新作映画1000本ノック 2005年8月

Knocking on Movie Heven's Door

I Know. It's only a Motion Picture. But I Like It. (Like It, Yes I Do !)


 このページの作品

「ハッカビーズ」  「ナチュラル・シティ」  「アイランド」(マイケル・ベイ監督作品)  「O:34/レイジ34フン」

 

「ハッカビーズ」

 I Heart Huckabees (I Love Huckabees)

Date:2005 / 08 / 29

みるまえ

 ジュード・ロウにナオミ・ワッツ、ダスティン・ホフマンにリリー・トムリン、マーク・ウォルバーグになぜかフランスからイザベル・ユペール。この豪華な顔ぶれならば、映画好きとしては食指をそそるところだろう。

 だがその予告編を何度か繰り返し見ているうちに、イヤ〜な予感が。何となくセンスの悪い音楽。まるで1960年代末から1970年代初めのアメリカン・ニューシネマを思わせるような、安っぽいフォークみたいな歌が流れる。他にも出てくる音楽はどれもこれもソレっぽいモノばかり。

 登場人物が、どいつもこいつも何となく屁理屈をしゃべっているみたいなのも気にかかる。中でもイヤな感じを醸し出してるのは、スターでもないのにオールスターの中で主役級の扱いの何とかいう長髪の若造だ。どうもお話が消費文明を象徴するスーパーマーケット「ハッカビーズ」と、精神主義の対立みたいなありきたりのモノであるようなのもイヤだ。そしてキャラクターの言動が妙に突拍子もなさそうなあたり、最近アメリカ映画界でやたら目立つ、若手インテリ系映画作家の頭デッカチ・コメディみたいで、なんだかなぁ…。

ないよう

 ある日、「哲学探偵」なるケッタイな肩書きを持つ私立探偵夫婦ダスティン・ホフマンとリリー・トムリンの元を訪れる長髪無精ヒゲの若造ジェイソン・シュワルツマン。何かと理屈っぽく青臭いこの男は、地元の環境保護団体の支部長という「いかにも」な肩書きを持つ青びょうたんだ。今は地元の森林と沼に迫る開発計画阻止のために、実力行使を考えているところ。そんなシュワルツマンが「哲学探偵」に持ち込んだのが、これまた妙な調査依頼。街のブロマイド屋で出会ったアフリカ人に何度も偶然出会ったのは、何か「意味」があるのだろうか?…という何とも「哲学的」な疑問への答えを求めてきたのだ。これに輪を掛けて「禅問答」で答えるのが「哲学探偵」たる所以。ホフマンはまず一枚の毛布を取り出して答える。「ここに宇宙のすべてがある。すべてはつながっているのだ」

 どうも事はシュワルツマンのトラウマにあると踏んだ「哲学探偵」夫婦は、それからシュワルツマンの身辺をウロつき回る。何と容疑者ではなく依頼人の身辺を嗅ぎ回り、尾行するのが「哲学探偵」なのだ。その中で浮かび上がって来たのが、シュワルツマンが例の森と沼の開発阻止に絡んで出会った一人の男…この地域を金で買い取って「保護」しようと提案してきた大手スーパー「ハッカビーズ」の若きやり手社員ジュード・ロウ。徹底的に調子よくて出世街道まっしぐらの俗物で、だけど魅力的でモテモテで恋人は「ハッカビーズ」のCMキャラクターのナオミ・ワッツで、何から何までうまくいってるこの男に、ネクラ環境オタクのシュワルツマンはどこか逆恨みを抱いていた。

 ところがそんなシュワルツマンやジュード・ロウの身辺に出没する「哲学探偵」は、周囲に思いもかけない効果をもたらし始めた。何を考えたかジュード・ロウは、自らも「哲学探偵」に自分探しの依頼をする。これにはシュワルツマンも納得出来ない。おまけに森と沼の保護運動の主導権までジュード・ロウに奪われ、シュワルツマンは怒り心頭だ。

 ちょうど同じ頃「哲学探偵」のクライアントになっていた男に、消防士のマーク・ウォールバーグがいた。この男は例の「9・11」以降何かを思い詰めたか、石油に関わるすべての文明を拒否。人類や世界に虚無的な心境になっていた。そんなこの男の心の拠り所は、フランスのペシミスティックな哲学者イザベル・ユペール女史の著書。実はこのユペール、かつては「哲学探偵」夫婦の門下生だったのだが、思想的対立で袂を分かってしまっていた。

 ところがユペールはなぜか渡米し、シュワルツマンやウォールバーグの身辺に現れた。「哲学探偵」に納得できないものを感じたシュワルツマンとウォールバーグはユペールの側に回り、「哲学探偵」は自らの思想の正統性を証明すべく調査を進め、あっちこっちでシッチャカメッチャカな状態に…。

みたあと

 予告編での予感は見事悪い方に的中。こりゃまいった。登場人物が誰一人として好きになれない。頭デッカチで屁理屈ばかりで、何を一体言いたいのか…分からないのではない。むしろ分かりすぎるほどだ。

 それがわざわざ偉そうにガタガタ言うほどの事のない、まるで中学生の交換日記だって書かないような内容だからだ。恥ずかしくなってくる。

 それらが作り手側からも失笑気味に「バカだなぁ」…と描かれているならまだしも、意外な事に作り手はマジで登場人物と一緒に同じ事を考えていそうだから困る。「世の中で起きる事にはすべて関わりがあるのか」「世界はこれでいいのか」「人生はこれでいいのか」…ご高説大変ごもっともではあるが、こんな事を自分たちが世界で最初に発見した真理みたいに偉そうに言われてもねぇ。

 例えば一人で全世界の石油問題の苦悩を抱え込んだようなマーク・ウォルバーグ。どいつもこいつも分かってないバカ…という周囲への傲慢な態度を隠さないが、火災現場に駆けつける時もガソリンで走る消防車には乗らないアリサマ。消防車に乗らないなら消防士を辞めろ。それよりオマエの着ている服だって石油製品じゃないのか。まさに幼稚で偽善の臭いプンプンだが、それをバカだと冷笑する事もなく、作り手はどうも半ば共感してるくさいから呆れる。

 特に大スターたちに伍して偉そうに出てくるジェイソン・シュワルツマンなる若手俳優が…演じてるキャラも下らないが、本人のご面相も何とも貧相。こんなヤツをスクリーンに出すなと言いたい。ところがこいつが元々は「天才マックスの世界」(1998)で注目を集めた役者だ…と聞いて、ハタと膝を打ってしまったよ。

 そうだよ、この映画の作り手ってあのへんのヤツらと同じ臭いがする。

 屁理屈こいてて偽善っぽくて、それを戯画的にコメディとして描いてインテリづらする。どこか理が勝ってて「僕って頭いいでしょ?」的な姿勢がチラつくから笑えない。その割に言ってる事は実は大した事がない。なのになぜか大スターたちが誤解しちゃって、やたら集まって来てのオールスター・キャスト…。

 「天才マックス」を撮ったウェス・アンダーソン。その「若き天才」扱いのチヤホヤぶりとその周辺に漂う胡散臭さによく似ている。

 それでもアンダーソンは「ロイヤル・タネンバウムス」(2001)は何だかんだ言っても結構面白く見せていたので、僕なんか少なくとも見ている間はダマされた。そして新作の「ライフ・アクアティック」(2004)では、ちゃんと気持ちの入った映画を見せてくれた。ホンマもんになった。

 ところがこっちの「ハッカビーズ」はイカサマ臭さが充満。そして何とも幼稚っぽい。監督は…と見てみたら、何と「スリー・キングス」(1999)で脚光を浴びたデビッド・O・ラッセル。なるほどねぇ。「スリー・キングス」って巷じゃ評判になったしホメられてたけど、オレはどこがいいんだか全く分からかった。この監督の映画は、まるっきりオレの生理に合わないんだわな。映画が…ってよりもコイツがキライなんだろう。みんなこれが知的な態度だと思ってるとしたら、アメリカ人って本当に頭が悪いのかも。

こうすれば

 この映画、どうしたらいいのか僕には分からない。少なくとも、オレなら主役のシュワルツマンから切る。あと、あのフォークみたいな歌とか音楽を全部やり直させるな。センスが悪すぎる。でも、映画の根本が良くなる訳ではない。

 それにしてもこのデビッド・O・ラッセルに始まって、ウェス・アンダーソンに「ウェルカム・ドールハウス」(1995)、「ハピネス」(1998)や「ストーリーテリング」(2001)のトッド・ソロンズ、さらには「ブギーナイツ」(1997)、「マグノリア」(1999)、「パンチドランク・ラブ」(2002)のポール・トーマス・アンダーソン…と、最近次々とアメリカ映画界に輩出する若手才人監督たちの映画が、ことごとく何か一様に同じようなスタイルをとっているのが気にかかる。不自然なオールスター・キャストの群像劇、素っ頓狂な言動の主人公たちによる、何となく理屈っぽいナンセンス・コメディ、おまけになぜか漂うアメリカン・ニューシネマの残骸感。

 そうだ、これって間違いなくロバート・アルトマン映画の影響ではないか。

 それも一旦没落してから名誉回復、ハリウッドに凱旋してからのアルトマン映画の臭いがする。すっかり形骸化して骨抜きになって、それなのにすっかり増長し切って鼻に付くスノビズムだけは大幅に増量したアルトマン。あのウンザリする頭デッカチさ加減によく似ている。

 もちろんこれら若手の作品は全部が全部キライではないし、むしろ非常に気に入ってるのも多い。だがそれにしたって、揃いも揃って漂って来るモノが同じというのはいただけない。すでに彼らの中でも悪しき影響が出てきていて、ポール・トーマス・アンダーソンの「パンチドランク・ラブ」などは悲惨としか言いようのない出来映えだ。そして今またブザマな出来映えの「ハッカビーズ」…。

 何とこの映画、エンド・クレジットが終わった最後の最後に、偉そうなお言葉が出てきて終わるんだぜ。

 「あなたはどれほどあなた自身でなくなっているのか?」

 分かった、分かったよ。人はみんな自分を偽ってるって言うんだろ? だけどそんな事、イマドキ小学生だって知っている。それに大人に対する言い方ってものがあるだろう。こんな低脳な言い方ってあるか?

 そもそもデビッド・O・ラッセル、オマエなんぞにそれを言われたくない。

みどころ

 ビックリしたのは「ロッキー」(1976)のエイドリア〜〜ン!を演じたタリア・シャイアが、唐突に現れること。何年ぶりだろう。…と思ってたら、主役のシュワルツマンってシャイアの息子だという。な〜んだ、またぞろコッポラ・ファミリーのガキか。いやだいやだ。

 この映画には他にも「鳥」(1963)のティッピー・ヘドレンが出ているが、見ている間は全く気づかなかった。これもオールスターのうちなのか。

 そんなこの映画にも、唯一ドキッとする場面がある。それはジュード・ロウが「哲学探偵」ホフマンとトムリンの二人に厳しい指摘を受けるくだりだ。実はジュード・ロウには、人に隠しているサエない弟がいる。この弟と来たら超デブでヤモリしか興味のない男。そんな弟を恥じてきたジュード・ロウは、ホフマンとトムリンにこう言い放つのだ。「だってあいつはヤモリの話しかしないんだぜ!」

 ところが弟よりは話題豊富で魅力的…と自認するジュード・ロウに、ホフマンとトムリンは気になる一言をぶつけるのだ。「あなただって、いつも同じ事しか言ってないんじゃないですか?」

 そして彼らが突きつけた衝撃的な証拠は、ジュード・ロウの身辺をずっと尾行しての盗聴テープ。そこでジュード・ロウは、いつでもどこでも同じ話題…歌手のシャナイア・トゥエインと会った時のバカ話を繰り返す。その何度も何度も繰り返される同じ話を聞いているうち、ジュード・ロウの顔にじんわりアブラ汗が浮かんでくる…。

 僕もね、これと同じ思いをした事があるのだ。これはすごくよく分かる。冷や汗が出てくるのが実感できる。この場面だけは、実に鬼気迫るような思いがしたよ。

 これが出来るのなら、どうしてあんなつまらない屁理屈を延々並べ立てたのだろう。本当に残念だ。

さいごのひとこと

 ハッカビーズでは新旧スターを一山いくらで大安売り。今なら屁理屈の粗品も付いてきます。

 

「ナチュラル・シティ」

 Natural City

Date:2005 / 08 / 22

みるまえ

 「ロスト・メモリーズ」(2001)、「イエスタデイ/沈黙の刻印」(2002)に次いで、またまた韓国産の近未来SF。予告で見ると、今回のCG処理やら未来都市のイメージはかなりスゴそうだ。この手の映画がキライじゃないだけに、期待が膨らむ。しかもあの原潜サスペンス映画「ユリョン」(1999)のミン・ビョンチョン監督の最新作と言うではないか。これは見なくては!

ないよう

 美しい自然の中で昼寝をしている男女。男はR(ユ・ジテ)、女はリア(ソ・リン)。実はこの雄大な自然は、ある惑星を模したバーチャル空間。夢から覚めた時、彼らは未来都市のロビーにいた。

 2080年、ここはかつてのソウル近郊に築かれた巨大都市「メッカ・ライン・シティ」。Rは対アンドロイド専門の捜査官だ。今日も今日とて世界有数のアンドロイド・メーカー「ニューコム」社に、脱走した戦闘用アンドロイド=サイパー(チョン・ドゥホン)ら4名が侵入する。早速出動したアンドロイド捜査官たちだが、隊長ノマ(ユン・チャン)とRとの間には、ピリピリした緊張感が漂っていた。ワルぶった顔をして反抗的姿勢のRに、終始厳しく冷たい態度のノマ。どうやらRはアンドロイドの心臓部である後頭部の「チップ」を横流しして、不正に金を稼いでいるらしい。

 ともかく「ニューコム」社に潜入した捜査官たちだが、敵は圧倒的に強く死傷者続出。それでもやる気のなさそうだったRが最後に凶悪アンドロイド=サイパーにトドメを差して、何とかその場は鎮圧出来た。

 そんなRが自堕落な状態になったのには、理由があるらしい。この男、実はダンサー用アンドロイドに惚れていた。それがあのリア(ソ・リン)だ。その事で周囲から疎まれても気にしない。だが彼女の寿命は徐々に近づいていた。Rが彼女をクラブからやっと譲り受けたのは、寿命の三日前。リアを守るためにどうにかしなければ…そのためには多少手を汚す事も辞さない覚悟のRであった。

 そんなRは、スラム街の片隅で怪しげな人物と接触を図っていた。それはかつて「ニューコム」社で働きながら、罪を犯して解雇された老科学者ジロ博士(チョン・ウンピョ)。Rはジロ博士に「ある方法」でリアの延命を頼み込む。その延命方法には、DNAから見てスラムに住む娘シオン(イ・ジェウン)が適当と判断される。その娘シオンは、占いの傍ら身体を売って生計を建てているような女だ。

 ところが破壊され廃棄処分にされたはずのサイパーは、実は死んでいなかった。さらにサイパーが「ニューコム」社に侵入した際に、何かのデータをいずこかに転送したらしい事が分かる。隊長ノマらの捜査とRの行動は、なぜかジロ博士とシオンという娘を結ぶ「点と線」で、奇妙な一致を見せようとしていた…。

!!!映画を見てから読んで!!!

みたあと

 ハッキリ言うと「ブレードランナー」(1982)のパクりそのもの。それもスタイルだけでなくて「描きたいモノ」まで同じとは情けない。あの映画の物語の根幹である「人造人間の叛乱」「捜査官と人造人間の恋愛」という2点の比重を変えただけで、やってる事は全然変わりない。つまりこちらでは「恋愛」がメインとなるわけだ。これでなおさらゲンナリしてしまう。いかにも手垢が付きまくってありふれているので、よほどうまくやらないと興ざめな題材だからね。

 技術的な面は素晴らしい。ボロもほとんど出ていない。お金もかかっているだろうし、恥ずかしい点は何一つ見られない。未来都市の場面はスラムなども含めて香港ロケにデジタル処理をしたようだが、これも効果を挙げている。だが…この映画、別の意味で非常に恥ずかしい。

 ミン・ビョンチョン監督の前作「ユリョン」はやはりジェリー・ブラッカイマーの「クリムゾン・タイド」(1995)をかなり意識した映画だが、それでも何らかの付加価値なりオリジナリティーなり志は感じた。それに何より面白かった。ところが今回の作品は、あまりに志の低さが露骨に出ている。パクりがいけないとは言わない。だがあまりに同系列の代表的作品を丸々パクりはみっともない。パクるにしてもパクり方ってものがあるだろう。

 筋書きにもかなり難があるが…それは後で語るにしても、主人公のキャラが全く共感できない。何がやりたいんだ…と言いたくなるバカさ加減。女アンドロイドが「踊りたい」と言いだすや、彼女を踊らせるためにクラブでチンピラ相手に大暴れ。これではやられたチンピラが可哀相だ。あげくの果てに、占い娘のバラックにバイクで突っ込んで壊すという意味不明の行動に出る。最後もモタモタしたあげく無駄な死人が出た後で、やたらにもったいつけて(しかも時限爆弾作動中にも関わらず!)思い入れたっぷりに敵との対決の場に出てくるこの男。勝手かつ無駄で無意味な行動、なおかつええカッコしい…見ていて本当にイライラした。今では韓国映画も発展して、マーケットも広がった。技術も見事だしお金もかけられるが…何か一番大切なモノを見失ったんじゃないだろうか?

こうすれば

 先に述べたような場面に加えて、水中に放り出された主人公と女アンドロイドが、いきなり水の中で踊るように漂う奇妙な場面が登場。…何なのだ、これは一体? イメージ・ショットのつもりなのか? この脚本のダメさは、まるでデキの悪い日本映画の大作の「それ」によく似ている。作り手の陳腐で幼稚な「思い入れ」に溺れた恥ずかしい脚本だ。こいつにやりたいようにやらせちゃダメだ。無意味で出来損ないの思い入れ描写場面を全部カットすべきだ。そして凶悪アンドロイドの話を中心にしろ。

 しかも…それでなくても共感出来ない主人公を、「春の日は過ぎゆく」(2001)、「オールド・ボーイ」(2004)のユ・ジテが演じているのが致命的。人をバカにしたような世の中ナメ切ったツラに、「だけどボクは本当は悪くない善人」…と言いたげないやらしさ。役柄もマズイが演じている男そのものもマズイ。どうもこの男には、全身から「偽善」の臭いがプンプンと立ちこめるのだ。まずこいつから切らなきゃダメ。

みどころ

 CGやセットなど、未来都市の世界観はさすがに見事。旧ソウル市街がスラム化して瓦礫の山になっている光景も妙に惹かれる。本当はこういうディティールこそをちゃんと見せれば良かったんじゃないだろうか?

さいごのひとこと

 韓流ブーム、近未来までもたないぞ。

 

「アイランド」

(マイケル・ベイ監督作品)

 The Island

Date:2005 / 08 / 22

みるまえ

 「アルマゲドン」(1998)、「パール・ハーバー」(2001)のあのマイケル・ベイ監督が、プロデューサーのジェリー・ブラッカイマーから独り立ち(?)。今までその大味演出が何かとバカにされてきたマイケル・ベイ…ほとんどブラッカイマーの傀儡監督だとウワサされているのに、一人になって大丈夫なのか?

ないよう

 彼はまたまた悪夢で目が覚める…。彼の名はリンカーン・6・エコー(ユアン・マクレガー)。毎日、着るモノも住むところも食べ物も用意された満ち足りた暮らし。2019年の地球はほとんどの地域が激しく汚染され、リンカーンをはじめとする人々だけが「生存者」としてこの施設に収容されていた。ここでの単調な暮らしでの唯一のエキサイティングな要素と言えば、「アイランド」行きに選抜される事だけ。

 「アイランド」、それはこの世に残された唯一の楽園だった。この施設の住人は、「アイランド」行きに選抜される事だけを夢見て毎日を暮らしていたのだ。

 施設の責任者メリック(ショーン・ビーン)は、リンカーンの悪夢に興味と疑念を抱く。だがリンカーンは例の悪夢のせいなのか、いろいろと疑問を感じ始める。何で着るモノが全部白なんだ? 何で食べ物を制限されるんだ? 毎日している「仕事」…チューブに栄養素を注入する作業って何のためなんだ…?

 リンカーンには親しみを感じているジョーダン・2・デルタ(スカーレット・ヨハンソン)という女性もいるが、施設の決まりで異性との接触は厳しく制限されている。仮に接触したとして、何かしようという事も思いつかないリンカーンではあるが、ともかく何から何まで規則でがんじがらめだ。そもそも、外界は本当に汚染されているのか?

 そんな折りもおり、ついに親しくしているジョーダンが「アイランド」行きに決定する。大喜びする彼女を見ながら、どうもスッキリしないモノを感じるリンカーンだった。

 ある日、ついつい施設のダクトを辿って外に抜け出したリンカーンは、自分がいつの間にか妙な医療施設に迷い込んだ事を知る。そこで彼が目撃したのは…「アイランド」行きに当選した「幸せ者」の連中が、生きたまま解剖されて臓器を取り出されたり、出産後に子供を取り上げられたあげく殺されたりしている…というとんでもない事実だった。

 驚いたリンカーンは施設に舞い戻り、「アイランド」出発寸前のジョーダンを連れ出して施設から逃げだそうとするが…。

みたあと

 これが結構面白い。今回の映画のネタはマイケル・クライトン監督、ジュヌブエーブ・ビュジョルド主演の「コーマ」(1977)や、アラン・ドロン主演の「ショック療法」(1972)あたりとかなり近く、そういう意味ではさほど目新しい題材とは言い難い。だが今回は、臓器利用のためのクローン人間の「養殖」というシステムを丸ごとキチンと描いたのが正解。どうせすぐに割れるナゾも出し惜しみせず、すぐに明かしてしまったのは正しかった。

 マイケル・ベイ監督作としては、おそらく上の部類の作品。脚本がよく出来ているから、導入部から中盤までは間違いなく面白く見る事が出来る。

 キャスティングはユニークで、ユアン・マクレガーは「スター・ウォーズ」のオビ・ワンがあるものの、本来は「トレインスポッティング」(1996)やら「猟人日記」(2003)の人。スカーレット・ヨハンソンだって「ロスト・イン・トランスレーション」(2003)あたりが印象深い。二人ともどっちかと言えば「娯楽大作」向きの俳優ではないのだ。そんな主演者の選択といい、「アルマゲドン」に続くマイケル・クラーク・ダンカンやスティーブ・ブシェミの起用といい、明らかにマイケル・ベイはジェリー・ブラッカイマーのキャスティング・センスを踏襲している。やっぱりベイってオリジナリティーがないんじゃないの(笑)?

!!!映画を見てから読んで!!!

こうすれば

 ところが主人公二人が外界に出てからの…特にロサンゼルスにおける追跡劇のくだりでは、またしてもドッカンドッカンとど派手でバカ丸出しの大味CGアクションが連発。しかも相変わらずアクション最中の人物たちの位置関係がサッパリ分からないという、マイケル・ベイの最大の弱点が炸裂だ。

 しかも…確かにCGなら何でも表現出来るかもしれないが、それが分かっちゃってる観客はもはや画面で何が起きても驚きはしない…という当たり前の事が、ベイには全く分かっていない。アレを見て感心するのは、逆にCGをよく知っている「業界」の人ぐらいだろう。いくら作るのが大変でも、そんな事は観客には伝わらないのだ。お生憎様。根本的にマイケル・ベイってあまり頭良くないんじゃないの(笑)?

 さらに主人公たちが一度まんまと助かってしまう事で、ドラマの緊張感と原動力は一旦完全に停止してしまう。だから他のクローン人間たちを助け出すために、彼らが再び施設に戻って大活躍…という最後の20分間が蛇足にしか感じられない。その20分間に起きるのが、結局「アンチ・ユートピア」モノでお約束の「破壊」と「解放」というワンパターン・シチュエーションでしかないから尚更だ。

 ここは、最後の20分間をバッサリやった方が良かったのではないか。そもそもイイ台詞があるではないか。「人間は生きるためなら何でもする」…その言葉の通り、主人公たちは自分たちだけ生き残ろうとするという、ブラックな味のストーリー展開もあったはずだ。

 でなければ、一旦あそこでプツンと緊張が切れる構成を改めた方がいい。主人公たちが施設に戻らねばならない、ドラマ上の必然性をこさえる必要があるからだ。

 ただ、マイケル・ベイ作品に目くじら立ててもどうかとは思う(笑)。実際のところ、これは他のベイ作品よりは気持ちよく楽しめるからね。

みどころ

 この映画に出てくる「ちょっと先の未来」のリアリティがなかなかイイ。キャデラックの未来バージョンとか、今の街並みを残したロサンゼルスとか…いかにもこうなりそうな未来像なんだよね。これって今までの近未来SFの美術の中でも、最も成功している作品ではないだろうか。

 あとはユアン・マクレガーの「オリジナル」と「クローン」の一人二役。むしろ主人公役よりも感じの悪い「オリジナル」役の方が、楽しそうに演じていて面白い。

さいごのひとこと

 「アイランド」と聞いて、“夏、夏、夏、夏、ココナッツ”…という、センスのカケラもない恥ずかしい歌を思い出した(笑)。おまけに“夏しましたぁ〜”…と演歌みたいなコブシが入るんだよね、あの歌(涙)。

 

「O:34/レイジ34フン」

 Creep

Date:2005 / 08 / 22

みるまえ

 「ラン・ローラ・ラン」(1998)のフランカ・ポテンテ主演の地下鉄ホラー。すごく怖くて面白そう。「アナトミー」(2000)などホラーづいているポテンテ主演だから、なおさら期待出来る。一つだけイヤな予感がするのは、ロンドンの地下鉄の話…という点。あの退屈だったオムニバス「チューブ・テイルズ」(1999)を連想させるから。

ないよう

 ある日、ロンドンの地下の下水道を見回る二人の男が、突然何者かに襲われてしまう…。

 一方ある晩のこと、パーティーからパーティーへと移動するために地下鉄構内へとやって来たタカビー女(フランカ・ポテンテ)は、ホームのベンチで電車を待っているうち居眠りしてしまう。目覚めた時には終電を逃した後。しかもすでに構内には誰もいなくなり、外に出る通路も閉められてしまった。最悪な事に、パーティーからずっと彼女を追いかけて来た男(ジェレミー・シェフィールド)も一緒に閉じこめられたため、この男がネチネチと彼女に迫ってくる。ところが突然この男が、何者かに物陰に引きずり込まれる。そして激しい悲鳴!

 何か恐ろしい者の気配を感じた彼女は、地下鉄構内の中でコッソリ暮らしている男女(ポール・ラットレイとケリー・スコット)に助けを求めるが…。

!!!映画を見てから読んで!!!

みたあと

 そこそこ面白いし、地下鉄の構内に異空間が存在するのも興味深い。セットとロケで作り上げた、地下の様子を見ているのも楽しい。

 ただ地下鉄構内に異空間があり、そこにさまざまな住人が暮らしている…というネタ自体は、リュック・ベッソンの出世作「サブウェイ」(1984)ですでに描かれているから鮮度も中くらいという感じ。アイディア勝負のアベレージなホラーだとは思うが、この映画には見ている者の神経をホンの少しだけイヤ〜な気分にさせるところがあちこちにある。汚水の中に浸かったヒロインの爪が割れて剥がさねばならなくなるあたりとか、手術台にくくられた女を主人公たちが「死んだ」と見捨てたら本当は生きていた…とか、別になくてもいいようなイヤ〜な描写。これが監督クリストファー・スミスの持ち味なのだろうか?

こうすれば

 タカビーなヒロインが恐怖体験によって虚飾をはぎ取られていく…というのがお話の一つの狙いだとは思うが、それにしてはこのヒロインは終始印象が悪すぎやしないだろうか? この映画には途中でブレークが入って一瞬観客が主役を見失う瞬間があるが、それも含めて主人公にイマイチ感情移入しにくい面があると思う。ホラーにとって、それはマイナス要因ではないだろうか。

 そもそも、フランカ・ポテンテがヤケに老けて見えるのが気になる。そして画面に最初に出てきた時から、彼女に金髪が全然似合っていない。この映画はヒロインのキャラをもうちょっと何とかするか、フランカ・ポテンテの起用をどうにかするか、あるいはせめて彼女を金髪にしなかった方が良かったのではないか?

みどころ

 殺人鬼の正体はハッキリしないが、どうやら大昔に地下につくられた病院施設で、秘密実験の末に生まれた怪物らしい。このように、正体をハッキリさせなかったのは正解だ。そして地下に隠されたさまざまな廃墟のセットもなかなかイイ。それだけでも僕は楽しめた。

さいごのひとこと

 同じ電車男なのに、どうしてこいつは嫌われる。

 

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