「レジェンド/三蔵法師の秘宝」

  天脈傳奇 (The Touch)

 (2005/05/09)


見る前の予想

 「007/トゥモロー・ネバー・ダイ」(1997)、グリーン・デスティニー(2000)で国際的知名度がグーンとアップした香港アクション女優ミシェル・ヨーの新作。これがどうも「インディ・ジョーンズ」タイプの宝探し映画らしいと聞いて、ちょっと楽しみになった。

 映画は欧米俳優が出てくる英語映画のようだが、監督が「グリーン・デスティニー」の撮影監督…という事は香港の人だろうか。するとこの映画はアメリカ映画なのか、香港映画なのか?

 そのへんの無国籍ないかがわしさもたまらない。おまけに舞台も中国大陸の砂漠や荒野というのがイイではないか。結構この映画に僕は期待していたんだよね。

 

あらすじ

 ここは中国・青島。いまや現代的な大都市であるこの街で、巨大なテントを張って大々的な興業を行っている曲芸団の面々がいた。その名を「ザ・タッチ」。華麗な芸の数々で満場の観客を沸かせる「ザ・タッチ」の芸人たち。その中でも一際目を惹くのは、ミシェル・ヨーとブランドン・チャンの姉弟の二人によるアトラクション。天井から吊したロープにぶら下がりながらの、さまざまなアクロバット曲芸だ。

 ところがその頃この大都市の一角に、怪しげな集団がいた。

 豪華なお屋敷で手下たちを従え、いかにも「悪党」然とした佇まいのその男…リチャード・ロクスバーグ。彼は手段を選ばずに古今東西の財宝を漁り、それによって巨万の富を得ていたのだ。「この世には奪う者と…奪う者に貢ぐ者がいる

 やがてそこに一人の男がやって来る。彼は泥棒のベン・チャップリン。ロクスバーグにその腕を認められてはいるが、訳あって手足に使われている身だ。「例の品は手に入ったんだろうな」

 その品とは…ハート型の大きな石だ。

 チャップリンがロクスバーグの命によりどこかから盗んで来たこの品…その名を「敦煌の心臓」という。実はこの品こそが、あの三蔵法師にまつわる秘宝のカギとなるものだった。

 三蔵法師とは、もちろんあの「西遊記」のモデルにもなった聖人。その肉を食べれば永遠の命を得られるとまで言われた人物だ。この「敦煌の心臓」で手に入れられる秘宝とは、その三蔵法師の遺骨だ。もちろんコレを手に入れられれば、どれくらいのパワーを得られるか分からない。

 そんなロクスバーグの話にも一向に関心なさそうなチャップリンは、食い物をもらうとソソクサと帰っていった。

 だがその夜…警戒厳重なロクスバーグの屋敷に何者かが忍び込み、問題の「敦煌の心臓」を盗んで行くではないか。それがあのチャップリンの仕業であることは、改めて言うまでもない。

 さてその頃「ザ・タッチ」一座の面々は、今日ちょうど二十歳を迎えるブランドン・チャンの誕生日をささやかにお祝いしていた。そこにいきなり登場したのがあの泥棒ベン・チャップリン。するとミシェル・ヨーの表情がサッと変わり、一同は一気にドッチラケ。みんなソソクサとその場を立ち去りだした。

 「なんだ、なんだよみんな」

 「三年前に突然いなくなって、いきなり何よ!」

 どうもベン・チャップリンは、彼らと旧知の仲だったらしい。中でもミシェル・ヨーとはその親しさもひとしおだった様子。だが、なぜか突然失踪するという不義理をして、今また突然戻ってきた。これはどうせロクな話ではあるまい。言葉通り「弟の誕生日を祝いに来た」とは思えない。なぜなら…彼は泥棒だからだ

 図星を突かれて言葉を失うベン・チャップリンだが、彼はミシェル・ヨーに例の品を差し出した。「君たちはこれを探していたはずだ」

 「敦煌の心臓」…それはミシェル・ヨーたちの一族が長く探し求めて来た秘宝だ。だがそれを見ても、ミシェル・ヨーの表情は優れない。ともかくベン・チャップリンにここで一夜だけは寝泊まりさせてやる…と言い、ミシェル・ヨーは自分の楽屋に引き揚げた。

 彼女は楽屋で長くしまっておいた巻物を取り出し、「敦煌の心臓」と一緒にじっと眺めた。彼女たち一族は親の代…いや、もっとずっと昔の先祖から「曲芸師」として生きてきた。そんな彼らは代々、この「敦煌の心臓」と三蔵法師の遺骨について言い伝えられて来たのだ。遠い昔にある場所に隠された遺骨…それを手に入れるためには特殊な能力が必要とされる。そのために「曲芸師」の一族が「選ばれし者」として指名され、代々そのための芸を鍛えて来たのだ

 もちろんミシェル・ヨーも父から厳しく鍛えられた。そんな彼女がまだ娘時代の時、飢えた孤児としてヨーの家に忍び込んだのがチャップリンだ。その日以来、ヨーの父はチャップリンを引き取って彼女と一緒に育てた。二人はそんな幼なじみの仲だったのだ。

 そしてそれ以来、チャップリンもまた一族に伝わる伝説を知っていた。彼が「敦煌の心臓」を盗み出して来たのは、彼なりの一族への恩返しに違いない。

 そんな事を考えていると、いつの間にか楽屋の扉が開いていた。そんな一部始終を、弟のブランドン・チャンが見ていたのだ。「何だよ姉さん、巻物はちゃんとあるんじゃないか!

 実はミシェル・ヨー、弟が伝説に夢中になってアテのない「宝探し」にハマってはマズイと、巻物はなくなったという事にしていたのだ。そしてお宝の件については一切封印してきた。だがブランドン・チャンはこの「心臓」と巻物を見たからには、宝探しに乗り出すべきだと思い詰めた。

 「もう僕は子供じゃないんだ、大人なんだからね!

 だが…当然それで話が済む訳がなかった。

 ロクスバーグの手下たちが「ザ・タッチ」のテントを急襲。チャップリンとヨーに襲いかかってきた。激しい乱闘のあげくチャップリンは一味に連れて行かれたが、ヨーと「心臓」は無事だった。一人取り残された手下をシメ上げてロクスバーグの居所を知るや、ヨーは単身チャップリンの奪還へと出かける。

 その頃ロクスバーグと手下たちは、チャップリンの両手を熱湯につける拷問で何とか口を割らせようとしていた。激しい苦痛の中でもシラを切り通すチャップリン。そこにミシェル・ヨーがいきなり乗り込んで、手下たちをアッという間に叩きのめしてしまう。こうしてチャップリンを奪還したミシェル・ヨーは、疾風のごとくバイクでその場を立ち去った。これにはロクスバーグも歯ぎしりだ。「まったく、満足に働ける手下はいないのか!」

 ところがヨーがチャップリンを連れて「ザ・タッチ」のテントに戻ってみると、一座のみんなが沈痛な表情で待っていた。あの弟ブランドン・チャンがかねてから思いを寄せていた美しい娘マーガレット・ワンを連れて、「心臓」と共に敦煌へと黙って出発してしまったと言うのだ。

 だが、ロクスバーグがこのまま黙って見過ごす訳はあるまい。また、敦煌での宝探しは、予想以上の危険を伴うに違いない。そして宝には、一族の中でも真の「選ばれし者」でなければ近づけない…。ミシェル・ヨーはベン・チャップリンを見つめると、自ら今までの禁を破った。

 「仕方ない、敦煌に行くわ!

 そんな事とはツユ知らず、飛行機上の人となっているブランドン・チャンとマーガレット・ワン。二人きりの旅に楽しげな二人だが…その機内にあのロクスバーグの手下が乗り込んでいる事は、当然知る由もなかった。

 素朴な田舎町・敦煌に着くや、早速その場にいる人々に「心臓」を見せて尋ねまくるブランドン・チャンとマーガレット・ワン。だが誰も「心臓」も知らなければ秘宝についても知らない。だがそんな二人の様子を、一人の露天商の老人だけが意味ありげに見つめていた。やがてこの老人の元へやって来て尋ねるブランドン・チャンだが、何も知らないとトボける老人。だが次の瞬間、その老人の姿は消えていた。何やら胸騒ぎを覚えるブランドン・チャン。

 そんな一部始終を、あのロクスバーグの手下が監視していた

 そうとは知らぬブランドン・チャンとマーガレット・ワンは、目の前に意味ありげに現れる例の老人に誘われ、どんどん街のはずれへと導かれていく。そして一軒の古い家に入ろうとしたところで…。

 案の定、ロクスバーグたち一行に捕まってしまった!

 戦おうにも多勢に無勢。何よりマーガレット・ワンを押さえられてしまったからグウの音も出ない。ロクスバーグはマーガレット・ワンを人質に取り、ブランドン・チャンに家の中へ入るように命じた。

 「中であのジイサンの話を聞いて来い!」

 一方ミシェル・ヨーとベン・チャップリンの方はと言うと…いきなり列車事故で先に進めなくなり、仕方なく買い取った中古車を走らせて先を急ぐと、これまたポンコツでエンコというアリサマ。二人ともいがみ合いながら、ヘトヘトになってやっとこ敦煌に辿り着くテイタラクだ

 すると…そこにはあのロクスバーグの手下同然に働いている、彼のマヌケな従兄弟がいるではないか。こいつがいると言うことはロクスバーグもいる。かくして二人は、このマヌケ男から彼らの居所を聞き出す事にしたが…。

 さてブランドン・チャンが家の中に入ると、中はまるで寺院のような装飾があった。そこに座っていたのは例の老人…。

 今は正装して威厳たっぷりに座るその人物は、伝説の継承者である老僧ラン・シャンであった!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ここからは映画を見てから

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  

 

見た後での感想

 ハッキリ言って予想通り。この作品の狙いはズバリ、ミシェル・ヨーの「インディ・ジョーンズ」だ。

 まぁ「007」と「グリーン・デスティニー」で、スターバリューは大きく上がった彼女だ。なかなか華もある。だからそれなりに楽しめる気がするよね。実際に映画の滑り出しは悪くない。

 感想文の冒頭でも述べた通り、この作品は「好きと言えなくて」(1996)や「シン・レッド・ライン」(1999)にも出ていたベン・チャップリンムーラン・ルージュ(2001)やヴァン・ヘルシング(2004)のリチャード・ロクスバーグなんかが出ていて一見アメリカ映画風に見えるが、やっぱり思った通り香港映画らしい。そういう意味ではジュリアン・サンズやクレア・フォーラニらが出て欧米映画のスタイルに見せていながら、あくまで香港資本のジャッキー・チェン映画「メダリオン」(2003)のスタイルに似ている。だが「メダリオン」はいかに欧米俳優を起用してヨーロッパを舞台にして、見た目をハリウッド映画のように見せかけようとも、やっぱりどうにもこうにも泥臭かった。かえって香港の話を描いた香港映画よりも垢抜けず、何とも泥臭く見えてしまうくらいだ。向こうの俳優使えばハリウッド映画になるってもんでもないんだよね。

 ところがその点この「レジェンド」は大違いで、とにかくヤケに垢抜けているのだ

 脚本にフランス人コンビのローラン・クルシオーとジュリアン・カーボン、さらにRONIN(1998)のJ・D・ザイクというメンツを起用したせいか…とも思ったのだが、このクルシオーとカーボンというフランス人コンビは、何とジョニー・トウ監督の香港映画「暗戦/デッドエンド」(1999)の脚本を書いた連中ということだから、何だかよく分からない。監督を務めたのは「グリーン・デスティニー」の撮影監督ピーター・パウという事だが、この人は欧米映画の現場をいくつか経験しているので、そっちのテイストをちゃんと出せたのかもしれない。

 ただ、ならば万事オーケーという訳でもないのだ

 一行はまず敦煌で僧侶と出会い、彼の言葉から木の根本にある地下室へと導かれ、そこで「血」の入った器を手に入れる。そしていよいよ問題の宝の隠し場所へ…と辿り着くのだが、ちょっとこれだけでは「宝探し」映画、「探険」映画としては趣向も仕掛けも足らない。もう後5〜6個ぐらい何らかの仕掛けやアイテムが欲しいところなんだよね

 また、それが地の果てみたいな場所にある…という、「距離感」が出ていない。見ていると、何だか田舎町のはずれをちょっと歩いていくと、すぐにありそうな場所って感じ。途中で遙かな峡谷を馬で飛び越えるみたいな「秘境」モノお約束の場面も出てくるが、それだけでは気分がイマイチ盛り上がって来ないのだ(ついでに言えば、その馬での飛び越えも見せ方に工夫が足らない。あんなアッサリしたモノでは手に汗握れと言われても無理だ)。

 そして何より…ミシェル・ヨー起用のお目当て、アクションが面白くない

 これは冒頭の曲芸団の芸の場面からチラッと懸念されていた事ではあるのだが、このピーター・パウなる監督は3つの点で間違いを犯している気がする。

 まず1つめの誤算は…せっかくミシェル・ヨーという稀代のアクション女優を起用し、実際にそれなりの撮影も行っているのだろうが、その「大変さ」を画面に定着し損なっている。冒頭の曲芸だけでなく仕掛け満載の洞窟での命がけの戦いも、やたらCGを導入しているせいかどこまでが肉体によるアクションかが分からない。あれを撮るにも相当苦労があったのだろうが、それがCGによって容易につくられてしまったかのようにも見える。CGを導入するのは構わないが、その使い方を見誤ると全部「作り物」めいて見えてしまうからね。これは大きな誤算だったのではないか。

 2つめの誤算は…これは最近のスタイリッシュ系アクション映画によく見られる現象だが、アクションの中で何がどうなっているのか…がうまくさばけていない。ちゃんと見せなきゃならないディティールなどを、あまり丁寧に見せていない。だから観客には何が起きているのかよく分からないんだよね。

 3つめの誤算は…これは2つめとシンクロしているのだが、やっぱり昨今のアクション映画に起きている弊害の一つ…アクションの距離感やら位置関係、空間の間隔がまるでつかめていない事。これが出来ていないから、なおさらアクションがどうなっているのか分からないのだ。特にヤマ場の洞窟アクションでは、1つめに挙げたCG使用の弊害で画面から立体感が著しく奪われてしまった。そのため遠近感がなくなってしまっただけでなく、この場面で最も致命的な…高さの恐怖感が完全に失われてしまった。これではハラハラできる訳もないだろう。

 ついでに挙げると…無意味に出てきた人物が、何でこんな時に…と思われる無意味な段階で、実に無意味に命を落としているのが気になる。アレって後で何か意味があるのかと思ったら、まったくの無駄死に。すごく見ていて後味が悪かった。こういう映画では、人の生き死にを無神経に扱って欲しくはない。見終わった時の後味に大きく影響する事だからね。

 

見た後の付け足し

 というわけで、かなり残念な出来映えではある。

 特にミシェル・ヨーはアン・ホイ監督の「スタントウーマン/夢の破片」(1996)でも見せていたように、生身の猛烈アクションの出来る人だ。それを活かしきっていないというのは残念極まる。今回だってドラマではイイ味出していたから、本業のアクションでもイイとこ見せて欲しかった。何しろせっかくの一枚看板の大活劇なだけに、よけい惜しいと感じられるんだよね。

 それはともかく…僕は何だかんだとケチつけた割には、結構この映画を楽しんだ。

 まずは「推手」(1992)、「恋人たちの食卓」(1994)、「グリーン・デスティニー」などのアン・リー作品でイイ味出していた親父さん、ラン・シャンの姿が見れたことが嬉しかったかな。ラン・シャンはダブル・ビジョン(2002)にもチラッと顔を見せていて、その時もトクした気になったけどね。だがそんなラン・シャンは、この映画が遺作になってしまったとのこと。またイイ味を持った役者さんが一人いなくなってしまった。特に「恋人たちの食卓」での中華料理つくる親父なんか至芸だったから、僕はとっても残念だ。ともかく、ご冥福をお祈りしたい。

 そして何より、敦煌からチベットにかけての素晴らしい景色が見られた事…。

 そこはそれ、「グリーン・デスティニー」の撮影監督のピーター・パウ。オスカー受賞もダテじゃない。さすがに見事なものだ。やっぱりスケールでっかい絵が出てくれば、こっちはそれだけで嬉しくなっちゃうんだよね。

 壮大な景色と今は亡きラン・シャンこそ、この映画の最大の「お宝」ではないだろうか。

 

 

 

 

 

 to : Review 2005

 

 to : Classics Index

  

 to : HOME