「ヒストリー・オブ・バイオレンス」

  A History of Violence

 (2006/03/27)


  

見る前の予想

 前作「スパイダー/少年は蜘蛛にキスをする」(2002)を見逃してしまったため、僕にとってはイグジステンズ(1999)以来のデビッド・クローネンバーグ作品。その「イグジステンズ」は個人的な理由で僕にとって忘れがたい映画ではあるが、作品的には正直言ってクローネンバーグ映画の中で出来の良い方とは言いかねる。そうなると、久々の今回の新作はちょっと見逃せない映画だ。しかも主演がロード・オブ・ザ・リング三部作(2001〜2003)で一気に株を上げたヴィゴ・モーテンセンというのも注目ではないか。脇にはエド・ハリス、ウィリアム・ハートと気になるピリ辛男優を配して、このクローネンバーグ作品としては新鮮味のあるキャスティングがまずは魅力だ。前作「スパイダー〜」はアッという間に終わって見逃してしまっただけに、今回は早速劇場へ駆けつけなくては。

 

あらすじ

 アメリカの田舎町のモーテルから、二人組の男が出てこようとしているところ。そのうち年上の方の男(スティーブン・マクハティ)は、チェックアウトに手間取って事務所から出てきた。

 「メイドがうるさかったので黙らせた」

 いざ出発…と思いきや水が切れている。仕方なく年下の方の男(グレッグ・ブリック)は、ボトルを持って事務所の中に入っていく。すると…。

 事務所の中には、モーテルの管理人とメイドが血を流して倒れていた。もちろん年下の男はそれを見ても動じない。それは「想定内」の出来事だ。「想定外」だったのは、扉をゆっくり開いて怯えきった少女が出てきたことだ。この成り行きには少々面食らった年下男だが、すぐに気を取り直すと…。

 少女に向かって銃を構えた。

 一方、話変わって…やはりその近郊の田舎町でのこと。平凡な家庭人トム・ストール(ヴィゴ・モーテンセン)が妻エディ(マリア・ベロ)、高校生の息子ジャック(アシュトン・ホームズ)、幼い娘サラ(ハイディ・ヘイズ)と共に平和に暮らしていた。トムは町でダイナーを経営しており、町の住人たちにも善良な男として知られていた。妻との仲も円満だ。息子のジャックは少々臆病なところがあり、学校の悪ガキのイジメにあったりしていたが、まぁ概ね幸せな暮らしと言えよう。

 ところがある夜、トムの経営するダイナーに二人組の男が現れたのが運の尽き。さよう、例の荒くれ者の二人組だ。こいつらはカネが尽きて、小遣い銭稼ぎにこのダイナーにやってきた。閉店間際の片づけ途中に現れるや、ドスのきいた脅しをかけて無理矢理コーヒーを頼む。この時点でイヤ〜な予感が漂った。それでも忍耐強くトムは応対したが、今度はいきなりウェイトレスのオバチャンを捕まえて脅すではないか。「オレたちが本気だって知らせてやらにゃいけねえな!」

 その瞬間、トムが手に持ったポッドの中の…。

 熱いコーヒーを年上男のツラにブチまける!

 悲鳴を上げて倒れる年上男の拳銃を取り上げる!

 年下男のどてっ腹に銃弾を二発三発四発!

 年上男は手近の包丁をトムの足に突き立てる!

 キレたトムは年上男のドタマを吹っ飛ばす!

 これが一瞬の出来事。アッという間に悪党二人はあの世行き。いや、正確にはまだ年上男の方は粉砕された顔面から血をブクブク吹いて苦しみもがいてはいたが、これももう長いことはあるまい。ともかく鮮やかな、あまりに鮮やかなトムのお手並みだった。

 手当のために病院に連れて行かれたトム。そのトムの元に、妻のエディが駆けつける。病院を出ると、トムを一目見ようという野次馬とマスコミ連中がワンサカ。そう、トムはこの一件で「ローカル・ヒーロー」として大いに話題になっていたのだ。だがトムは喜ばない。家の前にテレビの取材陣が待ちかまえていても、剣もホロロで追い返すトムだった。息子のジャックは大喜び、妻のエディも誇らしげなのに、トムはまったく騒がれたくないという迷惑そうな顔。

 そして、そんな家の前にテレビ局のクルマの代わりに、奇妙な黒塗りのクルマがやってきたことをトムは見逃さなかった。

 その正体はすぐに割れた。翌朝、「ヒーロー」の姿見たさに客でごった返すダイナーに、怪しげな三人の男がやってきたのだ。そのリーダー格の黒メガネ・黒服の男カール・フォガティ(エド・ハリス)は、なぜかトムのことを「ジョーイ」と呼ぶ。

 「相変わらず人殺しがうめえな」

 まるで、トムの知られざる過去を知っているとでも言いたげなその口調。おまけにしつこい。さらにこの黒服の男フォガティが黒メガネをはずすと、醜くキズついた片目が現れるではないか。フォガティいわく、このキズもジョーイことトムの仕業だと言う。これには陣中見舞いに来た妻エディも、薄気味悪さを感じずにはいられない。その日は大人しく帰ったものの、その後もフォガティは妻エディやトムの周辺にチラチラ姿を見せるではないか。

 トムの心配はそれだけではなかった。例のイジメっ子にネチネチ侮辱されていた息子ジャックが、ついに耐えかねて実力行使に出た。結果的に相手をブチのめしてしまったジャックは、学校には停学処分にされたものの自己の正当性を主張する。だが、トムには分かっていた。遠回りながらそれもダイナーでの一件が引き金になってしまっている事を。だからトムはジャックを叱らずにはいられない。当然トムに反発するジャックだったが、それにカッとなったトムはジャックを殴ってしまう。これもまた、あの一件がもたらした連鎖に他ならない。怒って飛び出したジャックを追うトムだったが、その時に家の前に現れたのは…。

 銃を構えてジャックを人質にした、「今度は本気」ムードみなぎるフォガティ一味だった。

   

見た後での感想

 久々のクローネンバーグ作品。だけどその佇まいはかなり従来と違う。いつものように変態的な人物も出ないし、現実を飛び越えた悪夢みたいな事も起きない。見るからにグロテスクで血まみれでグチャグチャな状況も画面には出てこない。いや、まったく出てこない…訳ではないが、出てきても最小限度だ。

 元々このお話の原作は、ロード・トゥ・パーディション(2002)やシン・シティ(2005)同様グラフィック・ノベルという一種の劇画らしい。だが見たところではクローネンバーグはそんな事は一切意識していないようだし、映画には全く関係ないようだ。

 一応、アメリカの田舎町の平凡な男とその家庭の話が始まるあたりは、今までのクローネンバーグ映画らしからぬ雰囲気。ただしイントロに延々出てくる二人組のならず者のモーテルでの一件が、すでにそんな「平凡」ムードをブチ壊してドス黒い味を醸し出しているのだ

 そしてお話も、よくよく見ればまったく「平凡」なんかじゃない。自ら封じていた暴力を「正当防衛」とは言え一旦解き放ったとたん、主人公は次から次へと暴力を行使しなくてはならなくなる。しかも暴力はエスカレートするだけでなく、周囲に伝染もする。あれだけひ弱だった主人公の息子が、いきなりイジメッ子をブチのめすあたりの暴力性を見よ。そんな息子に愕然とした主人公が、たしなめようとして息子を思わず殴ってしまうのもまた暴力だ。これに主人公はダブルで衝撃を受けてしまう。

 結局、主人公は家族を守るために、またまた武器を手にしてしまうという皮肉な展開。最後はマフィアのボスになっている実兄(何とウィリアム・ハート!)に「もう終わりにしたいんだ、どうやったら償える?」とまで言っているのに、結局は一人残らず皆殺しの大殺戮を展開せざるを得なくなる。平和を守ろうとすればするほど、ますます血で手を汚す羽目になるアイロニーが、見た目は大人しくてもやっぱりクローネンバーグらしいと言えなくもない。この映画はどう考えても暴力が暴力を呼ぶ昨今の状況に警鐘を与えているのは明らかだし、ブッシュのアメリカの今日のテイタラクを告発しているようにも見える。特にアメリカの原点とも見える田舎町の平凡で善良な暮らしを映し出すことで、「アメリカン・ウェイ」そのものがどんなに善良に見えても元々が暴力の上に築かれていることを示唆しているようにも見える。

 大体が暴力の連鎖を批判しているように見えて…「暴力はいけない」という単純明快メッセージなのかと言えばそうでもない。どう考えても理不尽な事が降りかかってきて、それを解決するには暴力しかない状況もあるのだ。だとすると、単純に「暴力反対」と言ってればいいわけでもあるまい。要は人間はその営みの中で、どうしようもなく暴力と切っても切れない関係にあるということなのか。そもそも人類は元々は猿であり、ケダモノだったのだから。

 

見る者を暴力で気持ちよく酔わせた後で

 つい最近オーシャン・オブ・ファイヤー(2004)で独り立ちしていいところを見せていたけれど、ヴィゴ・モーテンセンという俳優は果たしてクローネンバーグ作品に溶け込むのだろうか?…と思っていたら、なんのなんの。善良そうで誠実そうで、それでいてどこか謎めいていて得体が知れないという点が、何ともこの役にハマってる。今まで逃げていた自分の出処と向き合うという点で、この役は「ロード・オブ・ザ・リング」での彼と何ら変わりない役なのだ。

 そして暴力の忌まわしさを描いている映画と分かってはいても、実はここだけの話、見ている間は僕らもモーテンセンが悪党どもをやっつける手際の良さに胸がスカッとしてしまうのが本音。たった一人で襲いかかってくる複数の敵を確実に倒していくあたり、やられる敵がどいつもこいつもロクでもない事もあって、「みんなやっちまえ!」「もっとやれ!」と言いたくなるほどカッコイイ。冒頭のダイナーでの一件、自宅前での対決、そして実兄の屋敷に出向いての大立ち回り…どれもこれも一瞬のアクションなのに、その瞬発力の凄さに酔わされる。これは正直言って白状しなくてはいけない事だろう。この映画の暴力シーンは、実に胸がすくようなアクション場面でもあるのだ。

 そしてだからこそ…この映画をクローネンバーグが撮った意味もある。実は今回見た目は大人しめ…と見えたクローネンバーグだが、実はここからが実にこの人「らしい」。頭を撃たれて顔面炸裂のまま血を流してひくひくしている悪党だとか、鼻を粉砕されて血を噴き出しながら骨を露出させているヤクザだとか…暴力の結果を情け容赦なく見せているあたりが、ギトギトグチョグチョ血まみれクローネンバーグの面目躍如。従来のバイオレンス・アクションとは、この点が大きく違うのだ。悪党を次々倒す場面は下手なアクション映画なんかより切れ味鮮烈、見る者をウットリ酔わせてくれる。それでいてそんなアクションの火照りが冷めたところで、暴力の結果の凄惨で目を覆いたくなる惨状を見せていく。だからこの映画は、気持ちよく酔わせてくれない。アクション=暴力を見て興奮した僕らも、決して対岸の火事として見させてくれない。火の見櫓に上げさせてはくれないのだ。そう、これを喜んで見ていた僕らも、同じくらい暴力が好きなのだ。

 そんな意地悪なクローネンバーグだから、居心地のいい結末を用意してくれるわけもない。一切にカタを付けて自宅に帰ってくる主人公。妻も息子も末の娘も、最初はよそよそしく無視をしている。だが、結局は同じ夕食の席に迎えるのだ。これをどう見たらいいのか。許すべきなのか、「なかったこと」にできるのか、そもそも平和な家庭そのものが無数の暴力と不正の上になりたっているのではないのか、誰もが人を責められる立場じゃないんじゃないか、あるいは…そうやって再び一緒に食卓を囲んだところで、もはや何かが違っていて元に戻ることはできないんじゃないか…。クローネンバーグは何も答えを出さない。ただ居心地悪い雰囲気をつくったまま、宙づりにして映画を終わらせるだけだ。

 

見た後の付け足し

 誰かが悪い、何かが悪いと言えれば簡単だしラクだ。でも、この映画はそうはしてくれない。人間が人間の形をしている限り悪夢からは逃れられないと言っているかのようだ。これは人間の原罪だとでも言ってるようだ。だから「この映画をこうすれば良くなる」なんて言える訳もない。これは今までで一番大人しめに見えて、一番ヘビーなクローネンバーグ映画だ。無駄な部分など微塵もない。

 

 

 

 

 

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