに呼ばれて手元が狂わなければ…僕の病気の真の原因は分からなかった。それはそれでひどい話だが、実際のところ痛みは完全に「胃のもの」としか思えなかったのだから仕方がない。そもそも、イマドキの病気ってのはそんなもんらしい。うちの親父が去年末入院した症状の原因も、結局分からずじまいだ。現代は医師でもしかと分からない病気、症状がどんどん増えているのだと言う。文字通り「病んだ時代」なのだろう。

 ともかく、その時点で僕は胆のう結石を患っていると分かったわけだ。

 

ブロークン・ハーツ

 ピンクの封筒が運ばれていく。車に積まれ、ベルトコンベヤーで流され、飛行機に搭載されて運ばれていく。流れ流れて…辿り着いたのは初老男ドン・ジョンストン(ビル・マーレイ)の家。何と間の悪いことに、今この家では一緒に住んでいた女シェリー(ジュリー・デルピー)が出ていこうとしていた。むろんドンは大いに困惑している。出て行って欲しくはない。だが、長年の独身生活。その勝手きままさが抜けないドンに、彼女を引き留める力はなかった。為す術もなく彼女に去られ、ガックリ落ち込むドンであった。

 しばしの落ち込みの後、ようやくピンクの封筒に気づいたドン。彼が第二の衝撃を受けるまで、さほど時間はかからなかった。

 そんな折りもおり、隣の家に住むウィンストン(ジェフリー・ライト)から呼び出しのお電話。何かとマメで調べモノ好きのウィンストンが、急にうまくつながらなくなったネットの事でドンに教えを請おうと連絡してきたのだ。おっと…言い忘れていたが、ドンはインターネットで一財産当てたネット成金だ。そうは言いながら、さほどハイテクに詳しそうにも見えないドンではあるが…。ともかくウィンストンの疑問には見事に応えた。そんな彼はふと、先程のピンクの手紙をウィンストンに見せてみる気になった。その内容とは…。

 人生って不思議なイタズラをするものね。

 あなたと別れて20年、息子も19になりました。あなたの子です。

 あの子は父親を探す旅に出ました…。

 この手紙を見たウィンストンは、持ち前の調べモノ好き、詮索好きぶりを遺憾なく発揮。手紙の主を突き止めようと躍起になる。だが、何しろ20年前。そしてドンは無類のドンファンぶりで昔から定評があった。手紙の消印はかすれて見えない。さて、どうする?

 ウィンストンはイヤがるドンに、無理矢理当時の女の住所リストを作らせる。イヤだイヤだと言いながら、ウィンストンに尻を叩かれてリストを作るドン。

 そして何と驚くなかれ、ウィンストンはわずか2日でドンが提出したリストの5人の女の今の居所を突き止めた。残念ながら、そのうち1人は死亡。ウィンストンはその女の墓の在りかまで調べていたのだ。それだけではない。飛行機のチケットの手配からコース、レンタカーやモーテルの予約、何から何まで至れり尽くせりの、「行動計画書」を作成していたのだ。ウィンストンはドンに過去の女たちを訪ねさせ、息子が一体誰の子かを調べさせようとしていた。当然の事ながら、これもイヤだイヤだと渋るドン…。

 何でオレが、ここで自分の過去と向き合わねばならんのだ。だが、それでもウィンストンにキッパリ「NO」と言えなかったのは、出ていった女のことがあったからか。人間一度は自分の過去と向き合い、何らかの贖罪をしなければならないと思ったからか。

 結局のところ、翌朝、彼は空港に降りたっていたのだった。

 

4月25日(火) 体温36度5分

 昨日はレントゲンや血液、尿検査を行った。その結果はオーケーだったようだ。手術は明日、予定通り決行だという。そこで担当医師から僕と家族に、手術の説明が行われることになった。僕の付き添いの家族は母親だ。本来だったらここに僕の妻が来ているべきなんだろうが、妻は元々いないんだから仕方がない。生まれて初めて、所帯を持たなかった事への引け目を感じる。

 説明は例の「UFOキャッチャー(by 看護士)」の解説。そして、そこから生じるかもしれない数々の危険性の説明だ。いわゆるインフォームド・コンセントというやつだ。ひょっとしたら麻酔が効きすぎで意識が戻らないかもしれません。ごくごくわずかですが、その可能性もないとは言えません。この同意書にサインお願いします。突然動転してあなたが暴れた場合、身体を拘束するかもしれません。サインお願いします。内視鏡では無理と判断して開腹手術に切り替えるかもしれません。サインお願いします。出血多量で輸血の必要があるかもしれません。サインお願いします。肝臓から胆のうをはがすとき、肝臓に損傷を与えてしまうかもしれません。サインお願いします。胆のうを切除しても、胆管に石が入っていて再手術の必要が生じるかもしれません。サインお願いします…。

 そう…僕は今回、胆のうを切開して石を取るのではない。胆のうそのものを切除してしまうのだ

 だが実際のところ、僕は当初は手術そのものをやる気がなかった。

 胆のうに石があると診断された僕は、その場で医師に聞かれた。「手術しますか? それとも様子を見ますか?」

 実際のところ胆のう結石では、実は症状が出ないままの人が大半。死んでから焼き場で焼いて、石が出てきて初めて分かる…というケースが大多数らしいのだ。僕の胆のうが痛む理由も、実はよく分からない。その日に限ってバカ食いしたという訳でもないし、飲み過ぎたわけでもない。その日よりよっぽど不摂生していても、まるで無事なことが多々あるのだ。

 だから年がら年中痛むのでなければ様子を見ようというわけ。むろん僕とて異論はない。ハッキリ言って死ぬわけでもないのに腹は切りたくない。医師の申し出に、思わず飛びついてしまったわけだ。症状を和らげるであろう薬ももらった。これで石を溶かすことはできなくても、大きくなったり増えたりすることは抑えられるはずだ。

 そのおかげか、症状はその後かなり和らいだ。和らいだと言っても、せいぜい半年に一回起きるだけに頻度が減ったというくらいだが…でも半年に一回っていうのは、ちょうど「ノド元過ぎれば熱さを忘れる」にもってこいな頻度。僕も何だかんだ言って、治療の必要をあまり感じていなかった。そんなある日…。

 昨年の年末は、仕事の追い込みが泥沼化。連日仕事を終えるのが夜12時を過ぎる状態で、終電に間に合わない事もザラ。休日出勤当たり前。さらに最後の段階には徹夜徹夜が相次ぐ状態で、しかもそこに風邪の高熱が加わった。死にそう…。

 結果は案の定悲惨なものだった。会社が仕事納めした翌日、僕は倒れて救急車で運ばれた

 久々の…そして今までで最大の痛みが襲ってきた。おまけに高熱で頭はボ〜ッとしているから最悪。しかも病院もすでに年末体勢に入っていたから、ちゃんとした治療が受けられないままになってしまった。

 そんな散々な状態で年明けして、寝込んだまま会社に出られずの1月7日。またまた突然の症状が襲って来たからたまらない。おまけに夜中の当直の医師が何を勘違いしたか、えらく高飛車に出てくるではないか。痛くて苦しくて、しかも風邪の高熱で頭がボ〜ッとしてロクにしゃべれない僕に、一方的に責め立てるように宣告してくる。

 「アンタのような人がいるから病院は迷惑するんだよ。治そうともしないで毎度毎度夜中に急患で来て」(だって、この病院の先生が様子を見ようって言ってたんですよ!)、「年末も担ぎ込まれたんだろう? だったらなぜちゃんと治療しない?」(年末年始は病院が閉まってたじゃないですか!)、「あんたみたいな人に点滴なんか必要ない、内服薬でいいよ!」(点滴じゃないとすぐに効かないじゃないですか!)、「アンタはブラックリストに載せるから、これからは夜来ても看てもらえないからね!」(苦しいから来たのに、何でそんなひどい事を言うんですか!)…。

 いまだに何でこの若い当直の医師が、これほどまでにひどい仕打ちを僕にしてきたのか分からない。とにかく彼は、若い看護婦もとい看護士たちやインターンたちを前にして、「よく見ておけ。ロクでもない患者はこう扱うんだ」…といった態度で僕を扱った。僕は七転八倒して明らかに高熱を発していたがお構いなし。

 今にして思えば、年末年始は仕事で徹夜徹夜のあげく病気で倒れ、ずっとそのまんまだったからヒゲも剃っていなかった。それでこの医師には、僕がホームレスか何かのように見えたのだろうか? ではホームレスだったらこんな風に扱って良いのか?…これまた大変な問題のように思うが…。

 だが、この夜の僕の受難はこれでは終わらなかった。しばし待たされたあげく、やっとの事でもらった内服薬。だがそれを飲んでも、すぐに効くわけではない。ともかくタクシーでも拾って家に帰ろうと思っても、激しい吐き気で動けない。おそらく今タクシーに乗っても、すぐに吐いてしまうだろう。吐いてしまっては薬も無駄になる。痛みが治らないままになってしまう。こうして僕は大病院の一階ロビーの椅子に横たわって、暖房も消されて肌寒い1月8日の8午前2時ぐらいから4時半までの間、高熱を発しながらウンウンうなっているしかなかった。明らかに風邪は悪化していたが、どうすることもできなかった。

 かなり控えめに言わせていただいても、この医師は医師免許を剥奪するべきだと思う。医師でいて欲しくない。もっと言えば、どんな職業も向いていないと思う。仕事なんて一切しないで欲しい。

 でも、オレが一人でヒッソリと死んでいく時は、こんなものかもしれない

 妻もなく子もなく、たぶんその頃は友人もいなくなって、僕は一人でヒッソリ死んでいくのかもしれない。誰も看てくれる人も省みてくれる人もいず、たった一人で病院のロビーの椅子に横たわっていたあの時のように…。

 そんなわけで…それから間もなく、僕は改めて同じ病院の医師の診察を受けたわけだ。僕のこの病院への信頼は、まだ揺らいでいない。あの夜中の当直医は最低の医者だったが、それ以外の人々はとても良くしてくれたからだ。その信頼をさらに強固なものにするためにも、あの腐れ医師は即刻解雇していただきたいものだ。この件について、僕は一切妥協をするつもりはない。

 

ブロークン・ドリームス

 ドンが最初にやって来たのは、ローラの家。だが訪れた彼女の家には、娘ロリータ(アレクシス・ジーナ)がいるだけ。しかもこの娘いきなり全裸で出てきたりして、えらくオープンなのだった。いや、オープン過ぎる。タジタジとなったドンが大いに冷や汗をかいた頃、やっとローラ本人(シャロン・ストーン)が仕事から帰って来る。

 コワゴワやって来たドンの心配は杞憂に終わった。ローラは素直にドンの来訪を喜んでくれた。

 それからローラ、ロリータと夕食の食卓を囲むドン。彼と別れた後で結婚したローラのご亭主も、今はこの世の人ではない。ドンにはうかがい知れぬ苦労をしてきたローラは、その夜ドンと久々にベッドを共にする。

 でも、それは一夜の夢だ。夢はもう消えた。儚く消えてしまった。

 結局、息子につながる手がかりは何も手に入らず、ちょっぴり甘くホロ苦い思いを抱きながら、ドンはローラ宅を後にしたのだった。

 

4月26日(水) 体温36度6分

 昨夜、下剤を飲まされたあげく、今朝はいきなり浣腸という荒技を食らう。これがツラかった。本当に具合が悪くなってしまった。アブラ汗タラタラ。手術直前に、こんなに具合が悪くなっちゃっていいのだろうか。こんな事は二度とやられたくないし、女にこんなマネをするのもイヤだ。僕にはSMセックスはまったく向いていない(笑)。

 今日が手術本番の日。朝9時半から。

 やがて看護婦もとい看護士さんが来て、僕を車椅子に乗せて連れて行ってくれる。手術前なんだから歩いて行けるのだけど、なぜかこれは儀式としてはずせないようだ。着ているものは上っ張りみたいなの一枚だけ。下着は付けない。頭にはシャンプーハットみたいなのをかぶっている。何とも間抜けだ。

 手術室は、なぜか混み合っていた。みんな看護士さんに連れられて、車椅子に座って待っていた。そして一人づつ呼ばれると、ロビーと手術室内部をつなぐ入口の台に横たわる。そこから車輪付きのベッドに移され、各手術室へと移動させられるのだ。その光景は、運送会社の倉庫のトラックヤードによく似ている。僕らはトラック(車椅子)に乗せられた積み荷だ。そして倉庫(手術室)へと搬入されていく。

 ここで何かの手違いか、一番早く着いた僕が最後まで待たされる羽目になった。だが気さくな看護婦もとい看護士さんのおかげで、何とかビビらずに済んだ。そりゃ怖くないと言えばウソになる。そんな僕の緊張を、彼女は一生懸命ほぐしてくれた。僕はこの看護婦さん以上に、女性に感謝を感じたことはない。ハッキリ言って結婚したいくらい。結婚して、お願い。今すぐ。

 だが彼女からも引き離され、僕は手術室へと吸い込まれていった。目の前にあのでかいライトが据え付けられると、いよいよ切り刻まれる予感で身震いする。口には掃除機のノズルみたいなものを突っ込まれた。これが麻酔の管だろう。無事に麻酔はかかるんだろうか。まさか途中で切れるんじゃないだろうな。何だか息苦しいなと思うと、僕はなぜか元の病室のベッドに戻っていた。そして口には酸素マスクを付けられ、鼻からは胃液を抜く管、腕からは点滴の管が伸びていた。だが苦しいのはそのせいではなかった。お腹が苦しい、いや痛い、いや苦しい…。あっけなくも、いつの間にか僕の手術は終わっていたのだった

 だが、さすがに鼻から胃に突っ込まれている管には閉口した。これが本当に苦しいのだ。あまりにツライので抜いてもらったが、それでも水一滴も飲めないのはもっとツライ。そんな僕の姿を見かねて、例の看護婦もとい看護士さんが水を含ませたガーゼを持ってきてくれて、僕の口に含ませてくれた。あぁ、何て優しいんだこの人は。愛してる。でも苦しい。愛してる。水が欲しい。愛してる。ノドが乾いた。ずっと横になっていて腰が痛い。点滴がうざったい。酸素マスクがジャマだ。イライライライラ。

 母親が、医師からもらったと言う「胆石」を見せてくれた。何と8個も! いろいろなアングルから撮ったMRIでの撮影でも、たったの1アングル…それも1〜2個しか写っていなかったのに。どこをどうやったら8個も入っているんだ。どんなシロモノかと問われたら、一回りツブの小さいハーブ・キャンディという感じと答えたい。ドス黒い色もそんな感じだし、形も似ている。何より驚いたのは表面がギザギザしていたこと。これでは痛いはずだ。

 これは何かの罰が下ったのか…。

 それよりも何よりも…僕は身体の一部を失ってしまったのだ。その意味では、かつて中国の王宮に使えた宦官にも似ている(笑)。最初手術と聞いた時には、胆のうを失うとは思わなかった。まさか切って取ってしまうとは…。

 思い起こせば悪夢の1月7日の夜から間もなく、僕がまたこの病院の玄関をくぐったのは、先にも述べた通りだ。こうも何度も痛みが襲ってくると、もう我慢も限界。「ブラックリストに載せる」とまで言われたら、もう躊躇できない。さすがに医師はあの傲慢当直医の話を聞いて平身低頭だったが、ともかく僕の気持ちは固まっていた。手術で石を取るしかない。こうして外科の教授の面談の場を持つことになったわけだが、その教授の言葉を聞いて、僕は思わず表情が凍りついてしまった。

 「それでは胆のうを切除するということで…」

 えっ? 手術とは聞いていたけど、切除なんて聞いてねえよ。胆のうを切って石だけ取るんじゃなかったの? いつから胆のうそのものを取っちゃう話になってるんだ?

 教授はいとも簡単に「切る」とか言ってるが、それって誰の胆のうだと思っているんだ? そもそも、人間の身体に不必要なモノなんてあるのか? 胆のうを切って、その後問題はないのか?

 だが最近の手術では、胆のう切除が「主流」だと言う。ちょ、ちょっと「主流」って…ファッションとか自民党の話じゃないんだぜ。すっかり疑心暗鬼の僕。そんな僕が警戒を解いたのは、インターネットで胆のうの事を調べてから。やっぱり「主流」は間違いないようだ。

 そんなもんなのかねえ。

 こうして僕はすっかり身を任す気になった。覚悟を決める気になった。…なったのだが、それでも身体の一部がなくなるってのは複雑な心境だよね。昨日まであったものが、もうなくなっちゃうんだよ。

 そして、二度と戻ってはこないのだ

 

ブロークン・ホーム

 ドンが次に訪ねたのはドーラ(フランセス・コンロイ)。高級住宅を売りさばく不動産業を営んでいる。彼女が今住んでいるこの家も、実は売り物だ。だが、ドンの突然の来訪に思い切り戸惑った様子。ドンも息子の手がかりは何も得られそうにないし気まずいしで、早々に退散しようとした矢先…。

 何と彼女のご亭主ロン(クリストファー・マクドナルド)が帰宅した。

 外向的なロンはドンの来訪を大歓迎。夕食を共にしようと言い出した。こうなると帰るに帰れない。

 だが、何という気まずさだろう。

 そしてこの夫婦、この食卓、この家庭は、住んでいるこの家同様にどこか生活感がない。いかに金が儲かったか、いかに幸せかを力説するロンだが、なぜかその言葉は空疎に響く。それはロンが子供を望んだのに、ドーラが拒否してきたからだろうか。

 「いや、なに、僕はドーラさえいれば幸福さ。ははははは

 「あはははははははは

 「わはははははははははははははは

 しかし空疎という点では、ドンもいい勝負かもしれない。ネットで儲けたが、女に逃げられた。生活感が全くない、このピカピカで贅沢で…どこか空疎な家と同じだ。ドンはやりきれないような苦々しい思いで、その場をそそくさと立ち去った。

 

4月27日(木) 体温37度5分

 朝起きても、まだ点滴つけてたし酸素マスクも付けてた。ついでに水も飲めない状態だった。結構ツライよ、これは。

 だが、朝の段階で回復状況は上々だったようだ。医師からの許しが出て、水を口にしてもいいとのお達しだ。酸素マスクもはずす事が許された。いやぁ、天国だ。もう治ったみたいな気分。

 起きあがったり身体をかがめたりするのは、さすがに腹の筋肉を使うので痛みを感じる。それでも、全然できないわけではない。まるで手術一日後とは思えない回復ぶりだ。現代医学ってスゲエ。

 早速、僕は顔を洗いに洗面所へ向かった。顔中汗ばんでいて気持ちが悪い。冷たい水で顔を洗ってスッキリすると、そこにはやけにツルンとした見慣れぬ顔が…。

 ここ何年か生やし続けた口ヒゲが、キレイさっぱりなくなっていた。

 それは、まさに青天の霹靂だった。それを言われたのは手術の前日。看護婦もとい看護士さんに「剃った方がいいですね」と言われた時、僕はてっきり「下」の方だと思っていたら大間違い。恥ずかしがってる場合じゃなかった(笑)。剃れと言われたのは「上」…僕のヒゲだったのだ。手術の時に口に突っ込む酸素のホースを、ちゃんと固定するためにテープでグルグル巻きにする。それを手術後にはがす時に、口ヒゲがあったらくっついてはがれなくなってしまう。そこで事前に剃っておけと言うわけだったのだ。

 だが手術のためにここ数年親しんでいたヒゲを剃るなんて、考えてもいなかっただけに大ショック。浣腸よりもショックだった。何だか顔が間が抜けて見えちゃうんじゃないか。

 でも、何となく…それも運命だという気がした。ヒゲも剃り時かもしれないと思った。そろそろいいんじゃないかと思った。それを手術が踏み切らせてくれたんじゃないか。

 「あなたがヒゲを生やした顔を見たい」と彼女は言った。

 ヒゲを生やしたらどう見えるのか見たいと、当時僕が付き合っていた女が言ったのだ。それは6年前のことだ。初めて二人で過ごした晩に、彼女は僕の口元をなでながらそう言ったのだ。見たいかい? 見たいなら見せてやるよ。

 おまえがしたいと思うこと、おまえが欲しいと思うモノは、何でも叶えてやる。

 正直言って、僕はあの女のためなら死んでも良かったのだ。たぶんあの時は完全に気が触れていたのだろう。そして、あんな事は二度と起きない。起きないことを願っている。だがあの時は、あの女が何よりも大事だった。

 だが、向こうも同じ事を思っていたかと言えば、それは残念ながら違うと言わざるを得ないだろう。お互いの見ていた夢は、まるっきり違っていたのだ。

 やがて僕は月に一度の蜜のように甘い瞬間を得るために、徐々に真綿で首が絞まるような3年間を過ごすことになる。

 今でこそ、女が自分の利益のために手段を選ばないことを、僕は決して責めたりはしない。女にはそれが許されるということも、僕は否定はしない。だが、それはやはり自分が第三者である時に限る。やがて僕は困り果てて困り果てた末に女の裏切りを知り、文字通り…これはまったく大げさな表現抜きで、血を吐くような半年間を体験することになる。僕に胆のう結石の症状が最初に現れたのは、まさにこんな時期だったのだ。このツライ体験が原因だったとは特定できないが、そうでなかったとは僕には思えない。

 しかも彼女の事で追いつめられ、追いつめられた末に裏切りが発覚したこの時期、一方で僕はキャリア的にほとんど死に等しい状況に追い込まれてもいたのだ。仕事に紛れてすべてを忘れる事ができない。むしろ仕事が自分を最も滅入らせるモノに成り下がってしまった。金銭的状況は悪くなる一方だ。一番誰かに優しく見守られたい時に、そうしてくれる人間はいない。してくれるはずだった人間は、自分に後足で砂をかけている。これは悪夢としか思えない。

 だが、悪いことばかり言うもんじゃないだろう。うまくいっていた頃は、信じられないほど素晴らしい思いもしたのだ。それをなかったように言うのもフェアじゃないだろう。なかなか出来ない経験もした。

 ただ、彼女との事が終わってすべてがスッキリした…それは確かだった。そうなるしかなかったのだ。元々住んでいる世界が違った二人だった。そういや、あいつジム・ジャームッシュの映画も好きだったよな。オレはイマイチだったけど。

 だから、終わって全部スッキリしたはずだ。そうは分かっていても…その苦しさを振り切るには、やはり3年ほどかかった。さらに人生そのものを建て直すには、5年もかかってしまった。

 今ならヒゲを剃ってもいい…今回僕がそう思った理由も、これでお分かりいただけるのではないだろうか。

 

ブロークン・メモリーズ

 ドンが次に訪れたのはカルメン。だが彼女は、いつの間にか動物と「会話する」カウンセラーになっていた。ったくドリトル先生かい。弁護士めざして野心と理想に燃えていた彼女はどこに行った。

 そう言う自分の夢や希望もどこへ行った。

 多忙を極める彼女の元を訪ねても、助手の女(クロエ・セヴェニー)は剣もホロロ。やっとこ会うことが出来たカルメン(ジェシカ・ラング)本人はそこまで冷たくはなかったが、さりとて会って何かが生まれる雰囲気でもなかった。息子の手がかりもなし。

 動物と言葉が交わせると言っていた彼女。その言葉にはウソはないだろう。だが、どうして人間同士のオレとは言葉が通じないのだ

 次いで会いに行ったペニーはもっと悪かった。山の中のおんぼろ家屋に住むペニー(ティルダ・スウィントン)は、見るからに生活が荒んでいる様子。おまけにドンの顔を見るや、なぜかいきなり逆上。それを見た彼女の取り巻きの荒くれ男たちが飛び出して、訳も分からないままドンは手痛いパンチを浴びるハメになる。

 一体彼女に何があったのか? 自分ではあずかり知らぬところで、自分は彼女を深く傷つけてしまっていたのか? たぶん今となっては、彼には永久に分かりはしまい。

 傷つき疲れ果てたドンが最後に辿り着いたのは、たった1人亡くなっていたぺぺの墓

 短い間ではあったが、まがりなりにも自分が愛していた女が死んだ。袖すり合うも何かの縁。ならばもっと浅からぬ縁で多少なりとも結ばれた事もある女の哀れな運命が、自分と関わりないはずはあるまい。なのに…致し方ない事とは言え、自分は彼女の孤独な死を知らなかった。彼女は一人で死んでいった。

 死は、実は自分と隣り合わせのところにあった。折からポツポツと降り出した雨は、そんなドンの心の涙雨か。

 そんなわけで傷心のドンは、ようやく自宅最寄りの空港へと戻ってきた。グッタリして家路に就こうとしたドンだったが、そんな彼がふと目にとめたのは…。

 年格好なら19〜20ぐらいの一人の青年(マーク・ウェバー)の姿だった…。

 

4月28日(金) 体温37度3分

 もはや点滴がつながっているだけで、あとは好調そのもの。僕はウソのように早い回復を見せていた。それと同時に…この病院に持ち込んでいたパソコンを取り出し、病室でパチパチと打ち始めた。実は僕はこの病院に、仕事を持ち込んでいたのだ。

 その仕事とは、「女性攻略」の大家…レディ・キラーとして名高いある先生の「女を落とす本」の執筆。早い話が「ゴースト・ライター」としての仕事だ。そのために病室に、この先生の「女性攻略本」を10冊程度持ち込んでいた。これらのエッセンスをあちこちから取り出し、僕が一冊にまとめるというヤクザな仕事なのだ。

 当然身体も治りきる前にパチパチとやり出した僕は、この病棟でも目立つ存在になっていた。おまけに参考資料としてベッドに広げている本の数々が…「女心をつかむ××のマニュアル」「×分間で女を口説く法」「女の誘い方××のマニュアル」…これじゃあ看護婦もとい看護士…ええい、面倒くさい。ナースのみなさんだって「こいつ一体何者だ?」って事になるのも道理。

 僕だって最初は病室にまで持ち込んでやるつもりはなかった。だけど、どうしたって間に合わない。締め切りを考えたら、こうするしか方法がなかった。

 だがやっぱりこれらの本は、ナースのみなさんに見せるもんじゃない。そこで病室にナースが来るたびに、オナニーの現場を親に見られたみたいに(笑)本をガサゴソ隠していた僕なのだ。そうなると、向こうも向こうで見て見ぬふり。

 だが、なぜか例の手術室に付き添ってくれた看護婦…ナースの女性だけは、興味津々に訊ねてきた。かくかくしかじかと話をすると、彼女は目をまん丸くして妙に感心している様子。わけを聞いてみると、実は彼女も昔は国文科で学んでいて、何か書いたり創ったりする職業に就きたかった…と話すのだった。

 「うらやましいですよお」

 そうだよなぁ。思った通りの職業に就けるというのは、人としてかなり幸せな事なのかもしれない。

 だが僕は、そんな事も分からずに遠回りをした。ええカッコをし、自分の実力を過信し、どうにかなるさと世の中を甘くナメきって…ようやく収まった居心地のいい職場も、ひとりよがりなタンカを切って辞めた。

 それから10年。

 そのうちの半分は、正直言って僕は自分の能力と時間を空費したというべきだろう。空費したのはそれだけではない。自分の銀行口座の中身も見事に空費してしまった。

 辞めてもどうにかなると思ったが、どうにもならなかった。何とかありついた仕事も、とても安住できる場ではなかった。何より自分に堪え性がなくなっていた。大きなリスクをしょって前の職場を捨てたのだ。それがこんな所で落ち着いてたまるか。そうやってまた逃げる。逃げて現実から目をそらす。時はバブルなどとっくに終わった不況時代。おまけに、自分の年齢もどんどん峠を越えている事に気づかない。一体どこの誰がオマエとオマエのチンケな能力など欲しがるのだ? 第一、オマエ一体いくつなんだよ?

 まるで僕は、下手なバクチ打ちにも似た状況に落ちていた。負けが込んでいるから、大きく賭けざるを得ない。でも無謀な賭けだから勝てるわけがない。たまに小さく勝っても満足できない。そしてせっかく勝っても、全部もっと大きな賭けにつぎ込んでスッてしまう。こうしてどんどんジリ貧一直線。

 僕があの女に過度に溺れ込んだのも、それなりに理由がない訳ではない。おそらく現実から目をそらしたかったのだ。そして見て見ぬふりをした。

 きっとあの女にはあの女なりに、一度壊れちゃった人生を建て直そう、もう一度幸せな家庭を持とう…という夢があったのだろう。だが、僕にそれを叶えてやれたか。叶えてやろうという気持ちがあったか。何とかうまくごまかして、できるだけ自分だけ長くオイシイ思いをしようと思わなかったか。…そう考えれば、僕もあの女に申し訳ない事をしたのかもしれない。

 あの女にも、そういえばあの女にも、それよりもっとあの女にも…僕は申し訳ないことをした

 僕はあの女たちの期待を裏切ってしまった。失望させてしまった。逃避したし、卑怯にも自分を守ったし、本当の事は黙っていたし、自分かわいさに彼女たちを犠牲にした。

 「女性攻略本」を書いている間、僕の脳裏にはさまざまな女たちが浮かんで消えた。

 この先生のさまざまな「攻略本」は、確かに男の都合で書かれた調子の良いところがある。最初は僕も参考に読みながら、その調子の良さを笑ったり辟易したりした。だがこの先生はダテに「女心の大家」の名前を頂戴してはいない。結局全編読み終えて気づくのは、「オマエは本当に女を愛していたのか?」という問いかけだった。

 「オマエはその女に愛されるに値する男だったのか?」

 病室は夜9時になると消灯だ。そうなると、さすがにもうパソコンはいじれない。真っ暗になった病室の大きな窓には、新宿の高層ビル街の素晴らしい夜景が広がっていた。

 僕はこんな美しい東京を見たことがない。

 この夜景を見せてやれたら、もっと気持ちを分かってやれたら…あいつはどんなにか喜んだことだろう。あいつの夢を叶えてやれていたら、どんなにか良かったことか。おそらくそんな事は無理だったに違いないが、それでも何かできたのではないか…。

 僕はそんな気持ちを抱きながら、悶々と眠りに落ちたのだった。

 

ブロークン・フィルモグラフィー

 正直に言って、僕はジム・ジャームッシュが好き…とは言い難いかもしれない。

 世評が高かった彼の出世作「ストレンジャー・ザン・パラダイス」(1984)も、よく出来てるなと感心はしたが「好き」ではなかった。「ダウン・バイ・ロー」(1986)も「ミステリー・トレイン」(1989)も同じようなものだ。感心はしたが好きじゃない。唯一この時期で好きな映画といえば、「ナイト・オン・ザ・プラネット」(1991)だろうか。だが次の「デッドマン」(1995)はますますダメ。ゴースト・ドッグ(1999)は面白いと思ったけど、今にして思うと内容をまったく思い出せない。どうなっちゃってるんだろうな。

 僕はそもそも好きでないところに、実はジャームッシュって最近マンネリ化してるんじゃないかって気もしていた。あれだけクセの強い作風だから個性も際だっているが、それだけにルーティン・ワーク化するとキツイ。あのオフビートでスットボケて寡黙な映画が最初は新鮮だったかもしれないが、それをずっと続けていたら見てる方だって鮮度が落ちるだろう。

 しかもジャームッシュ以外にも、そんな作風の映画作家たちが次々出てきた。アキ・カウリスマキもその一人だ。もちろんカウリスマキはジャームッシュとは個性も違う。だが映画のスタイルの外面的な部分だけ見れば、やっぱり「オフビートでスットボケて寡黙な映画」だ。そんな映画が氾濫しているような印象もなきにしもあらず。

 しかもしかも、インディペンデント系でこうしたスタイルの映画のフォロワーが後を絶たない。ついには南米ウルグアイからウイスキー(2004)なんて丸々パクリみたいな作品が現れるに至っては何をか言わんや。事ここに至ると、もはやこのスタイル自体が無惨に形骸化してしまったと言わざるを得なかった。

 そのせいだろうか、オムニバス映画10ミニッツ・オールダー/人生のメビウス(2002)に収録された短編では、今までと少々趣が異なる作風を見せてもいた。おそらくジャームッシュ自身、マンネリを意識せざるを得なかったのだろう。だがこの新しい試みも、必ずしも成功しているとは言い難かった。

 おまけに次に来たのが、この20年間ぐらいにわたって撮り続けた短編の寄せ集めコーヒー&シガレッツ(2003)。これには呆れかえったというか、ジャームッシュ本当に行き詰まってるんだろうな…と痛感せざるを得なかった。だが、こんなお遊びやってる場合じゃないだろう。大体、これって人様から金とって見せるもんじゃないよ。

 そんなわけで、僕はジャームッシュが本当にヤバイと思っていたのだ。どうにも先の見通しがまったく立たなかったからね。

 

4月29日(土) 体温37度2分

 ブラボー。やっと点滴もはずれた。ようやく一人前の男として自立した。それよりもっと嬉しかったのは、思わぬシャバの空気が僕の病室に吹き込んで来たからだ。

 職場の女の子が、見舞いに来てくれた。予想もしてなかったからこれは嬉しかった。実はここだけの話、涙が出そうなほど嬉しかった。たった1週間でも、やっぱり世間から遠ざかっているのは寂しかったよ。何だか世の中全部から見捨てられちゃったみたいで。それにこの1週間は、普段の1週間とはまるで違っていた。いろいろ考えさせられたからね。

 僕とは20歳は違う、まるで実の娘のような女の子。それがプリンなんぞを持って来てくれた。「これホントにオイシイから、私の分として1個食べていい?」

 いや、もう、いいともいいとも。1個でも2個でも全部食べちゃってもいいよ。よく来てくれたなぁ、本当によく来てくれたよなぁ。オレの事忘れていなかったんだなぁ、オマエは。

 結局そのすぐ後に僕の旧友たちが来てしまったので、彼女はゆっくり出来ずに帰ってしまった。それでも彼女が見舞いに来てくれたのは本当に嬉しかった。

 待っていてくれる人がいるというのは、嬉しい。

 去年の夏、僕はもう何度目かの…いや、十何度目かの下手なバクチに破れていた。とんでもない職場をやっとこ逃げ出して以来、ロクな仕事にありついていなかった。僕を受け入れる条件は、どんどん悪くなっていく一方だった。

 本当は甲斐性なしの僕を見限った女を、カッコよく見返してやりたいところ。だが、もはや見返してやるどころの騒ぎではなかった。今後オレはマトモに生きていけるのか? このままじゃホームレスになりかねないんじゃないか? もはや見栄を張っている場合ではなかった。

 一度は怪しげな通販の会社に引っかかりそうになった。あるいはマルチ商法らしき会社にすがり付きそうにもなった。40過ぎた男に、贅沢なんて言える訳がない。僕は夢も希望も消え果てた事を、今さらながらにようやく悟ったのだった。

 そんな中、ひょんな事で引っかかったのが編集プロダクションの会社だった。僕は元々コピーライターだから、正直言って編プロなんて全然興味はない。それでも飛びついたのは、もはやええカッコしてる場合じゃないからだ。大体、僕はそもそも業界紙の記者をやって、PR誌をつくって、そしてコピーライターになったのではないか。今さら「本来の仕事」云々と言うのもバカげてる。それでも僕は、本当にこの方向にいっちゃっていいのか、まるで確信が持てなかった。

 ところがこの会社の側は何を考えてるのか、どんどん僕の外堀を埋めていく。少しはこの怪しい老いぼれライターに、警戒心ぐらい持ったらどうなんだ。次から次へと職場を変わっていった経歴に、胡散臭さの一つも感じたらどうだ。こうなりゃヤケだ。別にオレがこの会社をダマしてるわけじゃない。どうにでもなれだ。ダメなら、また逃げればいいや。

 そうは言っても…。

 もうそうは問屋が卸さないことぐらい、僕が分からないわけはなかった。今度ばかりはええカッコをしない、バカはやらない、逃げない、思い上がったマネはしない…僕はそれを肝に銘じて、新たな職場に赴いたわけだ。今度こそ、オレは心を入れ替えなければいかん。ところが…職場に一歩入った瞬間に、僕は「しまった!」と気づいた。

 若い女の子だらけだ!

 前に職場を覗いた時は、これほど女だらけだとは気づかなかったのだ。しかし、見事なまでに女だらけ。見ていて頭が痛くなった。こりゃとんでもない誤算だぜ…。

 僕はそれまで、どちらかと言うとマッチョな体質の職場が多かった。女性はあまり多くない職場ばかり。僕は必ずしもマッチョ体質の男ではないが、ハッキリ言って女性の多い職場は得意としていなかった。それが…回りを見渡すと女ばっかり。これにはいささかゲンナリした。正直言って、女ってのは扱いに困るんだよなぁ。これじゃ長続きするわけねえよ。

 セクハラと言われても仕方がないが、僕は仕事場での女性というものを、あまり評価していなかったかもしれない。だが誰が何と言おうと、苦手なものは苦手だ。差別と言われようがキャベツと言われようが仕方がない。こりゃ困った事になった。

 こうしてすっかりこの会社での前途を絶望視してしまった僕だが、だからと言ってサッサと逃げる訳にもいかない。ここは目をつぶってでも、しばらくはこらえようと思ったわけだ。

 それから数ヶ月…。

 その頃になると僕の考えは、なぜか180度変わっていた。変わらざるを得なかった。彼女たちがよく働く。みんながみんな大したものという訳ではないが、それでも多くの女の子たちは本当に一生懸命やっているのだ。そして根性もガッツもある。これにはホトホト感心した。恥ずかしい話だが、僕なんかよりしっかりしていた。

 そして、それに引き替え…若い男の使えないこと使えないこと。カッコばっかつけて、まるで仕事をしない。手を抜く事しか考えない。人に丸投げ。無責任。それでいて手柄は人一倍アピール。こっちが下手に出ると見くびってつけ上がり、敵わないと知るや手の平を返したようにオベンチャラ。ミスを誤魔化そうとしてウソにウソの上塗り。知らない事も知らないと言えず、何でもかんでも知ったかぶり。まったく見下げ果てたガキしかいない。男の方がよっぽど男らしくないのだ。これにはすっかりまいったよ。

 今ではすっかり、僕は若い男と仕事をするのがイヤになった。女の方がナンボかマシか分からない。いや、そんな事を言っては失礼だ。女の方がまるっきり優秀なのだ。若い男なんざクズばかり。…ま、他にも言いたい事はあるが、このへんでやめておこう。

 そんなこんなで腰を落ち着けた僕は、久しぶりに落ち着いて仕事をしている気がする。

 忙しい時はハンパじゃなく忙しいし、時に休みも毎週のように返上することになる。それが高じて、先にも述べたように年末ぶっ倒れることにもなったのだが、実は僕はそれがさほど苦には思えない。苦だったのは、したくてもロクな仕事がなかったこの何年間かのことだ。マトモな仕事もさせてもらえなかったあげく、ナマケ者のレッテルを貼られそうになったことだ。アレは苦しかった。それと比べれば、今は天国みたいなものだ。

 もっとも…実はここだけの話、僕を取り巻く職場環境が昔より劇的に素晴らしくなったという訳ではあるまい。以前と比べればかなり状況は改善したとは言え、困ったところを挙げたら枚挙に暇はないだろう。ウロチョロ立ち回っては僕の足を引っ張ろうとする、あの若い男も不愉快だ。

 だが職場というものは、そもそも本来そういうものなんだろうと今では思う。

 先に対するビジョンがない、先輩や上司の人使いがなってない、仕事の段取りが変だ、妙なところにしみったれてる反面、無駄があまりに多い。イヤな奴がいっぱいいる…。たぶんどこでもそうだろう。何だかんだ言っても、仮にこれがソニーだって大して変わるまい。僕があっちこっち流れ流れて来た中で掴んだ真実は、たったこれだけ。どんな会社、どんな職場、どんな状況に行っても結局変わらない。どこかに素晴らしい環境が待っている…なんていうのは幻想だ。もし仮にそんなものがあったとして、オマエ自身はそんな場に相応しい存在と思っているのか?

 大事なのは、与えられた状況の中で自分に何が出来るか…ではないか?

 それなのに、僕は都合が悪くなると逃げ回ってばかりいた。どこかに行きさえすれば、すべてが解決すると思っていた。だから次に行っても、決してうまくいかなかったのだ。

 今、僕がある程度気持ちよく仕事が出来ているとすれば、それは僕自身が変わったからに他ならない。変わったというより、懲りたというべきだろうか。そして僕がそうなったからこそ、こうして見舞いに来てくれる人もいる。きっと、そういう事なんだろう。

 それにしても…見舞いに来てくれた彼女の目には、僕はどう映っているんだろう? 僕は妻もいないし子供もいない、家庭を持った事のない男だからいまだに勝手に若い気持ちでいる。だが彼女の目から見た僕は、まるで自分の父親のように見えているんじゃないか? 中味はちっとも大人にならないが、歳月だけはキッチリと僕の目の前を通り過ぎていっているのだった。

 そして、僕はようやく悟った。テメエの落ち度を棚に上げ、テメエの大した事のない能力を過信し、気に入らない事があるとすぐに逃げを打つくせに、人に対しては「何様」な態度…。

 あの使えない若い男たちは、昨日の自分だったということを。

 

ブロークン・ルーティンズ

 そんなわけで僕は、必ずしもジャームッシュの新作を心待ちにしていた訳ではない。確かに今回、ビル・マーレイはじめ豪華キャストが並んでいるあたり、いつものジャームッシュのお仲間との馴れ合いみたいな雰囲気は影を潜めている。かといって、ここ最近の彼の煮詰まり具合を考えてみると、とても簡単に立ち直れそうもない。おまけに映画マスコミも彼のファンも、バカの一つ覚えみたいにホメそやすばかり。これじゃあ立ち直れるものも立ち直れなくなる。

 それでも初日に飛んでいったのは、僕にも何らかの予感があったからだろうか? 実は、その予感が的中したから世の中分からない。

 面白い!

 ハッキリ言って、ジャームッシュ映画で初めて本気で面白いと思った。物凄く気に入った。おまけに身につまされた。ググッと身を乗り出して見た。

 お話としてはジュリアン・デュヴィヴィエの「舞踏会の手帖」(1937)のバリエーションと言うべきだろうか、あと挙げるとすればポーランドの巨匠アンジェイ・ワイダの「ヴィルコの娘たち」(1979)も同系列の作品だろう。主人公が過去に自分と関わりを持った異性に会いに行く話。その過程で見えてくる時の流れの残酷さ、人生の皮肉さ。まさに今回のお話と重なって来る。そもそもこういう過去の作品から培われて来た「物語」という器を流用しようとすること自体、ジャームッシュとしては異例なのではないか。

 確かに今回も一見「オフビートでスットボケて寡黙な映画」の体裁はとっているが、実は映画の内容自体はかなり変貌しているのが特徴だ。いや、そもそも寡黙かどうかも怪しい。

 何しろ冒頭からピンクの封筒が思いっ切り強調される。何を撮っても、カラー映画を撮ってもモノクロみたいな印象が強かったジャームッシュが、今回思い切り色を強調しているのだ。

 そして郵便局員が手紙を持って郊外の住宅地を歩いていく…この長回しからしてジャームッシュらしくない。画面を支配するのは木々の緑を中心にした暖色系のカラフルなトーンだ。何と饒舌な画面なことか。これだけでも、今回はジャームッシュ映画のルーティンを大きく逸脱している。

 そして描かれているお話も、ビル・マーレイの好演のおかげで面白くもホロ苦く、何とも身につまされる。まぁ、そのあたりはどこでもみんなが語っているだろうから、僕はあえて繰り返さない。ただ、派手な感情表現を極力抑えて、居心地悪そうな感じを終始漂わせるあたりは絶品。あのロスト・イン・トランスレーション(2003)に続いて、何と素晴らしいオッサンぶりであろうか。この人のちょっとスノッブな感じが、実にうまく活かされている。そうそう、余談ではあるが「ロスト〜」に登場する病院こそ、僕が今回入院した大病院なのだ。何となく偶然には思えない。

 シャロン・ストーン、ジェシカ・ラング、ティルダ・スウィントン、ジュリー・デルピー、クロエ・セヴェニー…という意外にして豪華な女優陣も見ものだが、予想に反して一番素晴らしかったのはシャロン・ストーン。一体どういうつながりでジャームッシュに起用されたのか皆目見当がつかないが、マーレイとベッドで迎えた翌朝のだらしない口元あたりは…よくぞこれを演じたなと感心してしまった。またティルダ・スウィントンの化けっぷりにも驚愕。猟人日記(2003)やナルニア国物語/第1章 ライオンと魔女(2005)での彼女とぜひ比べていただきたい。さらに芸達者ぶりに舌を巻いたのはジェフリー・ライト。今までのイメージを覆すおせっかい男の役で、シリアナ(2005)に続いての好演ぶりに嬉しくなってしまった。

 見事に宙ぶらりんにされる結論も、お見事と言わざるを得ない。そりゃそうだ。人生にそんなに簡単に結論なんぞ出るはずあるまい。これはこれでいい。宙ぶらりんでこそ実感が湧く。

 それでも、終始仏頂面で何もしようとしなかった主人公が、最後息せき切って走るだけでも意味がある。結論が出なくても、それだけでも変わったとは言えまいか。

 それにしても、人生を振り返るキッカケ…というこのテーマを、ジャームッシュがいかに思いつくに至ったかが僕は知りたい。何しろ尋常ならざる実感が溢れてる。しかも今までのジャームッシュ作品とも、あまりに一線を画している。これはただ事ではあるまい。

 ひょっとして…それってやっぱり彼の行き詰まりに理由があるんじゃないか?

 「順調なインディペンデント映画人生」を送りながら終始ええカッコしてきたジャームッシュが、何らかの作家的危機を自覚していたからじゃないだろうか。そうでなければ、こんな変身の必然性がない。そして、これぞ本音のジャームッシュではないかという気がする。

 それは「ええカッコ」というヨロイをはずした、軽やかなジャームッシュだ。

 

4月30日(日) 体温36度7分

 気づいてみると、僕はこの病棟の「古株」になっていた。ここは短期療養者用の病棟なので、次から次へと入院患者が変わる。1週間の入院でも、ここでは長い方になってしまうのだ。

 そんな事もあってか、僕はまるでここに居着いてしまったかのような気持ちがしていた。

 気が付くと、この1〜2日はあのナースの顔を見ない。僕の担当からはずれてしまったのだろうか? なぜかとても寂しい気がした。

 明日でここを出る。

 いよいよ退院だ。シャバに出られる。それって待ちに待った事のはずなのに、僕はなぜかこの病院にもっと世話になりたい気になっていた。実に奇妙だ。

 でも、分かる気もする。

 今まで僕はずっと走りっぱなしだったけど、実はこんな時間がどこかで必要だったんじゃないだろうか。ちょっと立ち止まって、周りを見渡すような、ちょっと道草をするような…そんないつもの人生とは違う時間を、僕は持つべきだったんじゃないだろうか。だとしたら、この入院は僕にとって貴重な時間だったに違いない。

 僕の今までの人生は、あまり楽しくなかったな。僕という人間も、あまりいい奴じゃなかった。他人にとっても、僕は楽しい男じゃなかったろう。

 せめてこれからの人生、ちょっとはマシに改めたい

 まぁ、たぶん掛け声だけだろう。やる気になっても最初のうちだけだろう。無理に決まってる。どうせできっこないのかもしれないが…でも、やってみようと試みるくらいはするべきかもしれない。

 あのドス黒くて尖った「胆石」が、僕の罪をかぶって切って捨てられたのだと思えばいいではないか。何しろ僕は変わった。ウソじゃない。実際に変わったのだ。だって身体の一部分がなくなっているんだからね。もう昨日とは別人なのだ。ならば僕も、これからちょっとは違った行き方が出来るかもしれない。

 身も心もほんのちょっとだけ軽くなって。

 

 

 

 

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