「フォーガットン」

  The Forgotten

 (2005/06/20)


見る前の予想

 それにしても、最近の映画の予告編って少しマズイと思わないか。

 どこのどの映画とは言わないが、アレではオチまでバレてるって予告編が多すぎる。それで見るのをやめたくなった映画すらある。

 特に中でもひどそうなのが、この「フォーガットン」の予告編だ。

 幸せそうなジュリアン・ムーア。彼女には息子がいる。ある日、その息子が姿を消す。周りを問いつめるが、周りの人間は夫に至るまで…「息子」が彼女の幻影だと決めつける。実際に息子がいたという痕跡は、写真やビデオの類から隣人の記憶に至るまで消滅。しまいに夫はムーアが妻である事すら忘れていた。だがジュリアン・ムーアは自分に娘がいた事を忘れてる男ドミニク・ウエストに近づき、彼の家の壁に「娘のいたずら描き」を発見する。これに衝撃を受けて「娘」の存在を思い出したウエストは、悪者に捕まりそうだったムーアを助けて一緒にナゾの核心に迫っていく。すると…。

 ナゾを知っているらしき人物を問いつめるムーアとウエスト。「誰にも言わないから真相を教えて」と懇願するムーアに、この人物は諦めたように答える。「奴らはもう全部聞いている」

 そしてズバ〜〜〜ンと大音響。

 彼らがいた家は木っ端微塵になり、天井から例の人物は吸い上げられてしまった。人知を超えた何者かが、頭上高くの空にいるらしい。唖然呆然とするジュリアン・ムーア。

 ガイジンのすんばらしい発音で、「ザ・ファ〜グァットゥン」…。

 これって誰がどう見たって、もう「真相」はバレバレ。本来だったらまずはジュリアン・ムーアの幻想か本当にあった事か?…そしてあった事だとしたら犯罪者や外国やら政府の陰謀か、あるいは超自然的「神隠し」か?…こういうハラハラドキドキがあったあげくに、何らかの「衝撃の真相」に到達するはずが…この予告を見たらそのものズバリ、「宇宙人による陰謀」以外あり得ないではないか。

 それとも、ここまで堂々と全部出しちゃってるところを見ると…実はそう見えて真相は別にあるのか。何か付加価値的な要素があるのか。

 あの予告編自体が、巨大な「引っかけ」…なのだろうか? そうでなければ、さすがにお客は怒るぜ。

 

あらすじ

 ニューヨークに住む主婦ジュリアン・ムーアは、毎日毎日悲嘆に暮れていた。彼女の愛しい一人息子が、小型飛行機事故で亡くなってしまったからだ。毎日アルバムを広げ、ビデオを見直し、彼のグローブに触りながら過ごす日々。精神科医ゲイリー・シニーズに問いつめられても、ムーアはそんな日々の習慣をやめられない。優しい夫アンソニー・エドワーズも打つ手なしだ。

 そんな暮らしの中で、ムーアはいつの間にか何やら忘れっぽくなっている事に気づく。昨日クルマを停めた場所を間違える、飲んでもいないコーヒーを飲んだ気になる。いや…確かにクルマはそこに停めたはずだし、コーヒーは飲んでいたはずだ。そんなこんなで、何とも釈然としないムーアではあった。

 そのうち夫エドワーズが親子三人の写真を夫婦二人の写真に入れ替えたのを知って、いきなり激怒してしまうムーア。彼女はエドワーズの制止を振り切って、夜の街に飛び出してしまう。すると…夜の公園のブランコに、見知った顔の男がいるではないか。

 彼ドミニク・ウエストは、息子の友達だった女の子の父親だった。そしてその娘さんも、例の飛行機事故で亡くなったのだ。同病相憐れむ…の気分になったムーアではあるが、娘を亡くした心労から酒浸りのウエストの惨めさに、思わず我に返って帰宅するムーアではあった。

 ところが事態はさらに悪化。ある日気づいてみると、アルバムからは写真がなくなり、ビデオには何も録画されていない。さては夫エドワーズの仕業だな…と決めつけ責め立てるが、彼はキョトンとしたままだ。

 「元々、きみには息子はいない」

 やがて精神科医シニーズが呼ばれて説明するには、ムーアは息子を死産させた心痛から「架空の息子」を作り上げた…と言うのだ。だから元々写真はないしビデオも写っていない。それが分かっただけでも病状は回復してきた…。

 だがどうしても納得できないムーアは、施設に入れようとするエドワーズとシニーズを振り切って逃げ出す。何とか息子の痕跡を見つけるべく、図書館で新聞記事を検索だ。だが飛行機事故の記事は跡形も見あたらない。隣人に聞いても息子の存在を忘れている。もはや四面楚歌。

 仕方なくすがりついたのは、あのドミニク・ウエストの家。ところが飲んだくれたウエストは、いまやムーアの息子だけでなく自分の娘の存在すら忘れていた。そのまま酔いつぶれてしまうウエスト。もう打つ手がない…。

 ところがムーアは、部屋の壁紙が貼り替えられている事に注目する。ちょっとした壁紙のキズからベリベリと剥がしていくと…何と壁一面に子供のいたずら描きが現れるではないか!

 いまやムーアは完全に確信した。息子たちは存在したのだ。間違いなく何者かが子供たちを消し去ろうとしている…。

 だが翌朝、目を覚ましたウエストは、ムーアに壁のいたずら描きの事を問いつめられて当惑。何しろいきなり押し掛けて来た上に、壁紙をすべてひっぺがされてしまったのだ。迷惑どころの騒ぎではない。ウエストはコッソリと警察に連絡。彼女はやってきた警官たちに引き立てられて行く事になる。涙目で連れて行かれるムーアの表情に、ウエストはいささか罪の意識を感じないでもない。

 ところが彼女を連行する警官たちに、いきなり別の男たちが近づいてくる。何と国家安全保障局(NAS)が、ここからは「事件」を引き継ぐというのだ。

 同じ頃ウエストは、改めて壁のいたずら描きを見ているうちに「娘」の存在を思い出す。ムーアの言った事は本当だった!

 慌ててムーアのところに駆けつけるウエスト。彼女はNASの連中に、クルマに乗せられているところだった。彼女を解放しろと迫るウエストに、あくまで強硬手段一点張りのNASの男たち。これにはウエストも激怒して大暴れ。ムーアを逃がして自らもNASの男と戦い、その場を必死に逃げだした。

 一方警察署では、逃げ出したムーアについて女刑事アルフレ・ウッダードが話を聞いているところだ。だが夫エドワーズの話は、ウッダード刑事にはどうにも妙に引っかかる。しかもそのムーアをNASが連れて行ってしまったとの話に、ウッダードはさらに不信感を募らせていた。

 「家庭内の話やら揉め事に、何でNASが関わってくるの?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ここからは映画を見てから

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

見た後での感想

 いや〜、唖然としてしまった

 予告編で危惧した事は、そのまんま現実となってしまった。まさかと思ってた事が起きてしまった。そんなバカな事があるわけないと思っていたのに、その「バカな事」が起きてしまったのだ。

 あの予告編の「まんま」。

 結局この映画って、あの予告編から一歩も出ていないではないか。それじゃいくら何でもひどいだろうと思ってたのに、「アレ」以上は何もなし。「真相」らしきモノまで出してしまった予告編以上の要素は、最後まで見ても一切ないから、さすがに恐れ入ってしまった。一体これはどうなっているのだ?

 まず、予告編づくりのルールってモノがあるだろう。これっていくら何でもひどいんじゃないか。見た奴が10人なら10人とも怒ると思うよ。

 もしこの予告編がなかったなら、少なくともこの映画の前半部分はいくらかでも楽しめたはずだ。ジュリアン・ムーアが正気か狂気か、これが何らかの犯罪か超自然的現象か、それとも別の何かか…を考える余地があったからね。

 だが…実は映画を見終わってみた時点で、この作品最大のキズは予告編で真相を暴露された事ではないと分かった

 例え真相が伏せられたままであったとしても、この映画はハッキリ言ってつまらない(笑)

 だってナゾって言ったって、子供の存在が消し去られた事、子供がさらわれた事…が宇宙人の仕業でしたって分かったらナゾ解きはすべてオシマイ。真相に迫っていくスリリングさもなければ、そこに至るプロセスでのサスペンスやらアクションがある訳でもない。

 大体ジュリアン・ムーアはこれが宇宙人の仕業だと分かってから、一体どうするつもりだったのだろう?

 そもそも僕が気になったのは、孤立無援のはずなのにクルマをどうやって調達したのかって事だよね。カネだってすぐに困っただろうに、そのへんは一体どうなっているのか? どうするつもりだったのか? そういう事をキッチリ描いて、そこからサスペンスを引き出す手だってあったのに…ディティールがいいかげんだから盛り上がる訳がない

 しかも、すごい宇宙船や宇宙人や大組織やら壮大な装置も何もない。つまらない男=宇宙人が一人出てきて傲慢な態度で偉そうにしゃべるだけ。見せ場はこの男がジュリアン・ムーアの首を絞めてイジメるという始末。しかもムーアをイジメても記憶を消せないとなるや、こいつは責任取らされ、吹っ飛ばされてケリがついてしまう。格好もショボいし、情けない宇宙人なのだ。一体これは何なのだ?

 大体、宇宙人の陰謀というのが、母と子の絆を調べるという訳の分からない実験だから笑わせる。そんな三益愛子の「母もの」みたいなテーマ(笑)のために、わざわざあんな面倒くさい陰謀を張り巡らすのだろうか。そんな事をやってる間に、地球を侵略でもすればどうなんだ

 監督ジョゼフ・ルーベンは、ジュリア・ロバーツがストーカー夫に追われるスリラー「愛がこわれるとき」(1990)やマコーレー・カルキンが邪悪なガキを演じる「危険な遊び」(1993)…などを撮った人。そう考えればこの出来映えも何となく納得出来ないでもない。どれもこれもイマイチ感漂う作品ばかりだもんねぇ。

 でも、今回はそんなもんじゃない。イマイチどころの騒ぎじゃないから、ある意味で一皮むけちゃったと言うべきかもしれない(笑)。ルーベン監督の次回作があったら、ぜひ見てみたいものだ。次回作があれば…の話だが。

 ラストは子供も戻って来て「めでたしめでたし」…みたいな結末だが、はてさてジュリアン・ムーアはあの亭主と今後うまく暮らしていけるんだろうか? 実は何も悪い事をやっていないのに責め立てられっぱなしのあのハゲたダンナが、この作品中最も同情しちゃう存在だと思うんだけどね。そもそも宇宙人の陰謀だとかそういう事がなかったら…自分も子供の死にキズついているのに、嫁さんにガーガー言われっぱなしの可愛そうなダンナの話ではないか。嫁さん一人が悲しい訳じゃないだろう。…ともかくどっちにしろ、ロクな話ではないよ。

 むしろこのお寒い内容を観客に知らせておくという意味で、あの予告編は親切だったかもしれないね(笑)

 

見た後の付け足し

 ところでこんなボロボロの映画にも、ドッキリするところがあったから驚きだ。

 映画が始まってすぐのあたり、ジュリアン・ムーアが前日にクルマを停めた場所を忘れたり、自分がコーヒーを飲んでいたかどうか忘れるくだりだ。

 実は、僕は元々何かと忘れっぽい人間だ。何かに夢中になるとコロッと忘れてしまう。傘なんか何本なくしたか分からない。財布、手帳、その他もろもろ…他の人の何倍も散財しているよ。

 ところがここへ来て、その物忘れがいささか程度を超えてしまっている

 本当に大切なモノやら、ついさっき自分で手に持っていたモノまで忘れてしまうようになったのだ。実は今でも必死に探しているモノがある。これはハッキリ言って怖いよ。ゾ〜〜〜ッとする。

 こうした怖さを前面に出せば、もっと面白い映画になったのに…というのはともかく、そんな怖さをまたまた思い出させてくれたという点では、身につまされる映画ではあった。まぁ、それって映画の出来とは関係ない話なのだが…(笑)。

 それと…もう一つ「忘れる」という事に関して…。

 全然映画のテーマとは逆の事を言っちゃうけど、ヒロインのジュリアン・ムーアがいつまでも亡くした息子の事を蒸し返しているのは…気持ちは分かるけどいい事じゃないね。この映画では「実は…」って事になるから感想でも何でもないんだけど…それでもこの映画のムーアを見ていて、いつまでも忘れずにいるって事は決していい事じゃないと思ったよ。

 さっきは忘れる事を「怖い」と言っておきながら、まったく逆の事を言うようで恐縮だけど…大切だった人間を忘れる忘れないって事と、傘や財布を忘れるとか言うのは全く違う(笑)。人間はやっぱり忘れないと先に進めない事ってあるんだよね。そしてそれが分かっていながら、知らず知らずのうちに失った事を認めていない自分がいる。これまた映画とはまったく関係ない話になってきちゃったけど、それは本当にその通りだ…と改めて実感してしまった。「忘れる」にも気力と根性がいるんだよ。

 それもきっと、人間に与えられた能力の一つだからね。

 

 

 

 

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