「サイドウェイ」

  Sideways

 (2005/03/28)


  

見る前の予想

 この映画の存在は、今年の2月…オスカー候補作のリストを見るまで知らなかった。そんな「まったく知らない作品」が、いきなり作品賞はじめ5部門でノミネートされている。一体何なんだ、この映画は?

 ビッグスターの出ている映画じゃない。慣れぬ英語の簡単なストーリー紹介を斜め読みすると、人生の岐路に立った中年男二人が、カリフォルニアのワインの里巡りをする話…つまんなそ〜(笑)。まぁ、これで大体インディペンデント系の作家性の強い映画らしいと気がついた。だが、監督は誰だ? アレクサンダー・ペインという名前に思い当たりがない。やっと気がついたのは、人にこの監督の事を教わってからだ。…そうだそうだ、アバウト・シュミット(2002)の監督だった。

 岐路に立った中年男が旅に出て…というあたり、確かに「アバウト・シュミット」と共通点もある。今では少々記憶も薄くなってきてる「アバウト・シュミット」ではあるが、見た当時はいい印象があったように思える。

 ならばこの「サイドウェイ」も、楽しめる映画なのではないか? 出演者が地味過ぎるのと、僕にワインへの興味がまったくないのが気にはなるが(笑)。

 

あらすじ

 隣人のヤボ用で寝ているところを叩き起こされ、サエない中年の小男ポール・ジアマッティは大いにボヤく。だがすぐに彼は、ここで叩き起こされてラッキーだったのだと思い知る事になった。そうだ、今日は大事な約束があったのだ。慌てて相手に電話をして、「今、出るところ」とソバ屋の出前みたいな言い訳をしながらも、それからアレコレ用意をしてやっとこ出発。大幅に遅刻した末にクルマで辿り着いたのは、友人トーマス・ヘイデン・チャーチの家。だが迎えてくれたヘイデン・チャーチも彼の家族も…ついでに彼の婚約者もあまり意外そうではない。要するに、ジアマッティは「そんな男」と思われているのだ。

 ヘイデン・チャーチをクルマに乗せていざ出発! そう…これは結婚間際のヘイデン・チャーチを祝うための独身最後の旅。男二人でワインとゴルフに興じるための、カリフォルニア・ワインの里を訪ねる旅だ。

 だが、彼らは決してもう若くはない。学校教師のジアマッティは長年取り組んでいた大長編小説を出版社に売り込んでいるが、ハッキリ言って見通しは暗い。そんな何かと悲観主義のジアマッティを励ますヘイデン・チャーチも、一時はテレビドラマでレギュラーを持ったものの、今じゃCMぐらいしか仕事のないサエない俳優。それでもメゲないこの男は、この歳まで女あさりに精を出していた。それがやっとこ年貢の納め時か、ようやく身を固める気になったわけだ。一方、女の方はからっきし…なのがジアマッティ。彼は2年前に別れた女房にまだ未練タラタラ。実は心秘かにヨリを戻せないかと思っていたりするが、もちろんそんな気持ちは誰にも明かせないのだった。

 かくして何とか始まった二人の旅だが、いきなりジアマッティが母親の家に寄っていくと言い出す。何と翌日が母親の誕生日だと言うのだ。こうして母親マリールイス・バークの家に、いきなり押し掛けた二人。これには母親も大喜びだ。行きがかり上、この母親から夕食に誘われたら乗らない訳にもいかない。結局ここで今夜は一泊する事にもなってしまって、すっかりヘイデン・チャーチは当てがハズれる。

 だが、ジアマッティにも事情があった。彼は母親の目を盗んで、彼女がタンスの中に隠した「へそくり」を少々くすねる。彼は今回の旅行の軍資金に、いささか不安があったのだ。それにしても、この歳の男としてはかなり情けない振る舞い。タンスの上に飾ってある写真…子供の頃の自分と両親の姿、そして「結婚式」での自分と元・妻の姿…を改めて目にするにつけ、こんな自分に自己嫌悪を抱かずにはいられない。

 翌朝、眠りこけた母親をそのままに、逃げ出すように去っていくジアマッティとヘイデン・チャーチ。ともかく今度こそ本当に出発だ。

 長いドライブの果てにやってきた「ワインの里」。早速ジアマッティはあれこれウンチクを披露。恭しくも大げさに大マジメな顔でバカバカしく、もったいつけて「テイスティング」の儀式を展開するサマはコッケイそのもの。だが本人はそのバカさ加減にまったく気づいていない。片やヘイデン・チャーチはまったくワインに関心なし。ただガブガブ飲んで「うまい」と言うだけ。これはこれで、まったくデリカシーのカケラもない単純さだ。

 ともかく安宿を確保して、ジアマッティご贔屓のレストランへと出かける。ワイン通で何度もこの地を訪れているジアマッティは、ここでは結構な「顔」だ。

 ところがヘイデン・チャーチは、レストランで席に着くや否や早速とんでもない奇声を上げる。「うお〜、いい女じゃないか!

 それはウエートレスのヴァージニア・マドセンだ。もちろん「顔」のジアマッティも顔見知り。マドセンの方もジアマッティに好意的に声をかけてくる。「ハ〜イ!」

 これにはデリカシーのないヘイデン・チャーチも、さすがに何かを敏感に察知した。ジアマッティも彼女を憎からず思っていれば、マドセンだって彼に好意を抱いているはず。「モノにしろよ! いつまでもくすぶってるんじゃなくてさ」

 だが元々何事にも奥手で気が小さいジアマッティは、そんなヘイデン・チャーチの挑発を真に受けない。「第一、彼女は人妻だ。結婚指輪だってハメてる」

 ところが彼女に近づくチャンスは、意外に早くやって来た。食事を終えてバーで飲んでいたジアマッティとヘイデン・チャーチのすぐそばに、仕事を終えてバーに立ち寄ったマドセンがやって来たのだ。ここぞとばかり彼女に声をかけるヘイデン・チャーチ。彼女も喜んで近くの席にやって来た。ちょっといい雰囲気が漂ったところへ、マドセンが願ってもない言葉をかけてくるではないか。「ところでお二人さんは、今夜これからどうするの?

 これにすかさずジアマッティが答えていわく。「疲れたから宿に戻って寝るよ…」

 「オマエ、バカか?」

 マドセンと別れた後のバーからの帰路で、思わずジアマッティをどやさずにいられないヘイデン・チャーチ。「女からわざわざ誘って来てるのに、アレは何だよ!」

 ヘイデン・チャーチはさすがと言うべきか、仕事を終えたマドセンがすでに指輪をはずしているのに気づいていた。「あれは人妻でもない。なぁ、口説かなきゃ損だぞ」

 だが、万事石橋を叩いて渡るのがジアマッティ。叩きすぎて割って渡れなくするまで叩いてしまうのも、またこのジアマッティという男の常だった。

 さて「ワインの里」での二日目が始まった。早速ワイン飲みまくり…という「楽しい計画」を披露するジアマッティに、ヘイデン・チャーチが早速クギを刺した。「オレは結婚を前に、女とやりまくりの旅に来たんだ。ジャマをするなよな」

 この言葉を実行するかのように、ワイナリー店員の東洋人の女サンドラ・オーを早速口説くヘイデン・チャーチ。しかも彼はオーがマドセンと知り合いなのも突き止めた。ここは二人を引っ張り出して、ダブル・デートとシャレこむしかない。

 ところがジアマッティは、ここへ来てまたぞろ別れた妻の事でグチグチ。思い余ったヘイデン・チャーチは、ここまで黙っていた事実を口走る。「実は彼女な、先月再婚したんだよ

 これにはいきなりブチ切れるジアマッティ。別れたとは言え心秘かに期待するものもあったジアマッティだけに、最後の糸が切れたショックは大きかった。それを何とかかんとかなだめ、今夜のデートを台無しにするなと厳命するヘイデン・チャーチ。

 こうしてジアマッティとヘイデン・チャーチ、そしてマドセンとオーの4人で、レストランでの夕食をとる事になる。だがジアマッティはショックから立ち直れない。せっかくマドセンが話しかけてくるのに、ワインのウンチクを並べ立てる始末。おまけに酔いが回るや、トイレに立つと言って電話をかけに行ってしまう。もちろん、電話の相手は別れた妻だ。結局それもグチの垂れ流し。ヘイデン・チャーチの結婚式に来るという元・妻に、自分は欠席すると告げて電話を切るのがやっと。

 そんなジアマッティを横目に、ヘイデン・チャーチとオーはすっかり盛り上がっていた。しかも食事の後、みんなでオーの家に行こうとのお誘いだ。もちろんヘイデン・チャーチとオーは二人でシッポリと決めている。落ち着きを取り戻したジアマッティも、マドセンと二人でじっくり話を始めた。話のネタは、お互いの関心事…ワインのこと。マドセンもまた、かなりのワイン通だった。そうなったのは彼女の元の夫のおかげではあったのだが…そんな話をとりとめもなく続けるうちに、ワインのウンチクはいつの間にかお互いの人生観の話にも似てくるのだった。

 「ワインはピークを過ぎると、今度はゆっくり下降線を辿る。でも、そんな味わいも捨てがたいわ…」

 何とも言えない雰囲気が流れながら、その「決定的瞬間」をジアマッティはついつい見送った。彼はサッとトイレに立つと、そこで顔を洗って自らを鼓舞する。「しっかりしろ、負け犬根性を捨てろ!

 そして戻ってくるや、マドセンに口づけするジアマッティ。だがその時には…残念ながら「その瞬間」をすでに逃していた。暖かい空気は流れながらも、彼女はさりげなくジアマッティをとどめる。「もう家に帰らないと」

 それでもクルマで帰る途中、ジアマッティは自作小説を彼女に渡す事ができた。

 さて翌朝、あの東洋女オーと夜通しブチかましたヘイデン・チャーチが戻ってくる。だが例のオーもご一緒だ。実は携帯の留守電には婚約者からのメッセージが溜まっていたが、ヘイデン・チャーチは気にもしない。それどころか、ここへ来て結婚そのものを見直したいなどと言い出す始末だ。

 「オレは俳優だ。オマエと違って本能で生きる人間なんだよ」

 置いてけぼりをくらい、一日中一人きりで退屈に過ごすジアマッティ。しまいにはエロ本を買って部屋でくすぶるアリサマだが、さすがにこれには自分でもマズイと思った。一念発起した彼は、マドセンに会いにレストランへと赴く。

 ところがヨリによって、この夜はマドセンはお休み。仕方なく一人でワインを一ビンを開けたジアマッティは、泥酔状態で宿に戻った。

 翌日はヘイデン・チャーチも戻り、ジアマッティと二人でゴルフ・コースを回る。だが、結婚への思いがグラつくヘイデン・チャーチのヤリ放題やら、ジアマッティのマドセンへの態度の不甲斐なさやらで、ついつい口論になってしまう二人。それでも、別のゴルフ客にケンカを売られれば仲良く受けて立つ二人は、やはり無二の親友には違いない

 昼過ぎからはマドセンとオーを交えてピクニックだ。そして今夜は…ジアマッティもマドセンの家に誘われ一泊した。

 こうして、ようやく一線を越えて本当に親密になったジアマッティとマドセン。二人は翌日もずっと二人で過ごした。そして草むらで二人でピクニックしている昼下がり…ジアマッティはついつい、翌週に「お祝い」がある事をポロッと漏らしてしまった。もちろん「お祝い」とはヘイデン・チャーチの結婚式の事。それを聞いたマドセンは、それまでのいいムードをたちまち豹変させるではないか。

 「それって私たちをダマしていた…ってわけ?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ここからは映画を見てから

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  

 

  

見た後での感想

 面白かった。…これだけじゃダメ(笑)?

 シンミリとした人生への感慨が底辺には常に流れているんだけど、映画そのものはシメっぽくなりそうになるとドタバタを突っ込んで、とにかくドライに楽しませて見せてしまう。このあたりの鮮やかさは、アメリカ映画ならではだ。

 この作品のヘソとも言える「ワインはピークを過ぎると、今度はゆっくり下降線を辿る。でも、そんな味わいも捨てがたいわ…」という台詞は、確かに泣かせどころだ。正直言って、僕だって誰かに言ってもらいたいと思うセリフだ。だがそれ以外にも、じんわりと身につまされる場面は多い。

 主演者たちはどれも捨てがたいが、何と言っても、ヴァージニア・マドセンが格段にいい。何しろB級映画の出演が多い人だったし、若い頃はセクシーさで売っていた人だ。そして最近は「それ止まり」という感じでめっきり出番がなくなってきた人でもある。ところがこの映画では、そんな彼女の「どん詰まり」感が実によく活かされているんだよね。失礼ながら「女優として峠を超えちゃった」ムードの漂う彼女が、この映画に実にピッタリ来ている。しかもそれだけじゃなくて…この人ってこんなに暖かみを感じさせる人だっただろうか。今までどの映画でも、こんな優しい雰囲気を持った彼女は見なかった。これには正直驚いてしまったね。

 そして、今まで知らなかったトーマス・ヘイデン・チャーチという役者にも感心した。デリカシー・ゼロで下半身が服を着て歩いているような単純ぶりをコッテリと見せながら…いよいよのどん詰まりで彼が主人公に吐き出す本音の姿には、思わず心が動かされてしまった。

 何しろ、それまでがそれまで。何から何まで調子よく自分に都合良く立ち回って来たこの男だ。ちょっとイイ女を捕まえたとなれば、結婚考え直そうかなどと考えるテメエ勝手ぶり。ところがそんな男が本当に婚約者を失いそうだと気づいた時に、やっと本当に必要なモノが何かを悟る。見栄もカッコつけも何もかもはぎ取られた時に、思いの丈をブチまけるように泣いて捨て身で主人公に懇願するのだ。「彼女を失ったら、オレには何もないんだ!」

 それまでどこか尊大に振る舞ってもいた男の、あまりにブザマと言えばブザマな姿。だが彼の見栄を捨て去ったそんな姿が、主人公の覚醒を促しもする。

 もちろん主人公もまた、どこかカッコをつけていた。チンケでオタクな「ウンチク」や「自負」、そしてハタから見たらミエミエなちっぽけな「見栄」で、彼なりなりに精一杯自分を隠して虚勢を張ってもいたのだ。あるいは、くだらない事にこだわって頑なになってもいた。その空しさや無意味さを、彼はようやく少しづつ思い知っていくんだよね。そして、いいかげん目を醒めさねばならないと知る。だから…トーマス・ヘイデン・チャーチが演じる「歩くペニス男」が、血を吐くような思いをブチまけるあの場面には本当に胸が痛んだよ。

 …ってなところで、映画そのものについてはオシマイにしていいだろうか?

 

見た後の付け足し

 映画の感想なんて言いたくない…そう思っちゃう映画だって数のうちにはある。

 今回やけに書くことが少ないと思われるかもしれないが、「気に入ったから饒舌になる映画」もあれば、「気に入ったからこそ寡黙になる映画」だって世の中にはある。それは、いくら語ってもこの映画の素晴らしさ…自分が気に入った点をうまく語れないと思えてしまう映画だ。実は「エターナル・サンシャイン」もそうで、文章としてはあっちを先に書いたけれど、いまだにどうしようか困っている。ひょっとしたら、間際に内容をガラッと変えちゃうかもしれない。

 不思議な事に「エターナル・サンシャイン」とそれに前後して見た「サイドウェイ」には…作品としては全く狙いの違う作品ながら、まったく同じような感慨を覚えた。それはまず…主人公がまるで自分みたいだという事だね。どう「同じ」なのかはこの作品を見てもらえば分かる。そこで「ワイン」を「映画」に替えてもらえばさらに分かりやすい。あの主人公が大マジメな顔をしてもったいぶって繰り広げる、「テイスティングの儀式」を見よ。まったくもってイタい男、それでいて自分では自らのイタさをまるで分かっていない男。あのバカバカしさを、僕もどこか共有しているところがある。

 僕は映画好きだが映画マニアでも映画ミーハーでもないと語り、それを実践しようとしてきた。誰より映画バカみたいなものを笑い飛ばしてきた。映画などなくても死にはしないとうそぶいてきたし、実際なくても困らないと公言しても来た。それは確かにそうかもしれない。

 だけど自分からそれを捨てようとは決して思わないし、なくなった時の自分の人生は考えた事もない。何と恥ずかしいことか。実は「それなしには生きていけない」と思う。バカにするならするで結構だ。でも実際のところ、僕はそういう人間なのだ。そうでないとはとても言えない。

 今まで誰にも何一つ本当の事は言って来なかったし、ウソばかりついてきた。人をキズつけるウソは言わなかったつもりだし、うまく立ち回るためについたウソもなかったが、それでも僕はウソしか言って来なかった。死ぬまでに一つぐらい、本当の事を言ってもバチは当たらないだろう。

 僕はマニアでもミーハーでもない…のではなく、マニアでミーハーなのだ。今さらサイトの看板を替えるつもりもないが、それはここで認めねばなるまい。マニアでミーハー。ウンチクも一杯言いたいし、くだらない細かい事にうるさい。そして誰よりも威張りたい。そして本当はウンチク言うのが好きなくせに、人の前ではあえて言わないのが格好イイと思っている。それで自分なりの美学のつもり。でも言いたくて仕方なくて、抑えるのがやっと。そんな思いをして抑えているだけに、そんなウンチクを素直に出せる人間が嫌いだ。自分がやりたくてもできない事をしているから、そいつが悔しくてたまらないのだ。

 映画館に途中から入るなんてもっての他。長ったらしいエンディング・クレジットなんて、見ないで帰っちゃうのが正しいと言われれば「そうだ」と認めるものの、そうしたいと思った事は実は一度もない。一緒に映画を見に行った女がクレジット途中で帰ろうとすると、顔で笑いながらその女を殺したいと思う。テレビやビデオやDVDで見るのも好きだと言いながら、本当は映画館でこそ見たいと思っている。でも、それは口が裂けても言わないのが僕の流儀なのだ。監督の名前とかフィルモグラフィーとかで映画を見るなんてナンセンスと言われれば「そうだ」と認めるものの、実はそうしなければ気が済まないし、そうしようとしない映画ファンの気が知れない…。

 そんなこんなで一時が万事、何から何までチンケな「自負」と「こだわり」と「偏執」を持っている僕だ。俗物で映画スノッブ…にも関わらずハシャぐ気持ちを抑えきれない。それすなわち、マニアでミーハーたる所以だ。

 それなのにフェアで物分かりのいい顔をしたがる。普通人の常識とセンスを持っているフリをしたがる。大らかで楽しくていい人に見られたがる。本当は気難しくて不愉快で退屈な人間であるのを悟られるのがイヤだし、 人に気を遣わせるのもイヤだ。だが、僕に気を遣わないデリカシーのない奴はもっとイヤだ。だから僕はいつも不機嫌だ。不機嫌だから、いつも楽しそうにエンジョイしている奴が嫌いだ。でも人前では、常に余裕ありげにしていなくては気が済まない。

 普通でマトモでいい人の部分なんて、そんなものハナっからオマエにはないじゃねえか。

 昔からくだらないチンケな根性と価値観を抱えているだけで、後は何も値打ちのあるモノを持ってはいない。全部、見栄なのだ。ウソでウソでウソで周りから自分までダマしていながら、実は誰一人ダマしきれてない。自分だってダマせない。本当は自分が三流の偽物だと、とっくの昔に分かっているのだ。

 ずっと子供の頃から…今はパッとしてないが、いつか認められる人間になるのだと思っていた。今は「仮」の姿なんだ。きっとみんなが驚く事をするぞ。だって、僕にはそんな予感がする。他の奴とはどこか違う気がする。他の奴とは違う…変な歪んだところがある(笑)。今は変で困ったところにしか思えないけど、それがきっと大きくなって役に立つのだ。それのおかげで恥ずかしい思いをしたり、軽く見られたり見下されたりしてきたけれど、きっとその分だけ他の奴よりもいい思いをするんだ。そうだ、そうだ…きっとそのはずだ。もうちょっとだけ我慢すればいいんだ。大丈夫だ、だってきっと巻き返しがあるんだから。そうでなきゃスジが通らないではないか。自分を信じるんだ。信じていれば、きっとすべてうまくいく。

 そう思って、気づいたらもう若さはなくなっていた。

 …というより、人生は半分以上過ぎてしまった。今はまだ「仮」だと思って棚上げにしてきた事もいっぱいあるのに、それらは手つかずのまま終わってしまった。もうチャンスは訪れない。二度と戻って来ない。そして人生の恩恵が訪れそうな予感も、どんどんやせ細ってくる一方だ。ついに訪れたと思った幸運は、僕を奈落に突き落とす最悪の災いだった。それでも僕はつい先日まで、自分の人生に素晴らしい事が起きるのだと信じて疑わなかった。

 そんな事は、もう二度と起きない。

 それは絶対に起きない。そろそろ、そのつらい事実を認めなきゃいけない。…そんな事を、三度のメシより好きな映画に教えられるホロ苦さを、一体どうやって人に告げればいいのだ。

 他人になど言えるはずがないだろう、本当に本当に本当の事は。

 

 

 

 

 

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