「樹の海」

  Jukai

 (2005/07/18)


見る前の予想

 実は大変申し訳ないが、まったく見るつもりではなかった。ところが5月のある日に「ライフ・アクアティック」を見た時、映画館でクジを引かされた。それで当たったのが、この映画のタダ券だったのだ。

 切符が手に入ってみると…確かにちょっと気になる題材ではある。

 元々、富士の樹海には関心があった。というか、富士山周辺にあるモノには、興味深いモノが多い。風穴とか湧泉とか…かつて富士五湖には恐竜話もあったっけ。東京からもそんな遠くない位置にあるくせに、富士山って山は何となく神秘的な山なのだ。中でも樹海には不思議な魅力がある。

 それと…「樹海」と来れば「自殺者」の話であること。

 こんな事を言うと大変不謹慎かもしれないが、僕は昔から自殺する人にまつわる話には興味があった。単純な肯定否定ではなく、変な言い方だが「自殺」にはすごく惹き付けられてしまうのだ。

 よく「自殺者は現実から逃げる臆病者」と簡単に切って捨てる人もいるが、その意見にはにわかに賛成しがたい。自分で自分の命を絶つなんて、本来そうそう出来る事じゃないよ。理由も一つではないから簡単には論じられないし、いいかげんに死んでる奴がいないとも言い切れないが、そこに至るまでのプロセスは一筋縄ではいかないだろう。

 そんな「樹海」と「自殺」の底知れなさをうまく描けていれば、これは面白い映画になるかもしれない。

 

あらすじ

 富士の樹海。昼なお暗い深い森。何人かの男たちが、何かでグルグル巻きにされた人間を運んでいる。男たちは樹海の中の暗い穴を見つけると、そこにグルグル巻きの人間を放り込むではないか…。

 

 樹海近くまで向かうバスの中に、二人の人物が乗っている。一人は中年男の塩見三省、もう一人はメガネをかけた若い女・井川遙。寂しい停留所までやって来ると、花束と果物を持った塩見はバスを降りた。そこに猛スピードのクルマが突っ走ってくる。

 

 「バカ野郎、オメエどこにいるんだ? 何だと、富士の樹海だ?

 クルマを突っ走らせながら、チンピラの池内博之は携帯に怒鳴りまくる。怪しげな高利貸しを営む池内は、客の一人である若い女・小嶺麗奈からの携帯連絡を受けて、今ちょうど樹海へと向かっているところだ。

 彼女は池内のインチキ金融に手を出し、返済が出来ずに泥沼にハマっていた。そのため連日池内の執拗な脅しを受けて、ほとんど放心状態になっていたのだ。身体を売ってでもカネをつくれと迫る池内に、小嶺はまるで無気力につぶやくだけ。

 「私はどうしたらいいんでしょう…?」

 そんな彼女が部屋から消えた。兄貴分のヤクザ・田中要次からはどやされまくり、池内は何とか彼女の居場所を探そうとする。そんな彼に、何と小嶺の方から連絡が来るではないか。何と彼女は富士の樹海に迷い込み、そこで足をくじいて歩けなくなったと言うのだ。

 そんな奇妙な連絡を頼りに、樹海へと踏み込む池内。森の中に張ってあるロープを頼りに奥へ奥へと進むが、森の中を歩くのはかなり手こずる。

 「オマエ、何でよりによってオレなんかに助けを求めるんだよ! ま、もっともオレのせいで他に頼れる相手もいなくなっちまっただろうが」

 汗だらけ泥だらけになって小嶺に携帯で悪態つきながら、池内の心の中に不思議な感情が芽生えてくる。なぜ自分がぐれてしまったのか、子供の頃に遡って告白し始める。やがて小嶺が風邪薬を全部飲んでしまったと聞いて慌てる池内だったが、ふとした拍子に携帯を穴の中に落としてしまう。やっとの事で拾って改めて電話をかけ直すが、もう小嶺は電話に出てこない。だが、携帯の呼び出し音は確かに森の中に響いていた。池内は必死になって、ロープを伝って小嶺の元まで駆けつける。「このロープの向こうに、このロープの向こうに、きっとオマエはいてくれるよな!」

 やっと小嶺を見つけた池内は、彼女の目を何とか覚まさせた。そして彼女にこう告げるのだった。「この森を出よう、オレと一緒に!」

 

 先に穴の中に放り込まれたグルグル巻きが、モゾモゾと動き出す。中から出てきたのは、若い男・萩原聖人だ。彼は元・某公団職員。ちょっとした出来心から職場のカネを使い込み、暴力団に利用されて後戻り出来ない状況になった。「もうやめたい」と反抗したとたんボコボコにされ、口封じのためにここに捨てられるハメになる。

 「ちゃんと殺してくれれば良かったのに…」

 幸運にも命はとりとめ、樹海を出ようと思えば出られる荻原。だが、出たいとは思わない。出たところで、もはや犯罪者の身。このままでも地獄、出ても地獄だ。

 例の中年男・塩見が洞穴の外に備えたミネラルウォーターと果物で飢えと乾きをしのぎ、さらに樹海の中をフラつく荻原。そんな彼の目の前に、今にも首吊りをしようとする男・田村泰二郎が現れる。

 「止めないでください〜っ、私を止めないでください〜っ!」

 それを見て驚いた荻原は、慌ててまた森の奥へと逃げ込んでいく…。

 

 サラリーマンの街・新橋。その典型的待ち合わせ場所である機関車前で、見知らぬ二人の男が出逢った。一人は中年男の塩見三省…彼は実は興信所の探偵だ。もう一人は一流企業のサラリーマン・津田寛治。実は津田は、塩見にいきなり呼び出されてこの場所に来た。ともかく、二人は話をするために居酒屋へと足を運ぶ。

 「で、一体私にどんな用なんです?」

 実は塩見は、ある女性の過去について調べていた。その女性・小山田サユリは、富士の樹海で自ら命を絶った女だ。だが彼女の両親は、死に至る理由が分からない。そこで彼女の過去を調べてくれ…と興信所に依頼して来たのだ。

 そして小山田サユリの遺品の中に、津田と写した一枚の写真があった…。

 だが塩見にこの写真を見せられても、津田には全く何の覚えもない。いいかげん迷惑だと立ち去りかける津田だが、塩見は何とか思い出してくれ…と津田にすがりつく。すると…津田にもおぼろげながら記憶が蘇ってきた。

 それはサッカーのワールドカップ、日本・ロシア戦の夜だった。たまたま入った店内は試合で盛り上がり、客同士は一体感に包まれた。そこで、まるで知らない同士の津田と小山田がこの写真を撮ったのだ。

 その時は、彼女も幸福な一体感の中にいた…。

 そのうち塩見と津田という二人のまったく縁のない男たちは、お互いの人生について語り合い始めた

 

 荻原はフラフラと樹海の中を歩いていくと、道に迷ったのかまた元の場所に戻ってしまう。なぜなら、首を吊った田村泰二郎の遺体を発見したからだ

 好奇心にかられて田村のポケットを探ると、手帳には借金苦による自殺…云々と書いてあった。保険金を家族に渡すための自殺だったのだ。

 荻原はなぜかその場に留まり、田村の遺体を相手に話しかけていた…。

 

 樹海の中ではもう一人、首吊り自殺を図ろうとしている者がいた。それはメガネの女・井川遙だ。しかしロープではなくネクタイを使ったのがマズかったのか、それはすぐにほどけて井川はそのまま地面へと落ちてしまう…。

 井川は私鉄駅の売店の売り子だ。そんな場所で、彼女は毎日地味にひっそりと働いていた。駅員の中には彼女に惚れ込む者もいたが、井川はそんな彼に剣もホロロ。ただ一人暮らしのひなびたアパートと、地味な職場を行ったり来たりする生活を頑なに続けていた。かつては一流銀行に務めるOLだった彼女。しかし、その過去には一切触れようとしない井川だった

 ある朝井川は、売店の中からある一つの出来事を見つめていた。痴漢に襲われて制服を汚された少女に、一人の中年男・大杉漣がネクタイを差し出して拭かせたのだ。大杉はその足で売店に向かい、そこにあったネクタイを買ってそれを締めて去っていった。そんな出来事に、心温まるものを感じる井川だった。

 だが井川には、誰にも言えない過去があった。かつて銀行のOL時代に宮本大誠という男と不倫にはしり、あげくストーカー行為へと発展してしまった。彼の家庭は崩壊。井川も法的な措置を受ける事になってしまった…。

 そんな井川の前に、何と駅の乗降客としてあの宮本が現れる。しかも井川の働く売店に、タバコを買いにやって来るではないか。だが宮本は、井川の存在に気づかない。しかもその表情はうつろで、まるで生気のない男になってしまっていた。衝撃を受けた井川は、衝動的に樹海へと足を運んでいた…。

 転落した井川は、ようやく意識を取り戻す。そんな彼女の顔に、ほどけたネクタイが落ちてきた。その時、彼女の中から何かの憑き物が落ちた

 翌朝、井川は駅の売店へと戻っていった…。

 

 樹海の中で、荻原は悩み始めた。田村の首吊りを止めれば良かったのではないか?…だが今さら遅い。田村はもはや遺体で、それも腐り始めている。その臭いに耐えかねて、荻原は田村の遺体から離れて歩き始めた。

 その時…荻原は意外なものを見つけた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ここからは映画を見てから

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

見た後での感想

 この映画はご承知の通り、4つのエピソードを交えた一種のオムニバス映画のカタチをとっている。大きく分ければ、樹海に捨てられた萩原聖人のエピソード、夜逃げ女を捜しに樹海に迷い込むチンピラ池内博之のエピソード、居酒屋で自殺女について語り合う塩見三省と津田寛治のエピソード、駅の売店で働く井川遙のエピソード…の4つだ。そのうち萩原聖人のエピソードは、細切れにされてそれぞれのエピソードの間に挿入されている。

 結局、樹海で死を選ぼうとする人々の事を描くのに、たったの一つのドラマだけで終わらせる訳にはいくまい。そこには一言で言うに言われぬ、複雑で多彩な事情があるに違いない。だから最低でも4例ぐらいは要るだろう…というのが、作り手側の判断だったに違いない。その事自体に、僕は何ら異議申し立てをするつもりはない。

 映画が始まると、いきなり樹海だ。これには思わず「おおっ」と来た。映画の中に出てきたホンモノの樹海は、やはりかなり圧倒的な存在感を放っていたからだ。この映画では、実際の樹海ロケを敢行しているという。画面全体を支配する緑色には、ちょっと不思議な気分になってくる。これは面白くなりそうだ。

 そして主要登場人物がサラッと顔見せした後に出てくる最初のエピソードが、チンピラ池内博之のお話だ。この話では、夜逃げ女とチンピラがどうしてこんな事情に陥ったのか…という説明もあるにはあるが、それらは割と軽い扱いですぐに樹海へと入ってしまう。そこがいい。何よりツベコベ言わなくても、樹海そのものに力がある。だから余計な話は最低限でいいのだ

 お話としては、途中ですぐに底の割れる話だ。月並みと言っていい。だが何しろ「樹海」だから、それも気にならない。唯一気になるのは…ほとんどこの話の全編で携帯に話しかけている池内のセリフの饒舌さだが、ともかくすぐに樹海に入ってくれるから、まぁそれも何とか許せないでもない。

 問題は荻原聖人の挿話を挟んでの次のエピソード…塩見三省と津田寛治の居酒屋での会話の巻だ。

 ここには樹海が出てこない。まず、それだけで興ざめだ。新橋の居酒屋で延々と会話が展開する。これも池内博之のチンピラのエピソード並みに底が割れたお話で、しかもセリフはさらに饒舌。ただ多いだけでなく、やたらにクドくて説明的だ。分かり切ったお話をクドく説明されるほど、シラジラとする事はないだろう。おまけにここでの二人の言動は、何とも不自然かつ無理がある。特に塩見三省のセリフは変だ。あんな事を言う奴はいない。いたらそいつは頭がオカシイ。例えば、こんなくだりだ…。

 劇中に出てくる居酒屋の女店員の無愛想な対応が、終始見ている者をイラつかせる。それをわざと演出しているのも分かる。そして閉店間際で他のお客がいなくなっても自殺した女の話を続ける塩見に、この店員はズケズケと勘定を払うように告げる。するとそれまで大人しかった塩見は、いきなりキレて店員を怒鳴りつけるのだ。

 「人の生き死にの話をしているんだよっ!」

 確かにそれまでの店員の態度は無礼だ。観客もいいかげん頭に来ている。最後に実直な人・塩見がキレて店員をどやせば、観客共々溜飲が下がるだろうという読みは間違ってない。だが残念ながら、この設定では明らかに塩見の方が悪い。飲み食いしたんだから、店員がカネを払ってくれと言うのは当たり前。どんなに店員が失礼な奴でも、閉店間際だと言うのにカネも払わずしゃべりまくって「人の生き死にの話だ」はないだろう。これじゃ理不尽な恫喝でしかない。失礼で無礼で常識がないのは、塩見の方になってしまうのだ。これはちょっと脚本のマズさとしか言いようがない。

 こういうスジの通らなさや常識のなさって、いかにも「邦画的」な脚本のヘタさだ。こんな事を言うと邦画ファンに怒られてしまうだろうが、だからこそあえてハッキリ申し上げる。もちろん例外は数多くあるにせよ、邦画では脚本に「常識」が欠けている場合があまりに多すぎる。ズバリ言って、これって作り手自身に「常識」が欠けているからではないか。見る人や世間に対する、作り手の「甘え」の現れだとしか思えない。いいかげんこういうの何とかしてもらえないだろうか。

 一事が万事この調子で、居酒屋での会話は僕には納得出来なかった。ワールドカップの時の「一体感」なんてシロモノも気持ち悪いだけだ。そんなモノを肯定的にとらえて何になるのだ。1970年代の歌をつかまえて「あの頃はみんな希望があった」…なんてヌルくて凡庸な話もやめて欲しい。その「希望」そのものが虚像だったではないか。筑紫哲也のテレビ番組か朝日新聞みたいな、紋切り型のメッセージで片付けるモノじゃないだろう。

 それこそ「人の生き死に」をどう考えているのだ。それらを語るのに、あまりに安易で甘っちょろくて安っぽい態度ではないのか。

 実はこのエピソードのもう一つのアイテムとして、前述したように昔のフォークソングが出てくるのだが…さすがにそれは書いていて恥ずかしいので割愛した。ファンや好きな人には大変申し訳ないが、ハッキリ言ってセンス悪すぎだよ

 ともかく、気の進まない酒の席に無理矢理付き合わされたような感じだ。早く家に帰りたいとしか思えない。津田寛治が「二軒目行きましょう」と言い出した時には、本気で「勘弁しろよ!」と言いたくなった。さすがにここでお客は解放されたから良かったけどね(笑)。

 次の井川遥の駅の売店エピソードも、あまり樹海は出てこない。これは居酒屋エピソードほど饒舌でも恥ずかしくもないが、同じように凡庸な話に終始する。ここでのアイテムはネクタイで、これも安易な使い方ではある。だが、こちらは恥ずかしくも腹立たしくもない。変な話だが、一番懸念されていた井川遙が意外に良かったのだ。彼女って、こういうどこか壊れちゃってポワ〜ンとなった女が似合うんだよね。そう考えてみると、何となく視線がピント合ってなくて危ない(笑)。

 …とまぁそんな感じで、途中に挟まってるエピソードにはかなりの違和感がある。そもそもチンピラのエピソードと荻原の挿話以外、樹海が満足に出てこないのが気に入らない。これってもったいない使い方ではないか。

 オムニバスというのは、言ってみれば一本の劇映画の形態としてはどこか不自然なものだ。だから作る際には、一定のフレームなりルールをつくらねばならない。さもないと…何でもアリで「わざわざオムニバスの形態をとる必然性のない」いいかげんな作品になってしまう。ところがこの映画は、割とこのへんがルーズなのだ。

 先にも述べたようにチンピラのエピソードは大半が樹海で展開し、樹海で物語が解決するからいいが…居酒屋エピソードは居酒屋に終始してしまうし、駅の売店エピソードでも樹海はチラッとしか出てこない。ずっと樹海の話では単調になるのではないか…という懸念があっただろうし、正直言って話をもたせる自信もなかったのだろう。気持ちは分からないでもない。

 だが、これでは「樹海」にする必然性がない。居酒屋エピソードも駅の売店エピソードも、別に自殺者がどこで自殺を図っても変わらないのだ。これじゃ意味がないだろう。この点がそもそも発想が間違っている。

 大体、クドクド言ったところで…それこそ「人の生き死に」などを一本の映画で描ける訳もないのだ。描けると思う事こそおこがましい。エピソードを4つにしても5つにしても、描ききれる訳があるまい。どんどん一つのドラマの味が薄くなるだけだ。

 でも、そこに「樹海」があったら…それで何かが描けたのではないか?

 せっかく「樹海」という格好の素材を手に入れたのに、何とももったいない。作り手が大した事のない頭をこねくり回して、陳腐なウソ話を捻り出す必要なんてなかった。この映画では、ただひたすら樹海を見せれば良かったはずだ。樹海に語らせれば良かったのだ。「樹海」は舞台であり、主役であり、アイコンであり、コンセプトなのだ。どうしてそれをもっと活かさなかったのだろう?

 これがデビュー作の瀧本智行監督は、今回は脚本も手がけている。言いたい事も分かるしイイところも少なくないだけに、かなり惜しいと思うんだよね。今回みたいに月並みな事しか頭に浮かばないなら、今後、脚本は別の人に書いてもらった方がいいのではないか?

 残念だ。すごくイイ素材を手に入れていたのに…もうちょっとで素晴らしい作品になる可能性があったのに。かえすがえすも本当に残念だ。

 

見た後の付け足し

 それでもこの映画は、見た後でちょっと何かを感じさせてはくれる。バランスの悪さや作劇のマズさが目立つものの、なぜか忘れがたい印象が残る作品だ。

 それはやっぱり、「樹海」の映像の強烈さゆえだろう。

 ここには樹海の魅力がたっぷり詰まっている。その底知れなさも、垣間見せてくれる。なぜかは分からないが、それらが自殺者たちを引き寄せてしまうのも何となく理解出来る。

 それを見るためだけでも、この映画を見る価値はあると思うよ。

  

 

 

 

 

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