「タイフーン」

  Typhoon

 (2006/04/24)


  

見る前の予想

 最近は難病とか純愛とかロマコメとか、すっかりヤワくなった「韓流映画」もとい韓国映画だが、元はと言えばその「濃さ」が売り物だったはず。シュリ(1999)以降、日本の映画市場を席巻し続けている昨今の韓国映画はその濃さを若干中和して口当たり良くして登場したのがミソで、程良い辛口と湿り気に元々朝鮮半島が孕んでいる複雑事情もあって、ポリティカルなサスペンス・アクションが韓国映画の「売り」的な時期もあったのだ。先に挙げた「シュリ」の他にもユリョン(1999)、JSA(2000)…など、より現実味と湿り気を増したジェリー・ブラッカイマー映画…特に「クリムゾン・タイド」(1995)…みたいな路線で大いに注目を集めた。だが、それも今は昔。昨今はすっかりユルい作品ばかりになってしまって、ハッキリ言って食指がそそらない事の方が多い。

 ところがこの映画はチャン・ドンゴンが主演だ。

 詳しくは後に述べるが、チャン・ドンゴンなら大丈夫。彼の出る映画には、結構ハードなものが多いのだ。おまけにこの映画、例の南北問題が根底に横たわっているらしい。ならばどうしたって、この映画はハードにならざるを得ないではないか。

 

あらすじ

 台湾沖を一隻のアメリカの貨物船が行く。何となく訳アリのこの船の前方に現れたのが、難民を乗せたイカダ。だがこの貨物船、難民を助けようとせず逆に発砲するアリサマだ。ところがすでに何者かがこの船の中に潜入していたからたまらない。たちまち巻き起こる殺戮の嵐。アッという間に船の中は死体の山だ。この米国船を襲ったのは、顔にキズを持つ男・シン(チャン・ドンゴン)を頭にした東南アジアの海賊たち。彼らは船を完全制圧した後、隠してあった「ある装置」を発見する。

 一方この事件の知らせは、韓国の国家情報院にも伝わっていた。実は海賊たちが奪ったのは、アメリカ軍が秘密裏に日本の沖縄に配備しようとしていた核ミサイルの衛星誘導装置。こと一つ間違えば国家の存亡に関わる事から、韓国政府は秘かに捜査員を送り込んで誘導装置を奪還しようと目論んだ。白羽の矢が立ったのは、エリート海軍大尉カン・セジョン(イ・ジョンジェ)。彼は単身、海賊が潜んでいると思われるタイに潜入した。

 その頃シンは武器商人の仲介で、例の衛星誘導装置を売る相手を捜していた。その代わりに彼が手に入れようとしていたのが、何と大量の核廃棄物だ。そしてシンは同時に、ある「一人の女」の居所を探させてもいた。一体シンは、この核廃棄物を何に使おうと言うのか。そして、探している「女」とは一体誰なのか?

 タイ入りしたセジョンは、早速あらゆる伝手をたぐって例の武器商人とコンタクトを取る。ここでセジョンは、「シン」なる海賊の名前を初めて知る事になる。

 実はシンというこの男…1983年に北朝鮮からの亡命を図り、中国のオーストリア大使館に逃げ込んだ一家の長男だった。だが不幸にも、当時の韓国は中国との国交を樹立したばかり。事を荒立てたくなかった韓国政府は、彼らを北朝鮮へ送還させる事に決めてしまった。こうして北朝鮮へ逆戻りする羽目になった一家は、シンと姉を除いて全滅した…。

 ともかく武器商人から情報を得るために、引き替えの条件としてコンテナ一杯の難民を韓国にフリーパス入国させるセジョン。だが、これはワナだった。バンコク空港でセジョンをまこうとする武器商人を捕まえたものの、時すでに遅し。シンは何と例の難民コンテナに紛れ込んで、韓国国内に潜入していたのだ。

 慌てて韓国へ飛んで帰るセジョン。その頃シンは釜山のロシア人街でロシアン・マフィアと接触していた。シンはマフィアの力を借りて、この釜山の街で何やら実行に移すらしい。実はシンと家族が亡命を図った時に韓国政府から派遣されていた外交官が、ちょうど今ニューヨークから帰国していた。シンはいわば「仇をとる」ために、韓国の地にやってきたわけだ。そのにっくき外交官を、ホテルのトイレで仕留めたシン。そのシンと入れ替わりに、ホテルにセジョンが到着。すれ違うほんの一瞬で、セジョンは相手の正体を察した。

 「シンだな!」

 たちまちホテル玄関前で始まる銃撃戦。マフィアの車に乗って逃走するシンは、自分を追っているセジョンの顔をしっかと眼に焼き付けた。無論セジョンとて自らの宿敵となるシンの顔を忘れはしない。たちまちシンを乗せたクルマとそれを追うセジョンのクルマが、釜山の目抜き通りで激しくデッドヒートを繰り広げる。しかし結局は港で行われているヨット・レースに紛れて、シンを取り逃がしてしまうセジョンだった。

 かくなる上は…セジョンは捕まえたロシアン・マフィアの証言から、シンが自らの姉を捜していたこと、その姉がロシアのウラジオストクにいる事を突き止めた。彼は単身ウラジオストクに乗り込み、韓国情報部員と合流。シンに先回りして彼女をロシア軍の連中から「身請け」する事にする

 こうしてロシア軍人たちからカネで買い取ったミョンジュ(イ・ミヨン)は、売春婦としての長年の苦労ですでに身体はボロボロ。とりあえず彼女をウラジオストク郊外の一軒家に匿うセジョンだが、ミョンジュは自分が「人質」であることを見抜いていた。そして彼女の口からセジョンに伝えられたのは、自由を求めて脱北した一家を待っていた、あまりに壮絶な悲劇だった…。

 

 

 

 

 

 

 

 

ここからは映画を見てから

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  

見た後での感想

 僕はちょっと前までは韓国映画好きを自他共に認めていたけど、どうも昨今の韓国映画にはいささか「???」とならざるを得なかった。いい歳こいたオッサンの僕に、イケメンの純愛映画やラブコメに少女マンガ風ホラーばかりの「韓流」映画は似合わない。おまけにどんなジャンルの映画もバカのひとつ覚えみたいに「衝撃のエンディング」じゃ、いいかげんその「衝撃」にも不感症になる。そんな韓国映画が玉石混淆で日本の劇場に氾濫するとなれば、食傷気味にならざるを得なかったというのが正直なところ。ただしそんな中でも何人かの注目すべき監督や俳優はいて、彼らの新作はやっぱり常に期待を裏切らない出来だったりするのだ。

 そんな韓国映画人の中に、チャン・ドンゴンがいる。

 彼は「イケメン四天王」なんて女のオモチャ扱いのバカな称号を与えられているのが気の毒なほど、男臭くていい役者だと思っている。僕が見る機会があった彼の作品も、どれもこれも骨のある作品ばかりだ。ロスト・メモリーズ(2002)、ブラザーフッド(2004)、そして中国に出張してのPROMISE/プロミス(2005)。やっぱり同世代の韓国俳優たちから頭ひとつ出ている感じ。そんな彼の新作となれば…それも南北問題を背景に抱えた娯楽大作となれば、これは見ずにいられないだろう。

 そして実際に見てみると、案の定これは「シュリ」「ユリョン」「JSA」などの直系の、韓国ならではの社会派の味付け漂うサスペンス・アクション大作だ。韓国〜タイ〜ロシアにまたがる大スケール。もはや「シュリ」あたりにまでわずかながら漂っていた、あの「安さ」「チャチさ」はすでに微塵もない。カネがかかっている…とも観客に意識させないカネのかかり方。だがハリウッドには望めないシビアーさが、この映画の重みを増している。韓国映画の娯楽映画というものは、もはやそこまでの「世界品質」になっているのだ。

 なぜ改めてそんな事を感じたかと言えば、僕はこの映画を見て別の2本の作品を連想したからだ。いずれも韓国現代史上の問題に根ざした作品で、それを豪華大作のコロモをつけて映画化したものだ。1本は奇しくもこの「タイフーン」の主演者のうち2人…イ・ジョンジェイ・ミヨンが主演で、日本ロケを含んだペ・チャンホ監督の黒水仙(2002)。もう1本は「キルソドム」(1985)で知られる大女優キム・ジミ主演で、旧ソ連と日本にロケしたイ・チャンホ監督の「ミョンジャ・明子・ソーニャ」(1992)。どちらも韓国映画のスケール拡大に伴ってつくられた大作であり、韓国のアクチュアルな政治的問題に真っ正面から取り組んだ作品。そして、どちらも現在の韓国映画の隆盛を築いた人々の一世代前にあたる旧「ニューウェーブ」映画作家たちの作品だ。だが溢れる意欲と投じられたお金に対して、出来栄えは今ひとつ芳しくなかった。すでに到来していた韓国映画新時代の中で、ペ・チャンホもイ・チャンホもかつての輝きを失い、「過去の人」であることを明らかに露呈していた。

 そういう意味では韓国映画は当時すでに大きく体質を変えていたのだが、あるところで再度「韓流」映画への転換が起こり、さらにそのテイストは変わっていったように思われる。正直に言えばそのあたりから、僕は少々ついていけなくなったのだ。

 ところがこの「タイフーン」には、あの「韓国映画の味」が蘇っている。

 もちろん引き合いに出しては何だが、「黒水仙」や「ミョンジャ・明子・ソーニャ」といった旧世代作家とはすでに格段のセンスの違いがある。カネのかけ方やハッタリのかまし方にも危なげのなさがある。だが底流に流れるのは、あの懐かしい愚直なまでの韓国映画テイストなのだ。これは好きな人には絶対嬉しいはず。それは言ってみれば、アメリカ映画に久々に骨のある1970年代テイストを再現したミュンヘン(2005)が現れたようなものだ。

 まずこの映画におけるタイやロシアなど海外ロケの、堂々たる描き方に恐れ入る。いかにも海外ロケしました…という物欲しげな安っぽさや腰の退け方がない。こういう点では「ホントにその現地の現実をとらえているのか」という批判や疑問はともかくとして、ハリウッド映画はいつも堂々たる描き方だった。ところがこの韓国映画はそこから一歩も劣っていない。このまったく卑屈さや背伸びがない描き方には感服した。

 それでいてアクション描写にも冴えがある。例えば韓国国内に潜入したチャン・ドンゴン扮する海賊と、イ・ジョンジェの工作員との最初の激突場面。ホテルの玄関から始まるカーアクションを見よ。ハリウッド映画のように整然と振り付けられたようなカーアクションと比べるといかにも荒削り。だが、それがかえってエキサイトメントを煽る、荒っぽさの迫力。チャン・ドンゴンの出世作「友へ/チング」(2001)を撮ったクァク・キョンテク監督はアクションが得意な人ではないようなのだが、このノりにノッたアクション演出にはちょっと驚いた。

 中盤の脱北者姉弟が中国で辛酸をなめ尽くすくだりは、子役2人の好演もあってなかなかの泣かせどころ。この2人が成長すればいかにもチャン・ドンゴンとイ・ミヨンになりそう…という見事なキャスティングにも注目したい。日本映画はこういうところが決定的に弱いのだ。

 先に述べたように「黒水仙」に次いで共演のイ・ジョンジェイ・ミヨンは、「それなり」というところ。どことなくフィギュア・スケートの浅田真央に似ているイ・ミヨン(笑)は、つくづく幸薄系が似合う女優さんだ。

 だが、ともかくこの映画最大の見どころはチャン・ドンゴンに尽きる

 「PROMISE/プロミス」ではバカバカしいシチュエーションのバカバカしい役を照れずに真っ向から演じてカッコよく見せてしまった(!)、骨のある俳優チャン・ドンゴン。彼の真価が今回も遺憾なく発揮されている。海賊の親玉で登場してきた時なんざ、新東宝の女奴隷船(1960)の丹波哲郎も真っ青のちょいワル・キャラ。それが姉のイ・ミヨンと再会した時に見せる涙、さらにはイ・ジョンジェと対決する時の千両役者ぶり。どこをとってもオイシイのがチャン・ドンゴンの今回の役どころ。この映画は、彼を堪能すべき作品なのである。

 ビックリしたのは…やけにもったいつけてチラッと1カットだけ出てきた大統領役が、往年の韓国映画のビッグスター=シン・ソンイルだったこと。この人の全盛期は1960年代で、「ロマンス・パパ」(1960)、(1967)や将軍の髭(1968)などオールラウンドに活躍した人だったらしい。その存在感を僕は「将軍の髭」感想文で「韓国の加山雄三」と例えたが、この表現でシン・ソンイルの韓国映画史でのポジションをお分かりいただけるだろうか。その後は「キルソドム」にも出ていたが、近年はサッパリ顔を出していなかった。そういう意味では往年の韓国映画の「顔」とも言えるシン・ソンイルの起用は、この映画の「回帰」の姿勢を端的に表していると言えるかもしれない。

 

見た後の付け足し

 そんなわけで喜んで見ていたこの映画だが、実は正直に言うと後半にはいささか疑問が残る

 特にエンディングが問題で、事件後にイ・ジョンジェが海に向かってチャン・ドンゴンの手紙を流すくだりで幕…と思いきや、その後に死んだチャン・ドンゴンの魂(?)の独白が入り、さらに幼い頃の姉弟の回想場面が繰り返されて終わるという三段構え。いくら何でもダラダラと続きすぎやしないだろうか? 言いたい事はよく分かるし思い入れのほども分かるが、すでに伝えたい事は観客に伝わっている。ここはイ・ジョンジェの姿でバッサリ切って終わらせるべきだっただろう。こういうヤボったさまでがかつての韓国映画から復活してしまった点は、少々残念なところだ。

 そして個人的には、もっと当惑した部分もある。

 それは映画のクライマックス部分。2つの台風めがけてチャン・ドンゴンが船を進めている途中、イ・ジョンジェと有志たちが特殊部隊となって駆けつけるくだりになって、いきなり軍人の祖国を愛するナレーションが熱っぽく爆発。大統領が「わが国の若者が命をかけるなら、国が守ってやらねばならない!」とブチ上げるや、韓国人の愛国心が最高潮に燃え上がる。まぁ、お国柄だしこの事情だしで気持ちは分からないでもない。こと背景に南北分断の悲劇が横たわった時に、国家とか民族への思いが燃え上がるのは当然の事なのかもしれないが…正直言ってノンポリの外国人の身からすれば、この激しい愛国心の発露はいささか胸焼けを催してしまう。こんな事を言って大変申し訳ないが、少々腰が退けたことを白状しなければなるまい。

 しかもこの映画では、中国は脱北者を北朝鮮に売り渡す卑劣さだし、飢えて食べ物を盗んだ少女を強姦するわ子供をリンチにするわ。タイでは警察や役人もワイロで抱き込まれている腐敗ぶり。とどめはアメリカで、朝鮮半島の人々などどうなってもお構いなしとばかり、韓国政府の懇願も無視して海賊の貨物船に向けて魚雷を発射する。ついでに言えば、日本はアメリカに追随して核ミサイルを沖縄に配備しようとしている情けなさ。他の国々はどこもかしこもロクでもない国と描かれているのだ。

 それはそれで「ごもっとも」と言えなくもないが、どうも先に挙げた「極端な愛国心の発露」と合わせて見ていると、どこか過剰なナショナリズムの激高として感じられないでもない。そうなると…考えすぎかもしれないが、何となくイマドキのアジア諸国の空気と共に、いささか気にならないでもないのだ。

 昨今の日本を取り巻くアジアの国々の軋轢は日本政府の対応のマズさに尽きると思ってはいる僕だが、同時にこれらの国々での急速なナショナリズムの盛り上がりにも原因の一端はあるかもしれないと思っている。日本の為政者の無神経か傲慢に端を発していたのは明らかだが、それを利用したり煽ったりする側もいたかもしれない。元々おかしな状況ができあがっていたところに火をつけてしまった可能性もある。素人考えながら昨今のアジアの状況を見ていると、どうも日本も含めてどこの国においても他者に対する寛容さが欠けている。残念ながら今はやたらにどこの国も偏狭で高慢で、短絡的に他者に怒りをぶつけているようにも見えるのだ。

 そう考えると、この映画の後半の「熱さ」はあまり素直に喜べない。映画はその国の時代を映す鏡だと考えれば、そういう危うさがあながち「ない」とも言えないのだ。正直言って、僕にはちょっとそう思えたのだ。

 ただこの映画でも、「復讐の鬼」チャン・ドンゴンは最後には復讐を断念しているのだ。「怒りや恨みの応酬は不毛だ」…という、「ミュンヘン」SPIRIT(2005)のテーマがここでも繰り返される。

 ならば、なぜ…?

 熱いのはこの国の映画ではおなじみの持ち味だし、今さらそれに異議はない。熱血大いに結構。だが周囲をことごとく糾弾したあげく自らへの愛情を過度に表明するのは、いささか一方的で少々冷静さを欠いている態度だとは言えないだろうか?

 寛容さが「同じ民族」にしか向けられないのならば、ちょっと寂しいではないか。この映画の題材がアクチュアルでタイムリーなだけに、僕にはその点がいささか気になる。そう言ったら、これはちょっと酷になるだろうか?

 

 

 

 

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