「サハラ/死の砂漠を脱出せよ」

  Sahara

 (2005/06/27)


見る前の予想

 マシュー・マコノヒー主演の冒険活劇、相手役はペネロペ・クルス、舞台はサハラ砂漠で、何やら宝探しと陰謀が絡まるお話らしい。この映画のことを最初に知ったのは、アメリカのエンターテインメント情報を伝えるテレビの深夜番組か何かでだったはず。向こうで公開迫る作品として紹介され、ヒットが期待されているような話だった。そこでチラチラ出てきた断片らしきものを見る限りでは、マイケル・ダグラスとキャスリーン・ターナー主演の「ロマンシング・ストーン」続編「ナイルの宝石」(1985)…に似てるような感じ。「ナイルの宝石」の一回り小さくなった縮小版といった感じだった。なぜ「縮小」したかと言えば、それは大変申し訳ないがヒーロー・ヒロインを務める役者の「格」の問題だった。好き嫌いや芝居のうまい下手は関係なく、正直言ってマコノヒーとクルスと来れば、スターとしてそう見られても仕方あるまい。しかもペネロペ・クルスはトム・クルーズと切れて以来、ハリウッドで果たして「スター」として見なされるのか否かすこぶる怪しい。マコノヒーもスターであるのは間違いないのだろうが、この人のポジションというのは以前から極めて曖昧だ。しかも甘く押し出しの弱い個性が災いして、以前からこの人ってイマイチ感が強かった。ちょっと冒険活劇大作のヒーロー役としては、線が細すぎるというのが正直なところではないか。

 しかもお話としても、砂漠で宝探しと陰謀が…な〜んてのだけで喜んで見に行くのは、イマドキ相当映画が好きな連中しかいないだろう。今日びの映画としては何ともアピールに欠ける。情報番組で喧伝していたようには、「A級娯楽大作」に見えて来ないから困ったものだ。「ナイルの宝石」だって、あれはヒット作「ロマンシング・ストーン」があってこその映画だった。そうなっちゃうと、これはいきなりB級狙いの作品となっちゃうのだろうか。いやいや、それにしては作品の構えは明らかにA級だ。

 ところがこの映画、冒険小説として有名な「ダーク・ピット」シリーズの一作の映画化と知って、僕はちょっと気になり始めた。いやいや、僕はこの「ダーク・ピット」モノの読者ではない。だがダーク・ピットなるインディ・ジョーンズみたいなヒーローを主人公にした一連の小説が、ひどく評判になっていたのは知っていた。これはどうやらその正統な映画化作品らしいのだ。ならば、これは間違いなく大マジメにA級狙いの作品ではないか。それも、誰がそのヒーローを演じるのか?…と長く待望されていた企画のはず。

 そして考えてみれば、マシュー・マコノヒーも近年はちょっとイメージ・チェンジを遂げていた。特にここ何作かは、えらく男臭い映画もあったように記憶している。ならば意外に彼はやってくれるのではないか。

 今ひとつ掴み所がない感じは免れないものの、とりあえずそれなりの期待感を持って映画館に行ったんだよね。

 

あらすじ

 アメリカ南北戦争末期の1865年、バージニア州リッチモンド。激しい戦火の中、南軍が誇る鋼鉄の装甲艦「テキサス」号に、何やらずっしりと重いお宝が積み込まれつつあった。やがてお宝を積み込んだ「テキサス」号は、ゆっくりと出航していく。船体を砲弾が直撃しても跳ね返すさすがの鋼鉄装甲艦は、やがて静かに夜の闇の中へと消えていった…。

 時代変わって、現代のナイジェリアはラゴス。世界保健機関(WHO)の研究員であるペネロペ・クルス博士とグリン・ターマン博士は、ある寒村で奇妙な病気に冒された子供を発見する。実はこれと同じ症例の病人が、他に何人か現れていたのだ。

 聞けばこの病気の子の父親が、先日隣国のマリに出かけているという。どうもこの病気にかかった人々は、すべてどこかでマリと関わりがあるようだ。

 さらに真相を調べるべく、この子供の父親を一人で訪ねるペネロペ医師。父親が働く灯台へと出かけてみると…。

 この父親は、血だらけになって死んでいた

 慌てて灯台から飛び出すペネロペ医師。ところがそんな彼女に襲いかかるナゾの男たち。首を絞められ危うく命を落としかけるところを…。

 突然何者かが男たちに飛びかかり、次から次へと倒していくではないか。ペネロペも危うく難を逃れるが、思いっきり首を絞められていたので意識を失ってしまい…。

 気が付いてみると、ペネロペ医師はむさ苦しい男たちが乗った船の上だった。男たちは何やら夢中になって作業している。やがて海底から水藻とフジツボに覆われたお宝が引き揚げられ、その上にゴキゲンに仁王立ちになっているのが…。

 彼らの中でもリーダー格の男、ダーク・ピットことマシュー・マコノヒーだ。

 実はこの船は、国立海中海洋機関(NUMA)の船。ウィリアム・H・メイシー提督率いる彼らクルーの中でも、ダーク・ピットことマコノヒーとその幼なじみにして相棒のスティーブ・ザーンは、海底の秘宝を探す冒険家でもある。今回もこの770年前のお宝を、見事に海底より引き揚げたばかりだ。そして先ほどペネロペ医師を助けたのも、たまたま近くで海に潜っていたこのマコノヒーだ。

 さてその夜、引き揚げられたお宝を記念してのパーティーが、現地のお偉いさんも招かれて盛大に開かれる。そこには今回の縁もあり、WHOからペネロペ医師とターマン医師も招待された。二人は例の疫病の発生源がマリにあると睨み、何とかマリに入国すべく方法を探っていた。というのも、当のマリは内戦まっただ中。クーデターで政権を掌握した独裁者の将軍がロクでもない人物なだけでなく、それに対抗する反政府勢力とのツバズレ合いもあって、うかつに民間人が入れない状態。そこで二人は、たまたまパーティーに列席していたフランス人実業家ランベール・ウィルソンに話を持ちかける。この男、マリに強力なコネクションを持ってビジネスのため頻繁に入国しているとの事。だがペネロペが入国の話を持ちかけても、まるでその気がなさそうな生返事だ。

 さてパーティーも佳境に入った頃、ようやくマコノヒーが会場へとやってくる。実はマコノヒーは彼独自の現地ルートを探って、気になるブツを手に入れていたのだ。

 それは一枚のアメリカ製金貨

 南北戦争の時期、同様のものが5枚だけ試作されたと伝えられる幻の金貨。そのうち4枚は所在が確認され、これは残る最後の1枚。そしてそれは…南北戦争末期にリッチモンドから出航して行方不明になった、あの装甲艦「テキサス」号の艦長が持っていたとされるシロモノだ。それがなぜ、このアフリカから? マコノヒーにこの金貨を提供した情報筋は、このブツがマリから流れて来たと告げていた。

 めざすお宝を引き揚げたらすぐにこの地を撤退するつもりだったメイシー提督に、マコノヒーはわずかの間の猶予を求める。そしてメイシー提督の私物である高速モーターボートを貸してくれとも頼む。マコノヒーと相棒のザーンは、モーターボートでマリへと向かおうというハラだ。最初は渋りに渋っていたメイシー提督も、マコノヒーからいわく付きの金貨を見せられてはたまらない。結局48時間の制限付きながら、彼らに猶予を与える事となった。

 そんな翌朝、マコノヒー、ザーンとそのお仲間レイン・ウィルソンがモーターボートの停泊場所に行ってみると、なぜかそこにはペネロペ医師とターマン医師が。実は彼らもモーターボートに便乗して、何とかマリ国内に潜入しようと目論んでいた。そうなれば断る理由もない。こうして一同はニジェール川を遡りながら、すっかり親しくなっていく。殊にマコノヒーとペネロペ医師は、お互いかなり気に入ったようだ

 ともかく、モーターボートで早速マリに入国した一同。目的が異なるマコノヒーたちとペネロペたちとは、ここでお別れだ。別れを惜しむマコノヒーは、チャッカリとペネロペ医師を口説いたりしているが、彼女の方もまんざらでない様子。ともかく彼女たちが病気の感染源を探しに出かけるや、マコノヒーたちも行動開始だ。

 こうしてコインの入手先を探りに出かけるマコノヒーとザーン。だがコインを手に入れた男はなぜか死んだと言う。早速調査が行き詰まる彼らだが、マコノヒーはメゲない。単身近くの寺院を訪れたマコノヒーは、そこでかつての古文書から「テキサス」号来訪の事実をつかもうとする。すると…あるではないか。ちょうど同じ時代にこの地を訪れた鋼鉄製の「死の船」の記述が、古文書にはハッキリと残されていた。その船はニジェール川を遡っていったまま、二度と戻らなかったという…。

 この事実をつかんだマコノヒーは元気いっぱい。モーターボートに戻って、他の二人に川を上る事を提案する。そうなりゃ話は早い。早速、川上目指して張り切って出発だ。

 ところがレイン・ウィルソンは、途中で川底に奇妙な川藻を発見する。一体これは何だ?

 しかも彼らのモーターボートに、軍の偵察ボートが接近してくるではないか。しかも拡声器から奇妙な警告を発しながら…だ。「そこの船、停泊せよ。医師たちはどこにいる?

 どうにもこの状況は気に入らない。マコノヒーたちは警告に大人しく従うふりをして、いきなり急発進してボートをやり過ごそうとする。ところが軍のボートも負けてはいない。恐ろしいスピードで追跡しながら、マコノヒーたちに銃を撃ちまくって来るではないか。しかも別方向からもう一隻。さらには岸からもジープで追跡だ。こいつはどう見ても奇妙だ。

 一体あの疫病には、どんな秘密が隠されているのか?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ここからは映画を見てから

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

見た後での感想

 まぁ、ほんの「さわり」しか書いていないけど、こういう映画のストーリー紹介はこんなものでいいよね。とりあえず、必要な設定は全部入っているはず。これ以上は実物を見てもらった方がいい。

 さて…ここで唐突だけど、例の「ダーク・ピット」シリーズってのは、一度映画化されているんだよね。それも僕はチャッカリ見ているのだった。それは「レイズ・ザ・タイタニック」(1980)。あのタイタニック号を海底から引き揚げようというお話で、ここでのダーク・ピット役はいささか小粒のリチャード・ジョーダン。昔のタイタニック船員の生き残りの役として、何とアレック・ギネスも出ていた。これはダーク・ピットがどうの…というより、タイタニック伝説とそれを引き揚げるという設定をクローズアップした作品だったように記憶している。何しろジョーダンのダーク・ピットは、ヒーローでも何でもないと言っていい。えらく影の薄い男だったような気がするんだよね。

 正直言って映画そのものも、タイタニック号が海底から浮かび上がる場面の特撮はちょっとした見せ場だったものの、全体としてはやたら地味だった気がする。この作品の出来に原作者が激怒して、今回の「サハラ」まで映画化がなかったというらしいのだが…。そんな映画に怒り心頭の原作者が、果たして今回のマコノヒーにはご満足いったのだろうか?

 で、結論から手っとり早く言うと、今回のマコノヒーは結構頑張ってる

 実はマコノヒーの持つイマイチ感ってのは、彼がいきなり唐突に現れたって事も影響しているのかもしれない。彼って、気が付いたらいきなりスターとして主役級に居座ってた気がするんだよね。最初に彼を意識したのって、「評決のとき」(1996)だろうか「コンタクト」(1997)だろうか。ともかく突然主役級だった。これには驚いたよね、こんな奴知らなかったから。いや、何か小さな役では出てたのかもしれないが、印象に残ってなかったのかもしれない。

 何せマコノヒー、熱演型でもなければクセも個性もない。イマドキでは珍しいタイプの俳優なのだ。顔もまあまあだし背格好もそれなり。これが、個性派マスクやチビデブが珍重されるイマドキのハリウッドでは極めて珍しい。品もあるし教養もありそうだが、えらくインテリって訳でもなければヨーロッパ風エレガンスがある訳でもない。カラダはしっかりしてるけどマッチョじゃないし、そもそも汗の臭いが漂って来ない。押しが強そうな態度やしゃべり方もせず、芝居もどっちかと受け身の方。売り出し中からいきなり「横綱相撲」の芝居っぷりなのだ。しかも眼光鋭く睨む訳でもなく、あくまで眼差しは涼しげ。非常に好感持てるルックスではあるが、あまりに申し分なさ過ぎて印象に残らない。何となく折り込み広告でワイシャツか何か着ているような、無名モデルにでもなりそうな男なんだよね。

 そんな彼の持ち味は、だから脇役ではまるで意味をなさない。そうなると勢い主役級でこそ真価が発揮される。主役に置いてみれば、正統派の二枚目だしスケール感もある。変にクセも個性もないから使い勝手がいい。とにかく二枚目のヒーローで主役級なら、ジャンルや設定を問わず使える俳優なのだ。彼がイマドキのハリウッドでいきなり主役スターとして浮上したのも、そんな事情を考えれば分からないでもない。

 だが、マコノヒーでなくっちゃ…というものは感じさせてくれなかったんだよね。

 ところがそんな彼がちょっと変身したのが、第二次大戦中のUボートを巡るサスペンス劇U-571(2000)だった。最初は甘ちゃんの従来イメージをさらに強調した役どころながら、極限状況で「指揮官」としての資質を試されていくうちに、どんどん辛い男の味が際だってくる。このマコノヒーは…まさにマコノヒーだから出来た役だ。彼が演じた役と共にマコノヒーという役者自体が厳しく鍛えられて、男性スターとしての辛い魅力がにじみ出してくるような絶妙な役どころ。これにはみんなビックリしたと思う。僕にとっても、マコノヒーと言えば「U-571」だ。映画自体の出来もなかなかだし、これは彼の代表作と言っていいんじゃないだろうか。

 ここで一皮も二皮もむけちゃったのか、僕が次にマコノヒーを見たのがSF…と言っていいのか、何と火を噴くドラゴンが地上を席巻している近未来を舞台にした怪作サラマンダー(2002)。共演が危ない映画ばかり選ぶクリスチャン・ベールというのもかなりヤバい(笑)が、マコノヒー自身の出で立ちたるや…、ツルッパゲでヒゲモジャなマッチョ・オヤジという、まるで従来のマコノヒー・イメージを完全に打破した役どころ。何でマコノヒーにこの役をオファーしたのか、何でマコノヒーがこの役を引き受けたのかはまったく分からないが、とにかく「U-571」を通過したからこそ演じ切れたであろう、豪快かつ無茶でパワフルな男臭い役どころだ。これは自他共に線が細いと認めるマコノヒーとしては、一回は通らねばならない道だったのかもしれない。

 そうだ、マコノヒーはすでに脱皮を遂げていたのだ。途中に10日間で男を上手にフル方法(2003)なんてつまんない映画が挟まってるから忘れちゃったけど、マコノヒーはもうあのマコノヒーではない。だから冒険活劇のヒーローなんてお手の物なんだよね。

 いや、こうなってみると…これはマコノヒーしか出来ないかもしれない。パワフルでマッチョなヒーローだったらいくらでもいるだろうが、そこに甘くて知的でユーモラスで涼しげ…となるとそうはいない。そんな持ち味の奴はヒーローには不向きだ。両方イケるという希有なスターは、いまやこのマコノヒーぐらいしかいないかもしれないのだ。そうなってみると、それまでのハンデがすべて逆転する。この人のクセのなさが幸いする。スケールでっかいヒーローは、むしろこのマコノヒーの一番のハマリ役かもしれないのだ。

 だから激しいアクションもロマンスも、彼ならイケる。暴れても、健全娯楽作として爽やかだ。安心できる清潔さとユーモアと品がある。やっぱりハリウッド王道の娯楽映画をつくるには、こういう俳優が必要なんだよね。

 だから、最も懸念されていたヒーロー役者の選択は間違っていなかった。

 そうなれば、もうこの作品の出来は約束されたもの…と言いたいところだが、それなら誰も苦労はしない。実はそうはいかないから、何ともツラいんだよね。

 まずは何から言えばいいんだろうか。これを説明するのはすごく難しいんだけど、僕は始まってすぐに何となくの違和感を感じ始めていた。ダーク・ピットその人が登場して、おおっ意外にマコノヒー適役かも…と思い始めた後も、その違和感は続いていた。まずはそれに気づいた最初のポイントは…。

 何だかやたら歌が挟まってくるなぁ…。

 そうなのだ、まずはタイトル・バックから歌が流れる。その後も、何かと歌が流れる。いや、別に歌が流れたってそれはそれでいい。冒険アクションに歌が流れちゃいけない訳ではない。例えばグランド・ファンク・レイルロードの大ヒット曲「アメリカン・バンド」に乗って、颯爽と海底からダーク・ピットが現れるあたりは「いかにも」で笑っちゃった。

 だけどそれ以外でも「つなぎ」にドッチャリ使われてるのは、何となく音楽の使い方が違う気がする。ここぞってところはフル・オーケストラで、冒険活劇らしき体裁を聞かせて欲しい。それって何となくA級ハリウッド大作の「お約束」みたいなものだろう。ところがこっちは、何かとユルいポップスやロックみたいな歌ばかり。つまんない指摘かもしれないが、「大作感」がイマイチ漂って来ない

 ならばこれはひとクセもふたクセもある、「分かってる」B級アクションを狙うのかと言えば、それはハナっからそうじゃないだろう。まずは映画の制作規模が全然違う。冒頭のエピソードだけにも大金をかけまくってるあたり、どう考えたって制作者はこれを「レイダース」「インディ・ジョーンズ」級の大作に仕立てたいハラだ。実際にお話もスケールでかいしカネだってかかってる。見せ場もあれこれと盛り込んでいて、手抜きもしていない。キャスティングもセルラーなどでグッと格が増してきたウィリアム・H・メイシーランベール・ウィルソンデルロイ・リンドなどを配して隙がない。そもそもメインを張るマコノヒー自体がB級の人じゃないのだ。

 それにしちゃ、この歌をやたら流すあたりに代表されるように、この映画ってどこか「安さ」が漂い過ぎる。例えば必ずしもスケール感が出ずに成功作とは言えないが、最近のナショナル・トレジャーなどはハッキリA級の刻印だけは押されているよね。この映画には、あの「格」みたいなものが決定的に欠けているのだ。

 それはマコノヒー以外の主役陣からして漂っていると思うよ。こんな事を言っては申し訳ないが、ヒロインのペネロペ・クルスも相棒のスティーブ・ザーンも正直言ってうっとうしい。またまた「ナショナル・トレジャー」を引き合いに出すのもどうかと思うが、別にあそこでヒロインを演じていたダイアン・クルーガーをいい女優だとは思わないものの、少なくともここでのペネロペよりは良かったんじゃないだろうか。何かペネロペっていう女優は暑苦しさを感じる。これがモロにラテンな役どころとか、シリアスでリアルな題材だったら良かったのだろう。だが全くの絵空事のおとぎ話に、彼女はちょっと濃すぎるような気がする。そのあたりはスティーブ・ザーンも同様で、帽子をなくしたり「ハ〜イ、ハウ・アー・ユー?」とか口走ったりの繰り返しが、何だかクドくて笑えない。コメディ・リリーフなら、もっとサラッとやって欲しかった。例えばマーティン・ショートとか、そんなライトな持ち味の奴の方が良くはなかったか?

 何よりこの二人に、「A級」の臭いが漂って来ないのだ。

 もとい…僕は「B」が悪いと言っている訳ではない。「B」の要素で映画をつくったって悪くはない。問題なのは、この映画が「A」であろうとしているのか「B」であろうとしているのか、作り手自身がよく分かっていないような危うさを持っているところだ。そのどっちつかなさが、この映画の出来を確実に減退させている。だから楽しさがふくらんでいかない。見ている側も、この映画をどう楽しんでいいのか分からない。たぶんイマイチ見ていて楽しくないってのは、そういう事なんじゃないかと思うんだよね。

 

見た後の付け足し

 考えてみると、この映画って一体何の話なのか…って時点で、何となくスッキリしないのに気づく。

 宝探しならそれなりの壮大なロマンを醸し出して欲しいし、環境破壊や病気や陰謀の話ならそれなりのリアリティやらサスペンスが欲しい。この映画ではそのどっちにもなっていかないから、中途半端で気持ちが煮え切らない気分になる。

 例えば…やっぱり宝探し映画なのに気分が盛り上がらなかったレジェンド/三蔵法師の秘宝(2002)を思い浮かべてみれば、そのあたりのつまらなさが分かる。「サハラ」と比べてみれば、「レジェンド」がたちまち「インディ・ジョーンズ」も真っ青の波瀾万丈物語に見えてくる(笑)。宝探しに必要な…手がかり、遺跡、古文書、伝説、秘境…などなどの類があまりに少なすぎる。これでは面白くなろうはずもないのだ。

 逆に病気をクローズアップするとしたら、ダスティン・ホフマン主演、ウォルフガング・ペーターゼン監督の「アウトブレイク」(1995)冒頭を思い出して欲しい。この映画でのペネロペ・クルスのあまりに杜撰で無謀な対応を考えれば、サスペンスやリアリティが盛り上がらない訳も分かるだろう。どう考えてもアレではペネロペがWHOの派遣員なんてチャンチャラおかしいし、病気だって大して怖いモノじゃなさそうって気になってくるだろう。そういうやるべき事を、この映画はまるでやってないからダメなのだ。

 そんな映画としての食い足りなさと同時に、そもそもドラマの作り方にも疑問を感じてしまう。

 最初は宝探しのお話かと思いきや、奇妙な病気と環境破壊の陰謀の話にすり替わっている。そこで宝探しを一時保留にしていると、何のことはないラストにご都合主義丸出しで再び宝探しが顔を出す。最初はそれらがどこかでちゃんと結びつくのか…例えば消えた装甲艦から何らかの毒素が漏れだして、それが病気の原因になっていた…など、何らかの結びつきがあると思ったんだよね。

 だが、そんなものは全くナシ

 単に行き当たりバッタリで宝探しが環境破壊の話に替わって、また宝探しへと戻ってしまうという、ハッキリ言ってあまり頭が良くなさそうなドラマ展開を見せていくのだ。そもそもこれがいただけない。

 そこを考えていくと、そもそもこの原作に問題アリ…だと思えてくるんだよね。

 確かに小説よりも映画は、題材に何らかの求心力を要求するところがある。だから宝探しと病気絡みの陰謀が、どこか有機的に絡んでいないとツライ気がしてしまう。このあたり、小説ではいくらか「いいかげんさ」が緩和されているのかもしれない。

 それでも…やっぱりこんなストーリー展開してるんだとしたら、ロクな小説ではあるまい

 世界的ベストセラーだか何だか知らないし、それがどれほどの面白さや価値があるのかも知らない。だが、もはやそんな事は知りたくもない。

 原作者は「レイズ・ザ・タイタニック」に激怒したかもしれないが、それってひょっとしてお門違いじゃないのか? 「レイズ・ザ・タイタニック」の出来映えも、そこでのダーク・ピット役に魅力がなかったのも…ついでに新たな映画化がこんなに遅れたのも、そもそも原作そのものにどこか問題があったからではないだろうか。

 だとすると、この映画の脚本家やら監督のブレック・アイズナーを責めても仕方がない。どうもこの映画って、僕にはどうつくったところでダメだったんじゃないか…って思えるんだよね。

 

 

 

 

 

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