「ハイド・アンド・シーク/暗闇のかくれんぼ」

  Hide and Seek

 (2005/05/16)


見る前の予想

 何とロバート・デニーロダコタ・ファニングの顔合わせによるスリラー映画。これがあくまで現実的なサスペンス映画なのか、それとも超自然的な怖さで描くホラーなのかはいざ知らず、まずはデニーロがこの「天才子役」と組むような仕事を引き受けたのに唖然とした。

 まぁ、それでなくても近年のデニーロはどうしちゃったの?…と言いたくなる脱線ぶりだった。「アナライズ・ミー」(1999)、「ミート・ア・ペアレンツ」(2000)、ショウタイム(2002)…とコメディ出演を連発。一作ぐらいなら面白く見れるが、こうも「そればっかり」続くと何を考えているのか分からない。これに15ミニッツ(2001)、「スコア」(2001)…なども含めた「いかにも仕事選んでない」感じ。かつては曲者ぶりを遺憾なく発揮したデニーロだったのに、一体どうしちゃったのだ。

 最近は作品乱発はなくなったものの、久々に仕事をしたと思ったら「シャーク・テイル」(2004)の声の出演。別にアニメの声優やるのを悪いとは言わない。だが彼が声をアテたサメのキャラクターに、自分の顔のトレードマークのホクロなんか描かれてどう思ったのか。正直言って僕はこのサメの顔のホクロに気づくや…「シュレック」(2001)から続くドリームワークス・アニメの悪趣味・下品ぶりを感じて、一気に見る気をなくしたよ。何なのだ、あの物欲しげな品の無さは。大体、そんな仕事を受けるデニーロもデニーロだ。

 それが今度は、こまっしゃくれた子役ダコタ・ファニングとワン・セットの仕事とは…。

 大体、僕は「天才子役」って大っキライなんだよね(笑)。ガキは学校に行ってろ…って思っちゃう超保守的な考え方の持ち主なので。誰が何と言おうと、これが本音なんだから仕方がない。

 もちろん素晴らしい子役演技に感動した事も数知れずだが、それでも「子役」と聞くとまずウンザリする。それが何本か成功させて「スター」然としてくると、もうガキがふんぞり返ってる様子が脳裏に浮かんでゲッソリしてくる。こっちは昔から性格が歪んでいるから、そうに違いないと決めてかかってる(笑)。

 そして「アイ・アム・サム」(2001)、コール(2002)、マイ・ボディガード(2004)…と主演級の作品が続くダコタ・ファニングは、もう十分に「スター子役」と言えるだろう。僕がムカつくだけの素質は十分だ。

 だが…得てしてそんな取り合わせからいい結果が出てくる場合も…ごくマレにではあるが起きるから侮れないんだよねぇ。これがそうならないと言い切れる理由はないし。

 それにスリラー映画は、どっちかと言えば好きな領域だ。無視を決め込んでいた僕だが、ここは腹をくくって見に行ってみるか。

 

あらすじ

 ニューヨークに住むロバート・デニーロとエイミー・アーヴィングの夫婦には、一人娘ダコタ・ファニングがいる。夫婦にとっては遅くに生まれたファニングだけに、アーヴィングは目に入れても痛くないほどに彼女をかわいがる。そんな妻アーヴィングを、デニーロも目を細めながら見つめるのだった。

 「ダコタちゃんはどこにいるかな〜?」

 その夜も子供部屋でかくれんぼをする娘ファニングを、アーヴィングは優しく寝かしつけるのだった。

 その夜…午前2時6分

 ロバート・デニーロは汗びっしょりになって目が覚める。見るとベッドには妻の姿がいない。そして、どこからともなくピッチャンピッチャン…と水滴が垂れる音。

 あれはバスルームだ。デニーロがおそるおそるのぞき込んでみると…何とアーヴィングが手首を切ってバスタブに浸かっているではないか。すでに湯は血で真っ赤だ。慌てて彼女を抱きしめるデニーロだが、もう時すでに遅し。

 そしてそんな両親の様子を、開いた扉からファニングが見ていた…。

 この時のショックからか、自分の中に閉じこもりがちになるファニング。そんな彼女を心配してか自らの傷心を癒そうとしてか、デニーロはニューヨークを引き払って郊外に引っ越す事を決めた。デニーロの教え子でファニングの心のケアを担当していた心理学者ファムケ・ヤンセンは自分の勤める病院での診療を勧めるが、ともかく思い出の多いニューヨークを去りたいというのがデニーロの希望だった。「しばらくあの子の父親に専念したいんだ」

 着いた場所は、湖の畔の小さな町。それもいささか他の家から離れた一軒家だ。近くを森に囲まれた寂しい家でもある。到着するとまずは大家と保安官のディラン・ベイカーが歓迎してくれるが、この二人が何となくイヤ〜な感じ。そしてファニングは…満足に大人たちに挨拶もせず、森の方をジッと見つめるばかり

 こうして郊外の生活が始まった父娘だが、何しろデニーロが一生懸命気遣っても、娘ファニングはまるで乗って来ない。何とも気まずい雰囲気が流れるばかりだ。

 翌日も朝から一人で森へと出かけるファニング。そこで彼女は奇妙な洞穴を見つけるが…。

 さて二人は町に買い物に出かけるが、その途中で小さな女の子を連れた美しい女性エリザベス・シューと出会う。ひょんな事から彼女に話しかけ、親しくなるデニーロ。何でもシューは妹の家に遊びに来ているところで、連れている女の子も妹の娘だと言う。久々の楽しい会話に心もはずむデニーロだが、そんな彼とシューの様子を娘ファニングは冷たく見つめていた…。

 そんなある夜のこと、ファニングがいつも大事にしていた人形を持っていないのに気づくデニーロ。ロクに答えようとしないファニングを辛抱強く問いつめると、「もう新しい友だちが出来たから要らない」と言う。

 その「新しい友だち」の名はチャーリー…。

 娘の変化に興味を持ったデニーロは、「今度はどの人形がお友だち?」と尋ねる。ところがファニングはあまり明かしたがらない。「チャーリーは人形じゃないわ」

 そんな娘との一部始終を、デニーロは電話でヤンセンに報告。二人が辿り着いた結論は、どうやら自分の心に閉じこもったファニングが、架空の「友だち」をつくったらしい…という事だった。だが夜中にゴミ捨てに行ったデニーロは、そこでギョッとするモノを見つけてしまった。それは、ファニングがかつて大切にしていた人形だった。それは単に捨ててあるだけではない。なぜか顔をボロボロにキズつけられていたのだ。そのあまりの異常性に、思わずゾッとするデニーロ。

 その後、いよいよデニーロとファニングの関係は冷え込み、日に日にファニングは冷淡さを増していった。そのせいか…ある夜のこと、あの2時6分にデニーロがまたしても目覚めてみると、またしてもバスルームからイヤな気配がしてくるではないか。慌ててバスタブを覗いてみると、そこには「ころしたのはおまえだ」…とのクレヨンの子供の字。慌ててファニングを問いつめるが、彼女は「チャーリーがやった」の一点張りだ。チャーリーとは一体誰なのか?

 その頃、先日知り合ったエリザベス・シューが、妹の娘を連れてわざわざ訪ねて来てくれた。これには大喜びのデニーロ。シューはちょうど離婚したてで、人生を立て直そうとしているとか。デニーロにもまんざらでもないようだ。ところがファニングは、なぜか彼女を歓迎しない。あからさまに敵意をむき出しにするファニング。

 かと思えば、隣の家の主人がいきなりやって来て、妙にファニングと親しげに話を始める。これには警戒心を覚えずにはいられないデニーロ。どうも隣の家には、何やらいわくがありそうだ

 さらに…どうやって見つけたのか衣裳入れの奥の隠し扉から、ファニングは奇妙な地下室へと入り込む。だが、そこでいきなり停電。娘の激しい悲鳴を聞いて駆けつけたデニーロに、ファニングは慌てて訴える。「チャーリーが私を脅かしたの!」

 だがそれはまだ、これから起きる異常な出来事のホンの前触れに過ぎなかった…。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ここからは映画を見てから

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

見た後での感想

 正直言って、この映画の底は割と早いうちに割れる。タネ明かしされる前に、おそらくみんな気づくと思うんだよね。

 そうなってみれば、なるほどそれでこういうキャスティングか…と納得しないでもないが、それにしてはちょっとズルもしているはずだ。何となくスッキリしない。それに映画が明かす前にバレちゃうしね。それがまずは興ざめだ。

 しかも、そこからがまた長い。実際のところネタが割れるこの映画中盤あたりになると、登場人物の誰にも感情移入出来なくなっている。唯一の例外はファムケ・ヤンセンの心理学者だけ。彼女はなかなか儲け役だと思うけど、それって他の主要な登場人物の役があまりにひどいからだ。誰も彼もまったく好きになれなくなる。

 そもそも映画前半部分でのダコタ・ファニングと来たら…それでなくても「芝居うまいでしょ?」ってこまっしゃくれた子役がキライだっていうのに(笑)、あの偉そうな態度は何だ! 母親の死に直面してショックを受けた設定だと分かってはいるが、見ていてイライライライラとムカついてくる一方。デニーロが下手に出れば出るほど増長する態度は、おそらく本当のダコタ・ファニングもこうじゃないか?…と彷彿させる生意気さ(笑)。誰も見ていないところでアタマをこずいて泣かせてやりたくなる(笑)。ちょっとスピルバーグ「宇宙戦争」で宇宙人に厳しくしつけてもらった方がよくはないか(笑)?

 まず、不器用な親父がせっかく「好物」だろうとつくってくれたスパゲティはちゃんと最後まで食え! 例えマズくても食え! フォークでグチャグチャこね回すんじゃねえ! しまいにゃ口こじ開けて食わすぞ、このガキャ〜!

 何だか怖い出来事とか異常心理とか周囲の怪しい人物とか…ってどうでも良くなってくるほど、前半のファニングはムカつく。デニーロに向かって「チャーリー!チャーリー!チャーリー!チャーリー!」とギャーギャー連呼するあたり、ホントに血圧が上がって来るからねぇ(笑)。黙らねえとテメエなんかサーカスに売り飛ばすぞ!

 …と、ここまで書いてきて…やっぱり僕は子供なんか持っちゃいけない「鬼畜野郎」だってよく分かった(笑)。世の中には、向いている奴と向いていない奴がいるのだ。まぁ、僕は自分で自分を自覚しているから許して欲しい。親になれない人格破綻者だし未熟者だと分かっているからね。

 ともかくそんな感じだから、ハッキリ言って前半の段階で「衝撃の真相」なんてどうでも良くなっている。他の人はどうか知らないが、僕はもうダコタ・ファニングにムカついてどうでも良かった(笑)。おまけにネタはすぐに割れちゃうから面白みも半減。割れてからがダラダラ長いのも退屈だ。さらにさらに…最後の最後に出てくるオチだって、もったいつけて出すようなもんじゃない。たぶんみんな想像つくだろう。スリラーとしてこれはマズイよね。

 そもそも、この映画っていろいろ面白くなりそうな設定やらアイテムを取りそろえていながら、それらを全く活かしていない。湖畔の一軒家というのに湖がロクに出ないのももったいないし、森の洞穴はあんな使い方じゃ全然面白くも何ともないではないか。デニーロが持ち込んだ望遠鏡も、たった一回つまんない使い方だけ。さらに家の中で見つかった隠し地下室は何だったのか? こうした面白くなりそうな要素は、ことごとく使い捨てにされて活かされてはいない。こりゃ一体何なんだろうね?

 オーストラリア出身のジョン・ポルソン監督も打つ手がなかったのか。そもそもアリ・シュロスバーグの脚本そのものがうまくないんだと思うよ。

 

見た後の付け足し

 そんな訳でロバート・デニーロは「なるほどね」という役だが、何も天下のデニーロがやるまでもない役だ。彼は金にでも困っているんだろうか?

 ダコタ・ファニングは…正直言って、人ごとながらこの役やって良かったのかどうか心配になる。芝居がうまい事は分かったが、子役って一つのジンクスみたいなモノがあるんだよね。それはスリラー映画でムカつく役を演じると、その後「落ち目」になるって事…。

 子役っていうのは「可愛い」とか「おしゃま」とか「オマセ」とか、どうしても起用法がワンパターンになってしまう。おまけにいつまでも幼くはない。だから役者として長持ちし大成させていくには、その都度うまい具合にイメージチェンジさせていく事が必要なんだよね。

 まぁ、観客に抵抗のないカタチで「大人」に変えていく訳だが、事はそううまくはいかない。一つのやり方としては色気づいた役をやらせるって手があるが、これも一つ間違うと子役を汚してしまう。非常に難しいのだ。

 で、もう一つのやり方と言うのが、スリラー映画に出演させること

 スリラー映画で大人を翻弄する「危険な子供」を演じさせるのが、それまでの幼くて可愛い「子役」からの脱皮につながるという訳だ。確かにスジは通っている。

 だが、ここでコケる子役が結構多い

 例えば…一番分かりやすい例だったら、マコーレー・カルキンだろうか。「ホーム・アローン」(1990)で人気爆発した彼は、その後も「マイ・ガール」(1991)や「ホーム・アローン2」(1992)などに出てスター街道まっしぐらだったが、ある時を境に下降線を辿り始めた。それがサスペンス映画「危険な遊び」(1993)への出演だったんだよね。ここでのカルキンは、実にムカつく陰険なガキを演じていた。ハッキリ言って完全な「悪役」だ。ラストなんて、子役にこんな扱いをするアメリカ映画は他にないんじゃないだろうか。ちょっと驚いてしまう程だ。

 古くは、マーク・レスターなんかもそうだ。「オリバー!」(1968)での世界的大成功を得て人気爆発。日本では「小さな恋のメロディ」(1971)というローカル・ヒット作もあった。だが、これに続く「ナイト・チャイルド」(1971)が問題だった。何しろこれまた陰険なイヤ〜なガキ。ブリット・エクランドを脅して脱がせ、そのハダカをジッと見つめるエロオヤジ的ないやらしさもたっぷり。ここから一気に人気が失墜した。

 こうして見ると、「子役」のスリラー出演は危険な賭けだよね。

 何がマズイかと言うと…実は僕が「子役スター」を見ていて思うような事を、みんなも内心感じているからじゃないだろうか。健気で可愛らしい顔しているけど、ホントは現場では高飛車でゴーマンで、大人を鼻であしらっているクソ生意気なガキなんじゃないか?…みんなたぶん薄々そう思っているはずなんだよね。だけど見て見ぬふりをしている。

 それなのに映画でそんなキャラをモロにやっちゃったら、それってまるでシャレにならないではないか。おまけに妙にうまかったりするから、ますますリアリティが増してしまう。そこで観客は、見たくもない現実を見せられた気がするんじゃないだろうか?

 だとすると…今回のダコタ・ファニングもヤバイんじゃないか?

 終わり方が終わり方だから、タカビー生意気で終わってはいない。一応そのへんで中和はされるかもしれない。だから、ひょっとしたらセーフかなという気もしないでもない。だが、果たしてどうだろうねぇ? 今後この映画が、彼女のキャリアの分岐点として記憶されなければいいのだが…。

 他の出演者でちょっとビックリしたのは、エリザベス・シューが何ともつまらない役で出ていること。「リービング・イン・ラスベガス」(1995)のオスカー・ノミネートでやっと売れたと思ったけど、どうもその後が続かなかったのか。インビジブル(2000)とかにも出ていたけど、結局またこんな役をやるようになっちゃったんだよね。僕は悲しい。

 そしてもっと悲しいのが…エイミー・アーヴィングだ。

 かつてキャリー(1976)、「フューリー」(1978)、「ふたりだけの微笑」(1978)、「コンペティション」(1980)…などで可憐なところを見せていた彼女。一時はスティーブン・スピルバーグの奥さんだった時もある。ところがしばらく見ないうちに…。

 ポツポツと新作が来るかと思えば、「キャリー2」(1999)。久々に大作トラフィック(2000)に出演してたのは嬉しかったけど、ガックリ老けていたのには泣けて来た。それが今回は、さらにまた一段と「老け」が進んでいたから悲しい。しかも、出てきてすぐに死んでしまうという不遇ぶり。オープニング・クレジットに名前が出てきた時には、すでに彼女はスクリーンから退場していた。

 こう見ていくと、ホントにファムケ・ヤンセン以外いいとこなしって感じだ。みんなこんな映画に出ていていいんだろうかねえ?

 

 

 

 

 

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