「ナショナル・トレジャー」

  National Treasure

 (2005/04/18)


見る前の予想

 ジェリー・ブラッカイマー映画に、ニコラス・ケイジが帰って来た!

 白状すると、僕は映画ファンには悪評ふんぷんたるハリウッドのプロデューサー、ジェリー・ブラッカイマーの映画が意外とキライではない。で、振り返ってみるとこのブラッカイマーがニコラス・ケイジを起用してつくった娯楽映画には、僕としては今までハズレがないのであった

 今回の映画は、この両者が久々に手を組んだ作品だ。しかも内容が「宝探し」という、何ともアッパレなほど分かりやすい娯楽映画の王道。

 実はこの映画、僕としては結構楽しみだったりする(笑)。

 

あらすじ

 それは1974年の雨の夜。年老いたクリストファー・プラマーは、自らの持つ秘密を幼少の孫に語って聞かせる。それはこの一族が代々追いかけて来たナゾだ。

 紀元前2000年のエジプト、ファラオの墓にあった財宝。それは紀元70年にはエルサレムのソロモンの神殿に、そして14世紀にはフランスのテンプル騎士団によって持ち出され、いつか独立戦争たけなわのアメリカへ…。

 そして1832年のワシントン。合衆国独立宣言に署名した人間の最後の生き残りチャールズ・キャロルが、自らの死期を悟って時の大統領アンドリュー・ジャクソンへの面会を試みるが留守のために断念。仕方なく、その時キャロルを乗せた馬車の御者にある「秘密」を託してこの世を去った。

 それは例のテンプル騎士団が持ち出した太古の財宝の在りか…フリーメイソンによって守られ、アメリカのどこかに安全に隠された莫大な宝の在りかを示す「手がかり」だった。キャロルが語った言葉はたった一言…「秘密はシャーロットと共に眠る」

 この「手がかり」を聞いた御者こそ、プラマー老人…そしてその幼い孫のご先祖に当たる人物。以来、今日に至るまで一族は財宝を探して心血を注いで来たのだ。だが、今に至ってもそれは見つからない。中には失望のあまり断念してしまう者もいた。実はプラマー老人の息子…少年の父親であるジョン・ボイトこそ、「財宝」話に失望していた人物だ。彼はプラマー老人が自分の息子にまたぞろ「ホラ話」を吹き込むのを見て、そのウンザリ顔を隠そうとしない。それでも孫の少年は、プラマー老人の話に目を輝かせていた。

 それから30年、少年はリッパな大人となり…今でも「財宝」を追っていた。しかも彼ニコラス・ケイジは、今まさにそれに肉迫しようとしていたのだ。今、彼がいるのは北極圏。コンピュータに強い相棒ジャスティン・バーサを従え、今回の宝探しに資金提供してくれたショーン・ビーンとその仲間たちと共に、雪上車二台に分乗して「そこ」に向かっていた。

 「本当にこんな所に船があるのか?」

 そう…彼らは今、船を探していたのだ。氷上の所定の位置まで辿り着いた彼らは、雪上車を停めてあちこち探り出す。すると氷をゴツゴツとつついていたニコラス・ケイジは、突然奇声を上げるではないか。氷を削り出すと、顔を出してきたのは…そこには巨大な鐘が埋もれていた。その表面に大きく彫り込まれている文字は…「シャーロット」!

 行方不明になっていた貨物船シャーロット号こそが「手がかり」の指し示すものだと突き止めたケイジは、こうしてその在りかを見つけた。今こそ財宝発見…と胸躍らせて船に乗り込む一同だが…貨物室に入っても、財宝らしきモノはどこにもなかった。いくつか樽が転がってはいたが、それも中には火薬が入っているだけだ。ところが船長らしき遺体が大事そうに守っている樽の中からは…値打ちモノのパイプが見つかった。それはもちろん「暗号」を秘めたパイプ。「ここが財宝の在りかではないのか」…と失望を露わにするショーン・ビーンたちではあったが、さらに次なる秘密の解読に夢中になる。あれこれと解釈を巡らせながら、「暗号」を見事解読したのはやっぱりニコラス・ケイジだった。

 「合衆国独立宣誓書だ!」

 アメリカ独立の基礎とも言える「独立宣誓書」。おそらくそこに財宝へと導く「地図」が隠されているに違いない。それを聞いたショーン・ビーンは、何のためらいも見せずに言った。「よし、盗みだそう!」

 これにはさすがにためらいを見せるニコラス・ケイジ。何しろ「独立宣誓書」だ、どれほど厳しい監視下に置かれているか分からない。盗み出すなんて至難の業だろう。

 「心配ない。実はオレたちは、かつてちょいとヤバい事もやってきたんだ」

 ショーン・ビーンは重ねて事もなげにそう語るが、実はケイジが言いたいのはそういう問題ではなかった。「合衆国独立宣誓書」は「アメリカの魂」みたいなものだ。そんな「神聖」なモノを、盗んだりしていいものか。さすがにそれには同意しかねるケイジではあった。

 ところがその答えを聞いたビーンは、たちまち態度を豹変。…そう、秘密を知っている者は生かしてはおけない

 すったもんだのあげくケイジとバーサは、ビーン一味によって船ごと爆死させられそうになる。だがそこはそれ、何とか機転を利かせ難を逃れて命拾いした二人。こうなると、何としても「独立宣誓書」を守らねばならない

 こうして二人は「独立宣誓書」を保管する国立古文書館のある街…ワシントンD.C.へとやって来る。まずはFBIにこの件を連絡。「独立宣誓書」を盗難から救うように進言するが、それをマトモに聞く人間などはいない。そもそもケイジは財宝探しに明け暮れる「変人」としての悪名が高く、その発言は最初から信憑性を疑われていたのだ。

 結局ケイジとバーサは、当の国立古文書館の管理担当者ダイアン・クルーガー博士に面会を求める事にした。地味な仕事の割にすこぶる付き美人のクルーガーに惹かれるケイジだが、今はそんな事に夢中になっている時ではない。今回は偽名を使って先入観を持たれないようにして、クルーガー博士に事の重大さを語るケイジ。だが何をどう語ったところで、「独立宣誓書」に「財宝」の「地図」が隠されていて、それが盗まれようとしている…なんて荒唐無稽な話を受け入れる人間などいない。結局またしてもオタクとして帰されてしまうケイジであった。

 だが、このままではショーン・ビーンがやって来る。財宝はともかく、貴重な文化財である「独立宣誓書」はあの男の手に落ちてしまう。それだけは何としても避けなくてはならない。ならば…自分たちが盗むしかないんじゃないか?

 「それがどんなに無茶な事か分かってるのか?」

 「独立宣誓書」を盗む…などと語るケイジのあまりに軽い口調に、さすがにたまりかねたバーサは声を荒げる。だがケイジは大して意に介さない。「…まぁ、何となくね

 だがケイジには目算があった。確かに厳重な警備に加え、頑丈なケースに収納されて手も足も出ない状態にはなっている。だがこの収納ケースの温度センサーを狂わせて、古文書館内の修理室に移動させる事ができたら…いくらかは警備も手薄な状態で盗むことも可能ではないか? しかも近々この古文書館の70周年記念パーティーも催される。その夜なら、警備もパーティーの方に駆り出されるに違いない。

 嫌がるバーサを無理矢理説得し、何とか計画に協力させるケイジ。バーサは事前に警備室のモニター映像に介入し、「独立宣誓書」の収納ケースの温度センサーを狂わせてお膳立てをした。

 さて、パーティー当夜。ケイジは作業員の格好で館内に入り、中のトイレで服を脱いでタキシード姿に変身。招待客を装ってパーティーに潜入した。そこでバッタリ会ったのが、例のクルーガー嬢だ。

 元々その美しさに惹かれていたケイジは、よせばいいのについつい彼女に接近。ついでに変な熱弁を振るって彼女を煙に巻く。「宣誓書に署名した人々も、一つ間違えれば謀反人。信じるもののために、あえて裏切りを働いたんだ。…正義に乾杯!

 そんな事を言いながらも、ケイジは彼女と別れて修理室へと潜入。問題の「独立宣誓書」を見つける。保管ケースを何とかはずして、中から「宣誓書」を取りだそうと四苦八苦

 ところがその頃、同じ場所を狙って別の連中が館内に侵入を試みていた。それは言うまでもなく、あのショーン・ビーンたちの一味だ。ところが間一髪…連中が侵入したちょうどその時、ケイジは「宣誓書」を持って立ち去るところだった。そのケイジの姿を見て、ビーンたちは慌てて発砲する、防弾ガラス仕様の「宣誓書」収納ケースで身を守りながら、何とか辛くも脱出するケイジ。

 ところが今度はあのクルーガー嬢が、立ち去ろうとするケイジを見て不審に思った。何とかかんとかバーサが待つワゴン車まで辿り着いたケイジだが、そこに噛みついてきたクルーガー嬢。彼が手に「宣誓書」を持っていたのに二度ビックリ。おまけにその頃、ショーン・ビーン一味が侵入したのがバレて警報が鳴った。思わず「宣誓書」を握りしめて、叫びながら館内に戻ろうとするクルーガー嬢。「ちょっと警備員さん!泥棒よっ!」

 ところがそんなクルーガー嬢を、今度はショーン・ビーン一味がトラックに乗せてかっさらうではないか。

 「マズイ!」

 ビーン一味のトラックがクルーガー嬢を乗せて逃走するのを見たケイジとバーサは、慌ててその後を追いかける。トラック内ではビーンがクルーガー嬢に「宣誓書」をよこせ…とスゴむが、彼女は断固として拒否。隙を見て荷台の扉を開けたはいいが、いきなり全開した扉にぶら下がってしまう。こうして彼女は、走るトラックから今にも振り落とされそうな勢いだ。

 慌ててトラックの真横に追いついたケイジとバーサのワゴン車。クルーガー嬢が転落する一歩手前で、ケイジは何とか彼女を捕まえてクルマに引っ張り込んだ。だが「宣誓書」は…ビーンの手に渡ってしまったではないか。

 だが、そこはケイジ…さすがに抜かりはなかった。彼は館内の土産物店で、とっさに「宣誓書」のレプリカを買うハメになっていたのだ。ビーンの手に渡ったのはそのレプリカだった。

 そんなわけで、無事「宣誓書」とクルーガー嬢を奪還したケイジではあるが、危機を脱したとなるとこのクルーガー嬢のうるさいこと。それに土産物屋でクレジットカードを使ってしまった事から、ケイジの身元も警察に知れた。案の定、FBIからはやり手捜査官ハーベイ・カイテルが到着。不審者としてケイジを手配して、自宅を押さえてしまった。ならばこの「宣誓書」の「地図」を読み解く作業をどこですればいいのだ?

 困り果てたケイジは、「財宝探し」の件では犬猿の仲の父親ジョン・ボイトの家を訪れる。「宣誓書」を盗んだと知らせる訳にいかず、何とか誤魔化して上がり込んだケイジ。さっそくレモンの絞り汁で暗号解読…という段になると、今度はガタガタ言っていたクルーガー嬢が本来の好奇心を抑えきれない。元々が古文書の専門家で扱いも慣れている彼女が、レモン汁を「宣誓書」に塗布して「暗号」を読みとろうとするが…。

 何も現れない!

 結局すべては無駄だったのか? 財宝探しは父ジョン・ボイトが日頃語っているように無意味な事だったのか? ケイジ、クルーガー、バーサが激しい落胆を覚えたその時、横から出てきた父ボイトが、ボソッとつぶやくではないか。

 「暖めてみろ。そうすれば何か出てくるんじゃないか?」

 この際、何でもやってみるしかない。すがる思いでお互いの顔がくっつきそうな位置から息を吐きかけるケイジとクルーガー。二人の間に何とも言えないムードが漂ってきたのはともかく、「宣誓書」の方にも何やら変化が起きてきたではないか。

 やっぱりあった! これぞフリーメイソンの紋章だ!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ここからは映画を見てから

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  

 

見た後での感想

 それにしても…ニコラス・ケイジのヒーロー映画なんて、 10年前には誰が想像できただろうか?

 今でこそ、娯楽アクション映画のヒーロー役での彼を見慣れたものの、かつてケイジといったらクセモノ役者。いや…今でもたぶんそうなのだろうが、芸域が広くなったとでも言うべきか。大体、かつてはこの手の娯楽アクションにはまったくお呼びのかからない役者が彼だった。「ペギー・スーの結婚」(1986)、「月の輝く夜に」(1987)、「赤ちゃん泥棒」(1987)、「ワイルド・アット・ハート」(1990)…と、当時の出演作を見れば、そのあたりの事は大体お察しいただけるのではないだろうか。まぁ、常にハイ・テンションの変な奴ってのがその役どころだ。

 彼の役者人生の転機は、誰が何と言っても「リービング・ラスベガス」(1995)。そこでオスカーの主演男優賞を受けたケイジは、それまでより一回り大きいスターとなって今日に至っている。

 …と言いたいところだが、それだけでは今日の彼にはなっていないはずだ。実はニコラス・ケイジがスターらしいスターになったのはその後、「ザ・ロック」(1996)に主演してからだ。

 この時は僕も驚いた。オスカー受賞でいろんな話が舞い込むようになっただろうとは思ったが、まさかニコラス・ケイジが娯楽アクション大作の主演を務め、ショーン・コネリーと共演するとは! おそらくそれまで誰も考えなかったキャスティングのはずだ。それを実行に移したのは…誰あろうジェリー・ブラッカイマーだ。

 考えてみるとニコラス・ケイジを娯楽アクション・ヒーロ役で起用しているのは、今の時点に至ってもジェリー・ブラッカイマーだけではないか。仮に娯楽アクションに出演しても「フェイス/オフ」(1997)のように一癖も二癖もある役ばかり。一方、ブラッカイマーは前述の「ザ・ロック」の後も「コン・エアー」(1997)、60セカンズ(2000)と、ニコラス・ケイジを好んで単純アクション・ヒーローに起用し続けているのだ。今回の「ナショナル・トレジャー」(2004)もまさにその延長線上にある。

 実は「大味ハリウッド大作映画の象徴」視されるジェリー・ブラッカイマーではあるが…確かにそう見られても仕方ない彼ではあるが…個々の作品の出来はともかく、作品づくりの姿勢においては凡百の大味大作映画とは一線を画するものがあるのだ。少なくとも僕はそう思っている。それは、その独特のキャスティング・センスだ。

 そもそもブラッカイマーは、娯楽アクション大作に実に「らしからぬ」キャスティングを組みたがる。どちらかと言うと、やけに玄人好みするキャスティングを娯楽アクション大作に持ち込む癖があるのだ。例えば「アルマゲドン」(1998)におけるビリー・ボブ・ソーントンウド・キアー、同じく「アルマゲドン」と「コン・エアー」でのスティーブ・ブシェーミ連続起用などは、他のプロデューサーの作品ではいささか考えにくい。

 そもそも脳天気海賊アクションパイレーツ・オブ・カリビアン/呪われた海賊たち(2003)に、扱いにくそうなジョニー・デップを主演させる無謀なマネはしまい。「コン・エアー」のジョン・キューザックにしても、この映画以前で彼に男臭い役をやらせたプロデューサーはいなかった。今でこそハリウッド・スター然としている「アルマゲドン」やパール・ハーバー(2001)のベン・アフレックも、元はと言えばケビン・スミス映画やガス・ヴァン・サントの「グッド・ウィル・ハンティング/旅立ち」(1997)の役者だ。本来がマイナー系もいいとこなのだ。

 一時が万事この調子で…ひょっとしたらジェリー・ブラッカイマーという人、キャスティングに関しては100パーセント自分の趣味でやってる可能性もある。それで出来上がった映画がいいかどうかは別問題だし、その功罪半ばする部分も百も承知ながら、ともかくどこか他のハリウッド大作とは異なる味付けを感じさせるのがブラッカイマー映画の特徴なのだ。ま、これで下手にシリアスな背景を持つ「パール・ハーバー」みたいな映画をつくらなきゃもっといいんだけどね(笑)。ブラッカイマーはやっぱりバカ映画に限る

 そんなブラッカイマー映画で、クセ者役者ニコラス・ケイジがいかに「ヒーロー」役を演じているのか。そのあたりを見れば、ブラッカイマーの俳優起用法の秘密が伺えて興味深い。

 ブラッカイマー映画ではないがスネーク・アイズ(1998)などを見れば分かる通り、ケイジの持ち味はとにかくあのアブないばかりのハイ・テンションぶりだ。それをブラッカイマーは、ちょっと常人から飛び抜けたオタク性格として活かしている。「ザ・ロック」はCIAに身を置きながらもおよそ冒険とは程遠いデスクワークの人。ビートルズのヴィンテージLPレコードに夢中という男だ。「コン・エアー」こそストレートな男ながら、無実の罪で獄につながれたという点でやっぱり一癖ある。「60セカンズ」ではクルマとその強奪に快感を感じる男で、「いざ出陣!」の時には必ず「ローライダー」の曲をかけて気分を高揚させる…。特にこの「60セカンズ」の気合いを入れる場面あたりは、一つ間違えば危ない男スレスレ(笑)。ある意味では性格がどこかイビツで、完璧な男とは言い難い。だからこそ…どちらかと言うとつまらないキャラになりがちなヒーロー像に、ちょっとした味付けが加わるのだ。このあたりの隠し味加減が、ブラッカイマーの持ち味なんだよね。そして彼がケイジをヒーロー役に起用したがる訳もここにある。

 今回の「ナショナル・トレジャー」も、ある意味ではちょっとアブない男。財宝のナゾに取り憑かれた、一種のオタクだ。そこが「インディ・ジョーンズ」などとは違う。「合衆国独立宣誓書」を盗むと言い出した時、相当ボンクラな相棒の男にドヤされるあたりを見ればそれが分かる。

 「それがどんなに無茶な事か分かってるのか?」

 「…まぁ、何となくね」

 全然分かっていない(笑)。この浮き世離れ加減がオタクなのだ。そしてブラッカイマー映画でのケイジは、「コン・エアー」以外ずっとこんなオタク・ヒーローばかり演じてきた。

 今回はここにダイアン・クルーガーの美女が加わるが、彼女もアブない事では人後に落ちないオタクである事で、物語はどんどんエスカレート。実は目下売り出し中のクルーガーだが、トロイ(2004)の彼女よりこっちの方がずっとチャーミングだ。そしてこの中では本来コンピュータ・オタクなはずのジャスティン・バーサが、最も常識人に見えちゃうあたりが笑える。

 実はこの映画、主人公たち三人のこのバカバカしいやりとりこそを楽しむ映画なのだ。

 

見た後の付け足し

 というわけで、一見「インディ・ジョーンズ」風お宝探し映画に見えて、「ナショナル・トレジャー」の出来上がりはそれとはちょっと違う。スピーディーな展開やら派手な見せ場を期待されると困る。そういう見方で言うなら、この映画っていささかスケール的にもショボい。冒頭の北極を除けば、後はすべてアメリカ国内の名所旧跡で行われる、「ご近所」だけで展開する宝探しなのだ。しかも何となくユル〜い雰囲気が流れている。

 考えてみれば今回の監督ジョン・タートルトーブって、元々が冒険アクションってタイプではない。「クール・ランニング」(1993)、「あなたが寝てる間に…」(1995)、「フェノミナン」(1996)、キッド(2000)…と、どこかホノボノした暖かいムードが持ち味。たぶんそのせいだろう、今回の映画にはまったくと言っていいほど緊迫感がないのだ。

 考えてみれば、今回の映画にはどこにも世知辛さがない。美女が出てきても、主人公と同病相憐れむクチのオタク。追いかけるハーベイ・カイテルのFBI捜査官まで、実はこいつらと「同類」。しかも悪役を演じているショーン・ビーンすら、劇中で見ている限りではさほど悪い事をしていない。何だかあまり憎々しげに見えないから不思議だ(笑)。これでは緊迫感が盛り上がらないわけだ。この映画には「対立」というものがハナっからないのだ。だから映画全編が何ともユルい。

 だが…だからこそ安心して見ていられるとも言える。

 すごく面白いとも傑作とも思わない。だがノンビリ見ている分には入場料ぶんだけは確実に楽しめる。そして何よりキャスティングに独特な味わいがある。

 役者の組み合わせの妙で見せる娯楽映画として、いまやジェリー・ブラッカイマー映画は完成の域に達しつつあるのかもしれないね。

  

 

 

 

 

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