大穴狙い「第18回東京国際映画祭」

  Seeking for the Dark Horses in TIFF 2005

  その2

 (2004/10/31)


 

10月23日(日)

「細い目」

 Sepet (Slit Eyes)

 

見る前の予想

 実は今回の東京国際映画祭で、最も期待していたのがこの映画だった。この作品の名前は、アジア映画研究家の松岡環(たまき)氏による「東南アジア映画講座」という催しで初めて知った。その時は頭の隅っこに引っかかっただけだったが、次いで同じ作品の事を世界映画紀行に寄稿していただいた大谷雅憲氏の民族のたこつぼの中心で愛を叫ぶ/転換期を迎えつつあるマレーシア映画で改めて紹介されるや、俄然興味が湧いてきた。そこへ今回の東京国際映画祭「アジアの風」での上映のニュースだ。これは万難を排しても見に行かねばなるまい。一時は仕事の都合で行けないのでは…と危ぶまれた事があったものの、何とか無事に上映の日を迎えられる事になった。

 世界には星の数ほど映画がある。その中で僕らが目にする事の出来るものは、ごく限られたものでしかない。いわゆる先進国以外の映画なら、見ることの出来るチャンスはグッと減る。見るどころか、その存在すら知らないままの映画が大半だ。めったに公開されないマレーシア映画ならなおさら。なのに僕は、今年に入って立て続けにこの映画の事を耳にした。しかもそのほとぼりも冷めぬうちに、映画そのものが海を渡ってやって来るではないか。これを神の啓示と言わずして何と言おう。映画の神が僕にこう言っているに違いないのだ。「Fよ、オマエは何を置いてもこの映画を見なければならん」

 ならば僕は何がどうあっても、この映画を見なくてはならない。それは経験から理解している。映画ファンの人生には、そんな映画が必ず何本かあるものなのだ。

 

あらすじ

 ここはマレーシアのある街。中国人街で暮らす中国系青年アーロン(ヌン・チュー・セオン)は髪をおっ立たせて金髪に染めてはいるチンピラまがいのアンチャン。だが人は見かけによらぬもの、そんな彼は詩を心から愛している。今も自宅で母親に、心のこもったある詩人の作品を紹介していた。母親はその詩の描くメッセージのリアルさに感銘を受ける。「つくった人の気持ちが伝わってくるよ。作者は大陸出身の人かい?」…だがこれまた見かけによらぬもの、つくったのはインドの詩人だった。

 マレー系の女の子オーキッド(シャリファ・アマニ)は、今日も今日とて自宅でイスラム特有のスカーフを頭にかぶりコーランを唱える事に余念がない。典型的マレー系家族の風景と思いきや…人は見かけによらぬもの、豊かな家庭に生まれた彼女のタンスを開けると、そこには何と金城武の写真がベタベタと貼り付けてあるではないか。彼女はこの中国語圏の映画スターの大ファンなのだ。

 そんな彼女は、親友の女の子を伴って町中の海賊版VCDの屋台へと出向く。むろん未だ見ていない金城出演作のVCDを漁るためだ。しかし親友の女の子は、オーキッドに呆れ顔。「アンタ何でそんな東洋男が好きなのよ?」…だがオーキッドに言わせると、親友のディカプリオ狂いの方がチャンチャラおかしいらしい。

 そして…オーキッドたちがたまたま立ち寄った屋台に、あのアーロンがいた!

 アーロンはダチ連中と共に、手っ取り早く金を稼ぐために海賊版稼業をやっている。この一帯のシマはヤクザのビリーが仕切っていて、何かと物騒だしヤバイ目にも遭う。だが、それでも食っていくためだ。中国系で金もコネも学もないアーロンたちに、生活の手段は選べない。

 そんなアーロンの屋台に、オーキッドがやって来た!

 気づいたら、二人は見つめ合っていた。オーキッドの親友がビックリするくらい、まじまじと見つめ合っていた。気を取り直してVCDを漁るオーキッドだが、もはや気持ちは上の空だ。結局彼女はお小遣いの都合で金城VCDを一枚だけ買うが、立ち去ろうとした彼女たちをアーロンが追いかける。

 「これを持って行きなよ。お代は見てからでいい。つまらなければ返せばいい」

 仲間たちにはやされながらも、嬉々として屋台に戻ってくるアーロン。ただし彼はええカッコしたつもりか、自らを「ジェイソン」と名乗ったのだが…。

 さて、親友を連れて自宅に戻ってきたオーキッドは、VCDの入った袋に「ジェイソン」の電話番号を発見。男からのハッキリとした求愛行動に狂喜乱舞だ。それを受けてのオーキッドの電話は、ジェイソン=アーロン一家の夕食の場にかかってきた。こうして早速二人は、ファストフード屋で初「デート」の場を持つ事になる。まぁ「デート」と言っても他愛がないもの。ただ会って、自分たちの身の回りの事をしゃべるだけだ。それでも二人は何となく楽しかった。オーキッドにこの夜パーティーの約束が入っていたのですぐに帰らねばならなかったが、別れ際にジェイソン=アーロンは「また会いたい」と告げた。むろんオーキッドもそれに異存はない。

 だがそのパーティーで、オーキッドは「親公認のボーイフレンド」に暗闇で強引にキスを迫られる。そんな経験は、オーキッドには嫌悪感を覚えさせるだけのものだった

 そんなオーキッドが「細い目」の東洋男とデートしたという話は、お喋りな親友のせいで学校でも話題となり始めていた。それでもオーキッドは怯まない。オーキッドとジェイソン=アーロンは何度も二人きりで会う機会を持ち、どんどん気持ちが近づいていくのを感じた。アーロンは言う。ずっと昔の子供の頃から、君のことを夢見ていたんだ…。

 そんなオーキッドに典型的なマレー系の両親は厳しい目を向ける…と思いきや、これまた人は見かけによらぬもの。彼女の母親は住み込みの家政婦と一緒に韓流ならぬ華流…中国語圏のドラマに夢中。家政婦などはタイのポップスを聴いてゴキゲンだ。娘に中国系の彼氏が出来ようがどこ吹く風。そんな女二人に呆れながらも、ハゲ頭のオーキッドの父親は「やれやれ」とつぶやくだけ。優しい父親は娘を心配はするが、母親に軽くいなされると何も言わない。いや、言えない(笑)。

 一方、アーロンはダチ連中の間で「女に舞い上がっている」とブツクサ言われながらも、彼女をマブダチ中のマブダチに会わせようと決心。中華料理屋にわざわざオーキッドを呼び出した。最初はブツクサ言っていたマブダチだが、実際のオーキッドの可愛さにビックリ。まさに人は見かけによらない。さらに彼女がジョン・ウー監督の映画に心酔していると聞いて、思い切り意気投合だ。「大体ジョン・ウーならチョウ・ユンファよ。トラボルタじゃないわ」「キミ、なかなか分かってるな〜」

 もう一つ、人は見かけによらないのは…アーロンのマブダチがピアノを弾く事。これもピアノが弾けるオーキッドと意見の合うところだ。あまり二人が意気投合するので、アーロンがマブダチに嫉妬するほど。「オマエ、母ちゃんにお使い頼まれたんだろ? さっさと行けよ!」

 というわけで、二人の仲は順風満帆。何の問題もないかのように見える。

 だが好事魔多し。世の中そうは簡単にはいかない。アーロンの身辺でヤクザのビリーの締め付けが厳しくなり、マブダチは襲われて腕を骨折。何とも物騒な雰囲気が漂って来た。

 オーキッドの家庭も娘の恋を邪魔立てはしないものの、父親は内心穏やかではない。この恋の行く末を感心していないのは間違いない。

 そして致命的な事実が一つ…またしても、人は見かけによらぬもの。すでにアーロンには、成り行きで付き合ってしまった「恋人」がいた。それもファストフード屋でデートなんて可愛いものではない。彼女の家にアーロンが泊まりに行くような間柄だ。無論オーキッドとの出会い以後は出来るだけ疎遠にしようとしているアーロンだが、彼女がそれを許しはしない。おまけに彼女は、何となくアーロンの心変わりを気づき始めてもいた。

 しかも…最もマズイのはこの点だが…彼女はヤクザのビリーの妹だったのだ!

 

見た後での感想

 前にもどこかで書いた事だが、「いい映画」ってのは最初のタイトル場面を見ただけでも分かる。これは本当のことだ。ジョン・ヒューストンの遺作「ザ・デッド」(1987)など、真っ暗な画面に白い文字が出るだけでもただならぬ雰囲気が漂った。今回の「細い目」を見た時も、それに近い興奮を覚えた事を告白しなくてはいけない

 タイトル・クレジットは、「一筆書き」みたいにスルスルと描かれていく線画のアニメーション。そこに流れているのは、香港のサミュエル・ホイ(あの「ミスター・ブー!」シリーズのホイ兄弟次男)の歌だ。この両者が渾然一体となったオープニングだけ見ても、この映画の監督ヤスミン・アフマドの抜群の映画センスの良さは見てとれる。正直言って、僕はこのオープニングで「細い目」が傑作であると確信してしまった。おそらくこの映画を見る誰もが、このオープニングから傑作を予感してしまうだろう。

 案の定、この映画は実に非凡な映画だ

 冒頭から、すべての「既成概念」や「先入観」は否定される。髪を金髪に染めた中国系アンチャンなのに、詩に理解がある。中国系の人の心に染み入る詩なのに、つくったのはインド人の詩人。コーランを詠むようなマレー系の女の子なのに、金城武ファン。そのお母さんは中国系ドラマ好きだし、家政婦はタイのポップスに夢中だ。そして女の子でもジョン・ウーの男気映画に酔えるし、中国系アンチャンのマブダチは実はピアノを弾く。この「人は見かけによらない」という趣向がこうも執拗に繰り返されるとなれば、これは確実に何らかのメッセージに違いあるまい。

 それだけではない。劇中ではヒロインとその親友の会話として、さりげなく「植民地における民族意識」云々…について、結構シビアーな指摘がなされたりもする。なるほど、人はかくも既成概念やらこうした植え付けられた意識の下で、考えも行動も支配されているものなのか。

 …と言うと、えらくシリアスな社会派ドラマか理屈っぽい「良心派」映画のような気がしてくる。「差別」や「先入観」はいけませんよ…みたいなお説教臭い映画を連想してしまうかもしれない。そして、「だが、この映画は違う」…とこれらの作品は必ず評されるものの、実際はなかなか違いはしないものだ。

 だから「この映画は違う」とここで言ってみたところで、誰も僕の言う事など信じはしまい。だが、これがまさしく真実なのだから仕方がない。この映画は掛け値なしに違う。見事なオープニングを見た時に確信したものは、間違いではなかった。

 何よりこの映画、見る人を楽しませる「面白い」映画に出来ているのだ。いや、もっと簡単に言おう。この作品を見ると、何とも胸がキュンとしてくる。「青春映画」「恋愛映画」として、これ以上の美点があるだろうか?

 

みどころ

 最近どうもよく出来た「青春映画」を見ていないと思っていたが、そんな気持ちを払拭したのが先日見たインドネシア映画ビューティフル・デイズ。それに次いでの今回の作品で、俄然東南アジアの青春映画に興味が湧いてきた。そのくらい、この映画は「青春映画」として、そして「恋愛映画」としてよくできている。見ていてドキドキする。

 何しろ主役二人の瑞々しいこと。アンチャンなのに繊細なところも併せ持つ中国系の男の子は、男だったら誰でも一目見た瞬間に殴りたくなるようなスカしたイケメン(笑)ではないから、男の観客でも気持ちよく見れる。一方ヒロインのマレー系の女の子も、いわゆる「お人形さん」ではない。これまた僕らの「イスラム教徒の女の子」のイメージを気持ちよく裏切っていく、イキイキとしてチャッカリした女の子なのだ。この女の子の何が一番チャーミングかって言えば、何かというと「オエッ」とか「ゲッ」という表情をするあたり(笑)。その無邪気な表情がとても魅力的なのだ。

 そして最も素晴らしいのは、仇役らしい仇役がヤクザ以外出てこないところだ。社会的な落差を持つカップルの恋愛映画…となった時、誰しも予想する「橋田壽賀子ドラマ」ふうなあざといコテコテ設定が、ここには全くない。両親や周囲の人間が激しく罵倒したりひっぱたいたりして、主人公がそれに反発していきり立ち、あげく泣き叫んで部屋を飛び出していく…といったワンパターンな趣向がここでは皆無だ

 懸念されるヒロインの両親も、ヘタクソな橋田ドラマ(笑)ならいきなり激しく叱責したり仲を引き裂いたりしそうなものだが、ここではそんな「これみよがし」な事は起きない。何しろ母親は中国系ドラマに夢中で、中国語の主題歌をソラで歌えるほどなのだ(笑)。娘に中国系ボーイフレンドが出来たのも先刻ご承知。父親が多少難色を示しても、まるで気にしない太っ腹ぶりだ。父親にしたって多少気にはするものの、それで娘の行動を規制しようとはしない。娘が行方が分からなくなった彼氏の身を案じた時には、彼女をクルマに乗せて街に探しに出たりもする。最後の最後には娘に「彼はオマエとは釣り合わない」…と告げるものの、それだっておずおずと「申し訳ないけど」…と付け加えながらの、ごくごく控えめな意思表示だ。何とも理解のある両親なのだ。

 中国系の青年の方だって、母親はマレー系との混血だから優しく受け止めてくれるし、最初は白い目で見ていたらしいマブダチも、実際に彼女に会ってみたらジョン・ウー映画で意気投合(笑)。まったく周囲に障害なし。見ている僕らもイヤ〜な気分にならずに済む。ドラマトゥルギーそのものの「既成概念」や「先入観」すら打破されている。イイ意味で観客を裏切ってくれる映画なのだ。

 だが…それでも障害はある。これほど周囲にジャマがないにも関わらず、いつの間にか主人公たちは真綿でゆっくり首が絞められるように追いつめられていくのだ。その澄んだ悲劇性はこの映画を陳腐なドラマから救っているし、事の本質が「民族の違い」「宗教の違い」…だけでもない事を意味してもいる。それは誰にでも普遍的な、全世界の男女が等しく抱える問題でもあるのだ。そのあたり、先日見たケン・ローチの作品やさしくキスをしてにも似たアプローチと言える。

 しかもこっちには、ケン・ローチ作品にはない胸キュンがある。この映画を見た誰もが、初々しくも可愛らしい恋人たちの事を忘れられなくなるに違いない。こいつらがとってもイイ奴だから、見ている僕らも胸が熱くなる。

 そして、あちこちにふんだんに盛り込まれた笑いの数々。徹頭徹尾笑わされるからこそ、最後の最後にやって来る泣かせどころが胸に迫るのだ。これにはすっかりヤラレてしまった。

 エンディングは、こう終わらせるしかなかったんだろうな…と思わされる幕切れ。それでも観客が気持ちよく見終われるような、ささやかな趣向が用意されている。すっかり泣かされはするが、映画が終わった時の清々しさは何とも格別だ。これは本当にマレに見る傑作ではないだろうか。

 

見た後の付け足し

 この映画、ヒロインが香港映画好きとあって「映画ネタ」もチョコチョコ顔を出す。彼女が金城武を好きになった映画はウォン・カーウァイ「天使の涙」で、中国系青年が彼女に手渡すVCDは「恋する惑星」。それに対して中国系の彼氏は、マレーシア映画の生んだ最大のスターと言われるP・ラムリーの話題を持ち出す。ミーハーからマニアまで、ちょいと嬉しがらせてくれる映画なのだ。

 おまけにヒロインはジョン・ウー作品好き、お気に入りは「男たちの挽歌」と来る。彼女が「ジョン・ウー作品はやっぱりチョウ・ユンファよ。トラボルタはイマイチ」と語るや、見ていた観客が共感してドッと笑った事は言うまでもない(笑)。そんなディティールひとつとっても、見ている者を嬉しくさせる映画なのだ。

 この一本だけでも、僕にとって今年の東京国際映画祭は存在意義があったよ。

  

 

おわり

  

 

 

 

 

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