「アルフィー」

 (ジュード・ロウ主演)

  Alfie

  ベーシック・エディション

 (2005/08/01)


 

 

このベーシック・エディションを読みたい方は、途中に出てくる画像のリンク先は無視して、まっすぐこのページの文章だけを読んでいってください。

 

 

出来ればミック・ジャガー&デイブ・スチュワートの「オールド・ハビッツ・ダイ・ハード」(「アルフィー」サウンドトラックCD収録)を聞きながらお読みください。

 

 

 

 

 アパートの自分の部屋で目覚めたのは、男も見惚れるほどの若い二枚目

 みなさんが彼の部屋に入れるなんて、めったにない事だ。彼は、決して自分の部屋に他人を招かない。…いやいや、別にそれほど大した部屋という訳ではないのだが。そもそもこの男、自分の部屋のベッドで寝る事がほとんどないのだ。

 おっと、ご紹介が遅れた。彼の名前はアルフィー(ジュード・ロウ)。生まれ育ったイギリスを離れ、今はここニューヨークはマンハッタンが彼の根城。しがないリムジン・サービスの運転手をして暮らしてはいるが、これは今だけの仮の姿だ。彼には彼の野望がある。

 今日も今日とて、マンハッタンを愛用のスクーターで出勤のアルフィー。彼に言わせれば、世界で最も美しい女たちが集まる都…それがマンハッタンだ。ブロンド、赤毛、ブルネット…白いの黒いの黄色いの、ミニで足をこれみよがしに誇示するのもいれば、イスラムの風習に従って髪を覆い隠しているのもいる。だが今のアルフィーには、そんな世界の女たちが自分に微笑みかけているように見えた。そう…女たちは、みんな彼のものだ

 ところで…今、貴女の隣にいるカレシは否定するだろうが、とどのつまり男にとっての女は、「F・B・B」だ。「ツラ(Face)」「チチ(Boob)」「ケツ(Bum)」。どんなお上品な事を言ってる奴でもそう。それに尽きる。逆に言えば…それ以外は必要ないって事だ。そしてアルフィーは、何よりもそれを実践していた。

 

 

  

 

 今日も今日とて人妻ドリー(ジェーン・クラコウスキー)と車中で一戦。もちろんアルフィーお気に入りの、男が疲れない体位で臨む。

 こんなセクシーな彼女なのに、亭主は彼女を構ってやらない。アルフィーの行為は、だからまさにボランティアみたいなものだ。これで欲求不満な彼女は機嫌が良くなり、亭主も快適というわけ。ご亭主にも感謝してもらいたいくらいだ。

 だがそんな素晴らしいドリーも、ここへ来ていささか鬱陶しくなり始めた。愛情の押しつけがましさが、いささかウンザリもしてきた。ここでヘタに長引かせたら、ズルズルって事になりかねない。

 物事は何でも引き際が肝心だ。

 もう一回ぐらいと思っていたが、彼女の様子を見るとそうもいくまい。今回がそろそろ潮時だろう。

 アルフィーは彼女からの次のお誘いを、丁重にさりげなく退けた。こうして自然と疎遠になれば、後腐れなく別れることが出来る。これぞアルフィーの「生きるための知恵」だ。

 

 

 

 

 ホットな…いささかホットすぎる女の求愛から逃れて一息ついたそんな時。ちょっとした心の安らぎと家庭料理が欲しい時、アルフィーはシングルマザーのジュリー(マリサ・トメイ)の家へと向かう。真夜中に押し掛けても、アルフィーに首ったけの彼女は受け入れてくれる。アルフィーだって、実は一番気楽につき合える相手だ

 そんなジュリーがアルフィーと結婚したがっているのはミエミエ。だが男たるもの、そこでゆめゆめヘタに同情は禁物だ。隙を見せてはならない。

 ジュリーだって、実はアルフィーがそんな奴だって事は薄々感づいてはいるはずだ。だが、どうにも事を荒立てられない。そこが惚れた弱みというやつなのだろうか。あるいはそれを言って、すべてが終わりになるのを恐れているのかもしれない。そこにつけ込んでいる訳ではないが、アルフィーはいつもコトを有利に運んでいた。

 一方アルフィーの方にだって、決して弱みがない訳じゃない。ジュリーの幼い一人息子がそれだ。だから、アクセサリー付きのシングルマザーにはご用心。このアクセサリーが、またすごく可愛かったりするからね

 

 

 

 

 さてアルフィーの勤めるリムジン・サービスの会社は、何かとガミガミうるさい東洋人(ゲディ・ワタナベ)の経営による至って小さなトコだ。ここには目下のアルフィーの同僚にしてマブダチのマーロン(オマー・エップス)も働いている。彼ら二人はここでせいぜい稼いでカネを貯め、デカいビジネスに乗り出そうと決めていた。だがダチのマーロンはどうにも元気がない。彼は恋人ロネット(ニア・ロング)とこじれて、別れ話の真っ最中。だがマーロンは別れたくない。まぁ男女の仲というものは、いつも実にうまくいかないものだ。

 無論ロネットにはロネットの言い分もある。女扱いのうまいアルフィーはバーのウエイトレスをする彼女の愚痴を聞きつつ、気づいたら真夜中で店にたった二人きり。これってちょっとマズイ雰囲気かと思いながらも、そこはそれ相手が女…それもすこぶる付きのイイ女ともなれば、来る者は拒まずがモットーのアルフィー。そんな時もアルフィーは、彼一流の理屈で自分を言い聞かせる。「彼女の気が済むなら…これもすべて友達のため

 結局ロネットを食べちゃったのは致し方のないところか。それにしても、彼女は本当にイイ女だ。その抱き心地の素晴らしいこと。

 だが翌朝には、さすがにアルフィーと言えども罪の意識に苛まれる。そんなアルフィーにマブダチのマーロンが近づいてくるや、「昨夜は彼女と一緒だったんだって?」と一言。こりゃヤバイと冷や汗をかきまくるアルフィーだが、実はマーロンは大喜び。何とアレがどう転んだか知らないが、ロネットがマーロンに「ヨリを戻そう」と言って来たという。マーロンは、てっきりアルフィーが彼女に良いこと言ってくれたと勘違いだ。まぁ結果良ければすべて良し。「これもすべて友達のため…」

 だが「善行」とは、必ず罰せられるものだ

 

 

 

 

 アルフィーの肉体に重大な変化が起きたのは、それからまもなくの事だった。「彼の命」とも言うべき、大事な大事な男性機能に支障を来たしてしまった。せっかく女を捕まえても、「いざ」という時に言うことをきかない。これにはさすがのアルフィーもショックだった。

 慌てたアルフィーは医者へ飛んでいくが、どうやら男性機能の異常はなさそうだ。やっぱりあの不都合はストレスのためだったのか。あの時、なまじっか良心の呵責など抱いたのがマズかったという事なのだろう。ハンパな誠実さなら、いっそ持たぬに限るのだ。

 ただこの医者、アルフィーにとっていささか気がかりな事も告げた。何とイチモツに「しこり」があるようだと言うのだ。果たしてヤバイ病気か、それとも単なる良性の腫瘍か。今までイチモツ絡みの女出入りでは「しこり」をつくった事がなかったアルフィーなのに、肝心のイチモツに「しこり」ではシャレにならない。いや、待てよ…ホントに女出入りでも「しこり」はなかったのか?

 いつでも彼を受け入れてくれたはずのシングルマザーのジュリーが、アルフィーを閉め出したのは驚きだった。薄々感づいてはいたアルフィーの女グセをハッキリ知って、彼女から決別を言い出したのだ。彼女がこんな思い切った決断をするとは…。

 まぁ気にするな、よくあることさ。気にすべきなのはイチモツの「しこり」だ。

 だが、よくあること…とばかりは言ってられない事も起きてしまった。何とあのロネットが妊娠したと言うのだ。今のロネットはもちろんマーロンとヨリを戻し、結婚までしようかというところ。だがお腹の子供は果たして誰の子かというと…??? アルフィーには、彼女が病院で「処置」するのを見守るぐらいしか出来る事がない。

 

 

 

 

 そんな折りもおり、たまたま病院で知り合った初老の男から亡くしたばかりの女房の話を聞いた時には、さすがのアルフィーもちょっとばっかり厳粛な気持ちになった。

 いつか、いつの日か…と思いながら、果たせぬままに終わった女房との約束。「毎日を、今日が最後だと思って生きろ」…そう語った初老の男の言葉は、アルフィーの心の奥深くに刻み込まれた。

 だが、長年の流儀ってやつはそう変わるもんじゃない。「しこり」がない…と分かったとたん、「雨に唄えば」のジーン・ケリーよろしく病院から飛び出して踊り狂うアルフィーだった。

 何のコトはない。

 そうなりゃ絶好調のアルフィーがたちまち戻ってくる。リッチでホットでクレバーな、年上キャリアウーマンのリズ(スーザン・サランドン)のお相手。明らかに格上の彼女との情事は、確実に自分をランクアップしてくれる気がした。

 

 

 だが、すべて嬉しい事ばかりではない。マブダチのマーロンが、ロネットとの結婚を機になぜか郊外に引っ越してしまった。これで一緒にビジネスをやる話もパー。おそらくロネットが例の一件の気まずさから決めた事だろう。

 そしていまだにどこか未練があったのだろうか…ジュリーの可愛い息子のためにプレゼントを買って訪ねようとしたが、そんな彼女にはすでにお相手がいる事を知るアルフィー。

 気づいてみれば、心は寂しいクリスマスだ。そんなアルフィーがカラのリムジン転がしながら仕事から引き揚げる最中、たまたまパーティーからパーティーへと移動中の一団と出逢ったのが…「運命の出逢い」

 スーパーモデルもかくやと思わせる金髪美女ニッキー(シエナ・ミラー)がそこにいた。

 神様、クリスマス・プレゼントをありがとう! 夜通しニッキーとツルんだアルフィーは、彼女の魅力に完全にノックアウトされた。どれほどノックアウトされたか…と言えば、何と彼の本来の流儀を曲げて、自分の部屋にニッキーを入れたと言えばお分かりいただけるだろうか。

 そのままニッキーはアルフィーの部屋に居座り、しばし甘い生活が続いた。

 

 

 

 

 だが…どんな関係も終わりになる前に、前触れとして何か「ウソだろ!」と思ってしまうような出来事が必ずあるものだ。アルフィーにとっては、それはあの晩のパーティでの乾杯の時だったかもしれない。ニッキーが思いっきりグラスをぶつけて来たものだから、グラスは二つとも木っ端微塵。何がおかしいのか爆笑していたニッキーだが、それと裏腹にアルフィーの腹の底には冷えたモノが流れ始めた。

 そういやこのニッキーという女、最初からどこかが壊れていた

 どんな時でもドラッグ、ドラッグ、ドラッグ。タガがはずれているというのか何というのか、長い間付き合っていると危うい面が目に付きだした。どんな美しい彫刻も、近づいてよく見てみれば細かいヒビがある。ニッキーもそんな傷物だった。

 そして、そろそろ鼻につき始めた彼女の女房気取り。いよいよ耐えきれなくなったアルフィーは、キッパリと彼女に別れを告げた。

 「やり直したい」とすがるニッキーを突き放し、寂しげに雨の中を去っていく彼女を心を鬼にして見捨てるアルフィー。だが、ダメなものはどうしようもない。今さら元には戻しようもない。コトここに及んだら、ヘタな情けはかえって酷なのだ。

 

 

 

 

 やっぱり自分が求めていたのは、こんな関係ではなかったのか。唯一心安らぐ間柄だったシングルマザーのジュリーの事が頭をよぎる。

 ある日、街でジュリーと出会ったアルフィーは、思い切って自分の気持ちを打ち明ける。だが、そんなジュリーの傍らにはすでに新しい相手がいた。「お幸せに」…と告げるのがやっとのアルフィー。

 しかも衝撃はそれにとどまらなかった。マーロンと共に彼の元を去っていったロネットに会うために、アルフィーは郊外の二人のマイホームへと足を運ぶ。そこで彼が知った事実とは…何とロネットは赤ん坊を生んでいたのだ。その肌の色は、明るい茶色!

 ロネットは赤ん坊を堕ろしていなかったのだ。マーロンの子であれば…と願い、誰にも黙って子供を産んだ。しかし、その結果は…。

 愕然とするアルフィーが二人の家から出てきた時、ちょうどマーロンが帰宅してきた。硬い表情のマーロンに、アルフィーは絞り出すように語った。「僕は、君をキズつけるつもりじゃなかった…」

 マーロンは目を真っ赤にして、こう答えるのがやっとだった。

 「でも、オレはキズついたよ…」

 

 

 

 

 アルフィーは逃げるようにその場を逃れた。何もかも…一切合切から逃れたかった。

 今となってみると、自分が大したもんだと思っていたアレコレが、すべてくだらない物事のように思えた。自分の人生の自信が思いっきりグラついたアルフィーは、しかしもはや相談する相手もいない。

 仕方なく彼が呼んだのは、たまたま病院で知り合った「今日が最後だと思って生きろ」…の初老の男。なぜかアルフィーに、亡き妻の思い出を切々と語ったあの男だ。アルフィーはこの男に、これまであった洗いざらいをすべてブチまけた。

 言うだけ言って…それでアルフィーは、とりあえず何がしかの落ち着きを取り戻せたのだろうか。落ち着きは取り戻せたとして、先は見えたのか。

 「大切なのは…だ」 すべてを聞いた初老の男は、アルフィーにこう答える。「君の人生、これからどう生きるかだ」

 

 

 

 ジュード・ロウ主演であのマイケル・ケインの出世作「アルフィー」をリメイクする…と聞いた時、僕はその目の付け所の良さにちょっと驚いた。昨今のハリウッドのリメイク・ブームの止めどもなさにはウンザリしつつも、あの現代の色事師の話をイマドキ英国産色男の典型ジュード・ロウで撮ろうという企画の素晴らしさは、さすがに評価せずにはいられなかったのだ。

 だがそれが現代のニューヨークに舞台を移してのリメイクと聞き、またぞろ不安が頭をもたげてきた。昔テレビで見たオリジナルの「アルフィー」(1966)の記憶はかなり薄れてはいるが、それでも全編に漂う「あの時代」の空気…ロンドンが世界の流行の先端を突っ走っていた時代の空気は、あの映画のスタイルを大きく支配していたように思う。「あの時代」の空気…とは何かと問われれば、まことに不本意ながらオリジナル「アルフィー」主演のマイケル・ケインが、あの「オースティン・パワーズ」のパロっていたキャラとムードとスタイルの象徴だと申し上げればお分かりいただけるだろうか。ともかく、それなしに「アルフィー」のリメイクなんて意味がないんじゃないかと思ったんだよね。

 ただ、“ジュード・ロウ=「アルフィー」”のイメージの素晴らしさだけは脳裏に焼き付いた。だから、一刻も早く見たいという気持ちは強かった。あわてて劇場に駆けつけて見た、新作「アルフィー」の出来映えはと言えば…。

 素晴らしい!

 これって絶対ジュード・ロウの代表作になる。企画を立てた奴もエライが、それを受けて立ったジュード・ロウもエライ。女ったらしの色男の役を本当に二枚目と呼ぶにふさわしい役者がやるってのは、なかなか出来ない事だ。二枚目役者は往々にして「演技派」ぶった芝居や役をやりたがるし、色男の役に据えるべきホンモノの二枚目役者というのは、実はそんなに世の中にはいない。ハッキリ言って21世紀初頭の段階で、この役をやるにふさわしい役者は他にはいない。ここで引き合いに出すのは大変お気の毒と分かっていても、あえて言わずにいられないのは…このジュード・ロウと比べるとそんじょそこらのイケメン俳優なんてのはチャンチャラおかしいって事だ。こんな事を言ったらまたぞろ抗議メール殺到だろうが、本当だから仕方がない。悪いけど格が違う。そもそもジュード・ロウに「イケメン」なんて即席ラーメンみたいな安っぽい称号は似合わないだろう。そもそも「イケメン」なんて安い言葉を使う女どもの下品さもいただけないが…。彼はあくまで「色男」で「二枚目」なのだ。艶や色気が違うのだ。一緒にしては申し訳ないよ。

 そんな彼の色気に最初に目を見張ったのは、何と言ってもリプリー(1999)だ。貧しくヤボ臭いマット・デイモンに羨まれ、逆恨みされる男。その財力もさる事ながら、全身から放たれる色男の魅力。ピッカピカに輝いているジュード・ロウなら、多少の傲慢さは仕方がない…とさえ思わされる素晴らしさだった。この時から、僕の中でのジュード・ロウ・イメージは決まってしまった。

 だがジュード・ロウは、案の定「二枚目道」をひた走ってはくれなかった。役者としての野心がそうはさせなかったのだろう。イグジステンズ(1999)など、別に彼でなくてもいいような作品にも出た。結局ジュード・ロウらしさが活かされた映画と言えば、スピルバーグのA.I.(2001)ぐらいではないか。あそこでテッカテカのセックス・ロボットを照れずに演じて見せたジュード・ロウは、さすがに希代の二枚目役者としての片鱗を伺わせた。だが、やっぱり「演技派」になりたいという野望があったのだろうか、よせばいいのにロード・トゥ・パーディション(2002)でのクセモノ演技などをやってしまう。僕はこのジュード・ロウを見た時、ちょっとガッカリしたんだよね。こんな「うまい」役者なら掃いて捨てるほどいる。こんなジュード・ロウなど見たくはないと思った。残念でならなかった。

 ところがジュード・ロウもそれに気づいたか、最近は微妙に方向転換をしていた。ニコール・キッドマンとの美男美女共演で堂々たるメロドラマの王道を突っ走るコールドマウンテン(2003)、クサいほどのレトロ・ヒーローぶりを見せるスカイ・キャプテン/ワールド・オブ・トゥモロー(2004)…などがそれだ。近作クローサー(2004)は彼でなくても出来る役だったが…ともかくこの世界最高の二枚目役者が、自分が「二枚目」であると自覚してくれたのは嬉しい。

 今回の役も、ジュード・ロウだから出来た役だ。

 これをハンパに自称「イケメン」みたいな勘違いヘナチョコ役者が演じたら目も当てられない。例えば…「バタフライ・エフェクト」の名前も覚えられない主演男優(笑)とか、あの手の安手の男がやったらブチ壊しだ。残念ながらガエル・ガルシア・ベルナルあたりでさえ難しいだろう。

 だがジュード・ロウがやるから、男の僕らでも納得できる。女ったらしの役が「いやらしく」見えない。ジュード・ロウだったら、自分の女をやられてもいいよ(笑)。むしろみんなに自慢出来ると喜んじゃうかも(笑)。ハンパな男だったらこの役は鼻持ちならないだろうが、ジュード・ロウなら許されるのだ。

 そして彼には愛嬌がある。単なる「イケメン」に漂ってる安っぽさや卑屈さや下品さがない。だから彼の色事にも、「打算」や「ズルさ」みたいな汚さがチラつかない。そこはそれ彼なりの計算はあるだろうが、それよりも「無邪気さ」が勝っている。そのせいで…何となくジュード・ロウが演じるアルフィーは、「真実の愛」やら「本当の人生」やら「価値ある何か」を求めて放浪する「自由人」…少なくとも「本人はそのつもり」の人物に見えてくるのだ。よくよく見ればテメエ勝手で人を踏み台にしている人物なのに、そこに悪気はないと思えてくる。

 だが…だからこそ、劇中の「僕は、君をキズつけるつもりじゃなかった」…のセリフが効いてくる。

 単に自分なりの「幸せ」を、自分なりの流儀で追求しているだけのつもりだった主人公は、実は無自覚に人をキズつけている。それが証拠に映画の後半では、主人公は自分がやって来た事をそっくりそのまま女たちにやり返されて、激しくダメージを食らってしまう。すこぶる付きの「いい女」スーザン・サランドンが自分以外の男をくわえ込んでいるのを知って、ジュード・ロウ=アルフィーが思わず問わずにいられない言葉は象徴的だ。「僕になくてあいつが持っているモノって何なんだ?」

 実は僕らも自らの「幸せ」追求…あるいは「自分らしさ」追求などと称しながら、どこかで無自覚に人をキズつけているのだ。この映画が普遍性を持ってくるのは、実はそこの部分だ。

 人は自分を「被害者」と思う事はあっても、まさか「加害者」だとは思わない。否…「思いたくない」

 その点では、誰もがアルフィーと五十歩百歩なのだ。ここでジュード・ロウがまるで罪がなさげな色事師を演じているのは、だから役づくりとして正解だ。彼は自分が悪いと思っていないし、実際に悪いとも見えない。それはまさに我々自身の自画像なのだ。

 そして、ここでジュード・ロウの愛嬌が生きてくる。

 終盤に向かってボコボコな目に遭う主人公だが、それでも…明日に希望が残る幕切れなのだ。僕らも思わずこのラストのジュード・ロウに、「若えの、また頑張りな」と声をかけたくなる。二枚目だ何だと言うよりも、このラストに漂う味わいはジュード・ロウでなければ出なかっただろう。

 登場する女たちのキャラも、演じた女優たちもお見事。貫禄のスーザン・サランドンはもちろんの事、今まで役に恵まれなかったマリサ・トメイが実にいい。彼女、早すぎたオスカー受賞が仇となっていた観があったが、ここではその哀れさまでがいとおしいのだ。そして最後に顔を出してオイシイ場面をさらう人妻役ジェーン・クラコウスキーも素晴らしい。恨みも怒りもイヤという程抱えながら、主人公アルフィーの「悪かった」という言葉を聞いた瞬間、「グッドラック」とつぶやいて潔く去っていく艶姿にはうなってしまった。さらに今回の共演でジュード・ロウと恋愛関係になったというシエナ・ミラーの「痛さ」も忘れがたい。

 監督・脚本を手がけたチャールズ・シャイアは、むしろ今ではかつてナンシー・マイヤーズとコンビを組んでいた人という印象が強い。彼女と一緒に「プライベート・ベンジャミン」(1980)などの脚本を書き、「赤ちゃんはトップレディがお好き」(1987)や「花嫁のパパ」(1991)などで監督に進出した後もマイヤーズと組んでいた。マイヤーズが監督デビューしたファミリー・ゲーム/双子の天使(1998)にも脚本で参加した。だがその後はハート・オブ・ウーマン(2000)や恋愛適齢期(2003)で見る限り、マイヤーズの方が監督としては「格上」という感じになっていたのが正直なところだ。

 ところが…今回は本当に素晴らしい

 ジュード・ロウという逸材を手に入れた事も幸いしたが、舞台を現代のニューヨークに移した事も「普遍性」という点では正解だった。それでいて映画全編に漂う1960年代「スウィンギング・ロンドン」へのノスタルジア。街の景観や人々のファッションや主人公が乗るスクーターや…あくまで21世紀バージョンとしてリニューアルされた「それ」は、ジュード・ロウの英国製のシャレっけをさりげなく引き立てていて魅力的だ。ミック・ジャガーとデイブ・スチュアートという二人の英国出身ミュージシャンによる音楽も、そんなブリティッシュな香りを放っている。

 そして…まさに聞きものなのがこの音楽だ。驚いた事に映画に付け足しのヒット曲を提供するのではなく、ミックとデイブ・スチュアートの二人はちゃんと「映画音楽」をつくっていたのだ。単なるBGMでもない。まるで狂言回しのように、ドラマのあちこちでミックの歌声が聞こえてくる。これがまた実に味があるのだ。何でこれでオスカーをとれなかったんだろう。アメリカ人って分かってねえなぁ。

 長年の流儀ってやつはなかなか変わらない…と唄われる歌詞が、聞いているうちに何とも含蓄を持ってくる。

 それでも…人には変わらねばならない時があるのだ。

 

 

 

 

 

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