「力道山」

  Yeokdosan (Rikidozan: A Hero Extraordinary)

 (2006/03/20)


  

見る前の予想

 力道山の生涯を映画化する…と聞いた時、素晴らしい企画だとは思ったものの、それで実際どうするんだと醒めた気分にもなったものだ。映画化に際してのさまざまな解決困難な問題が、僕あたりでもたやすく想像できたからだ。それでも全くドッチラケとならなかったのは、それが日本映画でなくて韓国映画だったからかもしれない。情けない話だが、日本映画だったら時代色の再現やら何やらで手を抜いたりごまかしたりして、後で「カネがなかった」とか平気で言い訳しそうだ。だが韓国映画ならそうはしまい。最近のヌルい韓流映画なんぞはお呼びでないが、力道山を映画にしようってんならそんなヤワな映画ではあるまい。それならまだ何とかなりそうだ。

 ただ、それでも当時の時代色なり何なりを再現するってのは並大抵ではない。日本人だって大変なのに、外国人の韓国人がそれを出来るのだろうか。脚本は、美術は、衣裳や小道具は一体どうするんだ。プロレスの試合場面はどうやって撮るんだ。そう、こいつが一番の難点だよ。

 あの当時のレスラーはどうだったとか、技がどうしたとか、どうせまたぞろプロレス・マニアや格闘技「通」が世界で一番重要な事みたいに騒ぎ出す事だろう。もうウンザリだよ。

 いやいや、そんな事よりもっとどうしようもない事がある。何より、力道山本人をどうやって再現するのだ。「ナルニア国物語」のアスランじゃあるまいし(笑)、CGキャラにするわけにもいくまい。一体誰がやるんだ。

 ソル・ギョング。

 それを聞いたら、もう僕も口をつぐまざるを得ない。彼がやるなら、もう見守るしかない。確かに顔も体型も力道山とは似ても似つかない。日本語の問題もあるしプロレスの訓練はどうするんだと問題山積だ。だが、演じるのは他でもない、ソル・ギョングなのだ。現時点での世界最高の映画俳優が演じるのだ。問答無用。どんなファンもマニアも「通」も、ここは沈黙を守るべきだ。彼にし損じはあり得ない。

 

あらすじ

 1963年12月、東京。ビッグバンドが華やかにショウタイムを演出する豪華なナイトクラブ。その店内に、一人の屈強な男が姿を見せていた。その男の名は…。

 「さぁ、今日は当店に豪華なスペシャル・ゲストに来ていただいています。ミスター・力道山!

 力道山(ソル・ギョング)は最初固辞していたものの、クラブの司会者に再三促され、ぎこちなくステージに姿を見せる。そしてマイクに向かっての第一声は…「みなさん、このクラブには殺し屋がいます!」

 またまた力道山一流の余裕のジョークだろうとお客は大爆笑。力道山もそれに応えて、「オレの強さを知りたければ試合を見に来い」と吹きまくる。こうして客席の歓声をさらってステージを去った力道山。だが彼が立ち去った後マイクを手に取った司会者は、それがベットリと血に染まっていたのに驚愕する。

 外は土砂降りの雨。クルマの中で腹を血に染めてうめく力道山は、「どうしてこんな事に…」と苦悶しながら人生を反芻する…。

 1944年、東京。空襲警報が鳴り響き、街は闇の中にある。その闇に乗じてある相撲部屋の一室では、先輩力士による下っ端力士いじめが公然と行われていた。布団にくるまった下っ端力士を、並み居る先輩たちが棒でブッ叩くわ蹴りつけるわ。「この朝鮮人が!」

 布団にくるまって暴力に耐えていたのは金という若い力士…まだ頭にまげを結っていた頃の若き日の力道山だ。彼は連日連夜、こうした先輩力士のいわれないイジメに苦しめられていた。元々相撲部屋には陰湿なイジメが付き物。だが金の場合は、「朝鮮人」であるというたったそれだけの理由で、先輩たちは目の色を変えてイビってきたのだ。

 そんなある日、買い出しに出かけていた金は空襲に巻き込まれ、たまたま三味線を抱えて逃げまどう美しい娘を助け、防空壕へと避難する。防空壕の中で金は、彼女の名が綾(中谷美紀)である事を知る。彼女は「有力者」菅野武雄の庇護の下に、芸子として暮らしていたのだった。ほんのわずかなやりとりの中でも、綾に親近感を覚える金。

 ある日、金が入っている部屋の先輩力士・東浪(橋本真也)のための宴席が設けられ、彼のタニマチとなった「会長」こと菅野武雄(藤竜也)を目の当たりにする金。力士たちはみな、有力者中の有力者である菅野をタニマチにする事が出来た東浪の幸運をうらやむ。そんな中で金だけは、宴席を盛り上げる芸子たちの中の一人…三味線を弾く綾の姿をじっと見つめているのだった。

 だが部屋での先輩力士のイジメはエスカレート。あまりに悪質なやり口に、ついに金は実力行使に出た。ビビりまくる先輩力士だが、それで金イジメの手を緩めるようなタマじゃない。さらに手口が悪質になって、ついに相撲部屋に刑事が現れるというとんでもない事態を呼んだ。例の先輩力士が金に窃盗の罪をなすりつけたのだ。それでなくても「朝鮮人」という事で差別される戦時下の日本。刑事たちは高圧的な口調で金を「犯人」と決めつける。「話を聞く、署まで来い!」

 これには金の神経もブッチ〜〜〜ンと切れた。「オレじゃない、オレはやってない!」

 こう吠えるように言い放つと、刑事たちをブッちぎって走り出す。慌てて刑事たちは追いかけるが、金はお構いなしにわめき散らしながら突っ走る。走って走って走って、追っ手に追いつめられた金は思いあまって川の中に突っ込んでいく。集まってきた群衆の中には、あの「会長」菅野もいた。そして菅野の視線が自分に注がれているのを気づいた金は、せっぱ詰まっての大勝負に打って出た。

 「会長っ! 私は相撲がやりたいだけですっ!」

 今にも橋の上から刑事が銃撃しようと構えている中、金は必死の形相で「会長」菅野に訴えかけた。そんな金の様子を見て、菅野は銃を構える刑事を制止した。

 すべてが片づいて部屋に戻ってくる金。その金を、濡れ衣を着せた先輩力士が怯えた表情で迎える。「オマエ、もしうまくいかなかったらどうするつもりだったんだよ…」

 だが、もはや金に怖いものなどなかった。「オレは自分の運に賭けたんだよ」

 やがて金の後見人になった「会長」菅野は、彼にシコ名を与える。その名も力強い「力道山」。その席で、菅野は金=力道山に「何でも欲しいモノを言え」と言う。それに対して、力道山は堂々と答えるのだった。「綾をください」

 こうして有力なタニマチも手に入れ、綾も妻として迎える事が出来た力道山。連勝街道を突っ走り、すべては順調にいっていたはずの1951年…力道山の前に思わぬ壁が立ちはだかった。大関昇進が確実なはずの成績なのに、番付表に「大関」力道山の表記がない。これにはさすがに大荒れ。「いつか横綱になる」ことだけを心のよすがにしてじっと耐えてきたのに、この仕打ちに耐えられるはずがない。妻の綾は優しく慰めるが、むろんそんな事で力道山の気持ちが癒されるはずもないのだ。

 そんなこんなで愛用のバイクをぶっ飛ばし、ものすごい剣幕で相撲協会に乗り込んで来る力道山。それに対し、公然と差別している事を否定もしない相撲協会幹部たち。これには力道山も我慢がならなかった。いきなり包丁を持ち出し、幹部たちの前に立ちはだかる。すると傲慢無礼千万な態度の幹部たちも、いきなりビビって態度を軟化。だが力道山はもちろんこいつらに手を出そうなんて気もない。

 「オレの運命は、オレが決めるっ!」

 包丁でマゲを切ってしまう力道山。それは彼と相撲との決別の瞬間だった。そして傷心の力道山は、周囲を気にしながら秘かにある場所へとやって来る。そこは朝鮮人街にある一軒の焼き肉屋だ。秘かにここに来ては、同郷・北朝鮮出身の店主と心おきなく母国語でしゃべる力道山。それは彼にとって数少ない、心安らぐくつろぎの時だった。だが彼はそこでも、衝撃的な知らせを受け取る。遠く離れた母国からの手紙で、自分の母親が亡くなった事を知るのだった。もうヤケのやんぱち。

 それからはひたすら荒れに荒れる日々。酒場で飲んだくれ、ヤクザ相手に大暴れ。ただしその夜は少々勝手が違った。暴れる力道山の前に立ちはだかる、一人のスキンヘッドのたくましい男がいたからだ。彼は荒れ狂う力道山を軽々と投げ飛ばし、アッという間にやっつけてしまうではないか。

 「オマエなかなかスジがいいな。その気になったら訪ねて来い

 スキンヘッド男の置いていった名刺から、怒り狂ってリベンジのために相手先に乗り込んでいく力道山。そこは、とあるジムだった。だだっ広い部屋のど真ん中にはリング。リング上には、見覚えのあるスキンヘッド男がいるではないか。「おう、来たな。身ひとつでかかって来い!」

 今度は酒も抜けて気力十分で臨んだのに、やっぱりスキンヘッド男に難なくのされてしまう力道山。このスキンヘッド男こそ、後に「007/ゴールドフィンガー」にも出演したプロレスラーのハロルド坂田(武藤敬司)。力道山はこの坂田から、プロレスという新しいスポーツの魅力を吹き込まれるのだった。リングに大の字で横たわる力道山に、心地よい疲労が訪れる。

 翌日、力道山は「会長」菅野の屋敷を訪れる。そこで力道山は「私をアメリカに行かせてください!」と懇願するのだった。これにビックリしながらも、力道山の熱意に押されて援助を約束する菅野。

 帰宅した力道山は、妻の綾に渡米の件を打ち明ける。これにはさすがに衝撃を受けずにいられない綾。どのくらい行っているのか?…と訊ねても「1年か2年か…それとも10年か」などとつぶやくだけの力道山。それでも綾は力道山に、「きっとうまくいきますよ」と告げて送り出すのだった。

 やがて全米のマットを舞台に、東洋から来た謎のレスラーが大活躍を始めた。「リキドウザン」の名は瞬く間にアメリカのプロレス・ファンの間で有名になり、その評判は海を越えて日本にも届くに至った。そんなアメリカでの名声を土産に、力道山は満を持して日本に帰ってきた

 1953年、帰国した力道山を迎えた「会長」菅野は、相変わらずの支援を約束。彼の事業を助ける腹心として、吉町(萩原聖人)という若い男を付けてくれた。そして日本でのプロレス興行を実現させるべく動き出すが、「会長」菅野が興行主たちを集めての説明の席で、興行主たちは一様に「プロレス」なるスポーツへの不信を口にする。主役が相撲部屋をブチギレ遁走の力道山…という点も、事態を一層難しくしていた。要するに、みなプロレスも力道山も信じていないのだ。あの有力者・菅野の力をもってしても説得困難な状況の中、最後は力道山の熱意に望みを託す菅野。隣の部屋で興行主たちの苦言を苦々しく聞いていた力道山は、それでも忍耐強く耐えたまま一同の前に現れた。

 みなさん、私に対して不信感を抱くのももっともです。しかし、私の姿を見ないでその志を見ていただきたい。…そして、今の日本はどうでしょう? みな打ちひしがれてうなだれて、あの強い日本はどこへ行ったのですか?  プロレスは今までにない新しいスポーツです。そこには人種も国も…何の垣根もありません。私はこのプロレスをもって、日本にあの強さと元気を取り戻したいのです!

 「強い日本はどこへ行った?」の一言は、その場にいた男たちの胸を直撃した。こうして日本にプロレスを紹介するべく、「日本プロレスリング」が旗揚げされたわけだ。 だがこの言葉を当の日本から虐げられ続けた力道山が語る皮肉に、あの場の人間のうち何人が気づいていたことか。

 それでも…力道山の言葉にウソはなかった。人種も国も…何の垣根もないプロレスに賭ける彼の情熱には、何のウソもなかったのだ。

 1954年、日本で初めてのプロレスの試合が始まった。新橋の街頭テレビに、群衆がかじりつくような視線を投げかける。ここで力道山は鮮烈なファイトを披露。アメリカ人レスラーを空手チョップで痛めつける姿に、日本人は「バンザイ」を連呼して熱狂した

 この夜を境に、力道山は一気に日本の英雄として君臨。試合は大入り満員で、テレビの周りには大群衆が殺到した。マスコミの寵児となった力道山は毎日多忙を極め、住まいも白亜の豪邸に移転。だが、妻の綾は派手になっていく一方の暮らしに今ひとつついていけない。

 そして後援者としての「会長」菅野も、そんな力道山に複雑な思いを抱き始める…。

   

見た後での感想

 たぶん、この映画を見た誰もが抱く感想しか書けそうもない

 ソル・ギョングのなりきり方。力道山に全然似てもいないのに、見ていてそのうちどうでもよくなる迫力。日本語だってマスコミで宣伝しているほど流暢ではないが、これまたどうでもよくなる。とにかく感情の入った日本語になっているからスゴイのだ。そして試合の場面の壮絶さ。格闘技なんか分からなくても、この場面での体当たりぶりは分かる。本当にやっているからこその迫力。「記録」としての映画の機能をフルに生かした凄みだ。

 ソル・ギョングなら当たり前なのかもしれない。ペパーミント・キャンディー(2000)やオアシス(2003)の主演俳優なら、これしきの事当然かもしれない。だが、それにしても…今回の彼の演技は、頭一つ飛び抜けたものを感じた。

 ソル・ギョングを迎え撃つ日本側の俳優もいい。僕は中谷美紀はあまり好きな女優ではなかったが、ここでの昔の日本女性の佇まいの再現ぶりは驚くほどだ。昔の日本映画に出てくる女性は、みなしっとりとして落ち着いていた。そうじゃない人もいたが、格段に「大人ぶり」が違っていた。実はそれは女だけでなく男もそうで、今の世の中はみんな「若く」なったのと同時に「ガキ」になった。「大人」がいなくなった。この映画にはそんな大人の女性が描かれている。これを演じきった中谷美紀の観察眼の確かさにはビックリだ。そして菅野のスパイとして力道山の側近になりながら、いつの間にか力道山に心酔していく男を演じる萩原聖人も儲け役。

 だがもっと素晴らしいのは…これは誰もの意見が一致すると思うが、藤竜也の堂々たるタニマチぶり。惚れ惚れするほどカッコイイのである。あのソル・ギョングの鬼気迫る演技を向こうに回して、まったく見劣りしないのはスゴイ。このボリューム感にはすっかり圧倒された。

 さらに、戦後まもなくから高度経済成長時代直前までの日本…それは僕がまだちっちゃい子供の頃の日本…が、全然おかしくない堂々たる描き方でよみがえる。CGを活用しているとは言え、この再現ぶりは大変なものだ。日本人の…そしてあの時代をかろうじてギリギリで経験している僕が見てもおかしくないのだ。それを韓国の映画人が(日本の映画人の助けを借りていたとしても)ここまで再現できるとは驚異ではないか。「あの時代」の日本の時代色を味わうのも、この映画の楽しみのひとつだ。

 この作品や頭文字<イニシャル>D(2005)などを見ていると、韓国や香港など周辺の国の人々の「日本再現」ぶりに本気で驚かされる。その不自然さのない描写が、どうして生まれたのか不思議になる。そういう意味で、長年の政治的・歴史的な軋轢はあったにせよ、実は日本はこうした国々の熱い視線をずっと浴び続けていたのではないかという気持ちになってくる。一体こういう周辺国の人々の思いを、我々は気づいた事があったのだろうかという疑問がわいてくる。このあたりはこの映画とは直接関係ないかもしれないし、いささか情緒的な的はずれ意見かもしれない。でも、正直言ってそんな感慨についついふけってしまうのだ。

 映画としては正攻法すぎるほど正攻法。「パイラン」(2001)を撮ったソン・ヘソンの脚本・監督はがっちりとしたスケール感を持って堂々たるものだが、一方で才気走ったりエッジが立った鋭さを見せるものではない。見ている者がヘトヘトになるほど正攻法で、「見せるべきものを見せる」「やるべきことをやる」覚悟に満ちあふれている。だから当時の日本の時代色をセットから小道具から衣装に至るまでかなり忠実に再現。中谷美紀に昔の日本女性の立ち振る舞いを再現させて、藤竜也に清濁併せのむ巨大な人物像を演じさせる。ソル・ギョングに徹底的肉体管理を強いるとともに、プロレスラーとしての試合を真正面からやらせる。おまけに台詞の大半を「使える」日本語で押し通す。何も意外なことはしていない。むしろ真正面すぎるほど真っ正面。正攻法すぎるほど正攻法。直球すぎるほどの直球だ。「ありきたり」でもあるし「当たり前」でもあるし、何より「バカ正直」。もっと言えば「一本調子」。

 だが、それが力道山の人生にどこかダブってくる。策を弄したり小細工を施す事を良しとはしない。真っ正面から力で押し切る迫力なのだ。

 そして「ありきたり」かもしれないが…だからこそ力道山の絶頂を極めた後の転落ぶりが身につまされる。結局、彼が一度だって負けられなかったのは、それが元々無理に無理を重ねた自転車操業的な勝利だったからではないか。自転車操業だから、一度でも動きを止めたら倒れてしまう。だから遮二無二先へ先へと進んでいくしかない。無理に無理を重ねて突っ張って突っ張って、突っ張ったあげくの無理がたたって瓦解していく。見ているうちにその悲しさ怖さが、どうにも身につまされるのだ。

 それはたぶん、僕にとってその「突っ張り」が人ごとではないからだろう。だから劇中、藤竜也扮するパトロンが、力道山に語る台詞が身にしみる。僕はこの台詞を聞いて、思わずハッと我が身を振り返ってしまった。

 「力さん、あんた敵をつくりすぎたよ…」

 

見た後の付け足し

 もちろん、僕は力道山みたいな英雄でも有名人でもないし、強くもない。そんな事を言ったら笑われる。むしろ、それとは全く正反対の…無名で無力でひ弱な男と言っていい。だから彼は僕のような男だとも思わないし、似ているはずもない。当たり前の話だ。

 だが映画を見ていてずっと、何となく「どこかで知っている話」「前に見た話」を見ているような既視感を感じていた。それは、当然の事ながら「もう見ちゃった」「飽きた」という事ではない。そうではなくて、「この人物の事なら僕もよく知っている」…という不思議な感情だった。

 最初は何だかんだ言っても、お話の最後は僕が物心つくかつかないかの頃まで辿り着く物語だから、それで「どこかで見た」覚えがあるのかと思ったりもした。確かに日本の昔の描写などには、そんなことを感じさせる要素もないわけではなかった。だが、やっぱりそうじゃなかったんだよね。それは、劇中の菅野の言葉を聞いて分かった。

 「力さん、あんた敵をつくりすぎたよ…」

 そうだったよなぁ、僕も確かにそうだった。ず〜っと敵をつくりっぱなしだったよなぁ。だから、一度として心が安まる事がなかった

 子供の頃には病弱だったり周囲の空気が読めなかったりでイジメまくられた。だがそれよりも…僕をイジメまくっていた奴がいなくなったとたん、周囲が手の平返したように僕に慣れ慣れしく接してきた事の方がショックだった。こいつら一人残らず信用できねえ。

 人間関係のアヤみたいなものを理解するのに手間取ったり、ブキッチョに対応していた自分にも責任はあるだろうが、さまざまな巡り合わせも正直言って良くなかったと思う。社会人になって就職しても、それはつきまとって来たのだ。1年目こそ無事だったものの、2年目に社内でも悪名高い体育会系の部署に連れて行かれたのが運の尽き。ここで人格が壊れるほど屈辱的な目に遭わされた。だがその状況に何とか慣れてみると、逆にその方が居心地が悪かった。それまで横暴の限りを尽くしていた上の人間が、ちょっとした隙を見せた事から失権して会社にいられなくなるアリサマも目の当たりにした。栄枯盛衰。やっぱりこいつら一人残らず信用できねえ。会社を去ったそいつは人間としても最低の奴だったが、だからと言って他の人間のように万々歳とは思えなかった。みんな同じ穴のムジナだ。そして明日は我が身。

 だから自分は場の空気を読む事に必死にもなったし、少しでもつけ込まれまいと躍起になった。隙を見せたらやられてしまうと焦った。ナメられてはいけない。あの最悪の時期の再現だけはごめんだった。だから自分だけが割を食うような状態になろうものなら、大爆発してすべてをムチャクチャにしてきた。その場を草木も生えない状態にした。石器時代に戻してやろうという勢いでブチ壊した。それはある意味で「核の抑止力」とか「第三次大戦」みたいなものだ。自分がひどい目に遭わされるなら、みんな一蓮托生で引きずり込んでやる。御しやすい相手と勘違いしているようだが、オレこそが歩く悪夢なのだ。だから絶対にオレを怒らせるな、オレがニコニコしているうちにやめておけ。

 だが結局のところ、僕はそんな「核のボタン」を何度も何度も押さざるを得ない状況に追い込まれた。だから僕はあちこち彷徨い歩かねばならなくなったのだ。

 僕は心の底では人間を信じられないが、それでもたまに人に心を許す時がある。だが僕が心を許した時に限って、相手は僕に泥を塗って裏切った。恩師と慕ってついていった人物に、モノの見事に裏切られた。親友と信じた連中に、大恥をかかされたあげく裏切られた。何を置いても守ろうとした「身内」の人間に、呆れかえるほどアッケラカンと裏切られた。所詮、人間は信じるに足るものではないのだ。その都度…いや、たった一度の例外はあったが、それ以外では僕は何もかもメチャクチャにしてその場を立ち去った。生まれて来なければ良かったと思うほどの痛みを、オマエら全員に味合わせてやりたい…僕の怒りはいつまでも収まらなかった。

 だから僕はどこかに立ち止まってはいられなかった。とにかく突っ走って突っ走って、先に何があるかなんて考えずに、ただ目をつぶって駆け抜けるしかなかった。とにかく弱気を見せたらやられる。強気強気で押し切るのだ。その調子で、仕事でも私生活でも…ネット上でも押し切った。それでも侮辱や裏切りや中傷やウソは後を絶たない。僕を放っておいてはくれない。

 元々が無理に無理を重ねての自転車操業みたいなものだから、僕は立ち止まれなかったのだ。虚勢を張ってハッタリかまして、ただただ空元気で乗り切るしかなかった。

 だが、それにも限界というものがある

 僕は若い頃に重い荷物を持とうとして、腰を痛めている。おまけに仕事柄、目を酷使するので、何かと言えば肩が凝る。頭も痛くなる。だから定期的にマッサージに通っているのだが、そこでいつも判で押したように言われる決まり文句がある。

 「身体が固いですねぇ」

 それは献血に行っても言われる。何かの検査に病院に行った時も言われる。付き合った女にも言われた。誰に言わせても、僕は全身が固くカッチカチに力が入っているというのだ。注射の時にも超音波検査の時も、必ず力を抜けと言われる。自分では抜いているつもりなのに、それでもまだ力が抜き足りないらしいのだ。

 それもマッサージの先生に言わせると、昨日や今日始まった事ではないらしい。どうやら僕は、生まれてこのかたずっと身体中に力を込めて生きてきたらしいのだ。そんな事ってあるのだろうか? そして、なぜ僕はそんな事をずっとしてきたのか? 先生はさらに続けた。

 この力の入り方は、まるでケンカするために身構えているようです。あなたは今までずっと全身に力を込めたまま生きてきたんじゃないですか…?

 

 いつか日本で一番思いっ切り笑う男になってやる。映画の最後に力道山はそう語っていた。

 

 

 

 

 

 to : Review 2006

 

 to : Classics Index

  

 to : HOME