「セブンソード」

  七剣 (Seven Swords)

 (2005/10/10)


 

見る前の予想

 ツイ・ハークと言えば、かつては「香港のスピルバーグ」として鳴らした人物。それが最近じゃサッパリ名前を見なくなったと思っていたが、どっこい奴は死んじゃいなかった。あのワーナー・ブラザースがHERO/英雄(2002)、LOVERS/謀(2004)に次いで放つ剣戟アクション大作第三弾…ってな装いで、いきなり超大作を伴って帰って来た。主演者もレオン・ライ、ドニー・イェン、チャーリー・ヤン…と気になる顔ぶれ。これは見ない訳にはいかないだろう。

 

あらすじ

 中国、清王朝成立の頃。不満分子の蜂起を恐れた新政府は、国中に「禁武令」を発布した。それは、一般人が武術を学ぶ事を禁じた法令。これに乗じて不正に力を行使し、カネを儲けようという輩も現れた。それが風火連城(スン・ホンレイ)率いる冷酷非情なならず者たちの一団だ。この連中は「禁武令」をいいことに罪もない人々を次々に殺しまくりながら、村から村を根絶やしにして回っていた。そして殺した人数分のカネを国からせしめて、私腹を肥やしていた。

 そんな訳で、今日も今日とて風火連城は一の手下である冷酷な女戦士(チェン・ジャジャ)や子分どもを従えて、ある街で殺戮を欲しいままにしていた。だが、そんな街に忽然と現れた謎の戦士が一人。彼は風火連城の軍勢を手玉に取って、ひらりひらりと舞うように逃げ回りながら闘った。だが、いかんせん多勢に無勢。結局善戦を重ねたものの、慌てて殺戮の街から逃げ出さざるを得なかった。そして逃げ去る謎の戦士を、どこまでも追っていく風火連城の手下が一名…。

 そんな二人の戦いにたまたま出くわしてしまったのが、平凡な村娘ウー・ウェンイン(チャーリー・ヤン)。行きがかりで追っ手の男に殺されそうになったウェンインは、傷ついた例の戦士に命を救われる。かくしてウェンインは、命の恩人となったこの戦士を自らの村=武荘に連れ帰った。ところがその戦士…初老の男フー・チンジュ(ラウ・カーリョン)には過去があった。かつて処刑人としてお上の権威をカサに、あこぎな事もやって来た男。当然、村人の中にはフーに恨みを抱く者もいた。フーは村人に風火連城一派が襲ってくる事を警告したが、いくら彼がかつての自分の悪行を悔いて訴えても村人は全く耳を貸さない。それどころか、フーのキズの治療もせず閉じこめる始末だ。

 だがフーを村に連れて来たウェンインは、命の恩人を見捨てる訳にはいかなかった。かくして彼女は友人で村長の娘リュー・ユイファン(チャン・チンチュー)に、フーを逃がすための相談を持ちかけた。大人しく心優しいユイファンも、親友のウェンインにそう言われればイヤとは言えない。ユイファンは婚約者のハン・ジイパン(ルー・イー)に、フーを逃がすウェンインの手助けをするよう頼み込んだ。かくしてウェンインとハンは、満身創痍のフーを連れてコッソリ村から脱出するのだった。

 しかし、村から逃げてどこへ行く? フーはあくまで武荘の村を風火連城たちから守らねば…と思い詰めていた。そのためには…そそり立つ神秘の山「天山」へ行き、人里を離れた山の中に籠もっている戦士たちに援軍を頼むより他はない。こうしてフーの言葉に従い、「天山」を目指す三人ではあった。

 一方、風火連城たちは相変わらず殺戮を続け、ある街でリュイジュ(キム・ソヨン)という女を捕らえる。異国から来た女リュイジュに魅せられた風火連城は、彼女を自分の奴隷として辱めた。むろん彼らの次の目標は武荘の村だ。

 また、フーが逃げた事を知った武荘の村では、ユイファンがその責めを一身に受けて処刑される羽目になっていた。これにはチクったガキも慌てふためくが、今さらどうにもならない。村人たちはいまだ風火連城一派の脅威には気づいていなかった。

 さて雪に閉ざされた「天山」まで辿り着いたフー、ウェンインとハンの一行は、そこで空から火を噴いて落下する星に出くわす。それは何かの前兆だったのか。一行は「天山」で隠遁生活を送っていた晦明大師(マー・ジンウー)たちとの遭遇を果たす事が出来た。この機会を逃さず大師に援軍を頼むフー。だが大師の下に身を寄せていた剣士たちは、なかなか下界に降りようとはしなかった。これに業を煮やしたウェンインとハンは怒って剣士たちに見切りをつけ、下界に降りようとする前途多難ぶり。だが、ともかくフーの懇願と大師の説得によって、剣士たちは下界に降りて風火連城一派の征伐に力を貸すことになった。その剣士たちとは…知的な紳士ながら陰りのあるヤン・ユンツォン(レオン・ライ)、ミステリアスで屈折したチュウ・チャオナン(ドニー・イェン)、敏捷な男シン・ロンヅ(タイ・リーウー)、陽気な若者ムーラン(ダンカン・チョウ)といった面々。これに言うまでもなく傷の癒えたフーも加わり、さらにウェンインとハンも大師から不思議な剣を渡され「剣士」として戦う事を命じられた。かくして7人の剣士たちは、風火連城一派が迫る武荘の村へと駆けつける。

 その頃、今さらながらに風火連城一派の脅威に気づく武荘の村。慌てて守りを固めようとするが、村人たちだけで出来る事などタカが知れている。案の定、風火連城一派の攻撃にさらされた武荘の村は、抵抗空しくどんどん攻め込まれてしまう。大きな倉庫に子供たちと隠れたユイファンにも、村の中まで連中が攻め込んで来た事は分かった。倉庫の扉をブチ破って風火連城一派のならず者たちがなだれ込み、その前に立ちはだかった村長の命は風前の灯。見かねて飛び出したユイファンともども、連中の餌食になろうというちょうどその時…。

 ならず者たちが次々倒され、状況は一変。そこには「天山」から駆けつけた、七人の「剣士」たちが立ちはだかっていた!

 

「香港のスピルバーグ」ツイ・ハークの迷走

 1980年代に映画を見まくった人間にとっては、ツイ・ハークの名前はどうしたって忘れられないはずだ。

 あの当時、香港映画を活性化した新しい世代の映画作家として、彼の名前は燦然と輝いていた。それは日本における香港映画の紹介史を振り返ればすぐに分かる。

 日本における香港映画公開の歴史は…それは日本における中国語圏映画の歴史と言い換えてもいいくらいだが…誰が何と言おうとアメリカとの合作「燃えよドラゴン」(1973)から始まったと言っていい。それ以前には大女優リン・タイ主演の中華風古典歌劇“黄梅調”映画「江山美人」(1959)などがポツンと公開されたり、キン・フーが台湾で撮った大ヒット映画「血斗竜門の宿」(1967)がその余勢をかって輸入されたりしたようだが、ほとんど映画ファンからは黙殺されたようなものだった。

 こうして「燃えよドラゴン」の大ヒットによってブルース・リー主演の他の香港映画はもちろん、彼の主演作以外の香港「カラテ映画」(当時はカンフー映画をこう呼んでいた)も一気になだれ込んだが、それらは当初ほとんどすべてが「英語吹き替え版」で公開されていた。そのあたりから見て、当時の香港映画の日本市場での扱いが伺えるかもしれない。まだまだ、アジア映画への偏見はなくなっていない時代だったのだ。

 だからブルース・リー熱が冷めた時点で、わが国の香港映画熱(というかカンフー映画熱)も冷めた。こうして香港映画も一時のブームで終わろうと思われていた1979年、非常に象徴的な2本の作品が日本公開されたのをご記憶の方も少なくないと思う。一本はブルース・リー映画のつながりで同じゴールデン・ハーベスト社から入ってきたコメディ映画「ミスター・ブー」(1976)、もう一本はまったく新しいスター=ジャッキー・チェンを日本に知らしめた「ドランク・モンキー/酔拳」(1978)だ。この「笑い」を前面に出した2本によって、日本の映画ファンは「悲壮感に満ちた陰々滅々復讐劇としてのカラテ映画」以外のライト感覚の香港映画が存在する事を知った。ついでに言えば…おそらく「ミスター・ブー」は、当時最初に現地語=広東語で日本公開された香港映画ではなかったろうか。間違っていたら申し訳ないが、確か僕はそのように記憶している。香港映画が香港映画としてのアイデンティティーを日本でハッキリ打ち出し始めたのが、たぶんこの頃だ。

 こうしてジャッキー・チェン人気は定着したものの、「ミスター・ブー」=マイケル・ホイの人気はすぐにジリ貧になってしまう。こうしてまたまた日本市場で先細りし始めた香港映画だったが、ある一本の映画がそんな状況を永久に過去のものに変えてしまった。

 それが、日本では1987年公開の「男たちの挽歌」(1986)だ。

 ジョン・ウー、チョウ・ユンファ、レスリー・チャンなど、その後日本でもビッグネームとなった映画人を紹介した作品として…さらに香港映画にカンフー以外のジャンルがある(「ミスター・ブー」という例外はあったものの、いまだ日本では香港=カンフーのイメージは強かった)ことを広く周知徹底させた作品として、いまだに金字塔と言っていいこの映画。だがその本当の意義とは、日本にツイ・ハークを紹介した事ではないだろうか。ほぼ同時期に監督としての出世作「蜀山奇傅・天空の剣」(1984)も日本公開されたものの、わが国におけるツイ・ハークは…まずは敏腕なプロデューサーとしての印象が強かったのではないだろうか。それは2年後の1989年公開の、「チャイニーズ・ゴースト・ストーリー」(1987)で完全に定着したと言っていい。そして「男たちの挽歌」と「チャイニーズ」というツイ・ハーク制作の2本で、日本における香港映画のイメージは一気にメジャー化した。かく言う僕もその一人。だからツイ・ハークは、日本における香港映画地位向上に最も貢献した男なのだ。おそらくこれって、日本に限った話ではないだろう。西欧諸国はどこも同じく、ツイ・ハーク作品によって香港映画を見直したはずだ。

 折からアジアでは、さまざまな形で映画のニューウェイブが始まっていた。韓国のペ・チャンホやイ・チャンホ、中国のチェン・カイコーやチャン・イーモウ、台湾のホウ・シャオシェンが日本で知られ始めたのも、たぶんこの頃だ。香港でも「望郷」(1982)や「傾城之恋」(1984)のアン・ホイ誰かがあなたを愛してる(1987)のメイベル・チャン「風の輝く朝に」(1984)のレオン・ポーチ「天菩薩」(1986)や「レッド・ダスト/滾滾紅塵」(1990)のイム・ホー「ジャスト・ライク・ウェザー/美國心」(1986)のアレン・フォン「ソウル」(1986)のシュウ・ケイ…今では尻すぼみになってしまった連中が大半だが、香港映画に若い「作家映画」の波が訪れようとしていた。ウォン・カーウァイが日本上陸を果たすのは、この直後のことになる。

 そんな状況下だったため、ツイ・ハークもこれら香港ニューウェーブの一員として紹介される事が多かった。それはある意味では正しいと言えたが、別の意味では少々無理のあるカテゴライズだとも言えた。なぜならツイ・ハーク作品は、「作家映画」や「アート映画」の範疇には決して入らない。非常にバラエティに富んだ作品を発表し、香港映画に新風をもたらしはしたが、彼はあくまでそれらをエンターテインメントの領域にとどまってやり遂げた。それが「香港のスピルバーグ」という異名のゆえんなのだ。

 この「香港のスピルバーグ」という言葉が、おそらくツイ・ハークのポジションを何より如実に表しているだろう。「スピルバーグ」のごとく若く才気に溢れた映画人ツイ・ハークは、数多くの過去の映画作品やテレビの影響を受けた「映像世代」の人であり、伝統的エンターテインメント映画を現代的なセンスで再生産する手管に長けた男だった。監督作品だけでなく数多くのプロデュース作品を手がけてことごとくヒットさせた点も、本家「スピルバーグ」さながらだ。

 彼がいかに過去の映画作品にリスペクトを捧げつつ再生産してきたか…は、そのフィルモグラフィーにさまざまな過去の名作のリメイク作品が混在している事で容易に見てとれる。「チャイニーズ・ゴースト・ストーリー」は真説チャイニーズ・ゴースト・ストーリー(1960)、「バタフライ・ラヴァーズ/永遠の恋人たち」(1994)は梁山伯と祝英台(1963)…という、それぞれ往年のショウ・ブラザースの名作の焼き直し(もっとも「梁山伯と祝英台」は中国語圏の人々にはお馴染みのネタなので、必ずしもこの作品のリメイクとは断定し難いが)。「ドラゴン・イン」(1992)は前述キン・フーの「血斗竜門の宿」のリメイク。ジェット・リーを決定的にスターダムに押し上げた「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・チャイナ/天地黎明」(1991)は、中国の伝説的ヒーローで何度も映画になった黄飛鴻の物語。「上海ブルース」(1984)はリメイクではないものの、往年の上海映画の名作「十字路」(1936)に想を得た作品…とまぁこんな調子で、ツイ・ハークは中国語圏映画の名作を次から次へと焼き直していった。

 それでいてその語り口はいかにも新しく、ワイヤーアクションを多用しハンドメイドながらもダイナミックな特撮を駆使してスピーディーそのもの。当時からその語り口のスピード感には驚かされたものの、最近彼のリメイク作品の原典となった作品…「真説チャイニーズ・ゴースト・ストーリー」や「梁山伯と祝英台」を見るにつけ、改めてそのチャカチャカと息せき切って語るような目まぐるしさに驚かされた。それが…ともすれば深みに欠け、マンガチックなモノに矮小化してしまったあたりも、若い世代に向けた「現代化」ゆえだったのかもしれない。

 だがそんな語り口が、すでに香港映画界で「超大物」になっていた彼の作品に何となくチマチマした「小物感」をチラつかせていた…と言ったら、いささかツイ・ハークには酷になるだろうか。どうも僕は彼の作品にいかにカネがかかり、いかに大セットが使われていて大スターが出ていても、イマイチ「大作感」というものだけは感じた事がなかった。何となくスケール感を感じさせない作風…ともかく面白いからいいと言えばそれまでなのだが、それがツイ・ハーク作品を時として「浅い」と感じさせる要因にはなっていた気がする。

 そんな彼の低迷がどのあたりから始まったのか…については、僕もこれといった確固たるイメージを持ってはいない。ただ香港の中国返還前後あたりからの香港映画界の低迷…有力映画人の海外流出などがその発端だったのではないか…という推論は、誰でも容易に成り立つだろう。だがそれよりも…チョン・ユンファ、ジョン・ウー、ジェット・リーといった旧知の映画人のハリウッド上陸が、ツイ・ハークにとって変な意味での刺激になってしまったのではないか。

 何しろ彼は「香港のスピルバーグ」だった男だ。一時期はルーカスフィルムと組んで「西遊記」を映画化する話も進めていた男だ。ならばジョン・ウーなどよりも、自分こそハリウッドの水に合うはず…と思いこんだのではないか。「ヤツが出来るならオレだって」…というより、「オレならばもっとうまくやる」と思ったのではないか。確かに僕あたりが考えてみても、一種独特なクセがあるジョン・ウーよりもライトな感覚のツイ・ハークの方がずっとハリウッド慣れしそうな気がする。

 だが、思った通りに物事が運べば人生何も苦労はない

 「ダブルチーム」(1997)と「ノックオフ」(1998)という、ジャン・クロード・ヴァン・ダムと組んだ2本のハリウッド映画を見た訳ではないので何とも言えないが、誰がどう見ても大成功を納めたとは言い難いだろう。何より「香港のスピルバーグ」とまで言われた男がわざわざハリウッドまで出かけて、何が悲しくてヴァン・ダム映画を撮らねばならないのか。その時点で何かが違うと言わざるを得なかった。

 その後、ツイ・ハークは香港に戻って何作か撮っているようだが、あまり話題にはなっていないし僕もそれを知らなかった。ハッキリ言って「ハリウッド後」のツイ・ハークは、明らかに精彩を欠いている。ハリウッド進出失敗(…と言っていいと思うが)の痛手が、モロに作家的勢いに現れてしまった観がある。大変お気の毒ではあるが、映画人として峠を越えちゃったという雰囲気が濃厚だったのが、昨今のツイ・ハークではないだろうか。

 

見た後での感想

 広大な中国の荒野が広がり、馬に乗った武者たちが駆けめぐる。シネマスコープの横長大スケール画面が十二分に活かされている。映画が始まった途端に、「大作」ならではの充実感が立ちこめる。もうそれだけで、僕は嬉しくて小躍りしそうになった。

 元気なツイ・ハークが帰ってきた!

 面白くハラハラドキドキする娯楽作を連打した、あのツイ・ハークが往年の活きの良さを取り戻した。いや、それどころか…円熟味を増した気がする。例え大作をつくっても、かつてのツイ・ハークだったらチマッとしてしまった気がする。あれほどヒットメーカーとして名をはせたツイ・ハークだが、先にも述べたようになぜか大作感やスケール感とは無縁の映画作家だったのだ。

 ところが広大な中国の土地を得たのが良かったのか、まるで別人のように「大作感」を感じさせるツイ・ハーク。映像に「彼らしからぬ」重厚味さえ感じられる。こりゃいいわい…と僕はほくそ笑んでいたが、喜べたのもつかの間。実は見始めてすぐに、また若干の困惑を感じずにはいられなくなる。

 何だか話が分からない。

 全然分からない訳ではない。漠然とした筋書きなら分かる。だがこんなにディティールを掴みにくい映画もないのではないか。お話の前提が分かりにくい、登場人物の設定が分かりにくい、そもそも誰が誰だか分かりにくい。目まぐるしい動き、短いカット、舌足らずな台詞、ほとんどないに等しい説明、暗い画面、似たような衣装に隠れる顔…とこうも揃ってしまうと、さすがに事の次第がよく分からない。今、善玉側がピンチで悪玉側が押していて、主人公がどうなってる…という事は漠然と分かるものの、何となくイマイチついていきかねる焦りを感じてしまう。細かい疑問を残したままお話はバンバン進むので、何となく物語に没入できない気持ちが残るのだ。

 もちろん、このお話を日本人である僕が見るという事で、一種のハンデを帯びているというきらいはあるだろう。何でもこのお話は、武侠ものとしてはあちらでは有名な「ご存じもの」らしい。だとすると、向こうの人ならことさらに説明しなくても分かる部分があるのだろう。そういった意味で、日本人の僕がイマイチ分からないのも頷けないでもない。そして相当長い尺数のフィルムを、劇場公開用に切りつめた結果の説明不足とも聞いた。それでも…何となく、この分かりにくさはそういう問題とは違う気もする。

 それより何より、一時も落ち着くヒマを持たせずチャカチャカ進むショットと語り口に、何となく味わいやコクやタメみたいなものの乏しさを感じてしまった。

 そう、ツイ・ハークはまたまたあのチャカチャカをやっていたのだ。

 それも以前にも増して重厚な画面、複雑かつ陰影のある設定でこれをやっている。以前はマンガ寸前の深みもないキャラ、明快そのものの設定でこれをやっていたからお話に淀みがなかった。今回は妙に含蓄ありそうなお話や映像の中でチャカチャカをやらかしてるから、何だか見にくい分かりにくい、イマイチ話に没入できない…という気分になってくる。画はあくまで重厚なので、かつての彼の作品のごときチマチマ感は免れているものの、いきなりチャカチャカし始めると何となく往年のツイ・ハーク作品の忙しなさを感じさせる。ちょっとこれでこの映画は大丈夫なのか?

 ツイ・ハークよ、これでいいのか?

 ところが映画は七人の剣士による村での最初の攻防戦を描くと、またしても一気にそのテンポを変えていく。それまでのハイテンションとフルスピードを、一旦ガクッと落としてしまう。そこから展開していくのは、異境に囚われた男女の望郷の念、一人の女を巡る嫉妬の炎、身内に裏切り者がいるという疑心暗鬼、剣士たちが抱えている訳有りの過去…というどれもこれも陰影に富んだお話。それらが一気にペースを落とした展開の中でジックリ語られていく。実はここからがミソで、ツイ・ハークは猛烈アクションの醍醐味を見せながらも、いつもならアクセルを踏んでブッ飛ばすところをグッとこらえて、コクと厚みのあるドラマを大スケールの器の中で描いていくのだ。

 これはツイ・ハークとしては新しいのではないか?

 僕は正直言って、これほど横綱相撲を見せるツイ・ハークを初めて見た。堂々たるテンポで進んでいく骨太のドラマ。これはハッキリ言ってツイ・ハークの成長と言っていいのではないか?

 ビッグスターを揃えての大アクションなら、ツイ・ハークも今までザラに見せてきた。だがこの悠々たるスケール感と骨太感は、確かに彼としては新しい。そこが名実ともに「大作」たるゆえんだと言えるのだ。

 

東洋剣戟アクション大作に一貫するもの

 “「HERO/英雄」、「LOVERS/謀」に次いで放つ剣戟アクション大作第三弾…ってなコピーが付きそうな映画”とは、冒頭でこの映画の印象を評して僕が語った言葉だ。だが、それってあながち間違っている訳ではない。いや、より正確に言うと…それはアン・リーグリーン・デスティニー(2000)から続いてきた流れと言えなくもない。昔から脈々と描かれて来た中華チャンバラ…剣戟映画の伝統の現代的再生産。これを多くの監督たちが…それも映画作家として一流どころの人々が、一斉に同じように始めたのにはどんな理由があるのだろう?

 「グリーン・デスティニー」のアン・リーも「HERO/英雄」と「LOVERS/謀」のチャン・イーモウも、およそ剣戟映画が似合うとは言い難い。それでも堂々とチャンバラをつくってしまえるのは、さすが中国の血と言うべきなのだろうか? これらにフー・ピン監督のヘブン・アンド・アース(2003)、さらには公開が迫るチェン・カイコーの新作も加えてもいい。何だったら、韓国映画だが中国の地でチャンバラを展開するMUSA/武士(2001)を加えてもいい。ともかく東洋のそれなりに名のある映画人が、一様に東洋チャンバラの大作を模索し始めたのには、単なる偶然以上のものを感じてしまう。興味深いのは…これらの中華チャンバラ大作が元々ある「剣戟映画」というジャンルに今の活力を注入しているだけでなく、その装いや形態に多分に共通するものを含んでいる事だ。

 特に顕著なのはその「ボーダーレス性」

 チョウ・ユンファやミシェル・ヨー、ユエン・ウーピンやアン・リーというハリウッド経験ある映画人たちが、米国コロンビア映画資本で撮った「グリーン・デスティニー」。ハリウッド上陸したジェット・リーを主演に迎え、衣装デザインに日本のワダ・エミを加えた「HERO/英雄」。日本の中井貴一を主演者に加え、やはり米国コロンビア映画資本で作り上げた「ヘブン・アンド・アース」。そして韓国映画なのに中国のチャン・ツィイーを起用した「MUSA/武士」…。今回の「セブンソード」も音楽には韓国映画南極日誌(2005)も手がけた日本の作曲家を起用し、ポスト・プロダクションはオーストラリアで行っている。ついでに言えば、チェン・カイコーの新作「PROMISE/無極」(2005)は韓国のチャン・ドンゴンや日本の真田広之が主演だ。なぜかどの映画も判で押したように、ヤケにグローバル映画の様相を呈している。これは奇妙な一致とは言えないだろうか?

 閑話休題。僕は個人的に、今回の映画はまずは「グリーン・デスティニー」との関わりを前提に語るべき作品ではないかと思っている。それと言うのも…今回の映画と「グリーン・デスティニー」には、同様にかつての香港剣戟映画の大きな潮流の刻印が焼き付けられているかのように思えるからだ。

 ご存じの通り「グリーン・デスティニー」は、剣戟映画の巨匠とされるキン・フーの作品に多くを負っている。物語の原型はキン・フー初期の出世作大酔侠(1966)から、ビジュアル・イメージは最盛期の大作「侠女(上集・下集)」(1970〜1971)から想を得たとおぼしきこの大作は、作品自体がキン・フー作品群全体へのオマージュになっている。

 で、ここからは例によって受け売りのオンパレードになってくるが、キン・フー「大酔侠」の成功によって当時の香港映画界には剣戟映画やカンフー映画などマーシャル・アーツ映画の大きな潮流が押し寄せた。その後キン・フーは台湾でビッグヒット作「血斗竜門の宿」を発表して地歩を固めていくが…その一方で香港マーシャル・アーツ映画のもう一方の雄として頭角を表した人物がいたらしいのだ。その人物こそ、大女侠(「ゴールデン・スワロー」改題)(1968)、英雄十三傑(1970)などを発表した監督チャン・チェだ。

 その作風たるや、後年どんどんエレガントな方向に向かっていったキン・フーに対して血なまぐさいバイオレンスもふんだんに盛り込むチャン・チェ、主にヒロイン・アクションを好んだキン・フーに対して男臭い集団アクションを好んだチャン・チェ…とほぼ対照的だったらしい。そして「グリーン・デスティニー」をキン・フー映画へのオマージュとして見ていくと、今回の「セブンソード」は後者のチャン・チェ作品の影響が強い作品ではないか…という推測が成り立つのだ。勇壮な剣士たちが馬に乗って埃っぽい大地を駆け抜ける。土煙と汗が飛び散り血煙が上がる残酷味。華麗で美しいキン・フー作品と違って強烈で残酷でエグいマカロニ・ウエスタン風チャン・チェ作品の臭いが、映画全編にかなり濃厚に感じられるように思えるのだ。

 特に従来のツイ・ハーク作品は、チャカチャカした忙しない映画のリズムと共に、どこかマンガっぽい邪気のなさが特徴とも言えた。そこが客を飽きさせない楽しさや駄菓子屋の親しみやすさにもなったが、作品としての底の浅さにも感じられた訳だ。ところが今回の「セブンソード」では、導入部の映画的テンポこそチャカチャカ・リズムだが、そこを過ぎて物語がゆったり流れ始めると様相が一変。嫉妬、疑惑、陰謀、憎悪、怨恨…などなど、感情的なドロドロ模様が蠢き出す。まずはこういう展開そのものが、従来のツイ・ハークらしくないではないか。

 そしてアクションそのものにも、全編を通じて剣の重みや痛みが感じられる重厚感と血なまぐさい残酷味が濃厚に漂う。元々ツイ・ハークはアクションで売った人ではあるが、これほどの重厚さもなければ、ことさらに強烈残酷アクションを売りにもしなかったのではないか。そしてこうした血だらけアクションがチャン・チェの独壇場だったであろう事は、数多く作品を見てはいない僕でも容易に指摘できることだ。

 特に僕が見た「英雄十三傑」は本作との共通点が多く、十三人の勇猛果敢な兄弟たちが裏切りや敵への内通などで悲劇に追い込まれていく様子をバイオレンスたっぷりに描いているあたりがどこか似た雰囲気を漂わせる。しかも両者にはもっとハッキリした共通点があって…「セブンソード」クライマックスあたりでは、剣士の一人ドニー・イェンが首と両手足を五頭の馬にそれぞれ縛られ、あわや八つ裂きならぬ五つ裂きにされそうになる場面がある。「英雄十三傑」では主役のデビッド・チャンが、まったく同じ「五馬分屍」なる処刑を行われてしまうという衝撃場面が存在するのだ。

 まぁこれは、ろくすっぽこの手の作品を知らない門外漢が勝手に言ってる的はずれ意見かもしれない。だが、どうしてもこの作品にはそんなチャン・チェ作品…少なくとも僕が見た「英雄十三傑」の雰囲気を連想してしまうのだ。そして、そう考えていくと…アン・リーがキン・フー映画をモチーフにした「グリーン・デスティニー」を放ったのに対し、「オレならば」…とチャン・チェ風アクションで新作に取り組んだツイ・ハークという構図が目に浮かぶ。

 そこには、アン・リーやジョン・ウーとは違ってハリウッド進出に失敗した…少なくとも成功はしなかった…ツイ・ハークの捲土重来という意図が感じられてならないのだ。

 

「東洋」と「西洋」の相克に対する「翻訳ソフト」

 そこで改めて「グリーン・デスティニー」を振り返ってみると…元々アメリカをベースに映画をつくり始め、「いつか晴れた日に」(1995)、「アイス・ストーム」(1997)、楽園をください(1999)…とどんどん非中国語圏映画=西欧映画に傾斜を深めていったアン・リーが、自らのアイデンティティーを再確認すべくつくった作品だと僕は個人的に認識している。逆に言うと…それくらい強いモチベーションがなかったら、これほど従来の作風と異なる作品は手がけないはずだ。つまりここでのアン・リーにとっての「グリーン・デスティニー」制作は、どこか自らの中の「中国」と「欧米」との相克に決着をつける意味合いもあったように思われるのだ。

 実はこうした“自らの内なる「東洋」と「西洋」の相克への回答”…というニュアンスは、他の東洋剣戟アクション大作群にも多分に見受けられる。西洋に流通しうる中国映画を模索していたチャン・イーモウは、ハリウッド・メガヒット超大作「タイタニック」(1998)への回答としてつくった初恋のきた道(1999)を通過して、さらにその思いを追求した「HERO/英雄」を放った。おそらく公開迫るチェン・カイコーの新作も、キリング・ミー・ソフトリー(2001)という「他流試合」を経験した彼らしい“「東洋」と「西洋」の相克への回答”的ニュアンスを帯びることは想像に難くない。その他の東洋剣戟アクション大作群にしても…“内なる「東洋」と「西洋」の相克”なんて大袈裟なモノではないにしろ、単に映画を商業的に受け入れさせるという側面では“「東洋」対「西洋」”を意識せざるを得なかったはずだ。ハリウッドに負けない娯楽映画、世界マーケットで売れる商業大作…を志向すれば、おのずからそこにぶつからざるを得ない。これらの東洋剣戟アクション大作の作品群が、みな一様にボーダーレス志向に見えるのはそんな理由からだ。東洋映画がハリウッドに正面対決を挑むなら、自らの土俵で新しい感覚を盛り込んで勝負すべきだ…これらの大作群の作り手たちは、その一点だけでは意見が一致していたと思われる。

 ましてハリウッド進出に成功しなかったツイ・ハークにおいては、これは決して軽い問題ではなかったはずだ。かつての盟友ジェット・リーやジョン・ウーの大成功を見るにつけ、「香港のスピルバーグ」だったはずの彼のプライドがキズつく。ツイ・ハークは真剣に、自分なりの「グリーン・デスティニー」を求めていたはずだ。いかにも「らしい」前半部分のチャカチャカぶりと、「らしくない」アクションの重厚・残酷ぶりとの相反する衝突ぶりを見るに付け、そんなツイ・ハークの内面の葛藤が伺われるのだ。

 興味深いのは、これら東洋剣戟アクション大作群に共通する要素がもう一点存在すること。こう申し上げれば、すでにみなさんはお気づきかもしれない。これらの作品群にはどれもこれも、何らかの形で黒澤明の時代劇作品の影響…そして何らかの西部劇フレーバーが漂っているのだ。

 チャン・イーモウ「HERO/英雄」が黒澤流なことは、僕も公開時に指摘していたと思う。それもアクションだけでなく、「羅生門」(1950)風の構成をとっているという根幹の部分で黒澤流というのが「確信犯」的なのだ。「ヘブン・アンド・アース」は、何しろ「七人の侍」(1954)や「用心棒」(1961)をバリバリ意識しまくった「双旗鎮刀客」(1999)の監督=黒澤フリークのフー・ピンの作品だ。韓国映画「MUSA/武士」も姫を守って敵中突破という内容が「隠し砦の三悪人」(1958)を彷彿とさせるし、終盤のサム・ペキンパー「ワイルドバンチ」(1969)風趣向にどうしても黒澤が漂う。そもそもペキンパーが強烈な黒澤フリークなのだ。

 実は前述した香港マーシャル・アーツ映画の先駆を成した二大巨匠、キン・フーとチャン・チェもまた黒澤フリークだったのは有名な話だ。だから東洋剣戟アクション大作をつくると自ずから黒澤風味が漂ってくるのも、当然の事なのかもしれない。それが黒澤が深く傾倒していたジョン・フォード=ハリウッド正統派西部劇の方向へ行くのか、あるいは黒澤「用心棒」&「椿三十郎」(1962)からセルジオ・レオーネ「荒野の用心棒」(1964)を通過してマカロニ・ウエスタンという方向に行くのか、このバリエーションとして黒澤とフォードに傾倒しながらハリウッド王道には背を向けたサム・ペキンパーのバイオレンス西部劇に行くのか…それぞれの方向性の違いはあるかもしれないが、東洋剣戟アクション大作が一様に黒澤=西部劇路線を志向するのには、ちゃんとそれなりの必然がある

 むろんこの「セブンソード」もしかり。これが本当にチャン・チェ映画の路線を引用していたのなら、当然のごとく黒澤は射程距離にあるはずだ。それでなくても…チャンバラ映画で「七人」とくれば黒澤を意識せずにはいられなかったろう。ツイ・ハークもそのあたりは、十分承知してかかっていたはずだ。

 だからこそこの手の東洋剣戟アクション大作は、どれもこれも黒澤映画をめざす

 これについては、僕はこのサイトで何度も結論めいたものを出している。「HERO/英雄」「ヘブン・アンド・アース」「MUSA/武士」あたりの感想文でも、何度も繰り返し述べているはずだ。ここでは、特集極私的・韓国映画の20本に収められたMUSA/武士感想文をぜひご参照しただきたい。

 作家映画にして大衆娯楽映画、東洋ローカルにして西洋にも取り入れられるグローバル…二律背反を何の矛盾もなく軽々とクリアする黒澤映画は、“「東洋」対「西洋」”を意識せざるを得ないアジアの映画作家たちへの何よりの回答だった。よりボーダーレス化が進む世界の映画界における一種の「翻訳ソフト」として、黒澤映画はむしろ過去よりもますます価値を増している。たぶん前述の映画作家たちは、いつかその事に気づき始めたに違いない。

 そして実は自分たちの足下にあった剣戟映画が、キン・フーとチャン・チェの時代から黒澤映画を引用していた。その事実に改めて気づいた時、中国・香港・韓国の映画人たちは狂喜乱舞したはずだ。自分たちが求めてやまない黒澤のボーダーレス性は、何と自分たちの根っこにある東洋剣戟アクションが1960年代から引用していたのだ。後は、それらを現代の感覚とテクノロジーで焼き直すだけ…。昨今アジアの映画作家たちが熱心に東洋剣戟アクション大作を放ち続ける理由は、たぶんそんなところではないだろうか。

 だからツイ・ハークにとって今回の「セブンソード」は、挫折を味わったハリウッド=グローバル映画に向けての「敗者復活戦」に相当する。そして今回…偶然か必然か、重厚味と残酷味という従来のツイ・ハークにはなかった濃厚さとハードさを帯びる事によって、彼の映画はまた一段新たな成長を遂げる事にもなったはずだ。

 もちろん前半のチャカチャカぶり、お話の未消化ぶりなどに疑問点も少なくない。この手のスッキリしない要素がある以上、この作品を一点の曇りもないような天晴れな傑作・快作とはさすがに言い切れない。だが映画としてのイキの良さは明らかに全盛期のツイ・ハークを感じさせるし、しかも今までの彼になかった面も見せていると思う。

 ゆえに僕はこれをツイ・ハークの新たな成熟と見たのだが、みなさんはどうだろう?

 

見た後の付け足し

 レオン・ライ、ドニー・イェン、チャーリー・ヤンと豪華な香港スターの共演が見ものだが、僕が特に注目したいのはやっぱりチャーリー・ヤン。半ば引退状態だった彼女があのジャッキー・チェンの快作香港国際警察(2004)で鮮烈に第一線復帰したのは記憶に新しいが、今回またまたこれほどの大作に出てきたのはファンとしてますますもって嬉しい。しかも今回は、七人の剣士の中の「紅一点」という重要な役どころだ。

 思えばチャーリー・ヤンは、元々がツイ・ハーク作品「バタフライ・ラヴァーズ/永遠の恋人たち」などで映画女優としてのキャリアを築いた人だ。そういう意味で、復帰間もなく「恩師」のカムバック作の応援に参上したのではないか…と、ちょっと嬉しい想像がわいてくる。また、ジャッキーが自らと香港映画の浮沈を賭けてつくったような「香港国際警察」に次いでコレ…という作品選択の妙にも、彼女自身の確かな意志を感じてしまう。

 こういう人たちがどんどん戻ってきてくれれば、香港映画の復活も遠いことではない気がするんだよね。

 

 

 

 

 

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