「フレンチなしあわせのみつけ方」

  Ils se marierent et eurent beaucoup d'enfants
  (...And They Lived Happily Ever After)

 (2005/04/25)


見る前の予想

 実は、僕は結構シャルロット・ゲンズブールってキライじゃないのだ。

 いわゆる美人じゃないけど、ちょっと気になるタイプではある。ただ、最初に出てきた頃には何となく窮屈な感じがしていたんだよね。何しろセルジュ・ゲンズブールとジェーン・バーキンの子供というシチュエーションが最悪…かどうかは知らないが(笑)、とにかく最初から「恐るべき子供」というレッテルで出てきた。周囲の目に本人も応えざるを得なかったのだろうが、ことさらに「問題児」ぶりをアピールしなければならなかったツラさ。彼女だって年相応の無邪気さなり可愛さなりもあっただろうに、どこか「個性」を前面に出すカタチで売って来てしまった。

 だが、それって本人の「個性」だったんだろうか?

 そんな彼女が、俳優のイヴァン・アタルと付き合うようになったと聞いて、僕はちょっと驚いたんだよね。イヴァン・アタルは元々がエリック・ロシャン監督の作品で売り出した人で、背も低いし男前でもないが何となく「イイ奴」の雰囲気が伝わってくる俳優だ。そのロシャン作品「愛を止めないで」(1991)ですでにシャルロットと共演もしていた。でも、この「イイ奴」とどこかアブないシャルロットが付き合うとは…やっぱり僕としては意外だった。

 ところが、これがまた長続きしたのも意外。法的に「結婚」というカタチをとったかどうかは知らないが、二人は子供もつくって家庭を築くようになっちゃったから人は見かけによらないものだ。何より付き合ってからの共演作「ラブetc.」(1996)などを見ると、何となくシャルロットも雰囲気が変わってきた。楽しそうで素敵なお嬢さんの顔を見せてきたではないか。今までの良くも悪くも構えていたポーズみたいなものが失せて、肩の力の抜けたいい顔をするようになってきた。アクばっかり強い両親の影響が、一気に抜けていったみたいなんだよね。…だとしたら、あのイヴァン・アタルってひょっとして大した男なんじゃないか?

 そのアタルが監督にも回って、シャルロットとの「結婚生活」をパロって見せたような主演作「ぼくの妻はシャルロット・ゲンズブール」(2001)を撮ったのにも驚いた。本来だったらテメエの私生活をネタに映画を自作自演…なんて「客をナメるのもいいかげんにしろ」と言いたいところだが、今までのそんな事情が事情だけに腹も立たない。実は映画そのものは残念ながら都合が合わずに見れなかったのだが、こういう映画をつくってしまった事、そしてそこにシャルロット自身が嬉々として参加していた事には、妙に好感が持てたんだよね。

 そして「ぼくの妻は〜」が見れなかった事もあったので、その次のアタルの監督作が来た…となったら僕は絶対見ずにはいられなかった。

 もちろん今回も、シャルロットとアタルが夫婦役で出演もしている。映画界広しと言えども、ヴァンサン・カッセルとモニカ・ベルッチと同じくらい僕が好感を持っている夫婦だ。そうでなくっちゃいけないよね。

 

あらすじ

 バーのカウンターでは、今まさにナンパの真っ最中。ちょっと気になるイイ女シャルロット・ゲンズブールに、男が電話番号を聞きだそうとしていた。だがゲンズブールは剣もホロロ。

 「電話番号を聞きだしてどうするの? 夕食に誘うの? 飲みに誘うの? アンタ私と寝たいわけ?

 そんな言われように男はタジタジ。その気はミエミエなのに、イマイチ踏み切る度胸はないのだ。グズグズしているうちに、その場に一人の男が現れた。

 「場所を変えて飲まないか?」

 その男イヴァン・アタルの出現に、シャルロットはガラリと態度を豹変。アッという間にアタルにシャルロットを「お持ち帰り」されてしまう。

 クルマの中で激しく口づけを交わす二人は、そのままもつれるようにアパルトマンに入っていく。エレベーターの中でも一時も離れられないように絡み合い、そのまま部屋に飛び込むと…。

 部屋の中ではベビーシッターが二人の息子を寝かせて待っていた

 シャルロットとアタルは夫婦だ。時にこんなイタズラも楽しむ「友だち」夫婦。ベビーシッターも帰して、二人っきりで「これから」…となった時にはアタルはベッドでグッスリ。だが「夫婦生活」とはそんなものだ。

 そんなアタルは、自動車のセールスマン。同じ会社で働くアラン・コーエンと、ホテルマンのアラン・シャバが友人だ。何かと言えばこの三人は常にツルんでいる。今日も今日とてシャバはグチたれ大会だ。妻のエマニュエル・セニエが何かと言えば「男女同権」を振り回したあげく、息子のオモチャを買うはずが掃除機を買わされる始末。そんなこんなの女房の振るまいに、いいかげん頭に来ている毎日なのだ。コーエンはと言うと、三人のうち唯一の独身を謳歌。シャバの計らいでホテルの一室を借りて、とっかえひっかえ女を連れ込んではヤリ放題。そんなコーエンの女漁りに、呆れつつも羨ましく感じているシャバとアタル。だがコーエンに言わせると、寂しい独身者からすれば女房持ちが羨ましいとの事だが…。

 そんなある日、シャルロットはCDショップの試聴コーナーで、一人のすこぶるイイ男と目が合う。気になって仕方がないシャルロットは、その場から立ち去った男を追いかけるが…かと言って声をかける度胸もキッカケもない。そのままCDを持って帰宅するしかなかった。

 さてその夜のこと、突然知人よりポーカーの誘いを受けたアタル。そんな夜中に出かける出かけない…でシャルロットと言い合いになるが、すぐに仲直りをするのがこの夫婦だ。かくしてアタルは夜中に出かけていく。

 実はこのポーカー大会…あのシャバのマンションの隣の部屋に住む、インド人夫婦の部屋で行うものだった。何しろシャバ夫婦は連日夫婦ゲンカに明け暮れ、うるさくて仕方がない。そこで仲間内でポーカーでもやらせれば、その間だけでも静かになるだろう…という隣のインド人夫婦の計らいだったわけ。ところがその夜もシャバとセニエ夫婦は、口汚く罵り合い争ってばかり。シャバは捨て台詞を掃き捨てて、インド人夫婦の部屋へとやって来た。やがてアタルとコーエンもやって来て、インド人夫と共にポーカーが始まる。だが今夜のシャバのキレっぷりは尋常ではなかった。何故にここまで憎み合う夫婦なのか。

 夜も更けてポーカーもお開き。シャバは自宅に帰りたがらないが、もういい加減夜も遅い。コーエンも女を待たせてるしアタルも自宅に帰らねばならない。グズグズ言うシャバを置いて、慌てて帰っていくアタルだった。慌てて帰り、部屋のドアを開けると…。

 そこには妻とは別の女アンジー・デイビッドが、アタルの帰りを待っていた

 だがアタルとシャルロット夫婦は、いつもと変わらぬ日常を過ごしていた。何もないように、アタルは毎朝出勤。シャルロットも息子を学校へ連れて行き、そこから不動産の仕事へ…。

 だがシャロットは、人知れず涙を流していた

 彼女はアタルの異変を、実は何となく感じていたのだ。そして悲しみを感じてはいたが、あえて事を荒立てないようにしていた。

 ある夜など夫アタルは、シャルロットにナゾかけみたいに尋ねてくる。「キミは別の男に魅力を感じる時はないのか?」

 その意図はあまりにミエミエだ。シャルロットはさすがに耐えかねて、アタルにこう告げる。「私はあなたの事を知っているのよ」

 だが…そこから先を告げられないシャルロット。

 やがてシャルロットは気分転換も兼ねて、息子を連れて避暑地へとバカンスに出かける。夫アタルは仕事で休めないとのこと。だが毎夜シャルロットが自宅に電話をかけても、アタルは一度も出てこない。それもそのはず。妻子がいないのをいい事に、愛人アンジー・デイビッドの元にドップリ入り浸っているアタルなのだった。

 そんな避暑地のシャルロットに、キース・アレンという中年男が言い寄って来る。だが腹いせに不倫仕返す気もしない。結局アレンを相手にグチをたれるシャルロットではあった。

 結局バカンスから帰っても、何も変わりはしない。出来るだけ友人と出歩いたりして、気晴らしをしようとするシャルロット。彼女はある日亭主アタルを放っぽらかして、友人とレストランに夕食を食べに行く。ところが、その隣の席に座っていたのが…。

 アタルとの関係を母親オーロール・クレマンに相談する、例の愛人アンジー・デイビッドであった! 

 

 

 

 

 

 

 

 

ここからは映画を見てから

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  

 

見た後での感想

 夫婦や男女の仲のままならなさを描いた軽いコメディ。あまり深刻な雰囲気にならないから気持ちよく見ていられるが、考えてみればこれは当事者になったら結構深刻な話なんだよね。そこらへんを見やすく処理しているイヴァン・アタルはなかなか。

 ハッキリ言ってどうって事のない話だし、これだけの映画でしかないが、それでも見ている間は楽しめる。見終わった後も悪い後味がない。

 「友だち夫婦」の理想的パターンで何不足ないはずなのに不倫が起きてしまうイヴァン・アタルとシャルロット・ゲンズブール夫婦。それとは対照的に罵り合ってばかりで最悪の仲に見えて、何となく収まるところに収まってしまうアラン・シャバとエマニュエル・セニエ夫婦。さらに「やりたい放題」だったのに女房持ちに憧れて結婚を決意するアラン・コーエン…の対比も図式的ながら面白い。特にいつもミステリアスでセクシーな役どころばかりのロマン・ポランスキー夫人=エマニュエル・セニエが、ここでは何ともやかましくコッケイなオバチャン役を見せているのが笑える。そして、これが意外にハマっているから面白い。彼女に目をつけたイヴァン・アタルは、監督としてもなかなかイイ目をしているかもしれないね。

 監督としてのセンスを感じたのは、シャルロットが惹かれる「男」役に…あのアメリカの“大物スター”をゲスト出演させている事。豪華で意外な楽しさもあるけど、何よりこの人だからこそ…のキャスティングになっているところがミソ。ひょっとしたらシャルロットはこの「男」とどうにかなるかもしれない…という幕切れだが、何せこのスターがスターだから…その魅力から言っても納得出来る。大した事がない男と不倫にでもなるんだったら、何となく腹いせでやっているような薄汚さを感じるけど、相手がこのスターならねぇ…(笑)。僕だって、ひょっとしたら自分の女を寝取られても納得しちゃうかも。腹も立たない気がする(笑)。

 そして男女の仲のままならなさを描くとなるといかにも陥りそうな凡庸な結論…「不倫バンザイ」とか「離婚するのが正解」とか、そんな「ありがち」で安易な話に持っていったりもしない。このあたり、作者としてのイヴァン・アタルはなかなか非凡なモノを見せている。

 中でも見る者に不思議な感慨を残すのが、劇中でアタルの両親として登場する老夫婦の逸話だ。この老夫婦を演じるのが「男と女」(1966)の好演が忘れがたいアヌーク・エーメと監督・プロデューサーとして著名なクロード・ベリの二人(!)というのもスゴイ顔合わせだが、彼らはほとんどたった一つの場面のためだけにこの作品に登場させられている。それは、この二人がレストランで食事をとる場面だ。

 ただし…そこでは特に何も起きない。二人はただレストランに席をとり、黙々と食事をするだけ。何と会話すら一言も交わされないのだ。そして食うだけ食ったら、またレストランを去っていく…。だがお互い何もしゃべらなくてもくつろいで食事を続けている様子、立ち去る時に夫のベリがさりげなく妻エーメにコートを着せてやる様子…そんなちょっとした佇まいの一つひとつに、結婚してウン十年の長年連れ添った夫婦ならではの味わいがある。何も声高に主張などしないのに、最も何かを強く伝えている好場面なのだ。

 この場面に限らず、イヴァン・アタルは決してこの映画の中で何かの主張や結論を観客に押しつけてはいない。決してこの手の映画でフェミニストたちが得意げにひけらかすような、単細胞な結論には持っていっていない。このあたりが、何とも「大人」の映画ぶりを感じさせてくれるんだよね。豪華な出演者たちの顔ぶれといい、監督イヴァン・アタル…結構やってくれるではないか

 さらにイヴァン・アタル演出のうまさを感じさせるのは、劇中でもちょっと「枝葉」の部分…イヴァン・アタルとシャルロット・ゲンズブールが、夫婦ゲンカともジャレ合いとも言えない状態で、お互いにケチャップやらマヨネーズやら卵やらシェービング・フォームをぶつけ合いぶっかけ合う場面。テレビで放映中の映画「明日に向かって撃て!」に合わせてのドタバタぶりなど、演出の呼吸もシャレている。これもどうって事もない場面なんだけど、見ていて楽しい趣向だ。シャルロットも可愛い。そして、こういうバカバカしくも楽しい趣向があるから、ある意味ではキツい内容のこの話も楽しく見ていられる。

 だってこれって、夫婦なり男女の仲なりが…いかに難しいかを描いた映画だからね。よくよく考えれば、そうそう楽しいもんじゃないよ…って言ってるんだから。

 

見た後の付け足し

 実際、僕も今の今まで独身だけど、この歳になるまで結婚を考えなかった訳じゃない。うまくいかなかったり、いろいろあった訳だが…正直言って今となっては、少なからず腰が退けてる部分はあるよ。

 何せ僕だってイヤな事は山ほど経験してきた。これから先もっとイヤな事が待っていると分かっていながら、それを甘んじて受けるほど気もちが大きいとは言えない。

 かつて友人たちの家族ぐるみの集まりに顔を出した時など、彼らがみな嫁さん子供連れなものだから年がら年中「嫁さんをもらえ」と言われたものだ。一回などあまりうるさいもんだから僕も意地悪い気持ちになって、ついつい言っちゃいけない事を言った事がある。

 「オマエら見てると、結婚したいという気がなくなるよ

 さすがにその場がサーッと冷え切ったのは言うまでもない(笑)。でもここだけの話、これはまったく本音だね。何しろ自由がないだの大変だのとブーたれる亭主たちと、そんな亭主の悪口を吐き出す嫁さんたちの言い草を聞かされたひには…マトモな神経持っている人間で、それで「結婚したい」なんて思う奴がいるならお目にかかりたいものだ。

 我慢するのもウンザリするのもたくさん。罵られるのはもう真っ平。だが相手を失望させたり我慢させたりするのは、それよりもっとイヤだ。良心的に考えても…というか、むしろそう考えればなおさら、そんなバカげた事は出来なくなる

 だが正直言って、本当はそんな事を何もかも…一瞬でもいいから忘れさせてくれる事が起きてはくれないかと思っていたりもする。

 エターナル・サンシャインではないが、本当は心のどこかで…全部のリスクを負ってもいいと思いたい気持ちもあるのだ。実際、僕にもそういう事が一度はあった。どんなひどい事になろうとも、それらは負う価値のあるリスクだと思っていた。ところがそんな甘ッチョロイ予想を超えた重すぎるリスクが襲いかかってきて、生活がひっくり返るとんでもない大打撃を食らってしまったが…。

 もちろん…言うまでもない。そこでリスクを負おうなんて思う事自体が、正気の沙汰ではなかったのだ(笑)。そもそも女と一緒にやっていこうなんて思う事自体が、もうすでにマトモではない(笑)。男と女はうまくやっていけないように出来ているのだ。それがやれると思う事自体、狂っているとしか思えない。そうだ、きっと発狂しなけりゃそんな事は思えない。

 そしてどこかで思っているのだ、どうかもう一度発狂する口実が出来ないか…と。

 

 

 

 

 

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