「キングダム・オブ・ヘブン」

  Kingdom of Heaven

 (2005/06/06)


 

見る前の予想

 リドリー・スコットの新作がスペクタクル史劇と聞いて、「またか」と思った人は僕だけじゃないだろう。

 いや、「またか」という言い方は実はちょっと気の毒だ。何しろ本来だったら「またやってくれたか」と期待されこそすれ、「またかよ」なんて言われ方をされるべきではない。だってハリウッドで絶滅していたスペクタクル史劇というジャンルを、新たな鉱脈として復活させたのがこのリドリー・スコットなんだからね。

 そもそも彼のグラディエーター(2000)がなければ、このジャンルが復活するなんて事はそうそうなかったんじゃないだろうか?

 この後に出来たトロイ(2004)とかアレキサンダー(2004)なども、「グラディエーター」の成功なしには企画すら出なかったはずだ。そういう意味で、リドリー・スコットは間違いなくパイオニアの役割を果たした。僕は往年のこの手の作品が好きだったから、すごく嬉しかったんだよね。チャールトン・ヘストンが出てきて、70ミリとかシネマスコープの大画面が活用された大作映画が好きだった。

 だが、今回の「キングダム・オブ・ヘブン」には反応が鈍かった

 まずローマ帝国やらが出てくる訳ではなく、「十字軍」という題材がどうも気が乗らなかった。キリスト教徒はどうか知らないが、僕なんかには「十字軍」ってあんまりいいイメージはない。いや…今につながるキリスト教徒たちの傲慢さやら押しつけがましさ、独善性の象徴みたいでイヤになる。それだけで、何となく見たくなくなるんだよね。

 まぁ、そんな題材はリドリー・スコットがうまく料理してくれるんだろうが…実は最大の難点は、今回の主役にあった。

 オーランド・ブルーム。

 ロード・オブ・ザ・リング」三部作(2001〜2003)、パイレーツ・オブ・カリビアン/呪われた海賊たち(2003)、そして「トロイ」…と着々と売れて来ている若手最右翼。ここで「最大の難点」などと言ったら、女性ファンにまたまたお叱りをいただく事必至だ。僕だってぺ・ヨンジュンとイ・ビョンホンとブラピでクレームもらって、実際はいいかげんウンザリしてる。まぁ、オーランド・ブルームはサイコー!…と心にもない言葉でも書いておけば問題はないところなんだけどね。

 いや、実際のところ彼はなかなか悪くないよ

 「ロード・オブ・ザ・リング」三部作にしても他の作品にしても、オーランド・ブルームはなかなかいい感じだった。ルックスもいいし芝居だって好感が持てる。身体だってよく動いていた。これはみんな認めるところなんじゃないか?

 ただ問題は…彼って主役を張るウツワだろうか?

 将来的にそんなボリュームが出てくる事があるとして、今の彼はどうだ? しかも彼が主役を張るのは、リドリー・スコットのスペクタクル史劇超大作だ。ファンはな〜んも考えずに「もちろん!」って言ってりゃいいんだけど、普通誰でもこれは「ちょっとなぁ」…と思うのが当たり前だろう。

 何しろ彼は線が細い。似たようなスペクタクル史劇ジャンルの「トロイ」を見れば分かる。オーランド・ブルームは、まさにあんなお騒がせにして情けない役だったからハマってた。申し訳ないが…そして別にブラピ・ファンからのクレームに媚びるつもりなどもサラサラないが(笑)、こと「主役」となるとブラピの座りは「それなり」だが、ブルームはそのウツワとは言い難い。これは大抵の人がそう思うはずだよね。

 閑話休題。今回、リドリー・スコットも彼なりの考えがあったんだろうが、もうちょっと別の人選はなかったんかい?

 それを…何を血迷ったのか日本の配給会社は、「オーランド・ブルーム超大作初主演」とポスターやチラシや広告にドカンと入れた。これって一体誰に向かって言ってるフレーズなんだ? 「オーランド・ブルーム超大作初主演」の前に「祝」とでも入れて、オーランド・ブルームの楽屋に花束でも差し入れろって事なのか(笑)? 客に対して、こんな経験不足の奴が超大作の主役を張る危なっかしい映画…って言ってるつもりなのか。一体何を考えているのだ。これって何のプラスにもならないぜ。

 ブルームで上映時間3時間はいかにもキツい。それでなかなか劇場に足が運ばなかったというのが正直なところなんだけどね。

 

あらすじ

 キリスト教徒とイスラム教徒それぞれにとっての聖地であるエルサレム。その聖地を十字軍が占領してからおよそ100年の時が流れた。

 1184年、フランス。寒風吹きすさぶ荒野で、墓掘り人たちと薄汚い司祭が一人の女の埋葬をしようとしていた。そこに通りがかる数人の騎士たち。胸に描かれた十字のシンボル…彼らは十字軍のメンバーだ。

 やがて彼ら十字軍の騎士たちは、貧しい村の鍛冶屋へとやってくる。そこで黙々と作業に打ち込んでいるのは、これまた薄汚い若い男バリアン(オーランド・ブルーム)だ。その表情はひたすら暗い。

 そんなバリアンに、例の十字軍の騎士の一人が話しかけて来た。その名をゴッドフリー・オブ・イベリン(リーアム・ニーソン)。彼はバリアンに対して口を開くや、いきなりとんでもない事を語り始めた。

 「私はおまえの父親だ」

 何でも遠い昔、バリアンの母親と関係を持ったらしい。それは「愛し合った」という類のものではなかったかもしれないが、少なくとも「彼は彼なりに愛していた」と言う。だがそんな事を藪から棒に言われても、「ハイそうですか」といく訳がなかろう。

 しかもバリアンは、今はとてもそんな事を考える心境ではなかった。実はバリアンは、妻と子供を失ったばかり。しかも妻の死は、子供の死に耐えかねての自殺だった。そんなこんなで、すっかり虚無的な気分のバリアン。ゴッドフリーに父と名乗りを上げられても、素直に喜べる訳もなかった。

 ゴッドフリーはバリアンを、彼が暮らすエルサレムへと誘う。そこで彼と共に騎士としてエルサレム王に仕えるのが、父としてのゴッドフリーの望みだったのだ。だが、バリアンは素っ気ない。

 結局息子バリアンの説得に失敗したゴッドフリーは、それでも気が変わったら後からついてこい…と言い残して立ち去って行く。「イタリア語を話す国を過ぎると、今度はまったく別の言葉が聞こえてくる。そこがエルサレムだ」

 さて、そんな夜。

 バリアンはイヤミを垂れ流す司祭にまとわりつかれ、いいかげん苛立ちを隠せない。おまけにこの司祭、首にチャッカリ亡き妻の十字架のネックレスを付けている。しかも彼の妻は自殺者だから天国へ行けないなどとネチネチ告げたあげく、妻の亡骸の首をはねたと仄めかすではないか。

 ええい、ままよ!

 バリアンは鍛えている途中の真っ赤に焼けた剣を、司祭の腹にブッ刺したあげく彼を火の中に突っ込んだ。その首から妻のネックレスを奪い取ると、司祭を炎の中に置き去りにしたバリアンは、馬に乗って夜道を突っ走った。

 めざすは…「父」ゴッドフリー率いる十字軍の一団だ。

 幸いバリアンは早々に一行と合流。父の仲間たち、ホスピタラー(デビッド・シューリス)らもまたバリアンを歓迎した。バリアンはゴッドフリーに、「聖地」に行けば妻を地獄から救えるのか?…と尋ねるが、彼はともかくエルサレムにさえ行けば夢が叶うのだと語った。まずは父から息子に授けるモノとして、騎士としての剣法を伝授。こうして父と子としての日々が始まろうとしていたが…。

 そこに、教会が差し向けた刺客たちが現れる。

 司祭を殺害したバリアンを差し出せ…と迫ってくる彼らに、しかしゴッドフリーは言うことを聞かなかった。あくまでバリアンを渡す事を拒絶するゴッドフリーに、一旦は彼らも諦めて引き揚げたかに見えたが…。

 突然彼らが野宿していた森の周囲から、雨あられと矢が飛んでくる!

 あの教会が放った刺客たちが、一行に奇襲攻撃をかけて来たのだ。たちまち何人かの者たちが倒れるが、百戦錬磨の男たちはそのくらいではひるまない。アッという間に形勢逆転させて、刺客たちをねじ伏せてしまった。

 だが、その犠牲もまた大きかった。仲間が何名か命を落とし、ゴッドフリーも矢をカラダに受けて傷ついた。それでも彼は案じるバリアンに強気に言い放つ。「確かに殺しは重罪だが…奴らの言い草が気にくわなかった!

 こうして傷ついたゴッドフリーを運びつつ、一路エルサレムをめざす一行。そしてついに…エルサレムへと向かうための港メッシーナへと到着する。

 ここで妙に絡んでくる自信満々の男ギー・ド・リュジニャン(マートン・ソーカス)と出会ったのは不愉快だったが…エルサレムをめざすさまざまな人々の群れは、バリアンにこれから訪れる地の驚きを伺わせるに十分だった。そこではすでにキリスト教を信じる者とイスラム教を信じる者とが、何の違和感もなく共存していた。ゴッドフリーもまた、そんなエルサレムの理想を信じていた。エルサレム王に仕え、その理想を守る事こそが自分たちの使命…死期が迫っているゴッドフリーは、バリアンにもその精神を伝えようとしたのだ。そして彼が最後に出来る事として、バリアンに騎士の称号を与えた

 「恐れずに敵に立ち向かえ。神は勇気と正義を愛される。死に至るとも真実を語れ。弱きを助け悪しきを退けよ…」

 これがバリアンを騎士とするための言葉…そして父から息子に授けた「最後」の言葉だった。

 こうして父ゴッドフリーと別れて海に渡ったバリアンだったが、大シケにあって船は大破。その残骸と共に浜辺に打ち上げられる羽目になる。九死に一生を得たバリアンは、しばらくしてサラセンの男二人に遭遇。二人のうち主人とおぼしき人物に戦いを挑まれ、不本意ながら殺す事になってしまう。

 かくして殺した男の従者と思われる人物に道案内を頼んで、バリアンは何とかエルサレムにたどり着く。そこでバリアンは従者らしき男に、「オマエは奴隷ではない」と告げて解放した。そんなバリアンに深い感銘を受けて去っていく男。この男が後々、バリアンと深い関わりを持つ事になるとは、この時点では彼には知る由もなかった。

 さて、ゴッドフリーの家来たちと遭遇出来たバリアンは、彼らに「息子」である事を証明して暖かく迎えられる。こうしてゴッドフリーの屋敷に落ち着く事が出来たバリアンは、そこで奔放な一人の女性の訪問を受ける。

 その名はシビラ(エヴァ・グリーン)。

 彼女はエルサレム王の妹にして、例のギーの妻でもあった。どこか挑発的な彼女は、なぜかバリアンがいたく気に入ったようだ。そんな折りバリアンは、今後彼が仕える事となるエルサレムの王・ボードワン四世から呼び出される。そこでバリアンはシビラと共に、王宮へと出かける事になった。

 バリアンが訪ねていった王宮では、王の右腕として働く顧問のティベリアス卿(ジェレミー・アイアンズ)が揉め事の仲裁に行っているところ。老いた卑劣漢ルノー・ド・シャティヨン(ブレンダン・グリーソン)が十字軍兵士を使って何かとサラセンとトラブルを起こしては、わざわざ対立ムードを煽ろうとしていたのだ。だがティベリアス卿は、ルノーによるサラセンへの挑発的行為を許さない。そんなティベリアス卿を弱腰であるかのように見下すルノーだが、信念の人ティベリアス卿は決して一歩も退かない。実際に王の信任も厚いティベリアス卿には、悪辣なルノーも手が出せないのだった。

 シビラの案内で王宮の奥深くへと導かれたバリアンは、王の部屋へはたった一人で入室した。聞けば王は重い病いに侵され外出もままならないと言う。バリアンの前に現れた王は、金属製のマスクで顔を隠しているほど病状が重かった。

 現在エルサレムは対立するサラセンの王サラディン(ハッサン・マスード)との間で、非常に際どい近均衡の上に立ってはいるが平和を保っていた。イスラム教徒であるサラセンも尊重し、平和を維持する事を第一に考えるのが王ボードワン四世の方針だ。だがルノーやギーなど一部の増長した家来たちが、何かと挑発的な行為を繰り返す。それに対してカラダの自由が利かない王は、何とももどかしい思いに苛まれていた。王はバリアンに、そんな彼に対する忠誠を求めた。ただし、王が求めたのは服従ではなかった

 「誰の指図でもなく、自らの正しいと思う事をしろ。後で本当は自分の本意ではなかったなどと、見苦しい言い訳をするな…」

 バリアンもまた、そんな王の信念に深い感銘を覚えるのだった。

 こうしてゴッドフリーの土地や屋敷を正式に譲り受けたバリアンは、自らの土地を豊かなものにするため、身を粉にして働きだした。そんなバリアンの元に、なぜかあのシビラが訪れる。バリアンの屋敷に滞在したシビラは、人妻にも関わらずバリアンを求める。元々ギーとの結婚は母親の決めた気の進まぬものだった…と明かすシビラ。バリアンもまた、そんなシビラの魅力の虜となるのだった

 だがその頃、彼女の夫ギーはあのルノーと組んで、エルサレムを戦いへと巻き込む愚かな行為へと走っていたのだった…。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ここからは映画を見てから

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

見た後での感想

 何だか主役をはじめとした配役は豪華は豪華だが…それでもラッセル・クロウ、ホアキン・フェニックス、リチャード・ハリス、オリバー・リード…と並んだ「グラディエーター」と比べると、どうも大人しくも重苦しくて地味っぽい。そもそも先に述べたように主役オーランド・ブルームの線が細い。十字軍がどうの…って話もスカッと来ない。…などなどなど、正直言ってこの映画って「超大作」ではあるけどワクワクして来ない。さすがにリドリー・スコットだから見ればそれなりだろうが、どうにも見る気になれなかったんだよね。しかもそれが3時間…。

 ところが…見たらびっくり

 この映画、実は見たら血が熱くなること請け合いの、心意気のドラマではないか。これにはちょっと驚いたよ。3時間がちっとも長くない。まったく身じろぎもせずに見てしまった。ドキドキしながら見たし、完全に前のめりに感情移入して見てしまった。

 まず…これは言っても差し支えないと思うが、この映画の十字軍…云々って完全にイマドキの世界への批判として出てきてるよね。

 当時のエルサレムは、キリスト教徒もイスラム教徒も共存して平和を維持していこうとしていた。ここでの描かれ方に、現代への批判がないとは言わせない。ところがそこに妙なチョッカイや挑発を入れて、何とかかき回そうとするヨコシマな人間がいるのもしかり。どうしたって現在の世界で一番でっかい国の、最近の目に余る乱暴狼藉が頭に浮かんでくる構図だ。

 ただそういうメッセージ性を前面に出すと、それだけ底が浅くなったり短絡的で近視眼的な内容になりかねないところ。そこをステレオ・タイプの滑稽さに見せずに、厚みのあるドラマに仕上げたあたりは大したものだ。オリバー・ストーンの「アレキサンダー」なんかよりずっと直接的とも言えるのに、味わいや深みではこちらが遙かに勝る。リドリー・スコットはやっぱりメンコの数が違う。

 それに…そもそもこの映画の魅力は、政治的メッセージなんてケチくさいところにはない

 まずはスペクタクル超大作として、ちゃんとお約束のところを押さえてある。特にヤマ場のエルサレムの城壁を挟んでの、エルサレム王国軍・サラセン軍の大攻防戦は見ものだ。圧倒的な多数を誇る…それも途方もなく多勢のサラセン軍に対して、味方の限られた手駒…しかも大半が訓練された軍人ではない…でどうやって戦うのか? この主人公バリアンの知力を振り絞った戦いっぷりが手に汗握って面白い。

 もちろんスペクタクル映画としての派手な物量やらスゴいCGはふんだんに登場する。だがこの映画では、それらはあくまで見せ場を盛り上げる味付けに過ぎない。あの手この手でどうやって絶体絶命状態を乗り切るか…その知恵をフルに使っての「守り」の戦いが何とも面白い。

 普通の戦争映画では、それが古代の戦いであれチャンバラであれ、近代戦争であれ未来の戦いであれ、華々しく「攻める」のが当たり前。「攻め」こそが見せ場になるのが普通だ。例え最初は防戦一方で描かれても、最終的には形勢逆転、敵の撃退・駆逐・殲滅…に持っていくのが「戦争」モノの基本だろう。だが、この映画はそこのところが違う。

 この映画は「守る」事こそが見せ場になる

 徹底的に守って守って守りきるのが、何とも絶妙な面白さを生む。第一、ラストからして違う。主人公たちによるエルサレムの死守や敵の撃退ではなく、王国の人々の「無血撤退」こそが“勝利”として描かれるのだ。もうその発想からして従来の戦争映画とは違う。これは先に述べたこの映画の作り手の姿勢とも呼応していて、何とも一貫した清々しさをも感じさせるところだ。さらにこの斬新さが、これまでの戦闘を扱った映画とは違ったフレッシュなものさえ感じさせる。これは今までにあまり見られなかった面白さだよね。

 戦闘状況の描き方も、さすがあのブラックホーク・ダウン(2001)で混乱しきった戦闘状況を観客にちゃんと分かりやすく見せてくれたリドリー・スコットだけある。これだけの大スケールの戦闘場面にも関わらず、見ている側に戦況が刻々と手に取るように分かるのだ。これってなかなか難しい事だよ。最近ではロード・オブ・ザ・リング/二つの塔(2002)などがキチンとこれをやっていたが、これほどのスペクタクル戦闘場面で分かりやすさを実現するのは至難の業だ。このあたり、リドリー・スコットはさすがに映像の人だと感心させられる。ともかく巨大な戦場と莫大な数の兵士たちを使っての、スケールでっかい「詰め将棋」みたいな面白さなのだ。

 だがこの映画の本当の魅力は、実はもっと別なところにある。それは登場する人物そのものが放つ、人間性の美しさだ。

 サラセンとの和平を身を挺して守ろうとする、悲劇のエルサレム王。その王の片腕として忠実に仕える側近。騎士としていかに生きるべきかを説く主人公の父親。…いずれもイマドキは見られなくなった「徳」のある男たちばかり。自らの掟に従って行動する、美しい規範を持った男たちだ。王が主人公に告げる言葉…「上の人間が言ったからといって、そのせいにするな。自らの正しいと思う事をしろ」…なんて、実にカッコイイ台詞ではないか。劇中二回繰り返される“騎士たる者の極意”というか、かつてのテレビ時代劇「大江戸捜査網」の「隠密同心の心得」(笑)みたいなフレーズもいいね。

 「恐れずに敵に立ち向かえ。神は勇気と正義を愛される。死に至るとも真実を語れ。弱きを助け悪しきを退けよ…」

 く〜〜〜〜、カッコよすぎるぜ。正直言ってシビれてしまった。

 そんな素晴らしい男たちは、何も味方側に限らない。敵であるサラセンの王サラディンの、何とも気品に満ちた懐の広い男っぷりは見事だ。演じるイスラム圏の俳優ハッサン・マスードも、何とも堂々としてカッコイイのである。この映画にはそんな惚れ惚れする男たちがあふれかえっている。彼らは背筋をピンと伸ばし、凛として立ち振る舞っている。そして彼らがみんな、何ともオイシイ台詞を口にするのだ。それらすべてを覚えていれば良かったよ。そうすりゃ少しは僕もカッコをつけられた。

 ここでの男の美しさ、男の強さ、男らしさ…は、だから見せかけの威勢良さやらマッチョぶり、正義ぶりやええカッコしいとは一線を画する。そうなれば…僕は冒頭で「大人しくも重苦しくて地味っぽい」と評した、そんな俳優たちこそがピッタリと来る。ジェレミー・アイアンズやらリーアム・ニーソンが起用されたゆえんだ。派手さはないけど堅実さはある。華やかさはないが、いぶし銀の光は放っている。まさしく質実剛健。そうでなくっちゃねぇ。

 そして…だからこそ…主役はオーランド・ブルームなのだ。

 実際この映画では今までになくボリュームを増しているし、たくましさも見せている。だが何より誠実で「これみよがし」でない事こそ…この映画の方針に合っている。この映画なら、ヒーローはブルームでなければいけない。そんな見た目のマッチョな強さカッコよさではない、精神の強さカッコよさで勝負しなくてはいけないからだ。

 さらに美しい「自らの規範に従って行動する男たち」に拮抗するために…ドリーマーズの新星エヴァ・グリーンが起用されているのも見ものだ。ここでは彼女のエキゾティックな美貌と、どこか「女ならでは」の奔放な強さが必要とされたのだろう。

 驚いたのは…病に苦しむ悲劇の王・ボードワン四世の役。これって顔を終始隠しているのに思いっきり目立っているので、一体誰がやっているのかと思ってたんだよね。これほどのボリュームが出せるならば、並みの役者ではあり得まい。すると…何と若手クセモノ中のクセモノ、エドワード・ノートンだというではないか! なるほどねぇ…というか何というか、むしろアメリカン・ヒストリーX(1998)の“熱演してます”って芝居よりも、今回の方が数倍彼の演技力を感じてしまった。それにしてもこれって、ハンニバル(2001)での「あのクセモノ役者」起用と同じ発想ではないか(笑)。リドリー・スコットもなかなかやってくれるよね。

 このように…この作品は巨大なスペクタクル映像はもちろんスゴいのだが、むしろそこに出てくる人物像の魅力で見せる映画になっている。これって「映像派」リドリー・スコットとしては意外な気もするが、実は彼の映画ってもうだいぶ前から、そんな人物の心意気で描く映画に徐々にシフトしていたのだ。でなければ、「ブラックレイン」(1989)や「テルマ&ルイーズ」(1991)は生まれまい。そういやリドリーの手にかかったら、あのハンニバル・レクター博士だって心意気に燃えるヒロイズムの人になっちゃっていたよね(笑)。そもそも、何よりマッチスティック・メン(2003)をつくる事なんかあり得ないはずだ。特に僕には今回の「キングダム・オブ・ヘブン」は、どこか「マッチスティック・メン」の直接の延長線上にある作品だと思える。

 それは、共に「善の在処」を探る物語であるところが似ている。

 もっともらしい正義や強さではなく自らの精神を信じる男たちの世界。そこでは見せかけのもっともらしさやら、既成概念やら、偽善やらくだらない決まり事が否定される。司祭がゴチャゴチャどうでもいい事をまくしたてるや、主人公はこう言って切って捨てる。「そんな事は神は気になさらない。そうでなければ…そんな神などいなくていい!

 神に限らない。もっともらしい偽善やすり替えが横行するイマドキの世の中には、「本当に大事なのは何なのか?」を知るための「自らの規範」こそが必要ではないのか。リドリー・スコットが言いたいのもそこだろう。それが証拠に、主人公の父親はハッキリと語っている。

 「天の王国」は、人の頭と心にある…と。

 

見た後の付け足し

 よくもまぁこれをアメリカで、これだけデカい資本を持ち込んで作り上げたと驚く。リドリー・スコットって大したサムライではないか。それくらいこの映画はアメリカの現政権やそれが実践している政策を、完膚無きまでにブッ叩いてる作品だからね。そうでないとは…これを見たらとても言えないはずだ。

 だがねぇ…本当にそうなんだろうか?

 “見せかけの威勢良さやらマッチョぶり、正義ぶりやええカッコしい”を振り回して、何かとトラブルを起こしてはわざわざ対立ムードを煽る…そんな挑発的行為を繰り返す「卑劣漢」はどこにでもいる。そんな輩に賞賛を与える「愚か者」はもっといる。こっち側にもあっちにも…。

 僕らも彼らもみんな、いつになったらたどり着けるんだろう…「天の王国」に。

 

 

 

 

 

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