「ワンナイト・イン・モンコック」

  旺角黒夜 (One Nite in Mongkok)

 (2005/07/11)


 

見る前の予想

 僕がこの映画の存在を知ったのは、今年の4月頃。映画館に置いてあったチラシで知ったんだよね。

 お話が何となく面白そうで、香港の夜の街に迷い込んだ若い男の子と女の子の話。そこにヤクザやら刑事やらが絡んで話が二転三転…ってあたり、ちょうど同じ頃に見て大いにシビれた、ジョニー・トウのPTU(2003)を彷彿とさせるストーリーなのが気になった。これは見なくては…と思ってたんだよね。

 世間じゃまったく評判にもならないし話題にもされていない。だがこの手の映画の佳作は、いつもこうした知られてない作品の中に埋もれてるからね。ゆめゆめ侮ってはいけないのだ。

 

あらすじ

 「会いたくない奴に限って会っちまうもんなんだよな」

 「だとしたら、それも縁ってもんなのさ」

 「そんな縁なら、ない方がいい…」

 

 一昨日のこと。香港でも最も人がひしめくモンコックの街で、ちょっとした小競り合いがあった。道行く人にバッタもんを売りつけるチンピラ同士が、客の取り合いでケンカとなったのだ。ところが厄介なことに、これはこれだけで終わらなかった

 その晩、やられた方のチンピラが飲んでいる最中に、スキンヘッドの親玉率いる相手のチンピラたちが乗り込んで難癖つけ放題。それでも、まだその時はそれで済んで良かった。

 スキンヘッドが女を連れてベロンベロンに酔いながらクルマで帰ろうとすると、そこに敵対するチンピラ連中が二台のクルマで追いかけてくるではないか。たちまち真夜中のハイウェイで危険なカーチェイス。勢い余ったチンピラのサム・リーは、自分のクルマを思いっきりスキンヘッドのクルマに突っ込んでしまった。さすがに自分も大ケガしたサム・リーは、慌てて仲間たちとその場をズラかる。

 やがて現場に駆けつけた警察や救急隊は、クルマに閉じこめられた生存者を助けだそうとする。だがすでにスキンヘッドは死んでいたし、同乗の女もクルマに挟まれて出られない。しかも間の悪い事に、救助活動の途中でガソリンに引火。クルマは勢いよく炎に包まれてしまう…。

 昨日のこと。これら両チンピラたちの上の上、大ボス二人が顔を合わせて手打ちの席を持とうとする。ムチ打ち症になって痛々しいギプス姿のサム・リーも、その場に連れて来られた。だが死んだスキンヘッドはこの片方の大ボスの息子だ。手打ちを…と言ってもそう簡単に事は収まる訳もない。まずはサム・リーがその場で生け贄のようにボコボコにされる。それを見たサム・リーのボスはさすがにヤバいと判断。いち早くその場を飛び出し逃げ出した。

 さて警察でも、この不穏な動きは何となく察知していた。「手打ちの席」が対立を決定づける場になってしまった事も、密告屋からちゃんと伝わっていた。アレックス・フォン警部率いる捜査チームは新人のアンソン・リョンを迎えて和やかな雰囲気を見せてはいたが、実は何かが起きそうなイヤ〜な雰囲気にビリビリしていた。そんなみんなの気分も知らず、バリバリやりますと肩に力が入りまくってる新人リョン刑事。拳銃の腕には自信アリ…などと吹きまくるが、その自己過信が何となく気にならなくもない。

 手配師ラム・シューの元に一本の電話がかかって来たのも、ちょうどその頃だ。

 このラム・シュー、カネにうるさくがめつい女房と携帯電話屋を営んでいるのが「本業」だが、実は何でもかんでも手配する「便利屋」でもあった。もちろん、カネになるなら「殺し屋」の手配だってする

 それは息子スキンヘッドを失った、あの大ボスからの電話だ。

 案の定、逃げ出して行方不明になった、もう一方の大ボスを消して欲しい…という依頼。だがラム・シューとて、そうそういい「殺し屋」の人材がいる訳ではない。

 彼はそうした「鉄砲玉」の需要を、遙か中国大陸の寒村から確保していた。今も心当たりがない訳ではないが、手持ちの「殺し屋」候補の男は、その兄貴が先日ドジってパクられてしまったばかり。何年くらうか知らないが、もう人生を棒に振ったも同然だろう。果たしてその「弟」がまた引き受けるかどうか…。

 ともかくラム・シューは大陸に電話して、パクられ男の弟に当たりをつけてみる事にする。貧しい寒村に電話してみると、その「弟」…メガネの若者ダニエル・ウーは「やる」と言った。なら話は早い。

 さてその頃モンコックの街では、どうにも気に入らない異変が起きていた。バッタもん売りもいかがわしい商売の連中も、みんなこぞって姿を消している。どうも何かヤバイ事が起きるのを察知して、一斉に身を潜めているように思えてならない。アレックス・フォン警部とその長年の相棒チン・ガーロッ刑事、さらにその仲間たちは、恐れていた事が現実になった事を予感した。

 何てこった、明日はクリスマス・イブだというのに

 そんなフォン警部は、常にどこか疲れたような陰りを見せている男。実は彼も内面に悩みを抱いていた。こうしている間も、彼の妻は他の男といる。しかもフォン警部の悩みは、それだけではなかった。

 病院では、クルマに挟まれたまま炎に包まれた、あの女が意識を失ったまま横たわっていた。全身大火傷の彼女は、今も生死の境をさまよっていたのだ。

 さて、クリスマス・イブの日

 「殺し屋」ことダニエル・ウーは、遠く中国の寒村からここ香港にやって来た。だが「殺し屋」と言ったところで、いまだ人など殺した事もないしヤバい事に手を汚した事もない純朴な田舎者。ど近眼メガネでキョロキョロする様子は、完全におのぼりさん状態だ。ともかく指示された通りに下町のビジネスホテルにやって来ると、フロントで箱を受け取って部屋へと入る。箱を開けると…そこには札束と携帯電話、そして拳銃が一丁入っていた

 そこに、待ってましたとばかりに携帯電話が鳴り出す。相手はもちろんラム・シューだ。ラム・シューはダニエル・ウーに「とにかく部屋で待っていろ」と念を押すのだが…。

 一方、フォン警部やチン・ガーロッ刑事のもとには、密告屋から新しい情報が入っていた。「手配師」ラム・シューが大ボス殺しの仕事を受けたと言うのだ。早速フォン警部とチン・ガーロッ刑事たちは、強欲ラム・シュー夫婦をシメるために駆けつける。あれこれイヤがらせをされて責め立てられて、さすがに音を上げるラム・シュー。彼はダニエル・ウーが潜んでいるホテルを教えてしまう。

 早速フォン警部たちは問題のホテルに駆けつけるが、なぜかダニエル・ウーは部屋にいなかった。残されていたのは横顔を写したモニターカメラの映像のみ。

 実はダニエル・ウーは、食事のためにたまたま部屋を離れていたのだ。ちょうど戻ってきたところで、彼はホテルの周囲の警官隊に気づく。これはヤバイと察知したダニエル・ウーは、そのまま別の安宿に身を潜める事にした

 ところがその安宿の隣の部屋で、何やらわめき声がする。何とガラの悪い男が、若い女をはり倒しているではないか。見るからにケバい赤い服を着たこの女は、どう見ても売春婦そのもの。だが、だからといって何をしてもいいという事にはならないだろう。これにはダニエル・ウーも、さすがに黙って見ていられない。この男をふんづかまえると、思い切りブチのめしてしまった。突然の事に驚いた男は、慌ててその場を後にする。

 さて一安心…と思いきや、この若い売春婦セシリア・チョンは慌てて宿屋を逃げ出そうとしているではないか。もちろん自分を助けてくれたダニエル・ウーも一緒に…だ。

 「ど、ど、どうして?」

 「だって、あなたヤクザをブチのめしちゃったのよ。逃げなきゃ仕返しに来るわ!」

 案の定、二人が逃げ出した直後に、安宿に例のヤクザとお仲間が飛び込んで行くのが見える。なるほど生き馬の目を抜く場所だわい香港は…。

 そんな戸惑うばかりのダニエル・ウーに、セシリア・チョンは屈託のない笑顔を見せた。

 「ともかくあなたは私の恩人よ。何だったら道案内してあげる!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ここからは映画を見てから

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

見た後での感想

 予想通り…いや、予想以上に面白かった!

 もちろん「PTU」を彷彿とさせる面白さもあったし、その「PTU」にも出ていた珍優ラム・シューまで顔を出しているから嬉しくなった。しかもそれだけにとどまらず、主役の若い二人がすごく良かったんだよね。これは見といてホントに良かったよ。見なかったら後悔したところだ。

 何せその若い二人のうち、「殺し屋」を演じるのがダニエル・ウーというのが豪華ではないか。あの香港国際警察(2004)でジャッキー・チェン御大を向こうに回して堂々たる悪役ぶりを見せた彼が、今回もいい味出してるんだよね。最初はメガネなんかかけて鈍くさいとこ見せてるのもイイ。何しろ彼には、スターだけが持っているオーラとか華がある。何だか見ていて、若い頃の田宮二郎みたいなカッコ良さを感じた。これは今後相当な大物になるんじゃないだろうか。いや、香港映画好きからすると「もう大物」なんだろうが…(笑)。

 そしてヒロインのセシリア・チョンは…先日遅ればせながら話題になった出演作「星願/あなたにもういちど」(1999)をテレビでチラッと見たけど、これが見逃したことを思わず不覚と痛感してしまう程の素晴らしさ。中でも彼女の魅力は特筆ものだ。今回も汚れちゃった娘の真心を見事に演じて、何ともチャーミングなのだ。

 この二人がいるだけでも、かなりの付加価値がある「ワンナイト・イン・モンコック」。それに僕はこの映画を見ていて、10年くらい前に見てすごく気に入った台湾映画「宝島/トレジャー・アイランド」(1993)…の事も思い出した。ダブル・ビジョン(2002)のチェン・クォフー監督が撮ったこの映画、近未来の台北の街を舞台に、年上の女を追い回していた若者がヤクザの抗争やら何やらに巻き込まれていくという不思議な映画だ。

 この手の「真夜中の魔都に巻き込まれていくお話」って、昔から僕は何となく惹かれてしまうんだよね。例えばロマン・ポランスキーの「フランティック」(1988)とかも、確かそんなお話じゃなかったっけ? ともかく普通人の昼間の世界とは隔絶された「魔都」ってのは、一種SFの世界みたいな不思議ワールドなのだ。それを「まんま」近未来SFにしたのが「ブレードランナー」(1982)だと言えば、お分かりいただけるだろうか? 実際このジャンルの映画は傑作が多いと思うんだよね。

 で、何でこんなに良かったのか?…と改めてチラシを見てみたら、何と監督が「つきせぬ想い」(1993)のイー・トンシンではないか!

 無防備に何も考えずノコノコ映画館に出かけて、いきなり催涙弾を投げつけられたような目にあってしまった「つきせぬ想い」だが(笑)、あの映画でもアニタ・ユンが素晴らしかった。間違いなくあの作品は、アニタ・ユンの出世作。しばらくは彼女もその余勢をかって売れまくっていた(何しろ日本の肩こり用の膏薬のCMまで出たほど)が、結局あの「つきせぬ想い」を超える事は出来なかったんだろうね。いつの間にか映画には全く出なくなってしまった。

 お話としちゃ素朴そのもの、お涙頂戴そのものの「つきせぬ想い」だったが、何がどうしてあんなに感動的だったのか説明出来ない。それはたぶん、イー・トンシンの演出力の為せる業としか言えないんじゃないか?

 そして今回の映画は、まさしく冒頭のセリフのやりとりに尽きる。

 「会いたくない奴に限って会っちまうもんなんだよな」

 「だとしたら、それも縁ってもんなのさ」

 「そんな縁なら、ない方がいい…」

 これは本当に映画の冒頭に出てくるやりとりで、最初見た時にはそれが誰によって語られているのか分からない。ドラマの中盤あたりに差し掛かって再び登場し、その時に初めてアレックス・フォン警部とその長年の相棒チン・ガーロッ刑事によるものだと分かる仕掛けだ。

 そして映画の主人公たちは、まさしく「会う気もないのに」「会いたくない奴に」「会いたくない時に」「会いたくない場所で」…事もあろうに出逢ってしまう

 一番最初のモンコックの雑踏の中でのバッタもん売り同士のハチ合わせに始まって、そんな皮肉な出逢いとすれ違いが連続する。新人刑事やら麻薬の売人やら、女に暴力を振るうヤクザやら…もちろん「手配師」夫婦も含め、みんな「ここで会ったが百年目」の連中ばかりだ。

 そして「会いたくない」のに出逢ってしまう反面、「会いたい」相手とはどうしたって会えない

 実はダニエル・ウーは出稼ぎ恋人を探すために「殺し屋」を引き受けてまで香港へやって来るのだが、探せば探すほど知りたくない事が分かって来る。どう考えても彼女が汚れた世界で、汚れた商売に身を落としていると分かってしまう。おまけに終盤たまたま買ってきた新聞で、彼女の消息を思わぬカタチで知ってしまうのだ。それがダニエル・ウーを自暴自棄にもさせてしまう。この皮肉。

 そういう意味ではダニエル・ウーとセシリア・チョンの二人も「会いたくもない」のに出逢ってしまった二人で、「会ってしまった」からこそ悲劇に見舞われる。そういう意味では皮肉の最たるものだ。

 だがこの二人だけは…「殺し屋」と「売春婦」という最悪に汚れたカップリングにも関わらず…この掃き溜めのような世界の汚れた人々の中で唯一美しい心の持ち主なのだ。そして唯一相手を助ける「善意」の人物でもある。ところがこんな世界では、「善意」の人間こそが割を食う。だから最後にはダニエル・ウーも、自らを破滅させてしまうのだ。

 だが…それでいいはずはあるまい

 そしてこの映画も、決してそれでは終わらない。せめてセシリア・チョンだけは、この世界から助け出して故郷に帰してやる。そして二度と汚れた世界に戻らないと誓わせる。それは間違いなく、ダニエル・ウーとの出逢いがあったからだ。彼と出逢った事は、決してムダではなかったのだ。

 最後の最後だけは、ほんのわずかながら「救い」を見せてくれる。そんな優しさこそ、確かにあの「つきせぬ想い」のイー・トンシンのものだと思うんだよね。

 

見た後の付け足し

 それにしても…ここでのダニエル・ウーとセシリア・チョンの、「田舎っぺ」丸出しの描き方には少々驚かされてしまった。

 もちろん二人が輝く美形スターなのにこんな汚らしくて鈍くさい役…と言うのも驚きだが、何より腐っても「本国」である大陸・中国の人々を、ここまで「ダサく」描いちゃっていいのか?…と、その情け容赦のなさに驚かされたわけだ。

 確かに「ラヴソング」(1996)あたりでもこのへんの事情は描かれていたから、それなりに知ってはいたものの…ここまでやっちゃうというのはスゴイよ。それは両者の「格差」が思っている以上にさらに広がっているという事かもしれない。

 しかも、それは単に「鈍くさい」訳じゃない。

 ダニエル・ウーの恋人は、出稼ぎで香港に来て売春婦へと堕ちる。その点ではセシリア・チョンと同じだ。だからセシリア・チョンには、イヤというほど彼女の事情も分かるのだ。一方ダニエル・ウーも一向に故郷に戻って来ない彼女を探すために、ガラにもなく「殺し屋」(…と言えば聞こえがいいが、実は使い捨ての「鉄砲玉」)になってまで香港を訪れる。逆に言えば、そうでもしなければ方法はない。

 香港に来たら来たで夢は叶えられるのかと言えば、ダニエル・ウーの恋人はチンピラの抗争に巻き込まれて命を落とし、ダニエル・ウー当人も彼女と出逢えないまま破滅する。だがそんな最悪の結末を迎えずとも、恋人は汚れた世界から足を洗えずに故郷にも戻らず、ダニエル・ウーだっていいとこ獄中で人生をムダにしただろう。どっちにしろ、ロクな事にはならない。

 そして結果的にダニエル・ウーを破滅に追い込んだラム・シュー夫妻でさえ、実は大陸の出身者だった。怒ったダニエル・ウーに「みんなを食い物にしていた事を故郷でバラす」と脅されると、泣き叫んで「それだけはやめて」と懇願するしかない。彼らだって、いまだに家族が大陸にいる。結局あまりに貧しいからこそ、汚い事をしても稼ぎたいのだ。弱い者が弱い者を食い物にするしかない、救いのない構図…。

 そして僕はこの映画を見ていて、まったく別の映画も思い出していた。それはアン・ホイ監督の「客途秋恨」(1990)に続く日本ロケ作品「極道追踪」(1992)だ。アンディ・ラウ、チェリー・チャンに日本からは石田純一まで参加したこの作品は、日本にやって来た中国人留学生たちが東京の闇の世界に巻き込まれていくお話を描いている。正直言って出来映えはイマイチの感があるし、「大陸〜香港」と「大陸〜日本」の違いはあれど、何となく今回の作品に共通する臭いを持っていた。いずれも夢を叶えに来た中国人が、異境でその夢を踏みにじられる話だ。

 昨今、いろいろと複雑な問題が絡む中国の事については、デリケートな部分もあるので安易な言及はここでは避けたい。だがそれらは、決して僕ら日本人にも無関係な事ではないはずだ。

 

 

 

 

 

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