「バタフライ・エフェクト」

  The Butterfly Effect

 (2005/05/30)


 

見る前の予想

 この映画については監督も俳優も知らない。ただ予告編を映画館で見て、どうもタイムスリップものかタイム・パラドックスものらしいと当たりをつけただけ。だが、そうなってくるとSF映画好きの虫が騒ぎ出す。むしろ監督も主演者も知らない奴ってのが、かえってソソるではないか。それにしても、タイトルの「蝶々効果」って一体何だ?

 

あらすじ

 一匹の蝶々の羽ばたきが、地球の裏側で大嵐を起こす事もある。人はそれを「カオス理論」と呼ぶ…。

 真夜中の真っ暗な病院で、一人の無精ヒゲの男が逃げ回っている。この男…エヴァン(アシュトン・カッチャー)はある部屋に閉じこもると、扉の前に重いジャマ物を置いて開かないようにした。さらに警備員たちが部屋の周りに殺到してくる中で、必死に紙に字を書き始めた。

 「あなたがこの文を目にしているとすると、僕の試みは失敗した事になる。ともかく僕は戻って、彼女を救わなければならない…」

 さて、話はこの時点から13年前に遡る。

 7歳の頃のイヴァンは看護婦として生計を建てている母(メローラ・ウォルターズ)と二人暮らし。ところがある日、小学校の先生にイヴァンについて気がかりな事を告げられる。

 何と図画の時間に、ナイフを持った男が人々を血祭りに上げている絵を描いたというのだ。

 しかもイヴァン本人は、その絵を描いた事を覚えていないと言う。それを聞いた母は何かに思い当たったのか、思いっ切り青ざめた。

 「あの子の父親の病気が関係しているのでは?」

 実はイヴァンの父(カラム・キース・レニー)は、心の病気で精神病院に収容されていた。母親はそんな彼の病が息子に遺伝したのでは…と、内心ひどく恐れていたのだ。こうして記憶が飛ぶ性質を矯正するために、イヴァンは毎日日記を書くように義務づけられる

 そんなイヴァンは母親の留守中、近所の家で預かってもらっていた。イヴァンと同じ歳の女の子ケイリーは、彼の大の仲良し。だが彼女の双子の兄トミーは、なぜかどこか陰りのある少年だった。そしてケイリーとトミーの父親(エリック・ストルツ)は…。

 気づくとイヴァンとケイリーは、地下室でハダカになっていた。目の前には彼女の父親が、ビデオ・カメラを持って立っている。ケイリーの怯えた表情を見ながら、イヴァンには何があったのか全く記憶がない。

 だが母親と医師はイヴァンの精神的な異変を父親の不在が原因と思い、彼を精神病院の父親の元へと連れていく。やがて彼の前に連れて来られる父親…。

 記憶が飛んだ次の瞬間…イヴァンは父親に首を絞められていた。それを制止しようとする警備員の警棒が、父親の頭をカチ割る。これが致命傷となって、父親は間もなくこの世を去る事になった。

 その後もトミーとケイリーの兄妹との付き合いが続くイヴァン。イヴァンとケイリーは徐々に親しさを増していく。だがそれと比例するように、兄トミーは異常な性格をムキ出しにしていく

 ある日トミーは自宅の地下室からダイナマイトを発見。これを人の家の郵便箱に仕掛けて、吹っ飛ばそうと企む。付き合わされたのはケイリーとイヴァン、そして近所の男の子レニーだ。トミーに無理矢理ダイナマイトを押しつけられ、郵便箱に仕掛ける役をやらされるレニー。だが…。

 記憶が飛んだ次の瞬間…何が起きたのかレニーは呼吸困難に陥っている。慌てて彼を自宅に連れて行くと、たちまち病院へと連れて行かれる。だが、イヴァンは何が起きたのか全く覚えていない

 イヴァンはケイリーとトミーに何が起きたのかを問いつめるが、ケイリーは怯えるばかりで、トミーは異常に荒れ狂う。それどころか、トミーはイヴァンとケイリーの接近が気に入らないようだ

 レニーは病院から戻った後も、家に閉じこもって出てこない。イヴァンとケイリーが子供部屋の窓から呼びかけてみると、ひどく暗い表情になっているではないか。そんなレニーを無理矢理連れ出して外に出てみると、そこにはトミーが…。何と彼はイヴァンの飼い犬を布袋に詰めて、そこにガソリンをブチまけていた。さらに火のついた木の棒を手に持って、今まさに袋に点火しようとしていたのだった。

 「やめろ!」

 だがイヴァンはすぐにトミーにブチのめされてしまう…。

 記憶が飛んだ次の瞬間…気づいてみるとケイリーも倒れていた。そして袋は丸焼け。その前に、呆然となったレニーが立ちすくんでいた。

 やがて子供たちの異変に気づいたイヴァンの母は、この街から出ていく決心をした。逃げるような慌ただしい引っ越しの日。走り去るイヴァンたちのトラックに駆け寄るケイリー。イヴァンはそんな彼女に、窓から紙に書いたメッセージを見せるのだった。

 「きっとキミを迎えに来る」

 そして現在…イヴァンは大学生となった。パンクなデブちんのルームメイトと気楽な大学生活を送る彼は、学内の保守的エリート学生をバカにする進歩的学生だった。

 その日、イヴァンがゴキゲンだったのは、彼が故郷の街を後にしてからずっと、記憶がとぎれる発作が起こらなかったからだ。自分は全快した…と喜ぶイヴァンは、ナンパした女を部屋に連れ込む。ところがこの女が、しまい込んでいた昔からの日記帳を引っ張り出すという余計な事をしたもんだから…。

 「ねぇねぇ、面白いから読んで読んで!

 ついつい女の求めに応じて日記を読み始めてしまうイヴァン。そこには子供時代のイヤな思い出と記憶の欠落が書かれていて…。

 記憶が飛んだ次の瞬間…何と彼は気絶していたのだと言う。我に返ったイヴァンは女を放っぽり出し、クルマで故郷の街へとまっしぐら。

 あのレニーなら何か知っているかも…そう思ったイヴァンは、懐かしいレニーの家へとやって来る。だがレニー(エルデン・ヘンソン)は青年になった今も、自宅の子供部屋に籠もったままだ。そして昔の忌まわしい思い出の虜となっていた。そんなレニーに脅すように叩き出されてしまうイヴァン。一体、昔の彼らに何があったのか?

 そんなイヴァンは、久々に母親と顔を合わせる。母親はイヴァンの微妙な変化を察知して、まるで彼の父親を思わせる…と改めて怯えた。何でも発狂直前の父親は、「何かの方法を見つけた」…と言っていたらしいが、「それ」が何であるかを母親は決して言おうとしなかった。

 ともかく、これは過去に何か関係がある。ルームメイトのパンクデブは「わざわざ封印している記憶を呼び起こすもんじゃない」と制止するが、イヴァンはそんな忠告を聞こうとしない。よせばいいのに、またぞろ日記に手を伸ばす。そして日記の記憶をなくす箇所に差しかかるたびに、イヴァンの意識が混濁する。まるで当時の状況に戻るように、生々しい実感が甦る。いや…これは本当に戻っているのではないか?

 どうしても過去が気になるイヴァンは、今度あのケイリーとの再会を試みる。故郷のチンケなダイナーでウェイトレスをしていたケイリー(エイミー・スマート)は、この若さで早くも生活の疲れを感じさせる女だった。

 それでも懐かしいイヴァンの訪問に素直に喜んだケイリーだったが、彼が執拗に忌まわしい過去をほじくり返そうとするや、過敏に反応して怒り狂うケイリー。これほどの激しい反発を買うとは思わなかったイヴァンは、ただただ戸惑うばかりだ。「迎えに来ると言っていたのに、どうして来てくれなかったの!」

 しかも、事はそれでは済まなかったからタチが悪い。大学に戻ったイヴァンの元に、とんでもない知らせが舞い込んだ。何とあのケイリーが自殺したと言うのだ。それを知らせてきたのは、妹の死に怒りを燃やす兄のトミーだ。彼は妹ケイリーがイヴァンと再会したために死んだと告げた。これにはイヴァンもパニクらざるを得ない。

 そもそもはあのケイリーとトミーの父親が、変態ビデオを撮影したのが良くなかったのだ。あれさえなければ…あれさえなければ…イヴァンは日記のその箇所を読みながら、強く強く念じるのだった。

 すると…たちまち大学の寮の部屋が消え、何もかもが消え、その代わり現れたのは…。

 あの日の地下室。7歳のケイリーとイヴァンが、ビデオカメラの前に立っていた。そして彼女の父親が、「映画」を撮ると言い始めて…。

 ところが7歳のイヴァンは、いきなりケイリーの父親を恫喝し始める。彼の中味は、13年後のイヴァンなのだ。「そんな事はやめておけ、ゲス野郎。さもないと娘はおかしくなって、最後に死を選ぶ事になる。それから息子はサディストだから、厳しくしつけをしろ!

 すると…その後の歴史がすべて変わっていった。イヴァンとケイリーは仲を裂かれる事はなかった。二人一緒に仲良く育って、同じ大学に入学し…。

 気づくと、全く見知らぬ大学寮の部屋で、ケイリーと共にベッドに入っていた。

 だが、すぐにイヴァンを激しい頭痛が襲う。そして鼻血。それは歴史が改竄された事により、脳の記憶中枢が入れ替わるための痛みだった。そんなイヴァンをケイリーは不思議そうに見つめる。

 何とイヴァンとケイリーは、恋人同士として寮の部屋で同棲中。しかも彼がいる寮も、周囲の仲間も様変わりだ。どうやら彼は、鼻持ちならないエリート集団の一員になっているらしいのだ。そんな変化に戸惑わざるを得ないイヴァン。それでもケイリーとしっぽりの仲に悪い気はしていなかったが…何とある夜、イヴァンのクルマがブチ壊されて…。

 「言ってなかったけど、兄貴が出所したの

 何とケイリーの兄トミー(ウィリアム・リー・スコット)はいよいよ悪さに磨きがかかり、今まで獄中にいたらしい。ところがこのたび出所の運びとなって、シャバに舞い戻って来たらしいのだ。

 実はあの幼い頃の地下室の日、イヴァンが恫喝したのをトミーは盗み聞きしてしまった。イヴァンの言葉のせいで父親に厳しく躾られたトミーは、それからずっと彼を恨んでいたのだ。完璧に過去を改竄したつもりが、イヴァンはとんだミスをやらかしていたのだ。

 やがて、お約束のようにイヴァンとケイリーの前に現れたトミー。案の定、イヴァンをやりたい放題にブチのめす。だがひょんな事から形勢は逆転。そうなると、今では失われた過去のぶんまで過剰に仕返ししてしまうイヴァンだった。気づいてみると、すでにトミーは息絶えていた。こうしてイヴァンは殺人者となって、刑務所にブチこまれるハメになる。

 なんでこうなっちゃうの?

 ひ弱な大学生エリートに、凶悪犯罪者の巣はキツイ。たちまち札付きのワルどもに目を付けられるイヴァン。このままでは、とてもここでは生き延びられまい。再び過去を変えて何とかこの状況からの脱出を…と母親に例の日記帳を差し入れしてもらうが、それもワルどもに奪われてしまう。万事窮す。

 こうなったら虎穴に入らずんば虎児を得ず。同房の囚人を味方に付けて、ワルどものフトコロに体当たり。奪われた日記帳にその場で目を通し、またまたイヴァンは忌まわしい過去へ…。

 今度はトミーが犬を焼いたあの日だ。レニーが戸惑わずに袋から犬を助け出せるように、イヴァンは事前に彼に刃物を持たせた。そこからはあの日と同じ展開…だったはずだが…。

 トミーは気が変わったか犬を放してくれた。万事うまくいったと思ったちょうどその時…。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ここからは映画を見てから

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

見た後での感想

 見始めてすぐに、この映画の雰囲気って最近見た何作かの作品に似ているな…と思い始めた。

 一つは…「アイ」(2002)でお馴染みパン兄弟の兄貴、オキサイド・パンが単独で監督したサスペンス映画テッセラクト(2003)だ。これは複数の登場人物の目から断片的に見たエピソードが積み重なり、最後に物語の全体像が見えるという作品。今回の映画みたいなタイム・パラドックスのお話ではないが、何となく錯綜する複雑なドラマ構成と、その全貌が観客に徐々に分かってくるあたりが似た雰囲気だ。冒頭に「一次元は二次元の展開図である。二次元は三次元の展開図である。ならば三次元は四次元の展開図=テッセラクトになるはずだ」…なんて屁理屈が出てくるあたりまで似ている(笑)。

 もう一つは、ライアン・フィリップ主演のRe:プレイ(2003)なる作品。こちらはタイム・パラドックスものか…と思えて、実は…というサプライズがある映画だが、冒頭でいきなり主人公が病院に登場するあたりの雰囲気がどこか似ていた。要はこぢんまりして低予算ながら、アイディア勝負のB級サスペンス映画の面白さを感じさせる映画なんだよね。

 見ていけば分かるが、この映画は典型的なタイム・パラドックス物語。一番分かりやすい映画を例えに出せば、「バック・トゥ・ザ・フューチャー」(1985)を思い出していただければ分かる。あの作品で主人公は過去に行きたくて行った訳ではないが、結果的にそこで見事に過去を改竄して明るい未来を創り上げる。まぁ、そもそもがコメディだから、それでいいのだ。

 では実際のところ、そんなに都合良く運命の改竄なんて出来るのか…というのが今回の趣旨なんだよね。

 実際この映画は面白く出来ている。不幸な過去に耐えかねた主人公が、何とかイイ未来をつくろうと苦心惨憺。ところがやればやるほどドツボにハマるという、不幸のオンパレードぶりが気の毒ながらも興味をそそってしまう。主人公がこれまたよせばいいのに、何とかイイ方に変えよう変えようとどんどん無理に無理を重ねるわけ。もちろんやればやるほど悪くなるのは、みなさん予想される通りだ。

 監督・脚本を共同で担当しているのは、エリック・ブレスJ・マッキー・グラバーという二人。イマドキ流行りの兄弟監督らしいのだが、この二人の前作ってあの「デッドコースター」(2003)だと言うから「なるほど」と合点がいった。「ファイナル・デスティネーション」(2001)の続編である「デッドコースター」は僕は未見ながら、「生き残るのは死んでも無理」(笑)…なる珍妙な宣伝コピーと予告編で鮮烈な印象を焼き付けられている。これもある意味「運命への挑戦」モノで、自分たちが死ぬと分かった連中が何とかそれから逃れようと四苦八苦する話だった。なるほど、このあたりの目の付け所は一貫している。

 過去の改良を意図して頑張るのだが、やってもやっても幸せは来ない。それどころか、やればやるほどドツボ…という展開。前にどこかで見たな…と思いきや、これってガイ・ピアース主演のタイムマシン(2002)リメイク版の前半部分に酷似しているではないか。あの映画は後半部分で単なる馬鹿力活劇みたいになっちゃって、オリジナル「タイム・マシン」(1959)にも及ばなかった気がする。今回はその「運命は変えられない」的は部分を拡大し、あれこれ工夫して見せているのがミソだ。

 何しろ伏線もふんだんに張ってあるし、複雑ではあるが話は分かりやすい。最初見ていた時に気づかなかった事が、後でいろいろ活かされていく様子はなかなか壮観だよ。この監督・脚本家二人組は、なかなかの強者ではないか。

 ただ…正直言って向こうではそれなりに人気が出ているというアシュトン・カッチャーなる若手男優も、相手役の女優エイミー・スマートも、ハッキリ言ってあまり魅力がない。何だかパサパサして水気に乏しいというか、何とも華のない二人なのだ。これがちょっと致命的なんだよね。

 何しろ子供時代の二人を演じる子役がそれなりに魅力的だから、大人になってからがガックリ来る。まるでパッとしない二人が運命に翻弄されても、なかなか気分的にノレない。特にカッチャーなる男優は何となく共感しにくい容姿の持ち主なだけに、他人の気持ちも考えないデリカシー・ゼロな言動に最初はイライラさせられるだけだ。

 おまけにこれって運命が変わるたびに彼らの境遇も変わり、見てくれも変わっていく…という一種の「コスプレ」劇の楽しみもあるから、主役二人が魅力に乏しいというのはすごくもったいないのだ。やっぱりこいつらしか出せなかったのは、予算的に厳しかったのかねぇ?

 そんな惜しいハンデを背負ってはいるが、この作品にはそんなキズを埋めて余りある魅力がある。

 毎回毎回歴史を改竄するたびに、今度はどう変わるのか? どうひどくなっていくのか(笑)?…と、ますます興味が増していく。よせばいいのに…と次から次への歴史の改竄をハラハラして見てしまうのは、観客の僕らがすっかり主人公に感情移入した証拠だ。

 お金もかかっていないし、大した役者も出ていない。見るからにB級の小品間違いなしの作品ながら、見た後でちょっとトクした気がする。これはなかなかオイシイ映画ではないだろうか?

 エリック・ブレスとJ・マッキー・グラバー…こいつらは今後大いに期待したいところだよね。

 

見た後の付け足し

 主人公にはイマイチ魅力や共感を感じないものの、僕らは作り手の作戦にまんまと乗せられ、いつの間にか彼の行動を固唾を飲んで見守っている

 そんな主人公が自分の人生を「修正」したくなる気持ちは、誰だって分からないでもない。誰でも「あの時こうしておけば」…と思うことの一つや二つ、人生にいくらでも転がっている。「バック・トゥ・ザ・フューチャー」があれほど大ヒットしたのも、そんな人間心理にジャストミートしたからだろう。

 そして第三者的に見ればどう見てもダメなのが明らかなのに、次から次へと無謀なバクチを打ちたくなる気持ちも分かる。僕らは主人公その人でないから、深追いをすれば余計悪くなると冷静に言える。だが当事者となれば、とてもそうは言えない。それはバクチに大負けした人間が、止せばいいのにそれを取り戻そうと、さらにデカい賭けをして負け続けるのに似ている。負けたらやめるのが当然…ではない。それは理性の問題だ。心理的には、負けたらさらにデカく取り戻さねば…と思うのが人間というものだ。諦めるなんて出来ない。それは誰だって気持ちとして分かる。

 そして恥ずかしながら、この僕もそうやって人生のレールを踏み外し続けた

 今もそれははずしたままだ。そして立て直せない。どうしても、どうやっても、どうあがいてみても、何度リプレイしても戻せないのだ。それがいいかげん分かっているのに…それでもあの「大負け」を取り戻したい。だから、僕には主人公が人ごとではなかった。あいつの悪あがきはよく分かる。

 そんな僕に、この映画のエンディングの苦さはかなり染みた

 結局あちこち人生の改竄をしたあげく、どこをどうしてもうまくいかないと悟った主人公は…物事の発端へと戻っていく。そこで彼は自らの本音も殺し、望みも捨てて…本当の意味での「彼女への愛」に生きる。…やっぱりここでも、「人間はいつか現実に目覚めなけりゃならない」のだ。

 やっぱり僕も捨てなきゃいけない、諦めなきゃならないんだろうね…自分の望みのうちの何かを。

 あるいは、望みのすべてを。

 

 

 

 

 

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